10.わたくしの奴隷
「嬢ちゃん、こいつはどうだい?」
「こっちには活きのいいのがいるぞ」
「うちの女は調教済みだ。安くしとくぜぇ〜」
「あっちの店は全部店主に手ぇ付けられちまってる。買うならうちにしろって、処女ばかりだぞ」
「うっせぇ! テメーんとこも非処女じゃねーか」
「んだと!? ガセ言ってんじゃねぇぞ!」
「あァ!? やんのかゴラァ!」
「こっちのセリフだゴルァ!」
下品な言葉が飛び交う街外れ。まだ日が出ているというのに、そこら中にお酒の臭いが蔓延している。
なぜ、この国でも指折りのお嬢様であるわたくしがこのような場所に来たかと言えば、用件はただ一つ。
奴隷買いです。
右を見ても左を見ても、黒光りする筋肉質な男達。雑踏とした奴隷市場には、小麦色の肌の奴隷で溢れ返っていた。
今ご婦人方の間で大流行している小説『浅黒のプリンス』の登場人物達が全員日焼けをした真っ黒な肌の美男子らしく、王都は今、空前の日焼けブームとなっている。
馬車で街に出ても道行く人はみんな小麦色に焼けた肌。ブームにあやかってどの小説の主人公も、ヒロインでさえみんな真っ黒な肌なため、最近は貴婦人達までも肌を焼いているらしい。
別に浅黒い肌の人が苦手なわけじゃない。むしろ健康的だと思う。けれど、みんな流行に乗り過ぎじゃないかしら?
お陰でこうしてわざわざ足を運んだ奴隷市場も真っ黒な人ばかり。奴隷商人達まで日に焼けて真っ黒。
正直、この一日だけで黒い肌は見飽きていた。
だからなのか、私はすぐに決めた。
そして、それを持ち帰った。
『それ』とはもちろん、奴隷。
私は今日、自分の奴隷を買った。
あの忌まわしい性奴隷を、とうとう買ってしまったのだ。
使用人達の手で丹念に隅々まで身綺麗にして、最上級の布で着飾らせた奴隷は、年若い少年だった。
透けるように淡い水色の髪に、ラピスラズリの瞳、そして透き通るような白い肌。全体を包む淡い色彩が儚く消えそうな雰囲気を醸し出している。
『浅黒のプリンス』とは真逆の少年は、ツンと澄ました顔でこちらを睨んだ。
まるで、そうまるで、いつも不機嫌そうなアルみたいな表情で、私をその青い瞳に映していた。
「初めまして。今日から貴方はわたくしの奴隷。よろしく、と言っておきますわ。何か質問はあるかしら?」
部屋の隅に立つ少年は、鋭い視線を揺らすことなく真っ直ぐ私を見ていた。
その視線を真正面から見つめ返す。
「質問が無いのなら、これからの貴方の処遇についてだけれど……」
「……なんで、オレを買った? 他にも活きが良いヤツいっぱいいただろ」
「あら、我が家に来るのは嫌だったかしら?」
初めて聞いた少年の声は、鈴が鳴ったような高い声だった。見た目と相まって、少女と少年が混ざり合ったような錯覚に陥る。
少年はそれきり俯いて黙ってしまった。
仕方なく、少年の前へ歩み寄る。
近くで見た男の奴隷は、私と背丈の変わらぬただの人間だった。
「我が家が嫌なのなら、奴隷市場に返してあげてもいいわ。わたくしは貴方でなくとも問題はありませんもの。選びなさい、わたくしの奴隷になるか、市場へ戻るのか」
膝を折って、少年の顔を覗き込む。
彼はもう睨みつけてこなかった。
けれど、私を見てもいなかった。
「……オレは……死にたかった。これ以上、誰かに何かをやれって言われるのも、殴られるのも、蹴られるのも、痛いのも、ひもじいのも、もう、絶対、イヤだ! 言われるくらいなら、殴られるくらいなら、そんなことされるくらいなら、死んだほうがいいっ……!」
青い瞳から溢れた涙が、ポツリポツリと雫を落とし、仰ぎ見ていた私の頬を濡らした。
その水滴を、はしたなくも袖口で拭う。
「それは困るわ」
ついでに少年の目元もそっと指先で拭うと、彼はビクリと震えて一歩退がろうとした。後ろには壁が迫っていたから、私の手から逃れられなかったようだけれど。
「貴方が死んだら、婚約者に『奴隷を死なせた女』と思われて軽蔑されてしまうわ。だから、死なないで……わたくしの奴隷」
正直に言えば、私はこの奴隷の事などどうでも良かった。
彼が真に死を望むのならば、その手助けをしても良いとさえ思っていた。
けれど、アルに奴隷を殺したと知られるのだけは避けたかった。
この国を思い、国の将来を愁うアルに失望されたくはなかった。
アルへの意趣返しに奴隷を買ったというのに、私はまだそんな風に考えていた。
「……アンタの事情なんか知らない」
「わたくしだって貴方の事情なんて知らないわ」
指で拭った涙は生温く、目の前の淡い少年が生きた人間だと私に知らしめる。
私に『人間』を買ったのだという事実を突きつける。
だからだろうか、気付いたら口走っていた。
「よろしくて? わたくしは貴方を金貨5枚で買いましたの。だから貴方は金貨5枚に見合うだけの働きをしてちょうだい。できるまでは手放してあげないし、死なせてなんかあげないわ」
本来、奴隷は一度買われたら死ぬまで主人の元で過ごす。
主人が亡くなった場合は、その子供が他の財産と共に相続する。
稀に主人が存命中でも手放す事があるらしいが、大抵の場合は最期まで面倒を見るものだと、前に教師から聞いた。
だからこんな事を口走っている私は、稀有な主人なのかもしれない。
「……てばなし……『手放し』ってなんだ?」
「なんだって、何がですの?」
「オレ……この国の生まれじゃない。難しい言葉、知らない」
透き通るような白い肌から、この国の生まれではないとは分かってはいた。なぜなら今我が国では空前の日焼けブーム。男性はもれなく小麦色の肌。
きっと彼は生まれつき日焼けし難い肌なのだろう。そういう血族だろうけど、正直少し羨ましい。美白は乙女の永遠の憧れだから。
「『手放す』は、『貴方を自由にする』って意味。『自由』は分かるかしら?」
首を横に振られ、今度は私が頭を捻った。
「つまりー……貴方を国に返すという事。生まれた家に帰してあげるの。分かる?」
「帰れるのか!? 家に!」
勢い良く少年は跳びはねて私の片手を掴んで強く握った。
異国の殿方は触れ合いを尊いものと考えていないのだろうか?
こんな風に触られるなんて、近しい者に限られるのに。両親や兄様、シレン様に、そしてアルくらいにしか手を握られた事などないのに。
狼狽した私はますます口を滑らせた。
「あ、貴方がしっかり働いて、お金をわたくしに返したら手放してあげるわ。まぁそうは言っても衣食住の費用も借金に上乗せするから、国に帰るまで何年もかかるでしょうけれど」
「いい! 働く! 約束!」
少年は急に片言になった。きっと興奮して頭が回らないのだろう。
「ええ、約束。だから死なないでちょうだい」
「わかった! 約束! 死なない!」
飛び跳ねながら握った手をブンブンと上下に激しく振られた。
奴隷はみんな跳ねるのが好きなのかしら?
「そ、そうと決まれば、まずは名前ですわね。貴方、なんていいますの?」
狼狽ながらもそれとなく手を離そうと何度か試みるけれど、強く握られて全く離れそうにない。
握力の差に、見た目ではわからない男女の違いを思い知らされる。
「……いい。アンタが決めろ。呼びたいように呼べ」
私はかつて友人達とした会話を思い出した。
「では『ラブ』はどうかしら。可愛いでしょう、ラブちゃん?」
「なっ……や、やめろ! それはイヤだ! 意味知らないけど、なんか変な感じする!」
あら、言葉の端に悪意が出てしまったみたい。
流石に『ラブちゃん』はダメか。それなら……。
「セル……奴隷のセル。貴方の名は『セル』よ」
「セル……わかった、お嬢」
「え?」
今、なんか聞き慣れない言葉が聞こえたような……。
「セル……今なんて言ったのかしら?」
「ん? 『わかった、お嬢』」
お、お嬢!?
『お嬢』って、物語に出て来る悪役の女の呼ばれ方じゃないの?
イヤよそんなの! わたくしれっきとしたお嬢様で公爵令嬢ですのよ!
「……セル、『お嬢』じゃなくて『お嬢様』と呼びなさい。これは命令ですわ」
「オジョーサマ?」
「そう。それでよろしいですわ」
「呼びにくい……『お嬢』じゃダメか……?」
どこまでも澄んだ青い瞳が、私を見つめて離さない。
大理石で彫られた彫刻のように美しい造形の少年にそんな風に言われたら、こちらが折れる他ないでしょう。
「……わかりましたわ。好きに呼びなさい。ただし、他の者がいる前では呼ばないようお気をつけなさい」
「わかった、お嬢」
奴隷というより手下が増えた気分になったけれど、私は気のせいだと自分に言い聞かせた。




