第一話 カラック村孤児院の三十四番
__サルビア急行車内__ナスル国境通過〜タルコット領__555年9月6日
わたしとライナスが乗ったサルビア急行がロアナ王国に入ったのは朝の七時過ぎ。遠くの丘の向こうから太陽が昇って街に陽が射しはじめた頃だった。一時間ほど前にはナスル王国側の国境駅で乗務員に起こされて出国手続きをし、今は国境を越えてすぐのソサンヌ駅で入国手続中。
ソサンヌはタルコット侯爵領内ではあるが、国境警備のためロアナ王家の直接管轄区となっているらしい。主要街道と鉄道周辺の十平方キロメートルほどの区域がそうらしく、このソサンヌ駅周辺も銃剣を携えた兵士がウロウロしていた。ロアナが閉鎖的と言われるのがよくわかる。
入国審査が厳しく観光目的での入国は難しいと聞いていたから、わたしはタルコット侯爵家の選任通訳候補者ということにし、『面談通知書』なるものを侯爵の自筆で書いてもらっていた。ロアナ国籍のライナス・ローナンがわたしを侯爵に紹介しに行くという筋書きだ。おかげで問題なく入国手続は済み、鉄道会社から提供された朝食を食べながら窓外の兵士をながめている。列車が出発するまではまだもう少しかかりそうだった。
「イヴォンはよくこんなところから脱出できたわね」
わたしが話しかけると、ライナスは口の中のパンを飲み込んで兵士に目をやる。
「国境を越えるのも確かに大変だが、イヴォンにとってはロアナ南部にあるラァラ派の領地群を抜けるほうが大変だったはずだ。ここは神殿の手が及ばないという意味では安全だからな」
「でも、タルコット領は神殿が支配してるのよね」
「確かにロアナ北部ではタルコット領が最後の難関だ。イヴォンが失踪してからは神殿が密かに国中を捜索していたし、船、鉄道、馬車、すべての国外脱出ルートが見張られていた。イヴォンもそれは予想していただろうから、バカ正直にタルコット領を通ったとは思えない。おれならハサにある港から船に乗るルートを考えるが、イヴォンには出国許可をもらえるようなまともな身分証は用意できないだろうし、オールソン伯爵領からナスル王国に脱出したんじゃないかな。かなり厳しい山越えになるが警備は薄い」
「わたしたちは鉄道を利用して平気なの? タルコット侯爵領で待ち伏せられてるかもしれないのに」
「この路線を一日に何本の列車が通ると思ってるんだ? いちいち全部の列車に乗り込んで顔を確認したりはしないさ。駅の外で待ち伏せてる可能性はあるが、下車しなければ問題ないだろう」
そのとき足音が近づいてきて、通路と席を仕切るカーテンの隙間からライナスが様子をうかがった。そして「ただの客だ。問題ない」と報告する。
一般車両ではまともに話もできないと考えて四人用のセミコンパートメントにしたのだが、ワイアケイシア急行と違って壁で仕切られた個室ではない。それでもカーテンを引けば他の乗客からこちらの姿を見られることはないし、小声での会話ならすべて走行音にかき消される。ただし、今は停車中だ。
「まだ発車しないのかしら?」
わたしのぼやきとともに甲高い汽笛の音が鳴り、車体がガタンと音をたてて揺れた。
「王家の直轄区はだいたい南北に二キロ、東西に五キロくらいの横長になってる。鉄道は南北に通ってるから、直轄区を抜けるのはあっという間だ」
ライナスの言葉通り、じきに区域を仕切る赤茶色の城壁が見えてきた。鉄道は城壁に作られたアーチ型のトンネルをくぐるようになっており、そこを抜けるとヨスニルの首都チェサのような煤けた町が広がっている。直後、列車は作業員であふれる小さな駅を通過した。駅に停車していた貨物列車も、忙しなく働く人々もみんな黒く薄汚れている。
「今のは駅よね?」
「ああ。あの駅からオールソン伯爵領に向かう列車が出てるが、ほとんどが石炭を運ぶための貨物列車だ。今はタルコット領よりオールソン領の方が石炭の採掘量が増えてるんだが、オールソン領で採掘した石炭を搬出するには必ずあの駅を通らないといけない。タルコットとオールソン間の鉄道敷設には神殿が裏で関与していて、オールソンは鉄道使用料をタルコットに収めることになってる。それが神殿の懐に入るってわけだ」
ライナスの話に思わず苦笑が漏れた。
「弱みを握られてるんだからまともに交渉もできなかったでしょうね。身内可愛さにイモゥトゥを利用するからよ。身代わりで戦争に行かせるなんて」
「オトはオールソンに対してそれほど悪感情は抱いてないみたいだったけどな。おかげでロアナを脱出できたわけだから」
「でも腕をなくしたわ。それに、あの戦争で死んだイモゥトゥもいるはずよ」
「死はセタの祝福だろう? 死ねるってのは悪いことばかりじゃない」
「死にたいと思ったことがあるの?」
ライナスは隣の座席に置いていたスキットルの蓋を開けると、朝っぱらからウィスキーをあおった。そして「おれはないが三十四番はある」と酒臭い息とともに言う。
「三十四番?」
「おれの同居人だよ。カラック村の孤児院でこき使われてたイモゥトゥ奴隷の三十四番。ロブは十五番だった」
彼は真面目な顔でわたしに向き直り、何かを打ち明けようとしているようだが、その唇はわずかに開いて閉じてを繰り返している。
「話しづらいなら無理に話さなくていいわ」
「いや、あんたには聞いてもらうつもりだったんだ」
ライナスはもう一度ウィスキーを口に含み、自分の両手をじっと見つめた。
「以前、おれだけフォルブスに支配されていない理由はわからないと言ったが、ロブやベリックたちとの違いが全くないわけじゃない。おれとあいつらとで決定的に違うのは体に入った根の量だ」
「根の量?」
「ああ。根は無限にあるわけじゃない。エリオットが死んだ時点で、エリオットの泥魂人形は三体いた。リュカは今よりも成長した状態で、見かけは十八か十九歳くらいだったようだ。それ以外に五歳くらいの泥人形が二体。泥魂人形の成長速度は人間と同程度でないとうまくいかないらしく、老いたエリオットが晩年になって慌てて泥魂人形を二体同時に作り始めた」
五歳の子と聞いて頭に浮かんだのはルーカスの借家にいた例の子ども。子どもが二人もあそこにいたとは考えにくいから、もう一人はウチヒスルに留まっていたのだろう。
「でも、死ぬ前になって何のために泥魂人形を?」
「リュカの補修用パテさ」
ライナスの冷淡な口調にハッとした。
「……それは、彼が何かの理由で〝小さく〟なったら別の泥魂人形の泥を取って付ければいいってこと?」
「そういうことだ。もちろん同じ人物――つまり、エリオットの血と唾液が混ざった泥でなければいけない。ソトラッカに連れて行ったのも万が一の時のためだ。リュカが連れている子どもの泥人形はネイサンという名前なんだが――」
ライナスは口の端を歪めてクッと声を漏らした。意味ありげな眼差しでわたしを見つめ、「まだわからないか」と皮肉めいた笑みを寄越す。
「どういう意味?」
「子どもの泥魂人形は二体。一人がネイサンなら、もう一体は何だと思う?」
「……ライナス?」
ライナスとネイサンと言えば、アリシアとエリオットの間に生まれた双子の名前。たどり着いた答えにわたしは愕然とした。
「おれはエリオットが作った泥人形だった。ちなみに名前をつけたのはエリオットではなくリュカで、それもエリオットが死んでずっと後のことだ。もちろん、ネイサンやライナスの血と唾液で作られたわけじゃないし、間違いなくリュカと同じエリオットの泥人形だ。
おれたち補修用の泥人形は、勝手に合体したりしないように接触が禁じられていた。フォルブスとしては背丈が小さい方が隠しやすいという判断もあったんだろう。
だが、壁越しに話すことは許されていた。隣同士の部屋に住まわされ、分厚い石壁に会話ができる程度の穴が開けられていたんだ。
一日交代でどちらかがリュカの側にいて、もう一方は部屋に閉じこもっているしかなかった。与えられた部屋はそれぞれに六つずつ。半地下で薄暗いが、充実した書庫や一人遊びの道具なんかもあったから待遇はそう悪くなかったと思う。だが、食事する必要も眠る必要もない泥人形にとっては退屈な時間だったよ。だから、壁越しにあいつと話せる時はずっと話をしていた。
脱走しようかっていう話は何度も出たさ。でも、抜け出したところで雨が降ったら終わりだ。別に、それで終わってもいいんじゃないかと考えたこともあったけど、結局そうはしなかった。
エリオットが死んで何年か経った頃、リュカはおれたちにカラック村孤児院の管理をさせるようになった。多分、ただの修繕用として置いておくのが無駄だと思ったんだろう。実際に動くのはフォルブスだが、おれたちはカラック村のイモゥトゥを使ってどんな実験をするのか考え、その結果をまとめてリュカに報告するのが仕事になった」
「ちょっと待って……」
ライナスの顔に普段のようなおちゃらけた気配はなく、彼は重苦しいため息をひとつ吐く。
「ユーフェミア嬢は、おれのことを〝いい性格してる〟って言っただろう? 自分でもそう思うよ。泥魂人形は本体の性格を引き継ぐんだそうだ。だから、おれは環境が違えばそうなったかもしれないエリオットであり、リュカだということだ」
「でも、ライナスはリュカとは全然――」
ふと、穏やかな風貌に悪戯っぽい笑みを浮かべたルーカスの顔が頭を過った。無邪気に笑ったかと思えば、大人びた表情で理屈っぽい話をしていた年下の恋人。その姿は、言われてみればライナスと似ているような気がしてくる。わたしと目が合ったライナスは、ニヤッと彼らしい笑みを浮かべた。
「おれはエリオットの性質を継いでるが、三十四番にも影響されてる。ユーフェミア嬢がおれとリュカが違うというのなら、それは三十四番のせいだろう。
ロブやベリックを洗脳するのに使われた根は指一本かその半分くらいの量だが、おれは丸ごと三十四番の体に入った。いや、無理やり入れられたんだ。実験体として」
ライナスは汽笛が鳴るのを予測したようにそこで口を噤んだ。列車はじきにトンネルに入り、激しい走行音と暗闇に覆われる。わたしの頭の中には、薄暗い半地下で壁越しに脱走計画を立てる二人の子どもの姿があった。当然ながら交霊ではなくただの想像だ。




