5話 異世界
「申し訳ありませんでしたっ!」
結婚式を終えた次の日。ヨグの前に土下座をする姿を見せる義兄の姿があった。昨日のしょっぱい料理を「海外旅行に来た気がして楽しい」と、ポジティブに受け取っていた矢先の話だ。
吹雪で揺れていた木窓はおとなしくなり、隙目から朝の光が漏れていて、今日は観光をできるかなと、毛皮を鞣したベッドに寝ていたところ、突然部屋に飛び込んできたのだ。まったく困った義兄であると、ヨグは苦笑を禁じ得ない。
なので、土下座をする鹿尾の頭をペちりと叩く。
「いや、天丼はいらないです、お調子者の兄さん?」
「海老天よりも鯵天とかが弟妹は好きだったよね? ここは魚には困らなそうだよ?」
「海老天って、衣を食べる物だと思ってるので、ついつい敬遠してしまうんです。でも魚料理は昨日もまともなお味でしたね」
2人で顔を見合わせて、ヘヘッと頼りなさそうに笑う。それで仲直り、土下座をするまでもない、家族とはそういうものだとヨグも鹿尾もわかっている。
だが、いつもならそれで仲直り終わりのはずなのに、鹿尾はテカテカした頬をテカらせて、その目は深い海を覗き込むように深刻そうにして立ち上がると、木窓を開ける。
「いつもなら、これで終わりだよ? でもさ、今回はいつもとは違う。ダメダメな僕だけど、今回は極めつけのダメダメなことをしてしまった」
外は猛吹雪が終わり、真っ白であった。都内住まいのヨグはテレビ越しとかしか見たことはなかったので、なんとなく感動する。なにが感動したかと言われると返答に困るけど、太陽の光に照らされる雪の世界とか、肌に感じる寒さとか、感覚的なもので説明はできないけど。
それに、ヨグの視界には雪の世界とは別の感動もあった。建物が整然と敷き詰めるように並び、大通りや小道など、都市計画通りでもあったのか、碁盤状に作られている。
そして、なによりも━━。
頭上には壊れた透明のドームが展開されていた。雪が積もるはずなのに地面とは違い、薄っすらと透明のドームの輪郭がわかる程度だ。壊れてから長い年月が経過しているのか、崩したパイのように真ん中辺りがなにもないのが印象的で、しかも街の大きさは10万人でも住めそうなどこまでも広さだ。だからこそ雪が大穴の開いたドームに大量に入り込んでしまったのだろう。
中世時代レベルの文明度だと思ったけど、SFチックな匂いもする不思議で神秘的な光景で、胸がワクワクと期待で少し熱くなる。
「お~い、話を聞いてほしいんだけど、良いかな?」
「あ、すいません、兄さん。予想外の光景に魅入ってしまいました。話の続きをどうぞ?」
息を呑むほどの光景を見て呆然としているヨグとは違い、鹿尾はヨグの頬をツンツンとつついて気を引いてくる。どうやらヨグの部屋に来る前に外の様子を見ていたのだろう。疲れて外の様子を気にせずにすぐに寝たヨグとは大違いである。
「繰り返すけど、土下座して謝っても許されないことをしたと思ってるんだ。君はスマホ依存症でゲーム依存症で漫画依存症だろ? ここにはそんな物はなにもない。エアコンもないし、ネットもないんだ。これからの一生を過ごすにはあまりにも酷い生活になるだろう? 退屈しのぎがないからニートはここでは生きていけないんだ」
ヨグに対して酷い認識をもつ鹿尾である。
「私はそんなに酷い生活をしていた覚えはないもん。ちゃんと毎日1時間マラソンをしてたもん」
口を尖らせて反論するヨグ。ニートにありがちな、なにか一つ有用なことをしていると言い張って、自分がニートではないと、誤魔化すパターンである。
それに対して鹿尾は駄々をこねる子供を見守るように困った顔を見せる。ここで冷たい目をしてこない鹿尾はかなりのお人好しだ。
そしてヨグは義兄のその笑みに耐えられなかった。気まずそうに指を突き合わせて、小声で答える。
「……まぁ狭義的にはニートかもしれませんけど、広義的には即身仏を目指す高僧みたいな感じだと思うもん」
あれだ、ほら、洞窟に閉じこもって悟りを得ようとするおじいさん。それと同じだと思うんだよね?
「毎日食事をしてるのに自己評価が斜めすぎない? でも、ニートの必須アイテムがなにもない。ごめんね、ヨグ」
「兄さんの言いたいことは分かったよ。でも私は後悔はしてないよ? 正気でない兄さんを放置するわけには行かなかったし、それに唯一の家族だしね。あ、うさたちも家族だよ」
ベッドの横に置いていた籠が揺れて、ミニウサギたちがカリカリと音を立てるので、指でツンツンとつついて謝る。3羽のミニウサギも大事な家族だ。
それよりも謝ってきたということは、義兄は正気に戻ったらしいとヨグは気づく。
「どうやらコウノトリを求める儀式で元気を取り戻したようだね、兄さん」
「え、う、うん。ま、まぁね? でも本当に後悔していないのかい?」
目の隈はなくなり頬がテカっている鹿尾は誤魔化すように笑う。コウノトリって、もふもふしてるのかな? 私も餌を与えたかった。
「でも、本当に後悔はしてないよ。ここには私が地球で諦めた魔法が存在しているようだから」
ヨグの答えに、鹿尾はホッとする。自分は美少女の嫁を貰えたし、ブラック企業から逃れることができたので後悔はないが、ヨグは平和で便利な日本の世界を捨てたのだ。これから先の生活を思うと心苦しいが、ヨグの無邪気な笑みは本心からであったので、少しだけ安堵する。
2人がヘヘッと笑い合う中で、ドアがノックされるとメイドさんが顔を覗かせる。
「鹿尾陛下いらっしゃいますでしょうか? ルーファ陛下がヨグ様と合わせて、この世界の説明をしたいとお呼びです」
「分かりました。ヨグ行こうか?」
「うん、朝の日課をしてから行くね」
どうやら3日目にしてようやくこの世界のことを教えてくれるようなので、ヨグは魔導スマホを取り出すと、十個に及ぶアプリゲームのログボを取り始めるのであった。日課はとても大切だよね。
◇
この世界、中世文明と思いきや、予想とは違うようだと、ヨグは謁見室にて、周囲を観察して目を細める。
窓の外を見ればわかるとおり、外は極寒の地、建物内部もそれに合わせて、零下の室温になっていなければならないのに、少し寒いと思うだけですむ。それに壁は松明の灰で汚れているし、年月の経過による汚れで壁も天井も真っ黒だから、石材を積んで建設したかと言うと違う。
壁は継ぎ目がなく、石ではなく、なにか他の素材だ。ヨグが指で擦ると、その手触りは柔らかいものであった。そして、壁に嵌められているモニターと思わしき存在。使われることがなくなって久しいのだろう。埃で真っ黒で、そのことを気にする人がいないことから、モニターがなにかもわかっていないことが想像できた。
謁見室に敷かれた絨毯は普通の布で、玉座も木でできた粗末な物だ。建物と住む人々の文明度が合っていない。
(この建物がなんなのか、それだけでも暇つぶしになるだろうし、地球から転移してきてよかった)
地球には神秘はもはや存在しない。あっても、魔法使いたちは狭量だから、自分のものは絶対に見せてくれないのだ。
「来てくれましたね、鹿尾、ヨグ」
メイドさんたちを連れて、ルーファが入ってくる。他にも貴族なのだろうか、上等そうな貴族服を着込み、ルーファの2人が続く。
「結婚式までドタバタとしてしまいまして申し訳ありません。ですので、改めて説明をしたいと思います。その前に私の腹心を紹介しましょう」
銀髪の美少女はおっとりとした笑みで2人の貴族に目線を送ると、2人は頷き前に出てくる。
2人とも2メートル近い背丈の細身の体格だ。こんな寒いところにいるから、バイキングみたいに、大柄な体躯でモジャモジャの髭をしていると思いきや、意外や見た目は優男に見える。
だが、その目つきは命のやりとりを日常にしている戦士の目つきで、足取りから服の下は鍛えているのだろうことがわかる。
「ゼーブ・バアルだ。公爵をしてる……」
「……」
「……」
え、終わり? 質実剛健といった雰囲気のおじさんは口を噤んで睨んでくる。そういえば、このおじさんは昨日の結婚式も壁に寄りかかって静かだった。
「アル・ベリルと申します。この無口なおっさんと共に女帝を補佐する公爵をしていますので今後ともよろしくお願いしますね、鹿尾陛下、ヨグ君」
もう一人のおじさんは細目で油断ならない人とのイメージを与えてくる。ニコニコと笑ってはいるが、どことなく信用できない雰囲気を醸し出していた。
「本来はこの二人の他にもう一人公爵がいるのですが、鹿尾との結婚に反対し、領地に引っ込んでしまったんです。ですので、この二人が一応私の腹心となります」
「陛下、一応という言葉は外してください。頼りない感じを与えてしまうではないですか」
「あら、でもアルはいつもカードゲームをしてるし、ゼーブは剣を黙々と振ってるだけでしょ? 一応じゃなくて、もしかしたらに変更した方がいいかしら?」
「一応でよいです。でもしっかりと仕事をしてますよ? 薪の割り当て、酒蔵の見張り、デボラさんちの夫婦喧嘩の仲裁と」
「デボラ夫妻はまた喧嘩したんですか!?」
細目のおじさんが糧をすくめて、その言い訳に渋い顔を見せるルーファ。この国はあんまり仕事がないのかな。雪に閉ざされていることから閉鎖的な国なのだろう。
軽口を叩きあうところから、仲が良く、気負わない関係だとわかる。それに昨日も思ったけど、ここは礼儀作法とかあまりないらしい。
「えっと、すいません。では、この国から説明します。この国はヘルゲート帝国。北極大陸、別名コキュートス大陸と呼ばれる一年の半分が雪に閉ざさる雪の帝国です。特産品というか、それしかないのですが、北極大陸にしか存在しない『魔物』という魔法を使う動物を狩って中央大陸へと輸出して生計を立てています」
『魔物』との言葉。なかなかワクワクと期待させてくれる。一昨日のシロクマも魔物であったのだろう。幻界以外では滅多に姿を見せないのに、ここでは普通に存在するのか。
「では、ハニーは僕の魔法を必要として召喚したのですね? 魔物を倒すには魔法が一番効果的ですからね」
「いえ、ダーリン、それもありますが、他に理由が━━」
ルーファが話を続けようとした時、謁見の間の扉が騒がしいガナリ声とともに荒々しく開く。
「これはヘルゲート陛下。結婚をなさったのとの噂を聞いて急ぎ参ったのですが、もちろん虚言ですよな」
でっぷりと脂肪を腹に溜めたおっさんが入ってくるなり、ルーファへとねっとりとした目を向けて尋ねてくるのであった。




