3話 極寒の地
「グオォォォォ!」
東京では見たこともない猛吹雪の中、目の前にはこれまたテレビでも見たことのない大きさの化け物シロクマだ。
肌には細かい雪が張り付き、身体が寒さで一瞬のうちに震えが止まらなくなる。足元は積雪が凍りついており、ここが極寒の地だと教えてくれていた。
その中で震えながらも、ヨグは目の前のシロクマに、ワクワクと目を輝かせていた。だってシロクマなんかテレビでしか見たことがないのに、目の前にいるのだ。毛皮は雪のように真っ白で、顔を埋めると暖かそうで、頭も撫でてみたい可愛らしさである。
「わぁ、真っ白ですよ、兄さん。野生なのに本当に真っ白でもふもふなんですね。触っても驚かないかな?」
「よだれを垂らしてギラギラした目をしてるから近づくと喜ぶと思うよ!? それに傷だらけでもあるよ?」
「そういえば傷だらけで━━」
よくよく見てみれば毛皮はあちこちが傷ついていた。なぜだろうと不思議に思う時間もなく━━。
ドォン
雪煙が舞い、雪原に大穴が開く。シロクマは前のめりに前脚をヨグたちのいた場所に突き刺し、手応えがないことに不思議そうに首を傾げる。
獲物がいたと思っていたのに、肉の感触もなく、獲物の悲鳴もなかった。目の前にいたはずなのにと。
「おぉぉ、あれ、じゃれてきたと思いますか兄さん? ほら、クマって手加減を知らないらしいですし」
「弟妹よ、僕が思うに確実に餌だと思ってるよ? そろそろ現実逃避をやめようよ」
シロクマは話し声が前方から聞こえてきて、ようやく躱されたのだと理解したが━━。それでも自身の目を疑った。
なぜならば、2人の獲物は回避する程度のほんの少し離れただけの距離ではなく、足の速い獲物なら確実に逃げられてしまうだろう遠い距離にいたからだ。
小柄な獲物が、大人だろう獲物の首を掴んで、眠そうな瞳はまったく平然として立っていた。
シロクマは人間のことを知っている。武器を持ち、多数でかかってくる厄介な獲物だ。だが決してシロクマから遠く離れた場所に跳躍して離れられるほど強くない。
「ぐるぅ」
この時点で野生の本能が相手が危険な生物だと悟った。簡単に狩れる獲物から、自身を殺すことのできるかもしれない敵へと昇格した。
それでもシロクマは逃げるつもりは毛頭なかった。自分はこの雪の世界の王なのだ。そして、王たる自分の縄張りにこの敵は入り込んでいる。逃げることは縄張りを捨てることと同義であり、シロクマは強者としてのプライドが許さなかった。
憤怒と戦意により肉体に眠るマナを活性化させ、肉体を強化する。毛皮を氷の鎧へと変化させ、小さな刃となる霧氷を周囲に展開させる。自己治癒力を高めて傷をみるみるうちに治すと、小さな敵へと頭を下げて身構え、四つ足に力を込める。
ヨグたちは知らぬが『暴氷熊』と呼ばれる一匹で軍勢を蹴散らす力の持ち主である。
「グォンッ!」
そしてシロクマは一声咆哮すると駆け出す。凍りつき硬いはずの雪原を踏み出すごとにヒビを入れ、地響きを起こし、一トンを超す図体にもかかわらず、まるで加速したトラックのようにヨグたちへと迫っていった。
「ヨグ! 奴は危険だ、僕が魔法を使う間、時間稼ぎできるかい?」
「ええ、シロクマさんは大きくて強そうですけど、柔よく剛を制す、柔の力で時間稼ぎをしてみせます」
突然の化け物シロクマとの戦闘でも、動揺など欠片も見せずにヨグは穏やかに笑みを浮かべ半身となり拳を構える。
その様子を見て、鹿尾も余裕を取り戻すと、魔力を練り始めていく。
鹿尾が高位炎魔法を発動するまでの時間を稼ぐのがヨグの役目だ。
「本当はもふもふしたかったですけど、ロミオとジュリエットのように私たちは引き裂かれる運命だったようです。かかってきなさい!」
「グオォォォォ!」
「柔の力を!」
『パリィ』
巨大なる氷の暴帝熊と、体躯は小さくはあるが落ち着いた子供がぶつかり合う。逆巻く氷嵐が吹き荒れて、そして━━。
「グォンッ」
悲痛の叫びを上げて、シロクマが頭を仰け反らせて吹雪く氷嵐から姿を現す。一トンを超える体重を持つシロクマであるのに、空中へと吹き飛んで後ろへと一回転、二回転と回転し、地面を轟音をたててバウンドし、横たわるのであった。
シロクマが揺れる視界を耐えながら、矮小でありながらも敵だと判断した子供へと目を向ける。
ヨグは収まる氷嵐の風に黒髪を煽られて、意志の強い目を向けて拳を突きだした構えだった。
見事なストレートだった。
パリィとはなにかと人間なら叫んでいただろうが、幸いなことにシロクマはそんなことは分からずに力負けしたことだけを理解していた。
己の突進はマンモスすらも逃げる威力であるのに、あんな小さな人間の拳により額をかち割られて、その威力により吹き飛ばされるとは思いもよらなかった。確実に相手は化け物であると理解した。
だが、まだまだ戦いはこれからだ。脳が揺れて視界は覚束なく、足はふらふらであるが、すぐに回復してリベンジをすると誓い、シロクマは全身に力を込めてなんとか立っていたが、小さな人間の攻撃がまだ終わってないことに気づいていなかった。
ヨグは人差し指を立てると、スイッと折り曲げて、朗々と詠唱を始める。それは美しき妖精の調べ、天使の奏でる歌、悪魔の蠱惑の囁き。
「太陽を呑むもの、神を喰らうものを封じる力。猫の足音、女の髭、山の根、熊の腱、魚の息、鳥の唾液から成る封じの鎖。グレイプニルの縄よ、我が敵を捕縛せよ!」
素早い詠唱が終わりを告げ、空間を突き破り、人の胴程もある太さの鎖が現れて、蛇の頭のように先端をもたげると、シロクマに襲いかかってきた。
この速さは獲物に食いつく大蛇のように速く、先端は鋭き名槍のように鋭く、鉄よりも硬いはずの氷の毛皮をやすやすと貫き、シロクマの四肢をまるで昆虫採集のように空中にピン留めするのであった。
「がっ、がぁぁ」
なんとか逃げようと藻掻くが、鎖はびくともせず、シロクマは無駄に力を使うのみとなってしまう。
その様子を見て、ヨグは鹿尾へと告げる。
「今です、兄さん。私のマナ量では1日程度しか保ちませんから、速くトドメをお願いします!」
「あぁ、任せてよ」
鹿尾は力強く頷くと、手足をピンと伸びして激しく動き始め、朗々と詠唱を始める。
「太陽よ、全てを照らすもの、生命を燃やすもの、闇を滅する力」
手を直角に振り回し、足を小刻みにタップして踊り始める。それは見事なタップダンスであった。練習を重ねて、掴み取った結果だ。
ヨグは知っている。魔法使いは魔法を使う際に身振り手振りと詠唱が必要なのだ。優れた魔法使いは全て短縮できるけれども。
「天より降りて」
膨大なマナを操る苦労を。
「敵を焼き尽くす炎となれ」
マナを込めた詠唱を学んだ鹿尾の苦労を。
「柱となりて消滅せよ!」
タップダンスをいきなり始める羞恥心を消す苦労を。
兄さんがどれほどの年月を掛けて魔法を学んだかを。
『太陽柱』
詠唱とタップダンスを終えた鹿尾が手を振りかざし、シロクマへ向けるように勢いよく振り下ろす。
曇天が割れて、焔の柱が滝のように落ちてきた。その熱量は二億度。触れるどころか、側にいても焼かれる温度。
それなのに、熱は感じず、ただ焔の照らす光だけが、周囲を照らす。効果範囲内で完全に抑えた一撃だった。
その焔の柱は空間を引き裂き、空中に磔にされているシロクマに振り注ぐ。太陽の光と熱量を持つ焔はシロクマの霧氷の毛皮を抵抗も許さずに一瞬で消滅させていく。
その力は残酷なほど強力で、シロクマがそこにいたとの跡を残すことも許さず、断末魔の悲鳴をあげることもできずに、この世界から存在を退場させるのであった。
そうして焼き尽くしたシロクマのいた場所は円柱の穴が空いており、超高熱により側面がガラス状に変化しているだけとなった。
鹿尾の魔法操作は完璧で、効果時間を過ぎると焔の柱は消え去り、熱さすらも感じない。
炎魔法を極めたと言われる相馬鹿尾。再び吹雪く中で、嬉しそうに笑うのであった。現代地球では絶対に使えない魔法なだけに、喜びで足をタップする。それだけ喜んでいるのだろう。
異世界にやってきて良かった。兄さんの苦労が実を結び、ヨグも相好を崩し、親指を立てる。ナイスマジック兄さん。でも、短縮詠唱も鍛えて欲しかったよ。
「ナイス魔法でした、兄さん。本当に太陽が落ちてきたかと思うほどに素晴らしい威力でしたよ」
「ありがとうヨグ。僕もこれだけの魔法を使えたのは久しぶりだから感激もひとしおさ。……にしても、なんで化け物の前に? 僕たち召喚されたよね?」
喜びはしたが、吹雪の中に転移したのは変である。鹿尾の言葉は当然だけれどもヨグは落ち着き払って、少し遠くの雪原を指差す。
「どうやらあそこにいるようですよ、どうも……もしかしたらですね……」
なんだか嫌な予感がして、気まずそうに言い淀むヨグ。鹿尾は指差した先を目を凝らし━━。
ポコンと雪原が捲れた。いや、白い毛皮を着た人たちが立ち上がったのだ。どうやら雪原に這いつくばりカモフラージュして隠れていたらしい。
ポコンポコンと人々が立ち上がり、その中のひとりがズカズカと足音荒く歩いてくるのが見えた。
なにか怒ってるようだなぁと思うヨグとは別に、鹿尾はその様子を見て目を輝かせていた。
なぜならば、その人は鹿尾を召喚したと思われる美女だったからだ。
フードが風に煽られて取れると、ブロンドの髪が風に煽られて、美しき白い肌を持つとんでもない美女の顔が露わになった。白い毛皮を着て、手には木に鉄の穂先を付けた粗末な槍を持っている。
傷だらけの巨大なシロクマ。隠れていた戦士たち。その様子を見て、鹿尾はピンときた。これでもなろう読者歴は十年を超えるベテラン読者なのだ。
この場合の正答はただ一つ。襲われていたところに召喚されて、華麗に敵を倒したのだ。
「もう大丈夫です。貴方たちを襲っていた巨大シロクマは僕が討伐しました!」
胸に手を添えて、ニコリと微笑む。ここで好印象だと喜ぶ鹿尾の前に美女は立つと━━。
「高価な素材を焼き尽くさないでくださいっ、この馬鹿っ!」
「あぶしっ」
怒れる美女から綺麗に右頬にストレートを受けて、吹き飛ぶのであった。
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