2話 異世界召喚は応募制
築10年のオートロックのマンション。白かった外壁も年月の汚れが目立ってきてはいるが、まだまだこのマンションに住んでいると自慢できるほどには高級なマンションだ。
2LDKで、家族でも住めるし、独身者も多い。そのマンションの一室にて、幼い一人の子供がリビングルームにてゲームをしていた。
ソファには座らず、絨毯の上に寝っ転がり、ふわふわもこもこな可愛らしいパジャマを着て、鼻歌を歌いながら、テレビ画面に映る美少女キャラを操作している。
窓の外を見ると、既に太陽は隠れており、真っ暗な中に家屋の灯りが映っている。リビングルームの備え付けの時計は既に11時を過ぎており、幼い子供ならとっくに寝ていてよい時間。少なくともゲームをしていたら親が怒るはずだが、子供は怒られることなく脇においてあるポテチを口にする。
リビングルームは子供以外に人気はなく、ゲームの音とポテチを噛み砕く音だけが聞こえてくる。隅に置かれた籠には小さなミニウサギが何羽か寝ており、時折ピクリと耳を動かしていた。
「魔法の世界って良いなぁ、私もこんな世界に生まれたかったなぁ」
ゲームに夢中になっているわけでもなく、眠そうにした目で子供は呟くと、ポテチに手を伸ばして、袋が空になっていることにため息をつくと時計へと目を向ける。
「ん〜、今日も兄さんは残業かぁ。よくやるよ、残業って、月に46時間とか決まってなかったっけ? 今月何時間やってることやら」
子供はこの部屋に一人だけであった。誰も注意する者も、夕飯を作ってくれる者もおらず、お菓子をご飯代わりにしてゲームをしていた。このような環境を見たら児童福祉課はネグレクトだと確実に保護者を注意するだろうが、幸いなのか不幸なのか、子供の生活環境を知らせる者はいなかった。
その子供はというと、放置されているにもかかわらず、子供の保護者を気にかけることすらしている。
「そろそろ帰ってくる時間かな。夕飯の準備をするとしますか」
窓の外を見て、うーんと背を伸ばし肩を回す。窓に映る子供の年頃は10歳くらいだろうか。小さな背丈と幼い顔立ちは、何歳か正確には分からない。黒目黒髪で肩まで髪を伸ばしている。まるで今にも寝そうな子猫のように、まぶたは半分閉じかけており、ちょこんと乗った鼻に、小さな唇は花びらのようだ。小柄な顔は黄金比とでも呼んでよいくらいにまとまっており、その雰囲気は庇護欲を喚起する愛らしさを見せていた。
羊のようにもこもこな可愛らしいパジャマを着ており、美少年とも美少女とも思える中性的な顔立ちの子供だ。
子供の名は相馬ヨグ。相馬家に養子として入った子供である。
人によっては真夜中と言える時間だが、全く気にせずに、子供はキッチンに向かうと、冷蔵庫を開けて手慣れた様子でパックを数袋取り出すと、お皿に中身を乗せていく。昨今はお惣菜と呼ばれるひじき煮やらもパックで売っており、中身を並べるだけで、きっちりとした家庭料理へと変わるのだ。
炊飯器の炊飯が終わった音がピーピーと鳴る傍らで、豆腐に挽肉、ネギのみじん切りと、麻婆豆腐のタレを入れてあっさりと主菜を作り終えると、インスタントのお味噌汁を用意して、テーブルに並べていく。
ちょうど料理が並べ終わった時に、マンションのドアが開く音がした。
ヨグは義兄が帰宅したと、クスリと笑う。タイミングよく料理を作るなど、普通では不可能ではあるが、ふつーにラヌインで連絡が来たので分かっていた。
まったくもって現代科学とは便利なのである。
次は「ただいまぁ、お、美味しそうな匂いがするね」と疲れてはいるが、それでも嬉しそうに入ってくるのだろうと、ヨグは思っていたが━━。
今日は違った。人生の分岐点となる日だった。
「聞いてくれよ、ヨグ! 僕、異世界召喚されるかもしれない!」
「はぁ?」
隈の濃い目をしたくたびれきった義兄が、部屋に飛び込んできたのである。
ヨレヨレのスーツに、ネクタイをして、疲れ切った顔で目に隈ができている青年だ。サービス残業は当たり前、土日祝日も出勤し、夜中にも上司から連絡が来る極悪ブラック企業に勤めている。
顔立ちは二枚目と言ってよく、優しげな目をした整った顔つきで、中背ではあるが意外とかっちりとした身体つきの24歳の青年であり、ヨグの義兄でもある。名前は相馬鹿尾と言う。
見るからにお人好しとわかるニコニコとした笑みを見せて、いつもならぐったりとして肩を落として帰宅するのに、今日は元気いっぱいだ。
「兄さん、遂に疲労が溜まって幻覚でも見てるんですか? 豆板醤を麻婆豆腐に追加してあげますから、ご飯を食べてなけなしの正気を取り戻してください」
「さりげなく僕をディスる可愛い弟妹よ。本当に本当なんだ。これを見てくれよ」
せっかくのヨグの気遣いを鹿尾はスルーして、手をサラリと振る。
と、驚くことに空中に半透明の紙切れが現れたのである。ホログラムのように空中に映し出された紙は素材が羊皮紙のようで、見たことのない言語で書かれている。
ヨグも予想外の光景に息を呑むが、持ち前の好奇心から羊皮紙に書かれた文字をなぞり、真剣な顔になる。
「魔法言語ですね。マナが込められていて、魔法使いなら誰でも読めるようになってます」
魔法言語とは、意志を込めたマナにより書かれた文字のことだ。英語でも宇宙語でもミミズが這った文字でも、意志を込めたマナを封じれば、他の魔法使いはそのマナを読み取り内容を知ることができる。
「私の知らない地球の言語の可能性はと……。『木の根をたどり真実を教えよ』」
『逆探知』
軽くマナを込めて、この紙を送り込んだ相手を探知しようとするヨグだが、すぐに帰ってきた結果に眉を顰める。
「発動したのにすぐに効果を失った……これ本物の召喚みたいですね、兄さん」
『逆探知』は相手の場所を探す魔法だ。相手が対探知魔法を使っていても、発動して探そうとはする。すぐに消えたのはこの世界にはあらざる場所である場合だけなのだ。
「だろう? 僕も『逆探知』を使ってみて、同じ結論に至ったんだよ! いやぁ〜、今日はおじいさんに電車の椅子を譲ったんだけど、善い行いが返ってきたのかな?」
「私も召喚は3回くらいしか見たことないですけど、これ本当に受けるんですか? 受けた人は見たことないんですけど?」
お気楽極楽に喜ぶ鹿尾をヨグは半眼で見つめる。
喜ぶのはわかる。なにせこれは『異世界召喚』のお誘いなのだ。
昨今、『異世界召喚』は小説やアニメでは常識となった。が、現実はそう甘くない。トラックに轢かれてとか、過労死してとか、そーゆー奇跡的で適当な召喚は存在しない。
『召喚』とは相手の意思を無視してできる魔法ではないのである。悪魔を召喚する時、必ず生贄を捧げて望みを叶えようとするが、それと同じく、契約内容を先に相手に教えなければ、召喚は行えないのだ。
しかも様々な基本条件もある。まず、相手が召喚しても、その世界で日常生活が行えるレベルであること。未知のウイルスにかかってあっさりと死ぬとか、窒素のみの惑星で、呼吸できなくて死ぬとか、実は珪素生命体だとか、そういうことがないように、進化の歴史は様々なれど、通常人間で環境も召喚先とあまり変わらないことが条件だ。
召喚とは『契約条件を相手に伝える』、『環境は相手先と酷似している』の2つが重要なのである。そして、召喚されてもチートスキルは身につかないので、一般人はたとえ喚ばれても、文字は読めないし、弱いしで召喚には応じられない。
この世界は平行世界が無限にあるため、一括りに同じような世界と言っても、億は世界があるのではないかと推測されている。その中でピンポイントに条件に当てはまる人間が選ばれるのは、宝くじの1等を当てるよりも稀であった。
だからこそ鹿尾が喜ぶのはわかる。特にブラック企業で働いているしね。
「見てよ、この応募条件。『火の魔法を使える人』、『マナ量が5000以上』の方を望む。報酬は『女王たる私との結婚』。それだけで『親族も一人なら連れてきて良い』と書かれてるんだよ? 一緒にいこうよ、ヨグ! ブラック企業とオサラバだ! 火の魔法を使える人生を求むとか、あっちの世界は魔法が普通にある世界だよ!」
羊皮紙に書かれている条件はそれだけだった。こちらにかなり良い条件ではある。
ヨグと鹿尾はこの現代地球にて、絶滅寸前の魔法使いである。鹿尾は天然の魔法使いにしては大量のマナを持ち、役に立つのはバーベキューのみとなる火の魔法を中心に魔法を習得している。火の魔法など、この現代地球では役に立つことはないから喜びもひとしおなこともわかる。
魔法使いができることのほとんどは科学が代用できるのだ。優れた科学は魔法と変わらないと言われるがその通りである。
「それに見てよ、召喚者の彼女! か細くて美人だよ! これ、もう行くしかないと思うんだ!」
半透明の羊皮紙の向こう側、うっすらと見える相手の世界には、どんなアイドルも叶わないような儚げなブロンド美人が見えていた。召喚にて相手は決して召喚相手を騙せないので、本当に美人なんだろう。
「落ち着いてください、兄さん。たしかに美人ですけど、ほとんどの人が召喚に応じない理由も知ってるはずですよね? それは━━」
「契約内容には穴がある可能性がある。これはどう疑っても確認しようがないよ。それとこの世界には戻ってこれない、だろ?」
「わかってるなら、お勧めしません。召喚魔法を使う人ですよ? しかも美人ですけど服装は古臭いというか古代のものです。明らかに文明レベルが低い」
ブロンド美人は、革でできた貫頭衣のような服を着ている。どう見てもスマートフォンもゲーム機もなさそうなのだ。
「あははは、笑えることを言わないでよ。僕たち魔法使いはこの世界には不要なんだ。何年も修行しても、ライター代わりにしかならない。今は休日出勤やサービス残業当たり前、ぐっすりと寝たのがいつだったかも思い出せないほど働いてるんだよ! この便利な世界を捨てるのは嫌だけど……どうせブラック企業に入れば働きアリで、娯楽を楽しむこともないんだ! 美女と結婚できるなら、ぼかぁ、召喚に応じることにする! ヨグはついてきてくれないのかい?」
どうやらブラック企業の毒は鹿尾をかなり蝕んでいたらしい。自暴自棄な危ない笑いをしているので精神崩壊一歩手前の模様。
この世界に戻れない理由は簡単だ。戻ろうとしても小数点レベルで誤差がある平行世界が無数にあるため、もはや見つけることは不可能となるから。
「なにか、危険な匂いもしますが……。しっかりと準備をしてから━━」
お世話になっている義兄だ。お人好しの彼をこのまま放置すれば死んでしまう可能性もあるし、奴隷とかにされても可哀想だ。ついていくしかない。
「ありがとうヨグ。もう召喚に応じてしまったから、助かったよ」
「はぁ?」
「あと10秒で転移されるかな」
あっけらかんと言う鹿尾の目には疲労の限界を突破した狂気の炎が宿っていた。ヨグは鹿尾の危険水域を見誤っていたのだと焦る。
「ちょ。くっ、ウサギと魔導具と」
「それじゃさようなら、ブラック企業!」
「今正気です!?」
慌てて、ウサギの寝ている籠を持ち、床に転がしてあったキューブをポケットに入れて、ヨグは鹿尾の腕を掴む。
ギリギリで間に合い、ヨグと鹿尾は光りに包まれるとマンションの一室から消え、あとには作りたての麻婆豆腐が湯気を立てているのであった。
◇
吹雪く白い世界。一瞬で汗が凍る極寒の地。
「どどどど、どこかな、ここは?」
「さささぶ」
あっさりと地球を捨てたヨグと鹿尾は雪の上に立っていた。
「グオォォォォ!」
地球では見たこともない10メートルはある大きさのシロクマも眼の前に立っていた。




