8:暴かれる黒幕
寒さが温み、桜のつぼみが膨らむようになった頃。日が長くなったせいか、学校帰りの学生も時々ベーカリーつきおれでパンを買っていっている。話を聞いている限りでは、近くの公園でパンを食べながらおしゃべりをしていたりするらしい。
学生鞄を持った数人連れの学生が店を出たあと、店内が静かになる。そろそろ閉店時間だ。
啓介が店内を見渡すと、相変わらず売れ残りのパンがある。それでも、今残っているパンはお昼過ぎに焼き上がったものなので、明日の早朝に販売する分には問題ないだろう。
カウンターで大和も暇そうにしているし、そろそろ店じまいの用意をするか。そう口にしようとした瞬間、店の入り口が勢いよく開いた。
「店長、匿って!」
駆け込むなりそう言っているのは、息を切らせている琴子だ。
これはただならぬ事があったなと啓介と大和で目配せをする。啓介が急いで入り口を閉め、琴子をカウンターの中に入れる。震える琴子に大和が訊ねる。
「琴子ちゃん、なにがあったんだ」
真剣な声で訊く大和に、琴子は入り口の方を気にしながら答える。
「駅でナンパされてここまで逃げてきたの。
すごくしつこくって、走って逃げても追いかけてくるんだもん。まだ追ってきてるんじゃないかな……」
その言葉に、大和は奥へ続くドアを開けて琴子と啓介に言う。
「とりあえず琴子ちゃんはここ入って。おっさんは裏口から出て琴子ちゃんと一緒に警察に行って。
急げ。追ってきてるやつはここに来たら俺がなんとかする」
「わかりました」
促されるままに奥へ入る琴子に続き啓介も奥に入る。今は一刻を争うときだ。制服のキャップもエプロンも外しているひまはない。パン小屋の横を通り過ぎ裏口を開け、気持ち小さな声で琴子に言う。
「ここから出れば裏路地に出られます。こっちから警察署に行きましょう」
「は、はい」
すでに疲労困憊といったようすの琴子だけれども、ここはがんばってもらうほか無い。啓介は琴子がついてこられるようにゆっくりと裏口を出て、琴子がついてきたのを確認してからドアを閉める。
裏口から出ると、そこは建物の影になって薄暗い、細い路地だ。啓介は普段、ここから出入りしているので慣れているけれども、琴子はこういった裏路地は慣れていないのだろう、すこし怯えている。
「大丈夫です。僕がいますから」
啓介は琴子にそう言って、なるべく琴子の近くを歩く。慣れた道とはいえ、日が暮れてくると少々治安が悪くなることもわかっているからだ。
夕日が傾き影が濃くなる。それにつれて肌寒くなる。その肌寒さが不安を煽るのか、琴子が啓介のエプロンをつまむ。その琴子に、啓介は大丈夫。と言い聞かせる。
そうしながら歩いていると、ガラの悪い男ふたり組が壁により掛かって煙草を吸っていた。
あまりこういう手合いには会いたくなかったけれども、こちらから手を出さなければたいていの場合はなにごとも無く通り過ぎられる。そのことを知っている啓介はいつものように通り過ぎようとした。
そのとき、ふたり組のうちひとりがにやにやしながら話しかけてきた。
「よお、おっさん。女の子連れてどこ行くんだ?」
その問いに啓介は素直に返す。
「ちょっと、警察署にね」
すると、ふたり組は道を塞いで啓介のことを睨みつける。そこで啓介はようやく、このふたり組も琴子によからぬことをしようと考えたのだなと察した。
琴子が怯えて啓介の腕にしがみつく。ここはなんとか上手く切り抜けたい。どうしたものか。そう考えるけれども、啓介には素直に事情を話す以外に手段を見つけられなかった。
「実は、この子が駅でナンパされて、たちの悪い男達に追われているみたいでね。それで警察に行きたいんだ。
だから通してくれないかな。君たちのことまで警察に話す気は無いから」
その言葉に、男ふたり組が目配せをして頷きあってからこう言った。
「わかった、通してやるよ。その代わり、俺たちのことは絶対に警察に話すなよ」
一安心した啓介は、しっかりと頷いて返す。
「もちろん。ここを通してくれるなら、君たちは恩人だからね」
男達が道を空ける。その間を啓介は琴子を連れて通り抜ける。なんとかやり過ごせた。
警察には話さないとは言ったものの、正直なところ啓介としては、あの男達の何を話すべきなのかの見当はついていなかった。だからそもそも話すことなどないのだけれども、向こうが納得してくれたのならいいだろう。
腕にしがみついている琴子をなだめながら裏路地を抜け、街灯の点る大通りに出る。あとは警察署に行くだけだ。
大通りに出てしばらくすると、すこし安心したのか琴子が腕から離れる。そのようすに啓介もようやくほっとした。
しばらく歩いて、警察署に着く。ロビーに入り受付で事情を説明する。
「すいません、この子が駅でナンパされて、男達に追われているんです。
できれば警察官に家まで送って欲しいんですけれど」
啓介の言葉に、すぐに男性と女性の警察官が呼ばれる。どうやら、このふたりで琴子を家まで送ってくれるようだった。
琴子を警察官に任せると、琴子はぺこりとお辞儀をした。
一安心したところで啓介がベーカリーつきおれに戻ると、店内は一見してなにごとも無かったかのようだった。大和がモップで拭き掃除をしているけれど、閉店時間を過ぎたからだろう。
「店長、掃除は僕がやりますよ」
啓介がそう声をかけると、大和はモップを啓介に渡しながら言う。
「琴子ちゃんは無事か?」
「はい、警察官に家まで送ってもらっています」
「そっか、よかった」
安心したようにため息をつく大和からモップを受け取った啓介が床を拭いていると、どうにも何やら濡れている。
「店長、床が濡れていますけど、なにかこぼしたんですか?」
その問いに大和は、レジカウンターの方を指さして答える。
「監視カメラの映像を見りゃわかるよ」
なにかあったんだな。そう察した啓介は、モップを持ったままカウンターの中に入り、タブレットを操作する。防犯カメラの映像を再生すると、琴子を追ってきたのであろう男数人が店内に押し入り、大和に詰め寄っている。その男達の顔面に、大和は店頭に置いているアルコールをかけて、なにかを怒鳴っているようすだ。大和の剣幕に押されたのか、男達はすごすごと店内から逃げ出している。それを見た啓介は、男達にかけたアルコールで床が濡れているのかと理解した。
納得したところで掃除を再開すると、大和が苦々しげにぼやく。
「まったくあいつら、マスクしないで騒ぎやがってよお……」
たしかに、カメラの映像を見る限り、男達はマスクをしていなかった。衛生管理にうるさい大和からすれば耐えがたいだろう。
「店長、カメラの映像は警察に出しておきますか?」
啓介のなにげない問いに、大和はすこし考えてから返す。
「琴子ちゃんの話が通ってるなら、出しておいた方がいいかもな。
あいつらにお灸を据えられるなら据えたいよ。大事な常連に手を出そうとしたんだからな」
苦々しいその言葉に啓介は頷く。もし啓介の娘が生きていたら、きっと琴子とそんなに変わらないくらいの歳だろう。そんな年頃の女の子が危険な目に遭わされたことを、到底許せるはずもないのだ。
穏やかな春の日。土曜日のお昼時には今月幼稚園に上がったばかりなのだろうなと言う子供を連れた母親が、ちらほらとベーカリーつきおれを訪れていた。
時々子供がパンにいたずらをしようとするので、啓介がその度に優しく、けれども毅然とたしなめている。正直言えば啓介も子供の扱いに慣れているわけではないのだけれども、以前大和が子供の行動を注意しようとしたところ、子供が怯えて泣き出してしまったのだ。それ以来、子供の対応はなるべく啓介がやるようにしている。
子供にカメのメロンパンをトレーに乗せさせ、自分はうどん用のパンを三つ乗せた女性がレジにやってくる。この女性も、名前は知らないけれどもこの店の常連だ。
大和がタブレットで会計をし、啓介がパンを袋に詰めていると女性がため息をついて話しかけてきた。
「そういえば最近このあたり、夕方過ぎるとガラの悪い人がうろついてて、たまにケンカしてるでしょ?
店長さん達は巻き込まれてたりしない?」
その問いに大和は斜め上を見て返す。
「そういえばたまに騒いでるのを見ますね。でも、おかげさまでなんとか巻き込まれずに済んでますよ」
「そう? ならいいんだけど。暗くなると危なくて、買い物に行くのもこわいんだよね」
不安そうな女性に啓介がパンを手渡すと、女性は明るいうちにスーパーで買い物を済ませていくと言って店を出て行った。
客のいなくなった店内で、大和が睨みつけながら啓介に訊ねる。
「おっさん、ガラの悪いやつらに関してなにか調べてたりはしないか?」
啓介は頭を横に振る。
「さすがに調べてませんよ。ただ、夕方以降に外に出るとたしかにケンカをしているところはよく見ますけれど」
「そっか。今度は面倒ごとに首を突っ込んでないみたいでよかったよ」
素っ気ない大和の言葉に、啓介は言葉を詰まらせる。また厄介ごとに首を突っ込んでいるのかと心配されていたのが申し訳ないのだ。しかし、それはそれとして商店街の治安が悪いのは心配だ。啓介は大和に訊ね返す。
「このところ商店街のガラが悪くなっているのを、商工会長に相談しますか?」
その問いに、大和はそれだといった顔をしてポケットからスマートフォンを取り出す。
「その方がいいな。ちょっと奥で商工会長に電話してくる」
さすがに店頭では話せないと思ったのだろう。大和は奥に入ってドアを閉める。ドア越しにすこし声が聞こえるけれども、何を話しているのかまでは聞こえない。
すこしして大和がまた店内に戻ってきた。スマートフォンをポケットにしまいながら、なにやら不満そうな顔だ。
「店長、どうでした?」
啓介の問いに、大和は納得できないといったようすで返す。
「なんか、商店街にガラの悪いやつがいるのは気のせいだろって言われた。
どうせ他の商店街のがあぶれてきてるだけだろって」
「なるほど……?」
他の商店街から。その言葉を聞いて眉をピクリとさせる啓介に、大和がすかさず釘を刺す。
「おっさん、首を突っ込むな。どうせ他の商店街も調べてこようって思ったんだろ」
図星を指された。啓介が曖昧に笑っていると、突然店のドアが勢いよく開いた。
突然の来客におどろいた啓介が声をかける。
「琴子さんいらっしゃい。どうしたんですか? そんな不機嫌そうに」
やってきたのはいかにも怒り心頭といったようすの琴子だった。啓介が事情を訊ねると、琴子はトレーとトングを持ち、トングをカチカチ鳴らしながら言う。
「ちょっといやなことがあったから、それに耐えた自分にご褒美って思ってパン買いに来たの」
その言葉に大和がすかさず返す。
「それなら、さっきカレーパンができたばっかりでまだあったかいよ。
それと、期間限定でいちごクリームパンっての出してみてるんだけど、それもどう?」
「それにする! あとチーズフランス!」
早速パンをトレーに乗せていく琴子に大和がさらに訊ねる。
「でも、いやなことってなにがあったんだ? クソクライアント案件か?」
琴子がデザインの仕事で無理難題を言われることが多いという愚痴を何度か聞いている大和がそう訊ねると、琴子はパンをレジに持ってきながらこう返す。
「高校時代の知り合いがパパ活して羽振りのいい生活しててさ、私のこと見下してくるんだよね。せこせこ働かないと生活できない貧乏人って」
その言葉を横から聞いていた啓介は思わずため息をつく。琴子と同年代の子が売春まがいのことをしているということも気にかかるし、自力で自分のやりたい仕事をつかんだ琴子のことを貶されるのもいい気分ではないのだ。けれども、どう返したものかの見当はつかない。
一方で大和は鼻で笑って返す。
「そんなやつ相手にすんな。琴子ちゃんはちゃんとやってちゃんと稼いでるんだから」
「そうなんだけど、ムカつくもんはムカつくんだよね。なまじ奨学金という借金があるだけに」
奨学金と聞いて啓介は頷く。
「たしかに、奨学金の返済はたいへんですよね。僕もたいへんでした。
でも、奨学金の返済をしていることは、恥ずかしいことではないんですよ。自力で学ぶ意思があったということなんですから」
啓介の言葉に気持ちを察してくれたと思ったのか、琴子がすこし表情を和らげる。しかしふくれっ面のままこう言った。
「まあ、奨学金は絶対完済してやるって決めてるからがんばるけど。
それにしても、商工会長もあんなパパ活やってよろこんでるような子ばっかはべらせて趣味が悪いよね。ほっとこ」
その言葉に、啓介と大和は一瞬目配せをし、啓介が訊ねる。
「すいません、その話についてもっと詳しく聞かせてくれませんか?」
すこし食い気味の言葉に琴子はこう説明する。
「商工会長は羽振りがいいから、お金目当ての女の子がいっぱい寄っていくんだよね。あんなじいさんなのに。
でも、無理矢理商工会長のところへ連れて行かれるっていう子もいるし、そういう子は心配かなぁ」
「無理矢理連れて行かれる?」
「うん。この前私がナンパ野郎に追われてたでしょ? あの時も、あいつらと遊んだあと商工会長のところ行こうって言われてたんだよね」
すこしの間黙っていた大和が口を開く。
「商工会長はそんなに女の子をはべらせられるほど金持ってんのか?」
大和の問いに琴子は斜め上を見て返す。
「そういえば、おかしいよねえ。商工会長のお店ってそんなに繁盛してるわけでもないし、かといって地主ってわけでもないし。借金でもしてるのかな?」
その瞬間、啓介の頭にお祭りの時の帳簿がよぎった。帳尻は合っているのに数字がおかしい、明らかに裏金を作っているあの帳簿だ。
「店長、ちょっと商工会長のところへ行ってきます」
すかさずそういう啓介に、大和が厳しい声で返す。
「だめだ。おっさんはこれ以上厄介ごとに首を突っ込むな!」
威圧的な大和の言葉に、啓介も負けじと返す。
「でも、これを放っておいたら商店街の人たちが商工会長に搾取されるかもしれないんです!」
「そういうのは警察に行け!」
大和の言い分はもっともだ。だから啓介はこう返す。
「警察の方へは生駒さんを通して連絡します。
とにかく僕は、商工会長に直接言ってやらないと気が済まないんです!」
大和と言い合う合間を縫って、おどろいている琴子を見る。
「それになにより、自分の娘くらいの子に手を出すようなやつは放って置けません!」
珍しく引く様子を見せない啓介のことを大和が複雑な顔で見る。それから、吐き捨てるようにこう言った。
「好きにしろ」
啓介はひとこと断ってから、店の奥へ入っていった。
自室から必要な書類を詰めた鞄を持ってきた啓介は、ベーカリーつきおれの制服であるキャップとエプロンを外したまま裏口から出る。まだ日が高いのにどことなく薄暗い裏路地には、見覚えのあるガラの悪い男がいた。
男が煙草を吸いながら啓介に声をかける。
「おっさん、そこのパン屋の店員だろ」
話しかけられた啓介は返事をしながら頷く。男はさらに言葉を続ける。
「最近俺たちの縄張りを荒らしてるやつがいるんだけどよ、なんか心当たりはないか?」
その問いに、啓介はすこし考えてから訊ね返す。
「なんで僕に心当たりがあると思ったんですか?」
すると男は、煙草の煙を吹きながら言う。
「前に、ナンパ野郎に負われてる女の子を警察に連れて行ってたろ。そのあとから縄張りを荒らすやつが出てきててな。おっさんかあの女の子かが関係してんじゃないかって思ったんだ」
その言葉に、啓介は琴子の言葉を思い出す。琴子をナンパして追ってきた男達は、彼女を商工会長のところへ連れて行こうとしていたと言っていた。そういうことならばと、確信が持てないまま啓介は目の前の男に返す。
「僕たちが関係しているかどうか、現時点ではわかりません。
ですが、なにかわかってまた会うことがあったらお伝えしますよ」
男はまた煙草を吸って煙を吐く。
「わかった。なにか心当たりがあるってことだな」
「確信は持てませんが」
啓介の返事に、男は周囲に目配せをしてから言う。
「どこに用事があるのか知らんけど、急いでるみたいだな。行ってこいよ」
通路の端に身を寄せた男に軽く会釈をしてから啓介は裏路地を通り、商店街に出る。人通りの少ない商店街を歩き、商工会長が営んでいる食料品店に入る。店の中には年かさの女性店員しかいなかった。啓介は店員に声をかける。
「すいません、商工会長に話があるんですけれど、商工会長はいらっしゃいますか?」
その問いに店員はにこにこと笑って返す。
「あらまあ香川さん。もしかして次のお祭りの打ち合わせですか?
店主なら奥にいますからそちらへどうぞ」
店員に促されるままに店の奥に入る。そこは雑然とした事務所になっていて、啓介もこの事務所は見慣れていた。
事務所で煙草を吸っていた商工会長が怪訝そうな顔で啓介を見る。
「なんですか香川さん。何の用ですかね」
明らかに歓迎しかねるといったようすの商工会長に、啓介は単刀直入に言う。
「商店街のお祭りの時の経費でお話があります」
その一言に、商工会長はつまらなそうに返す。
「帳簿ではなんの問題も無かっただろう。なにも話すことはない。帰れ帰れ」
啓介を追い返そうとする商工会長に、啓介は帳簿のコピー、それにお惣菜屋さんと琴子からとらせてもらった領収書のコピーを突きつける。
「お惣菜屋さんとポスターのデザイナーさんに支払った金額が、帳簿と領収書で一致していません。帳簿の方が大きい金額になっていますよね?
それに、商店街の人たちはお祭りの参加費を多めに支払っていたというじゃないですか。なのに帳簿には定額分の記述しかない。
おかしいんですよこの帳簿は。無理矢理帳尻を合わせているでしょう」
まくし立てるような啓介の言葉に、商工会長は威嚇するように返す。
「帳簿がおかしい? だからなんだってんだ。そんなことを俺がやってなにか得することでもあんのか?」
しらを切ろうとする商工会長に、啓介は毅然という。
「裏金を作って懐に入れているのではないですか?」
すると商工会長は顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「そんな証拠がどこにあるって言うんだ! え? 出してみろ!」
出すもなにも、今まさに証拠を出したところなのだけれども、商工会長はそれを誤魔化そうとしているようだ。それならこの証拠は手元に置いて置いた方が都合がいい。そう判断した啓介は帳簿と領主書のコピーを鞄の中にしまい、話を変える。
「聞いた話ですが、商工会長はずいぶんと若い女の子を囲っているようですね。
そのお金はどこから出ているんですか?」
啓介の問いに、商工会長はまだ顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「うるせぇ! 俺を誰だと思ってんだ、当然の権利だろ!」
何を持ってして当然の権利とするのかは啓介にはわからないけれど、商工会長はなおも叫き散らす。
「俺の方が偉いんだ! お前がどうこうしたところで後悔するだけだぞ!」
その言葉に、啓介は努めて冷静な態度を保ちながら返す。
「そうですか、なんにせよこの件はしかるべきところへ相談させていただきます。
それでは、失礼します」
「早く出て行け!」
商工会長が投げてくる灰皿を避けながら、啓介は事務所から出る。すると、中でのやりとりが聞こえていたのか店員が不安そうな顔で啓介を見た。その店員にどう声をかければいいのか、啓介にはわからなかった。
商工会長の営む食料品店を出て、啓介は文房具屋へと向かう。文房具屋の主人に、ことのあらましを説明するのだ。
「失礼します。ご主人はいらっしゃいますか?」
薄暗い店内に声をかけると、奥から返事が聞こえる。
「ああ、香川さんですか。どうぞ」
啓介は主人の元に行き、声を落として話す。
「どうやら、商工会長が裏金を作って懐に入れていたようです。こちらの帳簿と領収書のコピーが証拠です」
その言葉に主人は目つきを鋭くして訊ねる。
「商工会長が懐に入れてるって言う決め手はあるんですかね?」
「……先ほど問い詰めてきました」
主人が深いため息をつく。
「なるほど、それなら税務署に報告しないといけないね。あと、できれば警察にも」
そうつぶやいてから、主人は啓介から帳簿と領収書のコピーを受け取り、店内のコピー機でコピーを取る。
「それにしても、商工会長を下手に刺激したのは失敗だ。なにがあるかわからない」
主人のその言葉に、啓介は背中がじっとりとするのを感じる。下手をすれば、商店街からベーカリーつきおれが追い出されるかもしれないと今になって思い至ったのだ。
「商工会長は、うちの店に妨害工作をしてくるでしょうか」
不安そうに啓介がそう訊ねると、主人は啓介に書類を渡しながら言う。
「無理矢理商工会から外すってのはできないだろうね。あなたの店はもう、この商店街にすっかりなじんでる。それを無理矢理追い出そうとするのは商工会長としてもリスクだっていうのはわかるはず。
ただ、気をつけた方がいい。これはただ、漠然とした不安で、確証はないけれど……」
沈鬱な表情をする主人に、啓介は頭を下げてから店を出る。
とりあえず今は、店に戻って大和にことの経緯を説明しないといけない。それから、生駒にも連絡をしないといけない。あとそれから……そこまで考えて、啓介は裏路地に入り、先ほどの男を捜した。すると、ベーカリーつきおれからほど近いところであの男は煙草を吸っていた。緊張しながら啓介が近づいていくと、その足音に気づいた男が煙草を地面に投げ捨てて踏みつける。まるで啓介の出方をうかがうようだ。その男に、啓介は軽く頭を下げてから口を開く。
「おかげさまで商工会長が裏金を作っているという裏を取ってこられました。あいにく、このあたりを荒らしている人たちの話は調べられなかったのですけれど」
渇く口で啓介がそう言うと、男はぴくりを眉を上げて、なにかを考えるように片足でトントンと地面を叩く。
「商工会長がそんなことしてんのか? たしか今の商工会長は前の商工会長が体調を崩したときに無理矢理代理を名乗りはじめて、今のポストに収まったはずだ。もしかしてそれが目的だったのか?」
その言葉に、啓介は頭の中で思考をめぐらせる。男と視線を合わせると、男も考え事をしているようだ。啓介は考えをまとめるために男に訊ねる。
「商工会長について詳しく聞かせてくれませんか? できれば、前の商工会長の話も」
すると男は、真剣な顔で啓介に返す。
「今の商工会長は、どこから来たかわからないよそ者なんだよ。ある日突然この商店街に来たやつが急にあんなことしたもんだから、商店街のやつらも戸惑ってたな。
前の商工会長は文房具屋のおっさんだ。一昨年あたりにがん治療が一息ついたらしいから、ほんとうなら今の商工会長は文房具屋のおっさんに立場を譲らなきゃいけないのにそのままなんだよな」
苦々しい男の言葉を聞いて啓介の中でパズルのピースがはまっていく。
よそから来た商工会長。よそから来たならず者。そして、商工会長に女の子を斡旋しているやつら。それらを考えて、少しずつ言語化していく。
「商工会長が、誰かから女の子の斡旋を受けているという話は知っていますか?」
啓介の問いに、男は疑問がありそうな顔をする。なぜそんなことを訊かれているのかわからないのだろう。
「商工会長が女を囲ってるのは知ってるよ。それがなにか?」
不審そうにする男に、啓介は言葉を続ける。
「以前僕と一緒にいた女の子は、商工会長のところに連れて行かれそうになっていた子なんです。あなた方があの子を商工会長のところへ連れて行く人たちと関係があったなら、きっとあの子のことを知っていたでしょう。けれどあなたたちは知らなかった。あなたたちの情報網には無かった子ということになります。
そうなると、あの子を追っていた男達は少なくともあなたたちからしたら外のもの。
その外のものと商工会長がつながっているんじゃないかと思ったんです」
啓介の言葉に、男は考えるように視線を左右させながら口元をおさえる。思いのほか冷静なようすだ。
「なるほど。縄張りを荒らしてるやつはもっと前からいて、そいつらを呼んだのは商工会長かもしれないってことか?」
「商工会長が呼んだのかもしれませんし、逆にあいつらが商工会長を呼んだ可能性もあります。そこは定かでありませんが、いずれにせよ深い関係があるでしょう」
男とやりとりをしながら、啓介はまた疑問を抱える。よそから来た商工会長に、なぜ商店街の人々がお祭りの費用を多めに出すなど協力的なことをするのかがわからないのだ。
啓介が疑問を抱いている間にも、男は納得したように頷く。
「なるほどな。商工会長が一枚噛んでるのはわかった。
そうなってくると、商店街のやつらも早く文房具屋のおっさんに返り咲いて欲しいだろうな。あのおっさんの顔を潰さないために、商工会長に協力してるみたいだから」
その言葉に啓介は納得する。商店街の人々は、文房具屋の主人がいつでも商工会長として戻ってきてもいいように、一生懸命商店街を保とうとしているのだ。そのためには、多少不信感があっても今の商工会長に協力せざるを得ない。啓介には、自分と大和もよそ者だという自覚がある。それでも、自分たちが来たときにはすでに商工会長でなくなっていた文房具屋の主人がいまだに商店街の人々の信頼を得ているのを知っている。話を聞いてしまった以上、啓介としても文房具屋の主人に商工会長に戻って欲しいところだ。この気持ちはずっとここに住んでいる商店街の人々も一緒だろう。
啓介が思いにふけっていると、男が煙草を一本取り出して火を付ける。
「とりあえず情報ありがとな、おっさん。俺たちは俺たちでやらなきゃいけないことがありそうだ」
煙を吹いてそういう男が、煙草の箱を啓介に差し出す。
「おっさんも一服どうだ?」
その言葉に、啓介は一歩身を引く。元々煙草を吸うたちではないというのもあるけれど、ここで男から差し出されたものを受け取ってはいけないと思ったのだ。
「すいません。煙草は吸わないので」
断固として受け取る様子を見せない啓介に、男はにやりと笑ってこう言った。
「わかった。そっちはそっちのやり方でやれ」
それからベーカリーつきおれに続く道を空けたので、啓介はその横を通り抜ける。そして、大和が待つベーカリーつきおれへと戻っていった。




