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夕凪のパン屋  作者: 藤和
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5:責任ある仕事

 そうしているうちに、ベーカリーつきおれは、すっかり地元になじんでいた。累積した赤字はまだ消えないけれども、たまに少しだけ黒字になる月もある。やっとそこまで持っていくことができた。

 なにより、常連客がついたのが大和にはうれしかったようだ。毎週決まった日にパンを買いに来る女性。オープンを早めた初日に、最初にパンを買っていってくれたあの女性だ。彼女はすっかり常連客のうちのひとりになっていた。

「こんにちはー」

「あ、いらっしゃい」

 挨拶をして入ってくる彼女に、大和が笑顔で声をかける。名前も知らない常連客の彼女は、大阪のデザイン学校に通っているらしいと啓介も大和も聞いている。週の大半を大阪で過ごし、週に一度高松に帰ってきたときにこのパン屋に来ているのだという。

 彼女がいつもどおり惣菜パンをトレーに乗せてレジに持ってくる。その時に、たわいもない世間話をした。

「店長さん、最近どうですか?」

「ぼちぼちですね。

 ああそう、今度駅に広告を出したいんだけど、俺もおっさんもデザインができなくて困ってるんですよ。

 お客さん、デザイン系ですよね? こういうの依頼できそうな人知り合いにいません?」

 何気ない大和の言葉に、彼女はにっこりと笑ってこう言った。

「それなら、私がやりますよ。まだ学生ですけど、全くの素人よりはマシなものを作る自信があります」

 その言葉に、大和はもちろん、啓介もぽかんとした。

「あの、学生さんでしたよね? 大丈夫なんですか?」

 何が大丈夫なのかと聞きたいのか。それがわからないままに啓介は不安になりそう訊ねる。デザイン系の学校に通っている彼女なら、啓介や大和がやるよりはずっと良いデザインを出すだろう。けれどもなぜか、言いようのない不安があった。

 不安を抱える啓介とは対照的に、彼女は自陣満々に返す。

「もし心配だったら無料で引き受けますから安心してください!」

 その言葉に啓介の不安はますます膨らむ。ちらりと大和の方を伺うと、大和も戸惑っているようだ。

「とはいえ学生さんだとねぇ。学生さんにはまず仕事よりも勉強をがんばって欲しいし」

 不安を誤魔化すようにそう言う啓介に続き、大和も口を開く。

「一応こっちとしても、プロのデザイナーさんに任せたいと思ってはいるんだけど」

 すると、彼女がレジカウンター越しに身を乗り出してきて勢いよく言う。

「どうしてもその仕事を私がやりたいんです! やらせてくれませんか?」

 どうにもようすがおかしい。啓介と大和で目配せをして訝しげな顔をする。それから、大和が彼女に向き直って改めて訊ねる。

「どうしてそんなに駅広告の仕事がしたいんです? しかも無料で」

 そのひとことで、大和が訝しんでいることに気づいたらしく、彼女はさらに押し込むように行ってくる。

「私、今年就職活動をしてるんです! それで、就職を有利にするために実績が欲しくて。

 実績になるなら無料でやってもいいんです!」

 大和の目つきが鋭くなる。

「実績が欲しいだけなら他の店でもいいだろ」

 どうやら、就職のためにこの店を利用されることが気に障ったようだ。それも仕方ないだろう。プライドを持ってやっている仕事を、常連とはいえ他人に利用されるなんてことは大和には耐えがたいはずだ。

 啓介がそう思っていると、彼女はさらにくってかかる。

「でも、広告の仕事がしたいんです!

 なんとしてでも就職して、奨学金を返さなきゃいけないんです!」

 その言葉に、大和の表情がますます険しくなる。奨学金といえば借金だ。それを返すために就職しなくてはいけないというプレッシャーは、自身も奨学金を利用していた啓介にもよくわかる。けれども、借金を抱えているのはこの店も同じだ。大和にしてみれば他人の借金のためにただ利用されるのは納得がいかないのだろう。

 大和と彼女の間で緊迫した空気が流れる。にらみ合うふたりをどう落ち着かせるか。啓介はそれを考えて、わざと大きくため息をついてこう言った。

「しかし店長、実績のあるプロに広告のデザインを任せようにも、この店にはそれだけの余裕は無いじゃないですか」

 すると、大和が勢いよく啓介の方を向いて胸ぐらをつかむ。

「そういうこと言うんじゃねえよ!」

 今にも殴りかかってきそうな大和に、啓介は言い聞かせるように話す。

「店長が駅広告を依頼できるようにやりくりしているのは知っています。

 でも、この店は今、見栄を張ってる場合じゃないんです」

 啓介の言葉に乗って、常連の彼女がさらに身を乗り出して口を挟む。

「それなら、私なら無料で広告デザインしますよ! どうですか? 使ってみてもいいんじゃないですか?」

 食いついてくる彼女を大和が睨み、啓介のことを離す。大和が彼女になにかを言おうとしたその時。大和が言葉を発する前に啓介が彼女に言う。

「無料で仕事を受けるといっている人に仕事は頼めません」

 そのひとことに、彼女は落胆したような顔で、大和はおどろいたような顔で啓介を見る。

「無料でやりとりした仕事は無責任でいい加減なものになりがちです。

 だから、無料で仕事をすると言っているあなたには頼めません」

 彼女が身を引いて泣きそうな顔をする。そんな彼女に、啓介はすこし厳しい口調で言い聞かせる。

「だから、あなたが仕事を受けるのであれば、どれだけ低額であれ有料でなくてはいけません。これはこの店の仕事に限らず、どの仕事でもそうです」

 こんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。彼女は怒っているのか、泣いているのかわからない顔になる。啓介の言葉を聞いて言おうとしていた言葉を飲み込んだ大和は、それ見たことかという顔で彼女を見ている。そのふたりに聞こえるように、啓介は優しく彼女に訊ねる。

「それに、あなたがこの店の広告の仕事をしたいのは、就職のための実績づくりだけが理由ではないでしょう」

 啓介の言葉に、大和が目を見開いてふたりの顔を見比べる。一方の彼女は、ぼろぼろと泣き出してこう言った。

「このお店のパンが好きだから、はじめてのデザインの仕事はここに関わることがいいって思ってたんです」

 泣きじゃくる彼女を見て、大和が気まずそうにキョロキョロとする。

「……それならそうとはじめから言えよ……」

 それから、レジカウンターの中からペーパーナプキンを取りだして彼女に渡す。

「とりあえずこれで顔拭いて。

 そういうことなら、俺はあんたに駅広告のデザインを頼みたい」

 彼女が震える手でペーパーナプキンを受け取って涙を拭き、何度も頷く。目の周りを真っ赤にした彼女に、啓介は確認するように訊ねる。

「店長はこう言っていますが、お金をもらって仕事をする覚悟があなたにありますか?

 報酬が発生する以上、あなたには責任があるんですよ」

 啓介の言葉に彼女はすこしの間俯いていたけれども、まっすぐに大和のことを見てこう言った。

「やります。お金をもらって、しっかり責任を持ってやります」

 まっすぐな視線を向けられた大和は頷いて、彼女に言葉を返す。

「わかった。あんたに頼む。その代わり条件がある」

「なんですか?」

「あんたはこの店の依頼を実績として利用する。その見返りとして依頼料は相場より安くさせてもらう」

 大和の言葉に続いて、啓介も口を開く。

「正直なところ、こちらとしてもそちらの実力を測りかねるところがありますし、相場の半額。と言ったところでしょうか」

 啓介が確認するように大和をちらりと見ると、大和は頷く。ふたりの言葉に、彼女はすこし興奮したようすで返事をする。

「もちろんそれでかまいません! よろしくお願いします!」

 深々と頭を下げる彼女の顔を上げさせて、大和が店のドアの横にある窓を指さす。

「とはいえ、ちゃんとデザインの勉強をしてる学生さんだ。それなりに実力はあるだろ。

 安めの値段で仕事をやってもらう代わりに、そこの窓のところにあんたの仕事募集の広告を出してもいい」

「えっ?」

 どういうことだかわからないといったようすの彼女に、大和に代わり啓介が説明する。

「もし他のお店のポスターやポップをやる気があるのなら、そう言った仕事を受けますよ。というあなたの広告をこの店で出してもいいということです」

 穏やかになった大和の態度と優しい啓介の言葉に、彼女はまた泣き出してしまう。

「ありがとうございます……! 私、絶対にいい広告作りますから……!」

 泣きじゃくる彼女に、大和がまたペーパーナプキンを差し出す。そんな姿を見て啓介は、彼女がデザイナーとしてしっかりやっていけるよう応援したいと思った。

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