4:店長の挑戦
街路樹が色づく頃、早朝にも時々客が入るようになったけれども、やはりまだ昼間も暇な時間が多い。大和がパンの並んだ棚を回って在庫を指さし確認している間に啓介が今日の来客の傾向をタブレットで確認していると、入り口を開ける音がした。
大和が慌ててカウンターの中に戻り、啓介もタブレットを会計画面に戻して声をかける。
「いらっしゃいませ」
そうして改めて入ってきた客を見ると、大きな買い物袋を下げた生駒がにこにこと立っていた。
「よう、久しぶり。繁盛してるか?」
そういう生駒の側に大和が歩み寄って答える。
「朝から代わり映えのない棚を見てもらえばわかるかと思います。
ところで、お荷物をお預かりしましょうか。什器に当たると困りますので」
「お、店長さんお願いできる?」
ずいぶんとスマートに荷物を預かったなと啓介が感心していると、生駒は空いた手でトレーとトングを持ってパンを見ている。
「おお、またチョココロネがあるね。いいねいいね」
そう言って生駒はチョココロネを四つトレーの上に乗せる。
「それ、気に入りましたか?」
啓介がそう訊ねると生駒は上機嫌に答える。
「もちろんだとも。妻も子供もこのチョココロネが気に入ってね、また食べたいって何度も言ってるんだよ」
その言葉に、大和は照れたように耳を赤くして言う。
「えっと、それなら奥さんもお子さんも、いつでもここに来てくださいよ。
チョココロネはいつでもあるんで」
いつになくもじもじしたようすの大和の言葉に、生駒は笑って返す。
「この店のことを教えておいたら、もう何度か来てチョココロネを買ってるみたいだよ。
店長さんも香川君も気づいてないかなぁ?」
思わず啓介と大和が顔を見合わせる。チョココロネはこの店でも人気な方だ。しかも、買っていくのは子供連れの女性が多い。誰が生駒の妻と子供なのかわからないのだ。
啓介と大和が答え合わせをしようとしているのを勘づいたのか、生駒はトングをカチカチと鳴らして釘を刺す。
「あんまり、人の奥さんとか子供とかを詮索するもんじゃないぞ。
まあ、付き合いの狭いこのあたりだと、早かれ遅かれわかると思うけどな」
「す、すいません」
慌てて啓介が頭を下げると、大和も気まずそうに頭を下げる。そんなふたりに、生駒はまあまあ。といって頭を上げさせ不思議そうに言う。
「それにしても、この店のパンはその辺のスーパーのベーカリーに負けないくらい美味いのに、あんまり繁盛してないのは意外だな」
意外だと言われても繁盛していない事実は変わらないのだからしかたがない。それでもと思って啓介は言い訳のように言う。
「それでも、おかげさまで最近ちょっとは売上が伸びてるんですよ。
店長がいろいろと手を尽くしてくれているので」
ちらりと啓介が大和を見ると、大和はふてくされたように視線を外してから、また啓介のことを見る。売上が伸びるような提案をしているのは啓介なのに、いかにも大和の手柄のように言われたことになにか思うところがあるのだろう。
啓介のことをちらちら見ながら、大和が生駒に訊ねる。
「そういえば、お客さんから見てこの店の物足りないところってどこかありますか?」
その問いに、生駒はぐるりと店内を見渡してから答える。
「見た感じ、前に来たときとメニューが変わってないよな?
いつも代わり映えのないメニューだと安心するけど飽きるかなぁ」
その一言に、大和がぽかんとする。啓介もなるほどと思う。言われてみれば、大和が新商品開発をしているところは見たことがない。つまりは、毎日同じものを店頭に置いているのだ。
そのことに啓介は疑問を持っていなかったし、おそらく大和も毎日の生産にいっぱいいっぱいで気づいていなかったのだろう。
ふたりで呆然としていると、チョココロネをトレーに乗せた生駒がカウンターにやって来た。
「とりあえずお会計よろしく」
「あっ、はい」
我に返った啓介が手早く会計をする。その間に、こころここにあらずといったようすの大和が、チョココロネを梱包していき、生駒に手渡す。
チョココロネを受け取った生駒は、店の入り口で大きな買い物袋を大和から受け取り、大和に一言残す。
「店長さんもいろいろがんばってるみたいだね。ちゃんと人に意見も聞いてるし。
俺は応援してるからさ、がんばってくれよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
店から出て行く生駒に深くお辞儀をした大和は、すこしの間生駒を見送ってから店内へと戻ってきた。
それから、難しい顔で啓介に訊ねた。
「おっさん、この店も新商品を出した方がいいと思うか?」
さっそくアドバイスを受け入れようとしているな。そう察した啓介は自分なりに考えてから答える。
「そうですね、もちろん新商品はあった方がいいですが、突発の新商品だけというよりは、シーズンごとにローテーションする商品があってもいいかもしれません。
新商品があると目新しさがありますが、生駒さんが言っていたように、いつも同じものがあるという安心感も大事だと思います。
そうなると、時期が来ればあれがあるな。というシーズンごとのローテーション商品を据えて、目新しさと安定感の両方を取るのがいいかなと思います」
「なるほど……」
「もちろん、期間限定の新商品なんかもいいとは思いますが、一度にはやれませんから少しずつやりましょう」
啓介の言葉に大和は難しい顔をして考え込む。それから、難しい顔のまま啓介にこう言った。
「すこしひとりで考えたい。しばらく店番を頼む」
「はい、わかりました」
啓介の返事のあと、大和は奥へと入っていく。かすかに階段を上っていく音が聞こえるので、部屋で熟考するのだろう。
以前、閉店後に用事があって大和の部屋を訪れたことがあるのだけれど、大和の部屋の本棚にはパンの作り方の本以外にも、くたくたになったノートが何冊も並んでいた。そのノートがなんなのかを聞いたところ、東京にいた頃から書きためているパンのレシピノートなのだという。中身は見せてもらえなかったけれど、おそらく大和は、ノートの上に何度も書き込みをしながらパンのレシピを考えて、調整しているのだろう。わりと新しめのノートもあったので、その習慣は今でも続いているはずだ。これから大和は、そのノートと向かい合うのだろうなと啓介は思った。
そしてその週の休日。休みの日は家事をやっている大和が、珍しく家事を全部啓介に任せ、パン小屋に籠もってしまった。
家事を任せる理由は啓介には言っていなかったけれど、きっと新作のパンの試作をしているのだろう。そう思うと、啓介もしっかり大和を支えなくてはという気持ちになる。慣れない掃除をひとりでなんとかがんばるのだった。
さらに一ヶ月ほどした休日、啓介がベランダの掃除をしていると、ベランダの隅にどこからか落ち葉が入り込む頃になった。街路樹からはだいぶ葉が落ちている。
そろそろお昼時かと啓介がパン小屋に大和を呼びに行くと、大和は焼けたパンを目の前にして俯いていた。
「店長、どうしました?」
思わず心配になった啓介がそう訊ねると、大和が顔を上げる。マスクをしていてもげっそりとしているのがわかる顔だ。
大和が搾り出すように言う。
「おっさん、シーズンもののパンでいい案はないか?」
その問いに啓介はおどろいた。パンのことは大和の方が詳しいし、今までどんなパンを作るべきか、具体的な案を聞いてきたことはなかったからだ。
啓介はすこし考えてから答える。
「そうですね、僕が思いつく限りでは、季節の果物のジャムパンでしょうか。
季節の果物だったら手に入りやすいですし、店長ならパンに合うように味の調整もできるでしょうし」
すると、大和は威圧的にくってかかってくる。
「そういうんじゃなくて、もっとぱっとするようないいアイデアはないのか!」
これは相当焦っている。そう察した啓介はなだめるように返す。
「そうですね、正直言ってパンに関しては店長の方が詳しいです。
そもそも僕は、店長がどこまで作る技術があるのか知らないんです」
「いつも横でパンを焼いてるだろ!」
「でも店長は、絶対に失敗しない範囲のものしか作りませんよね?」
啓介の言葉が図星だったのか、大和が言葉に詰まる。うめくような声を出してから、大和はまた啓介にくってかかる。
「やれなくてもやれるようになるから、今の状況をひっくり返せるような案を出せ!」
これは相当頭に血が上っている。わかっているけれども、こうやって急に八つ当たりをされては啓介も冷静さを欠いてしまう。
「素人にそんな案が出せるわけないでしょう。
大きい博打を打つより、ちいさなチャレンジを積み重ねた方がいいです。
それともなんですか? 冬に合わせてシュトーレンを作れと言ったら、店長は作れるんですか?」
つい挑発的になってしまう啓介に言葉に、大和は睨みつけるようにして返す。
「やれって言うならやってやるよ」
売り言葉に買い言葉になっている気はするけれど、冬場にシュトーレンを出すという案自体はそこまで悪くないなと啓介は思い、すこしだけ冷静になる。とりあえず、大和を落ち着かせないとと言葉を続ける。
「それなら、商品として出す前にたくさん試作して、たくさん失敗した方がいいです。その方がいい商品ができるでしょう。
それに、まだしばらくこの店には補助が出ますから、時間はあります」
その言葉を聞いて、大和はすこしだけ落ち着いてきたようだ。無愛想だけれどもいつもの調子でこう返してくる。
「わかった。冬までに完成度を上げるから協力しろ」
これが落としどころだろうと啓介は黙って頷く。大和も頷き、また口を開く。
「で、シュトーレンができるまではどう繋ぐんだ?」
落ち着いたから今度は話を聞いてくれるかもしれない。そう判断した啓介は、先ほども言ったことをもう一度言う。
「できる範囲のちいさいことを失敗前提で積み上げた方がいいです。
ちいさいことの方が失敗をリカバリしやすいので」
啓介の言葉に大和はすこし不満そうだけれども、今度は突っぱねずに受け止めている。
「つまり、俺ができる範囲で確実に作れる新商品でしのげって事か。売上度外視で」
啓介は頷く。
「そうです。売上に関しては僕に任せてください。売上を即座に伸ばすことはできませんが、統計は取れます」
「……? どういうこと?」
統計というのがどんなものかわからない様子の大和に、啓介は簡単に説明する。
「えっと、売れ筋を分析することはできるということです」
「……おっさん、そんなことできんのか?」
「ええ、まあ」
一応大学時代の専攻だしな。と思いながら啓介は返事をする。今までも周辺の店の統計をとったりなどしてオープン時間の提案をしてきたのだけれども、それが統計だということに大和は気づいていないようだった。
大和が睨むように啓介を見る。考え事をしているときの目だ。
「わかった。おっさんが言うようにやってみる」
それから、大和が焼けたパンに目をやる。啓介もつられて目をやる。そこに並んでいるのは、ウサギの顔の形をしたパンや、カメの形をしたメロンパンだった。少なくとも、今まで店頭に並んでいたものではない。
「そういえば店長、これは?」
啓介の問いに、大和は恥ずかしそうに顔を背けながら答える。
「新作の試作で作ったパンだよ。
結局、ウサギのクリームパンとかカメのメロンパンとか、そんな小手先のしか作れなかったけど」
納得しきれていないようすの大和に、啓介はまじまじとウサギやカメを見ながら言う。
「でも店長、このパンはいい線行ってるんじゃないですか?
こういったキャラクターものは子供が好きですし」
「でも、こんな小手先のものじゃ納得できないんだよ!」
恥ずかしそうにそういう大和に、啓介は粘り強く語りかける。
「できる範囲のことを売上度外視でやるって言ったのは店長ですよね?
このパンも今度出してみましょう。さすがに大外れはしないでしょうし」
納得できていないというのは本心なのだろう。それを店に出せといわれて大和はまた啓介を睨みつけるけれど、ため息をついてこう言った。
「わかった。やってみる」
それから、パンを指さしてこう続けた。
「問題は味がいいかどうかだ。試食するからおっさんも付き合え」
その言葉に、啓介はにこりと笑って頷いた。
次の週から、ウサギのクリームパンとカメのメロンパンが店頭に並んだ。すこし工数がかかるので、土日だけ出すということにはなったけれど、売り出し初日は啓介が思っていたよりもいい売上を納めた。特に、カメのメロンパンはこの店ではじめて割引なしで売り切れたほどの人気だった。
店を閉めたあと、この日の客のデータを見ながら啓介が大和に訊ねる。
「どうです? やってみるものでしょう」
その言葉に、大和は複雑そうな顔をした。
大きな商店街の街路樹にイルミネーションが輝きはじめた頃、商店街で冬祭りをやることになった。近所のお惣菜屋さんが、お祭りの概要を書いた紙を持ってきて大和に見せている。
「こんなお祭りをやるんですけどね、去年お宅さんまだいなかったでしょう?
夏のお祭りも参加してなかったし、今度こそ参加してみたらどう?」
骨付き鶏を揚げているときのしゃきしゃきした動きとは対照的におっとりとそう言うお惣菜屋さんの言葉に、大和はじっとお祭りの概要が書かれた紙を見ている。どうやらそこには参加希望者が店名を書き込む欄もあるようだった。
難しい顔をしているし、これは参加を断るかな。と啓介が思っていると、大和はちらりと啓介を見て口を開く。
「おっさん、ボールペン持ってる?」
「え? はい」
反射的に胸ポケットからいつも持ち歩いているボールペンを大和に手渡すと、大和はさらさらと参加希望者名簿にベーカリーつきおれの名前を書いた。
それから、マスク越しでもわかるような明るい笑顔でお惣菜屋さんに概要の紙を渡す。
「よろこんで参加しますよ。夏はちょっと人手が足りなくてでれなかったんですけど、今はこいつがいますから」
親指で啓介を指す大和のようすに、啓介は思わず動揺する。あの気難しい大和が、こんなにすんなりお祭りに参加するとは思わなかったし、自分を多少なりとも頼りにしているとも思っていなかったのだ。
概要の紙を受け取ったお惣菜屋さんもにっこりと笑う。
「いやいや、若い人が参加してくれるとうれしいねぇ。お弁当の用意のしがいもあるってもんだよ」
「えっ! お弁当用意してくれるんですか?」
お惣菜屋さんの言葉に大和が前のめりになる。それも仕方ないだろう。長らく外食もしていないし、啓介が食事を用意していた新作試作の期間以外に大和以外の人が作った料理を食べる機会などなかったのだ。完全な外食とは言えなくても、他の人が作った食事となるとありがたいだろう。しかも、お惣菜屋さんのメインメニューは骨付き鶏をはじめとした揚げ物だ。まだ若い大和ががっつりとしたお弁当を期待する気持ちは啓介にも理解できた。
お惣菜屋さんが笑いながら大和に言葉を返す。
「そうですよ。参加する商店街のお店の人みんなに骨付き鶏のお弁当を配るんです。
もちろん、お弁当代はみんなから集めたお金を使って、商工会長からもらいますけどねぇ」
大和がゴクリと喉をならず。商店街を行き来しているときに骨付き鶏は何度も見ているはずだけれども、一度も食べたことがないのだ。一方の啓介は、骨付き鶏はありがたいけれど食べきれるだろうかと少々心配になり、おなかを押さえる。
「えっと、骨付き鶏楽しみにしてます。ずっと食べたかったから」
すこし恥ずかしそうにそう言う大和に、お惣菜屋さんは力こぶを作る仕草をして返す。
「任せておきなさいよ。うちの骨付き鶏はおいしいって、よその商店街でも評判なんだから」
そうしてすこしの間お惣菜屋さんと話をして、大和がお祭りの参加費を支払ったあと、お惣菜屋さんは店から出て行った。
啓介と大和以外誰もいなくなった店内で、大和はまだすこし興奮気味だ。
「店長、お祭り楽しみですか?」
なにげない啓介の質問に、大和は当然のように答える。
「あたりまえだろ。商店街の人と仲良くなるチャンスだし、なにより骨付き鶏だぞ?」
交流を図っているのは知っていたけれど、本気で商店街の人と仲良くなる気があったんだ。啓介はつい意外に思う。
しかし、普段威圧的な態度を取られているのは啓介と店のルールを守らない人くらいなので、大和のほんとうの気質は、先ほどお惣菜屋さんに見せていたような素直で人懐っこいものなのだろう。啓介に威圧的な態度を取るのは、この店の経営者としての責任感故なのかもしれない。それはそれとして、もう慣れたとはいえ威圧的な態度を取られるのは困るのだけれど。
すこし考え込んでいる啓介をよそに、大和が店内を見回してつぶやく。
「でも、お祭りの出し物どうしような。
ただパンを安売りするだけじゃつまんないし」
その言葉に、啓介は咄嗟に返す。
「パンがあたるハズレなしのくじ引きとかどうですか?」
すると大和はあからさまに渋い顔をする。
「俺はガチャは好きじゃない」
この言葉はそこまで意外ではない。堅実な大和らしいと言えるだろう。ならば、他にお祭りらしい出し物といえばなんだろうか。啓介はおぼろげな子供時代を思い出す。子供時代に経験した、神社の縁日を思い浮かべてその中をめぐる。
「お祭りといえばスーパーボールすくいやヨーヨー釣りなんかがたのしかったですね。僕の世代の話ですけど」
その一言に、大和が目を光らせる。
「なるほどそれなら、袋に詰めたパンを釣るパン釣りなんてどうだ?」
「え?」
予想外の言葉に啓介は思わず声を上げる。
「魚の形のパンを焼いて袋に詰めて、それを釣れるようにするんだよ」
意気揚々と言葉を続ける大和に、啓介は困惑しながら訊ねる。
「たしかにおもしろそうですが、どうやってパンを釣れるようにするんですか?
袋に入れるだけじゃ滑るし、かといって袋に引っかけられる穴を開けると衛生面で問題があるでしょう」
その問いに、大和は指を振って返す。
「この前店舗用品店に行ったとき、おもしろいのを見つけたんだ」
「なんですか?」
「パッケージ商品を棚に吊すタグだよ。あの透明な、穴が開いてて貼れるやつ」
そう言われても啓介はそのタグがどんなものなのか上手く想像できない。けれど、大和が使えると言っているからには衛生面では問題がないのだろう。
大和は興奮気味に話を続ける。
「釣り針は子供達が怪我をしたらいけないから、なるべく安全なやつがいいな。カラフルなモールとかをねじったやつなら刺さらないだろうし、子供達もよろこぶかな」
以前、新商品の開発で煮詰まっていたあの時からは想像もできない勢いで大和はアイデアを口にする。啓介は慌てて胸ポケットからメモを取り出して、大和が話しているアイデアをメモしていく。
「なるほど? まだちょっと僕には把握できていない部分もありますが、そこは店長がわかっているでしょう。
とりあえず試作して試しませんか?」
啓介の提案に、大和はいそいそと動きはじめる。
「そうだな。じゃあちょっと必要なもの買ってくるから店番しててくれ」
そう言い残して大和は奥に入る。それから、裏口から出ていく音が聞こえた。
ひとりになった店内で、啓介はぼんやりと考える。アイデアが思いつかないと荒れている大和と、思いついたアイデアを試そうとすぐに行動に移す大和、どちらがほんとうの姿なのだろう。
そこまで考えてはっとする。アイデアが思いつかないと荒れていたのは、出したアイデアすべてを試した上で納得できなくて荒れていたのではないか。それくらいに店の売り上げを左右する新商品の開発は大和にとって重要で、重荷だったのだ。そのことに思い至らなかった自分は、うまく大和をサポートできているのだろうかと、啓介はすこし不安になった。
商品を吊すタグの謎も解け、お祭りで出すパン釣りの準備も整ってきた頃、閉店後に大和の部屋で価格の話になった。
「うーん、一回いくらくらいにするのがいいのかな」
難しい顔をした大和のつぶやきに啓介は返す。
「子供のお小遣いでもやれるくらいの値段にはしたいですよね。でも、あまり安くすると利益が減るし……」
その言葉に、大和はしれっと返す。
「お祭りの時は利益を考えない。商店街の人やお客さんと仲良くなるのが目的だからな」
「なるほど……」
利益を考えないにしても、あまり安すぎると他の店との釣り合いが取れなくなって問題だ。そのことを考え、ついでに頭の中で原価計算もして啓介はこう提案する。
「それなら一回三百円くらいにしておいて、連続で釣れても三個まで、釣れなくても一個プレゼントというのでどうでしょう?
この店のパンは三百円前後のものが多いですし、それなら釣れなくても損をした気にはならないかなと」
「なるほど」
「それになにより、それなら原価割れはしません」
大和が納得したあとに付け足された啓介の言葉に、大和は訝しげな目を向ける。
「なんでそんなことわかんの?」
「計算したからですよ」
きょとんとした声で返事をする啓介に、大和はまだ訝しげだ。
「いつの間に計算したんだよ」
「え? 今、頭の中で」
さらりと返した啓介の言葉に、大和はおどろいたような顔をする。
「頭の中だけでそんな計算できんの?」
「まあ……はい」
信じられないといったようすの大和だけれども、啓介のメモを見ながら話題を戻す。
「まあ、原価割れしないってんならその方がいい。その値段でいこう」
「はい、わかりました」
話がまとまったところで、啓介は立ち上がる。
「それじゃあ、僕は商工会の方の事務をやらないといけないので部屋に戻りますね」
その言葉に、大和はすこし不満そうだ。
「なんで新参者のおっさんがそんなこと任されてんの?」
数ヶ月とはいえこの商店街にいる期間が長い大和よりも、啓介の方が商工会に頼りにされていることに疑問があるようだ。啓介は曖昧に笑う。
「いやぁ……パソコンが使えるってお惣菜屋さんで話したら、そのままお祭りにかかる経費の管理やってくれっていろいろな人から言われるようになっちゃって……」
「まあ、俺も含めてパソコン使える人少ないからな」
この商店街では、店の経理を手書きでやっているところも少なくない。商工会のさまざまな経理も、今までは紙ベースでやっていたらしい。そこへパソコンを使える啓介がやってきたものだから、手書きで根を上げそうになっていた商工会の経理担当経験者が啓介を頼ってきたのだ。
けれども。
「でも、商工会長は僕が経費の管理をやるのに反対してたんですよね」
「そらそうよ。新参者なんだから」
大和の言い分ももっともだ。けれども結局、他の商店街の人の後押しもあって啓介が経費の管理をすることになったわけなのだ。
ほんとうは商工会長がやってくれればいいのだろうけれども、あの人は他の仕事で忙しいはずだ。特に、商店街をまとめてやるお祭りともなればなおさらだ。
そのことをしっかりと心に刻んで、ミスがないように努めないとと啓介は気を引き締めた。
すっかり冷え込み、昼間の日差しが恋しくなるクリスマス近くの頃、商店街でお祭りが行われた。
この日の朝、大和は大張り切りで魚やカメのパンを焼き、パン釣りの準備をしていた。
以前、小手先の技術で作ったパンでは満足できないと言っていたはずなのだが。と啓介は思う。パンを丁寧に袋詰めしながら、啓介が大和に訊ねる。
「こう言う小手先のパンで売るのは不本意だと前に言ってませんでしたか?」
すると、大和が気まずそうに視線を外してこう返す。
「まあ、ほんとうはもっと凝ったパンで勝負したいけどさ、こういうの案外子供達がよろこぶだろ。
俺だってまさか、カメのメロンパンがチョココロネの売り上げ越えると思ってなかったんだぜ?」
「そうですね」
ベーカリーつきおれの看板メニューは、今でも一応チョココロネということになっているけれど、幼稚園や小学校低学年くらいの子供達から絶大な支持を誇っているのがカメのメロンパンだ。作っている大和本人はできる範囲で作った小手先のパンだと思っているようだったけれども、カメのメロンパンは冷めて時間が経ってもクッキー生地のサクサク感やパン生地のふわふわ感が残る、普通のメロンパンとしても十分においしいものだ。決して手を抜いて作っているわけではないし、本気で向き合っているというのが啓介にはわかる。そして、本気で向き合っているということに大和自身が気づいていないのだろうなということにも気づいていた。
今袋詰めしている魚型のパンも、事前に啓介と大和で試食している。大和自身はありきたりなパンだと思ったようだけれども、魚型のパンもすこし粘り気があって硬めの生地の中に包まれているクルミ入りチョコレートクリームがいい塩梅だ。生地とチョコレートクリームの組み合わせは絶妙と言っても差し支えない。
「この魚のパンは、お祭りの時にしか出さないんですか?」
啓介のさりげない質問に大和は当然といった風に返す。
「そりゃそうだろ。パン釣り用のパンなんだから」
普段から店頭に並べても良さそうだなとは思ったけれども、お祭りの時にだけ出すパンも季節ものととらえれば、特別感があって悪い戦略ではないだろう。大和にその意図があるのかどうかはわからないけれども。
パン釣り用のパンを袋詰めして、穴の開いたタグを全部に付ける。あとは店の前に商工会から机を借りてきて設置をするのと、パンを広げるブルーシートを敷けばお祭りの準備はおおむね完了だ。
外で会計をするのに持ち運びできる金庫を買ったのは少々痛い出費だったけれども、どうせこれから先、この商店街にいる限り何年も使うものだ。高い買い物ではないだろう。
そしてお祭りがはじまって、遊びに来た子供達がぽつりぽつりとパン釣りにチャレンジする。上手い子はほんとうに三個続けて釣り上げてしまうけれど、小さな子や不器用な子は一個も釣り上げられない。この傾向も啓介には織り込み済みだった。とはいえ、釣れなかった子もブルーシートの上にある中から好きなパンを一個持っていっていいとなれば上機嫌だ。当然のことと言わんばかりにカメのメロンパンが人気でどんどんブルーシートの上から消えていく。
パン釣りの子供達が途切れた隙に大和が啓介に訊ねる。
「なんでこんなにカメが人気なんだろうな」
「なんかこう、小さい子ってカメが好きな傾向ありますよね……
僕も小さい頃カメが好きでした」
「俺もなんか心当たりあるわ」
売れているのはうれしいけれど謎が残る。啓介と大和がふわふわした気持ちでそんな話をしていると、陽気な声がふたりに話しかけた。
「よう香川君、店長さん。首尾はどうだい?」
「あ、生駒さん」
啓介が名を呼んで声の方を向くと、もこもことダウンジャケットを着た生駒が立っていた。
「今日お休みなんですね。奥さんとお子さんはどうしてます?」
啓介の問いに生駒は苦笑いをして返す。
「いま、大きい商店街の方のデパートを見てるよ。
娘ふたりも背伸びしたい年頃だからね、妻と一緒にデパートを見る方がたのしいみたいだ」
「生駒さんも一緒にデパートに行けば良かったのに」
啓介の素朴な言葉に、生駒はひらひらと手を振る。
「いやいや、俺はあんな高級デパートなじめなくてね。
それに、娘からパンを買っておいてって言われてるんだ」
「うん……」
高級デパートになじめないのはなんとなくわかるなと啓介が納得していると、大和が困ったように生駒に言う。
「でもどうしましょうね。今日はチョココロネ焼いてないんですよ」
「そうなのかい?」
「はい、お祭りなんで、お祭り用のパンしか焼いてないんです」
そう言った大和がブルーシートの上のパンを指さすと、生駒は不思議そうな顔をしてから、会計用のテーブルに出されている、パン釣りと書かれた札を見て目をきらりと光らせる。
「なるほど。それならたまにはチョココロネ以外のパンもいいだろ。
パン釣り、挑戦させてもらおうじゃないか」
「はい。ありがとうございます。これが釣り竿です」
生駒から三百円を受け取った大和は、割り箸の先に垂らしたたこ糸にモールの針がついている釣り竿を渡す。釣り竿を受け取った生駒は真剣な表情でパンを狙っている。
「店長さん、この魚のパンに具は入ってるのかい?」
生駒の問いに、大和ははっとして返す。
「そうですね、その魚のパンにはクルミを混ぜたチョコレートクリームが入ってます」
大和の言葉を聞いた生駒は、指をパチンと鳴らして魚型のパンを狙い出す。
「いいね。じゃあこいつを狙わせてもらうよっと」
そしてさっそく魚型のパンを一個、二個、三個と釣り上げてしまう。
すかさず啓介が生駒に言う。
「一回で三個までなんですけど、それだと足りませんよね?」
目元で笑う啓介の言葉に、生駒は財布を取り出す。
「そうだな。じゃあもう一回やるわ」
また大和に三百円渡して、生駒はパン釣りに興じる。魚型のパンを一個釣り、あとの二つは気まぐれなのだろうか、カメのメロンパンを狙っていた。
しかし、カメのメロンパンはブルーシートの外からだと狙いにくい位置にあるようで、生駒はブルーシートに手をついて悪戦苦闘している。
「うーん、急に難しくなったな」
ちらりと啓介を見てそう言う生駒に、啓介はにこりと笑って返す。
「手助けはしませんよ。
子供だったらともかく、生駒さんは大人ですからね」
「ははは、こいつは手厳しいや」
額を叩いてから、生駒はまたパン釣りに集中する。すると、夢中になっている生駒の姿が目に入ったのか商店街を行き交っていた子供達が集まってきた。
「ぼくもやりたい」
「わたしも」
小学校中学年くらいの子供達が、お小遣いから払ったり、一緒にいる母親や父親にねだったりしてどんどんパン釣りに参加していく。
気づけば生駒がいなくなり、ブルーシートの周りがぎゅうぎゅう詰めになったところで多少の列ができて、啓介と大和だけではそろそろ手が回らなくなってきた。
慣れない列整理をしながら啓介がどうしたものかと思っていると、最近ベーカリーつきおれによく来てくれる常連の女性が通りがかった。
「こんにちは。なんかたいへんそうですけど、お手伝いしましょうか?」
突然のその申し出に啓介はちらりと大和の方を見る。すると大和は、背に腹は代えられないといったようすで頷く。
「ありがとうございます。この混雑が収まるまで、ちょっとだけ手伝ってくれると助かります」
「任せてください。列整理は慣れてますよ」
なぜ列整理に慣れているのかはわからなかったけれども、ここは常連の女性に任せることにして、啓介は大和の側に戻りパンが釣れなかった子供にパンを渡す役割をやる。
ほんとうにわずかな時間だったけれども、ここまで盛況になったのははじめてで、人がはけてから大和が呆然としていた。
一段落したところで、大和が常連の女性に声をかける。
「ありがとうございます。助かりました。
なにかお礼をしたいんですけれど、何がいいでしょう。
手伝ってもらったのに無償で帰すわけにもいかないんで」
すると女性はくすくすと笑ってブルーシートを指さす。
「それなら、今日のおすすめを一個ください」
大和は照れたように笑って、魚型のパンを一個女性に手渡した。パンを受け取った女性も片足でリズムを刻んでうれしそうにしている。
そこへ、お惣菜屋さんがやってきた。
「おや店長さん、お取り込み中かい? お弁当持ってきたよ」
咄嗟に大和の視線がお惣菜屋さんの方に行く。お惣菜屋さんの手には、パックのお弁当箱がふたつ入った袋が握られていた。
「もしかして、骨付き鶏ですか?」
期待の籠もった大和の言葉にお惣菜屋さんは頷く。そのようすを見ていた常連の女性がくすくすと笑う。
「骨付き鶏のお弁当なんですか? おばさんの骨付き鶏おいしいからなぁ。私も食べたくなってきちゃった」
すると、お惣菜屋さんもにこにこと笑う。
「琴子ちゃんも骨付き鶏食べるかい?
私はちょっとお弁当配らなきゃいけないからすこし店を空けてるけど、あとで来てくれたらできたてを揚げるよ」
「ほんとですか! じゃあ後で行きますね」
そのやりとりのさなかで大和が受け取ったお弁当を啓介が見ると、パックから鳥の骨がはみ出している。かなり大きい骨付き鶏のようだ。
大和が食い入るようにお弁当を見ている。明らかに早く食べたいといったそのようすに、啓介はとりあえずお惣菜屋さんと常連の女性に声をかける。
「それじゃあ、僕たちもおなかが空いてるんでお昼休憩をいただきますね。
ありがとうございます」
お惣菜屋さんと常連の女性は軽く頭を下げて去って行く。それから、大和に向き直って言う。
「店長、お弁当食べましょうか。骨付き鶏が楽しみだったんでしょう?」
啓介の言葉に、大和は黙って机の前に立ち、お弁当を取り出す。
「おお……でけぇ……
いただきます!」
思わず感嘆の声を上げる大和を見ながら、啓介は微笑ましく思ったのだった。
日が暮れて慌ただしいお祭りも無事に終わり、啓介と大和は自室に戻ってそれぞれに事務をしていた。大和はお祭りで稼いだベーカリーつきおれの売上の確認を、啓介は今回のお祭りでかかった商工会の経費の確認だ。
パソコンで経費を確認していく限りでは特に問題はなさそうだった。収支も合っているし、念のために電卓で計算しても間違いはない。
けれども、支出の欄をみて違和感を覚えた。なんとなく金額がおかしい気がするのだ。
この項目にほんとうにこれだけのお金がかかったのか、商工会長に訊いて良いものか。啓介はすこし悩んで、とりあえず今のところはこのままでいいかと置いておくことにした。




