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夕凪のパン屋  作者: 藤和
4/7

3:データは読めても

 月給手取り十二万。その金額で経理や税金関係などの事務処理までやるのは少々割に合わない気はするけれども、住み込みなので家賃は無料。なんなら毎日の食事は廃棄のパン以外にも大和がおかずを用意してくれるし、衛生にうるさい大和が自室以外の掃除も洗濯もやってくれるので、そこまでやってもらえるのなら、厄介な事務処理もこの給与でやっても良いかと啓介は思っている。

 しかしそれはそれとして、啓介は頭を悩ませていた。毎月どんどん赤字が累積していくのだ。

 啓介は大和から預かっているパソコンとにらめっこをして来客データを見る。大和はわざわざ客のデータを取っている啓介を不審そうに見ていたけれども、来客数を増やすためにはデータ分析は必要不可欠だ。

 データを見る限り、割合が多いのは若い女性客、それと子供だ。子供連れの母親が多いのだ。それに比べて成人男性の割合は低い。

 この店は商店街にあるから、お昼や夕方などは通りに買い物客はたくさんいるはずだ。けれども、その買い物客はほとんどがこの店に入らない。その理由を啓介はいまだつかみかねていた。

 悩みながら時計を見ると、そろそろ寝る時間だ。明日も朝が早い。啓介はパソコンの電源を落として布団に入った。


 翌朝、窓の外に夜明けの茜色がみえるパン小屋で、大和が手際よくパンを焼いている。

 ここでの啓介の仕事は、パンの袋詰めだ。はじめは手袋をした手で袋詰めをするのが難しかったけれども、今では慣れたものだ。

 啓介が黙々とパンを袋詰めしていると、あらかたパンを焼き終わった大和も黙って袋詰めをはじめる。パン屋を開ける前の静かだけれど緊迫した時間だ。

 袋詰めが終わったら、パンを店頭に並べていく。パンにはもう定位置が決まっていて、大和はもちろん啓介ももう並べるのは慣れたものだ。

 パンを並べて、値札も添えたところで朝の作業は終わり。これから開店時間までひとやすみするのがいつものルーティーンだ。

 ふたりとも店頭から奥に入り、エプロンと手袋を外す。

「じゃあ、俺はちょっと寝るからおっさんは適当になんかやってて」

 眠そうには見えない冴えた目でそう言う大和に、啓介はエプロンを渡しながら返す。

「それじゃあ僕は、ちょっと散歩に行ってきます」

「散歩? 開店までには帰ってこいよ」

「了解です」

 簡単なやりとりをしたあと、さっさと階段を上っていく大和を見送ってから、啓介はパン小屋の近くの冷蔵庫に入った廃棄のパンを二個ほど手に取って店を出た。どこか人気がなくて開放的なところで、ゆっくり食べようと思ったのだ。

 明るくなった商店街を歩く。ちょうど通勤時間らしく、たくさんの人が通りを行き交っている。それを見た啓介は、通勤でこれだけ人がいるなら、帰宅の時間にも人はそれなりにいるはずなのになと思う。

 そこでふと、啓介は商店街から離れたところにある他の店を見てあることに気がついた。


 それから二週間ほど。啓介は朝のパン焼きのあと、毎日散歩を続けた。これも大和には不審がられたけれど、最近運動不足だからと言い訳をしてある。

 散歩をするのは商店街を中心に、商店街から徒歩一時間圏内の場所だ。商店街以外にはほとんど飲食店らしきものはないけれども、たまに住宅街の中にひっそりとテイクアウトもできる店がある。

 メモ帳とペンを持って、啓介はそういった店を回っていく。

 メモ帳は、書き込みで真っ黒になっていった。


「店長、オープン時間を早くしましょう」

 虫の声が聞こえるある日の閉店後、啓介は大和にそう言った。当然、大和は怪訝そうな顔をする。

「なんでオープンを早くすんだ?」

 睨みつけるようにそう訊いてくる大和に、啓介はメモを見ながら店名と開店時間を読み上げていく。その開店時間は、ベーカリーつきおれよりもずっと早いところばかりだ。

「……それで?」

 いきなり他店の開店時間を聞かされた理由がわからないのだろう、大和はますます疑わしげに啓介を見る。啓介はメモを見ながら話を続ける。

「いま挙げましたように、他店は当店よりもオープン時間が早く、通勤の人などにリーチしています。そしておそらく、通勤の人や近隣のお客さんは『この店のオープン前に』昼食用の食事を他店で購入しているのでしょう。

 つまり、この店が開く前に、ターゲット層のほとんどの人が食事に関する用事を済ませてしまっているんです」

 それを聞いて、大和は珍しく目をまるくする。

「おっさん、そんなのどこで聞いたんだよ」

「歩いて調べたんですよ……」

 歩いて調べた。という啓介の言葉に、散歩に出ていたのは調査のためだと気づいたのか大和はばつが悪そうにしながらこう言う。

「わかった。それなら試しにしばらくの間オープンを早くしてみる。

 おっさんの見立てでは何時くらいに開けるのがいい?」

「そうですね。パンが焼き上がるのが朝七時少し前ですから、七時半くらいが早くできるギリギリのラインでしょう。

 理想としては七時くらいから開けたいですが、無いものは売れませんから」

 その言葉に、大和はため息をつく。

「今より四時間近く早く開けるのか。

 まあ、やれないことはないだろ。やってみる」

 啓介が見る限り、大和は開店時間を早くすることにはあまり乗り気でないようだ。しかし、少しでも集客につながるなにかに縋りたいのだろう。啓介の案に文句は言わなかった。


 そして翌日から、ベーカリーつきおれは大幅に開店時間を早くした。

 はじめは通勤の人達が素通りするだけだったけれども、珍しくドアにオープンの札がかかっているのをめざとく見つけた客が、ドアを開けて中をのぞき込む。

 すかさず大和が笑顔を浮かべて声をかける。

「いらっしゃいませ」

 その声に、客は曖昧な笑顔を浮かべてドアを閉める。そのようすを見た大和が、こそりと啓介に言う。

「おっさん、オープンを早くしても売れないんだけど」

 啓介は当然といった風に返す。

「当たり前です。まだこの近辺でこの店がこの時間にオープンしているということが知れ渡ってないんですから。

 でも、今覗いていったお客さんがいたでしょう?

 まずは覗いていくお客さんを増やすところからです。焦ってはいけません」

 啓介の言葉に、大和は不満そうな顔をしながらもこう言う。

「わかったよ。とりあえずしばらくようすを見てみる」

 そうしてふたりが黙り込んで、時々窓越しに覗いていく人を眺めて一時間ほど経った頃、ひとりの女性客が店内に入ってきた。

「いらっしゃいませ」

 爽やかな笑顔を浮かべた大和がそう声をかけると、女性客はうれしそうに笑ってこう言った。

「オープン早くなったんですね! いつも気になってたんだけど、いつも閉まってたから」

 その言葉に、大和の笑みがぎこちなくなる。ほんとうにオープン時間が遅かったのだということを実感したのだろう。

 そんな大和を尻目に、女性客はトングでトレーにパンを乗せていく。この店の売れ筋である甘いパンではなく、明らかに食事向けの惣菜パンだ。

 女性がレジカウンターに来ると、大和が手慣れたようすで会計をする。その横で、啓介がパンとお手拭きを紙袋に入れる。

「ありがとうございました」

 にっこりと笑った大和が紙袋を女性に手渡すと、女性はうれしそうに店を出て行く。

 それを見送った大和が感心したように啓介を見る。

「おっさんが言ったとおりだ……」

 その言葉に啓介はにこりと笑って頷くけれども、引っかかるものが心の中にあった。

 まだなにか、決め手が足りない。


 それからというもの、大和は啓介と相談して店の運営を考えるようになった。啓介がオープン時間を早くするよう言うまでは大和のワンマン経営だったので、進歩と言えるだろう。

 その中で、啓介は足と店のタブレットを使ってデータを集め続けた。周辺の店舗情報や客の流れは足を使って、店に来る客層はタブレットを使って。そのデータを元にいろいろ模索した。

 大和の方も、それなりにいろいろと考えていた。商店街の商工会に顔を出して交流を深めたり、商店街のイベントごとの情報を集めるのは大和の方がうまかった。

 ふたりでいろいろ模索した結果、試した方法はいろいろある。

 パンを焼いている時間から店をオープンして、前日の余りのパンを割引で販売する。これは商工会で、朝早く散歩をする人が多いという情報を得た大和の提案だ。それに加えて、店の前に一本金属のポールを設置した。これは朝の散歩の時間、犬を連れている人が多いことに気づいた啓介の案だ。ポールがあれば犬を繋いでおけるので、飼い主が朝食用にパンを買っていきやすくなるだろうと考えたのだ。そして、この方法はそれなりの成果を上げた。

 そうして、朝の散歩のついでによる客がぼちぼちついてきた頃、早朝の通勤通学客にもこの店が開いていることが少しずつ知られてきた。だからだろうか、早朝オープン中にパンを仕込む大和は今まで以上に気合いが入っているようだった。

 外は冷え込んでいるであろう夜明け前、パン小屋の中はオーブンの熱気で汗ばむくらいだ。そんななか、パンを焼く大和の傍らで啓介は冷ましたパンを次々と袋詰めしていっていた。

 ふと耳を澄ませると、店の入り口が開く音がする。

「店長、お客さんみたいです」

「出てくれ」

 短いやりとりをしてから、啓介はパン小屋から出て店へ続くドアの前でビニール手袋とビニールキャップを外し、エプロンを取り替え、制服のキャップを被る。念のためにマスクも換えて準備万端だ。

「いらっしゃいませ」

 そう声をかけながら店内に入ると、店内では背丈の半分ほどもある大きなバッグを背負った男子高校生が数人、わいわいと話しながらパンを見ていた。

 店内にある商品は、中央にあるテーブルに載せた籠に盛っている割引パンだけ。まだ壁沿いにある棚にはパンを陳列していない。けれども高校生達はこのパン屋が物珍しいのか店内をぐるぐると見て回っている。もちろん、背負っているバッグが什器にぶつかっていることには気づいていない。

 そのようすを見て取った啓介は高校生達に言う。

「お客様、よろしければお荷物をお預かりしましょうか?」

 このままバッグで什器を壊されたらたまったものではない。そう思って声かけしたのだけれども、高校生達は手を振ってこう答える。

「いえ大丈夫です。いつも背負ってるんで気にしないでください」

 どうやらただ単に啓介が気を遣っただけだと思ったようだ。啓介としては気にしないでと言われても気にせざるを得ないのだが、どうやって高校生達にそれを伝えるかで悩んでしまう。そうしているうちに高校生のうちのひとりが、バッグをパンが入っている籠に引っかけてひっくり返してしまった。

「あ、すいません」

 悪びれずにそう言ってから高校生達は床に落ちたパンをそれぞれいくつか手に取って会計へと持ってくる。啓介はちらちらと落ちたパンを気にしながら会計をし、いつも通りにパンとお手拭きを紙袋に入れて高校生達に渡す。すると、高校生達は落ちたパンを避けながら店から出て行った。

 思わずため息をつく。あの高校生達が悪い子ではないと啓介は思いたいのだが、店のものを落としておいてそのまま出て行くという神経はいかがなものか。そんなことを考えながら、床に落ちた籠をテーブルの上に置いて、落ちたパンを元に戻していく。

 パンがこんな扱いをされたと知ったら、きっと大和は黙っていないだろう。啓介はまたため息をつく。けれども、事の顛末を黙っておくわけにもいかない。気が進まないながらにも啓介は奥に入り、エプロンを付け替えビニールキャップをかぶり、手を消毒してからビニール手袋を付ける。それから、大和がいるパン小屋へと戻る。そこでは、パンをあらかた焼き上げた大和が、啓介に代わりパンの袋詰めをしていた。

 啓介がおずおずと声をかける。

「店長、先ほどのお客様なのですが」

 すると、大和はじろりと啓介を見て返す。

「なにか問題があったのか?」

 大和の威圧的な態度はもう慣れたつもりだけれども、やはり目の当たりにすると心臓に悪い。そう思いながら事の顛末を説明する。

「実はあの学生さん達、大きな荷物を持ってらっしゃいまして、その荷物をパンの籠に引っかけてひっくり返してしまったんですよ。

 一応お買い上げ頂いてはいるんですけれど……」

 すると、大和が店の方を指さす。

「今すぐ店じまいしてこい」

「え? 早朝営業の時間はまだありますけど」

 どういうことだかの見込めない啓介に、大和が苛立たしげに答える。

「床に落ちたパンは廃棄だ。衛生上問題がある」

 袋に入っているのだからそこまで気にしなくてもいいのではないか。啓介はそう思うのだけれども、大和は食品衛生に関してかなり厳しい。袋入りとはいえ床に落ちたパンを販売するというのは許しがたいのだろう。

 せっかく着けたビニールキャップとビニール手袋を外しエプロンを取り替え、啓介は店に出てクローズの札を入り口にかける。それから、店内の掃除をはじめた。

 そうしていると、パンの袋詰めが終わったのか大和が出てきた。

「あのな、大きい荷物は危ないからちゃんと預かれ」

 責めるような口調で大和に言われ、啓介は思わずしどろもどろになる。

「一応、預かるかどうかは聞いたのですが気にしなくていいと言われてしまって……」

 啓介が言い訳のようにそう言っていると、大和が啓介を睨みつける。

「荷物が什器にぶつかる危険があるって言ったか?」

「……言ってません」

「そりゃ荷物がぶつかって危ないって言う理由を言わなきゃ気を遣ってるだけって思われて向こうも遠慮するだろ。

 こっちの都合をちゃんと伝えろ」

 啓介は思わず俯く。大和は言葉を続ける。

「言わないでわかるやつばかりじゃないから言わなきゃわかんないだろ。

 でも、言ってもわかんないようなバカはそこまで多くない」

 まくし立てるようにそう言ってから、一呼吸置いて大和はまた啓介を睨む。

「それとも、お客さん相手にビビってんのか?」

「えっと、機嫌を損ねてリピートしてくれなくなったらと思うと……」

「そのくらいで早々機嫌は損ねない。むしろ、それくらいでへそを曲げるようなやつは客じゃない」

 大和の言い分に、啓介はなにも言わずに俯く。ぐうの音も出ないのだ。

 たしかに大和の言うとおり、店のルールに従えない人が客として居着いてしまっては困る。啓介より年下だからとつい面倒を見る気分になりがちだけれども、大和は大和なりにしっかりした経営感覚を持っていると改めて思い知らされた。

 ふと、大和が割り引きパンの入った籠を抱えてこう言った。

「それじゃあ、このパンは廃棄ってことで全部俺が食べるから」

 その言葉に、啓介は思わずきょとんとする。

「え? 廃棄なら僕も食べますよ」

 すると、大和が呆れたようにため息をつく。

「なに言ってんだおっさん。いくら袋に入ってても床に落ちたパンを他人に食べさせられるかよ」

 その一言で啓介の背中にしびれが走る。先ほどの高校生達に、落ちたパンを売ったことを思い出したのだ。

「あの、店長、実は、先ほどのお客様が落ちたパンをお買い上げになっていっていて……」

 絞り出すようにそう言うと、大和が声を上げる。

「はぁ? 売ったのか? 落ちたパンを?」

「は、はい……」

 いかにも苛立たしげな大和のようすに啓介が縮こまっていると、大和は自分のこめかみをぐりぐりと押して一息ついてから口を開いた。

「まあ、それは俺がおっさんに言ってなかったから仕方ない。

 でも、今後は床に落ちたパンを売るなんてこと絶対にするなよ」

「は、はい。わかりました」

 怒りの滲む大和の言葉に啓介の身が竦む。廃棄のパンを持って奥へと入っていく大和を見送ってから、啓介は店の掃除の続きをやる。棚のほこりを払い、丁寧に拭いてから床のモップ掛けをする。そうしながら、まだまだ大和に面倒を見られるほど店員として未熟なのだと痛感した。

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