10:八咫烏からの便り
今年も夏が来た。朝からパン小屋でパンを焼きながら、前日の残りのパンを売る。相変わらずのスタイルだ。
時々割引のパンを買っていく散歩客の相手をしているうちに、すっかり日が昇った。店頭に焼きたてのパンを出さなくてはいけない。
朝六時頃からいったん店を閉め、朝七時半のオープンにむけて陳列をする。そして改めて開店すると、早速客が来た。常連客ではないはじめて見る顔の男女ふたり組。ふたりとも大きなリュックを背負っていて、どうやら観光客のようだった。
「駅にポスターあって助かったよね」
そう言いながら、女性の方がトングとトレーを持つ。男性もトングとトレーを手に取って、トングをカチカチと鳴らす。
「ほんと助かった。店長から話は聞いてたけど、地図まではもらってなかったからなぁ」
どこの店の店長から話を聞いたのだろう。啓介が荷物を預かり疑問に思いながらふたり組を見ていると、ふたりはおのおの好きなパンをトレーに乗せていく。女性の方はカレーパンやウィンナーサンドなど、思いのほかがっつりしたものを、男性の方はうどんに合わせるパンを含めた、野菜多めのパンを選んでいる。
「お会計お願いします」
ふたり組がレジカウンターに来たので、大和がタブレットを操作し、啓介が袋詰めをしていく。その中で、大和がふたり組に訊ねた。
「ところで、どこかで当店の話を聞いたんですか?」
その問いに、男性の方が答える。
「東京に八咫烏文庫ってあるでしょ。そこのカフェで出してるパンをこのお店から買ってるって、八咫烏文庫の店長に聞いてたんですよ」
続けて女性も口を開く。
「いつもおいしいパンだから、香川に行くことがあったらお店に行きたいねって話してたんです」
啓介がちらりと大和の顔を見る。ほとんどマスクで隠れているけれど、みるみるうちに赤くなっていくのがわかった。
「あ、あざっす」
八咫烏文庫といえば、啓介がベーカリーつきおれに来たときにはすでに……というより唯一取引のあったお得意様だ。その八咫烏文庫経由でやってきた客を目の前にして、大和はどんな気持ちなのだろう。そんなことを考えながら、啓介はふたり組に訊ねる。
「ところで、今回四国に来たのは観光ですか?」
地元の人はなにもないと言いがちな土地だけれども、啓介はこのところこの土地の良さがわかってきていた。県外の人からしたら見所とも言える場所もあるし、うどんや骨付き鶏をはじめとしたおいしいものもある。だから、東京から観光に来るだけの魅力があるという確信を持っていた。
啓介の問いに、男性はなぜか顔を赤くする。まごまごしている男性の代わりに女性がうれしそうに答える。
「今日、駅の近くでアマチュアの人が本を売るイベントがあるんです。それに参加しに来たんですよ」
いかにも楽しみといったようすの女性の言葉に、啓介は目をまるくする。たしかにこのあたりの古本屋や美術館でそういった催し物があるというポスターを見てはいた。でもまさか、その催し物のために東京から人が来るとは思っていなかったのだ。
ついきょとんとする啓介に、顔を赤くしたままの男性が口を開く。
「でも、そのイベント以外にも良いところがあるって聞いてるから、見て回りたいなって」
「そうなんですね。それですと……」
近隣の見所を思い出しながら、どこをおすすめするかを考えている啓介の横から、大和がたどたどしく言う。
「あの、それなら、日が沈む頃に海に行ってください。東京では見られないものが見られると思うんで」
たしかに、夕暮れ時の海はきれいだろう。本州に向かって日が沈んでいくようすも、東京では見られないものだ。
啓介が納得していると、女性が目をきらりと光らせる。
「いいですね。ライバルと夕焼けの海を見るなんていかにもなシチュエーションじゃないですか」
このふたりはライバル同士なのか……? そういう関係性だとは思っていなかった啓介が呆気にとられていると、男性は女性から顔を背けてそわそわしたようすだ。どことなく大和に似たその態度に、啓介はつい微笑ましくなり、ちらりと大和を見る。
女性がパンの入った袋をしっかりと持って男性に声をかける。
「それじゃあ、朝イチでとりあえず高松城行こっか」
「お、おう」
「それじゃあ、このへんで失礼します。夕方頃、海に行ってみますね」
そう言った女性は荷物を受け取り、男性の腕を引いて店を出て行く。啓介はそんなふたり組を見送った。
八咫烏文庫とは大和がここに店を構えてからずっとやりとりをしている。それを啓介はずっと見てきた。はじめの頃から応援していてくれる顧客もずっと大切にしているから、あのふたりははるばる東京から来た折りに寄ってくれたのだろうなと、啓介はまだ顔を赤くしている大和を見た。
「八咫烏文庫って、どんなところなんですか?」
以前から名前は聞いているけれど、どんなところかは訊いたことがなかった。それを思い出した啓介がそう訊ねると、大和はぽつりぽつりと、いかにも大切そうに語る。
「カフェを併設してる本屋さん。俺が東京でパンを焼いてた頃に、店長さんに俺のパンを分けたんだよ。そうしたら、俺のパンを店に置きたいって言ってくれて、それで、ずっとパンを置いてもらってる。
東京にいた頃は販売に必要な資格を持ってなかったからタダでおいてもらってたけど、こっちに来てパン屋になってからは毎週買ってくれてる」
この思い出は宝物だといわんばかりの大和の言葉を、啓介は丁寧に受け取る。大和が東京でどんな生活をしていたかは知らないけれど、こんなに思い出を大切にするほど大和の支えになっていた場所であり、支えてくれている人がいる場所だというのはすぐに察しがついた。
「きっと、すてきな本屋さんなんですよね」
やさしく啓介がそう言うと、大和はすこしだけ気まずそうにする。
「うん。いいところなんだけど、俺、あのお店に置いてる本って買ったことも読んだこともないんだ。だから、ほんとうに店長にあんな良くしてもらっていいのかなって思って……」
歯切れの悪い大和の言葉に、啓介がなるべくやさしく訊ねる。
「心残りですか?」
大和は黙って頷く。そんな大和に啓介はすこし考えて、こう提案する。
「それなら、そのうち八咫烏文庫に行ってみてもいいかもしれませんね。
八咫烏文庫から来てくださったお客様もいますし、こちらから行ってみてもいいんじゃないでしょうか」
「でも、東京に行くお金なんて……」
目を揺らめかせて戸惑う大和。ほんとうは行きたいのに行けない現実を噛みしめているのだろう。でも、この希望を叶える方法を啓介は知っている。
「じゃあ、黒字になるようにがんばりましょう。お店を黒字にして貯金して、八咫烏文庫に遊びに行きましょう」
その言葉に、大和は黙って頷く。
「わかった。絶対にまた八咫烏文庫に行く。そのためにおっさんも協力してくれ」
啓介は黙って頷く。大和はカウンターの内側に貼っている八咫烏文庫のショップカードを、震える手でしっかりとつかんでいた。




