③
事情聴取は、一人ずつ、順番に行われていた。
最初に呼ばれたのは、ねむだった。
俺はというと、その場に取り残されたまま。
立ちっぱなしの足がじんわりと重い。
ただ待つだけ──それが、こんなにも落ち着かないことだったとは。
時間が余計に流れている気がした。
数歩だけ歩いては止まり、視線だけで周囲をさまよう。
そのとき、不意に視線がぶつかった。
さっき泣いていた、茶髪の女子生徒。
反射的に目を逸らしてしまう。
やましいことなんて、何もない。けれど、目を見続ける勇気はなかった。
足音が、こちらへ向かってくる。
気配からして──完全に俺だ。狙い撃ちされたような気分。
「あなたたち、詩織の友達? ……見ない顔だけど」
声は少し硬い。けれど、敵意ではなかった。
警戒と戸惑いが、混じったような響き。
「えっと……俺は光ヶ丘高校の生徒で。
詩織と直接の知り合いじゃなくて……。
一緒にいた子が彼女の友達で、今日はその付き添いで」
初対面の会話は、昔から苦手だ。
特に、こういう空気の中だと尚更。
顔を上げると、彼女はじっと俺を見ていた。
泣きはらした目で、不思議そうに、観察するように。
俺が話す番──らしい。
「ねむって子が、詩織と電話してて……。
相談があるって言われて、朝からここに来た。
俺はただ、それに付き添っただけなんだけど」
「……そうなんだ」
彼女はふと視線を落とした。
「なんで、他校の人に……。私たちには、相談してくれなかったんだろうね」
責めているというより、自分に向けた問いのようだった。
「止められなかったのは、優衣のせいじゃないよ」
隣にいた黒髪の子が、そっと声をかける。
“優衣”──さっき泣いていた子の名前が、そこでわかった。
少しだけ間をおいて、俺は尋ねた。
「詩織と、どんな関係だったの?」
「私と杏樹と、詩織。三人とも、バドミントン部だったの。
詩織は、二年になる前に辞めちゃったけど……」
黒髪の子──“杏樹”というらしい。
「なんで辞めたの?」
そう聞くと、杏樹は少しだけ口を濁しながら答えた。
「家庭の事情、かな。……あまり、いい環境じゃなかったみたいで。
部活をやめてからは、放課後に“良くないこと”してたって、噂も聞いた」
“良くないこと”。
その言葉が、妙に耳に残った。
「……良くないこと?」
思わず聞き返す。けれど、そのとき――
「杏樹、詩織まだそこにいるんだから……。今はやめてよ」
優衣が、少し強い声で制した。
「……ごめん」
杏樹は素直に謝った。その声は、さっきまでよりずっと小さかった。
“家庭の事情”。
ただの言葉なのに、どこか引っかかった。
ねむなら──なにか、知っているかもしれない。
そんなことを考えていたとき、ねむが戻ってきた。
その顔は冴えなくて、明らかに先程のことを思い出してしまっている表情だった。
「次は君の番だ。こっちに来てくれ」
少し離れた場所で、年配の刑事が俺を呼んでいた。
「光ヶ丘高校の生徒、日下くんだね? 先ほどの女性、柚木さんから名前を聞いたよ」
低く、落ち着いた声が耳に届いた。
話しかけてきたのは、四十代後半くらいの男だった。
グレーのジャケットに無精髭。第一印象は、名刺代わりのような生活感と職業臭だった。
目元には薄い笑みが浮かんでいるが、その奥の視線は冷静で、観察者としてのそれだった。
「私は 加瀬 晃司。東町谷署の刑事課に所属している。……少し話せるかな? 焦らなくていい。覚えている範囲でかまわない」
「……大丈夫です。落ち着いてます」
そう答えた俺に、加瀬はほんのわずか、眉を上げた。
少し意外だったのだろう。でも、口元の表情は変えずに、そのまま本題へ入った。
「高嶺さんとは、面識は?」
「昨日、初めて会いました。少し話した程度です」
「そのとき、何か気になった様子は?」
「……特には。明るくて、元気そうな印象でした。とても、自殺するようには見えませんでした」
質問と返答を繰り返す。口では淡々と答えていたが、内心は静かに波立っていた。
その波が、次の質問でひときわ大きくうねる。
「現場で、何か変わったものや人物、あるいは気づいたことは?」
「……そうですね。強いて言えば、床が濡れていました。詩織さんの足元に、水が広く広がっていました。机の上には薬瓶と注射器が置かれていて……どこか、作為的に見えました」
言葉が、口をついて出ていた。止める前に、もう言い終えていた。
加瀬は一瞬だけ目を細めた。
「……君、よく見ていたんだね。細かく覚えてる」
「いや、なんか……気になってしまって」
まただ。自分でも抑えきれない観察癖。
言いすぎたかもしれないと気づいたときには、もう遅かった。
「確かに、遺体の下には水が広くこぼれていた。被害者が持っていたペットボトルの中身かもしれない。あと、床が濡れていたのは、前日の雨の影響も考えられる」
どこか釈然としない説明だった。
言葉自体は穏やかだが、その“仮定”にだけ、妙に熱がこもっていた。
「……他に、何かわかってることってありますか?」
俺の問いに、加瀬は一拍だけ間を置いた。
「──真夜中頃と見ている。ただ、この暑さだ。今の段階では正確な時間は断言できない。詳しくは解剖結果を待つことになる」
声色は変わらないままだったが、言葉を選んでいることがわかった。
「状況としては──鍵がかかっていた。扉も窓も、最初に見つけた教師たちが開けるまでは完全な密室だった。鍵は警備室に保管されてて、持ち出された形跡もない。つまり、あの状態は“内側から”鍵をかけなきゃ成立しない」
「密室……なんですね」
「そういうことだ。しかも、彼女には争った形跡がない。今、若者のあいだで流行っている薬物の影響も否定できない。あれは時間が経つと検出が難しくなる。今回も、たぶん出ない可能性もあるだろうな」
その言葉を聞きながら、俺の中で何かが静かに固まり始めていた。
「つまり、自殺……と」
言いかけた俺に、加瀬は一歩近づいて、じっとこちらを見つめてきた。
「──もう、いいかね?」
その視線に抗うように、俺はわずかに首を下げる。
「……はい。ありがとうございました」
そう答えたものの、胸の奥には鈍い違和感だけが残っていた。
納得なんて、できるはずがない。
確信はない。ただ、知りたい。
それだけの想いが、熱のように静かに、心の底で燃えていた。
戻ると、ねむが校庭の中ほどで立ち尽くしていた。
顔はまっすぐ前を向いているが、目はどこにも焦点を結んでいない。
その静けさが、かえって胸を締めつけた。
「……大丈夫?」
そんなはずはないとわかっていたのに、出た言葉はこれだった。
慰めにもならない。けれど、他にどう声をかければいいか分からなかった。
ねむはゆっくりこちらを向き、ぽつりとつぶやいた。
「……絶対に、詩織は自殺なんかじゃないよ。絶対に」
その目には、悔しさと疑念、そして信じたくないという気持ちが混ざっていた。
揺れているけれど、決して折れてはいない。
「……俺も、そう思うよ」
「え……?」
自分でも驚いた。口が勝手に動いていた。
慌てて頭をかく。
「いくつか、不自然な点があるんだ。……気になってることもあるし。
それが解決しない限り、自殺だとは思えない」
ねむが目を見開く。少しの沈黙ののち、そっと問いかけてきた。
「……ほんとに、そう思う?」
ほんの一瞬だけ迷った。でも、ねむの瞳を見たら、その迷いは消えていた。
「思ってるよ。……まあ、やれる範囲で、やってみる。
まずは、情報を集めないと」
「……うん」
ねむの表情が、ほんのわずかに緩んだ気がした。
さて、どこから手をつけようか。
視線を巡らせると、少し離れたところに、一人の女子生徒が立っていた。
さっき理科室の前で腰を抜かしていた――第一発見者の子だ。
「まずは、彼女に話を聞いてみようか」
そう言うが早いか、ねむは迷いなく歩み出す。
俺はその背中を、少し感心しながら見送った。
「すみません……少しだけ、お話を聞いてもいいですか?」
「え……? なんですか?」
女子生徒はやや警戒した様子だった。無理もない。
突然見知らぬ生徒に声をかけられて、すぐに心を開く人はいない。
「私、詩織の友達なんです。……どんな状況だったのか、少しだけでも教えてもらえませんか?」
ねむの声には余計な飾りがなかった。まっすぐで、迷いがない。
だからだろうか。女子生徒は少し目を伏せてから、そっとうなずいた。
「……少しだけなら。いいよ」
「ありがとうございます」
ねむが振り返って俺を見る。今度は俺の番らしい。
「えっと……よかったら、お名前を教えてもらえますか?」
「……高野。……高野 美友」
「それで……高野さん。最初に見つけたとき、どんな様子でしたか?」
「……今日、教科書を忘れたことに気づいて、それを取りに来たの。
どこに置いたか思い出せなくて……昨日は理科室も使ってたから、念のために。
職員室で鍵を開けてもらって、大迫先生と一緒に教室を回って……
最後に理科室の鍵を開けてもらったら――あんなことになってて……」
美友の視線が下を向く。思い出すのも、きっと辛いはずだ。
「その時、何か気になったことはありましたか?」
「……うん。扉を開けた瞬間、すごくムワッとしたの。
夏だから暑いのはわかってたけど、それとも違う感じで……熱気、みたいな……」
熱気。
それと、水。
どこかに引っかかる。でも、まだその正体がつかめなかった。
「それくらい、かな。……あんまり役に立てなくて、ごめん」
「いえ、とんでもないです。ありがとうございました」
俺は軽く頭を下げた。ねむも同じように、深くお辞儀をする。
そのとき──
「君たち。ここの生徒じゃないよね?」
落ち着いた低い声が、背後から届いた。
振り返ると、黒髪で背の高い教師が立っていた。
さっき、理科室に入っていった先生のひとりだ。
「はい。俺たちは光ヶ丘高校の者です。詩織さんに会いに来ていました」
「高嶺に? ……そうだったんだ。どんなご用件だったのかな?」
「昨夜、詩織さんから連絡があって……
『今日の朝10時に学校で会いたい』って言われてて」
「……そうか。きっと、何か――ひとりで悩んでいたんだろうな。
どうして、僕には何も言ってくれなかったんだ……」
教師はぽつりとつぶやき、視線を落とす。
その目元には、かすかに涙の気配があった。
「私はこの学校の教員で、国語を担当しています。バドミントン部の顧問でもあります。
……河野 誠司です」
穏やかな口調と、感情を抑えたような瞳。
年上の余裕というか、落ち着いた雰囲気があった。
ねむが、ほんの少しだけぽーっとした表情を浮かべた。
……なんだそれ。ちょっとだけ、気に食わない。
「少し質問してもいいですか?」
「……ええ、構いませんよ」
俺はひとつ息をつき、いつもの調子を装いながら河野先生に向き直って質問を始めた。
自分でも少し唐突だったと思うが、迷いはなかった。
「河野先生は、事件が起こった時間、職員室にいらっしゃったんですか?」
「そうだよ」
「最初に女子生徒に呼ばれて教室に向かったのは、大迫先生で間違いないですか?」
「――ああ、間違いないよ」
河野先生はすぐに頷いた。
その声に迷いはなく、記憶の輪郭ははっきりしているようだった。
「女子生徒が職員室に来てね、『忘れ物をしたので教室を開けてほしい』と。
それで、大迫先生が鍵を持って、一緒に教室へ向かったんだ。
私はその日、バドミントン部の顧問でね。だから職員室に残っていた。
それから、少しして悲鳴が聞こえて――私もすぐに現場に向かった、というわけだよ」
「なるほど。つまり最初に現場へ向かったのはお二人で、その後に先生が合流された……。
大迫先生というのは、どの方でしょうか?」
河野先生は、無言のまま遠くの一角を指さした。
その先にいたのは、白髪交じりの髪と厳しい目つきをした男性教員だった。
口調を聞かずとも、視線の鋭さがその性格を物語っている気がした。
「発見時、何か気づいたことはありますか?」
「……熱気だな」
一拍の間のあと、河野先生はぽつりと答えた。
「扉の前に着いた瞬間、モワッとした空気がきたんだ。
閉じ込められていた熱が、一気に流れ出てくるような感覚だった」
高野さんの証言は、やはり勘違いではなかったのだ。
温度に関する感覚は、想像以上に証言としての価値がある。
「昨夜、遅くまで残っていた先生や生徒はいませんでしたか? ……たとえば、夜の十二時近くまで」
「先生たちは、残っていないよ」
そこだけ、少し言い淀むような間があった。
「正直に言うと、昨日は飲み会があってね。教師はみんな、その時間には居酒屋にいた。
全員分、確認もしてる。
ただ……生徒の動きまでは把握できない。こっそり忍び込んでいたり、隠れていたりすれば……見つけようがない。
……高嶺の件にしても、結局、誰も気づけなかったんだ」
河野先生は、ふっと目を伏せた。
教師たちには、少なくとも形式上のアリバイがある。
だが、それだけで全貌が明るくなるわけではない。
「理科室の鍵の管理は、どうなっているんでしょうか?」
「鍵は警備室のキーボックスで管理しているよ。
施錠後は戻して蓋を閉め、セキュリティをかける。
もし無理に開けようとすれば、警備会社に通知が行く仕組みだ」
そのあたりは慣れているのか、河野先生は流れるように説明を続けた。
「それから最後にもう一度、各扉を見回って、施錠を再確認する。
特に昨日は、みんなで飲みに出る前に、複数の先生で見回った。
理科室がちゃんと閉まっていたのは、私も確認したし、他の先生も何人かが見てる。
そのあと学校全体にセキュリティをかけて、外部からも内部からも開けられない状態にしたんだ」
「……予備の鍵を持っている人が、他にいたりはしませんか? あるいは、複製が可能だったり」
「予備の鍵は、警備会社と教頭以上の権限者しか持っていない。
それに、もし鍵を不自然に長時間持ち出せば、すぐにキーボックスの記録でわかる。
理科室には危険物もあるから、鍵も特殊で、複製には時間も手間もかかる。
……最近は、管理責任が厳しいからね。全員が気を張っているつもりだよ」
一瞬だけ、河野先生の表情に陰が差した。
教師としての責任と、個人としての無力さが、ふと重なったように見えた。
俺はその言葉を胸の奥で反芻しながら、頭をかいた。
考えごとをするときの癖だ。無意識に、思考のスイッチを入れるようにして。
「……最後に、もう一点だけ。確認してもいいですか?」
「もちろん。何でも聞いてくれ」
「理科室の扉ですが……スライド式で、鍵は上から押し込むタイプですよね?」
「ああ、そうだ。最近、新しい扉に替えたばかりなんだ。異常は、なかったと思うよ」
そのとき、不意に河野先生の視線がこちらに向いた。
真っ直ぐで、どこか探るような眼差しだった。
「……何か、あったのかい?」
「いえ。現場にちょっとだけ、引っかかる点があって。
なんというか……まだ、うまく言葉にはできないんです。
でも、そのうち整理してみます」
河野先生は、小さく息を吐きながら口元をゆるめた。
「……高嶺は、幸せだったんだな。こうして心配してくれる人がいてくれて」
それだけ言うと、彼は腕時計にちらりと目を落とし、少し慌てたように立ち上がった。
「っと、いけない。もう行かないと」
「お時間、取らせてしまってすみませんでした」
俺が軽く頭を下げると、隣にいたねむも、それに倣って丁寧にお辞儀をした。
河野先生は軽く手を振って応じると、小走りで職員たちの輪へと戻っていった。
……次は、大迫先生にも話を聞くべきだろう。
そう考えながら視線を落とした、そのときだった。
「お前だろ! お前がやったんだろう!」
――怒声が、中庭に響いた。




