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日下に灯る推理  作者: 三毛猫
死薬師と放課後に消えた少女達
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4/7

 事情聴取は、一人ずつ、順番に行われていた。

 最初に呼ばれたのは、ねむだった。


 俺はというと、その場に取り残されたまま。

 立ちっぱなしの足がじんわりと重い。


 ただ待つだけ──それが、こんなにも落ち着かないことだったとは。

 時間が余計に流れている気がした。

 数歩だけ歩いては止まり、視線だけで周囲をさまよう。


 そのとき、不意に視線がぶつかった。

 さっき泣いていた、茶髪の女子生徒。

 反射的に目を逸らしてしまう。

 やましいことなんて、何もない。けれど、目を見続ける勇気はなかった。


 足音が、こちらへ向かってくる。

 気配からして──完全に俺だ。狙い撃ちされたような気分。


「あなたたち、詩織の友達? ……見ない顔だけど」


 声は少し硬い。けれど、敵意ではなかった。

 警戒と戸惑いが、混じったような響き。


「えっと……俺は光ヶ丘高校の生徒で。

 詩織と直接の知り合いじゃなくて……。

 一緒にいた子が彼女の友達で、今日はその付き添いで」


 初対面の会話は、昔から苦手だ。

 特に、こういう空気の中だと尚更。


 顔を上げると、彼女はじっと俺を見ていた。

 泣きはらした目で、不思議そうに、観察するように。


 俺が話す番──らしい。


「ねむって子が、詩織と電話してて……。

 相談があるって言われて、朝からここに来た。

 俺はただ、それに付き添っただけなんだけど」


「……そうなんだ」

 彼女はふと視線を落とした。

「なんで、他校の人に……。私たちには、相談してくれなかったんだろうね」


 責めているというより、自分に向けた問いのようだった。


「止められなかったのは、優衣(ゆい)のせいじゃないよ」


 隣にいた黒髪の子が、そっと声をかける。

 “優衣(ゆい)”──さっき泣いていた子の名前が、そこでわかった。


 少しだけ間をおいて、俺は尋ねた。


「詩織と、どんな関係だったの?」


「私と杏樹(あんじゅ)と、詩織。三人とも、バドミントン部だったの。

 詩織は、二年になる前に辞めちゃったけど……」


 黒髪の子──“杏樹(あんじゅ)”というらしい。


「なんで辞めたの?」


 そう聞くと、杏樹は少しだけ口を濁しながら答えた。


「家庭の事情、かな。……あまり、いい環境じゃなかったみたいで。

 部活をやめてからは、放課後に“良くないこと”してたって、噂も聞いた」


 “良くないこと”。

 その言葉が、妙に耳に残った。


「……良くないこと?」


 思わず聞き返す。けれど、そのとき――


「杏樹、詩織まだそこにいるんだから……。今はやめてよ」


 優衣が、少し強い声で制した。


「……ごめん」


 杏樹は素直に謝った。その声は、さっきまでよりずっと小さかった。


 “家庭の事情”。

 ただの言葉なのに、どこか引っかかった。


 ねむなら──なにか、知っているかもしれない。


 そんなことを考えていたとき、ねむが戻ってきた。

 その顔は冴えなくて、明らかに先程のことを思い出してしまっている表情だった。


「次は君の番だ。こっちに来てくれ」


 少し離れた場所で、年配の刑事が俺を呼んでいた。


 「光ヶ丘高校の生徒、日下くんだね? 先ほどの女性、柚木さんから名前を聞いたよ」


 低く、落ち着いた声が耳に届いた。


 話しかけてきたのは、四十代後半くらいの男だった。

 グレーのジャケットに無精髭。第一印象は、名刺代わりのような生活感と職業臭だった。


 目元には薄い笑みが浮かんでいるが、その奥の視線は冷静で、観察者としてのそれだった。


 「私は 加瀬 晃司(かせ こうじ)東町谷(ひがしまちや)署の刑事課に所属している。……少し話せるかな? 焦らなくていい。覚えている範囲でかまわない」


 「……大丈夫です。落ち着いてます」


 そう答えた俺に、加瀬はほんのわずか、眉を上げた。


 少し意外だったのだろう。でも、口元の表情は変えずに、そのまま本題へ入った。


 「高嶺(たかみね)さんとは、面識は?」


 「昨日、初めて会いました。少し話した程度です」


 「そのとき、何か気になった様子は?」


 「……特には。明るくて、元気そうな印象でした。とても、自殺するようには見えませんでした」


 質問と返答を繰り返す。口では淡々と答えていたが、内心は静かに波立っていた。


 その波が、次の質問でひときわ大きくうねる。


 「現場で、何か変わったものや人物、あるいは気づいたことは?」


 「……そうですね。強いて言えば、床が濡れていました。詩織さんの足元に、水が広く広がっていました。机の上には薬瓶と注射器が置かれていて……どこか、作為的に見えました」


 言葉が、口をついて出ていた。止める前に、もう言い終えていた。


 加瀬は一瞬だけ目を細めた。


 「……君、よく見ていたんだね。細かく覚えてる」


 「いや、なんか……気になってしまって」


 まただ。自分でも抑えきれない観察癖。

 言いすぎたかもしれないと気づいたときには、もう遅かった。


 「確かに、遺体の下には水が広くこぼれていた。被害者が持っていたペットボトルの中身かもしれない。あと、床が濡れていたのは、前日の雨の影響も考えられる」


 どこか釈然としない説明だった。

 言葉自体は穏やかだが、その“仮定”にだけ、妙に熱がこもっていた。


 「……他に、何かわかってることってありますか?」


 俺の問いに、加瀬は一拍だけ間を置いた。


 「──真夜中頃と見ている。ただ、この暑さだ。今の段階では正確な時間は断言できない。詳しくは解剖結果を待つことになる」


 声色は変わらないままだったが、言葉を選んでいることがわかった。


「状況としては──鍵がかかっていた。扉も窓も、最初に見つけた教師たちが開けるまでは完全な密室だった。鍵は警備室に保管されてて、持ち出された形跡もない。つまり、あの状態は“内側から”鍵をかけなきゃ成立しない」


 「密室……なんですね」


「そういうことだ。しかも、彼女には争った形跡がない。今、若者のあいだで流行っている薬物の影響も否定できない。あれは時間が経つと検出が難しくなる。今回も、たぶん出ない可能性もあるだろうな」


 その言葉を聞きながら、俺の中で何かが静かに固まり始めていた。


 「つまり、自殺……と」


 言いかけた俺に、加瀬は一歩近づいて、じっとこちらを見つめてきた。


 「──もう、いいかね?」


 その視線に抗うように、俺はわずかに首を下げる。


 「……はい。ありがとうございました」


 そう答えたものの、胸の奥には鈍い違和感だけが残っていた。

 納得なんて、できるはずがない。


 確信はない。ただ、知りたい。

 それだけの想いが、熱のように静かに、心の底で燃えていた。


 戻ると、ねむが校庭の中ほどで立ち尽くしていた。

 顔はまっすぐ前を向いているが、目はどこにも焦点を結んでいない。

 その静けさが、かえって胸を締めつけた。


「……大丈夫?」


 そんなはずはないとわかっていたのに、出た言葉はこれだった。

 慰めにもならない。けれど、他にどう声をかければいいか分からなかった。


 ねむはゆっくりこちらを向き、ぽつりとつぶやいた。


「……絶対に、詩織は自殺なんかじゃないよ。絶対に」


 その目には、悔しさと疑念、そして信じたくないという気持ちが混ざっていた。

 揺れているけれど、決して折れてはいない。


「……俺も、そう思うよ」


「え……?」


 自分でも驚いた。口が勝手に動いていた。

 慌てて頭をかく。


「いくつか、不自然な点があるんだ。……気になってることもあるし。

 それが解決しない限り、自殺だとは思えない」


 ねむが目を見開く。少しの沈黙ののち、そっと問いかけてきた。


「……ほんとに、そう思う?」


 ほんの一瞬だけ迷った。でも、ねむの瞳を見たら、その迷いは消えていた。


「思ってるよ。……まあ、やれる範囲で、やってみる。

 まずは、情報を集めないと」


「……うん」


 ねむの表情が、ほんのわずかに緩んだ気がした。


 さて、どこから手をつけようか。

 視線を巡らせると、少し離れたところに、一人の女子生徒が立っていた。

 さっき理科室の前で腰を抜かしていた――第一発見者の子だ。


「まずは、彼女に話を聞いてみようか」


 そう言うが早いか、ねむは迷いなく歩み出す。

 俺はその背中を、少し感心しながら見送った。


「すみません……少しだけ、お話を聞いてもいいですか?」


「え……? なんですか?」


 女子生徒はやや警戒した様子だった。無理もない。

 突然見知らぬ生徒に声をかけられて、すぐに心を開く人はいない。


「私、詩織の友達なんです。……どんな状況だったのか、少しだけでも教えてもらえませんか?」


 ねむの声には余計な飾りがなかった。まっすぐで、迷いがない。

 だからだろうか。女子生徒は少し目を伏せてから、そっとうなずいた。


「……少しだけなら。いいよ」


「ありがとうございます」


 ねむが振り返って俺を見る。今度は俺の番らしい。


「えっと……よかったら、お名前を教えてもらえますか?」


「……高野。……高野 美友(たかの みゆ)


「それで……高野さん。最初に見つけたとき、どんな様子でしたか?」


「……今日、教科書を忘れたことに気づいて、それを取りに来たの。

 どこに置いたか思い出せなくて……昨日は理科室も使ってたから、念のために。

 職員室で鍵を開けてもらって、大迫(おおさこ)先生と一緒に教室を回って……

 最後に理科室の鍵を開けてもらったら――あんなことになってて……」


 美友の視線が下を向く。思い出すのも、きっと辛いはずだ。


「その時、何か気になったことはありましたか?」


「……うん。扉を開けた瞬間、すごくムワッとしたの。

 夏だから暑いのはわかってたけど、それとも違う感じで……熱気、みたいな……」


 熱気。

 それと、水。

 どこかに引っかかる。でも、まだその正体がつかめなかった。


「それくらい、かな。……あんまり役に立てなくて、ごめん」


「いえ、とんでもないです。ありがとうございました」


 俺は軽く頭を下げた。ねむも同じように、深くお辞儀をする。


 そのとき──


「君たち。ここの生徒じゃないよね?」


 落ち着いた低い声が、背後から届いた。


 振り返ると、黒髪で背の高い教師が立っていた。

 さっき、理科室に入っていった先生のひとりだ。


「はい。俺たちは光ヶ丘高校の者です。詩織さんに会いに来ていました」


「高嶺に? ……そうだったんだ。どんなご用件だったのかな?」


「昨夜、詩織さんから連絡があって……

 『今日の朝10時に学校で会いたい』って言われてて」


「……そうか。きっと、何か――ひとりで悩んでいたんだろうな。

 どうして、僕には何も言ってくれなかったんだ……」


 教師はぽつりとつぶやき、視線を落とす。

 その目元には、かすかに涙の気配があった。


「私はこの学校の教員で、国語を担当しています。バドミントン部の顧問でもあります。

 ……河野 誠司(こうの せいじ)です」


 穏やかな口調と、感情を抑えたような瞳。

 年上の余裕というか、落ち着いた雰囲気があった。


 ねむが、ほんの少しだけぽーっとした表情を浮かべた。

 ……なんだそれ。ちょっとだけ、気に食わない。


「少し質問してもいいですか?」


「……ええ、構いませんよ」


 俺はひとつ息をつき、いつもの調子を装いながら河野先生に向き直って質問を始めた。

 自分でも少し唐突だったと思うが、迷いはなかった。


「河野先生は、事件が起こった時間、職員室にいらっしゃったんですか?」


「そうだよ」


「最初に女子生徒に呼ばれて教室に向かったのは、大迫先生で間違いないですか?」


「――ああ、間違いないよ」


 河野先生はすぐに頷いた。

 その声に迷いはなく、記憶の輪郭ははっきりしているようだった。


「女子生徒が職員室に来てね、『忘れ物をしたので教室を開けてほしい』と。

 それで、大迫先生が鍵を持って、一緒に教室へ向かったんだ。

 私はその日、バドミントン部の顧問でね。だから職員室に残っていた。

 それから、少しして悲鳴が聞こえて――私もすぐに現場に向かった、というわけだよ」


「なるほど。つまり最初に現場へ向かったのはお二人で、その後に先生が合流された……。

 大迫先生というのは、どの方でしょうか?」


 河野先生は、無言のまま遠くの一角を指さした。

 その先にいたのは、白髪交じりの髪と厳しい目つきをした男性教員だった。

 口調を聞かずとも、視線の鋭さがその性格を物語っている気がした。


「発見時、何か気づいたことはありますか?」


「……熱気だな」


 一拍の間のあと、河野先生はぽつりと答えた。


「扉の前に着いた瞬間、モワッとした空気がきたんだ。

 閉じ込められていた熱が、一気に流れ出てくるような感覚だった」


 高野さんの証言は、やはり勘違いではなかったのだ。

 温度に関する感覚は、想像以上に証言としての価値がある。


「昨夜、遅くまで残っていた先生や生徒はいませんでしたか? ……たとえば、夜の十二時近くまで」


「先生たちは、残っていないよ」


 そこだけ、少し言い淀むような間があった。


「正直に言うと、昨日は飲み会があってね。教師はみんな、その時間には居酒屋にいた。

 全員分、確認もしてる。

 ただ……生徒の動きまでは把握できない。こっそり忍び込んでいたり、隠れていたりすれば……見つけようがない。

 ……高嶺の件にしても、結局、誰も気づけなかったんだ」


 河野先生は、ふっと目を伏せた。


 教師たちには、少なくとも形式上のアリバイがある。

 だが、それだけで全貌が明るくなるわけではない。


「理科室の鍵の管理は、どうなっているんでしょうか?」


「鍵は警備室のキーボックスで管理しているよ。

 施錠後は戻して蓋を閉め、セキュリティをかける。

 もし無理に開けようとすれば、警備会社に通知が行く仕組みだ」


 そのあたりは慣れているのか、河野先生は流れるように説明を続けた。


「それから最後にもう一度、各扉を見回って、施錠を再確認する。

 特に昨日は、みんなで飲みに出る前に、複数の先生で見回った。

 理科室がちゃんと閉まっていたのは、私も確認したし、他の先生も何人かが見てる。

 そのあと学校全体にセキュリティをかけて、外部からも内部からも開けられない状態にしたんだ」


「……予備の鍵を持っている人が、他にいたりはしませんか? あるいは、複製が可能だったり」


「予備の鍵は、警備会社と教頭以上の権限者しか持っていない。

 それに、もし鍵を不自然に長時間持ち出せば、すぐにキーボックスの記録でわかる。

 理科室には危険物もあるから、鍵も特殊で、複製には時間も手間もかかる。

 ……最近は、管理責任が厳しいからね。全員が気を張っているつもりだよ」


 一瞬だけ、河野先生の表情に陰が差した。

 教師としての責任と、個人としての無力さが、ふと重なったように見えた。


 俺はその言葉を胸の奥で反芻しながら、頭をかいた。

 考えごとをするときの癖だ。無意識に、思考のスイッチを入れるようにして。


「……最後に、もう一点だけ。確認してもいいですか?」


「もちろん。何でも聞いてくれ」


「理科室の扉ですが……スライド式で、鍵は上から押し込むタイプですよね?」


「ああ、そうだ。最近、新しい扉に替えたばかりなんだ。異常は、なかったと思うよ」


 そのとき、不意に河野先生の視線がこちらに向いた。

 真っ直ぐで、どこか探るような眼差しだった。


「……何か、あったのかい?」


「いえ。現場にちょっとだけ、引っかかる点があって。

 なんというか……まだ、うまく言葉にはできないんです。

 でも、そのうち整理してみます」


 河野先生は、小さく息を吐きながら口元をゆるめた。


「……高嶺は、幸せだったんだな。こうして心配してくれる人がいてくれて」


 それだけ言うと、彼は腕時計にちらりと目を落とし、少し慌てたように立ち上がった。


「っと、いけない。もう行かないと」


「お時間、取らせてしまってすみませんでした」


 俺が軽く頭を下げると、隣にいたねむも、それに倣って丁寧にお辞儀をした。

 河野先生は軽く手を振って応じると、小走りで職員たちの輪へと戻っていった。


 ……次は、大迫先生にも話を聞くべきだろう。


 そう考えながら視線を落とした、そのときだった。


「お前だろ! お前がやったんだろう!」


 ――怒声が、中庭に響いた。


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