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日下に灯る推理  作者: 三毛猫
死薬師と放課後に消えた少女達
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3/7

 帰り道、日が傾きはじめた空の下を並んで歩いていた。

 思ったよりも風が涼しくて、昼間の蒸し暑さが嘘のようだった。


 隣を歩くねむは、しばらく黙っていたけれど、ふいに小さく口を開いた。


「今日はありがとう。……ほんと、すごく助かったよ。

 ひとりで他校に行くなんて、正直けっこう怖かったんだ……」


「いや……俺は、ただついて行っただけだし」


 軽く首をすくめて、視線を少し逸らす。

 感謝されるほどのことでもない。

 けれど、そう言われて悪い気はしなかった。


 透以外の誰かと並んで帰るなんて、ほんの少し前までなら想像もしてなかった。

 それが、女の子だなんて……なおさらだ。


 ねむの家が、うちから徒歩十五分ほどの距離にあることも、今日初めて知った。


 同じ学校に通っていても、関わらなければ見えてこないことは、案外たくさんある。


 


「そういえばさ。朝……なんで鍵の場所、分かったの?」


 ねむが、不意に尋ねてきた。


 少し迷ってから、俺は静かに切り出す。


「……ちょっと、変な話になるけど。……俺、“目に入ったもの”って、けっこう正確に覚えてるんだ」


 ねむが小さく首をかしげるのを見て、俺は続けた。


「一度見た景色を、映像みたいに思い出せる。色とか位置とか、細かいところまで。

 “覚えてる”というより、“残ってる”って感じに近いかな……頭の奥に」


 言いながら、自分でもその言葉に少しだけ引っかかっていた。

 能力というには、不格好すぎる。


「でも、役に立ったことなんて、ほとんどない。

 むしろ、気持ち悪がられたり、嫌なことばかり覚えてたりしてさ……

 人の発言の矛盾とか、つい気づいちゃうんだよね。

 悪気はなくても、空気を悪くしちゃうことがある。

 それに、見たくないものまで、勝手に記憶に残っちゃうこともあるんだ」


 そう言いながら、ねむの反応をうかがった。

 引かれたらどうしよう。黙られたらどうしよう。

 そんな不安が、頭の奥に浮かんでいた。


 けれど――


「……それって、すごくない?」


 ねむの声は、驚くほど明るかった。


「勉強とかも覚え放題ってことじゃん! めっちゃ羨ましいよ!」


 それだけじゃなく、少しだけ真剣な目をして続ける。


「……でも、それって……つらくない?

 忘れたいことまで、残っちゃうのって」


 その言葉に、思わず息を詰めた。


 そんなふうに言われたのは、初めてだった気がする。


「……いや、まあ、慣れたよ。

 でも、万能ってわけじゃないんだ。ひとつの記憶を再生すると、他の記憶にはすぐに切り替えられないし……

 長時間、同じ記憶を見ていられるわけでもない。

 あと、使ったあとはしばらく“クールタイム”が必要になる」


「へえ、クールタイムってゲームみたい」


「ほんとそれ。テストとかでも、社会の暗記問題にちょっとだけ使えるくらい。

 便利っちゃ便利だけど……そんなもんだよ」


「それでも十分すごいよ。

 いつか絶対に、役に立つときが来るって。……私も特殊能力欲しいなー」


 そう言ったあと、ねむは少し照れくさそうに笑った。


 そして、ほんの少しだけ声を落として、付け加える。


「何かあったら……私のことも、助けてね?」


 その言葉が、なぜか心の奥に静かに染み込んでいくような気がした。


 誰かに肯定されるって、こんなにも、あたたかいものだったんだな。

 そんなあたりまえのことを、いまさら知った気がした。


◇ ◇ ◇ 


 気づけば、交差点の手前に立っていた。

 ここで、ねむとは別れる。


「ねえ、LINE……交換してもいい?」


 少し迷うように言ったあと、ねむは微笑んだ。


「達希とは、いい友達になれそうな気がする」


 その言い方が、なんだか少し照れくさくて、俺はうなずきながらスマホを取り出した。


「……うん。いいよ」

 

 ほんの数秒のやりとりだった。

 でも、画面に並んだ名前とアイコンを見て、胸の奥がほんの少しだけ、温かくなった気がした。


「じゃあ、また。LINEするね!」


「うん。気をつけて帰って」


 手を振って歩いていくねむの背中が、角を曲がって見えなくなるまで、俺はその場に立っていた。


 LINEを交換しただけ。たったそれだけのことなのに、いつもより夜道が明るく感じた。 


 そして、ひとりで夜の道を歩く。


 家にたどり着き、玄関のドアを開けた瞬間――

 ふわっと、鼻に懐かしい香りが漂う。


「今日は……カレーか」


「ただいま」


 心が少しだけ、あたたかくなった。

 ねむと、ほんの少し仲良くなれた気がして。 


 けれどその裏で、

 あの校舎の窓から感じた“視線の記憶”だけが、なぜか頭から離れなかった。


 夕飯を終え、風呂から上がり、自室に戻る。

 濡れた髪をタオルで拭きながら、小さくため息をついた。


「……ふぅ、さっぱりした」


 明日は土曜日。学校は休み。

 少しくらい夜更かししてもいいだろう、という甘えが頭をかすめる。

 リモコンに手を伸ばしかけた、そのとき。


 テーブルの上のスマホが震えた。透からだった。


《で、あの後どうなったんだよ?》

《いや、別に。ついて行っただけだし》

《本当に?》

《本当。月曜にまた話すよ》


 ──それ以上、語るようなことでもない。……はずだった。

 けれど、透の言うとおり、普段の俺なら絶対に関わらなかったはずの出来事だ。


 ゲームを起動する。こういう時間が、いちばん心が休まる。

 外では、ぽつりぽつりと雨の音がし始めていた。


 静かで、不規則なそのリズムに耳を傾けていると、再びスマホが震えた。

 やけに今日は通知が多い。


 画面に浮かんだ名前で、指が一瞬止まる。

 ──柚木ねむ。


《今日はありがとう。ところで、明日って何か予定ある?》


 一瞬、息をのむ。

 予定なんてない。でも──この文面は、どういう意味だ?


 ……いや、考えすぎか。

 自分にそう言い聞かせて、なるべく自然に返信を打つ。


《特にはないけど……何かあった?》


 すぐに返事が来た。


《あの後、少しだけ詩織と話したの。なんか怯えてる感じで、小声で喋ってて……

それで、明日の朝10時に学校で会いたいって。直接話したいことがあるって言ってた。

できれば……達希にも、一緒に来てほしいな》


 ──文末の一言が、妙に心に残った。

 頼られているような響きが、そこにあった。


 断る理由はない。

 いや、むしろ、自分にできることなんてあるのかすら分からない。……それでも。


《わかった。じゃあ、今日別れた交差点で待ち合わせにしよう》


 送信を終えると、小さく息をついた。

 明日は早起き。ちょっと残念だけど、それほど悪い気もしなかった。


◇ ◇ ◇


 午前八時半。


 アラームの音に目を覚ます。

 重たいまぶたをこじ開けて、のそのそと布団から出る。


 階下から、母の声が聞こえる。


「珍しく早起きじゃない。どこか行くの?」


「ちょっとね」


 理由を言うのは、なぜか気恥ずかしかった。


「朝ごはん、用意してるから食べていきな」


「ありがとう」


 トーストと目玉焼き。

 変わり映えのしない朝の景色が、今はどこかやけに穏やかに感じられた。


 しっかり食べて、歯を磨いて、服を着替える。

 Tシャツにジーンズ。普段どおり、飾り気のない自分らしい格好。


 玄関を開けると、昨日の雨が嘘みたいに晴れていた。

 空気は少し重たい。夏の湿気が肌にまとわりつく。


 集合場所までは、少し距離がある。

 それでも、足取りは思ったより軽かった。……理由は、言わなくても分かっている。


◇ ◇ ◇


 ──早く着きすぎたかもしれない、と思った頃。


 向こうに、白いワンピースの姿が見えた。

 ねむだった。


 今日は髪を下ろしていて、軽く巻いた毛先が風に揺れている。

 昨日よりも少しだけ、大人びて見えた。


「おはよう。……ごめん、待たせちゃった?」


「ううん。こっちが勝手に早く来ただけだから」


 そんな他愛のない会話が、今は少しだけ特別に感じられた。


「じゃあ、行こっか」


 ふたり並んで、昨日と同じ道を歩き出す。


「そういえば、昨日の詩織さん……どんな感じだった?」


 問いかけると、ねむは少し考えるように言葉を選んでから、答えた。


「んー……声、ちょっと小さかったかな。周りも、なんだか静かだったし。

 急いでたみたいで、『明日話す』って、それだけ。

 怖がってた、ってほどじゃないけど……なんか、話しを続けにくい雰囲気だった。

 誰かと一緒にいたのかもしれない」


「……そっか」


「朝、LINE送ってみたけど……まだ既読つかなくて」


 ねむの声が、ほんの少しだけ沈んだように聞こえた。


 胸の奥がざわりと波立つ。


 思っていたより、軽い話じゃないのかもしれない。

 けれど、ねむの表情は崩れなかった。むしろ静かだった。


「……まあ、気づいてないだけかも。でも、なんか、ね」


「うん。行こう」


 俺の返事に、ねむは小さくうなずいて、足を速める。

 その背中を追いながら、胸の奥で、言葉にならない予感が静かにふくらんでいくのを感じていた。


 週末の通学路は、いつもより空が広く見えた。

 静かな校舎が、遠くにぽつんと浮かんでいた。


 まるで時間が止まったような、人気のない静けさ。

 けれどその沈黙には、何かがひっそりと待ち構えているような気配があった。


 校門の前で、ねむはスマホを取り出し、画面をしばらく見つめていた。


「……やっぱり、既読つかない」


 声は静かだった。けれど、その奥に、わずかな沈みがにじんでいた。


 続けて電話をかける。

 数秒の呼び出し音。けれど、通話は自動で切れた。


「寝てるのかな……ごめんね、付き合わせちゃって」


「いや、ねむさんが謝ることじゃないよ」


 そう返すと、ねむは小さく眉をひそめて、ふっと笑った。


「……その“ねむさん”って、やめて。なんか、くすぐったい。……ねむ、でいいよ」


「ねむ、ね……。じゃあ、そう呼ばせてもらうよ」


 自分の声が、少しだけ上ずっていたことに気づいた。

 それを察したのか、ねむは肩を揺らして笑っていた。


 校門の前でただ待っていても、何も始まらない。

 俺たちは、校舎のまわりを歩いてみることにした。


 校舎は、見た目よりも古かった。

 壁や廊下はくすんでいて、窓ガラスの隙間から入り込む風も、どこか冷たい。


 遠く、グラウンドの方から野球部らしき掛け声が聞こえていた。

 けれど、それすらも、この静寂の中では小さく、遠い。


 そのとき――


「きゃあああああっ!!」


 甲高い悲鳴が、空気を裂いた。


「校舎の中……!」


 ねむが先に反応していた。

 言葉より早く、足が動いていた。


 俺も、遅れて走り出す。

 正門を抜け、廊下を駆け、一階、そして二階へ。


 誰もいない校舎に、靴音だけが響き渡った。


 廊下の先、教室の前で、生徒がひとり、腰を抜かして座り込んでいた。

 「他の先生も呼んでこい!」という叫び声。

もうひとりの生徒が、階段を駆け下りていく。


 俺たちもその場に追いつく。

 集まっていた先生、生徒たちの隙間から、中を覗いた。


 そこで、時間が止まった。


 ――理科室だった。

 古びたスチール扉の奥。天井から、少女が吊られていた。


 詩織だった。


 揺れていない。逆に、それが不自然なほど静かだった。

 風は吹いていないはずなのに、彼女の制服の裾だけが、どこかゆっくりと揺れているように見えた。


 足元には、倒れたパイプ椅子。

 その近くには、転がった500mlのペットボトル。中身はすべて床にこぼれ、水たまりのように広がっていた。

 淡く光が反射して、そこだけ別の時間が流れているかのようだった。


 机の上には、使われた注射器がひとつ。空のまま、横たわっている。


 誰も、言葉を発しなかった。

 教師も、生徒も。俺も、ねむも。


 ただ、その場に立ち尽くしていた。

 吸い込まれるように、目を逸らせずに。


「……ねむ」

 隣にいる気配が薄れていくような気がして、俺はその名を呼んだ。けれど、その声はかすれていて、届いたかどうかもわからなかった。


 耳鳴りのような静寂の中。

 自分の心臓の鼓動だけが、やけに大きく響いていた。


 誰も動けなかった。

 教室の空気が、遠くのほうで固まってしまったみたいだった。


 その沈黙を、教師のひとりが破る。


「警察……警察! 誰か、連絡を!」


 声の主は、黒髪をきちんと整えた若い教師だった。整った顔立ちなのに、今はどこか頼りなさげに見えた。


 彼は一歩踏み出し、ゆっくりと部屋の中へ入っていく。


 そのときだった。


 ──パシャッ。


 湿った音が、教室の床に響いた。

 床に何かがこぼれていたのだろう。彼の足が、それを踏んだ。


 目を凝らすと、遺体の近くにいくつかの異物が転がっていた。


 片方だけのローファーが、床に転がっていた。

 そのすぐそばには、パイプ椅子。足場として使われたのだろう。

 そして──制服の胸元についていたはずの赤いリボンも、無造作に落ちていた。


 教室の天井。中央付近に、銀色の太いパイプが一本、横向きに走っていた。

 古い理科室によくある、薬品の煙やガスを外へ逃がすための換気設備だ。

 そのパイプにロープが掛けられ、一本の縄が真っ直ぐに垂れ下がっていた。

 先端の輪が、詩織の首を締めていた。


 そのすぐ脇には、500ミリリットルのペットボトルが横倒しに落ちていた。


 大量の水が、床一面に広がっていた。

 ペットボトルからこぼれたのだろうか──それにしては、多すぎる気がした。


 水は、遺体の下から滲むように広がっていた。

 まるで、彼女が流せなかった涙の代わりのように。


 もうひとりの年配の教師が、ポケットからスマートフォンを取り出し、慌ただしく番号を押していた。


「詩織!」


 女子生徒が二人、泣きそうな顔で教室に駆け込もうとする。

 だが、教師の腕に遮られて、それ以上は進めなかった。


 ねむは、その光景をただ見ていた。

 目を見開いたまま、夢の中にでもいるように。


 俺も、声が出なかった。

 思考は止まっていたのに、なぜか視覚と記憶だけは妙に冴えていた。


 ──脳が、勝手に焼きつけていた。

 誰がどこに立っていて、何を言ったか。声のトーンまでも。


 しばらくして、警察がやって来た。

 制服の男たちが規制線を張り、俺たちは校舎の外へと出されることになった。


 俺はねむの隣に立った。何も言わずに。


 しばらくして、ねむがぽつりと呟いた。


「なんで……こんなことに……」


 かすれた声だった。

 震えていて、それだけで──泣いていると、わかった。


 少し離れたところに、さっきの女子生徒たちがいた。

 肩までの茶髪の子が、しゃがみこんで泣いていた。顔立ちは少し童顔で、まだ中学生のような幼さが残っている。

 もう一人──長身で黒髪のロングヘアの子が、そっと背を撫でていた。切れ長の目元が印象的で、どこか大人びた雰囲気だった。


 そのとき、警察官たちの会話が耳に入ってきた。


「……またか」


「あぁ、たぶん今回も同じ系統の薬物だろうな。検出しづらいうえに、仮に出ても新しく合成された成分だから、分析も捜査も難航してるらしい。……今年に入って、これで何件目だ?」


「死亡例だけじゃなく、使っただけのケースまで入れると、かなりの数になるらしい。“死薬師”って呼ばれてる売人が出どころだとか」


「噂が一人歩きして、都市伝説みたいになってるらしいな」


 耳が、勝手にその言葉を拾っていた。


「まあ、今回もたぶん不可解な点はなし……自殺で処理されるだろうな」


 その瞬間、隣でねむが動いた。


「詩織は……そんな子じゃありません!」


 震える声だった。けれど、その一言に、抑えきれない感情が詰まっていた。


「前の日、私、電話で話しました。詩織、怯えてたんです……絶対に、事件です!」


 警察官は困ったように頭を掻き、目を逸らしてどこかへ行ってしまった。


 しばらくして、年配の刑事がやって来た。

 事情を聞いて回っているようだった。


「少し、お話を伺ってもいいですか?」


 ──どうやら、次は俺たちの番らしい。

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