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あやかし家政夫  作者: 琴花
第六章
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空也はただ想う

 ちとせと入れ替わりに入ってきた空也に小町は声をかけた。


「お疲れ様。何か飲む?」

「じゃあ、ココアを」

「また女の子が好きそうなものを……。まあ、いいわ。甘いもの飲んで休憩しなさい」


 自動販売機に向かう小町に礼を言い、空也は側の椅子に腰かけた。

 両肘をつき、深く息をつく。

 まなうらに浮かぶ泣き顔の後輩の姿を首を振って追い払う。

 ココアの缶を手に、小町が心配そうに名を呼んだ。


「空也?」

「――平気。雪将軍の行方は掴めたか?」

 

 真剣な声音に、小町も表情を硬くする。


「いいえ。人前はおろか、現世に住むあやかしの前にも姿を現してないみたいね」

「じゃあ、俺が最後の目撃者か」


 幽世からあやかしが到来したと聞いたのは昨日の夕方。

 学校の近くで気配を感じたものの、強大な霊力に当てられたのだろう、倒れた老夫婦の搬送騒ぎでうやむやになってしまった。

 そして、今日の未明、今度はアパート近くの公園で霊力を感じた。

 慌てて駆け付けた空也が目にしたのは、夜闇に浮かび上がる白髪の青年と、膝を付き苦し気に顔を歪める隣人だった。


「やめろっ」


 赤い瞳に幻滅の色を宿し万十郎を見下ろす青年の前に、思わず空也は割って入った。

 ――だが。


「誰だ、お前」


 その瞳が空也を映した瞬間、恐ろしいほどの圧迫感に襲われた。

 現世に住む者にとっては強すぎる霊力を際限なく溢れさせ、息が詰まる思いがした。

 着物姿の青年は目を細めると、空也を観察するように凝視した。

 そして、得心がいったように口角をあげる。


「夕方目にした成りそこないの片割れか。現世でも双子は片割れのほうが強い力を持つようだな」

「なに……?」

「だが、お前では相手にならない。現世のあやかしは人間に似て脆弱なのか」

「……何を言っている」


 空也はこぶしを握り締めた。

 小町に会ったのか。

 だが、彼女はただの人間だ。幽世のあやかしと対峙することなどできない。

 なら、小町は気付かず遭遇したということか。

 空也の背中に冷たい汗が流れ落ちる。

 そんな空也の心中には興味ないとばかりに、青年は鼻を鳴らした。


「俺はただ、新たな門を見つけて調査に訪れただけだ。すると、懐かしい気配があったので追ってきたまで。だが――」


 青年は目を眇めて、空也の後ろを見た。

 底知れない笑顔を振りまいていた万十郎は余裕なく、今にも崩れ落ちそうだ。


「つまらない存在になりさがったようだ」

「なに――?」

「好敵手であり、国を代表する強者が人間に従事するなど。夕方、お前の片割れと共にいた人間だ」


 病院であったちとせの憔悴した姿を思い出す。

 この幽世のあやかしの青年が彼女と接触したのか。ちとせが憔悴した直接の原因でないにしろ、彼の霊力に当てられて、かねてより体調を崩しがちだった老婦人は倒れたのだ。

 夕方の帰宅時、自分がいれば――。だが、先祖返りした濃いあやかしの血を持つとはいえ、幽世のあやかし相手には手が出ないだろうと冷静に分析する。

 空也は言葉強く言い切った。


「去れ」

「俺に命令するのか」


 威圧に膝をつきそうになる。

 青年は薄く笑った。


「まあいい。界が違えど、一応、同種族に対する情というのはあるからな」


 空也の肩が僅かに揺れる。

 幽世出身の曽祖父と同じ兎のあやかしか。

 そういえば曽祖父は、強大な力を持った同族がいたと話した。

 茶や黒い兎が多い中、異彩を放つ真白い兎。

 戦場に雪を降らせることから雪将軍と呼ばれた。

 彼がそうなのか。


「ではな。もし万十郎殿が生き長らえ、幽世に帰還することを望むなら、迎えに行くと伝えろ」

「なっ――」


 瞠目する空也の目の前で雪とともに青年は姿を消した。


「僕は――」


 震える声音で万十郎は呟くと、力尽きたように崩れ落ちた。

 そして僅かな後、光の粒子を振りまきながら、甲羅に傷を持つ亀の姿へと変じた。






「空也?」

「――なんでもない」


 小町の声に、空也は我に返って頭を振った。

 受け取ったココアの缶を開け、一口飲む。

 温かく甘い飲み物は、知らず強張った身体をじんわりほぐした。


「やっぱり疲れてるのね。まあ、そうよね。幽世のあやかしと対峙したんだもの。そのあとすぐ、市河君を搬送しての治療でしょ。休む間がないわ」

「俺は何もしてないけどな」


 缶を握る手に力が入る。

 空也は状況を説明しただけで、治療を施したのは年季の入った年嵩の先生だ。

 そして、白髪のあやかしに関しても、何もできなかったというのが正しい。


「無事なだけで充分よ。けど、私も夕方遭ったみたいね。ちとせにだけ絡んだようで」


 柳眉を寄せる小町に、空也は冷静に告げる。


「酷な言い方だが、小町は無視されて良かった。遭遇しても、簡単に返り討ちされて怖ろしい想像しかできない」

「……そうね。空也は本当によく無事だったわね。幽世のあやかし同士のいざこざに割り込んで、それこそ恐ろしいわ」

「僅かだが同族に対する愛着があったのかもな」


 気まぐれでも助かったのは事実だ。

 自分本位な幽世のあやかし。

 だから、彼らは歩く天災といわれているのかもしれない。


 現世の環境を乱すほどの強すぎる力。

 異界に執着しない彼らは、何が原因で天変地異を起こすか分かったものじゃない。

 早々に幽世に戻ってほしいが、人間はおろか、現世に住むあやかしの言うことを聞くかも怪しい。

 そんな中、万十郎の手綱をとったちとせは規格外といえる。


 頬を上気させ走り去ったちとせの姿を思い出す。

 彼女を呼んでくれと言った万十郎の昏い瞳も。


 互いが互いを思い、遠慮しすぎてすれ違っている。

 一度二人きりで腹を割って話さなければならない。

 でないと、共に自滅しそうだ。


「ちとせも市河君も大丈夫かしら……。ついていかなくて良かったの?」


 妹を心配する姉の声音で小町は言った。


「呼びに行くよう頼まれただけだからな」

「けど、それじゃ、二人きりにするってことじゃない」

「何をいまさら。彼らは同じ部屋に住んでいるのに」

「今までと違うのは分かるでしょう」


 小町が何を言いたいのか分かる。

 もう、ちとせと万十郎はただの同居人ではない。


 万十郎と名を呼び、涙を流すちとせ。

 幽世のあやかしのこころのうちをのぞき込むのは非常に危険だ。下手をすれば道連れとなり深淵を彷徨うことになる。

 それを承知でなお、ちとせは彼を助けに行った。意識を持って行かれそうになりながら、無事呼び戻した。

 そして、意識を取り戻した万十郎がまず口にしたのは、ちとせの安否だった。

 お互いが自分のことより相手のことを想っている。

 そこにあるのは、もはやただの情ではない。

 それを目前で見せつけられて何が言えようか。


「俺たちの出番は終わった。後は二人の問題だ」

「空也……。あなたは優しすぎるわ」

「そうだとしたら、彼女に対してだけだ」


 空也は目を閉じる。

 まなうらに浮かぶのはまだ幼い彼女。

 空也がちとせと出会ったのは十年前。彼女は知らないだろうが、水杜島で空也はちとせと会っていた。


 先祖返りにより濃いあやかしの血を持って生まれた空也は、幽世の知識を得るため現地に赴いたことがある。

 初めて訪れた時、無事に現世に戻ってきたはいいものの、幽世に滞在した影響か動物に似たあやかしの姿へと変化して戻らなくなってしまった。

 初めて変じたあやかしの姿。空也は自分が人間であるのかあやかしであるのか分からず途方に暮れていた。


 そんな時、幼いちとせはやってきた。

 バスケットを持って同年代の少年を連れ、門の泉がある森へと入った。

 彼女は空也と知らず、小さな黒兎を全身で愛でた。

 空也は子供が苦手だ。特にかしましい女の子には近寄りたくもない。

 だが、不思議とちとせにはその感情が沸かなかった。

 後から知ったが、彼女の祖母が現世の門を守る系譜だった。

 もしかしたら、人間でありながらあやかしに通じる系譜であるため、嫌悪感が沸かなかったのかもしれない。


 結局、無邪気に戯れる彼女に、ささくれだった空也のこころは次第に落ち着きを取り戻した。

 そして、冷静な自分を見る別の瞳に気付く。

 同伴の少年ではない。

 バスケットの中の亀だ。

 纏う気配から幽世のあやかしであると悟った。

 甲羅に大きな傷を負った亀は明らかに少女に傾倒していた。そして少女も亀を慈しんでいた。

 少女と亀の関係は分からない。

 だが、空也は一抹の寂しさを覚えた。


 今思えば、一目惚れに近いものだったのかもしれない。

 彼女なら人間でもあやかしでも関係なく受け入れてくれる。

 そう思えばほのかな熱も生まれる。


 けれど、彼女は自分のものだけではない。

 バスケットの中にいた亀がじっと黒兎の空也を見ていた。

 あやかしなのだから、亀も知能がある。亀は威嚇するように冷たい視線を送った。

 射すくめるような視線に空也は金縛りにあったように動けなくなった。

 その間に彼女は空也と離れ去ってしまった。


 そしてしばらくの後、彼女は戻ってきた。

 バスケットの中には何もない。

 だが、左手の甲には霊力を纏った印が刻まれていた。

 それが何かは分からない。

 ただ、淡い熱は瞬時にかき消えた。

 

 再び黒兎とじゃれ合い立ち去った後、空也は少年の姿に戻っていた。

 悲しくて寂しい。

 けれど、彼女が幸せならそれでいい。

 子供でありながら、空也は達観した。


 淡い思いとともに子供のころの記憶として大事にしまい込んだ。

 そして、大学で小町がちとせを引っ張ってきたとき、懐かしい思いとしてよみがえった。

 このまま見守ろう。そう決心した。


 だけど……。

 もう一度彼女が泣くようなことがあれば、俺は……。


 空也はココアを飲んだ。

 甘い中に切ない苦さがあった。




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