ひとの血あやかしの力
特別棟の一室。患者や見舞にきたひとがくつろぐ共有スペースに私はいた。
テレビや雑誌、子供用の玩具まで揃えられており、普段は賑やかなのだろうそこは、今は静まり返っている。
コン、と私の目の前にミルクティーの缶が置かれた。小町先輩だ。
「どうぞ」
「あ、お金……」
「受け取ると思う?」
「……ありがとうございます」
明日にでも、代わりになるもの差し入れよう。ノンアルコールビールでいいか。
缶を持つと、手にじんわりと熱が伝わる。タブを開き口に含むと優しい甘さが広がった。異にすとんと落ち、温もりが全身に広がる。
ほうと息をつく。思ったより冷えていたようだ。薬液に浸したことによる手の痺れや痛みはもうない。
小町先輩は野菜ジュースのストローをさした。
僅かな沈黙の後、先輩が口を開く。
「落ち着いた?」
「はい」
万十郎の意識が戻ると、担当医らしき白衣の男性が呼ばれ、詳しく診るからと追い出された。
私は、小町先輩に共有スペースに連れられ、今に至る。
「さて、色々聞きたいことがあるでしょ」
「それはもう」
病院のこと。先輩たちのこと。本当に色々と。
けれど、まずは。
「万十郎は大丈夫なんですか」
「まずは、そこなのね。ええ。意識が戻るかどうかが一番重要だったから、もう心配ないと思うわ」
「そうですか。よかった」
欲しい言葉が貰えて深く安堵した。
どのように核を治療するのかさっぱりだけど、専門家に任せよう。
いや、この場合は専門医か。
空也先輩の説明では、まず核を修復する。そして、飢餓状態をどうにかする。核が治っても空腹は満たされないなら、今後のことを万十郎と話さないといけない。もう、お互い曖昧な関係ではいられない。
どちらにしろ、万十郎と面会できるようになってからで、今ここで小町先輩と話すことではない。
それに、万十郎のことを除いても、先輩に聞きたいことは山ほどある。
私は、病院での出来事を思い出しながら口を開いた。
「犬と猿が寄り添っていました」
「同室で仲良くなったそうよ」
「獅子がいました」
「ロビーですぐ居眠りするおじいちゃんね」
「空也先輩がお医者さんでした」
「残念ながら、まだ将来有望どまりよ。今は実習生という立場かしら」
入学時にカリキュラムを見たけど、実習は五回生になってからのはず。まだ先輩たちは三回生なのに、飛び級じみたことをしているのか。小町先輩は続ける。
「医師の補佐という立場なら、もう何年もやってるわね」
もっとすごかった。資格は必要ないのか。試験はどこへ行った。
改めて不思議な病院だ。一見、規模こそ大きめだがありふれた総合病院。けれど、同じ敷地内であやかしの治療も行っている。
「特別棟ってあやかし専門病棟だったんですね」
「その通りよ。どんな生き物も、生きていたら病気にもなるし怪我もする。ここは、普通の病院にはかかれないあやかしたちの治療の場。そして、空也はあやかし側の跡取りね。ついでに私は人間側」
なんとなく不思議に思っていた。小町先輩は望月家の令嬢として注目を集めているのに、空也先輩はそうではない。女性から黄色い歓声を浴びていたが、社交とは無縁に感じた。
そもそも、医大としてはありふれた学校であやかしの治療法なんて学べるのか。
「一応、大学にもあやかし専門コースはあるのよ」
「うそっ?」
「有資格者だけに存在は知らされているの」
全然ありふれてなかった。
広い敷地に沢山の教室棟。卒業するまで利用することがない建物もありそうとは思ったけど、予想の斜め上をいっていた。もしかしたら、知らないだけで、校内にはあやかしの学生がいるのかもしれない。
とんでもない大学に入学したものだと、改めて思い知る。
けど、おかげで万十郎を治せるのだから感謝しかない。
そして、至った疑問を恐る恐る聞く。
「もしかして、先輩たちもあやかし、とか……?」
「残念ながら人間よ。年齢も見たまま、やっと堂々とお酒が飲める年」
「ならもっと控えましょう。控えてますよね」
「告げ口が怖いからほどほどにね。――創業者である曽祖父があやかしなの」
「……半分当たりでは?」
「私は腕っぷしが強いだけのただの人間。空也は先祖返りを起こした多分人間」
「多分っ?」
けらけら笑う小町先輩。くすくすではないあたり、素が出ている。
しかし、すぐに笑みを引っ込めると、目を伏せた。
「母親の胎内であやかしの血をすべて空也が持って行ったみたい」
その言葉は静かに響いた。
「弟はほんとに普通のひとなのよ。ただ、見えないものが視えて、不思議なちからを持つだけ」
「……小町先輩も空也先輩みたいになりたかったんですか」
見えないものが視えて、不思議なちからを持つあやかしの血。
「まさか。逆よ」
小町先輩は大袈裟に驚いた。
瞳を伏せて続ける。
「私もあやかしの血の力を受け継いでいればよかった。そうすればあやかし医療の専門外だとはじかれることもなく、空也と並べた。けど、私はどうしようもなくただの人間で、空也と同じ目線でものを見ることができない。彼と同じ道には立てない。背負わせてしまった。純粋な人間として生きるすべを奪った。どうしようもないけど、無性に謝りたい気持ちになるときがあるの。もちろん、受け入れてくれないけど」
私は小町先輩を見る。
力なくストローをつつく彼女は、年相応に悩み、愚痴を言う普通の女性だ。
空也先輩はどうだろう。無口で優しい図書館の住人。普段、何を考えているのか分からない物静かなひと。
私は苦笑した。
先ほど会った時と全然違う。
眉を寄せる小町先輩の目を見て口を開いた。
「白衣姿の空也先輩は、普段の無口が想像できないほど饒舌で、万十郎を治すために真摯に向き合ってくれました。患者を良くしようとする姿に気負いとか感じませんでしたよ。むしろ、生き生きして見えたくらい」
少なくとも、女性に囲まれているときよりずっと目に力があった。
「空也先輩は小町先輩に、あやかしの血とか力で悩んだり文句を言ったことはありますか」
「あるわけないから、謝罪を受け入れてくれないの」
「謝られることだと思ってないからですよ。生まれつきの体質なんて誰のせいでもない。小町先輩が勝手に自分を卑下しているだけです。そんなことないのに」
「卑下……?」
「当人が気にしてないことを気にして、自分の体質を短所に捉えるってそういうことじゃないんですか」
ちょっと強く言い過ぎたかもしれない。
小町先輩は黙って聞いたあと、ぽつりと呟いた。
「確かにそうかもしれないわね」
「……すいません。言い過ぎました。全部、私の憶測なのに」
「いいえ、ありがとう。……また、慰められてしまったわね」
恥ずかしそうに笑う小町先輩は、やはり高嶺の花として微笑む姿よりずっと綺麗で親しみやすく映った。
そして、普段颯爽として格好良い分、後ろ向きな考えで落ち込む姿ってギャップがあって可愛いかも、なんて。
ちょっと新しい扉を開きそうになった。
ほんのり滲んだ嗜虐的思考にはきっちり蓋をして。
万十郎や望月姉弟のことを除くと、残る大きな問題点。
「万十郎を襲撃したのは白髪に赤目のあやかしですか」
「ちとせは彼のことを知っているの?」
小町先輩が驚いた表情をした。
やっぱり。
万十郎の過去で視た彼。そして、昨日の放課後、帰り道で遭遇した彼。
同一人物だ。
「白夜……」
呟いた声は思った以上に固く響いた。
「雪将軍の名前まで知ってるなんて。危険人物だからできることなら知らずに済ませたかったんだけど……。ええ。市河君に怪我を負わせたのは彼よ。幽世のあやかし白夜」
小町先輩も表情を引き締める。
缶を握る手が強くなった。
「現世で生まれ育ったあやかしと違って、幽世のあやかしは人間を下等生物ととらえる。そう自尊する能力の高さもある。空也が止めに入らなかったら、本調子とは程遠い市河君は、怪我ではすまなかったかもしれない」
淡々と告げられる事実に身体が強張る。
白い髪に赤い瞳の着物姿の男性。驚くほど麗しく、怖いほど冷静。
「幽世のあやかしはひとりいても現世に重大な影響を及ぼす恐れがある。だから、繋がる門を監視する役目を担った一族がいるの。昨日本家にそれらしい人物が現れたと連絡があったばかりなのに」
昨日の放課後、小町先輩が図書館にやってきた空也先輩への用事とはそのことか。随分昔に感じる。
帰り道に私はくだんの人物とあった。彼は小町先輩をなりそこないと言っていたが、さきほどの先輩の言葉で腑に落ちた。万十郎の過去でも、彼は人間を下にみていた。あやかしと人間の混血なんて認めないだろう。
「あのあやかし、また来るんでしょうか」
「多分ね。どのみち、幽世に追い返さないと安心できないわよ」
「確かに」
けど、どうやって。
相手は天変地異を自在に起こすあやかしだ。下等生物なんて烙印は真っ平御免だけど、やはり何の力も持たない人間には荷が勝ちすぎる。
小町先輩も同じ結論に至ったようで、柳眉をひそめて首を振った。
「私たちだけでどうこうできる相手ではないわ。空也と、雪将軍と因縁のありそうな市河君の意見が必要ね」
「――ちょっといいか」
まさに今話題にした空也先輩が、共有スペースのドアを開けて顔を覗かせた。
先輩は私を見ると、遠くに顎をさした。
「市河が呼んでる」
「万十郎がっ?」
私は慌てて立ち上がった。
小町先輩が微笑んで私を送り出してくれた。
「いいわよ。いってらっしゃい」
「すいません。行ってきます」
残りのミルクティーを飲み干し、空き缶を回収ボックスに入れて足早に部屋を出る。
勢いのまま走りそうになり、あっと立ち止まる。
「どうした」
顔を傾ける空也先輩に頭をさげた。
「あの、万十郎を助けてくれてありがとうございました。空也先輩は怪我とかしませんでしたか?」
「俺はなんともない。幸いあちらはすぐ引き上げたからな。それに、市河が助かったのは君の助力によるところが大きい」
「私は名前を呼んだだけです。そもそも、小町先輩に連れられるまで万十郎の不調も襲撃も知らなかったんですから」
何か言い募ろうとした空也先輩に首を振る。事実なのだから、これ以上言葉を重ねる必要はない。
それとは別に、言わないといけないことがある。
一度口をつぐんで指を組む。言い淀んだことを察した空也先輩は黙って待ってくれた。
「さっき憶測で小町先輩に空也先輩のことを話しました」
「俺のこと?」
「先輩たちの曾御爺さんのことです」
「ああ」
空也先輩は得心がいったように頷いた。
「あやかしの血や力のことか」
「はい。……見えないものが視えて、不思議な力が持つことが幸か不幸か。そんなの、他人が勝手に判断して決めつけることではないのに……。けど、私はそうしてしまいました」
「そう」
先輩が私に向き直る。
「君はどう思ったの」
「私? 私は……」
揺れる白衣の裾を見ながら呟いた。
「空也先輩は不幸には見えませんでした」
私が小町先輩に言った言葉に偽りはない。
けど、冷静に考えれば、他人が自分の意見を押し付けただけで、余計なお世話と罵られても不思議ではない。
病室で万十郎を診る姿は頼もしく映ったけど、だからといって図書館で静かに過ごす姿が不幸に見えるかといえば決してそうではなく、白衣姿の先輩も物静かな先輩も同じ空也先輩で、どちらが不幸か決めつけるのはおかしいと思った。
項垂れた私の頭に、ぽんと手が置かれた。
「俺は幸せだよ」
見上げると、やはり饒舌な先輩が。
あやかしの力は人間社会で生きるには不必要な能力だ。けれど、それが万十郎を生かしてくれた。
「すいません」
「謝罪は受け取らないと聞かなかった?」
私は目を丸くした。
咎めるでもなく、静かに聞くでもなく、悪戯じみた表情で訂正してくれたことにじわじわと笑みが広がる。
「そうですね」
私は今日初めて心から笑った。




