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あやかし家政夫  作者: 琴花
第五章
37/49

特別にも限度がある

「今日はこのあと予定あるかしら」


 小町先輩が聞いてきた。

 まだ日は高いけど、今日の講義は終わったたし、図書館で勉強する気もおきない。帰って落ち着こうと思っていた私は、かぶりをふる。


「特にないですけど」

「なら少し付き合ってくれるかしら。会ってほしいひとがいるの。……と、その前に。後ろをむいてもらえる?」

「え? はい」


 背を向けると、細く長い指が髪を触った。


「寝ぐせ。もう少し見られるようにしてあげるわ」

「はい……」


 朋子も指摘した頑固な寝ぐせは、午後をずいぶん過ぎても健在らしい。


「まったくもう……。身なりも少しマシになったかと思うとこれだから」


 言いつつも、髪を梳く手は優しい。

 髪を触られるのなんて小学生以来なので、なんだかくすぐったい。

 自分の格好を見下ろすと、色褪せたトレーナーとジーンズ。以前着ていた、見た目度外視着用感重視の服装だ。


 ――見てもらいたいひとがいないんじゃ、格好なんて気にならない。


 後ろから微かな笑い声がした。


「以前、あなたの前で市河君に同じことを言った時は、目を丸くしていたのに、今はごく普通ね」

「……忘れてください」


 ただ行動をともにするという意味の付き合うを、変に勘繰りしてしまった以前の私に言い聞かせたい。

 そう思ってしまった時点で、もう私の思いは決定しているのだと。


「こんなものかしらね」

 

 手を当てると、後頭部に固い感触がした。


「バレッタよ。折角整えたんだから、あまり触らないように。カジュアルでどんな格好でも違和感ないから、おしゃれ初心者のちとせに丁度いいわ」

「ありがとうございます」


 ここに鏡がないのが残念だ。先輩がもっていても、二つないと後ろは見られない。


「お古だけど、よければあげるわ」

「でも」

「いいの。私は他にもたんさん持ってるから」


 確かに、小町先輩ならアクセサリーの類も多く持っていそうだ。

 ここは厚意に甘えておこう。


「ありがとうございます」


 髪をさわって、お古のアクセサリーをくれて、なんだか……。


「先輩、お姉ちゃんって感じです」


 切れ長の瞳が大きく瞬いた。

 想定外の言葉を聞かされたという感じに驚かれ、私は思わず頭をさげた。


「えっと、すみません」

「いえ、いいのよ。そんなこと言ってくれたのは初めてで、びっくりしただけ。……嬉しいわよ、もちろん。ありがとう」


 ふっと和らいだその表情は、孤高の華ではなく、道端に咲くタンポポみたいに柔らかく親しみのある花にみえた。




 そして、連れていかれた先は。


「病院?」


 建物の上部にある望月医科大学付属病院という文字。

 二日連続でくることになるとは思わなかった。




   ☆   ☆   ☆




 志津子さんに会いに行くのかと思ったけど、家族でもないのに、意識不明の重症だった彼女に昨日の今日で面会できるわけがない。

 思った通り、敷地内に入ってすぐ、病棟に向かう道とは別の通りを歩いた。

 そして、たどり着いた建物に首を傾げた。

 

 望月医大にはふたつ建物がある。

 ひとつは、いわゆる総合病院と言われて思い浮かぶもので、外来に検査室、入院患者の病室などが備わった建物だ。地域の核病院だけあって、規模は大きい。昨日はここの救急入口から入り、今日用があるのもこちらかと思った。

 しかし、小町先輩が案内したのはもうひとつの建物だった。


「ここは……」

「特別棟よ」


 私は白い外壁を見上げた。風雨にされされた古臭さを歴史の重みに変えた重厚な建物だ。

 特別棟という名称は知っているけれど、いわゆるスタッフオンリーの建物で、中がどうなっているかは分からない。

 大きさは先ほどの建物の半分ほど。大きすぎるわけではないが、それでも小さな町の総合病院くらいの広さはある。

 研究のための建物か、はたまた危険な感染症や犯罪者などなんらかの理由で隔離された患者が収容された建物か、どちらにせよ一般人には用のない場所だ。


「ここに何の用が……」

「行けば分かるわ」


 小町先輩は迷うことなく関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉を開けた。

 今更帰るという選択肢をとれるわけもなく、私も後に続いた。


 入った瞬間に感じた空気の変化に、私は眉を寄せた。

 病院にありがちな薬品の匂いはなく、どことなく深い森のなかにいるような、寂れた社に向かう参道を歩いているような空気だ。


 一歩足を踏み出す。

 靴底に感じるのは硬い廊下なのに、歩いているのは濃い緑香る草道で、闖入者に動物たちが身をかがめて様子を窺っているような気さえする。

 なんて奇妙な心地。


 遠く話し声が聞こえて、我に返った。

 何を夢想しているのだろう。

 外見こそ古びているけど、中は掃除が行き届き、現在も利用されている。特におかしなところなんてない。

 気を取り直して姿勢の良い後姿を追いかける。


 狐が通り過ぎた。


「――え」


 思わず振り返ると、狐もこちらを見上げた。しかし、僅かの間、すぐに興味は失ったとばかり、狐は豊かな尻尾を揺らしながら歩き去った。


「ちとせ?」


 小町先輩が振り返ったときには、すでにその姿は廊下の曲がり角に消えていた。

 

「どうしたの? 狐につままれたような顔をして」

「え? いえ、あの――」


 つままれたのではなく通り過ぎました。

 脳内では素早い突っ込みも言葉としては出てこず、口を開閉させた。


「まあいいわ。行くわよ」


 なんでもないように流して再び歩き始める小町先輩だったけど、ちょっと待て。私の隣を通り過ぎたということは、彼女の隣も通り過ぎたということでは?


「あの」

「こんにちは、小町お嬢様。何か御用でしょうか」


 問いかけようとした声に、別の声が重なった。

 いつの間にかひらけた場所に来ていた。高い天井からは照明がぶら下がり、据わり心地のよさそうなソファーが並んでいる。開放感のある場所だが、奥にはカウンターのついた受付らしき場所があり、複数の職員がパソコンを叩いたり事務作業をしている。その中の一人の女性がこちらに顔を向けていた。声をかけてきたのは彼女だろう。


「今朝運ばれてきた彼に会いに来たの」


 小町先輩が対応するが、私は別の存在が気になった。

 私はそれらを凝視し、それらは私を物珍しげに見る。


「失礼ですが、あの方は今……」


 小町先輩の言葉に女性は困惑気味に返す。

 私は、私を見る二対の瞳を見る。やがて、私の視線が煩わしくなったのか、寄り添うようにソファーに座っていたそれらは立ち上がり、奥の廊下に消えていった。


「分かってるわ。彼女が印のあるじよ」


 小町先輩の言葉に女性は私の存在に気付いたようで、新たな視線を感じた。


「え? あの……」


 女性は驚いた様子で私をじっと見て、小町先輩に視線を移す。先輩が頷くと、彼女も納得したように雰囲気をやわらげ、表情を改めた。

 

「かしこまりました。この先突き当りの部屋です」

「ありがとう。行きましょう、ちとせ」


 丁寧にお辞儀をする女性に会釈を返して進む先輩の視線の先。

 足を向けるのは、先ほどの二対の瞳が消えていった廊下の先だ。


「先輩。質問です」

「あとでね」

「ここは動物病院ですか……?」


 男性が船をこぐ隣では化け猫のような大きさの猫が寝そべり、その二つ後ろの席ではテーマパークに売られている大きなぬいぐるみのような鼠が二匹寄り添うように座っている。壁際の観葉植物の枝には梟が羽をやすめ、部屋の隅に腰を下ろした獅子が。

 

 …………獅子?


「先輩……!」

「目的地はすぐそこだから」

「いや、それどころじゃ――」

「病院の中では静かに」


 ここで常識を持ち出されても――!


 見えているものは同じはずなのに、小町先輩は変わらず堂々と歩く。

 私は及び腰で先輩の服の袖をつかみ、我が道を行く彼女に引きずられるように先に進んだ。




 ペットを飼っている家庭が多い現在、動物病院が数多く存在しているのは分かる。

 獣医師が家庭で可愛がられている小さな犬や猫だけでなく、家畜や動物園で飼育されている大型の動物を診ていることも知っている。

 しかし、猛獣を檻にも入れず鎖にも繋がず放置するのは常識的に考えられない。


 廊下の両側に等間隔で並ぶドア。それぞれが病室のようで、開いたドアから寝間着姿の患者とくたびれた毛並みの羊が。


 ――ここは常識で考えたらいけないところのよう。


 先ほど図らずも見つめ合った二匹の動物といい、この建物にいるのは獣というより知性のあるなにかだ。

 

「そうだ、ちとせ」


 思い出したように先輩が振り向いた。


「はい……?」

「動物と表現したら、みんな怒るわよ。畜生と一緒にするなってね」


 私は目を丸くした。それはどういう意味だろう。

 口を開こうとしたとき、一番奥の部屋の扉が開いた。


「空也先輩……?」


 図書館にいないと思ったら、病院の敷地内の謎な建物にいたのか。

 青みを帯びた艶めく黒色の髪、鼻筋の通った秀麗な顔、手に耳に首にきらめくアクセサリー。相変わらず惚れ惚れする美男だが、今日はいつも着ている黒っぽい服装の上に白衣を纏っていた。


 冷たい美貌の下に優しい心を合わせ持った青年は、私の声に顔をあげると僅かに目を見開いた。

 黒曜石のような瞳と絡まること少しの間、視線が斜め前方にいる小町先輩に向かった時には、瞳に映る戸惑いは何かを確認するかのように強い光を帯びていた。


「ちとせなら大丈夫よ。昨日あれだけきつく言ったけど、もう立ち直ってるわ」

 

 微笑する小町先輩を見て、再度向けられた瞳が思案するように細められた。

 動物病院さながらのけもの率の高い建物。途惑う様子もなく居る先輩たち。

 何がなにやらだけど……。


 私は胸に手を当てた。

 心配かけたのだ。

 昨夜は万十郎に連絡をしてくれたうえ、消沈した私を病院からアパートまで送り届けてくれた。その道中は重い雰囲気で言葉はなかったけど、案じてくれた。今も。


「あの、ご心配をおかけしました。ありがとうございます」


 私は、深々と頭をさげた。

 廊下のくすんだ白色を凝視していると、靴の音が響き、頭に手が乗せられた。ぽんぽんと優しく撫でられる。

 そっと顔をあげると、無表情ながら優しい色をした黒の瞳と出会う。思わず笑みが漏れた。

 目は口程に物を言うとはこのことだ。

 本当に……。


「お兄ちゃんみたい」


 場が凍った気がした。


「あれ? どうしたんですか、小町先輩」


 思わず問いかけると、がっくり肩を落とした美女は疲れた表情で笑った。


「いえ、いいのよ。そう……。私がお姉ちゃんだもの、空也はお兄ちゃんよね……。こら、そこ、無表情で爆笑しない!」

「――ん」


 なにか失言した気もするが、雰囲気が和らいだのでよしとする。

 しかし、昨夜の病院と先ほどの大学での緊張したやりとりなどなかったかのように、いつも通りの小町先輩に、複雑な気持ちになる。

 

 ――まるで憎まれ役を買って出たかのよう。


「小町先輩も、ありがとうございました」

「ん? なんのこと」

「いえ……」


 左右に揺れる私の目を見て、小町先輩はふっと笑んだ。


「感謝されるようなことなんてしてないから、ちとせはさっさと彼に会いに行きなさい。空也もそれでいいわよね」

「ああ」 


 なにやら双子で意思疎通している。

 それより。


「結局、ここは一体なんなのですか」

「望月病院特別棟よ」

「だから、その特別の意味は――」


 なおも問いかけようとする私に、小町先輩が意味深に笑った。


「もう気付いているのではないの?」

「それは……」


 私は口を閉ざした。

 特別棟の意味。会ってほしいというひと。

 うすうす察しはついている。けれど、まだ決定的なものが足りない。認めるには二の足を踏む。

 ふたり顔を見合わせると、小町先輩は困った顔で微笑んだ。


「思い込みや常識なんてものは、目に見える現実の前には崩れてしまうもの。けど、あなたを信頼している事実は変わらないから」


 そして、小町先輩は頭一つ分高い弟をみる。

 空也先輩は頷くと、真剣な面持ちでわたしを見た。


「きてほしい」


 言うと、先ほど出てきたドアに目を向けた。

 その時、向かいのドアが僅かに開き、先ほどロビーで長く見つめ合った二対の瞳――猿と犬がこちらの様子を窺った。


「大丈夫」


 空也先輩は二匹のけものに頷くと、私に「来て」と言って部屋の中に消えていった。

 

「……えっと」


 再度小町先輩を見ると、彼女は笑った。


「行きなさい。助かる命は救うんでしょ?」


 いまだ躊躇していた私は、その言葉にはっきりと頷くと、口元を引き締めて空也先輩の後を追って部屋に入った。 

  



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