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あやかし家政夫  作者: 琴花
第五章
36/49

乱れる思い

 目が覚めた時、違和感を覚えた。

 それが何か分からず、寝ぼけまなこで起き上がる。


「――ん?」


 原因はすぐに分かった。

 静かだ。

 私以外のひとの気配がない。


「万十郎?」


 いつもなら図ったように顔をみせる万十郎が姿を現さず、思わず呼びかけるも、返答はない。

 台所に顔を覗かせるも、定位置のそこには姿はない。


 どこかに出かけているのだろうか。けれど、今日はゴミの日ではないし、買い物に行くには時間が早すぎる。

 なんて、完全に主夫扱いしてしまって反省する。

 とりあえず、着替えて学校の支度をしよう。

 

 そして、一時間ほど。

 日は完全に昇り、小鳥がうるさいばかりに囀る。

 私は教科書をめくる手を止めた。

 支度はおろか、予習もキリがいいところまで進んだ。

 なのに、まだ帰ってこない。


 ――帰ってこないんじゃなくて、帰ってこられない……?


 突如として浮かんだ恐ろしい予感に身体が震える。

 夜の間にどこか出かけたんだろうか。

 そして、何かあった?

 けど、それが本当なら、どうして夜半に出かけたりしたんだろう。

 

 ――『ひとって色々よ。その時々で見た目と印象って変わるもの』


 なぜか小町先輩の言葉が浮かんだ。

 万十郎は、私にはいつも優しく接してくれる。けれど、あやかしの片鱗を見せたときはまったく印象が異なる。


 息をついて、なんとなく癖になった左手を包んだ右手をはがす。

 そして、目を瞠った。


「――え?」


 左手の甲に印が浮かんでいた。


 このアパートに来たばかりのころ、万十郎があやかしの証拠として見せた、十年前につけた印。浮かび上がったそれを私は怖がり、見えないようにしてもらった。

 それからは自然にないものと振る舞えるようになったけど、今またこうして浮かび上がっている。

 それも、漏れ出る光の金と艶めく黒ではなく、全体的にどこかくすんでいる。


 嫌な予感が沸き上がる。


 私は手早く着替えて、改めて部屋の中を捜した。

 しかし、アパートの小さな一室、すぐに誰もいないと判明する。

 人はおろか、小さな亀すら見当たらない。


 まな板を叩く包丁の音、炊飯器からあがる蒸気の匂い、当たり前の朝の日常がない。

 おはようございますと笑う、優しい笑顔がない。


 ――万十郎がいない。


 その事実を突き付けられ、私は胸の奥に鋭い痛みを感じた。




   ☆   ☆   ☆




 万十郎を捜そうと思ったが、すんでの所で理性が押しとどめた。

 捜そうにも当てがない。

 水やりをしていた大家さんにそれとなく聞いたが、成果は得られなかった。むしろ、昨日志津子さんに付き添って病院に行ったことを心配された。

 姉弟先輩とも会えていない。……というより、会いにくい。だが、これは私自身の問題だ。

 結局、万十郎が行きそうな場所にも心当たりがないため、闇雲に捜すのは悪手だと判断した。


 そして、万十郎がいなかろうと学校はある。

 どこでもいいから捜しに行きたいという思いに蓋をして登校し、無心に机に向かった。

 午前の講義を終えて、私は朋子と食堂にいた。




 目の前には温しゃぶサラダ定食。

 すきっ腹は駄目だと、朝は温めた牛乳だけ飲んで登校したが、昼になっても食欲はでない。

 せめて、消化のいいものを食べようと、空腹を満たす学生のたまり場である学食のなかでも、食べやすそうなものを選んだ。


「いただきます」


 豚肉をつけあわせのカイワレ大根でまいてポン酢をかけて一口。


 ……まずくはない。けど、これじゃない。


 万十郎と食べた夏の冷しゃぶは、ポン酢も手作りだった。

 みそ汁もご飯も、味も柔らかさも違う。


「食欲ないの?」


 朋子が聞いてきた。健啖家な彼女は唐揚げ定食だ。


「うん……。そうかも」

「欲しくないときは無理してたべなくていいと思うよ。なに、人間、数日食べなくても生きていけるから平気平気」


 からりと笑う朋子に、私は苦笑する。 

 けれど、廃棄されるのは嫌なので、食べられるだけ口にして、お茶で流し込む。

 見計らった頃に、朋子がぽつりと呟いた。


「今日も心あらずだったね」


 前も同じようなことを言われた。

 原因は万十郎に関すること。

 けれど、何があったのとは聞いてこない。

 ただ、側にいて、たわいもないことを話す。けれど、真剣な話も聞いてほしいときは相談にのってくれる。

 私にとって、とても貴重な友人だと思う。

 だから、私は口を開いた。


「前に話した、一緒に住んでる訳アリの人が、朝起きたらいなくなっちゃってて」


 瞬間、朋子が音を立てて席を立った。


「やり逃げっ!?」

「え? やり……?」

「……いや、なんでもない。ちとせを見たらそうじゃないって分かる」


 こほんと咳払いをし、朋子が席に座った。

 なんのことだろう。なんとなく、馬鹿にされている気がしないでもない。

 そして、貴重な友人は小町先輩属性な感じがする。

 眉根を寄せる私に、朋子は「それで?」と先を促す。 


「夜のうちに出かけたのかなと思ったけど、どこに行ったのか、なぜ出かける必要があったのか分からなくて。何かあったのもしれないと思ったら気になって……」


 万十郎に連絡するすべはないし、誰かに相談しようにも、あやかし関連の相談口などない。島の両親にはそれとなく電話してみたが、互いに近況を伝え合うのみで、なにかあったという感じはなかった。

 手詰まりだった。


「心配でたまらないんだ」

「……うん」


 もしかしたら、あやかしの世界に帰ったのかもしれない。

 昨夜、苦い過去を話したことで愛想をつかしてしまったとか……。

 話し終えたあとの心配げな表情に、そうではないと信じたいけれど、現実に万十郎はいないわけで。

 あれから消えない褪せた印も気になる。 

 どこに行ったのだろう。何があったのだろう。

 胸のうちがかき乱されるようで気持ち悪い。

 ため息をつくと、指をさされた。


「八の字眉」

「え」

「昼過ぎても存在を主張する寝ぐせ」

「え? うそ」

「自分をかえりみる余裕がないほど、気になってるんだね」


 そうかもしれない。

 今日が休みなら当てもなく捜し歩いただろう。

 いや、学校があっても捜して回ろうかと思った。

 サボりなど考えたこともない私が、僅かでも学業を後回しに考えた。

 結局はこうして登校したが、可能性があっただけでも以前の私からは考えられないことだ。

 頭を押さえているのは、寝ぐせを隠すためか、途方に暮れているためか分からない。――両方か。

 視線に気づいて顔をあげると、なぜか朋子が目を輝かせていた。


「いいね、青春だ!」

「はい?」


 なんのことだ。

 目を白黒する私に、朋子はにやりと笑った。


「趣味は勉強、授業の席は一番前が定位置。好きな本は教科書なちとせが気になって仕方ない男の人なんだから、もう決定でしょ」

「――え?」


 何か勝手に朋子の中で完結している。

 相談しながら置いてけぼりな私は、頭に手を置いたまま戸惑うしかない。

 朋子は笑みを引っ込めると、頬杖をついた。


「真面目な話、私から言わせてもらうと、その人も子供じゃないんでしょ? なら、一晩姿が見えないくらいで騒ぐほどのことじゃないと思うけどな」

「う……」


 確かにその通りだ。

 けれど――。

 続く思いを朋子は代弁した。


「けど、そんなこと関係なく心配でしょうがない?」

「……うん」


 小さく頷くと、朋子は深く息をついた。

 そして、微笑した。優しい、自然な笑みだった。


「いいんじゃないの」

「朋子……」

「なら、行動すればいいんだよ。心当たりを探すもよし、共通の知り合いに尋ねるもよし、最後の手段は警察に駆け込むとか」

「警察はちょっと……」


 思わず苦笑いをした。

 つられて笑った朋子は、食事を再開する。美味しそうにご飯を頬張る姿を見て、万十郎の料理を食べるとき、私もこんな様子なのかと思った。

 ただ、今は見ているだけでお腹がいっぱいになってきたので、私の定食をそっと押し出す。 

 それからは特に何か語るでもなく、朋子は私の残りの定食を平らげた。

 そして、席に立つときに一言。


「ちとせはちとせがしたいようにすればいいんだよ」


 結局何の解決にもなっていないが、話を聞いてもらい、一緒に過ごしてもらったことで、気持ちが少し軽くなった。

 あと、食品ロス軽減については頼もしかった。






 夕方、図書館に寄った。

 自習するためではない。空也先輩に会いに来たのだ。

 本当は小町先輩に会いたかったのだけど、あの人は何でもないときは向こうから寄ってくるのに、こちらから捜そうというときはなかなか捕まらない。なら、弟の空也先輩なら彼女の居場所が分かるのではと思ってのことだ。

 勉強以外の理由で図書館に来たのは初めてで、どことなく後ろめたい。

 それでも、大きなドアの取っ手を引いて中に入って――。


「いない?」

「はい。今日は来ていませんね」


 司書の女性スタッフが事務的に言った。空也先輩目当ての女子学生が多いのか素っ気ない口調だ。

 三階の特別室にもいなかったし、図書館以外に空也先輩がいそうな場所が思い浮かばない。

 もうアパートに返ったのだろうか。 

 スタッフに頭を下げて退館しようとすると、後ろから声がかかった。


「空也なら今日はいないわよ」


 小町先輩が腰に手を当て私を見ていた。


「あの子に何か用?」

「いえ、用があるのは小町先輩です。空也先輩なら小町先輩の居場所を知っているのではないかとと思って捜していたんです」

「私?」


 私は一呼吸置いて口を開いた。


「――昨日のことで話があって」

 

 小町先輩は切れ長の目を細めた。

 沈黙はほんの数秒。


「場所を変えましょう」


 言うと、返事も待たずに私に背を向けた。

 私は慌ててスタッフの女性に会釈をし、立ち去る背中を追った。

 そして歩くこと数分、森の広場にやってきた。

 それまでの間、会話はない。賑やかなくらい構ってきたこれまでを思うと、やはり寂しく物悲しい。

 やがて立ち止まった場所は、よく昼食で利用した奥地だ。時計塔が立ち、小さな池に落ち葉が浮かんでいる。ベンチに座ることはせず、小町先輩はこちらを振り向いた。


「それで、話って?」


 腕を組んでこちらを見下ろす長身は、思った以上に迫力がある。

 いつもおどけて見せる印象だったけど、それは彼女の一部分でしかない。

 無表情に見定めるような視線を向ける姿も、望月小町だ。

 こくりと喉を鳴らし、私は頭を下げた。


「昨日はすいませんでしたっ!」


 僅かの間の後、静かな声が返ってきた。


「それは何に対する謝罪なのかしら」

「人が倒れた現場に居合わせておきながら、何もできなかったことです。腰が引けて、救急車を呼ぶとか、野次馬を散らすとか、一般の人でも思いつくようなことがまるでできなかった」


 先輩が救急車と言っていたのに、言葉が素通りしてしまった。


「それで?」


 素っ気ない言葉に、私は唇を噛む。

 なまなかな答えでは先輩は納得してくれないだろう。

 私は、今朝、万十郎がいなくなった理由や居場所を探るため、親に電話をかけた時のことを思い出す。


 近況報告がらて、昨日起こったことを話した。

 志津子さんが倒れた現場に遭遇して、祖母のことを思い出したこと。

 彼女はすぐに大学病院に運ばれ、適切な処置を受けて一命を取り留めたこと。

 なのに、祖母は倒れた瞬間を見ておきながら、病院に連れていけず、助からなかったこと。

 志津子さんと祖母を比べてしまって、情けなくて空しくて落ち込んでしまったこと。

 つらつらと並べて、知らずため息をつくと、ずっと黙って聞いていた母親が一言。――「それで、あなたはどうしたいの」


「助けたい」

 

 私は手を握り締める。

 

「助かる命なら助けたい。目の前で消える命を見ているままなんてしたくない」


 張り詰めた空気、ざあざあと降り続く雨、木のしなる音。

 部屋から追い出され、廊下でうずくまっていたときのことは今でも忘れない。


「綺麗事ね。世界を見てごらんなさい。救急車どころか、ワクチン一本で救える命なんてごまんといるわ。生まれた場所、育った場所で命の重さは変わってしまう。理想は現実にはならない」

「それでも、理想を追い求めることは自由です」


 うずくまった子供は医大生になった。ここで折れるか食いしばりながらも進むかは本人次第。


 ――なら、私は進みたい。


 小町先輩を見る。切れ長の瞳が見定めるように私を見返す。

 長いような短いような沈黙の末、先輩がぽつりと呟いた。


「青臭い」

「先輩……」

「社会なんて、既得権益としがらみにまみれているわ。そんなこと言ってると、すぐに理想と現実の違いにぶつかってつぶれるわよ」


 言葉通り、既得権益としがらみにまみれた環境で生まれ育った彼女の言葉は重い。

 これ以上は何を言い連ねても変わらない。ただ、無言で整った顔を見つめる。

 どれくらい見つめ合ったのだろうか、小町先輩が深く息をついた。


「……けど、嫌いじゃないわ」


 瞬きの間に、瞳の色が和らぐのを感じた。

 小町先輩は、諦めたような、けれど、少しだけ羨望の混じった声で、仕方ないとばかりに肩をすくめた。

 

「勝手になさい」

「先輩っ」


 思わず頬が緩んだ私に、釘を刺すように一言。


「けど、言ったことは訂正しないし、謝らないわよ」

「もちろんです」


 先輩が言ったことは正論なのだから当然だ。


「――まったく、仕方ない子ね」


 小町先輩はかぶりをふって雰囲気を霧散させると、僅かに苦笑した。

 それはなんだか、出来の悪い妹を見るような表情だった。

 



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