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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第七章 機構

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第089話 二つの行

血統書の様式


一、表の欄


血統書の表の欄は十四とする。十四に定めたのは令和百八十二年であった。欄の順は左から、番号、系統、母個体、父個体、出生の年月日、収容の経歴、体重、等級、係数、処置の履歴、繁殖の可否、交配の履歴、産子の数、交付の年月日とする。


番号の欄は左の端に置く。名を記す欄は本様式に置いていない。欄の幅は左から三番目までを広くとってあった。


四番目から先は等しい幅とした。広くとった年は令和百八十二年であった。収容の経歴の欄は行を二つとする。


三行目を要する場合の扱いは定めていない。園の別を記す欄も本様式に置いていない。本年度に三行目を要した例は零件であった。


十年で二件になった。


二、交付の相手


血統書は個体に対して交付し、当該の個体が保管する。保管の場所は当該の個体の居室とする。交付を受けた個体が記載の内容を読めるかどうかを確かめる定めは本様式に無い。


読み上げる手続も置いていなかった。交付の際に立会う者の数は定めていない。本年度の交付は立会いを付けずに行っている。


本年度の交付は一件。前年度は零件であった。十年で四件であった。


四件とも交付の事由の欄に同じ語が入っていた。当該の語を定めた書面は当部門に残っていない。四件のうち三件は当該の個体が既に在籍していなかった。


残る一件が本年度の分になる。


三、欄が空の場合


欄が空の場合の扱いは本様式に定めていない。定める旨の議は令和百九十年に一度出ていた。結果の記載は残っていなかった。


空の欄に横線を引くか、そのままとするかの別も定めていない。実務では両方が見られた。空の欄について、後から記入する手続は置いていない。


記入した例も本年度には見当たらない。空のまま交付した例の数を、当部門では数えていない。数える旨の定めも置いていなかった。


母個体および父個体の欄がいずれも空である場合、当該の個体は交配の計画の対象から外れる。外れる旨を個体へ示す定めは無い。外れた個体を戻す手続も置いていない。


十年の綴に戻した例は無い。


四、係数の欄


係数の欄には母個体および父個体の欄から算出した値を記す。算出の式を記した書面は本様式に添えていなかった。両方が空である場合、算出出来ない。


算出出来ない場合の記載の別は定めていない。本園の在籍個体の係数の平均は〇・一四八であった。前年度の平均は〇・一四一であった。


十年前は〇・一〇九であった。平均は十年で上がり続けている。上がる事由を記した書面は当部門に残っていない。


算出出来ない個体は平均の計算に入らない。入れない旨を記す欄も本様式に置いていなかった。本年度に算出出来なかった個体は当機構の全園で二名になる。


うち一名は前年度に在籍していない。係数と繁殖の可否との関係を記した書面は当部門に残っていない。両者を並べて記した綴も見当たらなかった。


五、本様式の改正


本様式を最後に改めたのは令和百八十二年三月であった。改めた箇所は欄の数のみであった。改める前の欄は十三。


足したのは係数の欄であった。足す旨の議は当部門の綴に残っていない。改めた後の刷りは千二百枚であった。


本年度までに用いたのは八十一枚になる。


──────────────────


 目が覚める。天井の継ぎ目は今日も頭の上を横切っている。

 継ぎ目の幅は指の一本ぶんより細い。目で追うと、壁の手前で一度だけ折れていた。


 折れる角は浅い。作った時に板が合わなかった分だと思う。二十日目になる。

 外の数は八十五で止まったままだ。止まったのは中へ入った日だ。数える物が無くなった。


 外では歩数と、日と、屋根の数を数えていた。

 中には歩数が無い。房の長いところは五歩で、短いところは三歩になる。二十日のうちで替わっていない。


 歩幅を変えれば数は動く。替えたら、次の日と比べられなくなる。


 比べる相手が自分しかいない数は、幅を決めておかないと使えない。寝床の布を三つに折って、端を台の奥へ寄せる。折る回数は替えていない。角は四つのうち二つが高い。

 奥の側が上がっている。台の面が奥へ向かって傾いているためになる。

 水を置くと分かる。今朝は置いていない。

 台の奥の角に埃が寄っている。向かう先はいつも同じ角になる。傾きの分だ。


 埃は指で拭うと線になる。端まで引かずに途中で止めた。前の線がまだ残っている。

 線の数は三本。

 長さは一本ずつ違う。長いのが最初の日の分になる。


 窓の下の端が明るい。空は白い。日の在処は今日も分からなかった。


 白さの中の灰の寄ったところは、右の端から少し内へ動いている。四日ぶんの移りだ。動く向きは右から左だ。

 速さは数えられない。


 髪の結び目に指をやる。糸は二度巻いたままで、崩れていない。

 節の位置は右の耳の後ろから、指の一本ぶん下へ動いていた。糸が伸びたのではなく、髪のほうが動いている。


 伸びた分は肩の下まで来ている。

 切る道具はここに無い。

 園では月に一度、切る日があった。切る長さは決まっていて、耳の下で揃える。

 揃えるのは一人ずつではない。列の頭から順に、同じところで鋏が入る。


 落ちた分は箒で集めて、袋へ入れる。口は縛る。何処へ運ぶかは見ていない。

 ここには鋏が来ない。二十日のうちに一度も来なかった。


 腹に掌を伏せる。掌の下が温い。


 温いところは臍の下から広がって、腰の骨の手前で止まる。腰までは行かない。立って見下ろすと、膝の皿の上が隠れる。

 隠れる幅は指の半分より少し広くなった。四日で動いた分になる。数える手立ては、膝の見え方しか無い。


 胸を押す。奥から遅れて痛みが来る。

 右が四つ、左が三つ。数は四日前と等しい。


 痛みの位置は、また少し内へ寄っている。行き着く先には骨がある。骨の縁まで来ると、そこで止まるのかどうか。答えを、私は持っていない。

 息を吸うと、下のほうが前ほど入らない。減った量は、数える回数で足す。


 前は十のところを、今は十二にしている。替えたのは三日前になる。


 替えてから、首の後ろが軽い。

 楽になったというより、張りが減った。午前の途中で腹の中が動いた。二つ数えるほどで止まる。


 動いた場所は臍の右で、掌の付け根の下だ。前は左が多かった。左と右で数えると、四日で右が七、左が四になる。

 数えているのは起きている間だけになる。


 寝ている間の分は数に入らない。数える手立てが無い。

 次を三十まで待った。来ない。四十まで数えて、そこでやめた。


 やめた後も、掌は当てたままにしておく。

 触れていると、離した時より近い。

 桶の水を掌へ受けて、顔へ当てる。冷たさは指の付け根まで来た。


 漱いだ分は隅の穴へ落とす。落ちる音は短い。


 朝の器が来る。三つある。置く音は二つに聞こえた。

 三つ目を先に床へ着けてから、二つを並べる形になる。並べる者の手は見えない。下の隙間から器の底の縁だけが入ってくる。


 縁の色は三つとも近い。粉の器だけ、光の跳ね方が強かった。

 新しい器は表が磨れていない。擦れてくると、跳ねる光が散る。


 粉の量は四日前と等しい。器の底から指の一本ぶんだ。上の面をならした筋が三本入っている。匙の背を寝かせて引いた跡だ。

 匂いを嗅ぐ。乳の匂いに近くて、甘みが混ざる。


 甘さは飲み込んだ後で広がる。舌へ乗せた時には来ない。

 汁へ入れて回す。

 溶けきらない粒が底に沈む。沈んだ分は指で拭って舐めた。口の中に膜が張る。


 膜は舌で上顎をこすれば取れる。剥がれた分は飲み込む。取れた跡は、しばらく舌に触れる感じで残る。

 それは水を飲むと消えた。


 水は汁の器へ少し残しておいたものだ。量は指の一節ぶんと決めてある。

 決めたのは八日前になる。今日で八日だ。


 器を戸の脇へ動かす。三つを縦に置いた。粥が先で、汁と粉が続く。

 窪みの跡へ縁を合わせた。三つ目の跡が薄い。押した回数が少ない分になる。


 壁の隙間へ顔を近づける。向こうは暗い。


 息の音がある。吸う数が二で、吐く数が三になる。


 起きているのは分かる。眠っている時より、一つずつが短い。

 私は口を寄せて待った。長さは三十ほどになる。


「戻ったよ。今度は三日かかった。声が出るまでの日数は、毎度おなじだね」


 声が来た。喉の奥の掠れは、三日前より薄い。

 息を継ぐのは二文の間に一度だけになる。継ぐところで音が一度切れる。


「大丈夫ですか」


 私は隙間へ口を寄せて訊いた。返事は少し遅れてくる。


「大丈夫っていうのは、明日も同じかどうかで決めるもんだね。今日は分からないよ」


 同じ答えだ。四日前と一字も違わない。


 言い方も同じで、二文目の頭で少し落ちる。覚えている言葉を、この人はそのまま出す。作り直さない。


 三日の間、器の音は止まらなかった。

 朝と昼と夜に来ている。数は三つと二つと二つで、四日前と替わらない。置く音と引く音の間も長いままだ。


 食べていて声が出ない日がある。

 私はそれを園で見た。洗い場の人は四日目に戻った。

 この人は三日で済んでいる。日数が短いのが何のためかは、私に分からない。訊いても、答えは明日の分になる。


 灯の四つ目の遅れが今日は少なかったはずだと、この人は続けた。私は数えていなかった。数えていないとは言わずに、私は隙間へ耳を寄せる。


 向こうで布が動く音がした。動いてから、また止まった。


 隙間の下に何かが触れた。指で探ると糸だった。二本目になる。

 長さは一本目より短い。腕の半分ほどだ。


 置いた者は名乗らない。私も礼を口にしなかった。礼を言わないほうが続くらしい。

 一本目の時にそう思って、今度もそうした。


 端は歯で切ってある。斜めに落ちているのは前と同じになる。

 節は二つあった。前のは三つで、真ん中が一番硬かった。

 今度のは節の間が広い。撚りの向きは節の前後で替わっている。


 寝床の端から抜いた分だと分かる。一日に一本なら、誰にも分からない。

 私は糸を掌に巻いて、寝床の下へ入れた。巻いた回数は六になる。

 昼の前に、廊下に足音が来た。二つある。


 速さは揃っていない。片方が半歩ぶん遅れている。足音は戸の前を過ぎて、掲示の壁のところで止まった。


 紙を留める音がする。掌で押す回数は四つになる。

 角の一つずつに入れている。私は棒の間から見た。掲示が五枚になっている。


 新しい一枚は右の端に付いた。

 前は四枚とも間が等しかった。

 今日から五枚目の分だけ間が狭い。壁の幅が足りなかったのだと思う。


 行数を数える。五枚目は二行しか無い。


 一番短い。前の四枚は七行、五行、それから同じ行数が二枚あった。二行の紙は、字の大きさが他より大きい。

 遠くからでも字の輪郭が分かる。一行目は短い。二行目は端まで届いていた。


 届いた先の余白は指の一本ぶんも無かった。

 詰めて書いた分になる。二行の間は広い。上の行と下の行で、間が字の高さの倍ほど空いた。

 園の掲示は行の間が詰まっていた。字の詰んだ紙は、離れると黒く見える。この一枚は離れても白いままだ。字より地のほうが多い。

 読めるかどうかは別になる。私は字を読めない。

 園の掲示も読めなかった。字を追える人がいるのかどうかも、私は見ていない。


 紙の色は五枚とも近い。五枚目だけ、少し青みが寄っている。青みは刷った日の違いだと思う。

 園でも、新しく貼った紙は色が浮いていた。


 浮いた色は日が経つと寄る。落ち着くまでの日数を、私は数えたことがない。

 留めてあるのは画鋲ではない。ここの紙は糊で付けてある。

 五枚目も糊だ。上の二箇所に付いている。下の端は壁から浮いていた。

 浮いた分は指の半分ほどになる。風が来ると動く。


 風は昼の前に一度来た。

 廊下の突き当たりの方からになる。

 突き当たりに戸があるのは音で分かる。開く時に低いところで一度鳴った。


 鳴り方は房の戸と違う。房のは途中で引っ掛かって、あちらは引っ掛からない。


 動いたのは五枚目だけだった。ほかの四枚は下の端まで付いている。動く幅は指の一本ぶんほどだ。

 動いてから戻るまでに、二つ数える。戻る速さは行きより遅い。紙の重さの分になる。


 風が止むと、下の端は壁につかない。

 少し離れたところで止まっていた。離れた分の影が、壁に細く落ちる。影の幅は紙の浮きより広い。


 昼の器が来る。二つになる。

 粉の器は朝と夜だけだ。来る時刻は、灯の下の影の長さで測る。影は棒の一本ぶんより短くなっていた。


 短くなる速さは日によって違う。

 曇りの日は影が出ない。


 出ない日は、器の来る音だけが目印になる。粥は朝より薄い。底の色が透けるほどになる。


 葉が三切れ入っている。二切れは葉で、残りは茎になる。茎は先週より短く切ってあった。

 端の面は斜めではない。


 噛むと繊維が横に切れる。

 煮えすぎている分になる。


 汁は今日も塩の味が薄い。

 舌の先ではなく、奥のほうで少し来る。

 来る場所は決まっている。左の奥から先に来る。


 右は遅れる。

 差の長さを数えたことは無い。

 器の底に葉の筋が一つ残った。

 指で押すと、底に貼りついて動かない。


 水を回すと剥がれる。

 浮いた筋は縁のところで止まった。


 食べ終えて、器を戸の脇へ戻した。二つを縦に並べる。三つ目の窪みは空いたままになる。

 午後の光も棒の間から入る。

 床の筋は朝より細い。


 細いのは日が高くなった分だ。筋は床の真ん中まで届かない。

 届く先には継ぎ目が一本ある。


 継ぎ目は戸の側から斜めに走っていた。


 斜めの向きは、房の長い辺と揃っていない。作った時の割り方の分だと思う。継ぎ目の上を歩くと、足の裏に段が来る。

 段の高さは紙の厚みほどだ。右足で踏むと来て、左足では来ない。踏む位置が指の二本ぶんずれている。


 筋は十九ある。棒の数に合う。


 筋の一本を、私は指でなぞる。

 爪の影がその一本を覆った。覆われた分は、指を離すと端から出てくる。出てくる向きは、なぞった向きに沿う。


 沿わない時が一度ある。指を速く引いた日になる。速く引くと、筋は端から出ずに真ん中から出た。二度目はやっていない。


 二度目をやらないのは、同じ速さで引けないためになる。

 三度で切り上げた。

 四度目は数に入れない。指の腹に埃が付く。床の埃は房の中でも溜まる。


 午後の途中で、廊下に足音が来た。

 一つになる。速さは前と変わらない。

 歩幅も変わらない。


 二つで来る足音は、揃わないぶん音が濁る。

 一つで来る足音は濁らない。


 濁らない足音を、私は園でも聞いた。

 廊下の端から端まで、同じ間で来る。


 間が同じだと、次がいつ来るかが分かる。読める音は、読めない音より短く感じた。

 足音は房の前で止まった。

 それから、鍵の音が一度した。


 戸が開く。

 低い音で、途中で一度引っ掛かる。

 入ってきたのは一人になる。


 私はその人を知っていた。

 最後に見たのは園の第三の棟になる。あの人は器を配っていた。あの時も肘から下だけが動いていた。肩は止まったままになる。

 今日も動いていない。背の高さは私より頭の半分ぶん上だ。園にいた頃と同じに見える。


 同じかどうかを比べる物が、この房には無い。

 壁の色も棒の数も入れ替わっている。


 作業着は前と同じ型だ。生地の目が細かくて、手首のところの縫い目が二重になっている。二重の縫い目は、園の他の人の作業着に無い。その人のだけが二重になる。


 糸の色は生地より少し濃い。色の差は近くで見ないと分からない。新しくはない。

 膝のところの色が薄い。


 薄いのは擦れた分になる。屈む仕事をする者の膝が、そういう擦れ方をする。

 園の作業員の膝も同じところが薄い。

 位置は少し下だ。その人は腰の高さで紙を持っている。両手で、紙の縁を挟んでいる。


 折り曲げていない。指の力が入っていないのが、紙の平らさで分かる。


「様式第十四号になります」


 その人は言った。声は前と同じ高さだ。

 言い終えてから、一歩だけ前へ出る。二歩めは無い。立ち止まる位置は、戸から数えて畳の半分ほどのところになる。

 その位置は園でも同じだった。器を配る時、その人は列の一つ手前で止まる。


 止まってから手だけを伸ばす。長さは相手によって変えない。


「交付の年月日は本日です」


 紙の上の面が見えた。線が縦に引いてある。線は十三本ある。

 線と線の間が十四になる。数え直した。やはり十四だ。


 一番左の枠に字が入っている。

 字は五つ並んでいる。


 私の番号だと分かる。四つの数字の前に一つ字が付く形になる。


「番号の欄は左の端です」


 その人は言った。指は差さない。

 手は紙を持ったままになる。枠の三つ目と四つ目は白い。五つ目にも六つ目にも字が無い。


 左から二つ目も白かった。二つ目と三つ目と四つ目が続けて白い。

 続けて白いところは、遠くから見ると一つの広い枠に見える。線が細いためになる。

 線の太さは髪の糸より細い。近づけると三本に分かれた。


 埋まっているのを数えると八つになった。空いているのは六つだ。

 八と六で十四になる。合っている。


 もう一度、右から数え直した。八と六で変わらない。


 空の欄の扱いに定めは無いと、その人は言った。そこで口を閉じて、続けなかった。私は空の枠を見た。

 横線も引いていない。紙のままだ。白いところは、周りの枠より少し明るく見える。


 周りの枠には字がある。書いてある枠は、その分だけ地の白が減っていた。

 光の当たり方の分になる。指を近づけると影で消えた。


 読み上げの手続も無いと、その人は続けた。読めるかどうかは訊かない。訊く欄が無いのだと思う。頭の中でそう置いて、口には出さなかった。

 枠のうち、右から二つ目に字が入っている。数が二つ並んでいる。


 その二つは日付の形になる。上と下で年の位が違う。


 上のほうが小さい。

 下のほうが大きい。上と下の間に線が一本引いてある。一つの枠を二つに割った形だ。


 割った線は、枠の左右の線より短い。端まで届いていなかった。届かない分は、指の半分ほどになる。


「収容の経歴は二行です」


 その人は言った。

 行は二つあって、二つとも埋まっている。どちらの行にも場所の字が無い。

 日付だけが入っている。私は二つの日付を見た。上のほうは、私の覚えている数と近い。


 下は近くない。離れた数を、私は何処かで見たことがある気がした。気がしただけになる。

 何処で見たかは出てこない。


「本年度の交付は一件です」


 その人は言った。一件が誰の分かは言わない。


 紙を持つ手が、腰の高さから胸の高さへ上がった。動く速さは遅い。

 肘から下だけが動く。肩は止まったままになる。上がりきったところで、手は止まった。そこからも、紙は平らのままだ。


 持つ指に力が入ると、紙の端が波打つ。この紙は平らのままだ。

 私は両手を出した。紙が乗るまで、あの人の手は下がらなかった。


 乗ってから、手は下がる。速さは上がる時と等しい。紙は思ったより厚い。

 指の爪ほどある。園の記録票は薄かった。透かすと裏の字が見える。


 この紙は透けない。

 灯へ向けても、裏の形は出てこなかった。


 持つと、真ん中が少したわむ。端を持ち替えると、たわみは反対へ移った。

 右の下に折った跡が一つ付いている。折って、開いた跡になる。


 開いた者は誰か。

 書いてある欄は、多分無い。その人は二歩下がった。下がってから、戸に手を掛ける。


 掛ける手は右だ。左は体の脇へ下ろしている。下ろした左の掌が、少し開いている。

 幅は紙の厚みより広い。


「立会いの定めはありません」


 その人は言った。それから、戸を閉めた。

 閉まる音は開く時より短い。鍵の音が一度する。


 足音が遠ざかる。速さは来た時と変わらない。


 匂いが残る。木の粉に近い。

 鉛筆を削った後の匂いだ。園の記録の部屋で嗅いだのと同じ形になる。

 濃さは房のほうが薄い。廊下の空気に混ざった分になる。


 嗅ぐと、鼻の奥に少し残った。息を吐いても、すぐには抜けない。

 抜けるまでに二十ほど数える。その間、他の匂いは来なかった。


 園でその匂いのする部屋は、戸が半分だけ開いていた。先へは動かない。開かないところに何があるかを、私は見ていない。

 半分の幅は、肩が入るより狭かった。入るとしたら横を向くことになる。


 横を向いて入った人を、私は見ていない。誰かが入るところも見なかった。


 私は紙を膝に置いた。両手を離しても、紙は膝の上で平らになる。厚みがある紙は、置いた形をそのまま保つ。


 膝の上は少し傾いている。

 それでも、紙は滑らなかった。布の目に引っ掛かる分になる。持ち上げると、布の毛が一本ついてきた。


 十四の枠を左から数え直した。八つに字がある。

 六つは白い。うち二つは並んでいる。並んでいる二つは、左から三つ目と四つ目になる。


 その二つが並んで空いていることに、私は少しの間、気を取られた。二つが並んでいるのは、順がそう決まっているためだ。


 順を決めた者の欄も、この紙には無い。白い六つを、右からも数えた。三つ目と、五つ目と、七つ目に来る。左から数えた時と、当たる枠が重なる。

 数え方を替えても白さは移らない。字のある八つのうち、私に分かるのは三つになる。番号と、二つの日付だ。


 残る五つは輪郭だけが目に入る。数か字かの別も、私には決められない。枠の上の端に、小さい字が並んでいる。

 枠の一つずつに一つずつ付いていた。


 名だと思う。何の名かは分からない。

 上の端の字は、灯の下で輪郭が崩れる。潰れると、隣と繋がって見えた。

 繋がって見える分は、目を近づけると離れる。分かれるところまで顔を寄せると、今度は紙が近すぎる。


 近すぎると、字の全部が一度に入らない。ちょうどの距離を、私は三度替えて探した。


 三度目で決める。その距離は、鼻の先から掌一つぶんになる。

 その距離だと、枠の線が三本とも見える。字の輪郭も崩れない。


 崩れないところで、私は上の端の小さい字を左から追った。目に入るのは輪郭になる。

 九つ目の枠の上の字は、他より画が少ない。二つの字が並んでいる。


 二つのうち、下は私の番号にも入っている字だ。一つの字が二つの場所にある。読みが揃うかどうかは、私に決められない。

 夕方に灯が点く。四つ目だけ遅れた。


 遅れは二つ数えるほどになる。

 四日前と変わらない。黄色い光が床の筋を細くする。筋は十九のままだ。


 私は紙を灯の下へ持っていった。文字の形は見える。

 意味は来ない。輪郭だけが目に残る。

 一番左の五つは、私の番号だと分かる。読めるのは、その並びを紙で何度も見たためになる。器の底の番号も、房の札の番号も、同じ並びで書いてあった。


 夜の器が来る。二つある。粥と粉になる。

 汁は夜に来ない。


 粉の器は縁の欠けが無い。底の二本の線は今日も同じ長さだ。私は粉を汁ではなく粥に入れた。

 今日は汁が無い。混ぜると重くなる。匙の抜ける速さが遅くなった。


 味は薄い。甘さは後から来る。


 食べ終えて、器を戸の脇へ戻す。二つの窪みに縁を合わせた。三つ目の窪みは今日も空いている。


 寝床へ入る。紙は布の下へ差した。

 入れる先は頭の側にした。足の側だと、寝ている間に踏む。


 踏んだ跡の付く紙かどうかは、押してみないと分からない。押すのはやめた。入れる前に、指の腹で表を一度撫でる。

 紙の目は縦に走っている。撫でる向きを逆にすると、指が少し引っ掛かった。


 引っ掛かる向きは一つだけになる。布の下は平らだ。紙は折れない。


 十四と、八と、六。数はそれだけになる。


 三つの数は明日も動かないはずだ。字が足される欄があるかどうかを、私は知らない。

 足された例を見た人が、この棟にいるのかどうかも知らなかった。隣の人へ言うなら、言い方を先に決めておく。紙が来た、では足りない。

 枠が十四で、八つに字があると言えば、数は通る。先へは行かない。

 今日は言わなかった。声を出す前に、灯が消えた。


 私は目を閉じた。それから、掌をもう一度、布の上へ置く。布の下の紙は、掌の下で平らなままだ。

 布の厚みを挟んでも、端の線が指に当たる。

 触れる場所は四つある。


 四つの角のうち、右の下だけが少し丸い。折った跡の付いていた角になる。


 厚みだけが、掌に残る。残った分は、目を閉じてからも消えなかった。


──────────────────


血統書の交付の記録


一、交付の日


本年九月二十八日、当園の第二の棟において交付した。時刻は十四時二十分であった。交付に要した時間は四分であった。


交付の前後に問答は無かった。問答の有無を記す欄は本様式に置いていない。交付した者の欄には職員の番号を記した。


受けた個体の番号は J-0073 であった。当該の個体の前の番号は J-0037 であった。前の番号を記す欄は本様式に無い。


立会いは無し。立会いを要する旨の定めは本様式に無い。


二、記載の状況


十四の欄のうち、記載のあるものは八。空のものは六であった。空の六は 系統、母個体、父個体、係数、交配の履歴、産子の数であった。


横線を引いたものは無い。そのままとする。収容の経歴の欄は二行とも埋まっていた。


日付は二つとも本園の記録と合っている。上の行は令和百九十六年四月。下の行は本年三月二十一日であった。


間は十八年五箇月であった。園の別を記す欄が本様式に無い。二つの行が同じ園のものかどうかは本記録では確かめていない。


体重の欄は四十九・八キログラム。本年九月十四日の計測による。等級の欄は乙であった。


処置の履歴の欄には第二種の実施を記した。実施の年月日は令和二百十二年七月であった。繁殖の可否の欄は、処置の履歴の欄の隣に置いてある。二つの欄を照らす欄は、本様式では他の欄と同じ扱いになる。


三、旧記載


当該の個体に係る旧記載の抹消は、令和百九十六年四月に行われている。抹消を行った者の欄には番号が一つ入っている。当該の番号は、現に本園に在る者の番号と同一である。


同一である旨を記す欄は、本様式に置いていない。抹消の事由を記す欄は置いていない。抹消の前に何が記載されていたかは、当園の記録の範囲を出る。


抹消は表の上から消したものではない。旧の表を廃し、新たに一枚を起こした形であった。旧の表の綴は当園に残っていない。


同年の抹消は当機構の全園で一件であった。他の年の分は綴の別のところに入れてある。


四、係数と可否


係数の欄は空とした。算出の元となる二つの欄が空であったためになる。本年度の繁殖の可否の欄に「可」と記した個体は当園で一名であった。


当該の個体の係数の欄は空である。在籍の他の個体は八十三名。八十三名とも係数の欄が埋まっていた。


可と記した者は無い。算出出来ない個体が可と記されたのは、本年度が初めてであった。来年度以降も同じ扱いになるものと解される。

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