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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第五章 譲渡

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第069話 踵

仮に付する名称の扱いに係る通知(抄)


扱いの区分 当施設が仮に付する名称に係るもの

適用の範囲 展示に供する個体の全部

効力の始期 本年度の初日から


一、区分の別


名称は二つの区分に分けた。当施設が仮に付するものと、引き受けた側が届け出るものになる。前者は当施設の中でのみ用いる。


後者は当施設の関与しないところで用いられた。二つの区分を並べて記載する欄は、当施設の帳票に置いていない。置くよう求められた例も無かった。


二つが同じ語になった例は本年度に一件ある。


同じであることを記す欄も置いていなかった。


二、記入の位置


仮に付する名称は、掲示の面と、譲渡に係る書面の欄の両方へ記入した。書面の欄は所定の第四欄になる。第四欄は当施設が定めたものではなく、記入の可否を照会した記録も残っていない。


同じ語を二か所へ記入する扱いは、前年度から続けている。始めた年は当施設で把握していなかった。二か所の記入が食い違った例は本年度に三件あった。


どちらを正とするかの定めは無い。


三、消す方法


引き渡しの際に、書面の欄の記入を消すこととした。


掲示の面の記入は消さない。消し方は定めていない。線を引いて消す者と、消しゴムを用いる者が本年度にいた。


いずれの方法によったかを区分して数えた記録は無い。数えるよう求めた記載も残っていなかった。消しゴムは当施設で備え付けている。


線を引くための定規は備え付けていなかった。


四、消した旨の記載


消した旨を記す欄は、書面にも当施設の帳票にも設けていない。設けなかった理由は当施設で把握していない。設けるよう求められた例も本年度に無かった。


消した後の欄の状態を検める手順も置いていなかった。


検めた例の記載は残っていない。


五、掲示との関係


掲示の面の記入は、当該の個体が退いた後もそのままとした。次の個体の記入までの間、面は張り替えない。張り替えの周期は定めていない。


前年度の張り替えは三度であった。面と個体とを対応させる番号は掲示に記していない。記すよう求められた例も無かった。


六、本年度の件数


本年度に仮に付した名称は四十七件である。


うち消したものは二十九件になる。四十七件の字数は、二字が四件、三字が二十二件、四字が二十一件であった。字数の上限は定めていない。


上限を定めるよう起案した記載は残っていない。定めない旨を記した書面も無かった。


七、問合せ


本件の扱いについて、引き受けた側から問合せがあった例は本年度に二件あった。


二件とも口頭で受け、口頭で答えている。答えた内容の控は取っていなかった。二件のうち一件は、消した中身についての問合せであった。


中身は当施設で保存していない。


──────────────────


 靴の音が家の中と外で違う。外は硬くて、返りが速い。

 玄関の三和土は乾いていた。踏むと、踵の下で小さい粒が鳴る。


 女の人が先に出て、鍵を二度回す。

 回す音の間は一つ数えるくらいだ。鍵は三本の束になっていて、使うのは真ん中の一本になる。残る二本は下へ垂れた。

 昼に食べた分は、まだ腹の底に残っている。白い粒が三口ぶんと、汁が半分。残した半分は器の中で冷めていた。

 汁は上のところで色が濃くなる。


 午後の三時四十分になる。翔太は学校の鞄を置いてすぐ出てきた。


 道は行きの側が日向で、帰りの側が日陰になる。今は日向を歩いていた。

 紐は左の手にある。持っているのは女の人で、私の手首から一歩ぶん先で垂れる。


 紐の重さは手首に来る。腕へは上がってこない。留め具の金属は指の一本ぶんの長さだ。

 長さは家の中で使うものと変わらない。留め具の形も一つになる。


 歩く速さは女の人に合わせている。

 私の歩幅は半分ぶん短くなった。翔太は前を行ったり後ろへ戻ったりする。この子は一つの道を二度歩いていた。

 五月の風は、庭の草とは別の匂いを運んでくる。金属と、油に近いものになる。道の端に置かれた箱が、通り過ぎるまで匂った。

 中は見えない。箱の縁には金具が二つ付いていて、片方が外れている。

 停留所まで七分。板の椅子が三つ並んでいて、真ん中が少し低い。

 翔太は座らずに、標識の柱を掌で叩く。叩く間隔は揃わない。


 椅子の板は五枚ずつ張ってある。四枚は色が揃っていて、右の端の一枚が新しい。

 その一枚には節が二つある。指でなぞると、周りより少し盛り上がっていた。


 私は座らない。

 座ってよいかを訊く言い方を持っていない。女の人も座らなかった。この人は時刻の表を見上げている。


 表には数が縦に並んでいる。列は三つで、一番右の列だけが赤い。赤い列の数は少ない。

 上から数えて七つで終わっていた。


 乗り物が来る。段は二つで、一段目が高い。女の人が先に上がって、それから紐を短く持ち直した。

 中は空いている。座る場所は後ろから三列目の窓の側になる。

 窓の枠は指の二本ぶんの幅だ。触ると温い。日の当たる側になる。


 乗っているのは全部で六人だ。前に四人、後ろに二人になる。

 そのうち二人がこちらを見た。見た時間はどちらも短い。


 床には縦の溝が走っている。溝の間は靴の幅より狭い。

 私は溝を跨がずに足を置いた。置いた場所は動く間ずっと動かさなかった。

 座席の布は薄い青で、擦れたところが白い。

 擦れは肘の高さの帯になる。帯の幅は掌の一つぶんだ。園の椅子にこの帯は無い。


 外の景色が動く。速さは園の運動場を端から端まで見る時より速い。目が追いつかない場所が二つあった。

 橋の上と、家の並びの切れるところだ。


 翔太が窓へ額を付ける。付けたところに丸い曇りができた。

 息を止めると小さくなる。この子は三度やって、三度とも元の大きさへ戻した。


「これ、消える。見てろ」


 翔太が言う。私は見ている。曇りは端から薄くなって、真ん中が最後に残った。


 十九分乗って、降りる。降りた場所には屋根がある。

 屋根の下は風が通らない。額の汗が引くまでに二十数えた。


 屋根の柱は四本で、根元が同じ高さで錆びている。

 帯の幅は指の一本ぶんだ。四本のうち一本だけ、帯が上へずれていた。ずれた分は爪の二つぶんになる。


 翔太が柱の一本を回り込む。回る向きは右のほうになる。一周してから、こちらへ戻ってきた。

 戻る時は歩いている。


 建物は前に来た時と同じものになる。入口の硝子は二枚で、右の一枚が開く。押すと上で鈴が鳴った。

 鈴は一つで、音は二度に分かれる。間は一つ数えるより短い。


 中の空気は少し冷たい。匂いは紙と、それから薄い消毒のものになる。

 園の医務室と近い系統の匂いだ。濃さはこちらが薄い。


 冷たいのは天井から来る。首の後ろが先に冷えた。

 手の甲は遅れて冷える。遅れる分は十数えるくらいになる。


 もう一つ、下から来る匂いがある。

 湿った布と、それから食べ物に近いものだ。この匂いは仕切りへ近づくと濃くなった。離れると紙の側が戻ってくる。


 床は磨いてある。靴の底が離れる時に、小さく音を立てた。


 磨いてあるのは真ん中の帯だけになる。壁ぎわは曇っていた。境の縁は真っ直ぐではない。

 人の歩く形に沿って波を打っている。

 天井には灯が並んでいる。数は六つで、四つ目が他より暗い。暗い一つの下に、私たちは立っていた。


 右の奥に棚がある。棚は三段で、上の段が浅い。並んでいるのは布と、紐と、器と、それから小さい箱になる。


 棚の前には誰もいない。私たちはそこを通り過ぎた。


 右の壁に沿って、硝子の仕切りが並んでいる。数えると九つあった。

 仕切りの高さは私の肩を越える。上の縁は天井まで届いていない。空いた分は腕の一本ぶんになる。


 中に居るのは七つになる。二つは空だ。空の二つは端から四つ目と八つ目になる。


 空の仕切りには何も無い。硝子の内も外も、拭いた跡が縦に走っている。床の板の色が、他の七つより明るく見えた。

 明るいのは擦れていないためになる。踏んだ跡が付いていない。


 居る七つの床には、擦れた跡が一つずつある。跡の形は仕切りごとに違った。丸いのが三つ、細長いのが二つ、端まで届いているのが二つになる。


 端まで届いている二つは、六つ目と七つ目の仕切りだ。跡の幅は靴の裏より広い。裸足で歩いた跡になる。

 居るものはどれも小さい。私の肩より下で止まる。

 一番小さいのは、私の腰の高さになる。端から三つ目の仕切りだ。


 髪の長さはばらばらだった。

 短いのが四つで、肩まであるのが三つになる。服はどれも一つの形で、色は薄い灰になる。園の服より丈が短い。


 袖の口には糸が通してある。糸の色は仕切りごとに別だ。赤が二つ、青が三つ、黄が二つになる。

 糸の色と髪の長さは揃っていない。


 立っているのは二つで、座っているのが五つになる。立っている二つは、どちらも硝子から一歩下がったところにいた。


 五つ目の仕切りのものが歯を見せている。前の歯が二本無い。

 抜けた場所の縁は白い。次のものが出かけている側と、出ていない側がある。


 三つ目の仕切りのものが、硝子の下のほうへ座っている。膝を抱えていた。抱えた腕の先が細い。

 手首の骨が両方とも外へ出ている。骨の間は爪の一つぶん空いていた。


 この子が顔を上げて、こちらを見た。目が合う時間は二つ数えるほどになる。

 それから顔を膝へ戻した。戻す速さは上げた時より遅い。


 この子の膝は硝子から指の三本ぶん離れている。

 幅は動く間も変わらない。背中は壁に着けていた。着けているのは肩甲骨のところになる。

 園の第二室では、私も壁を背にして座っていた。壁ぎわが涼しい。板の裏を空気が通っている。

 私はそれを冬に覚えた。

 枠の外に札が下がっている。私の側からは裏になる。

 紐は枠の頭へ一重に掛かっていた。掛け方は前に見たものと変わらない。


 私は硝子へ近づく。額が触れるところまで近づくと、裏の字が透ける。

 数だ。桁は六つで、点は端から三つ目と四つ目の間に入っている。


 字の縁は硝子から離すと薄くなる。近づけると戻った。

 字の縁の位置は変わらない。私は三度離して、三度近づけた。


 額の触れた場所に丸い跡が残る。

 跡は縁から消えていった。消えるまでに六数える。翔太の窓の曇りより速い。


 隣の仕切りの札も同じ形になる。桁は六つで、点の位置も動かない。右から左へ札を追った。

 九つのうち、下がっているのは七つだ。


 左の壁には板が掛けてある。板は横に長い。私の背より高いところにあった。

 板の上に紙が留めてある。留め具は上の二か所で、下は留めていない。


 紙には横の線が引いてあって、線と線の間に字が入る。行の数は十一になる。

 字は端から二つの塊に分かれていた。左の塊が短く、右の塊が長い。


 線の間の幅は指の一本ぶんになる。上の三行が少し広い。

 その三行は、字が線の真ん中を通っていない。下の側へ寄っている。


 紙の色は白ではなく、薄い黄になる。

 四隅のうち右上が濃い。濃い部分は水の跡に近い形をしている。縁が輪になって残っていた。


 左の塊には三字のものと四字のものがある。二字のものは一つだけになる。右の塊は数だ。

 桁は六つで、点の位置は札と同じところに入っていた。

 字は手で書いてある。刷りではない。

 太さが行ごとに違った。太いのが四行、細いのが七行になる。太い行は上に寄っている。


 二字の一行は上から五行目にある。両隣は四字だ。

 この行は字と字の間が他より広い。空いた分は一字ぶんに近い。


 紙の下には、留めていない縁が垂れている。垂れた幅は指の三本ぶんだ。

 風が来ると縁が動く。入口の硝子が開いた時になる。


 行のうち二つには、上から横の線が引いてある。

 線の下の字は読める。残る九つには線が無い。線の有無で紙は二つに分かれた。


 線の引いてある二行は、上から二行目と九行目になる。二本の線は太さが違う。九行目のほうが細くて、途中で一度薄くなっていた。


 薄くなった場所は行の真ん中になる。字の上を通るところで濃くなる。線の下の字は、二行目が四字で、九行目が三字だ。


 翔太が私の隣へ来て、板を見上げる。それから三つ目の仕切りの前へ戻った。


「小さいのがいる。見に行こう」


 この子が言う。女の人が紐を持ったまま二歩ついてくる。

 窓口は入口の左になる。腰の高さの台があって、上に紙が何枚か載っていた。台の内側に人が二人いる。

 一人は立っていて、もう一人が座っていた。

 座っているほうが紙を一枚取った。取ってから、机の上で向きを変える。

 紙の下の角が前へ反っていた。曲がり方は園の紙と同じになる。


 台の上には他にも紙が載っている。数えると四枚だ。

 四枚のうち三枚は罫が入っていて、一枚は白い。無地の一枚が一番上にある。


 台の手前には木の縁が付いていた。

 縁の角は丸い。丸いのは触られたところになる。内へ向いた角は角のまま残っている。


 この人が消しゴムを取る。持ち替えて、角のほうを紙へ当てた。

 当てた場所は紙の中ほどになる。欄の一つで、幅は五字ぶんに見えた。こする。

 往復は六回で、間に一度止まる。止まった時に紙を押さえ直した。


 押さえたのは左の手になる。指は四本で、親指は紙の下へ入っていた。こする側の腕は肘から動く。

 肩は動かない。

 紙は音を立てる。乾いた音で、往復の度に高さが少し変わった。

 高くなるのは戻る時になる。往きは低い。


 屑が出る。白くて細いものが、欄の下に溜まっていった。

 この人は紙を持ち上げて、机の縁で屑を落とす。落ちきらない分を息で吹いた。


 吹く息は短い。二度目で屑は無くなる。


 欄には跡が残った。

 跡は薄い。それでも、消えてはいない。跡の幅はいま欄に入っている字より広い。

 この人が鉛筆を取って、欄へ何かを書いた。鉛筆の音は四度切れる。書いた分は、跡の左の端までは届かない。


 私はそれを見ていた。三つ数えるほどの間になる。目は跡のほうへ二度戻った。

 二度目に、女の人が紐を引く。


 引かれた分は半歩になる。私はその幅ぶん前へ出た。


「あら、あなた、そんなところを見ていたの。こっちのほうが面白いわよ」


 女の人が言う。この人は板のほうを指していた。指の先は板の右の端にある。


 立っているほうの係が、台の外へ出てきた。上着の胸に札が一枚付いている。


 札は横に長い。字は二つの塊に分かれていて、上が短く下が長い。

 留め具は金属で、上着の布に小さい皺を作っていた。皺は縦に三本ある。


 この人の靴は音を立てない。底が柔らかいほうの靴になる。

 歩幅は女の人より広い。台から硝子までを六歩で来た。


「本日は五時までです。日曜は四時で閉めます」


 この人が言った。訊いていないことが後ろに一つ付いてきた。


 時計は壁の上にある。針は四時二十六分を指していた。長い針は数の目盛りの手前で止まる。


 文字の盤には数が十二ある。

 読めるのは形の側だけで、字そのものは遠い。秒の針は動いている。音はここまで届かない。


 女の人が時計を見上げて、それから翔太を呼んだ。呼ぶ声は短い。この子は返事をしない。

 硝子の前から動かなかった。


 翔太が三つ目の仕切りの前で膝を折る。硝子に手を当てて、顔を近づけた。硝子の内側の小さいものが、膝を抱えたままで顔を上げる。


「へんなかお」


 翔太が言う。この子は舌を出して、目を寄せた。頬を両手で押す。


 硝子の中の小さいものが、同じように頬へ手を当てた。押す手は片方だけになる。もう片方は膝の上に置いたままだ。


 翔太が笑う。声は五つで、三つ目が一番高い。

 女の人も笑った。この人の笑いは短くて、息の音が後ろに付く。


 私は二人の後ろに立っている。紐は緩んでいた。


 女の人が笑いを止めて、私のほうを見た。それから翔太のほうへ目を戻す。

 この人の手には袋がある。行きに持っていたものと同じで、口だけが開いていた。

 中に入っているのは今のところ一つになる。角の形からすると、細長い箱だ。


 私は紐の留め具を見ている。金属の輪が上を向いていて、下の側が塗ってある。

 塗りの剥げた場所は二つで、どちらも輪の内側になる。


 翔太が立ち上がって、硝子の前で両手を上げる。それから掌を二回鳴らした。


 音は乾いている。一度目と二度目の間は、一つ数えるより速い。


 音は硝子に当たって戻る。その分は少し遅れて耳へ来た。

 遅れる幅は数えられない。数えようとしたところで、次のことが起きる。


 硝子の中の小さいものが立った。

 それから右へ体を回す。一周して、それから座った。座る前に、後ろへ手を伸ばして床を探る。


 回る向きは右になる。足は途中で床を擦らない。手を伸ばすのは右で、指は四本開いていた。

 親指は畳んである。


 床を探る時間は短い。壁に着く前に膝が下りる。座った後、この子は自分の掌を見ない。

 掌が二回鳴った。私の踵が床から離れて、それから戻った。

 離れた高さは指の一本ぶんになる。戻す時に、爪先が床を擦る。


 擦れた音は私にしか届かない。翔太は硝子を見ている。

 女の人も硝子を見ていた。二人とも、こちらを見ていない。


 私は両方の踵を床へ着け直す。それから指の力を抜いた。

 抜くまでに四数える。四つ目で、膝の裏の張りが引く。


「あいつもできる。母さん見た」


 翔太が言う。声はさっきより大きい。この子は私のほうを一度も見なかった。


「見たわよ。あなたのお友だちがみんな覚えているのねえ。上手なものねえ」


 女の人が言った。それから翔太の肩に手を置く。そのまま二度撫でた。


 硝子の中の小さいものは、座ったまま動かない。手は膝の上へ戻っている。


 この子はこちらを見ない。

 目は硝子の下の板のあたりで止まっていた。一度、瞬きをする。瞬きの後も、目の先は動かない。


 隣の仕切りのものが立ち上がった。掌は鳴っていない。立ってから、硝子の前まで来て、それだけで止まる。


 私は紐の垂れているところを見ていた。垂れた分は床に着いていない。空いた幅は指の二本ぶんだ。


 棚の板は木で、縁に薄い金属が張ってあった。金属の側は指で押すと少し鳴る。音の出る場所は真ん中になる。

 端は動かない。


 女の人が入口の側の棚へ戻る。私の紐を短く持ち直した。


「ねえ、あなたが一つ選んでちょうだいな。今日はよく歩いたごほうびよ」


 この人が言う。私は棚を見た。

 棚には物が十三ある。数えるのに要ったのは四つ数えるほどになる。

 二度数えて、二度とも十三だ。上の段が四つ、真ん中が六つ、下が三つになる。右の端に紐が三本、真ん中に器が五つ、左に布が四枚と、箱が一つだ。

 器は五つとも大きさが違う。一番小さいのは掌に載る。並びは大きい順ではない。

 布は四枚とも色が揃っていて、縁の糸が違う。二枚が白で、二枚が青だ。


 私は手を上げる。上げた高さは棚の真ん中の段になる。

 どれを取るかを決める言い方を、私は持っていない。園では割り当てられたものを受け取った。その時の手の形は決まっている。


 その形のまま手を伸ばす。伸ばした先は掌の向きで決まった。

 一番近いところに、器が一つある。私はそれを取った。


 取ってから、女の人の顔を見る。この人は頷いた。


「いいのよ。あなたが選んだんですから、それでいいの。持っていていいわ」


 女の人が言う。それから台のほうへ行った。私は器を持ったままで立っている。


 器は軽い。厚みは指の半分ほどで、底に丸い凹みが一つある。凹みの径は爪の三つぶんになる。

 凹みの中に細かい線が入っていた。線は輪になっていて、輪の数は三つだった。

 持つと、掌の中で少し滑る。

 磨いてあるのは表になる。裏は磨いていない。指の腹を当てると、細かい粒が引っかかる。

 縁を口の高さまで上げてみる。匂いは土に近い。

 焼いた後の匂いになる。園の器から出ない匂いだ。あちらは白くて、縁が厚い。


 台で紙が動く音がした。音は二度で、二度目のほうが長い。


 外へ出ると、日は建物の裏側へ回っていた。行きに日向だった道が日陰になる。地面の温度が足の裏に来るまでに、十歩ぶん歩いた。


 入口の鈴がもう一度鳴る。閉まる時の音は、開く時より低いほうになる。二度に分かれるところは変わらない。

 分かれる間だけが少し長い。


 硝子の向こうで、三つ目の仕切りが見える。中のものは座ったままだ。歩くと角度が変わって、二歩で見えなくなった。


 帰りの乗り物は混んでいる。座る場所は無い。私は縦の棒を持って立った。

 棒は冷たい。掌の湿りが棒に残る。棒の継ぎ目は肩の高さにあった。


 立っているのは十一人になる。座っているのは十六人だ。

 私の前に立っている人の鞄が、動く度に膝へ当たる。場所は毎回変わらない。

 器は女の人の袋の中にある。袋の口は開いていた。中で器が他のものと当たる音が、道の曲がるところで二度した。


 袋の持ち手は布で、握ったところが細くなっている。細い部分は掌の幅に合う。

 女の人は持ち手を肘へ掛け直した。それから紐を短く持つ。


 翔太は女の人の横に立って、掌を二回鳴らす真似をした。音は出さない。音を出さずに、二度、三度とやっていた。

 降りてから家までの七分、この子は手つきを続ける。


「いま何回目か分かるか」


 翔太が言う。私は数えていた。


「十四回です」


 私は答えた。


 この子は一度止まって、それから指を折り始める。折り終わってから頷いた。頷き方は上下に二度になる。


「合ってる。数えてたのか」


 翔太が言う。それからまた歩き出した。歩幅は行きより大きい。


 家に着いたのは六時十分になる。門から玄関までの三歩は、行きより暗い。玄関の鉤には上着が掛かっていた。

 鉤は二つで、右には紐が掛かる。上着は左だ。


 男の人はもう帰っている。

 居間の卓の端に鞄が置いてあった。鞄の口は閉まっている。金具の片方が上を向いていた。


 夕食の器は四つ。私のぶんは右の端で、卓の縁からの幅も変わらない。選んだ器は台所の棚へ上げられた。

 上げた高さは私の目より上になる。


 女の人が上げる前に、器を一度洗った。水の音は二十数えるぶん続く。

 拭いた布は青い縞の入ったほうになる。拭き終わってから、底を上へ向けて置いた。


 翔太が台所を覗いて、それから居間へ戻る。この子は何も言わない。夕食の間に、掌を鳴らす手つきは出なかった。


 男の人が食べ終わってから、卓の端で紙を書く。罫の入った紙になる。

 書く途中で一度も手が止まらない。今日は品名の欄が四つで足りた。


 夜、私は布団の上に座る。石は枕の側にある。

 袖の折り返しへ指を入れる。紙は同じ場所にある。折り目は三本から増えていない。

 今日の数を並べてみる。仕切りが九つ、中に居るのが七つ、空が二つ。板の行が十一で、線の引いてあるのが二つ、無いのが九つになる。


 行の数と仕切りの数は合わない。二つ多い。多い二つがどの仕切りの分かは、板を見ても分からない。

 袖の口の糸は、赤が二つ、青が三つ、黄が二つ。

 合わせて七つになる。七つは居るものの数と合う。糸と札は別の数え方をしていない。

 棚の物が十三で、器が五つ、布が四枚、紐が三本、箱が一つ。札の桁は六つで、点は三つ目と四つ目の間に入る。


 六つは割り切れる。二つずつでも三つずつでも余りが出ない。


 五つなら余りが出る。私が数えたのは六つだけになる。札の七枚も、板の十一行も、下から上へ二度追った。


 石を持ち上げ、置いてあった場所へ戻す。布に円い跡が付いた。跡の縁は前より浅い。

 指で撫でると消える。


 台所の棚の器は、底の輪が三重だった。輪の幅は外へ行くほど広くなる。一番外の輪だけが、途中で一度切れていた。


 切れた場所は輪の下の側になる。長さは爪の半分ほどだ。

 棚へ上げる前に、女の人がそこを一度拭いた。拭いても線は残る。


 窓の外は暗い。硝子が部屋を返している。返っているのは私と、石と、畳んだ布団になる。


 口の中で音を作ってみる。声には出さない。

 五つの音になる。昼に硝子の中で立った小さいものは、この音を知らないはずだ。


 知らないままで、同じ順に立って、まわって、座った。

 私は掌を膝の上に置く。

 指の間は等しく空いている。合わせない。合わせると、待つ者のいない音が部屋に残る。


──────────────────


展示に供する個体の掲示の控(抄)


掲示の期間 本日を含む十日間

掲示の面数 十一

掲示を解いた日 次項に掲げる


一、控の性質


本控は掲示の面を写したものであった。面そのものは板に留めたまま保存する。写しは月に一度作成することとした。


作成の日を記す欄は本控に無い。写した者の名も本控に残していなかった。残すよう求められた例も無い。


本控と面とを照合する手順は置いていない。


照合した例の記載も残っていなかった。


二、面の数


本日の面数は十一である。仕切りの数と一致させる定めは置いていなかった。前月の面数は十であった。


増えた一面は板の右の端へ足したものになる。足した際に他の面を寄せている。寄せた幅の記載は本控に無い。


三、仮に付する名称の欄


面の左の欄には、当施設が仮に付した名称を記入した。字数は二字から四字までである。本日の十一面のうち、二字は一面、三字は五面、四字は五面であった。


字数を揃える扱いは置いていない。


揃えるよう求められた例も無かった。


四、欄の使い回し


当該の個体が退いた面は、次の個体の記入まで空けずに残す。


前の記入の上へ横の線を引くこととした。線を引いた面は本日二面ある。線の下の記入は読める状態のままであった。


読めなくする扱いは定めていない。定めるよう起案した記載も残っていない。線の太さも定めていなかった。


本日の二面は太さが違っている。


五、掲示を解いた日


本年度に掲示を解いた日は十九日である。


解いた面の合計は二十九になる。解いた日と、当該の個体の引き渡しの日とを突合した記録は本控に無い。突合するよう求められた例も本年度に無かった。


六、桁


面の右の欄の数は、桁が六つ。


点は端から三つ目と四つ目の間。桁を揃える定めは置いていない。揃えるよう求められた例も無かった。


本日の掲示のうち、桁が五つのものは一件。


作成 展示係

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