第068話 二回鳴らす
個体に係る照会と回答の綴(抄)
照会の件名 飼養の方法に関するもの
照会をした先 当部門 飼養係
回答の別 次の各項に記す
一、綴の性質
本綴は、相手方から寄せられた照会と、当部門の回答とを対にして綴じたものであった。編綴は年度ごとに行った。対にならない件も綴じる。
回答の写が付いていない件は、本年度に十一件あった。十一件のうち、回答をしなかったのか、写を取らなかったのかを分ける記載は無い。分ける必要を述べた起案も残っていなかった。
二、本年度の件数
本年度の照会は八十六件であった。うち飼養の方法に関するものは三十二件になる。三十二件の内訳は、給餌が十四件、外へ出すことが九件、室内の設えが六件、その他が三件であった。
その他の三件は、件名の欄が「その他」とだけ記入されている。
中身を分ける欄を本綴に置いていなかった。
三、照会の受け方
照会は口頭と書面の両方で受けた。口頭の場合は係が要旨を書き取るものとする。書き取る字数の定めは無い。
前年度の要旨の平均は二十三字であった。本年度の平均は二十一字になる。前年度との差を検討した記載は残っていない。
書き取った要旨を照会をした者へ読み返す扱いは置いていない。
読み返した例の記載も残っていなかった。
四、回答の別
回答は、定めのあるものと、定めのないものとに分けた。
定めのあるものは条を引いて答えている。定めのないものについては「定めが無い」と答えた。答えた件数は本年度に十九件になる。
十九件のうち、以後に定めを置いた件は無かった。置くよう起案した記載も残っていない。
五、要旨の字数
口頭で受けた件の要旨は、短いものが七字、長いものが六十一字であった。七字の件は「外へ出してよいか」であり、これに対する回答の写は付いていた。回答は条を引いたものであった。
六十一字の件の回答の写は付いていない。要旨の長い件ほど写の欠けている割合が高いという整理は、本綴では行っていなかった。六十一字の件の要旨には、句点が一つも打たれていない。
読点は四つ打たれていた。
六、芸に係る照会
本年度に一件あった。件名は「個体に芸を覚えさせてよいか」で、口頭で受けている。当部門の目録には、これを禁ずる記載も、勧める記載も無い。
目録を検めた者の名は綴に残っていなかった。
当該の件の回答の写は本綴に付いていない。上の十一件のうちの一件になる。
七、綴の閲覧
本綴は当部門で保管した。相手方へ示す扱いは置いていない。保管の場所を定めた記載も無い。
示すよう求められた例は本年度に二件あり、二件とも口頭で要旨を伝えていた。伝えた内容の控は取っていなかった。二件はいずれも同一の相手方によるものであった。
二件目の日付は一件目の十九日後であった。本綴を年度の途中で綴じ直した例は無い。綴じ直す場合の手続を定めた記載も、当部門には置いていなかった。
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掌を二回鳴らす音は乾いていて短い。一度目と二度目の間は、一つ数えるより速い。
翔太が居間の真ん中に立って、それをやってみせている。
私は長い椅子の右の端に座っている。窓に近い側になる。
この子が私を見て、それから自分の掌を見せた。指を開いて、こちらへ向ける。
「鳴ったら立つ。まわって座る」
この子が言う。
それから実際に立って、一周して、座った。まわる向きは右になる。足は途中で二度床を擦る。
午後の三時を過ぎている。学校から帰って、鞄を階段の下へ置いたままだ。鞄の口は開いている。
中の袋が一つだけ外へ出ていた。留め具は片方が外れたままだ。
袋は角が擦れて白い。白い部分は下の二つの角に寄っている。
上の二つは擦れていない。持ち方が決まっているのだと思う。
女の人は台所にいる。水の音が細く続く。
居間の空気には出汁の匂いが薄く来ている。昨日と変わらない匂いで、濃さが違う。
翔太が両手を上げて、また二回鳴らす。私は立った。立ってから、次に何をするかを思い出そうとする。
思い出す間にこの子が首を振る。
「違う。まわってから座る」
二度目。掌が鳴る。
私は立って、右へ体を向けた。向けたところで足が動かない。膝から下が、どちらへ出るかを決めていない。
この子はもう一度やってみせる。今度は速さを落として、足を一歩ずつ置いた。置く場所は四つで、四つ目が始めと同じ場所になる。
三度目はまわり始めたところで座ってしまう。一周していない。
椅子の布が沈む。沈んだ深さは、いつもと同じくらいになる。
四度目で私は立たなかった。音が鳴る前に体が動いたためになる。翔太が手を下ろして、もう一度上げ直す。
「音のあとだ。前に動くな」
この子が言う。声は大きくない。腕は下ろしたままだ。
私は自分の掌を見る。
指の付け根のところが、片方の側だけ赤い。もう片方は赤くなっていない。合わせる時の当たりに、左右の差がある。
五度目、六度目。どちらも一周の途中で止まった。止まる場所は同じところになる。
窓を背にしたあたりだ。
止まる度に、翔太は何も言わずに掌を下ろす。それから一度だけ息を吐いた。
音は短い。次までの間も詰まる。
六度目のあとで、この子が自分の掌を合わせ直している。合わせる場所を変えているらしい。指の付け根と、その少し下の二か所を試していた。
試した音は二つとも私には同じに聞こえる。この子には違うらしい。二つ目を選んで、それから膝で掌を拭いた。
窓を背にすると床の色が変わって見える。影が自分の足の側へ来る。
私はそこで、次に踏む場所を探していた。探すと足が止まる。
翔太がもう一度やってみせた。
今度は数を声に出した。立って一、まわって二と三、座って四になる。四つで終わる。
この子の四つは間隔が同じだ。数と数の間に、息を入れていない。私も口の中で数えてみる。
三つ目のところで、こちらが遅れた。
「数えるな。音だけ聞け」
この子が言う。それから自分の耳へ指を当てた。使うのは人差し指の一本だけになる。
私は音を聞くことにする。すると、床の下から別の音が来た。
家の下を水が通っている。細い音で、途切れる時と続く時がある。
息は鼻で吸って口で出している。六度目の終わりで、出すほうが速くなる。
心臓の音は耳の後ろで数えられる。四つ数える間に、六つ打つ。
掌が湿ってくる。
膝で拭くと、布に薄く色が残る。その色は数を数えるうちに消えた。十二数えると無くなる。
足の裏は床に慣れていない。園の床より硬くて、冷たいのは端の一列になる。冷たい列は窓の下にある。
踏むと、指の付け根から先に温度が来た。
翔太は待っている。その間、この子は掌を膝の上に置いていた。
掌は開いたままだ。指の間はどれも等しく空いている。
昼から何も食べていない。腹の底が時々薄く鳴る。
鳴る間隔はまちまちになる。数えようとすると止まった。
口の中は乾いている。
舌を歯の裏へ当てると、当てた場所が少し冷える。それは一瞬で、すぐ元へ戻る。三つ数えると元の温さになる。
七度目の前に、この子が立ち上がって台所のほうへ行く。すぐ戻ってきた。手に丸くて平たいものを持っていた。
色は青になる。
それを床へ置いた。置いた場所は椅子の前から一歩のところだ。
「そこを踏め。まわりきれ」
「踏むのですか」
私は訊いた。
印は指二本ぶんの厚みで、縁が少し反っている。踏むと薄く沈む音がした。
拾い上げた時に、指へ匂いが移る。ゴムと、鉛筆の芯に近い匂いの二つになる。
印の裏には細い溝が四本入っている。溝の向きは二本ずつで揃っていた。
私は音を待つ。掌が鳴る。立って、印を踏んで、そのまま体を回す。
回りきる前に右の足が印から外れる。外れたところで止まった。
八度目。印を踏んだままで爪先を軸にする。今度は回りきった。
回りきってから、座る場所が分からなくなる。椅子は後ろのほうにあって、見えない。
この時、椅子の位置は思っていたところより半歩ずれていた。
振り返って確かめてから座った。翔太が首を振る。
「振り返るな。手で探れ」
この子が自分の背中の側へ手を伸ばしてみせる。肘を先に落として、指だけを開いた。開いた指は四本で、親指は畳んだままになる。
私は同じ形を作ろうとする。できた形のまま腕を下ろした。
親指を畳むと、手首の内側が張る。肘の内までは来ない。畳んだまま指を四本開き直すと、今度は薬指が遅れて開いた。
九度目。掌が鳴る。
私は立って、印を踏んで、爪先で回る。回りきったところで、右の手を後ろへ伸ばした。指が椅子の縁に触れる。
触れた場所を持って、腰を下ろす。膝が椅子の前の縁に当たった。
九度目で通った。通った時に、この子は自分の掌を見た。
見てから、こちらを見る。それから台所のほうへ体を向ける。
「できた。母さん、できたよ」
翔太が言う。声はさっきより大きい。水の音が止まった。
女の人が手を拭きながら出てくる。布は台所のもので、青い縞が入っていた。
「あらまあ。あなた、覚えたのねえ。もう一回やって見せてちょうだい」
女の人が言う。翔太が私の前へ回って、掌を上げた。
二回鳴る。私は立って、印を踏んで、回って、手で探して、座る。
初めから終わりまでで、七つ数えるほどになる。九度目の時より一つ短い。
女の人が両手を合わせる。音は翔太の掌より高い。二回鳴って、二回目のあとに息の音が続く。
「上手ねえ。ほんとうに上手。あなた、こんなことができるのねえ」
この人が言う。それから翔太の頭に手を置いた。置いてから二度撫でる。
撫でる速さは一定ではない。一度目より二度目が遅い。手を離してからも、指は翔太の髪の上で少し止まっている。
この人の袖には水が跳ねた点がいくつも付いている。
乾きかけていて、色は濃い。点の大きさはまちまちだ。肘に近いところが一番細かい。
翔太は撫でられている間、床の印を見ている。目は動かない。手だけが膝の横で一度開いて、また閉じる。
私は座ったままでいる。椅子の布の沈みは、いつもより深い。立ったり座ったりを九度した。
膝の裏に、布の縁の線が横に一本残っている。
女の人が台所へ戻る。水の音がまた始まった。
始まる前に、蛇口を捻る音が二度した。一度目は短くて、二度目で水が出る。
台所の匂いが変わる。出汁の側が薄くなって、醤油の焦げるほうが強くなった。
翔太が床の印を拾って、掌に載せる。載せたまま私の横へ来た。
この子の腕からは外の匂いがする。土と、それから金属に近い匂いになる。爪の先には黒いものが入っていて、左右で量が違った。
「二回のやつ、名前つけよう」
この子が言う。私は名の付いていない動作を、いま初めて見た気がしている。
園でやっていた動作には、どれも呼び方があった。整列、点呼、報告、待機。
「なんと呼べばいいですか」
私は訊いた。
翔太は少し考える。考える間、掌の上の印を裏返して、また戻した。印は厚紙で、角が一つだけ丸い。丸いのは何度も裏返した側になる。縁の色は他より濃い。
「くるっとん。これでいい」
この子が言う。それから自分で笑った。声は四つで、四つ目が高い。
私は口の中で音を作ってみる。
声には出さない。五つの音になる。園の呼び方はどれも二つか四つだった。
五つは割り切れない。二つずつに分けると、最後の一つが余る。
余った一つは口の中で置き場が無い。舌の先へ寄せると、そこで止まった。
この子はもう一度その音を言う。出し方は一度目と少し違う。二度目は真ん中が高い。
私はその場所を覚えておく。
この子が印を床へ戻した。位置は前と少しずれる。戻す時に、指が二度持ち替わった。
ずれた分は爪の二本ぶんになる。私はそれを覚えた。
「もう一回。くるっとん」
翔太が言う。言ってから掌を二回鳴らした。名と音の間は、一つ数えるくらい空いている。
私は立って、印を踏んで、回って、手で探して、座る。止まらずに通った。
次はもう一度鳴らすだけだった。名は言わない。
私は立って、印を踏んで、回った。回りきったところで、手を出す前に腰が下りる。
椅子の縁に尻の端が当たって、体が右へ傾いた。手をついて止める。
翔太は怒らない。掌を膝へ戻して、それからもう一度上げた。
「くるっとん、いくぞ」
この子が先に言う。
それから鳴らす。私は立って、印を踏んで、回って、手で探して、座った。今度は傾かない。
この子が頷く。首は上下に一度だけ動いた。
名を先に言われたほうが、体の動く順が揃う。理由は分からない。そのまま四度やって、四度とも通った。
四時を過ぎて、翔太が二階へ上がる。棒の塔はまだ立っているらしい。階段は九段目だけが鳴る。
上がる時と下りる時で、鳴り方が違った。
私は椅子に残る。左の肩を回してみた。上げると耳の高さより上まで行く。
四日前は耳で止まっていた。押しても硬さはもう無い。
窓の外は明るい。五月の光は庭の奥まで届いていて、塀の影が細い。
その縁は砂利の上で切れている。先は土になる。
庭の窓は少し開いている。隙間から、草を刈ったあとの匂いが入ってきた。
匂いは青くて、水に近い。園の運動場の端で、同じ匂いをかいだことがある。
庭には物が三つ置いてある。
桶と、柄の折れた道具と、白い箱だ。白い箱の蓋は少し開いている。中は見えない。
塀の上を鳥が歩いていく。歩幅は塀の目地の一つぶんより狭い。途中で止まって、こちらを見た。
見てからまた同じ向きへ歩き出す。
私は動かずにいる。鳥は塀の端まで行って下りた。
台所から音が三種類する。水と、包丁と、金属の当たる音になる。
金属は蓋だ。蓋を持ち上げて、また置く音が二度した。
包丁の音は、初めのうちは細かくて、途中から間が空く。硬い物を切っているのだと思う。
私は椅子の背に寄りかからずに座っている。園でそう教わった。
背をつけると、腰の骨が椅子の縁へ乗る。すると足の指が浮いた。
私は椅子の上で膝を揃えて座り直す。
布の沈みが少し戻った。右のほうが速い。長く座っているのは右になる。
二階から音が二度した。木を積む音で、二度目のあとに崩れる音は続かない。塔はまだ立っている。
立っている段数は、四日前に数えた時で十一だった。
五時に男の人が帰る。玄関の戸が開いて、上着を鉤へ掛けた。
鉤は二つで、右には紐が掛かっている。上着は左のほうへ行く。
この人が居間へ入ってきて、卓の端に鞄を置いた。鞄の口の金具は、開ける時に二度鳴る。開けきる前に一度止まった。
この人の背広には外の匂いが付いている。煙草とは別の、乾いた匂いだ。
園の事務室で同じ匂いをかいだことがある。紙の束を長く置いた部屋の匂いになる。
翔太が階段を駆け下りてくる。九段目が鳴った。
「父さん、見て。こいつ覚えた」
この子が言う。それから私の前へ回って、掌を二回鳴らした。
私は立って、印を踏んで、回って、手で探して、座る。座るまでに、六つ数えるほどかかった。今日で一番短い。
男の人が鞄の口を開けかけた手を止める。
「そうか。何度でできるようになった」
この人が言った。翔太が指を九本立てる。両手を使って立てた。
男の人は頷いて、鞄から紙を出した。数枚あって、上の一枚に罫が入っている。
罫は五本で、幅はどれも同じではない。
一番下の一本が狭い。紙の右下に小さい数が刷ってある。桁は四つになる。
この人は紙を卓の端へ置いて、その上に鉛筆を横に載せた。載せた鉛筆は転がらない。卓の端はそちらの側だけ少し高い。
紙は上の一枚が罫入りで、下の数枚は白い。その数枚は端が揃っていない。ずれは指の幅の半分ほどになる。
この人は残りの数枚を鞄へ戻した。しまう前に、白い一枚を裏返して見ている。裏には何も刷られていない。
それでも見る時間は、表を見た時と同じくらいあった。
夕食の器は四つになる。私のぶんは右の端で、位置は変わらない。
卓に着く順も変わらない。私が先で、次が翔太、最後がこの家の二人になる。
今日の器は、白い粒と、汁と、細く切った赤いものと、それから四角い白いものだ。四角いものは冷たくて、上に薄い茶のものが掛かっている。
汁の中には短い緑が浮いている。数えると七つあった。昨日は五つで、一昨日は数えていない。緑の長さはどれも爪の半分ほどになる。
赤いものは細く切ってある。長さは指の第一関節までで、太さは揃っていない。
噛むと繊維が縦に裂ける。裂けた音は自分の耳の中でだけ鳴る。
四角い白いものの上の薄い茶は、動かすと器の底へ落ちる。器の底の分は箸で拾えない。私は器を傾けて口へ運ぶ。
女の人が私の器の横へもう一つ置いた。小さい皿になる。
皿の上には丸いものが二つ載っている。色は薄い茶で、表に細かい粒が付いていた。
湯気は出ていない。近づけると、油と、それから甘い匂いがする。
「これはね、今日のごほうびですよ。あなた、ほんとうによく覚えたから」
女の人が言う。翔太が横から手を伸ばして、この人に止められた。
私は二つのうち一つを取る。
指で持つと、表の粒が少し落ちた。落ちた粒は皿の上に残る。数は数えなかった。
噛むと外側が割れて、中は柔らかい。甘い。味は舌の真ん中より奥で強くなる。
園の器で甘いものが出た日は、年に二度あった。
二度のうち一度は十二月で、もう一度は定まらない。そちらは年によって月が変わる。
幅は三月から六月までになる。表に書かれていたのは日付だけだ。
中の柔らかいところに、粒が混じっている。噛むと粒だけが後に残った。
残った粒は歯の間に入る。舌で押しても、片側は出てこない。
飲み込むまでの間が、他の三つより長い。噛んだ回数は二十三になる。白い粒のほうは、一口につき八つか九つだった。
二つ目は残した。皿の上に置いたままにする。
「残していいのよ。明日でも食べられるわ。あなたのぶんですからね」
女の人が言った。
皿に薄い布を掛けて、台所へ運ぶ。布は先に手を拭いたものとは別になる。こちらには縞が入っていない。
男の人が食べ終わってから、卓の端で紙を書いた。上の一枚を使う。書き入れる欄は縦に並んでいて、上から順に埋めていく。
初めの三つは止まらずに進む。四つ目で速さが落ちた。落ちた場所は品名の欄になる。
この人はそこへ四つ並べて書いている。
欄の幅は四つを入れるには足りない。三つ目から字が小さくなった。四つ目は欄の右の端で止まって、最後の一字が罫を越えている。
この人は越えた一字を消さない。消しゴムは鞄の中にあるはずだ。
昨日は同じ場所で一度消していた。消した跡は紙の裏から見ると分かる。
量の欄には数を入れる。この人は数を書く前に一度、器のほうを見てから入れた。指は数字の間で二度止まる。
見た時間は短い。器はもう下げてあって、卓の上に無い。
書く途中で一度手が止まる。止まった場所は下から二本目の罫になる。それから女の人のほうを見た。
「これは何と書く。品の名が要る」
男の人が言う。女の人が台所から答える。
「ごほうび、でいいんじゃないの。あなた、そう書いておいてくださいな」
男の人は少し黙って、それから書いた。
鉛筆の音は四度切れる。切れた場所は四つとも同じではない。三つ目だけが長かった。
書き終えると、紙を折らずに鞄へ戻した。金具は今度は一度で閉まる。
「明日、健にも見せる」
翔太が言う。卓の下で足が二度動いた。
「いいわね。あなた、お友だちにも見てもらえるなんて、よかったわねえ」
女の人が言った。それから器を重ねて台所へ運ぶ。重ねる音は四度した。
男の人が湯呑を置いて、卓の木目を指でなぞる。
「連れて出すなら先に言え。手続が別にある」
この人が言った。翔太は返事をしない。返事の代わりに椅子を引く音がした。
湯呑は三つ卓に残っている。三つとも中身の高さが違っていた。
この子は階段のほうへ行って、九段目を踏んでから上がっていく。踏んだ音は今日で四度目になる。四度とも同じ高さだ。
私は卓の前に残っている。皿の布は動いていない。布の端は卓の木目と平行になっていて、皺は二本だ。
翔太が二階へ上がってから、私は掌を一度だけ合わせた。音は鳴らない。合わせただけになる。
私は皿の上の一つを見ている。布の下で、形は変わっていない。
布は薄くて、下の色が透ける。見える茶は、直に見た時より淡い。皿の縁は布から出ている。
幅は指の一本ぶんになる。
夜、私は布団の上に座る。石は枕の側にある。
布団には日向の匂いが残っていた。昼のうちに干した側だけが濃い。
濃い側へ顔を寄せると、匂いは埃に近くなる。離すと元へ戻った。寄せる距離は指三本ぶんで変わる。
袖の折り返しへ指を入れた。紙はそこにある。折り目は三本のままだ。
部屋の中で、掌を二回鳴らしてみる。音は居間で聞いたものより小さい。
布団の上で鳴らした。もう一度、床の板の上で鳴らす。
こちらは近い音になる。
それでも翔太のものとは違った。違うのは間だ。私のほうが、一度目と二度目の間が長い。
三度やってみて、三度とも長い。短くしようとすると、当たる場所が指の先へずれた。ずれると音が高くなる。
それは翔太のものでもない。
口の中で、あの五つの音をもう一度作る。声には出さない。
作り終える前に、膝が畳から浮いた。畳との間に指が一本入る。
私は膝を下ろす。それからもう一度同じ音を作った。
今度は先に膝の力を抜いておく。それでも踵のほうが一度動く。
立たなかった。鳴らしたのは私で、待つ者がいない。
もう一度鳴らして、今度は自分で立ってみる。
印は居間に置いたままだ。畳の上には踏む場所が無い。私は目を閉じて、一歩の位置を決めた。
決めた場所を踏んで回る。一周してから、手を後ろへ伸ばした。指は何にも触れない。
腰を下ろすと、そのまま畳へ着いた。
窓の外は暗い。硝子に部屋が映っている。
見えるのは私と、石と、畳んだ布団だ。硝子の中の私は、掌を膝の上に置いている。指の間は等しく空いていた。
顔は映るが、目の形までは分からない。硝子が薄く曇っている。
息をかけるとその範囲が広がる。円の縁から先に消えていった。
消える速さは上と下で違う。下が遅い。そこを指でなぞると、水の筋が三本下りる。
枕の布は昼のうちに替えてある。指を当てると、糊の硬さが少し残っていた。
石を持ち上げて、また同じところへ置く。布に円い跡が残った。
跡の縁は前より浅い。指で撫でると消える。
今日の数を並べてみる。通らなかったのが八度、通ったのが五度になる。皿の上に残したのが一つで、明日まで置かれるのも一つだ。
噛んだ回数は二十三で、その前の白い粒は一口につき八つか九つだった。二十三は割り切れない。五つの音と同じ側になる。
園では数はいつも割り切れた。器は二十四で、班は四つで、一班は六人になる。朝の点呼は十二拍で、拍は誰が数えても同じ数だ。
布団を敷いて、その上に座り直す。座ると畳の縁の線が膝の裏から外れた。外れた場所は、居間の椅子で線が残った場所とは別だ。
明かりを消す。その後も、硝子の中の私はしばらく見えていた。十六数えると分からなくなる。
口の中に、まだ甘さの残りがある。
舌を上へ付けると分かる。水を飲めば消えると思う。私は水を飲まなかった。
畳の上に手を置いて、そのまま横になる。天井の板の継ぎ目は七本ある。七本のうち二本は、端が壁の手前で切れていた。
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給与の記録(抄)
給与の日 令和二百十四年五月十日
給与した品名 次項に掲げる
残した量 次項に掲げる
一、用紙について
本日の記録は相手方の手で付けられている。用紙は当部門が交付したものであった。用紙の罫は五本で、上から日、品名、量、残した量、備考の順とした。
備考の欄は他の四つより狭い。本年度に交付した枚数は五十八であった。返送を求める扱いは置いていない。
交付の際に記入の要否を説明した記載は残っていなかった。
説明を要する旨を定めた書面も、当部門には無い。
二、記入の筆
本日の記入は一つの筆で通っていた。
前日までの記入とは筆の太さが違っている。筆の別を記録させる欄は用紙に無い。誰が書いたかを記す欄も置いていなかった。
三、品名
本日の品名は四つが記入されている。白飯、汁、和え物、豆腐の順になる。四つの順は献立の順によるものとした。
順の定めは用紙に無い。前月の記入では、四つの順が二度入れ替わっていた。入れ替わりについての記載は付いていない。
量の欄には合わせて四百五十グラムと記入されていた。内訳を書かせる欄は置いていない。前月の同じ曜日の記入は四百三十グラムであった。
差は二十グラムになる。差の生じた理由を記入させる欄も、用紙には設けていなかった。
四、残した量
残した量の欄には「なし」と記入されている。本日の記入は品名の四つに対するものであった。四つ以外について記入させる欄は無い。
五、備考
備考の欄は空であった。本年度に交付した五十八枚のうち、備考の欄に記入のあるものは三枚になる。三枚はいずれも同一の相手方によるものではない。
相手方ごとの枚数を集計する扱いは置いていなかった。三枚の記入は、いずれも体の調子に関するものであった。芸に関する記入は一枚も無い。
六、欄の下
品名の欄の下に、相手方の側が書き添えた語が一つある。
「ごほうび」




