第063話 見る人
来訪の際の留意事項(抄)
配布の時期 引き渡しの当日
手引の名 個体を迎えた家庭のための手引(第三版)
改定の履歴 第二版から一箇所
一、手引の性質
本手引は、相手方が家に人を迎える際の留意事項をまとめたもので、従う義務は無い。
従わなかった場合の扱いも定めておらず、従ったか否かを確かめる手順も置いていなかった。
本手引の頁数は十二頁とし、うち来訪に係る部分は四頁になる。
綴じは糸ではなく針金による。色を定めた書面は当部門に無い。定める旨の起案も無かった。
配布は引き渡しの当日とし、受領の署名は求めていない。求めない旨を記した書面は当部門に無かった。
受け取らなかった相手方の数は当部門で数えておらず、数える欄も本手引に付いていなかった。
二、来訪者の数
来訪者の数の上限は定めていない。一度に迎えた数の記録も取っていなかった。取る欄も置いていない。
数が多い場合の留意は第二版まで一項あり、第三版でこの一項を削った。
削った理由を記した書面は当部門に無く、削る前の文言も残っていない。
削るまでに要した日数は記録していない。起案した者の氏名も残していなかった。
三、個体の置き方
個体は来訪者の側から見える位置に置くことが望ましい。高さは定めていなかった。低い位置の例も挙げていない。
見えない位置に置いた場合の扱いも記しておらず、実際の位置を確かめた例は本年度に無かった。
置く場所については、第二版まで「床とする」と定めていた。第三版で当該の一行を削り、家具の上との別を扱わないものとした。
削った理由は改定の記録に残していない。第二版の在庫は本年度の初めで四十六部あり、返却は求めていなかった。
来訪者が個体に触れる場合は相手方が同席することが望ましく、同席しなかった場合の扱いは定めていなかった。
触れる部位については、第二版で頭と手を挙げていた。第三版はこの二語を残し、他の部位を加えていない。
四、来訪者への説明
個体の来歴を説明するか否かは相手方が決めた。範囲についての定めは置いていない。定める旨の記載も無かった。
園において用いた名称を来訪者へ伝えることは、本手引では扱わず、理由も記していない。
五、記録
来訪者の記録を付けるか否かは相手方が決め、様式は市販のものでよいとした。
付けた記録の提出先は本手引に記しておらず、提出を求めた例も当部門に無かった。
付けなかった相手方の数も、当部門では数えていなかった。欄も設けていない。設ける旨の起案も無い。
六、第二版からの変更
第二版から変えたのは二の第三項の一箇所になる。項を単位として数えた。行を単位として数えた場合の件数は、改定の記録に無い。
版ごとの配布数は第一版が三十一件、第二版が四十四件であった。第三版は本日までで八十七件になる。
第一版の現物は当部門に残っておらず、第二版は一部だけ棚の上段にある。
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右の腰に、敷布の折り目の線が残っている。
布団の中の温度は、足の先のほうが低い。膝から下だけ外の空気に近くなる。
十七日目になる。指を十本立てて、下ろして、それからもう七本立てた。
天井の角はまだ暗い。三十一日の朝より深く、雲の切れ目が見えない。
線は指でなぞると分かる。消えるまでに二十ほど数える。
園の寝台には敷布が一枚張ってあり、折り目は端にしか出ない。
ここでは真ん中に出る。そうなるのは布が余っているためだ。
余った布は毎朝、私が内側へ入れている。入れる順は左からになる。
入れた場所は右の側だ。左は入れていない。左に入れると、寝る時に膝の下が固くなる。
腹は鳴らなかった。昨日の夜に食べた量が多い。
多い分、朝の口の中が乾いている。
布団を畳む。上のものを三つに折って、下のものへ載せた。
畳んだ布の匂いは、十七日で石鹸が先に立つようになる。
日に当てた匂いは奥へ回った。奥のものは鼻を近づけないと来ない。
枕を持ち上げる。下には何も入っていない。園の枕の下には紙が二枚あった。
どちらも三月十九日の朝に置いてきた。置いてきてから十九日になる。そのうち、この家にいるのは十七日だ。
残りの二日は施設にいた。施設の寝台には枕が無かった。
窓を開けると、外の空気が入ってくる。空気は昨日より重い。下から先に来る。
足首のあたりで最初に分かった。部屋の隅に、四角い箱が二つ積んである。上の箱に布が掛けてあった。
布の端は床から指の二本ぶん浮いている。浮いた分だけ下が見える。
下の箱の側面に、穴が二つ空いていた。穴の縁は丸い。
私はその前で足を止める。十七日のうち、足を止めた回数は九度になる。九度とも布へ触れていない。
手を伸ばしてよいかを訊く言い方を、私はまだ作れずにいる。今朝は作ってみた。口の中で並べて、並べ替えて、また元へ返す。
戻した形が一番短い。短いものは覚えておく。
服は昨日と替えてある。選んだのは女の人で、私ではなかった。替えた服の襟は前のものより固い。
首を回すと縁が当たる。当たる場所は右の顎の下だ。十を数えるほどで赤くなる。
色が変わっても痛くはならない。鏡は部屋に無く、指で確かめる。
階段を十四段下りる。五段目は右の端を踏むと鳴らない。九段目は何処を踏んでも鳴った。
今朝も音が出た。台所の匂いは四つに分かれている。焼いた匂いと白い液体と洗剤と、それから酢になる。
最後のものは昨日まで無かった。流しの横に小さい瓶が出ている。
「おはよう。今日はお客さまが来るのよ。あなたはそこに座っていてね」
湯を注ぐ音が続いている。女の人はこちらを見ない。
「はい。座ります」
私は答える。言い終わるまでに、女の人の手は止まらない。
机に三人が座る。男の人の前に紙は無い。今日は湯呑だけになる。
縁が一箇所欠けている。欠けは向こう側にあって、口を付ける側ではない。
「十一時に四人来る。帳面は玄関に置いた」
男の人が言った。それから湯呑を持ち上げる。
指は三本しか掛かっていない。残る二本は縁の下にある。
翔太は机に肘を突いている。丸いものは膝の上に無い。今日は袋を膝へ載せていた。
袋の口は紐で二回巻いてある。結び目は下を向いていた。
「うるさいから上いく」
この子が言った。それでも、まだ座っている。
女の人が笑う。声は二つで、二つ目が長い。頬だけが動いた。
朝の食事の後、女の人が部屋を動かし始めた。
長い椅子を窓の側から壁の際へ寄せる。その分だけ床が広くなる。
机は動かさない。机の脚の跡が床に四つ残っている。跡の色は床より薄い。
寄せた長い椅子は、まだ床に跡を作らない。元の場所の跡だけが濃く残る。
女の人が棚の上から写真の枠と細い花瓶を下ろす。花瓶には水も入っていなかった。
棚に残ったのは置き時計と小さい箱で、箱の蓋の赤い字は端のところだけ薄い。
女の人が二階から座布団を一枚持って下りた。
座布団は青くて、縁に細い線が入る。その一枚を窓の前の床へ置く。長い椅子の前ではない。
「あなたはその椅子じゃなくて、窓のところに座ってちょうだいね」
言われた。
私は座布団の上へ座る。窓の下の枠が目の高さより上に来た。外は見えない。
見えるのは天井と、壁の上と、長い椅子の背になる。
そこには布が張ってあって、縫い目が三本走っていた。
床は座布団の外が冷たい。指を外へ出すと分かる。
出した指を戻すと、戻したところだけ温かさが残っていた。
座布団の縁は少し擦り切れている。糸が二本、外へ出ていた。二本とも同じ角から出ている。
指で押すと中へ入り、離すとまた戻った。この位置から玄関の下駄箱が見える。幅は扉の枠のぶんになる。
台所は見えない。台所からも、私の頭より上しか見えないはずになる。
九時を過ぎて、女の人が床に掃除機を掛けた。音は園の送風機より高い。
掛ける順は窓の前から始まって、私の座布団の周りで一度止まる。
止まった後、この人は座布団を持ち上げずに、その周りを掛け直す。
座布団の下は掛けていない。下の床の色は、周りより少し濃い。
十時に、女の人が机を布で拭く。それから湯呑を五つ並べた。五つのうち一つだけ、模様が違う。
端の一つになる。
私の前には何も置かない。場所も作らなかった。
女の人が玄関へ行って、下駄箱の上に帳面を置く。
音が二度した。二度目は帳面を開く音になる。
帳面は薄い。表紙の紙が反っていて、机の上でも閉じ切らない。
園の掲示の綴りとは違って、綴じ目に糸が見えていた。
女の人が台所へ戻る。途中で私の横を通った。この人の裾が座布団の端へ触れる。
触れても止まらない。十時四十分に、玄関の呼び鈴が鳴った。押し方は二回だ。
女の人が出る。声が二つ増えた。
女の人が二人、先に入ってくる。どちらも上着を腕に掛けていた。
上着の色は片方が茶で、片方が灰になる。
二人の履いていたものは玄関に残った。並べ方は爪先が扉の側を向いている。
私の履物は台所の勝手口に置いてある。向きは決めていない。
二人はリビングの入口で足を止めて、それから私を見た。
見る長さは片方が三つ数えるほどで、もう片方は一つだった。
女の人が玄関へ戻って、帳面に何か書く。音は短い。
書いてからこちらへ来て、二人へ長い椅子を勧めた。
勧める時、この人の手が私の座布団の上を通った。高さは頭より上になる。手の影が私の膝へ落ちて、すぐ外れる。
落ちている長さは一つ数えるほどだ。二人が座る。位置は椅子の右の端と真ん中になる。
左の端は空いたままだ。そこの布は沈んでいない。
二人の膝は、二人とも私へ向いている。向きは足の先で決まる。
片方は先が真っ直ぐこちらへ来て、もう片方は少し外へ開いていた。
茶の匂いより先に、上着の匂いが来る。外の匂いが混じっていた。
中で煙草と、何かの花が混ざっている。
花のものは園の祭の日に嗅いだ匂いと近い。それでも同じではない。
園のものは湿っていて、こちらは乾いている。
言葉が出ている。
文の切れ目は数えられる。十四まで進んで、そこで止めた。中身は私の側へ来ない。
私を指す語が二度出た。二度とも同じ長さになる。
二度とも、女の人の口から出て、二人へ渡った。渡った先で一度止まる。
私は膝の上で手を組む。形は園で決まっていたものと違う。ここでは前へ置く。
四月に入ってから直された回数は零になる。座り方も決まっていない。私は膝を揃えて、踵を尻の下へ入れた。
すると足の甲が床に当たる。当たる面は右のほうが広い。
十を数えるほどで、右の指の先が痺れ始めた。痺れは薬指から来る。私は重さを左へ移した。
それから、また戻す。呼び鈴がもう一度鳴った。今度は一回だ。
女の人が出る。男の人が一人、後から入る。
三人目が来るまでに、二人は湯呑をまだ持たされていない。
その間、二人の手は膝の上と、椅子の背の上にある。
椅子の背へ掛けたほうの手が、二度だけ布を撫でた。向きは横になる。布の毛が起きて、撫でた跡が残る。
跡は光の当たり方で見えた。角度が変わると消える。
この人は上着を着たままで入って、椅子には座らなかった。
立った姿勢のまま机の横で二人と話す。その間に二度こちらを見た。
女の人がまた玄関へ行って、帳面に書く。三つ目になる。
立っている人の靴下の踵に、薄い部分がある。歩くと色が変わって見えた。踵が床から離れる時に変わる。
離れる回数は五度数えた。十一時二十分に、四人目が来た。四人目は女の人で、手を引いている。
小さい者が引かれている。背は机の面より少し高い。
女の人が玄関で帳面に書く。音は一度で切れた。
小さい者は入口で止まって、それから床を見ながら入ってきた。
向かった先は長い椅子ではない。私の座布団の側になる。
この者は私の一歩手前で止まる。止まってから、しゃがんだ。膝は床に着かない。
しゃがむと、目の高さが私と揃う。揃った後で首が少し傾いた。
何も言わない。私も口を開かずにいる。
この者の目は私の目を見ていない。目は首から下を見ている。肩から腕へ、それから膝へ順に動いた。
速さは一定になる。息が届く。息には食べ物の匂いが混じっていて、甘い。
朝の器に出たものとは違う。もっと濃い。
この者の手が伸びて、私の髪の先へ触れた。
指が二本触れる。摘まんで、引いて、それから離した。引く力は弱い。
髪は元の位置へ戻らなかった。一本だけ、耳の前へ落ちている。
大人の四人が笑う。笑い声は四つ重なって、切れ目が揃わない。
重なった分だけ、終わりが長く残った。残りは天井の側で消える。
小さい者が立って、母親のところへ戻る。途中で一度振り返った。
笑いが終わってから、部屋の音が一度薄くなった。薄い間に外の音が入る。車の音と、犬の声が入る。
犬は二度鳴いて、それきりになる。私は玄関を見る。下駄箱の上の帳面は開いたままだ。
頁に字が並んでいる。並びは縦で、行の数は四つになる。
部屋にいるのは五人だ。帳面の名は四つになる。
行の頭は揃っている。揃えたのは罫の線で、書いた者ではない。
四つの行の長さは揃っていない。二行目が一番長い。
長さの差は、字の数の差だ。私は行の端を目で追った。
追っても読めない。字は長さだけが手に残る。
湯呑が配られる。五つのうち四つが大人へ渡って、一つが小さい者へ行った。
小さい者のものは、模様の違う端の一つになる。
配る順は長い椅子の右から左へ動いて、それから立っている人へ行った。
最後が小さい者だ。渡す時だけ、女の人が膝を折る。
折った膝は床に着かない。手前で止まって、渡してから戻る。私の側へは来ない。
座布団の外の床は、さっきより冷たくなっていた。
茶の匂いが立つ。園の食堂のものより薄い。
湯気の高さも低くなる。上がる途中で横へ流れる。
湯気は五つのうち三つからしか上がらない。上がらない二つは、注ぐのが早かった。
女の人が先に持った二つになる。
大人の一人が机の上の小箱へ手を伸ばして、蓋を開けた。
中を見て、また閉じる。音は小さい。
女の人がそれを見て、何か言った。その後で二人が同時に頷く。小箱が棚の上へ戻る。
位置は元より窓へ寄った。二人目が立ち上がって、私の側へ来る。しゃがまない。
立った姿勢のままで、上から私の頭の後ろへ手を置く。置く力は肩へ置かれる時より軽い。
この人の指が二度動いた。動く向きは前から後ろになる。手が離れる。
上着の袖が指を拭った。
この人は椅子へ戻って、湯呑を持ち上げた。
袖の内側は、指の当たったところだけ色が濃い。座ってからも乾かない。
濃い部分は爪の二本ぶんある。縁のところは薄くなって、終わりの位置が出ない。
女の人が何か言って、四人が同時に頷く。頷く速さは揃っている。
四つの首の下で、湯呑が四つ持ち上がった。
持ち上げる高さは四人とも同じではない。立っている人が一番低い。湯呑を胸の高さまで上げて、そこで止めた。
飲んでいない。
飲まずに机へ戻す。置いた場所は取った場所と爪の一本ぶんずれた。
ずれた分だけ、湯呑の底が机の水の跡から外れる。
同じ音がまた出た。三度目になる。
三度とも同じ語で、五つの音でできている。終わりは下がり切らない。
階段が鳴った。五段目と九段目だ。翔太が下りてくる。
リビングの入口で足を止めた。場所は柱の陰になる。
「みんな帰ったら呼んで」
この子が言った。
言ってから、二階へ戻る。上がる音は下りる時より速かった。
女の人が笑う。四人も口を開けた。笑いは前より短くなった。
十二時二十分に、四人が立ち上がった。上着を取る音が重なる。
小さい者は母親の手を引かれる前に、自分で歩き出した。
歩き出した先は玄関ではなく、私の座布団の前になる。
この者は私の前で足を止めて、それから何もせずに向きを変えた。
向きを変える時、上履きの底が床を擦った。音は一度だけ出た。
玄関で五人ぶんの音が鳴る。扉が開いて、閉まった。
その後、家の中の音が二つ減る。
女の人が湯呑を五つ集めて、台所へ運ぶ。音は二度に分かれた。私は座布団の上に座り続けている。
立てとは言われていない。
部屋の空気は来る前より温かい。人の数が減っても、しばらくは下がらなかった。
変わり始めたのは、女の人が台所の窓を開けてからになる。
言われずに私は立った。その後で、自分の膝が伸びたことに気づく。
座布団の上に、私の重さの跡がある。真ん中が窪んで、縁が立っている。
縁を指で押すと、その分だけ沈んだ。
私は座布団を持ち上げて、二つに折った。それから、壁の際へ立てておく。
立てた座布団は壁と床の間で、少しだけ開いている。台所で女の人が湯呑を洗っている。水の音が高い。
音の合間に、この人が何か言った。私へ向けたのではない。
玄関へ行く。四人の靴の跡が三和土に残っていて、乾ききっていない。
跡は五つある。小さいものが一つ、隅のほうを向いていた。
下駄箱の上の帳面はまだ開いている。
私は近づいて、頁を見た。行は四つだ。数は変わっていない。
帳面の紙は罫が薄い青で、行の幅は指の一本ぶんより狭い。
その中へ、四つとも上下に余りを残さずに収まっている。
帳面の脇に鉛筆が一本置いてある。芯は右が減っていた。
減り方は斜めで、削り直した跡が二つある。
私は指を四本立てる。それから五本にした。立てた指の先は冷たくない。
立てた五本のうち、四本は帳面の行に当たる。残る一本は何にも当たらない。
五本のうち一本を、私は下ろさなかった。置く場所が決まらずにいる。
台所の水の音が止まる。その後で、女の人が茶碗を伏せる音が三度する。三度目の音が高い。
模様の違う一つだと思う。私はリビングの床に落ちたものを拾った。糸くずが二本ある。
どちらも上着から出たものになる。色は片方が茶で、片方が黒い。
拾ったものを、私は掌へ載せたままで台所の入口まで行く。
入口で止まって、それから流しの横の小さい容れ物へ入れる。
昼を過ぎて、女の人が二階へ上がる。
私も呼ばれて後から行った。用は洗濯物を運ぶことになる。三度行き来する。
三度目の後、女の人が私の部屋の入口で止まった。
その先に、布の掛かった箱がある。この人はそれを見ていない。
私は座布団の縁を指で押して、それから膝を戻す。膝の下の布が沈んだ。
沈む深さは指の一本ぶんで、離すと戻り切らない。戻らない分は掌で均した。
口の中で並べておいたものを出した。
「見てもいいですか」
朝に組んだ形より、息が一つぶん長い。
「いいわよ。あなたが見たいなら、その布は取ってしまってかまわないの」
女の人が言って、そのまま廊下へ出ていった。足音は階段へ向かう。
私は布の端を持った。思っていたより重い。
畳んだ洗濯物の一枚ぶんくらいになる。
布の表には埃が乗っている。手を離すと、乗った埃が少し動いた。動いたものは光の中でだけ見える。
光は廊下の窓から来ていた。
引くと、布は箱の上を滑って、途中で一度引っかかった。
上の箱の角に当たる。そこには金属の留め具が付いている。
布が落ちる。途中で形が変わった。
床へ着いてからは、山が一つできて、動かなくなる。
私はその山を見た。長さは三つ数えるほどになる。山の高さは膝より低い。
園の四つ目の仕切りの布も、この落ち方をしていた。
あちらは床まで届いていて、下から影が見えた。影は十を数える間、動かない。
布の縁は床の埃を一度だけ動かした。
上の箱は空だ。蓋が内側へ折り込んである。
下の箱は木でできていて、側面に穴が二つ空いている。
穴の直径は指の三本ぶんだ。二つの穴の間は掌の一つぶん空いている。
穴の縁は削ってあって、内側から見ても角が無い。
箱の前の面は扉になっていた。前へ開いている。
留め具は外側に付いていて、内側からは指が届かない。
私は指を入れてみた。爪の先が留め具の裏に当たる。掛けることは出来ない。
押しても外れない。外側から動かす形になっている。
箱の中に、畳んだ布が一枚ある。布は薄い茶色で、四つに畳んである。折り目のところだけ色が濃い。
濃いのは折った回数のぶんになる。布の下に、乾いたものが少し落ちている。指で摘まむと崩れた。
粉からは匂いが立つ。園の獣舎の奥に近い。
近いだけで同じではない。獣舎のほうは湿っていた。
この匂いは乾いていて、鼻の奥まで来ない。
箱の底の板に、細い傷が並んでいる。傷は縦で、長さは指の一本ぶんになる。全部で十一本あった。
十一本のうち九本が扉の側に寄っている。傷の深さは同じではない。指を当てると、三本だけ爪が引っかかる。
引っかかる三本は真ん中に並んでいた。間は爪の幅ほどになる。
板の色は傷のところだけ明るい。そこは木の中の色になる。外側は日に焼けている。
扉の側と上の縁で色が変わる。箱の上の面には、留め具の跡が二つ残っていた。跡は円い。
中に塗りが残っている。何かを外した後だと思う。
箱の外の下の縁に、字が刷ってある。
字は横に並んでいて、数は六つになる。そのうち二つは擦れて形が崩れていた。左の端の二つになる。
箱の底の四隅に、丸い脚が付いている。脚の高さは爪の半分ほどになった。
四つのうち一つだけ、先が擦れて平らになっている。
私は箱の側で膝を突いたままでいる。膝が板の縁に当たって痛い。
痛くなるまでの時間は、園の土間より短かった。
布を元に戻す。掛け直すと、端が床から指の三本ぶん浮いた。
朝は二本だった。掛け方が一本ぶん変わっている。
私は端を引いて、二本へ直した。それから手を離す。
箱の側を離れる前に、私は上の箱の中も見た。中は空で、底に紙が一枚敷いてある。紙は新聞で、日付の部分が上を向いていた。
年の数は読めない。
読めなくても、字の大きさで見出しの位置は分かる。見出しは右の上に来た。
その下に写真が一つ入っていて、写っているのは建物になる。
建物には窓が並んでいる。数えると横に八つ、縦に四つあった。
園のC区画は横に六つで、縦に三つだ。ここが多い。
私は紙をそのまま戻した。端が箱の縁にかかって少し破れる。
破れたのは角の一つで、裏へ折れた。折れた先は元へ返らない。
欠けた形は三角で、長さは爪の半分ほどになった。
夕方、廊下の窓が赤くなる。光は床の上を動いて、階段の一段目で切れた。
台所で器を三つ受け取る。
運ぶ順は上から私、男の人、翔太になった。卓へ置くと、三つのうち一つだけ音が低い。鳴りの鈍い一つが私のものになる。
男の人が湯呑を出して、今朝と同じものを使った。欠けは向こう側にある。
この人はそれを自分の手前へ回して、それから飲んだ。
男の人は今日も呼ばない。私を呼ばずに、器を指した。
夜になる。二階の部屋で、私は布団の上に膝を立てて座る。
園では毎朝、器が数えられた。二十三のうちの一つが私になる。
数が合わない日には掲示が出て、廊下の板へ貼られた。貼る場所は決まっている。
ここに貼る場所は無い。
布団の端を掌で押すと、綿の戻る速さが朝より遅い。日に当てていないためになる。当てた日は四月に入って二度だ。
二度とも晴れていた。窓の外の明かりが四つ点いている。四つとも二階で、位置は昨日と同じになる。
同じ位置の四つを、私は十七日のうち十一度数えた。数が減った日は無い。
箱の匂いは指へ移った。鼻へ近づけると、まだある。
私は指を布で拭いた。それでも薄くならない。
昼に三度出た語がある。五つの音でできていて、終わりが下がる。
私はその語を口の中で組んだ。組む間、唇は二度合う。声にはならない。
組み終わっても、その語は私の側に残った。組んだ音は二度目のほうが低い。
舌が上顎に触れたところは、しばらく乾かずにいる。
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来訪者の記録(写)
記入の期間 令和二百十四年四月一日から本日まで
記入した者 相手方
様式の出所 市販
一、本様式について
本様式は市販のもので、当部門が交付したものではない。定めも置いていない。置く旨の起案も無かった。
提出を求める先は本様式に印刷されておらず、相手方が任意で付けたものであった。
本様式の名は「来客控」になる。頁は三十二頁で、うち二頁を使用している。
二、本日の記入
本日の記入は四件であり、記入は来訪の都度、玄関において行っていた。
記入の欄は来訪の時刻と氏名と用件の三つとしていた。用件は四件とも空になる。埋めさせた例も無い。
空欄とした場合の扱いは本様式に刷っていなかった。刷る位置を示した書面も無かった。
三、時刻
記入された時刻は十時四十分が二件と、十一時五分が一件と、十一時二十分が一件になっていた。
同じ時刻が二件あるのは二名が同時に来訪したためであり、分けて記入するか否かの定めは無かった。
時刻は相手方の腕時計により、玄関の時計との差は確かめていない。
四、記入しなかった者
本様式には氏名を記入した者だけを書き、同伴した者を書く欄は設けていなかった。
設けていない理由は本様式に記されておらず、相手方に確かめた例も無い。
本日、同伴した者は一名になる。年齢は記入していない。氏名も記入していなかった。
五、本記録の扱い
本記録は相手方が保管し、写を求める定めは置いていない。
保管の年限も本様式に刷っておらず、尋ねた相手方は本年度に一件ある。
本日の写は相手方の求めにより一部作成したが、理由を相手方は述べていなかった。
本期間の記入は四件である。前の期間は零件であった。




