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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第五章 譲渡

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第060話 署名

個体の引き渡しに係る書類の交付の記録


交付した者 機構 第七指定施設 事務係

交付の刻 令和二百十四年三月二十一日

相手方 機構の定める区分の記号による


一、交付した書類


本日交付した書類は四点であった。譲渡の証書、個体の記録票の写、処置の実施の記録の写および飼養に係る留意の事項である。


証書は正副の二通とした。正を相手方へ、副を当施設で保管する。副の保管の年限は五年であり、年限を過ぎた副の扱いを定めた書面は当施設に無い。


証書の様式は制定の時から用いた。改正は二度あり、直近は令和二百六年であった。改正の際に増やした欄は無い。


個体の記録票の写は、系統の欄を空のまま写した。空である旨の注記は付していない。写は原本の縮尺のとおりとし、縮小は行っていない。


二、署名の欄


証書の署名の欄は三つとした。園長、獣医、相手方の順であった。


本件の証書は、園長の欄と相手方の欄に署名がある。獣医の欄は空であった。空とした旨の申し出は受けていない。


獣医の欄を空とした場合の理由を記す欄は、本様式に無い。空のままで受理する取り扱いは、制定の時から置いてある。


本年度に交付した十一件のうち、獣医の欄に署名のあるものは八件であった。前年度は九件のうち九件である。前々年度は十二件のうち十二件であった。


空である三件について、当施設から園へ照会した記録は無い。照会を要する旨の定めも置いていない。


三、交付の方法


書類は相手方へ手渡しにより交付した。郵送による交付は行っていない。


交付の際は、当該の個体を同席させた。同席させる旨は本要領の定めによった。理由の記載は無い。


同席の間、当該の個体を椅子に座らせる。椅子の位置は机から離した壁の側とした。位置を定めた書面は当施設に無かった。


当該の個体へ書類の内容を読み上げる扱いは置いていない。読み上げを求められた例は本年度に無かった。


同席の時間について、下限と上限は定めていない。前年度の実績は十七分から五十一分までであった。


四、控


本記録の控は当施設に一部保管した。相手方へは交付していない。保存の年限は五年とし、年限を過ぎた控の扱いは定めていない。


本年度に作成した控は十一部である。うち二部は綴りの順が前後した。順を直す扱いは置いていない。


当該の個体へ控を示す扱いも置いていない。示した例は制定の時から無い。


──────────────────


 台の面は昨日より冷たい。座ってから十二を数えるまで続いた。

 硝子の外の廊下はまだ暗い。時計は六時を指している。

 昨日は十を数えるまでだった。二つ増えている。

 外の気温を測る道具が、この部屋には無い。


 布を膝へ載せる。折り目は三本のままだ。

 畳んだ通りに崩れていないので、夜の間、私は動かなかったのだと思う。


 三つ目の仕切りの先客は、昨日の午後にいなくなった。

 連れて行った者は二人だ。白い上着を着ている。札は二枚が外された。

 札は板に載せて、そのまま奥へ運ばれた。


 いまは端の一つと二つ目の私、三つ目の空と四つ目の布になる。

 布の下の影は、昨日から動いていない。形も変わらない。


 私は台の上で膝を抱えた。抱えると、腕が肋の紙へ当たる。

 当たる位置は座面の高さで変わる。台の高さは十九日と変わらない。

 紙の折り目は三本ある。作業着の内側にある。二日の間、一度も動かない。


 硝子の枠の継ぎ目を、私はもう一度数える。端から五つ目までが私の仕切りになる。

 五つ目と六つ目の間の細い線は、十九日に見た場所にある。


 台の脚の下の紙も、そのままだ。四つに折ってある。角が丸い。

 押しても台は鳴らない。鳴る脚は一本だけになる。そこには紙が挟んでいない。


 腹は空いている。空き方は園の朝と少し違う。

 みぞおちの下ではない。指の三本ぶん下が薄くなる。園では下まで来なかった。

 二日で場所が動いた。何が変わったのかは分からない。


 七時に器が来た。量は四三〇だ。園の朝の量になる。

 実の切り口は三月のものだ。匙を入れると音が短い。器の縁に欠けは無い。


 私は十二回噛む。噛む数は園と同じにした。


 器を返す時、渡す人の手は止まらなかった。

 園では一度止まる人がいた。ここでは止まらない。

 その人は何も言わない。私も訊かなかった。渡す時の手の高さは、園と変わらない。


 八時に係の人が来て、私を硝子の外へ出した。鍵の音は一度だ。

 廊下は左へ十四歩。突き当たりを右へ七歩。そこに扉がある。


 中には机が一つと、椅子が四つ置いてあった。椅子は三つが机の側にある。一つが壁の側だ。

 座るように言われたのは、机から離れた一つだった。座面は木だ。背が高い。

 肩より上まで背がある。寄りかかると、後ろの骨が板へ当たる。


 当たる場所は二箇所だ。上が強い。下は触れるにとどまる。

 私は寄りかかるのをやめる。背を離した。浮かせると、当たる場所が消えた。


 机の面は白い。近づけば木目が見える。離れると一枚の面になる。

 面の右の端に、丸い跡が一つある。輪になっていて、中の色が薄い。


 輪の外側を指でなぞる。ざらつきは無い。拭いた跡だけが残っている。


「本日、先方がお見えです。一日早くなりました」


 施設の係が言う。訊いていない一つが、後ろに付いてきた。


 早い理由は言わない。私が覚えていたのは、三日になる。覚えたのは十九日の、施設へ入った後になる。

 九時十分に、扉の外で音がした。靴が二つ鳴る。片方が重い。

 入ってきたのは二人で、女の人と男の人になる。

 先に入ったのが女の人で、男の人が扉を閉めた。

 女の人が私を見る。頬の肉が上へ動いた。

 目のところは後で追いつく。園の五郎で見た順になる。


「あら、思っていたよりずっと小さいのね。写真で見るのとは違うわ」


 答え方は一つしか出てこない。私は頷いた。


 この人は私の前で膝を折り、目の高さを合わせる。

 そのまま二秒ほど動かない。手は膝の上で組んである。指は十本が見える。


「怖かったでしょう。もう大丈夫よ。ここからは一緒に帰るんだから」


 私は頷いた。首は一度下がって、そこで止まる。


 男の人が机の側の椅子に座り、上着の内から筆記具を出す。

 出した筆記具は二本で、一本を机へ置き、もう一本の蓋を外した。

 係の人が机の上へ紙を並べる。五枚だった。並べる順は左から右になる。


「証書と写しが三点です。正副の二通になります」


 男の人が一枚目を手前へ引く。指で押さえる。下から上へ目を動かす。

 動かす幅は一定だった。七番の目より速い。


 二枚目を引く時、この人は一枚目を左へ寄せた。

 寄せた紙の角が机の縁から指の一本ぶん出て、そこで下へ垂れない。


 三枚目に処置と書いてある。字は読めない。処置の二字だけは、園の掲示で形を覚えた。

 字の下に、数が二つ並んでいた。四つと二つに分かれている。


 四枚目は行が短い。上から六行だ。下の二行だけ字が詰まっている。

 その二行の左に丸の印が二つ付いていて、手で書いたものになる。


 四枚目が手に取られる。上の三行を指でなぞった。

 なぞる速さは字を読む速さより速く、終わると机へ戻した。


 戻した紙の位置は、置いてあった場所より指の二本ぶん右へずれた。

 ずれた分、下の紙の角が出る。出た角は誰も直さない。


 男の人が一枚目へ戻り、右の下のところを指で押さえる。

 押さえた場所に、四角い枠が三つ縦に並んでいた。


 枠の中に線がある。線は名前に見える。

 上の枠に線がある。真ん中の枠は白い。下の枠には、これから書くらしい。


 男の人が筆記具を下ろした先は、下の枠になる。

 書く音は紙の上で三度切れて、三箇所は同じところになる。


 書き終わる。この人は筆記具の蓋を閉めた。音は乾いている。

 枠は縦に三つある。上から順に並んでいる。高さはどれも変わらない。

 幅も等しい。三つが指の三本ぶんの高さになる。


 上の枠の線は右へ上がっていく。終わりのところで一度返る。それからまた上がる。

 下の枠の線は横に長い。長さは上の線の一倍半ほどになる。


 真ん中の枠には、何も入っていない。線の跡も無い。

 消した跡があれば紙が薄くなる。薄いところは光に透ける。透けない。


 三つのうち二つ。私は数を口の中で置いた。園の記録票の欄は上と下の二つだった。


 増えた一つが真ん中に来て、そこが空いている。


 係の人が正の一通を女の人へ渡し、副はそのまま机に残った。

 副の右の下も、真ん中の枠が白い。正と同じ形になる。


「控はこちらで保管し、正の一通は先方へ送ります」


 私は枠を見ている。誰も枠のことを言わない。係の人も、女の人も、男の人も見ていない。


 この人が私の側へ来て、そのまま肩へ手を置く。

 肩に置かれた手は、園の測定の時に肩へ来る手より、当てる面が広かった。

 手はそこへ置かれたままだ。掌の厚みが服ごしに来る。


「今日からうちで暮らすのよ。荷物はないのね。それなら早く出ましょうね」


 私は左の腕を、体のほうへ寄せた。作業着の内側に紙がある。

 袋は三月十九日の朝に返した。返した袋は空で、係が底を一度撫でた。


「荷物はありません」


 私は答えた。声は思ったより小さく出た。


 立ち上がる。扉のほうへ歩く。歩幅は施設の係より小さい。

 男の人が紙をたたむ順は、右から左になる。


 扉を出るところで、私は一度だけ振り返った。

 机の上に副の一通が残っている。白い枠はそこからでも見えた。


 外は明るい。庇の下から段を下りる。日は左の側から当たっていた。

 段は指の四本ぶんで、十九日に上がったものと高さが等しい。


 降りる時は、上がる時より膝が曲がる。

 その分、足の裏が先に着いた。音は乾いている。


 車は白ではなかった。園の柵の錆びたところと近い色になる。

 その色を呼ぶ言い方が、私の側に無い。


 後ろの扉が開く。中は二列ある。前の列に二つ、後ろの列に三つの席がある。


「後ろに座ってちょうだいね。ここは翔太の席なの。荷物を置くところなのよ」


 右の側を指差された時、左の側には四角い箱が一つ置いてあった。

 箱の蓋は閉まっていない。中から布の端が出ている。青と白の縞になる。


 縞の幅は指の一本ぶんずつで、青が七本、白が六本まで数えられる。

 その先は蓋に隠れて見えない。


 箱の側面に字が書いてある。字は三つある。どれも読めない。

 三つのうち一つ目が、園の門の板の字と近い。ただし太さが二倍ある。

 私は右の側へ座った。座面は布で、毛が長い。園の車の布よりも伸びている。

 掌で撫でると、行きも帰りも同じように滑る。園の布は帰りで引っかかった。

 膝へ布を掛けられた。その後で掌が二度動く。

 撫でた後で、布の皺が肩へ寄った。皺は戻らない。


「寒かったでしょう。三月の朝はまだ冷えるわね。すぐ温かくなりますよ」


「はい、寒いです」


 答えてから、腕の外側を指で触った。冷たくない。


 車が動いた。前へ引かれて始まる。園の車もこう始まった。

 布の重さは膝の上で減らない。十を数えても位置が動かない。


 窓の外を家が流れる。屋根の高さは十九日に見たものより低い。

 屋根が続くと、目の動く幅が小さくなる。二十を数えて、そこでやめた。


 外の建物は施設の周りより低く、窓の数は一つに六つから八つある。

 数えると、六つのものが四つ続いて、それから八つのものが二つ続いた。


 道の脇に細い柱が並んでいる。柱の上に灯りが一つずつ付いていた。

 灯りは昼のうち消えている。その下を、車が二十七本ぶん過ぎた。

 人が歩いている。二人組が三度、一人が五度。合わせて十一人になる。

 どの人も柵の外にいた。十七日の門の内では、私は二百を過ぎたところで数えるのをやめている。


 あの時は途中でやめた。今日は最後まで数えた。


 道は途中で四度曲がった。左が二度続く。右、それから左になる。

 四度目の曲がりで膝の布が右へずれて、端が座面へ落ちる。


 前の席から手が伸びて、落ちた端を拾う。それを膝へ戻す。

 戻してから、私の手の甲を一度撫でた。


 撫でる手は温かい。掌の温度は私より高い。

 ふれあいの日に来る人の手と、温度が近い。ただし乾き方が違う。


「いい子ね。ちゃんと座っていられるのね。翔太は落ち着かない子なの」


 私は座っている。膝の裏が座面から浮き、そこだけ布が冷たい。


 男の人は前を見て運転している。この人はまだ一度も声を出していない。

 背中は座席の上まで届いている。園の係の人より高い。


 三十二分ほど走った頃に車が止まったが、数えたのは自分の呼吸だからずれる。


 止まった場所は家の前だった。門が無い。柵も見当たらない。

 地面から扉まで段がある。数は二つだ。高さは指の三本ぶんずつになる。


 扉が開けられた。その先は板の間で、廊下がその奥へ続く。


「靴はここで脱ぐのよ。そこにあるでしょう。あなたのを買ってきたの」


 板の間の端に、小さいものが二つ並んでいた。色は薄い茶になる。

 二つは同じ形だ。片方の内側に指を入れる。底が柔らかい。

 私は履く。歩くと、右の親指の先が当たる。左は当たらない。


「あら、私ったら逆に並べてしまったのね。おかしいわね、ほんとに」


 この人は笑った。笑い声は三つに切れて、三つ目だけ長い。

 笑っている間、掌が自分の頬へ二度当たった。


 私は履き替える。今度は両方が当たらない。


 廊下は板だ。踏むと沈む。園の廊下と沈み方が近い。

 その分、音が下へ落ちた。


 匂いがする。園の消毒とは違う匂いだ。甘くて、少し焦げている。

 焦げは台所のほうから来る。廊下の真ん中で一番強い。

 廊下の右に扉が二つある。左には一つ。どれも閉まっていた。

 左の扉の下に光の線が出ていて、幅は指の背のぶんになる。


 廊下の板は幅が三種類あり、細いのが二枚、太いのが一枚の順で並ぶ。

 その順が突き当たりまで続いた。数えると十九回になる。


 板の継ぎ目に黒い筋が入っていて、歩く場所だけ濃い。

 左の扉の前で一度太くなって、その先でまた細くなる。


 廊下の突き当たりに扉がある。向こうが広い部屋だった。


 部屋には机が置いてある。長い椅子が一つと、四角い黒い面が一つ。

 黒い面は壁に掛かっていて、下に細い棚があった。


「ここがリビングよ。あなたはここで過ごすの。届出にもそう書いたのよ」


 届出、という語を私は紙で見たことがある。園の紙のほうは、字が一つ少なかった。


 長い椅子の端が掌で叩かれた。音は二回だ。

 私はその前で一度止まって、それから膝を折る。座るまでに三つ数えた。

 三つの間、この人は掌を叩いた場所へ置いたままにしている。


「ここに座っていいのよ。遠慮しなくていいの。もううちの家族なんだから」


 私は座る。座面は深い。腰が沈んで、膝が上がる。

 沈む深さは指の四本ぶんある。園の腰掛けは沈まなかった。


 布の下に固いものが入っている。押すと戻る。戻る速さは押した速さより遅い。

 遅い分、掌が離れた後も面が動いていた。止まるまでに三つ数える。

 膝が上がると、足の裏が床から離れた。その足を床へ下ろせる。


 床へ下ろす。すると膝が伸びて、腰の位置が前へ出た。


 男の人は廊下を通って奥へ行った。手には四枚の紙がある。

 持つ手は左で、右は空になる。


 奥で引き出しの開く音がした。開いて、閉じる。間は五つ数えるほどだ。


 台所は廊下の右の側にあり、開いた扉から中の白い面が見えた。

 白い面の上に、四角いものが二つと、丸いものが一つ載っている。


 丸いものから出た湯気が、上へ三十センチほど昇って横へ広がる。

 その高さは、台所の棚の下の縁と揃う。


 匂いはそこから来る。甘い。下のほうに油がある。

 園の食堂の蒸れた甘さとは違う。こちらは乾いている側の甘さになる。


 女の人が台所から器を持ってきた。器の中は白い液体だ。湯気が出ている。

 器は私の手より大きい。両手で持つ。指が回り切らない。


「飲んでちょうだい。あなたには温かいものが要るの。園では出ないでしょう」


 園でも冬の四日間は、朝に出た。出る日の朝は、廊下の音が少し高い。

 私は言わなかった。そういう言い方を知らない。


「いただきます」


 飲む。喉の途中で止まった。位置はみぞおちより上になる。

 園の実より高いところだ。そこにある時間は数えると七つぶんになる。


 七つを過ぎると下りた。それから腹の中が温かい。


 この人は私の向かいに座って、私が飲むところを見ている。

 その間、この人の手は膝の上で動かない。指は組んでいない。


 飲み終わって器を渡す時に、指が私の指へ当たる。

 場所は第二関節のところだ。当たっていた時間は一つ数えるほどになる。


 この人は器を持って台所へ行く。歩きながら鼻歌を出した。

 節は途中で切れる。場所は毎回同じところだった。


 私は長い椅子に一人で座っている。

 黒い面に映っているのは長い椅子と机、それに座っている私になる。

 逆さではない。左右だけが入れ替わった。


 右の肩が左に来た。左の手は右に来る。

 手を上げると、映った手も上がる。速さは変わらない。


 私は手を下ろす。映ったのも下りた。


 黒い面の下の棚に四角いものが六つ立てて並んでいて、厚みは一つずつ違う。

 一番厚いものが左から三つ目にあった。背に字が入っている。


 字は縦に並ぶ。園の図書室の背と同じ並び方になる。背の高さは六つとも違っていた。

 図書室の背は上から読んだ。ここのも上からだと思う。読めはしない。


 窓の外に木が二本ある。幹の太さは私の腕の二倍ほどだ。

 木の向こうに家が並んでいて、屋根の色が三種類ある。


 柵は無い。何も囲っていない場所を、私は上から見たことがない。地面と道の境は色の変わり目だけになる。


 窓の枠に手を掛けた。枠は木だ。握ると冷たくない。

 施設の金属より温い。園の柵よりも温い。


 押すと上の側が少し動いて、幅は爪の半分ぶんになる。

 それ以上は動かない。上の縁に金物が二つ付いている。二つとも下りていた。


 金物の頭は丸い。指で押しても向きが変わらない。

 園の柵の留め具は、押すと横へ回った。この頭は動かない。

 奥の部屋で男の人が何かを開く音が、紙の側から来た。

 開いて、しばらく静かになる。それから閉じる音がした。


 開いていた時間は、私が数えて二十二だった。


 この人が戻ってきて、私の隣へ座る。長い椅子が沈んだ。

 その分、私の体が右へ寄る。先で肩が触れた。


 触れたところには服が二枚あって、私のとこの人のになる。

 二枚を通しても、温度は来る。


「明日から少しずつ慣れましょう。急がなくていいのよ。ずっといるんだから」


 私の踵が床の上で一度ずれる。ずらしたのではない。

 元へ戻すまでに、二つ数える。


 私は頷いた。首は一度だけ下がる。


 昼を過ぎた頃、男の人が一度、部屋へ来た。

 机の上のものを見る。それから出ていく。かかった時間は九つ数えるほどだ。


 この人は私を見ない。目を上げずに私の前を通る。

 その時に、床の板が二度鳴った。鳴る場所は決まっている。


 私が覚えたその二箇所は、長い椅子から数えて四歩目と七歩目だ。


 夕方になって、廊下の突き当たりの窓が赤くなった。色は下の縁から上がる。

 光は床の上を動く。先は台所の側になる。

 動く速さは、施設の窓の下の縁より遅い。園の窓より速い。


 男の人が奥から出てきて、机の上へ紙を一枚置いた。

 置いた紙は四枚のうちの一枚だ。上から二枚目のものになる。


 この人は置いて、そのまま台所へ行った。何も言わない。


 私は紙を見た。目に入るのは右の下だけになる。

 枠が三つ縦に並んでいて、上と下に線がある。


 真ん中は白い。

 白い枠の幅は上の枠に等しい。高さも同じになる。

 大きさの等しいものが三つ並んで、真ん中に何も入っていない。


 私は指を三本立てて、それから真ん中の一本を折った。

 残るのは二本になる。二本は園でも数えた数だ。


 外が暗くなって、窓の赤が消えた。その後の窓は黒くなる。

 黒い面に部屋の灯りが映る。灯りと机と、置いてある紙が並んで見えた。


 紙は映っても字が出ない。厚みだけが白く見える。


 私は長い椅子から立って、机の側へ歩いた。三歩で着く。

 園の居室は縦が七歩あった。ここは机まで三歩になる。


 紙の上の枠をもう一度見る。上の線は右上がりだ。下の線は横に長い。

 真ん中は白い。そこへ光が当たって、紙が少し反る。

 反り方が園の掲示の下の角と近い。ただし紙の厚みが違う。


 台所で水の音がした。三度出て、三度は等しい長さになる。


「明日は届出を出しに行くのよ。あなたの分の欄があるの。書いておくわね」


 欄という語をこの人が使い、園の係もこの語を使う。


 台所から顔を出して、この人が私を見る。それから、また奥へ戻った。

 顔の出ていた長さは、朝に器を渡した人の手より短い。


 この人は私が机の側に立っていることを言わない。座れとも口にしない。


 私は机の側に立ち続けた。立っている理由を私も言わない。


 台所で音が変わって、水から金属の触れる音になる。

 四度出て、間が短くなっていく。四度目と三度目の間が一番短い。


 男の人が奥の部屋から出て台所へ入り、二人の声がする。

 低いのと高いのがあって、低いほうが短い。短いほうは二度しか出なかった。


 言葉は聞き取れない。分かるのは長さと、切れる場所になる。


 やがて廊下を歩く音が二つ来た。片方が重い。

 重いほうが先に部屋へ入る。机の側の椅子を引いた。音は床で切れる。


 二人が座った。机の上に器が三つ並ぶ。私の前にも一つ置かれた。

 器の中は白い液体ではない。固いものが四つ入っている。汁もある。


「今日はあなたの初めての日でしょう。だからいつもより多く作ったのよ」


 多い、と言われた量を、私は園の四三〇と比べた。

 匙で掬うと園の一匙より重く、それは持ち上げた時の手首で分かる。


 器の縁に指を掛ける。縁は薄い。園の器の縁は指の腹が全部載った。

 ここの縁は爪の幅ほどしかない。持ち上げる。指が滑る側へ回った。


 匙は柄が長い。園のものより二本ぶん長かった。

 長い分、掬った時に手首が下がり、汁が縁へ寄る。


 二人が食べ始める。私も食べる。噛む数は十二にした。

 十二で飲み込むと、途中で止まる。止まる位置は朝より下になる。


 私の噛む数を数える者はここにいない。園では数える人がいた。


 食べ終わると、この人が三つの器を重ねる。重ねる順は上から私で、次が男の人になる。自分のは一番下だ。

 重ねた器は台所へ運ばれる。音は廊下で二度切れた。


 男の人は席に残って、机の上の紙を一枚、手前へ引いた。

 上から二枚目のものになる。この人はそれを裏返して、また表へ戻す。


 裏返した時に右の下の枠が一瞬だけ見えて、上と下に線がある。

 真ん中は白い。裏から見ても、そこだけ光が通る。


 この人が紙を置いて立ち上がると、椅子が後ろへ動いた。

 この人は椅子を戻さない。戻すのは女の人になる。

 窓の黒い面に、立っている私が出ていた。

 後ろに長い椅子が映る。椅子の上には何も無い。

 台所からこの人が出てきて、廊下の灯りを一つ消した。

 その分、黒い窓の中の部屋が明るくなる。机の角まで見えた。


 この人が私の側へ来て、朝と同じ場所へ手を置いた。

 朝は服が一枚だった。いまは二枚ある。それでも温度は通る。


「今日はよく我慢したわね。えらかったわね。もう休んでいいのよ」


 喉を鳴らさずに、私は息を吸った。吸う長さは三つぶんになる。

 吐く時はそれより短い。


 私は頷いた。その後で、この人の手が肩から離れる。

 場所に掌の跡が少しの間だけ残った。消えるまでに七つ数える。


──────────────────


受領書(写)


受領の日時 令和二百十四年三月二十一日 十時四十分

受領した書類 四点(証書 正一通、記録票の写、処置の実施の記録の写、留意の事項)

控の所在 当施設 事務係


一、受領の確認


上記の書類を受領した。受領した者は相手方の当主であり、氏名は本受領書に記さない。区分の記号のみを記した。


受領の際、当該の個体を同席させた。時間は三十四分であり、前年度の実績の幅の内側にあった。


同席させた旨を記す欄は本受領書に無い。時間は当施設の慣行により余白へ記した。当該の事項を集計する扱いは置いていない。


二、証書の署名


証書の署名の欄は三つであり、園長、獣医、相手方の順による。


本件は園長の欄と相手方の欄に署名がある。獣医の欄は空のまま受領された。空の欄について、受領の側から求めた確認は無い。


相手方から欄について問いは無かった。当該の個体からも、書類を示した際に問いは無かった。


本年度に欄について問いのあった例は一件であり、当該の一件の回答は記録していない。


三、留意の事項


留意の事項は六行であった。行を増減した例は本年度に無い。うち二行に丸の印を付して交付した。


印を付した二行は、室内の飼養面積に係る行と、居場所として定める場所に係る行であった。印は行の左へ付す。位置を定めた書面は当施設に無い。


付した者は当施設の事務係であり、付す旨の定めは本要領に無い。


四、控


本受領書の写は一部を作成し、当施設で保管した。相手方へは交付していない。交付を求められた例は本年度に無い。


当該の個体へ示す扱いも置いていない。


四の二、写の枚数


本受領書の写は一部であった。二部以上を作成した例は本年度に無く、作成する場合の扱いも定めていない。


写の紙は当施設の備品によった。相手方の持参した紙を用いた例は、制定の時から無い。


五、備考


本件の引き渡しは、当初の予定より一日早い。早めた旨の申し出は相手方から受けている。当該の個体へ日を改めた旨を伝える扱いは置いていない。


申し出を記す様式は当施設に無く、口頭により受けて本欄へ記した。


獣医の欄が空である場合の理由を記す欄は、本受領書に無い。

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