↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第五章 譲渡

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/106

第059話 札

個体の引き渡しに係る実施要領(抄)


制定 令和百九十一年

要領の記号 飼育要領第九号

最終の改正 令和二百六年


一、事前の確認


引き渡しに先立ち当該の個体の処置の完了を確かめたところ、処置の別は第二種であった。


確認は票の写により、写には所見の欄が含まれることを要する。


第二種の処置により摘出物の出た票は、本年度に一件あった。当該の一件については、確認の際に所見の欄を読み合わせる扱いとする。


番号の照合を記す欄は本要領に置いていない。照合した旨を他の書面へ記す扱いも定めていなかった。


引き渡しの前に飼養の場所を確かめる扱いは置いていない。確かめた例も本年度に無かった。


二、持ち物


引き渡しの前日に照合を行う。照合は当該の個体の居室において行い、立ち会った者は一名である。照合に用いた袋は、照合の当日に返納させた。


前日に照合を行った場合の返納の日を定めた書面は当部門に無かった。本件では当日の朝に返納させた。


照合の結果は所定の欄へ記す。欄は二字ぶんの幅とした。二字に入らない場合は略した。本年度の略した例は四件であった。


袋の中身を記載する欄は本要領に無く、返納の際に中を検める旨も置いていない。


三、同行する者


引き渡しの当日は、保全管理体を一体同行させる。同行させる一体の番号は当日の朝に指定した。


人員を同行させる扱いは置いておらず、同行の実績を記す欄も本要領に無い。


同行する者は、道中において当該の個体へ説明を行わない。行う旨の定めが無いためであった。


引き渡しは、機構の指定する施設において行う。当園の門においては行わなかった。門において行った例は、令和百九十一年から令和二百六年までの間に十四件あった。最終の改正でこの扱いを廃している。


廃した理由を記した書面は当部門に無かった。改正の際の起案は保存の年限を過ぎている。年限は五年とする。


本要領による引き渡しは、本年度に十一件あった。前年度は九件、前々年度は十二件である。


四、面会


引き渡しの後、当該の個体への面会は相手方の承諾によった。承諾を求める様式は、外から申し出る側のために置いてある。


当該の様式による申し出は本年度に三件あり、三件とも承諾を得ている。


承諾の有効の期間は一年とした。更新の手続は相手方の申出による。更新の実績は本年度に無い。


当該の個体の側から申し出る様式は置いていない。置かない旨を当該の個体へ示す扱いも定めていない。


引き渡しの記録は譲渡台帳によった。台帳の記載の事項は別に定めてある。


──────────────────


 六時に目が開いた。戸の下の線はもう出ている。三月の十九日は、十七日より線が太い。

 幅は指の一本と半分ぶんになる。

 夜は三度目が覚めた。一度目は廊下の音だ。二度目は自分の腕の位置になる。三度目は理由が出てこない。

 三度目の後は、寝床の布の縁を親指でなぞって過ごした。縁の縫い目は指の一本ぶんに八つある。

 二十列ぶん数えたところで、指が先に止まった。


 腹は空いている。空き方は昨日と同じだ。みぞおちの下が薄くなる。

 三月の朝は、その薄さが背中まで抜けない。二月の朝は背中まで届いた。

 月による差は外の冷えのほうにあるらしい。


 枕の横に袋がある。昨日の朝に配られたものだ。口を紐で結んである。

 紐は二重に回してから結ぶ決まりだった。口で言われた覚えは無い。配る係の人がそう結んでいた。


 私は結び目を解いた。中を見た。中には何も入っていない。

 昨日の照合で、係の人は袋の口を開けた。私の顔を見て、それから紙へ字を書いた。

 字は二つだった。どちらも私の側からは逆さだ。片方は「無」に見えた。

 腕が紙の上に載っていて、もう片方は見えなかった。

 枕の下へは手を入れなかった。開けたのは袋の口だけになる。

 袋は乾いた紙で出来ている。持つと軽い。掌へ載せると、重さと呼べるものが来ない。

 角のところが硬い。指の腹で押すと、押した跡は残らずに戻る。

 私は袋をもう一度結ぶ。二重に回す。結び目を昨日の位置へ戻す。

 返すものは袋そのものだと、紙に書いてあった。中身のことは一行も無い。


 顔を洗うと、三月の水は指の先で止まらない。

 二月は一度止まった。止まる月と止まらない月の境は、私の手にあると思う。


 作業着の袖の折り返しを直した。右は二度だ。左は一度になる。

 直してから、内側へ指を入れる。紙は肋のところにある。折り目は三本のままだった。


 寝台の布を畳む。三つ折りにして、端を内へ入れる。入れた端は布の厚みで少し盛り上がる。

 洗濯室の畳み方になる。

 畳んだ布を寝台の頭の側へ置く。置いた位置は、いつも私が座るところになる。

 窓の桟の埃は、十七日に払った線がまだ残っている。線の幅は指の背のぶんになる。

 払っていない側は、二日ぶん厚くなっていた。


 枕を持ち上げる。下に紙が二枚ある。片方に百九十四、片方に五十八と書いてある。

 昨日の紙には「無」と書いてあった。私は二枚とも下へ戻した。

 枕を置くと、端のところが少し高い。

 七時に係の人が来た。戸を叩く音は二回だ。間は一拍ぶんある。

 私は戸を開ける。係の人は袋を受け取る。手のひらで底を一度撫でた。


 撫でてから、紙へ丸を書いた。丸は一つだ。


 返納が済んだと、この人が言った。出るのは九時になる。

 九時。私はその数を覚える。


 昨日の照合は十時だった。今日の出発は九時になる。一時間ぶん早い。

 係の人は次の戸へ行く。次の戸は空いている。人のいない戸の前でも、この人は一度立ち止まった。

 それから紙を見て、二つ先の戸へ行った。


 順を飛ばす日があるらしい。飛ばす音は一拍で、止まる音も一拍だった。


 朝の器は七時二十分に来た。量は四三〇だ。実の切り口は三月のもので、匙を入れると音が短い。爪を立てると筋が縦に走る。器の縁に欠けが一つある。

 私は十二回噛む。三月の実は十二だ。二月は十三だった。


 器を返す時、渡す人の手が一度止まった。止まったのは私の器のところだ。次の器では止まらない。

 手が離れるまでは、一つ数えるほどだ。


 その人は何も言わない。私も訊かなかった。

 実は喉を通ってから、みぞおちの下で少し止まる。止まる時間は数えると四つぶんになる。


 数え終わって下りた。下りた後は、腹の薄さが半分になる。そこより下へは行かない。

 食堂の匂いは蒸れた甘さで、三月の朝はそこへ外の匂いが混ざる。

 扉が開く時間が二月より長い。その分、草の匂いが下から入ってくる。

 草はまだ刈っていない。匂いは湿っている。刈った後のものとは違う。


 八時に廊下へ出る。作業着は昨日のままだ。替えは配られていない。

 掲示にも紙にも、その旨は無かった。


 廊下の端にK-0330がいる。箒を持っていない。手は両方が空になる。


「今日、出るの」


「はい、今日です」

「そう」


 この人は肩で答える。上げてから下ろすまでが速い。

 一昨日の朝と変わらず、上げる高さもそこで止まる。


 壁へ寄る時、この人の指の先が私の袖に一度当たった。当たった場所は肘の下になる。

 布ごしで、温度は来ない。

 K-0330は廊下の壁へ寄って、それきり動かなかった。


 寄った位置は、掲示板から二枚ぶん離れている。近くも遠くもない。


 H-0006が洗濯室から出てくる。袖は肘まで上げてある。右が先で、左が後になる。


「もう出るの。早いのねえ」


「九時です」

「そう。九時なら、まだ湯が熱いわ」


 この人は湯の話をする。私は頷いた。


 H-0006は頷き返した。洗濯室へ戻る。戸は閉めなかった。

 開いた戸から出る三月の湯気は、低いところを這う。

 這った湯気は渡りの手前で消える。消えた先の床は、色が濃いままだ。


 渡りのところで、図書室の前を通る。戸は閉まっている。取っ手のところが光っていた。

 閉まっている時に光って、開いている日は暗くなる。


 戸の下の隙間から、紙の匂いが来る。乾いた匂いで、洗濯室のものより軽い。

 次に開くのは水曜になる。今日は月曜だ。

 水曜まで二日ある。明日も明後日も、私はここにいない。


 戸の横の掲示は先週のままだった。画鋲は四隅のうち三つだ。下の一つが無い。

 紙の下の角は前へ反っている。曲がり方は三の棚の板の縁の丸みと似ている。

 本は千四百二十三ある。紙には千四百二十六と書いてあった。差は三だ。


 三を書く欄は無いと、あの時に確かめてある。あの日から、私はもう数えていない。


 食堂を出るところで、老爺が壁ぎわの椅子に座っていた。膝の上に手が二つ載っている。

 この人の椅子は、いつも入口から三つ目になる。そこは日の当たる時間が一番長い。


 私は横で立ち止まる。老爺はこちらを見ない。外の光の入る窓を見ている。

 膝の上の二つの手は、右が上になっている。爪は短く切ってある。


「今日は風が東からだ。坂の下の音がここまで上がる」


「はい」

「東から来る日に出た者は帰り道を覚える。そう言われておった」


 この人は二文で話す。二文とも、私に何かを求めていない。

 頷いて、それから離れた。


 離れる時、日の当たる位置が老爺の手の甲まで来ていた。

 入口から三つ目の椅子は、朝のうちだけ日が届く。


 離れる時、老爺の手は膝の上で動かなかった。指は組んでいない。

 離した指は、組んだ指より長く見える。


 通路の途中で五郎に会う。この人は箒を提げている。今日は当番らしい。


「聞いたよ。今日の九時に出るんだってな」

「そうです」

「袋のほうは、今朝もう返してきたか」

「返しました」


「二つあったろ。片方のほうも返したのか」


 袋は一つになる。私は指を一本立てる。


「一つです」

「一つか。俺はてっきり二つだと思ってた」

「荷物のある奴にだけ二つ配るんだよ」


 この人は箒の柄で自分の肩を一度叩いた。それから、少し笑った。

 口が先で、目のところは後から動く。


 私の喉のところで、息が一度短く切れた。声にはならない。

 切れた後で、みぞおちの下が少し温かい。


「何を入れましたか」

「入れてないよ。どっちも空のまま返した」


 五郎は箒の柄を持ち替える。柄の下の端が地面から離れた。


「着いたら、袋の数だけ覚えといてくれよ」


 五郎は箒を持ち直した。坂へ歩き出した。二歩めで、一度こちらを見る。

 目を戻した。また前を向いた。箒の先が一度地面を擦る。


 何も足さない。


 廊下の掲示板の前で足が止まる。今週の割当の表が出ている。紙の大きさは先週のままになる。

 画鋲は四隅のうち二つだ。上の側に入っている。下の二隅は前へ反っていた。


 私の行は上から十四番目にあった。十四番目の欄は、今週は罫が引いてある。

 罫は他の行と同じ太さになる。揃っているので、離れてみると空いていることが分からない。

 十三番目と十五番目には番号が入っていて、二つは先週と同じ番号だ。

 空いた行の上下は動いていない。詰めた跡も無い。

 紙の右の端に月が入る。三月、とある。四月の紙は来週に貼り替わる。

 その者を私は見たことがない。いるかどうかも訊いたことがない。


 八時四十分に、正面ではない側の戸へ回された。そう言った人はいない。

 先に歩くのは係の人だ。私が後ろになる。間は三歩ぶんあいた。


 この幅を決めた紙を、私は見ていない。決まりなら、振り返って確かめる。振り返らなかった。

 戸の外に車が停めてある。白い。側面に園の章が入っている。

 章の下に字が三つあった。どれも読めない。字は形だけが残る。


 車の後ろの扉が開いていた。中は二列だ。前の列に二人が座っている。

 片方は七番だった。膝の上に板を載せている。板の上に紙を置いている。


 前の席の背に、番号が刻んである。四桁で、頭の一つが読めない。


 私は後ろの列へ座る。座面は硬い。園の椅子と比べると、座り直した時の沈み方が違う。


 扉が閉まる。その後で、外の音が半分になった。

 減った分、車の中の音が出てくる。金属の鳴る音だった。


 車の中は消毒の匂いがする。園の廊下のものと同じ薬だ。濃さがこちらのほうが強い。

 窓は上の端まで枠に入っている。取っ手は無い。


 匂いの下に、別の匂いがあった。獣のものに近い。

 園のどの匂いとも違って、私はそれを名で持っていない。


 この匂いは弱い。

 消毒の薬が薄くなる時だけ出てきて、間隔は一定ではなかった。

 座席の布は毛が短い。長さは爪の半分ぶんになる。掌で撫でると、行きは滑って帰りが引っかかる。

 その向きは、園の作業着の布と逆になる。指のほうが先に気づいた。

 九時ちょうどに車が動いた。動き出しは前へ引かれる形になる。体が座面へ押される。

 押された分、腰の骨が座面の硬さを受けた。


 窓の外を柵が流れる。柵は途中で切れる。その先は木になった。

 幹は柵より高い。高さの差は、目で追うと二倍ほどある。


 坂を下りる。下りる時は体が前へ寄る。寄る分を足で止めた。

 使ったのは右の足だ。左は使わなかった。


 門を出る。門の柱に板が掛かっている。板の字は大きい。

 それでも、私は読めない。その字は手のひらの幅と同じくらいあった。


 柱と柱の間を、車が通る。私の側の窓が柱を越えた。

 越えた後で、腹の下が一度軽くなる。器の実が下りた時の軽さとは違う。


 私は座面を掌で押さえた。押さえても軽さは戻らない。


 十七年、この柱の内側にいた。柱は二本ある。


 七番は板を見ないで、膝の紙のほうを見ている。

 紙の上を目が左から右へ動いて、幅は一定だった。


 道は途中で二度曲がった。一度目は左だ。二度目は右になる。

 曲がる時に体が横へ寄って、向きは曲がる向きの反対になる。

 二度目の曲がりで、七番の膝の板が滑った。行った先は窓の側になる。

 この人は板を戻す。紙の角を揃える。揃えるのに使うのは親指の腹だけだ。

 揃え終わると、指は板の縁で一度止まる。それから膝の上へ下りた。


 止まった長さは、一つ数える間になる。

 数えたのは私の側で、この人は数えていない。


 道の両側に家が並ぶ。家は柵より低い。屋根の高さが一つずつ違う。

 高さの列が続くと、目が上下に動く。動かした目は、園の廊下より早く疲れた。


 窓の下に細い溝がある。水は溜まっていない。三月の雨は先週で終わっている。

 雨の後の溝は、底の色が両側より濃い。幅は溝の底のぶんになる。


 外の建物には字が多い。園にある字の数を越える。読めない字が並ぶと、目は端から端まで動く。

 そうなると、私は数を数える。

 窓の外の柱を数えると、三十二で途切れた。

 その先は壁で、壁には何も掛かっていない。


 三十二という数は、園の廊下の戸の数より多い。四番の廊下は十二になる。

 前の席から、あと十分だと言われた。私は返事をしなかった。

 求める言い方ではない。

 七番が板の上の紙を一枚めくると、乾いた音がした。

 めくってから、この人は袋の口を指で戻した。袋は座席の間に置いてある。


 私の袋ではない。私のは今朝返した。

 数える。一つだ。私はその一つを覚えておく。


 九時三十五分に車が止まった。場所は建物の裏だ。庇が低い。

 庇の下で扉が開く。その分だけ外の空気が入った。冷たさは園の三月と変わらない。


 庇の下から中へ入る手前に、段が一つある。高さは指の四本ぶんになる。縁は角が取れて丸い。

 私は足を上げて越えた。その後で、後ろの音が一度切れる。


 七番はその段のところで止まった。止まってから、片方の足で高さを一度測る。

 測り終えると、この人は越えた。歩幅は私より小さい。


 小さい歩幅で越えると、段の縁に靴の先が触れる。触れた音は乾いていた。

 乾いた音は、園の板の廊下では出ない。板は湿ると音が低くなる。

 建物の中は明るい。園の廊下では横から入る光が、ここでは上から来る。

 その光は影を短くする。私の影は足の先にしか無かった。


 匂いは二つある。一つは消毒になる。車の中と同じ薬だ。

 薬の匂いは入口の側が濃い。奥へ三歩ぶん行くと薄くなる。

 もう一つは車の中で嗅いだほうの匂いだ。こちらでは濃い。下にも残っている。

 床は硬い。園の板とは違う。踏んでも沈まない。

 床は音を返して、聞こえたのは自分の足の音だった。


 係の人が私を奥へ連れて行った。七番が後ろから来る。

 この人の歩幅は園の廊下と同じだ。その幅が違う床の上で鳴る。


 奥は硝子で仕切ってあった。腰の高さから上が硝子だ。下は板になる。

 硝子は一枚ずつ枠に入っている。枠は指の一本ぶんの幅がある。

 枠は金属だ。握ると冷たい。握った後も掌へ残る。

 残る時間は、園の柵より短い。触った跡は十を数える前に消えた。


 私は硝子の内側へ入れられた。場所は縦が四歩ある。横は三歩ある。

 寝台は無い。台が一つと、布が一枚置いてあった。台の高さは膝の上あたりで、布は二つに畳んである。


「お預かりします。先方は三日のうちにお見えです」


 施設の係が言った。訊いていないことが後ろに一つ付いてきた。


「私は何をしますか」


 係は板の紙を一枚めくった。目は紙の上にある。


 三日のうち。私は指を三本立てて、下ろした。


 七番は硝子の外に立っていた。板は脇に挟んである。板の縁は右の肘へ当たっている。


「規定です」


 この人はそれだけ言った。何が規定なのかは言わない。


 係の人が紙を七番へ渡した。七番は受け取る。板の上へ載せる。


 それから、この人は硝子の枠の外側へ手を伸ばした。

 枠には札が一枚下がっている。札は少し傾いていた。紐は枠の頭へ一重に掛かっている。

 七番の指は札の縁まで来る。そこで止まった。それから手が下りる。


 直さなかった。


 下りた手は脇の板へ戻る。紙の角を親指の腹で揃えた。


 係の人と七番が奥へ行った。二人の足音が遠くなる。園の板の床とは違って、途中で切れない。

 小さくなって、扉の音で終わった。


 仕切りは四つ並んでいて、私が入れられたのは端から二つ目だった。

 端の一つには誰もいない。三つ目には先客がいた。


 先客は小さい。座っている高さは、私の腰のあたりまでになる。足の先は台の縁から指の三本ぶん出ている。

 足の裏は床へ届かない。届かない足を、この個体は前へも後ろへも振らずにいる。

 年は数えられない。腕は私の半分ほどの太さだ。


 この個体は台の上で膝を抱えていて、額は膝へ乗せずにいる。

 代わりに、硝子を見ていた。先は私ではなく、私の後ろの壁になる。


 枠の外の札は、三つ目のものが二枚下がっている。私のところは一枚だ。

 二枚のうち、下の一枚は上の一枚より小さかった。下の紙の縁は切りっぱなしになる。


 四つ目の仕切りは布が掛けてあって、床まで届いていた。

 布の下から、影が動かないでいる。十を数える間、影は同じ形だった。


 私は台へ座る。台の面は木だ。園の寝台より冷たい。

 座ってから十を数えるまで続いた。十を過ぎると、面が体温を返してくる。


 布を膝へ載せる。布は薄い。園の寝台のものより薄くて、押すと下の指の形が透ける。

 硝子の外の廊下を人が通った。二人で、どちらも歩いている。

 速さは園の係の人と変わらない。私は数えるのをやめた。


 やめてから、私は札を見る。


 札は硝子の枠の外側に下がっていて、私の側からは裏になる。

 裏は白い。光が上から来ると、下の字が透ける。


 透けた字は逆さだ。形だけが先に来る。

 七行あった。上の三行は短い。下の四行は端まで届く。

 三行目だけが太い。他の行の二倍ほどある。


 上の三行は字の間が広い。下の四行は詰まっている。

 詰まっている行は、光を通す面積がその分だけ小さくなる。透け方も薄い。


 薄い行を私は追わない。目で持てるのは三行目だけになる。


 私は硝子へ近づく。額が触れるところまで近づくと、透け方が変わる。

 字の縁が濃くなった。


 三行目の字を、私は形で追った。

 追う時に目を下から上へ動かす。逆さの字は、そうすると縁の順が揃う。


 揃った順は、園の記録票の欄を右から左へ読む時と近い。同じ手ではない。

 数だ。並びは六つある。端から三つ目と四つ目の間に、点が一つ入っていた。

 行の端に、もう一つ字が付いている。数ではない。前に一度だけ見た形になる。


 おととしの夏だ。柵の向こうに紙が広げてあって、同じ形の字が並びの端に付いていた。

 あの時、隣にいた者が声に出す。千八百と言った。大きいほうが、とも言った。


 千八百は四つだ。私は指を四本立てた。それから六本にする。


 二つ多い。


 もう一度、下から上へ追った。並びは変わらない。

 私は硝子から額を離す。離すと、字の縁がまた薄くなる。

 薄くなった字は形を失って、線の集まりに戻った。


 三つ目の仕切りから、台の脚が床を擦る音がした。

 擦った長さは短くて、位置は変わっていないと思う。


 音の後、その個体は膝を抱え直した。肩が一度上がる。


 上がってから下りるまでは、K-0330の肩より遅い。そのぶん、動きが見える。

 私は硝子の枠の継ぎ目を数える。端から五つ目までが私の仕切りになる。継ぎ目の幅は爪の半分ぶんだ。


 五つ目と六つ目の間に、細い縦の線が入っていた。線は上から下まで切れていない。


 台へ座り直す。座面は木だ。冷たさはもう返ってこない。

 さっき座っていた分の体温が木に残っている。


 膝の上の布を、私は三つ折りにした。端を内へ入れる。洗濯室の畳み方だ。

 畳んでから、寝台の頭の側へ置こうとして、置く場所が無いことに手が気づいた。


 手のほうが先に止まった。目は後から動く。


 三つ目の仕切りで、先客が台から下りた。床に足の着く音は、私の半分ほどだ。

 二歩あるいて、また上がった。膝を抱える形に戻る。

 札は二枚のまま下がっている。下の一枚は、下りた時も上がった時も動かなかった。


 私は布を膝へ戻した。折り目は三本だ。作業着の内側の紙と同じ数だ。

 押しても跡が残らない。紙のほうは跡になった。


 硝子の外の光が、時刻とともに床の上を動いた。先は入口の側になる。

 動く速さは、園の窓の下の縁より速い。


 床の継ぎ目は無い。園の廊下には材の変わる位置がある。そこで音が落ちた。

 ここにはその位置が無い。音が落ちないので、歩数を数えても位置が出てこない。

 私は縦に四歩を歩く。横に三歩を歩く。四と三で、掛けると十二になる。

 十二は四番の廊下の戸の数と同じだ。同じ数が違う形で出てくる。

 台の脚は四本あって、うち一本の下に紙が挟んであった。

 紙は四つに折ってある。角は丸い。何度も折り直したものになる。

 角の丸みは、私が肋へ入れている紙と同じ形だ。折り直した数だけ丸くなる。


 挟んだ者はここにいない。挟んだ日も分からない。


 私は脚を指で押した。台は鳴らなかった。

 四本とも順に押す。音が出たのは一本になる。

 高さは園の腰掛けのものより低い。園の板の上では、脚の音は上へ抜けた。

 ここでは横へ広がる。


 膝の裏に台の縁が当たる。当たる位置は、園の寝台より指の二本ぶん高い。

 その分、足の先が床から浮く。浮いた足は、下ろすところを持たない。


 私は膝を抱える。額をその上へ乗せた。膝の骨が額を押し返す。

 十七日と変わらない。腕を回した時に肋へ当たるものが、今日は無い。


 作業着の内側の紙は、今朝のうちに折り目を三本のままにしてある。

 あるのに当たらない。抱えた腕の位置が、園の寝台の時より高い。


 私は腕を下ろす。もう一度回した。今度は当たった。

 先で紙が一度沈む。沈む深さは、園の寝台で覚えたものと変わらない。


──────────────────


譲渡台帳(抄)


台帳の区分 飼育台帳第四号

記載した者 飼育部門 記録係

記載の日 令和二百十四年三月十九日


一、記載の欄


本台帳の欄は八つとした。個体の番号、系統、年齢、処置の別、引き渡しの日、相手方、施設、備考である。


欄の数は最終の改正で二つ増え、増えた二つは施設と備考であった。


個体の名を記す欄は設けていない。設けない旨の定めは制定の時から置いてある。


欄の幅は事項ごとに別に定めた。定めに入らない場合は、次の行へ送らずに略す。略した例は本年度に四件ある。


二、本件の記載


番号はJ-0037とした。系統の欄は空とする。空とする扱いは様式第二号の記録票による。欄の左の端に点を一つ打った。


年齢は十七とした。年齢は生年により算した。生年の月日は不詳である。


月日の欄には斜線を引いた。斜線は左の下から右の上へ引く。引く向きは当部門の慣行によった。


処置の別は第二種とした。実施は令和二百十三年十一月二十四日である。所見の欄の読み合わせは当部門で行っていない。


三、相手方および施設


相手方の欄には、機構の定める区分の記号のみを記す。氏名は本台帳に記さない。記号は本日の指示によった。


記号は英字一字と数字二桁の組であった。組の意味を記した表は当部門に届いていない。


施設の欄には指定の施設の番号を入れた。当日の指示による番号をそのまま写した。


相手方に係る金額を記す欄は本台帳に無い。金額を記す様式は当部門の所掌ではない。


四、備考


備考の欄には、当日に同行させた保全管理体の番号を入れたが、人員を同行させた場合の記入は定めていない。


本件の備考の欄は十四字のうち十二字で埋まった。残りは空とした。


五、返還


当該の個体が当園へ戻る場合の記載は、本台帳の下の段による。


下の段の記載は本年度に無く、前年度も無かった。


下の段を設けた年は令和百九十一年で、本台帳の制定と同じ年であった。設けた理由を記した書面は当部門に残っていない。


六、写


本台帳の写は相手方へ交付しない。交付を求められた例は本年度に一件あった。


当該の一件については、記載の事項のうち番号と日のみを、当部門の定める別紙の様式へ写して渡した。


個体の側から写を求める扱いは置いていない。求められた例の記録も無い。


七、綴じ


本日の記載により、本台帳の頁は十二枚になった。


綴じ紐は頁が増えるごとに結び直す。本年度で三度目になる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。