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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第四章 繁殖

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58/106

第058話 開門

入園に係る臨時の措置の通知(控)


臨時の措置 開門の繰上げ及び順路の変更

措置の区域 本館前広場、東通路、D区画に面する通路

措置の解除 当分の間、行わない


一、開門


本日の開門は九時とする。通常は十時である。


繰上げの幅は一時間とした。幅を定めた基準は本通知に記さない。基準を記した書面の有無も、本通知の対象外とした。


前回に繰上げを行ったのは令和二百十二年八月であった。その際の幅も一時間であった。前回の理由を記した書面は当部に在るが、本通知には引かない。


二、順路


東通路は東から西への一方通行とする。逆行は認めない。前年度までは双方向であった。


D区画に面する通路については、係の指示による。指示の内容は本通知に含まない。含めない旨の定めは本年度の内規によった。指示の様式は前年度に定めた。


区画の間の通行は、清掃の時間帯を除き制限する。制限の時間帯は各区画の掲示によった。制限の幅は本年度に広げた。


三、待機


開門前の待機は本館前広場に限る。広場の収容は千二百人とした。収容の数は前年度に測り直したものであった。


千二百人を超えた場合の扱いは、当日の判断による。判断する者は本通知に記さない。判断の記録を残す様式も置かなかった。


待機の列に係の者を配する。配する人数は当日の入りにより増減する。増減の記録は当日限りとした。前回の繰上げの日にも配した。


四、記帳


入口の外に記帳の台を出す。台の数は二とした。置く位置は入口の外の東と西とした。


帳面は一冊ずつ置き、埋まった分は当日中に取り替える。取替の記録は広報係に置いた。前回の繰上げの日は取替を行わなかった。


記帳の内容について、当園は返信を行わない。返信を求める様式も置いていない。埋まった帳面の保存の期間は五年とした。


五、園内


個体の作業の割りは通常どおりとする。変更を要する場合は各区画の判断によった。変更した場合の届出は要しない。前回の繰上げの日は割りを組み替えた。


引き渡しの前日に行う持ち物の照合は、本措置の期間中も予定どおり行う。


照合に用いる袋は前日に一つずつ配る。袋の返納は照合の当日とする。袋の寸法と色は当部の定めによった。定めの写は本通知に付さない。袋の様式は本年度に改めた。


六、期間


当分の間とする。終期は本通知に記さない。


解除は別の通知による。別の通知の様式は当部に在る。本年度に用いた例は無かった。


──────────────────


 三月十七日。土曜だ。

 昨日の掲示で曜日を確かめた。日付は手で書いてある。数字が太い。


 五時に目が覚める。柵がふだん開く時刻より五時間早い。

 今日の開門は九時だと掲示に出ていた。

 ふだんは十時で、替えた例は一度在る。

 時刻を替えた旨は、掲示の下の隅にある。字は他より小さい。理由の欄は無い。


 寝台の縁へ座る。足の裏を床へ置く。三月の床は一月より浅く冷たい。

 浅いというのは、当たる線が細いということだ。太さは季節で変わる。

 冬は太い線で当たる。測る道具は持たない。


 作業着の裾を上げて、腿を見る。跡は三つ。二つが線で、一つが点だ。

 押しても何も起きない。


 押した指を離す。色が周りへ戻る。戻るまでに二つ数えた。


 水を一口飲む。喉を通って、腹の上の内側で止まる。臍の少し上だ。

 二口目は飲まない。二度目を口へ入れる日は決まっている。

 二度目は体重を量る日の朝だけだ。


 髪を後ろで束ねる紐の端は、二度ほつれたままだ。

 切ると短くなる。詰めた紐の結び目は首の後ろで動く。

 当たるのはその結び目だ。首の付け根の少し下になる。


 五時二十分に点呼がある。番号を読まれて手を挙げる。声は出さない。

 挙げる高さは肩までだ。上へ挙げた者を私は見ていない。


 今朝は一人も遅れなかった。全員が一度で挙がる朝は多くない。月に二度あるかどうかだ。

 二度あったのは去年の十月と十一月だ。十二月は一度も無い。


 紙を送る速さは、いつもと違った。速い。

 番号が来るまでが短い。支度は先にしておく。


 紙の下の隅は丸く、上の隅は角のままだ。

 下の隅が丸い。指を掛けるところだからだと思う。位置は毎朝そこだ。


 六時二十分に器が来る。量は四三〇だ。先週と変わらない。

 卓の上の器は二十三だった。数えたのは朝の一度きりだ。


 昨日も同じ数で、一昨日から二十三で続いている。

 二十四だったのは、三日前までだ。替わった日は木曜になる。夕方の卓で器が一つ減った。


 朝の当番は洗濯ではない。今日は通路の側だと、昨日の割りで決まった。

 割りの紙は廊下の掲示板にある。左の欄だ。隣は先週で終わっている。


 通路の側というのは、E区画の廊下の端から硝子までの間を指す。硝子の向こうを来館者が通る。長さは三十歩ほどある。

 私がそこへ足を踏むのは、掃く時だけだ。

 掃く当番は月に一度回る。前に入ったのは去年の十二月だ。


 七時に廊下へ出ると、H-0006が先に立っていた。

 箒を持たずに、壁を見ていた。その先には何も貼っていない。留め具の穴も空いていなかった。


「今日は二人でって、割りに出てたわ」


「二人ですか」


「いつもは一人なの。四年で初めて」


 この人は数を先に言わない。口に出すのは、いつもと違うところになる。

 いつもと揃った日は、速さも変えないまま何も言わずに掃く。


 箒は二本ある。柄の長いほうを H-0006 が取った。私に残るのは短いほうだ。

 どちらを持つかを決めた紙は無く、先に立った者が長いほうを取る。


 短いほうは掃く幅が狭く、同じ場所を二度通ることになる。

 二度目で掃き残しの筋が細くなる。灯りの角度によっては見えた。


 廊下の床は区間で音が違う。違う場所に継ぎ目がある。位置は覚えている。

 二十歩のうちに二度来る。七歩目と十四歩目だ。間は七歩ずつになる。

 数えたのは去年の冬になる。以来は数え直していない。歩幅が変われば位置も変わる。


 今朝は七歩目が来る前に、外の音が入った。

 来たのは硝子の向こうだ。床からではない。床から届く音は靴のものになる。


 硝子の向こうは通路で、その先が柵になり、外は見えない。

 目に入らない。音は通る。抜けてくる場所は硝子の下の側だ。


 入る量は硝子の厚みで決まる。厚みは二センチだ。掲示に書いてあった。


 音は低いところで揃っている。人の声が重なっている。一つ一つは聞き取れない。

 語に割れない。分かるのは高さだけだ。高さは胸のあたりで受ける。


 朝の間ずっと変わらなかった高さが動いたのは、九時だ。


 私は箒を止めた。手を離したのは一度きりで、すぐに握り直す。

 その間に H-0006 が三度掃いている。三度で一往復になる。


「もう並んでるのよ。七時よ」


「九時ですよね」


「そう。二時間前から並ぶの」


 H-0006 は箒を動かしたまま話す。手は止まらない。止まるのは話し終わった後になる。

 止まる長さは、いつも一拍ぶんだ。箒の一往復に当たる。長さを測ったことはない。


 通路の硝子は二重だ。二枚の間に網が張ってある。

 網の目は爪の先より小さく、数えたことはない。

 数えるには書く紙が要る。その紙が無い。数えろと言われた例も聞いていない。


 網の入っていない部分が、下から三十センチのところにある。

 そこは外がよく通る。掃く時は顔がその高さに来る。

 通るのは光と、人の形の輪郭までで、顔までは届かない。


 私は掃く手を動かして、下の三十センチを一度だけ見た。箒は止めていない。

 見たのは掃く手を止めずにだ。止めると、掃き残しが出る。


 柵の内側の道が見えた。道は左へ曲がっている。曲がった先は硝子の枠で切れる。

 枠の内に入るのは、道の三メートルぶんだ。長さは硝子の幅で決まる。硝子は一枚で二メートル近くあり、二枚と少しで枠になる。


 三メートルの間に人が立っていた。四人だ。四人が向く先は一つになる。

 四人の間隔は等しくない。前の二人が近く、後ろの二人が離れている。離れているほうの隙間は、人が一人入る幅で空いていた。


 向いている先は、私からは見えない。

 枠の外にあるものは、硝子の縁で切れる。硝子を動かす道具は、掃除の棚に入っていない。位置を替える当番も割りに載っていた例が無い。


 八時に一度、通路の点検が入った。係の人が通る。二人だ。

 二人とも上着が白く、名札は付けていなかった。袖の折り返しの内側だけが、外より少し灰色になる。

 白い上着の係を、私は木曜にも見ている。あの時も二人で通った。一人は青の名札を付けていた。


 一人が硝子の下を指した。指の先は動かない。もう一人は私の箒を見ている。


「置くだけですか」


 答えは返らない。二人は袖の折り返しを直して、通路の先へ行った。


 私は箒を壁へ立てかけた。位置は決まっていない。決めた紙も貼っていない。

 H-0006 は自分の箒を横に寝かせた。先は壁の際へ向けてある。

 寝かせた向きは、柄の先が壁から離れるほうになる。


「床が傾いてて、立てると倒れるの」


「傾いていますか」


「西へ。水を撒くと分かるわ」


 私は箒を横に寝かせ直した。寝かせると、柄の先が壁から離れる。

 離れた分だけ、通る幅が広くなった。空いたのは箒の柄の一本ぶんになる。腕を伸ばした長さより短い。


 八時二十分に、用度の係が来た。二人で台車を押している。

 力を掛けているのは前の一人だ。後ろの一人は手を添えている。使っていたのは右手だ。


 台車の上に、白い柱が二本載っている。太い紐が一巻き。柱の高さは腰より少し上だ。

 紐の巻きは十重ほどある。先は内側へ折り込んであった。


「順路が変わる。ここへ二本立てるんだ」


「ここでいいですか」


「そこから三歩ずらしてくれ。丸のところだ」


 係の一人が紙を出した。紙には廊下の線が引いてあった。丸が二つ打ってある。

 丸の間に、細い線が一本渡してある。線の下に寸法は入っていない。


 定規で引いた線の両端が、わずかに出ている。


 柱は床へ置く。台が丸くて重い。持ち上げると、腰が先に来る。

 重さを書いた札は、台の底にも横にも付いていない。持てば分かる。そういう扱いになる。


 二本を三歩ぶん離して置いた。間へ紐を渡す。紐は柱の頭の輪へ通す。

 張ると少したわみ、緩みは通した後で出る。

 底の位置は、床から腰の高さより下へ来た。


「たわみは触ると外れるからね。触らないでくれ」


「外れたときは」


「呼んでくれ。こっちで直しに来るからね」


 二人は台車を押して出ていった。車輪は四つある。四つの音に差が出ない。

 出ていく時の音は、来た時より小さい。載せていたものが減っている。


 紐の高さは腰の少し上だ。跨ぐことは出来る。跨いではいけないとは書いていない。

 そのことを、私は掲示で二度確かめた。二度目は帰りに見た。


 紐の向こうは、今までと同じ廊下だった。床の色は変わらない。継ぎ目も前のところに来る。

 替わったものを探すと、紐しか出てこない。柱はそれを張るための物だ。


 替わったのは通ってよい側の幅で、歩数でなら測れる。

 幅は三歩ぶん狭くなった。三歩は私の歩幅で測った数だ。


 九時に外の音が変わった。掲示のとおりの時刻だ。

 高さではない。厚みのほうだ。


 高くなったのではない。数が増えた。

 低いところの厚みが増す。増えた分は耳では割れない。

 音の厚みは、耳より胸の側で受ける。座っても位置は動かない。


 私は掃く手を動かし続けた。止めろとは言われていない。

 進めとも聞いた覚えが無い。何も言われない間がある。その間は始めた手を続ける。


「開いたのね。入ってるわ」


「多いんですか」


「今日は多いって聞いてたの」


 H-0006 は柄の先で床を軽く叩いた。叩いたのは継ぎ目だ。打つと音が変わる。

 替わる位置は、私が覚えているところと同じだった。覚えた年は言わなかった。

 この人も数えたのだと思う。数えた年は訊いていない。


 九時四十分に、硝子の向こうの通路を人が通り始めた。

 最初の一人は、枠の左から入って右へ抜けた。通り過ぎるまでに五秒かかる。


 通路は一方通行だ。東から西へ進む。枠の内を通り過ぎるまでに、四秒から六秒かかる。

 速い者と遅い者の差は二秒で、立ち止まるかどうかで決まる。


 私は数えた。最初の十人までは一人ずつ拾った。

 指を折れば足りて、十で一度戻す。


 十人を過ぎると、二人ずつになった。それでも間に合わない。五人ずつにした。

 端の数が合わなくなり、余った分は切り上げた。


 数えるのをやめたのは、二百を過ぎたところだ。

 そこで指の折り方が分からなくなった。折る側ではない。戻す回数のほうを取り違えた。


 やめてから、箒を持ち直した。掌に柄の跡が残っている。

 跡は握っていた時間の分だけ深い。底のところは色が白い。


 跡は三本ある。指の付け根に沿っている。押すと消えて、また浮く。

 元へ戻るまでに四つ数えた。四つは冬より一つ少ない。


 十時に交代が来た。洗濯室の当番から回ってきて、K-0330 だった。

 来る時刻は割りに書いてあって、そのとおりに来る。


「箒、そっち」


「短いほうです」


「うん」


 K-0330 は柄を見た。短いほうを取る。手に移してから、壁の際へ一度寄せた。

 寄せる手つきは、渡された物を置き直す形だ。据えてから手を離した。


 寄せたのは、通る人の邪魔にならない位置だ。誰も通っていない。

 人がいなくても、そこへ置く。位置を決めた紙は見ていない。


 私は洗濯室へ回る。木曜と同じ道を通って、扉を二つ抜ける。

 二つ目の扉は重く、押す時に肩を当てる。

 右の肩を使う。左で押した日は、途中で止まった。


 洗濯室の湯は今日も三十八度だった。切替は十二月一日だ。次は十二月になる。

 三十八度は夏期の温度だ。三月はもう夏期に入っている。


 布は九十枚で、土曜は木曜と枚数が並ぶ。

 月曜は百二十枚になる。多い日を月曜にした理由は、誰も言わない。


 付いた第二槽は、第一槽より二度ほどぬるい。

 指の先から沈める。手首まで浸ける。慣れるまでに十を数えた。

 その間、手は動かさない。揺らすと、慣れるのが遅れる。


 H-0006 は交代で先に上がっていて、槽にはいない。

 いるのは私と、名を知らない一体だけになる。番号は札で見た。読んだそばから、頭に残らない。


 その一体は第一槽で、こちらを見ない。布を入れる速さが速い。

 槽の水面がずっと動いている。止まるのは布を替える間になる。

 動いている水面には、灯りの形が映らない。出るのは色までだ。


 私は厚い布から先に入れた。厚いのは十四枚だ。

 数えたのは去年の十一月だ。その後は動いていない。増える月は十一月だと聞いた。

 印の付いていない十四枚は、厚みで分けた。


 絞る時は腕を槽の内側へ入れる。捻るのはそこだ。外へ向けると袖へ湯が回る。

 濡らした者は昼まで冷えて、指の先が動かしにくい。


 十一時に回った干し場には、西からの風が入る。

 戸を開けている間に通る風で、閉めると止まる。

 湯気は天井へ寄った。下の空気はその分だけ冷える。


 干し場の窓からは廊下が見える。D区画へ通じる道だ。窓の高さは踏み台なしで届く。


 今日はその廊下も人が通っていた。上着は白と青が混ざっている。

 並び方は一定ではなく、白が続いた後に青が一人入る。


 青の名札は係の者だと、四日前の掲示に書いてあった。

 白いほうが何かは、その掲示に書いていない。四日前の掲示はもう外してある。

 訊く相手も、その掲示には出ていない。


 布を掛ける。順は端からだ。そうすると、風の当たりが揃う。

 順を崩すと、西の端だけが先に乾く。早く上がった布は硬くなる。


 揃うと、乾きの差が小さい。裏返す時刻を一度で決められる。決めた時刻は柱の紙にある。


 十二時十分に昼の器が来た。量は四三〇だ。

 朝と同じ数字が昼にも入り、夕方も変わらない。


 食堂の卓の器は二十三のままだった。並びは五つずつと三つになる。

 三つの列は端にあって、その位置は替わらない。


 H-0009とK-0330が向かいに来る。今日は二人とも揃った。


 H-0009は匙を二本まとめて取った。それから座る。取る手はいつも同じだ。

 二本目を落とした日を、私は見ていない。落としても拾えばよい。


「外の音」


「聞こえました」


「箒の音まで」


 K-0330 は言い終わってから匙を持った。手に取った後は何も言わない。

 言う順序と持つ順序は、この人の中で決まっている。


 H-0009が笑った。可笑しかったのは、K-0330 の言い方のほうだと思う。

 中身ではないと思う。中身は私にも分からなかった。


「大きいんですか」


「あれより上」


「どれくらいですか」


 K-0330 は肩を一度上げた。上げてから下ろすまでが速い。

 気づかない者もいるが、私は二度目で覚えた。


 H-0009 はまだ笑っている。声は卓の面で一度跳ねて、それから消えた。

 跳ねる位置は器と器の間で、中では鳴らない。


 私も笑った。頬の内側が歯に当たる。触れる場所は右のほうだ。

 左では当たらず、歯の並びは右で内へ寄っている。


 三人で笑ったのは、二月の終わり以来だ。

 二月の終わりに何で笑ったかは、もう出てこない。笑った長さは残っている。笑ったこと自体は残っている。


 笑い終わった。誰も次を言わない。器の音だけが続く。

 続いた長さは匙が底へ当たる回数で四回ぶんだ。


 食べ終わって器を返す。返す口の台は右の端の塗りが薄い。

 その側へみんなが寄せる。そう決めた紙は無いのだと思う。


 私は底を横から見た。刻印は二つのままだ。浅いほうの角は立っている。

 同じ角を、私は三日続けて見ている。三日とも、下の二桁は三と八だった。


 午後も干し場の当番が続く。裏返しは十五時と決まっている。

 そう書いた紙は干し場の柱に貼ってある。角が三つとも丸い。


 十三時に、通路の側で人の流れが止まった。干し場からは音でしか分からない。

 薄くなったのは低いところの厚みだ。高いほうは残っている。代わりに一つ一つが割れて聞こえる。

 割れて聞こえる間は、数が減っている。


 聞こえるのは足音と、紙の擦れる音だ。紙の音は足音より高いところで鳴る。

 高い音は短く切れ、足音は続く。


 紙の擦れる音は、何かを配っている音だと思う。配る音か、受け取る音かは分けられない。

 配っているものが何かは、干し場からは分からない。そのままで、私は布を掛け続けた。


 十三時二十分に、また流れが戻った。厚みが戻ると、一つ一つは割れなくなる。

 元へ帰るまでに二分ほどかかった。二分は私が布を七枚掛ける間だ。


 十四時に、E区画の掲示板の前を通った。紙が一枚増えている。増えたのは左の欄の下で、当番の表の隣だ。

 増えた紙は白く、まだ角が反っていない。画鋲は四隅に打ってある。

 隣の古い紙は角が四つとも反っていた。反りの向きは、四つとも壁の側だ。


 その紙には、臨時の措置、と刷ってあった。その字だけが太い。

 手で書いた欄は日付だけだ。日付の字は当番の表を書いた手に見える。


 条は三つある。一は通路の順路。二は区画の間の通行。三は期間だ。

 三つとも、条の頭に丸が打ってある。丸の大きさは揃っていない。

 期間の欄には、当分の間、と入っていた。日付は書かれていない。

 入れる欄はあって、空いたままになっている。


 その下に、細い字で一行あった。細いので、近づかないと読めない。


 引き渡しの前日の持ち物の照合は、期間中も予定どおり行う。


 私はその一行を二度読んだ。二度目が遅い。途中で一度、前の語へ戻った。


 照合という語を、私は前に一度も見ていない。見ていない語は、意味も出てこない。

 持ち物という語も、掲示で見たのは初めてだ。私の持ち物が何かを、私は数えたことがない。


 紙の右下に、袋を配る旨が小さく入っていた。前日に一つずつ渡す、とある。

 一つずつ、の四文字だけが他より太い。太い字はこの紙に二箇所ある。


 袋の色も大きさも書いていない。中へ何を入れるかは、この紙の外にある。

 入れる物を持っている者が何人いるかも、書いていない。


 私は掲示から離れた。歩き出す前に、期間の欄をもう一度見る。

 欄は二度見ても空だった。線を引いた跡も出ていない。


 当分の間、の四文字は、他の字より少し太い。刷りの版が違うのだと思う。

 違う版を使う理由は、この紙に書いていない。訊く欄も紙の側には無い。


 十五時に布を裏返した。九十枚を全部返す。返し忘れは無い。

 返す順は掛けた順にする。替えると、乾き方が揃わない。

 西の端が一番早く乾く。乾き方の差は触ると分かる。目では同じに見える。


 十六時に戸を閉めた。干し場の風が切れて、布の音が止まる。

 やむまでに数えた三つは、冬より一つ少ない。

 風が止んだ後の干し場に残るのは湯の音になる。音は洗濯室から来る。


 外の音はまだ続いていた。朝より低い。人の数が減ったのではないと思う。

 減ったなら、一つ一つが聞こえるはずだ。割れないうちは、まだ多い。

 数はそのままで、高さだけが下がっている。


 十六時四十分に来た夕方の器も、二十三のままだった。

 朝から数えて、今日で三度目の二十三になる。


 卓に着いてから、私は器の数をもう一度数えた。五つの列が四つと、三つが一つ。

 列の順は朝と替わらず、二十三で合う。


 合った時に、私は指を折るのをやめる。三度目は数えなかった。


 十七時二十分に食堂を出る。廊下は夕方のほうが朝より温い。人が通った分だと思う。

 通った数は、私には出せない。その分、足の裏に立ってくる線が鈍い。

 弱まるのは、素足の区間の後半だけだ。前半では朝と同じ細さで当たる。


 E区画の廊下に、朝の柱が二本立ったままだった。紐のたわみは朝のままだ。

 触った跡も付いておらず、跨いだ者を私は一人も見なかった。

 跡の付く床でもない。


 私は紐の手前で足を止めて、床の継ぎ目を見た。継ぎ目は紐の向こうへ続いている。

 向こうの継ぎ目は、手前のものと同じ幅だ。続いた先は、今までと同じ廊下になる。


 居室へ戻る。戸を引くと、中の空気が廊下より冷たい。冷たさの差は扉一枚ぶんだ。

 寝台へ座って、作業着の袖の折り返しを直した。右は二度、左は一度だ。

 直す前に、袖の内側へ指を入れる。糊の匂いは残っていない。


 折り方は変えず、教わった形のままにしてある。

 教わったのは去年の秋になる。洗い場の湯が三十八度へ替わった頃だ。


 窓の桟に、埃が一列に溜まっている。指の背で払うと、線が一本残った。

 払う幅は指の背の幅になる。残った線は、払った幅だけ色が濃い。

 下の木が出た分だけ濃い。線の端は左右とも切れていない。


 柵の外の音は、二十時を過ぎても止まなかった。二十時は閉園の時刻だと、去年の掲示にあった。

 閉園の後も人が残っているらしい。残ってよいと書いた紙も、いけないと書いた紙も、私は見ていない。


 思うだけで、確かめる手立てを私は持たない。


 二十一時の見回りが来た。靴の音は右のほうが強い。

 右が勝つのは先週と変わらない。回っているのは同じ人だと思う。

 その人は戸の前で止まらなかった。素通りする日のほうが多い。


 止まった日は、月に一度あるかないかだ。今月はまだ無い。


 私は膝を抱えて、額をその上へ乗せた。骨が額の下で硬い。腕を回すと、指が反対の肘まで届く。

 硬さは冬と変わらず、薄くなったのは作業着の布のほうだ。

 回した腕が内側の紙を肋へ押した。押した先で紙が一度たわむ。折り目は三本のままだ。

 目を閉じると、外の音が近くなる。他の音が減る。

 少なくなった分だけ、残った音の位置が分かる。


 私は数を思い出した。二百までは数えた。指を折った回数は覚えていない。

 二百という数は、私が一日に数えた数で一番大きい。前に大きかったのは、月曜の布の百二十だ。

 二百から先は数えていない。残った分の数を、私は出せずにいる。


 出せないままで、私は寝床の布を引き上げた。


──────────────────


入園者数の集計(抄)


集計の対象日 令和二百十四年三月十七日

集計の方法 入口の計数機による

前の最多 令和二百八年五月五日 六千百四十二


一、本日


入園者数 九千八百七十四


計数機は入口の三箇所に置いた。三箇所の合計を本日の数とした。三箇所の内訳は本集計に付さない。


出口の計数は行っていない。行わない旨の定めは本年度の内規による。園内に留まった数は、したがって出せない。


二、時刻ごと


九時から十時まで 二千二百三十一


計数機の記録による。時刻の区切りは当園の定めによった。


十時から十二時まで 三千四百五


十二時から十六時まで 二千九百八十


十六時から二十時まで 一千二百五十八


四つの区切りの合計は本日の数と一致した。


三、待機


開門前の待機の最多は、八時四十分の千百四十であった。広場の収容は千二百であった。計数は三十分ごとに行い、最後の計数は八時四十分である。


超過は生じていない。超過が生じた場合の扱いは、本集計の対象外とした。八時四十分より前の待機の数は取っていない。


四、前の最多との差


前の最多は令和二百八年五月五日の六千百四十二である。本日との差は三千七百三十二になる。


差の生じた事由を記す欄は、本集計に置いていない。事由の照会も行わなかった。


前の最多の日は連休の中日であった。本日は連休に当たらない。連休以外での最多は、本日が初めてになる。


五、園内


個体の作業の割りに変更は生じなかった。区画の間の通行の制限は、掲示のとおり行った。


制限の時間帯に通行した個体の数は、集計していない。集計する欄は本様式に置いていない。


六、映像


当園の頁の映像の再生は、本日中に四十一万を超えた。前日は九万であった。内訳は本集計の対象外とする。過去の回の分と分けて数えてはいない。


本日の分は回次には数えない。回次に数えるのは分娩に係る配信のみとする。頁の見出しに掲げた語も、本集計の対象外とした。


七、記帳


入口の外に記帳の台を二つ出した。用いた帳面は三冊であった。取替は当日中に一度行った。


三冊とも罫の外まで字が入っている。字数は数えていない。


次の回次の予定は、本日の数を根拠として立てる。

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