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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第四章 繁殖

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第049話 栄養管理

備品台帳(抄)


抄出した者 管理部門 用度係

記載の範囲 令和百二十年度から本年度まで

台帳の名 第七園 備品台帳

抄出の日 令和二百十三年八月三十一日


一、抄出の趣旨


本年度の備品の入替に際し、当該の品目に係る記載を抜き出した。抜き出す範囲は用度係による。


根拠の欄は様式の左端にあった。本抄は当該の行を写した。


二、ふれあい広場の敷物


敷物は六枚である。うち一枚は令和二百十二年度の増備による。


留め具は四隅に設け、うち一箇所は爪の掛かりが浅い様式である。


採用の年は令和百五十一年度であった。


留め具の型は当初の様式による。替えの部品は本年度まで在庫があった。


掛かりの浅い一隅に荷重が集まるため、敷物は使用のうちに一方へずれる。ずれは年に一度、点検の際に戻した。戻した旨は綴りへ記している。本年度は令和二百十三年七月に行い、留め具については二十四箇所とも異状なしと記した。様式は留め具について、異状の有無の一欄のみを置いていた。


三、本年度の入替


敷物六枚を本年度中に入れ替えることとした。入替の日は令和二百十三年九月一日とする。作業は当日の八時四十五分から行う。従事する者は当係の二名とした。


入替の際に取り除いた付属の品については、本台帳の記載の対象外とした。


従前の六枚は廃棄する。廃棄の記録は用度係が別に取る。廃棄の札は入替の当日に付し、品目と枚数を記す。個体の名も番号も記さない。


四、視聴覚室の座席


座席は三十六脚である。番号の札は三十七まで付されていた。


番号は据え付けの順ではない。購入の伝票の順により付したものであった。


伝票は三十七枚である。うち十三枚目は取消となった。取消の伝票にも番号が付されている。


取消の伝票を綴りから抜く手続を定めた書面は、当係に無かった。


五、伝票の綴り


伝票の綴りは当係の書庫に置いた。綴りの背には年度と枚数を記している。


十三枚目の位置には、取消の印を押した紙が同じ厚さで綴じてある。


抜いた場合の扱いについては、綴りの表紙の裏に一行分の枠を刷った。枠の縦は四ミリである。


六、器


給餌に用いる器は底に番号を刻み、これは器の番号であって、個体の番号ではない。


刻印は製造の際に付す。


個体への割当は、その日の洗い場の順による。


番号は四桁とする。上の二桁は製造の年度、下の二桁は当該年度の連番であった。


現に用いている器のうち、製造の年度が判らないものが二個ある。当該の二個は、底の刻印を拓本に取って別紙へ添えた。


量り分けに用いる匙も当係の備品である。柄の途中を細く成形したものを令和二百十二年度から用いている。本年度の匙は六本、うち二本は予備とした。


七、備考


本抄は用度係の内規により作成した。配付の先は当係の書庫のみとする。個体へは示さない。


(抄出 管理部門 用度係)


──────────────────


 九月一日はマットを入れ替える日だ。前の日の掲示に出ていた。


 同じ紙に、採血の欄も出ている。私の分は毎月一日で、この日付は替わらない。

 二つが同じ日に来た。表は二つを別の行に書いた。間に線は引いていない。


 表の私の欄には「用度補助」と入っている。昨日までは「ふれあい」だった。

 同じ時刻に同じ場所へ行く。


 前の晩から食べていない。絶食は夕方の給餌の後から始まった。朝の四点鐘は七時に鳴った。

 食堂の扉は開かない。


 水は飲んでよい。起きてから一度飲んだ。飲むと胃の中で音がする。


 八時四十分に広場へ着く。柵はまだ開いていない。来館者の入る時刻より一時間二十分早い。


 九月の朝は、廊下と外で空気の重さが違う。廊下は冷たくて動かない。外は温くて動く。

 境目は柵の手前の三歩ぶんにある。三歩を過ぎると、首の後ろが少し湿る。三歩目のところで、床の材が敷石に変わる。

 石の面は朝の間、冷たい。掌を置くと、しばらく温くならない。


 柵の手前まで来て、はじめて足の裏が湿る。


 八時四十五分、広場で点呼。息を吸う音が四つ、順に来る。


 係の一人が紙を出して、一行だけ読む。声より先に、吸う音が来る。


「当園は絶滅危惧種たるヒトを飼育しています。個体の保全と、来館者の学習の機会の提供を目的とします」


 読み終えると、紙を折って胸のところへ入れる。折り目は三本だ。

 この一行を読む人は、私が来てから四人替わった。


 私とH-0006のほかに二人いる。H-0006は右の親指の爪が半分しか無い。

 あとの二人は棟の裏の道から来て、三分遅れて着く。


 三分の間、私たちは柵の内側に並んで待つ。用度の係は二人。

 どちらも私の知らない人だ。一人は台車を押している。台車の上に新しいマットが積んである。

 六枚だ。角が揃っていて、まだ折り目が付いていない。


 積んだマットから匂いが出ている。新しい布で、洗剤ではない。乾いていて、鼻の奥で止まる。

 喉までは下りない。

 匂いの手前に、床の蝋がもう一つある。二つの境は柵の三本目のところにある。


 積んである六枚のうち、下の二枚だけ角が潰れている。台車の縁が当たる位置だ。


 H-0006が先に来ていた。洗濯当番の人で、今日は用度の補助に入っている。この人は柵の内側で待っていた。

 膝の上で手を組んでいる。


「あなたも入ってるのね」


 私はそう聞かれた。答える前に、この人は台車の把手へ手を掛けた。


 留め具を外し始めたのは、台車を押してきたほうだ。留め具は四隅に付いている。

 金属の爪が床の穴へ入る形で、外す時は起こして横へ倒す。爪が鳴る。


 一枚目の四つは、鳴る音がどれも違った。四つ鳴って、それで一枚が外れる。


 一枚目が外れる。二人で持ち上げて畳む。向きは横だ。


 外した下の床に、四角い跡が残っている。

 境は指でなぞると段になっている。爪の厚みほどだ。


 三枚目を運ぶ時に、私は呼ばれた。畳んだマットは片手では持てない。

 腕より先に掌が知らせる。割れの縁が布の目に引っかかる。持つ手の下で布が少し波を打った。

 重さは思ったより下にある。持つ手の位置を二度替えた。


 畳んだ面の内側から、乾いた埃の匂いが出る。人ではない。床から出た匂いだ。


 私は四枚目まで見ていた。


 五枚目にかかるところで、白い上着の係員が柵の外から私の番号を呼んだ。採血の順が回ってきた。

 時計は九時四十分。


 用度の係が二人とも手を止めて、こちらを見た。二人ともマットへ戻る。

 抜けてよいとも、駄目だとも言われない。私は柵を出た。


 前室の隅に、脚の折れた椅子が寄せてある。前の左の脚が折れている。


 前室の台には筒が並んでいる。番号の紙を貼った筒だ。私の分は二本だ。

 針は肘の内側へ入る。私は反対の手で作業着の裾を握った。


 五ミリリットルを二つに分ける。その間、係員は筒から目を離さない。

 私の腕は見ていない。


 前室を出たところの卓に、絶食の後の一皿が出してある。九時半からそこにあった。

 量は四三〇。普段と変わらない。器は洗い場から来たもので、縁の内が一箇所欠けている。

 押さえの綿を肘に挟んで、腕を曲げたまま広場へ戻った。

 曲げると押さえが効く。前室を出てから広場までで七分かかった。前室にいた分は入っていない。


 五枚目のところで、H-0006が私の袖を引く。半分の爪は布に掛からず、指の腹だけが当たる。


「あなたの一枚、あそこよ」


 この人は端の一枚を指す。私がいつも座る一枚だ。


 私はそこへ行って、膝を折る。

 朝からの空腹が一度来る。腿を胸へ寄せている間は濃く、伸ばすと薄い。


 この一枚は、緩いほうの隅が浮いている。下から紙の角が指の一本ぶん出ていた。

 この角は七月にも出た。その時は係の人が指の腹で押し込んでいる。


 今日は押し込む人がいない。係の一人が向こうの角を持って、マットが先に持ち上がる。


 持ち上がった下に、紙が一枚あった。四つ折りで、折り目のところは色が濃い。

 紙は留め具の爪と床の穴の間へ噛ませてある。爪の下で潰れている。噛ませた側の紙の縁は、繊維がほぐれて毛羽立っている。

 反対の縁はまだ切ったままだ。


 三枚目の下にも同じ紙があった。こちらは半分に折ってあって、爪の外へ出ている。

 係の一人がそれを持ち上げて、そのまま台車の隅へ置いた。読まない。


 抜いたのは、角を持っていたほうだ。抜いてから、指で埃を払う。


 払われた分が私へ流れた。古い埃で、鼻の奥に残る。古い匂いが一緒に来る。糊に近い。

 前に一度、掲示板の裏で同じ匂いを嗅いだ。


「これ、要りますかね」

「台帳の外だね。捨てていいよ」


 二人はそう言い合う。それから紙を台車の隅へ置く。


 私は置かれた紙を見る。四つ折りが一度で開いている。面が上を向いていた。


 四つ折りの折り目が、文の途中を二度横切っている。今、柵の外へ向けて掛けてある札と、同じ形の字だ。

 刷りの色はそちらより薄い。裏まで通っている。読める。

 字は大きい。


 当園は絶滅危惧種たるヒトを飼養しています。個体の保全と、来館者の学習の機会の提供を目的とします。


 私は掛かっている札を見る。同じところが飼育になっている。


 飼養と飼育。


 右から目で追い直す。指は紙へ触れないままで、一字のところに止まる。

 止まったところを、口の中でもう一度言ってみる。

 私は係の人へ声を掛けた。用は無い。口が先に動いた。


「この紙、いつのですか」


 係の人は台車の隅を見た。次にこちらを見る。


「分からないな。読み上げの紙じゃないの」


 読み上げの紙。


「私が読んだのは、いま読み上げている紙のほうです」


 言ってから、私は口を閉じる。


 係の人は少し置く。手が動いて、台車の隅の紙を裏返した。裏は白い。


「そうかい。じゃあこっちが古いんだな」

「八年前に刷り直してる。たぶんその時だ」


 この人はそれだけ言って、次のマットへ行った。八年前に私は九つだった。


 H-0006が私の隣へ来て、台車の隅を覗く。


「なんて書いてあるの」

「一字だけ違います」

「どこが」

「飼うの字の下です」


 H-0006は紙を見る。目を上げて私を見る。


「私、字は形でしか分からないのよ」


 この人は笑う。自分の膝を一度叩く。


「形が同じなら、同じでいいじゃない」


 同じでいい。私の喉のところが一度鳴った。


「いま、鳴ったでしょう」

「鳴りません」


「鳴ったわよ。ここが」


 この人は自分の喉を指で押さえて、押さえたままで笑った。

 指は骨の下で上下する。その度に、手が先に動く。


 鳴った音で、係の人が二人ともこちらを見る。


「賑やかだね」

「すみません」


 H-0006が代わりに謝る。それからまた笑う。今度は声を出さない。

 この人は声を出さないで笑う。口の端が右へ上がる。謝る時の声は低い。喉のところが一度動く。


 上がる側は右だ。この人はいつも右で笑う。左の口の端は、その間も動かない。


 新しいマットが六枚とも敷かれる。留め具は前と変わらず四隅に付いた。


 私は自分の一枚の上へ座ってみた。新しい面は指が滑る。前のは引っかかった。

 滑る面に掌を置くと、割れの縁が布へ掛からない。そこに割れがある感じが薄くなる。

 感じは薄い。割れは三本のままだ。


 若いほうの人が、廃棄の札の束を持って柵の内へ入ってきた。

 束の端が指の間から滑って、二枚が下へ落ちる。この人は膝を折らないで屈んだ。


 私は落ちた二枚を拾って、束の上へ揃えた。

 そのまま一枚ずつ数えた。六枚ある。


「六枚あります」


「──ああ。助かった。もう一回やると目が変になる」


 この人は束を受け取った。頭を少し下げる。


 それから、腰の紙挟みを開いて、数の欄へ六と書いた。

 書いた字は私の側から見ると逆さで、六の払いのところだけが太い。


 私は頭を下げられたことがある。三年前に一度、洗い場の人にも下げられた。頭の下がる先が、その時は膝の高さまで行った。

 この人の速さは速い。

 下げてから戻すまでに、私が一つ数える間も無かった。


 束の札は一枚ずつ厚みが違う。厚いところから指を入れて、そこで一度止めた。


 膝を折った時、掌の下に白い小石が一つ入った。土より硬い。握ったままで、柵が開くのを待つ。


 柵が開く。十時になる。柵の向こうの通路に、今日の一列目が立った。

 今日の一列目は五人だった。

 五人が柵の横木へ手を掛ける。掛かる高さは腰のあたりだ。


 掛けるところの塗りは、そこは薄い。薄いところは横木の三本目だけだ。


 五人のうち一人が私のマットの前で止まった。子どもで、柵の横木に顎を載せている。この子は何も言わない。

 しばらくそうしていて、それから連れの大人に呼ばれて行った。


 行った後で、横木に顎の跡が残る。

 跡は湿っていて、乾くまでに少しかかる。


 十一時には座ったところが温かった。前のマットは、この時刻でまだ冷たかった。

 指の腹で押すと、厚みのぶんだけ沈む。押した跡は三つ数える間、残った。


 温い面に座っていると、腰の後ろだけ汗が出る。出た分は布が吸って、色が濃くなった。


 十一時に水を飲む時間が入る。紙コップは今日も一つだ。二杯目は出ない。

 私は縁を二度押す。

 押しても鳴らない。新しい紙は硬い。


 十二時に終わる。係の人がマットを数える。今日も六枚だ。


 数え終えると、端の一枚の四隅を順に押し込む。新しい爪は硬い。掛かりの浅い一つだけ、二度で入った。

 入った時に、床の穴が一度鳴る。


 台車の隅の紙は、もう無かった。


 昼の給餌も四三〇だ。食堂に入ると、すずの卓は空いていた。この人は今日から午前の割当に移っている。

 午後の給餌の組も別になった。すずの椅子は卓の下へ入ったままだ。引き出した跡が、床の埃に付いていない。

 今朝から、この人の背中も見ていない。


 私は自分の器を持ち上げて、底を見る。四桁が刻んである。


 上の二桁は先週と同じで、下の二桁が替わっていた。


 今日の底の数の下二桁を、指の腹で先週の位置と重ねてみる。


 撫でると、刻んだところが指の腹で沈む。

 沈みの深さは字によって違った。〇の沈みが一番浅い。


 三つ目の卓に、H-0009とK-0330がいた。二人はいつも同じ組で来る。

 H-0009は器を両手で持つ。K-0330は片手だ。もう片方は卓の縁に置いている。

 今日も先に座っているのはK-0330だった。H-0009は半歩後ろで待っている。

 私が座ると、続けて座る。


 二人は揃って食べ始めた。始まりを揃えたのは、待っていたほうだ。


 食堂を出たところで五郎に会う。この人は箒を提げている。九月も当番らしい。


「マット、替わったんだって」

「六枚とも替わりました」


「古いのはどこへ行くんだい」

「捨てると聞きました」


 五郎は箒の先を床へ着ける。そのまま少し置く。


「あれの下にね、昔から紙が挟んであったんだよ」

「知ってたんですね」


「知ってるよ。角の一つが緩いだろう。噛ませてあるんだ」

 五郎の箒の柄は、上から三分の一のところで色が替わる。手を離すと、同じところへ戻る。


「言わなかったんですか」

「聞かれなかったからねえ」


「あの紙はね、私が来た時から下にあったよ」

「いつからですか」


「先の当番の頃からだよ。その前は知らない」


 五郎はそう言って、箒を胸へ寄せた。寄せたままで動かない。


「今度、掃いてる時に呼んでくれるかい」

「はい」


 この人は坂を見て、それからこちらへ戻ってきた。

 箒の先が床を一度擦る。柄を握る手は動かない。


「あんた、午後に用があるだろう。係の人が呼んでたよ」


 私はまだ聞いていない。朝に見た掲示の欄は、指の腹ほどの幅で空いていた。


 五郎は柄を握り替えた。それから、私の行く側の廊下へ箒を入れる。

 穂の向きは、私が歩く先と同じだ。

 追い越すまで、この人は止まらなかった。


 廊下の端で向きを替えて、掲示板の前まで戻る。朝と同じ側から見た。


 午後の割当が入っていた。


 一時に第二食堂の奥の室へ行く。

 奥の室は普段閉まっている。今日は開いていた。


 室の匂いは食堂と違う。

 乾いた粉で、湯気は混ざらない。扉が閉まっている。開けると混ざる。

 粉は鼻の先で止まる。

 八月の消毒は、鼻の奥のもっと深いところまで来た。


 七番がいた。

 机の上に盆が一つ出してある。盆の上に、量りと匙と、白い封筒が一つ載っていた。


 封筒は伏せてある。厚みは紙一枚ぶんしかない。表の側が下を向いていて、何も見えない。


「本日は栄養管理の第一回です」


 七番はそう言った。挨拶は無い。最初に回次が出た。


「何をしますか」

「器へ量り分けます。一名につき四回です」


 四回。立てた指を、そのまま卓の下へ入れた。


 最初の器が来る。底の刻印を七番が読む。読んでから、机の紙へ書き写した。


 私はその器の底を横から見た。刻印が二つある。元の四桁の上に、四桁がもう一組、浅く打ってある。

 浅い一組は縁の角が立っている。

 下は丸い。私は指の腹をそこへ当てた。


 二つの数は近い。下の二桁が違う。


 七番は上を読み上げる。下には触れない。


「上の数でよいのですか」

「上の数が現在の番号です」


 この人はそう答えた。それ以上は言わない。


 量り分けが始まる。匙で掬って、量りへ載せて、数を読む。読んでから器へ入れる。

 一つの器で四回だ。終わると、次の器が来る。


 匙は柄の途中で一度細くなっている。細いところに指が来ると、掬う量が安定した。七番の指はいつもそこにある。

 私の指は初めのうち上へ来た。


 三つ目の器から、私も細いところへ置くようになった。置くと手首が楽になる。


 粉は匙から落ちる時に音を立てない。皿へ着いた時だけ、細かい音が一度する。音の高さは量で変わる。

 多いと低い。少ないと高い。一つの器で四回、音は四度する。

 四度目だけ、少し長く鳴った。


 七番の目は目盛りへ落ちたままでいる。


 二つ目へ移る時、七番が紙の側の番号を読んだ。A-0114。すずの番号だ。


 中身は他と違っていた。粒が細かい。色も薄い。

 量も違う。一回あたりの数が小さくて、四回で足す数が四〇〇にならなかった。


 私は数を頭で足す。三九〇だ。


 七番は紙に書き写して、次へ移る。書く速さは一定だ。途中で止まらない。

「これは減らしたんですか」

「配合が別になっています」


 配合が別。私は皿の縁へ視線を落として、粒の色を先週の色と並べた。


「量も別ですか」

「本日から三九〇です」

 三九〇。四〇〇との差は十グラムだ。


 七番はそれだけ言って、次の器を取る。次の器の中身は元の配合に戻っている。


 すずのものは中身が違った。二十四のうち、そこで私の手が止まった。


 細かい粒は、量りの皿の上で平らに広がる。目盛りの線が粒の下へ入った。

 七番は皿を一度指で叩く。

 寄せるのは爪の先で、皿の縁ではなく底の裏に当てている。


 叩くと粒が寄る。粒の面が平らになったところで目盛りを読む。読む速さは他の器と同じだった。


 私は皿の縁に付いた粉を指で払う役だ。払った分は掌に残る。残った粉を作業着で拭くと、布の色が少し変わる。

 乾くと元へ戻る。


 十二の器を終えたところで、七番が匙を替えた。次の柄も細く、括れの位置だけが半分ほどずれている。

 私の指は前へ動いた。


 私は器を渡す側にいる。渡す時に底が上を向いて、その一度で読める。

 一つだけ声に出した。A-0114 は覚えている。


 量り分けは二十四の器で終わった。私は頭から一つずつ数えていた。七番の唇も動いている。

 終わった時、二人の数は同じだった。どちらも言わなかった。私は指を折る。

 七番は指を使わない。外から見ると、何もしていない手になる。


 七番は紙を綴りへ挟む。挟む位置は上から三枚目だ。上の二枚は昨日までの分だ。綴りの背は布で巻いてある。

 昨日までの綴りに、A-0114 の行は無い。

 白い封筒は、机の上で一度も動かなかった。


 七番が盆を持ち上げた時、封筒は盆の端で少しずれた。ずれても、伏せたままだ。


 この人はそれを指で戻す。戻す時に、封筒の縁が机に当たって短い音がした。


「終わりです。明日も十三時です」

「はい」


 七番は出ていく。出る時に、盆を両手で持っている。片手では足りない持ち方だ。


 室を出ると、廊下の空気が急に温くなった。奥の室は扉を閉めてある。

 廊下の壁は湿っている。壁に手を当てると、板は掌より冷たかった。


 私は自分の腹のことを考えた。私の量は今日も動いていない。量りの上の三九〇を見た後では、皿が少し多く見える。


 器の縁までは、先週と同じところで止まった。


 高さは指の第一関節まで来る。そこから上は空いている。空いた分は、食べ終わるまでに埋まらなかった。


 夕方の給餌も四三〇だ。私の器の底は、昼に見た四桁だった。同じ底の数が、今日は二度回ってきた。


 すずは来なかった。午前の組は夕方に来ない。


 H-0006が向かいへ座る。この人は膝の上で手を組む。


「あの子、今日から別の時間なのよね」

「そう聞きました」


「じゃあしばらく会わないわね」

「はい」

 しばらく。私はその長さを聞かなかった。


 私は器を下げてから、A区画へ続く廊下の入口まで行く。


 入口に扉は無い。床の材が変わるところで、区画が替わる。替わる線は白い。壁際は擦れて、下の床の色が出ている。

 こちらが細い。


 私は線の手前で止まる。向こうを見た。向こうの廊下は灯りが一つ多い。

 多いので先まで見える。

 先の戸は全部閉まっていた。どれがすずの戸かを、私は知らない。


 三つ目の戸が開いて、すずが出てきた。こちらへは来ない。線の向こうで足を止める。


「午前はね、朝が早いだけよ。慣れる」


 そう言って、この人は袖の折り返しを右だけ直した。それから戻っていく。


「私も移れますか」


 背中は止まらなかった。戸は開いたままだ。


 私は片足を線の上へ載せた。引くまでに二つ数えた。誰も見ていない。


 食堂へ戻ると、H-0006はまだ卓にいた。器はもう下げてある。


 H-0006は汁を飲んでから、朝の話をする。

「あなた、字が読めるのねえ」

「少しだけです」


「少しでいいのよ。私は形だけだから」


 この人はそう言って、また口の右の端を上げた。今度は膝を叩かない。


 居室へ戻る道で、掲示板の前を通る。今日の欄には用度補助と栄養管理が並んで入っていた。

 欄の幅は指二本ぶんだ。

 同じ幅へ入れたので、字が細い。


 字と字の間が、他の行より詰まっていた。行そのものが下へずれる。


 ずれた行の下が明日の欄で、そこには栄養管理だけが入っている。


 その下は白い。白い欄は朝に埋まる。


 表を貼った板の下に、別の紙が一枚出ている。

 しょくじの りょうが かわることが あります、と一行だけ刷ってあった。


 番号の欄も、誰あてかを書いた行も無い。かなだけだ。

 私はその一行を、指で追わずに読んだ。紙の下の縁は、押した型のぶんだけ波を打っている。


 後ろから台車が来た。廃棄の札を積んだ台車で、押しているのは朝の若いほうの人だ。


「まだ明るいね。風もあるし」


 この人は板の下を見て、はみ出た紙の端を指で押し込んだ。

 かなの行は板の裏へ入り、上から見えるのは白い縁だけになる。


「今日、六でしたよ」

「うん、書いたよ。朝のうちに」


 腰の紙挟みが開く。数の欄には、朝の六がまだ入っていた。六の払いのところだけが太い。


 台車が動く。車輪の音は、広場の角のところで切れた。

 その先にはまだ日が当たっている。柵の横木の、掛ける高さのところだけが明るい。

 その高さで、塗りが一本ぶん薄い。


──────────────────


栄養管理 実施記録


実施の回次 第一回

実施した者 飼育部門 栄養係 第七号

実施の日 令和二百十三年九月一日


一、対象


対象は一名である。番号はA-0114とした。妊娠の成立に伴う措置による。成立の通知は令和二百十三年七月七日付であった。


二、内容


給与の量を一回四〇〇グラムから三九〇グラムへ改めた。改めた日は本日である。


配合は当年度 第二配合とした。配合の別は番号のみを記す扱いとした。従前の量は当係の控えにある。


第二配合の熱量は百グラムあたり四百二十キロカロリーである。従前の第一配合は三百八十であった。


一回あたりの熱量を記す欄は本票に無い。設ける旨の求めは当係に届いていなかった。


三、方法


一名につき四回に分けて量り分けた。回数は栄養係が定めた。量りは当係の備品による。


目盛りの最小は一グラムである。


量り分けに用いた匙は用度係の備品を借り受けた。借受は口頭によった。柄の形は本年度のものによった。


四、嗜好の聴取


要領は、当該の個体の嗜好は聴取のうえ考慮すると定める。


本日の聴取 ―


本欄は要領の様式によった。記入の例は本年度に無い。


五、補助


補助として個体一名を割り当てた。個体の番号は本記録に記さない。


補助の者が計数を行った旨は、当係の内規により記す扱いとしてきた。


本記録では末尾へ一行を足して記してきた。


六、経過


体重の測定は火曜日による。本日は行っていない。前回は令和二百十三年八月三十日であった。


担当は飼育部門である。得た値は本記録の対象外とした。


次回の実施は明日とした。以後、日々の実施とする。


七、補助の者の計数


補助の者は本日、器の数を計数した。当係の計数と一致した。一致した旨を記す欄は本記録に無い。


八、当日の経過


本日の実施は十三時に開始し、十三時四十分に終えた。器の数は二十四であった。


実施の間、当該の個体は在室していない。


要領は聴取の場を実施の日と同じ日とすることのみを定める。


九、備考


申出は当日の担当が口頭で受け、当係の綴りへ回す扱いとした。


本記録は当係の書庫に置く。個体へは示さない。本措置について当該の個体からの申出は無い。


十、器


本日の実施に用いた器のうち、一個は底の刻印が判読しにくい。


当該の器を本日どの個体へ割り当てたかは、洗い場の順の控えによる。


判読しにくい一個は、本日から別の一個に替えた。従前の器は当係で保管する。

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