第046話 五月の更新
個体記録票の更新に係る事務要領
適用 第七園 全区画
定める者 飼育部門 記録係
最終改正 令和二百十一年
一、趣旨
個体記録票の更新について、当係の事務の要領を定めた。
更新は年に一回とし、五月に行うこととした。年に二回行った例は無い。
二、対象
対象は当園に在籍するすべての個体とした。転入した個体は転入の翌月から対象に含める。転入の月に更新を受けた例は無かった。
転出した個体は対象から外す。外した旨を記す欄は本要領に無かった。
三、更新の方法
担当係員が個体の居室を順に回り、個体の面前で各欄を読み上げて確認する。確認は口頭によった。
回る順は番号の順とした。番号の順は居室の並びと一致しない。一致させる旨の定めを置いた綴りは見当たらない。
読み上げる欄は一から五までとした。六の備考は対象に含めない。名称は本票に記載が無いため、確認の求めから外れる。
記載を欠く欄も飛ばす。飛ばす旨の理由は、本要領の制定の際に記していなかった。
四、変更の申出
個体からの変更の申出は受け付ける。受け付けた旨は当日中に記録する。
申出の内容を記す欄は記録票の備考によるものとし、その大きさは行の二つぶんであった。
二つぶんを超える申出があった場合の扱いは定めていない。超えた例は本年度に無い。
五、空欄の扱い
記載を欠く欄については、更新の際に補うこととした。補う資料が無い場合は空欄のままとする。
空欄のまま更新した旨を記す欄は、記録票に設けていなかった。
補うことができなかった件数は、当係が別に集計する。集計の様式は当係が定めた。集計を受ける先は定めていなかった。
六、写しの請求
個体は自己の記録票の写しを請求することが出来る。請求は所定の様式によった。
請求を受けた旨は当係が取扱簿へ記録する。
七、更新に要する時間
一名につき四分を目安としたが、これを超えた場合の扱いは定めていなかった。
前年度の実測は一名あたり三分二十秒であった。四百十二名で二十二時間五十三分二十秒である。目安との差は集計していない。
八、立会い
更新の際の立会いは求めない。求めた例も残っていなかった。
立会いを求めることが出来る旨を個体へ示す定めは無かった。
九、備考
本要領の写しは各区画へ配付する。個体へは示さない。
本要領の見直しは五年ごととした。直近の見直しは令和二百十一年である。次の見直しの予定は記していなかった。
(定める者 飼育部門 記録係)
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戸を押すと、去年と同じところで一度引っかかる。五月の建て付けは軽い。止まりはしない。
当たる位置は床から膝の高さで、そこの塗りが薄くなっている。薄くなったのは指ではなく、戸の側になる。
顔へ水を二度当てた。五月の水は、当てた時に指の先が縮まらない。縮んだのは三月で、同じところで一度止まった。
当てた後の水が、頬に少し残る。残るのは頬の側で、袖の内側より温い。落ちるまでに十を数える。
残った分は袖では拭かない。拭かないで、乾くまで待つ。待つ間に、廊下の音が三度変わる。
乾く速さは日によって違う。今日は速かった。指の腹に張りが残る。
乾いた日は、掌の割れの縁も少し起きた。起きた縁へ布が触る。
触るのは作業着の裾になる。一度そこで止まって、それから抜けた。
私は指を丸めた。すると縁が内側へ入る。
今日は更新の日だ。年に一回で、五月と決まっている。決まっているのは月で、日は年ごとに動く。
更新の日は割当が外れる。外れた分、水曜のふれあいは今日だけ空く。その分へ入る人の番号を、私は前の日の掲示で見た。見たのは知らない番号だった。一昨年は更新の日そのものが無かった。
分かるのは前の日の掲示になる。掲示の紙には区画と時刻と、番号の範囲が出る。私の番号は午前の二つ目の組に入っていた。
五月の食堂には、外の匂いが少し入る。扉を開けている時間が四月より長い。閉める合図は無い。
入ってくるのは草の匂いになる。匂いは刈った後の草で、坂の下から届く。
給餌の量は朝も四三〇のままだ。五月の実は匙で切れる。切ると断面が水を持っている。
四月の硬いのが一か月で戻った。切り口の色も、先月より濃い。匙を入れると音が違う。
草の匂いは、蒸れた甘さの上に乗る。乗って重なるだけで、混ざらない。二つとも分かるのは五月と九月だけだ。
柔らかいものは口の中で早く終わる。終わるぶん、待つ側の時間が長くなる。
待つ間に、椅子の脚が床を擦る音が二度した。
食堂を出て、居室の並ぶ廊下へ戻った。
更新はそれぞれの居室で行う。行うのは係の人で、番号の順に回ってくる。番号の順は戸の並びと合っていない。この人は同じ戸の前を通る。二度通っても、途中の戸は開けない。
番が来るまで通り過ぎる。
廊下には椅子が出してある。十二脚で、出るのは更新の日だけだ。脚のゴムは四つとも減っている。
去年も十二だった。一昨年は廊下に椅子が出ていない。そういう年があることを、私はその年に知る。
十二脚は廊下の片側に並べてあった。並びの反対側は壁で、掲示板が一つ掛かる。椅子は端から詰めてある。
掲示板の下に、小さい紙がもう一枚貼ってあった。字はひらがなで刷ってある。四隅の留め具は三つだ。
こうしんの ひは しごとが ありません、と一行だけ。一行ぶん刷ってあって、紙の下は白い。
掲示板には五月の割当の表が出ていた。私の行は上から十四番目になる。去年は十五だった。
椅子は十二あって、待つ人は十四いた。十四のうち二人は立って待つ。寄る位置は毎年だいたい同じだ。
自分の戸の前で待つ決まりは無い。みんな廊下の真ん中あたりに集まる。集まらないのは端の二人だけになる。
椅子の六番目に、すずが座っていた。この人の区画はA区画で、この廊下ではない。番号の順は端から数えた。
朝のうちに済ませて、こちらへ来たことになる。
私はその二つ後ろへ座る。座ると間の一つが空いている。空いた席の人はまだ来ていない。
壁の側にH-0009とK-0330が並んで立っていた。
K-0330が壁へ背を付けて、H-0009はその半歩前に立つ。半歩は列の時と同じ幅だ。
幅は並んでいないところでも変わらないのを、私は今日初めて見た。
番号の上では、二人の間に十人入る。どの人も今日は別の廊下にいた。
二人の靴の先は、床の同じ継ぎ目のところで揃っている。揃うのは廊下の材の変わる位置で、壁から三枚目になる。
去年、私の隣の椅子に座っていた人が今年はいない。椅子の数は同じで、人が一人減っている。減った分を、係の人は番号を飛ばして進む。抜けた番号が何処へ行ったかは、廊下では分からない。
「あなた、今年も二つ目の組ね」
「一つ目ですか」
「一つ目よ。番号の順だから動かないの」
番号の順。すずの番号はA-0114で、私はJ-0037になる。頭の字の順なら、Aが先でJが後だ。
洗濯当番のH-0006が来て、空いている一つへ座った。この人は腰を下ろしてから膝の上で手を組む。
組む時に、左の親指が上へ来た。すずと揃っている。二人とも見ていない。
「これがあると五月が来たと思うわ」
「長いですか」
「長くはないわ。四分で終わるのよ」
四分。すずは去年も同じ数を言った。この人は去年の数を覚えている。
「何をしますか」
「読むだけよ。上から五番まで読むの」
「六番はですか」
「読まないわ。備考はいつも飛ばすの」
五番まで。私は自分の記録票を思い出した。順は毎年変わらない。
二の由来に、第二欄がある。父個体の下になる。行の幅は他より狭い。
備考の欄は行の二つぶんあって、他の欄より縦に長い。それなのに、私の票では空いている。
備考の欄の下の縁で、罫が二重に引いてある。
第二欄は幅が狭い。そちらも空いている。罫だけが端まで通る。
覚えているのは日ではなくて、指の感じだ。なぞると、その部分の紙が薄い。
似た手触りが、二つ下の行にもある。指の腹は二度とも同じところで止まった。
五郎が廊下の向こうから来た。この人は箒を持っていない。手は両方とも空だ。
「今日もですか」
「三つ目の組だよ。午後になるんだ」
「早く来ましたね」
「早く来るとね、話ができるだろう」
この人は椅子に座らない。壁へ寄りかかる。寄ると、掲示板の端に肩が当たる。当たった分、紙が浮いた。
板は窓の側だけ温い。温いところの境は、紙の三枚目の縁にある。線は縦にまっすぐ立つ。掌を当てると差が分かる。
「出しましたか」
「四月の二日にちゃんと出しておいたよ」
「受理されましたか」
「されたよ。受理はいつもされるんだ」
「何年目ですか」
「二十一年目だね。あんたが数えてくれた」
「数えました」
「そうかい。二十一は自分じゃ覚えてないよ」
H-0006が笑った。すずも続く。声の高さは違う。
二人の笑い方は違う。H-0006は先に笑って、すずは遅れて笑う。
遅れる分は、こちらから見ると半拍ほどになる。それは数えられない。私は音の重なり方で覚えている。
重なるのは終わりのほうだ。始まりは重ならない。すずの口が先に閉じた。
終わりの二拍だけが同じ高さで並ぶ。
「去年もそこに寄りかかってたわね」
「寄りかかると、紙が浮くのが面白いんだよ」
「五郎さん、その紙は今年の分よ」
三人が続けて喋って、そこで切れた。切れてから、誰も次を足さない。
黙っている間に、廊下の奥で戸が一つ閉まった。音は同じ高さで二度した。
紙が浮く。私は掲示板を見た。目の位置は五郎の肩の上になる。
この人の肩の当たるところで、紙の端が反っている。この癖は去年からあったことになる。
「いつもそこですか」
「同じところだよ。ここが寄りやすいんだ」
五郎は箒を持っていない手で、掲示板の端をまた押した。押すと紙が浮く。
浮いた分に指を入れて、下の紙の角を引き出す。少し見てから、また戻した。
「五郎さん、それ破けるわよ」
「破けても糊で貼り直せばいいんだよ」
「無いわよ。去年で切れたって聞いたわ」
五郎は指を止めた。手をそのままにして、H-0006を見る。
H-0006は何も言わない。黙って、肩のあたりを一度揺らした。
「じゃあ舐めときゃいいんだ」
「やめなさいよ」
五郎は紙の角を口のところまで持っていって、そこでやめた。
やめてから、指で押さえて元へ戻す。角はそこで少し立っている。
「ほら、直った」
「直ってないわよ」
「見えなきゃ直ったのと同じだ」
すずが先に笑った。今日は先だった。
遅れて笑うのがこの人の順で、順が変わったのは私が見ている限り初めてになる。
笑い終わるのは、今日も この人が後だ。
一番寄りやすい場所を、この人は選んでいる。いつ決めたかを、この人は言わない。私も聞かない。
係の人が私の二つ前の戸の前で止まった。その戸の人が立って、自分の居室へ入っていく。
その時に、戸が半分まで開く。開いた蝶番のところに、椅子が一つ置いてある。
椅子は空いている。それでも動かさない。
背の上の埃が、他の椅子より厚い。
私が初めてこの廊下へ来た年から、椅子はそこにある。三年ある。その間ずっと、扉は半分までしか開かなかった。
中は見えない。声も聞こえない。
紙をめくる音だけがする。音は三度して、それから止まる。
止まってから、また一度めくる。四度目が短い。
四度目でめくれた紙は一枚だけだった。
その人は三分と少しで出てきた。誰も見ないで廊下の先へ行った。
戻ってから、この人は手を膝の上で組み直す。
今度は右の親指が上へ来た。
列がもう一つ動いた。私の前の人が入る。
その人は五分かかった。四分の目安を一分超えている。
余った間、廊下は静かになる。十人の顔がその戸へ揃う。見ても何も出てこない。
それでも向きだけが揃う。すると、廊下の音が一つ消える。消えたのは布の擦れる音だった。
その間、廊下に残るのは建物の音だけだ。
建物の音は低い。普段は他の音の下にある。
揃った顔が戻るのは、戸が開いてからになる。すると、みんな別々の方向を向く。戻る速さは人によって違う。すずが一番遅い。
私の番になった。私は立って、自分の居室へ入る。係の人は後ろから来て、戸を半分だけ閉めた。中に机は無い。
この人は持ってきた板を膝に載せる。載せた板の上へ記録票を置く。私が座る前に、寝台の縁を手で払った。
払った後の縁に、何も落ちていない。無くても払う。
手が先で、目が後になる。三つの欄とも同じ順だった。
「J-0037さんですね」
「はい」
この人は記録票を板の上へ置いた。向きは私へではない。こちらから見ると、字は逆さになる。それでも欄の位置は分かる。
置いた時に、紙の端が私の膝へ当たった。当たった紙は冷たい。作業着の一枚ぶんを通して分かるくらいに冷たい。
この人は板を持って廊下を回っている。廊下は今日、椅子を出しているぶん、扉が開く。
その幅だけ外の空気が入る。紙はその中を十二の戸ぶん運ばれてきた。
「出生区分は園内出生です」
「はい」
「生年は令和百九十六年になります」
私は頷いた。この人はそれを見てから次へ移る。
読む時に紙を見ない。板の縁のあたりを見て、そこから読む。
覚えている人の読み方になる。頭に在っても、口に出す決まりだ。
「母個体と父個体は該当ありません」
「はい」
「最終計測は五二・四キログラムです」
私は答えなかった。番だと分かっていて、一拍ぶん置いた。
置いても、この人は待たない。次の行へ移る。
「就業はふれあい部門。評価は良です」
「そうなります」
紙の上の指は、次の行へもう移っている。
「展示は乙。繁殖適性は未判定です」
「はい」
五番まで終わった。どれも、私が知っていることだ。かかったのは四分になる。
この人は二の欄へ戻った。先に、読まなかった一行がある。
欄はあるのに、この人は読まない。黙って、指をその上に置いた。
置いた指は、父個体の下にある。第二欄だ。
そこを右から左へ、この人がなぞる。なぞる速さは遅い。
なぞってから、指を止める。手をそこへ置いたままもう一度同じところをなぞった。二度目が速い。それでも、途中で一度引っかかる。
その部分で、下の罫が透けて見える。
薄いところは、指が滑らない。そこで速さが落ちる。
この人は指を離した。手はそのまま板の縁へ置かれる。
板は膝の上で温くなっている。手を置いた分が、そこがさらに温くなった。
脇へは持っていかず、そのままだ。板の縁の塗りは、そこが薄い。
この人は拭かなかった。そのままの手の甲に、指の跡が薄く付いている。跡はしばらくしてから消えた。
後の甲は他のところと同じ色に戻る。跡のあった間は、私が三つ数える長さだった。
「変更の申出はありますか」
「ありません」
「就業の欄はふれあいのままですね」
「そのままです」
「本年度も同じで通しますね」
申出は無い。この人は六の備考を飛ばして、五から七へ指を移した。
その時に、爪が紙の上で一度鳴る。
「請求できますか」
私はそう聞いた。
「請求の様式でしたら、あります」
様式はある。
私は板の上の記録票を見た。第二欄は空のままで、罫の線だけが引いてある。
端まで通っていて、途中で切れない。空いた欄の罫も、埋まった欄の罫と同じ濃さだ。
「交付の様式は」
「そちらは、私では分かりかねます」
板を膝から、この人は下ろした。手を膝へ置いて、こちらへ首だけを戻す。目は記録票へもう一度落ちた。先は第二欄のあたりだ。
「請求だけなら、いつでも出せます」
「もらえますか」
この人は板の下から一枚出した。出す時に、上の紙と一度こすれた。
「一枚でしたら、お渡しできます」
私は受け取った。紙は薄い。透かすと、罫の位置が裏から見える。
欄は四つある。番号と日付と理由と、あと一つは名が読めなかった。
理由の欄が他より広い。幅は他の三つを合わせたくらいある。
畳んで、作業着の内側へ入れた。胸のところが一枚ぶん硬くなる。
その厚みが、腕を下ろすと肘の内側へ来た。触れる度に、そこに一枚あることが分かる。
出せる。私は様式を一枚もらった。
係の人が先に出た。私は戸のところまで行って、廊下を見た。
この廊下の残りは二人で、二人とも壁の側に立っている。係の人はその先の角へ向かう。曲がった先は四番の廊下になる。
角のところに、もう次の人が立っていた。四番の側からこちらを見ている。クロだった。
この人の番号はM-0091になる。Mの順なら、Jの後だ。間のKの人は、まだこちらの壁の側にいる。
順が飛んだ理由を、私は聞かない。
私は自分の椅子へ戻った。途中で、床の跡を少しよけた。椅子の跡で、私のものではない。
座ると、板がまだ私の分だけ温い。二度目に立つまでに、その分は落ちる。
角の向こうで、戸の開く音がした。四番の戸は、こちらの戸より低い音がする。
私は自分の呼吸の回数を数え始めた。二十六まで数えて、戸がもう一度鳴った。呼吸の二十六は二分ほどになる。
クロはそこで終わった。四分の半分だ。
他の人の票を、私は見たことがない。
私は自分の票の空いた欄を、指で二度なぞった。
角からクロが戻ってきて、こちらの廊下の反対側の壁へ寄った。
背をつけて、掲示板を見る。目の先は五郎の寄りかかっていたあたりになる。
「終わりましたか」
「もう終わった」
「二分でしたね」
「数えていたのか」
「数えました」
この人は少し黙った。それだけ置いて、掲示板から目を離した。
「途中までしか読まない」
「途中までですか」
「あとは空いてる」
あとは空いている。私は自分の記録票を思い出した。空いているのは第二欄だ。
思うだけで、聞かない。この人の手は、掲示板の縁に置いたままだ。
「決まりですか」
私はそう聞いた。この人は掲示板を向いたままでいる。
そのまま少し置いた。その間に、掲示板の紙の端が一度めくれて戻る。
クロは廊下の先へ歩いていった。速さは来た時より上がっている。
歩く音が床の材の変わるところで三度変わった。三度とも踏んでいる。
まだ位置を覚えていない。
覚えるまでにどれくらいかかるかを、私は知らない。
私が覚えたのは、いつだったかを覚えていなかった。
思い出せないものは、数へ入れないでおく。
昼の給餌は四三〇だ。食堂へ入ると、すずが先に座っていた。器はもう縁の下まで減っている。
この人は午前の一つ目の組で、二時間ほど前に終わっている。
「あなたのほうはもう終わったのね」
「終わりました」
「向こうから何か聞かれたでしょう」
「変更のことです」
「あなた、それで何て答えたの」
「無いと答えました」
すずは実を一つ食べた。口を閉じてから、器の縁を指でなぞる。
「同じことを聞かれるのよ、ずっと」
「ずっとですか」
「同じよ。私はもう十八回聞かれてるわ」
十八回。すず は十八になる。生まれた年から毎年なら、十九回になる。一つ足りない。
欠けたのが何処の年かは、この数からは出ない。
紙の側には十八回ぶんの行がある。十九行目のあるべきところは、罫の外になる。
「覚えてますか」
「そんなの覚えてるわけないでしょう」
すずは笑った。声が消えてから器を持ち上げる。
器の外はもう手と同じ温さだ。
飲む回数は今日も三つで、一つ目が一番長い。
一つ目の間に、この人の喉が二度動く。二度目が浅い。
「一回目のあなたを、誰かが覚えてるのよ」
「誰がですか」
「読み上げた人よ。いつもいるでしょう」
いつもいる。私は三度見ている。三度より前も同じ人だったかどうかは分からない。
すずに聞こうとして、やめた。聞けば、この人の一回目へ話が戻る。
戻せば、すずはもう一度笑う。私は聞かなかった。
私は掲示板の前へ行った。更新の日の廊下には、もう誰も残っていない。
廊下の椅子はもう片付けられている。運んだ人を、私は見ていない。空いた床に、椅子の跡が十二あった。どれも薄い。
数えるには顔を近づける。私は寄らないで、四つずつ三つの束にした。
薄い跡は明日には消える。明日は掃除の日だ。
その予定は割当の表に出ている。掃除の欄だけ、字が他より小さい。
五郎の寄りかかっていたところを見る。紙の端が反っている。
反りは去年からある。あの時の紙はもう無い。それでも、反りだけが同じ場所に残っている。
反りの幅は指の一本ぶんくらいだ。下の壁は他より色が薄い。
浮いた隙間から日が入る。当たるところは色が抜ける。落ちた分は、紙を貼り替えても戻らない。
私は指で押さえた。すると平らになる。離すと、また同じ形に戻った。
押さえている間だけ、紙と壁の間の隙間が消える。
押した回数を、去年は数えていた。三十を超えたところでやめた。
増えた一枚の下から、前の紙の角が一つ出ている。覗く分は爪の幅ほどになる。
夕方の給餌も四三〇になる。食堂の奥に、五郎とH-0006が並んでいた。五郎は午後の組だったので、もう終わっている。
二人の卓には器が二つしかない。余分な器は今日は無い。
今日は余分が出なかった。どの日に余るかの見当は、私にはまだ付かない。
私は入る度に数える。今日は二つだった。
この二人が来る日の数と揃う。
「四分でしたか」
「話が長いから六分になったんだよ」
「何を話しましたか」
「志願書のことをね、ちょっとだけ」
この人は志願書の話をしたらしい。更新の場で話すことではない。それでも、この人は毎年する。そのぶん六分になる。
読み上げに要るのは四分だ。残りの二分が、この人の話す分になる。
「聞かれましたか」
「聞いてくれたよ。書く欄は無いそうだ」
H-0006が笑った。口を閉じてから、器を両手で持ち直す。
「五郎さんはそれを言うのよねえ」
「言うとね、少し楽になるんだよ」
少し楽になる。この人はそう言った。
口に出してから、汁を飲んだ。速さは変わらない。
「来年も言いますか」
「来年もこの椅子だね。同じところに寄るよ」
五郎は言い終えて、口を閉じないままでいる。顔は動かない。
居室の戸を閉めて、寝台の足へ座った。
今夜は札を先に出した。袋は後でいい。札は五月でも冷たい。
握って数え始める。十七まで来たところで、廊下から椅子を運ぶ音がした。重ねているので、一つ増える度に少し高くなる。
私は数を落とした。抜けたのは十七か十八のどちらかになる。分からないので初めからやり直した。
やり直す時、札はもう少し温い。その分だけ数は短く出る。足す方法は決めていない。
二度目は最後まで通る。温くなるまでに二十六を数えた。三月は二十八だった。四月は数えないでおいた日にあたる。
二十六と二十八の差は二だ。月の順に並べると坂の形になる。
冬に上がって、夏に下がる。去年の夏は二十一だった。
椅子の音は六度で止まった。二脚ずつなら六度になる。
最後の一度、音が二つ重なった。運ぶ人が二人になったのだと思う。
袋を出して、中の紙を数える。二枚のままだ。増えていない。
増えたのは袋の中ではない。作業着の内側にある。
折り目は三本で、三本とも私が付けた。出す先は紙に書いてある。日付の欄は空いたままだ。
私は胸のところを一度押さえた。紙の角が指に当たる。
紙は体の側だけ温い。外の側は作業着の温さで止まっている。境目は紙の厚みの中にある。
当たる位置は、腕を下ろした時と同じになる。位置は覚えなくてよい。
そういうものが、袋の外に一つ出来た。袋は今夜も二枚のままだ。
足音は二人ぶんで、途中から一人ぶんになった。片方が先に階段へ行く。
残った一人は、廊下の端でしばらく止まっていた。そこに居るのは床のきしみで分かる。
きしみが三度した。三度目だけ長い。
それから、その人も行った。
私は胸のところへ手をやりかけて、やめた。
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写しの請求に係る取扱簿 取りまとめ
対象の期間 制定(令和百五十八年)から本年度まで
取りまとめの日 令和二百十三年五月十一日
取りまとめた者 飼育部門 記録係
一、本簿の趣旨
個体からの写しの請求について、受付および処理を記録することとした。
請求を受け付ける旨は事務要領に定めがある。処理の手順を定めた書面は当係に無かった。
本簿は制定以来、様式を一度も直していない。直す旨の議も残っていなかった。
二、本年度の受付
本年度の受付は零であった。前年度も零である。零の年度は令和二百七年度から続いていた。
直近で受付のあった年度は令和二百六年度である。件数は一であった。
当該の一件についても、四の項の欄に記入は無い。
三、累計
制定から本年度までの受付は四十一件であった。
四十一件のいずれについても、受付の日と請求者の番号を記載している。
四、処理の欄
処理の欄には交付の日を記入することとした。
四十一件のうち、当該の欄に記入のあるものは無い。
五、交付の様式
交付に用いる様式を当係は持たない。本簿の制定の際、様式の要否は議に付した。付した結果の記載は綴りに残っている。結果は「追って定める」であった。
他の係が定めているかどうかは、当係の所管の外にあたる。
六、請求者への回答
請求を受けた際の回答について、定めを置いていなかった。
回答を行った旨は当係の日誌に記す扱いとしてきたが、本簿に記す欄は設けていない。
七、他の簿との関係
本簿と個体記録票との突合について、当係は手をつけていない。行う旨の定めが無かった。
請求のあった全件のうち、当該の個体が現に在籍している者の数は、本簿からは出ない。番号は載っているが、在籍の別は別の簿にある。
八、備考
当係の書庫に置いた。閲覧を求めることが出来る者の範囲は定めていない。
本簿の行は五十ある。用いた行は四十一で、残る九行は空のままとした。
使い切った場合の扱いは定めていない。
本簿の交付の件数の欄は、制定以来ずっと空である。
(記入 飼育部門 記録係)




