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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第四章 繁殖

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45/106

第045話 三つの園

転入に係る個体の受入通知


受け入れる園 第七園

受け入れた日 令和二百十三年四月十三日

前の園 第二十二園


一、対象


対象は一名である。番号はM-0091とした。


年齢は三十一である。年齢は生年により算した。


二、経路


当該の個体は第九園、当園、第二十二園の順に在籍した。在籍した園の数は三である。当園に入るのは二度目にあたる。


第九園から当園への転入は令和二百八年である。当園から第二十二園への転出は令和二百十年であった。第二十二園から当園への転入は本日である。


前回の在籍の期間は二年であった。当時の記録の所在を本通知に記す欄は設けていない。


三、前の園における記録


前の園における記録は引き継がない。引き継ぐ旨の定めが無かった。


記録の写しの送付を求めることは妨げない。求めるかどうかは当部門の判断による。求めた例は当園に無い。


引き継がない旨を当該の個体へ示す扱いは、当部門の裁量にゆだねてきた。示した例は本年度に一件もあがっていない。


当該の個体が前の園の記録の交付を求めた場合の手続きは、当園に定めが無い。求められた例も残っていなかった。


四、就業


就業の割当は転入の月には定めない。定めるのは翌月の初日からとした。当月の間、当該の個体は割当を持たないまま在籍する。


当該の期間の割当を記す欄は、本通知の様式に無い。


五、居室


居室はE区画とした。区画内の位置は当部門が定めた。廊下の別は本通知に記さない。様式の第三欄は区画までとしていた。


寝台は空いていたものを充てた。空いた日は前年度の二月十一日である。


前に使用していた個体の記録は本通知に記さない。当部門の様式は現に居住する個体のみを対象とした。


六、繁殖に係る事項


本年度の交配計画において、当該の個体は対象に含める。組は追って示す。


前の園における当該の事項の記録は、三の項により引き継がない。


三の園にわたる記録を一つにまとめる様式は、機構に無かった。


まとめる旨の求めも、当園は受けていない。


七、検疫


隔離の期間は前の園において三十日とした。糞便の検査は三度、体重の測定は五度である。結果は本通知に添えた。


当園における隔離の期間は設けない。設けない旨は令和百九十二年の改正による。


改正の理由を記した書面は当部門に無かった。改正の前の期間を記した文書も残っていない。


当該の個体は本日、E区画の居室へ入れた。作業着は本日交付した。


八、健康


転入に際しての確認は前の園が行った。結果は所定の様式により送付された。


送付された様式は当園のものと項目が二つ異なる。異なる二つは読み替えて用いた。


読み替えの基準を記した書面は当部門に無かった。


当園において再度の確認を行う旨の定めは無い。行った例は本年度に一件あった。


九、私物


私物の持ち込みは認めない。認めない旨は転出の際に前の園が示す。示した記録は当園に届かない。


前の園から返送されたものがある場合は、当園の受領書による。


十、備考


本通知の写しは当該の個体へ示さない。示す旨の定めが無かった。


本年度の転入は本件を含めて二件である。前年度は零であった。


二件のいずれについても、前の園の記録は引き継いでいない。


本通知は当部門に保存する。保存の期間は当該の個体の在籍の期間とした。


在籍が終わった後の扱いは定めていなかった。


(発する者 飼育部門 記録係)


──────────────────


 廊下の音の並びが替わった。四月に入って新しい割当が始まると、起きる順が入れ替わる。

 私は音で誰が先かを覚えている。入れ替えを掴むのに、今年は三日かかった。去年は二日だ。

 顔を洗う水は掌で決めた。決めた量を掌で受けて、顔へ二度当てる。指は三月より早く動く。


 支度が一つぶん短い。短い分を、私は座って過ごした。廊下の音は三月より遅く来る。

 今月から、年齢の欄の数が一つ増えている。増えるのは年度が替わる日と決まっている。生まれた日ではない。日の欄には、月日不詳と刷ってある。書き足す場所も無い。


 月日不詳の四字は、他の字より少し薄い。初めからそうだったのだと思う。


 欄の線は他の欄より薄い。初めからそうなのか、擦れて落ちたのかは分からない。

 私は爪の先で触ってみた。触っても紙は凹まない。この紙に、何かを書いた跡は残らない。


 四月の朝の給餌も四三〇だ。食堂は少し混む。混むのは新しい割当が始まる月で、出る時刻が揃わない。揃わない分、列が伸びる。

 四月の食堂の匂いは三月と違う。実の配合が替わると、蒸れた甘さの出方が変わる。

 三月までは湯気の中にあった。四月は器を下ろしてからが強い。


 強くなるのは冷める途中だ。途中を過ぎて冷めきると、分からなくなる。その間の長さを、私はまだ数えていない。測るには器を置いたままにする必要がある。


 列の後ろに、見たことのない人がいた。背が高い。高いのは私の頭一つぶんになる。肩の幅は五郎より広い。


 作業着が新しい。色で分かる。袖の縁の白さが違う。

 近くを通ると匂いがした。匂いは洗剤ではない。糊の匂いだ。

 この匂いはまだ一度も洗っていない布からしか出ない。

 この園の作業着は、渡される前に洗う。洗わないまま渡すのは転入の時だけだと聞いた。


 その人は列の中で誰とも目を合わせない。前の人の背中も見ていない。


 見ているのは天井のあたりだ。そこは白くて、何も無い。この人は待つのが上手い。


 受け取ってから、その人は入口に一番近い卓へ行った。一番近い卓は誰も座らない。扉が開く度に風が来る。

 その人は吹き込む側に背中を向けて座った。

 座ってから腰を落として、器を両手で持つ。持ち方は五郎と同じだった。


 すずが向かいへ来て座った。この人は腰を下ろす前に一度、その人を見る。


「新しい人ね。今日から入ったのよ」

「何処からですか」


「知らないわ。前にもいたって話よ」


 前にも。私はその人を見たことがない。すずの匙が器の縁で一度止まった。


「前にですか」

「覚えてないわ。園を三つ回ってるのよ」


 すずは汁を三口で飲んだ。器は卓の縁から指二本のところへ置く。


「名前はありますか」

「クロって呼ばれてたそうよ」


 クロ。前にいた時の呼び名が、いない間も残っていた。転入の紙に並ぶのは番号と系統コードだ。


「そういう人は決まってるのよ、昔から」

「何がですか」

「男で、健康なほうって決まってるわ」

「転出のほうも多いって聞いたわ」


 四つ続けて声が並んで、そこで止まった。私に次が無い。


 すずはそれ以上言わなかった。言わないで、実を一つ口へ入れた。


 入れてから、器の縁を親指でなぞる。親指はそこから、私の器の縁へ移った。

 その先を、この人は押した。押した位置は縁の右の下になる。


 私も同じところを押してみた。何も起きない。

 縁は指の腹に当たると冷たい。押した分、そこが手の温さになる。


「そこは私の場所って決まってるのよ」

「私のはどこですか」


「あなたも自分で決めればいいのよ」


 自分で決める。私は縁を一周して、左の上のところを押した。

 すずが笑う。この人は口から始まる。


 私はまた押した。押す力は二度目が少し強い。それでも、器は鳴らない。指の腹に釉の縁が残る。

 鳴らないほうがいい。音の出る場所は選ばないでおく。


「二度も押せますか」

「押せるわよ。二度でも三度でもね。ほら」


 すずは自分の縁の右の下を、続けて二度、縁を押した。押す二度目は一度目より速い。

 私はそれを見て、左の上を二度、指で押した。押す速さは合わなかった。


 合わなくても、二人ぶんの音が卓の上で並ぶ。その分、卓の木の目が少し湿る。


 実は四月から少し硬くなる。配合が替わるのだと聞いた。配合の紙は食堂の入口に貼ってある。数が並んでいて、右の端に月が入る。

 四月の行は、三月の行より数が二つ多い。多い二つは列の右端に寄せてある。


 四月が噛む回数が増えた。三月は十二回で、四月は十五回になる。数えたのは今日で、明日も同じかは分からない。


 九時に割当へ入る。入る日は今月から、水曜と土曜に木曜が加わる。

 増えたのは私の行に限らない。十五と十六も三日になっている。

 十七から下は二日のままだ。境目は十六と十七の間になる。


 境目のところで、罫が一本だけ太い。表にあるのは番号と曜日と割当の名だけだ。四つ目は外にある。


 表の私の行は上から十四番目だ。三日になったのは十四と十五と十六の三行になる。

 三行のうち二人の名を、私は知っている。どちらも私より二つ下の年で、同じ廊下ではない。

 十三から上と、十七から下は、私より上の年だ。


 三行が年で固まっていて、間に他の月が入らない。去年の表に三日の行は一つも無かった。指で追うと、十四から十六までは行の間が他より狭い。

 去年の表は貼り替えた時に外されている。私は形だけ覚えている。


 聞けば分かることもある。聞かないほうがいいと言われたのは先月だ。言った人の指は、表の私の行の上にあった。


 箱の中には、昼までに二十いくつかが入る。私はそれを、始まる前に見る。

 見ると昨日の分はもう無い。空の底に、水の輪が二つ残っていた。


 輪の一つは横に長い。横に折ったコップの跡になる。すずのだ。

 すずは今日、まだ来ていない。跡が先に着いている。


 ふれあいは十時からだ。私は一番端に座る。

 四月の光は柵の上を越えて、マットの真ん中まで来る。境目は私の膝のところにある。そこから先が明るくて、腰から後ろが暗い。同じ布なのに、明るい側が薄く見える。触ると厚みは同じだった。


 私の下のマットは端の一枚だ。膝のところで浮く。浮いた分は押すと戻る。戻しても手を離すと、また少し浮く。

 できた隙間に、四つ折りの紙の角が入っている。折り目のところが日に焼けていない。

 字は柵の側を向いている。私は首を横にしない。傾ければ読める向きになる。そう置く人がいる。


 柵の前の人が二列になった。四月は団体の便が増える。後ろの列で器械を構えている人は一人もいない。

 手はどれも柵の上に載っている。


 よく見る人の目は、端から順に動く。動いて、そのまま真ん中で止まる。そこにいるのはすずだ。

 止まる時間は、他の場所の三倍ほどだ。私は端なので、目は通り過ぎる。その速さは毎回同じになる。

 速さが変わった日が一度ある。去年の十月だ。その日は柵の外に子どもが一人しかいなかった。それだと、目は端から動かない。


 十一時は水を飲む時間になる。私は紙のコップを縦に二度折って捨てる。

 箱を覗くと、今日の横折りが一つ入っていた。輪と同じ向きだ。

 今日の分はこれで終わったことになる。私は箱の縁から手を離した。


 十二時に終わる。係の人がマットを数える。数えると六枚ある。私の一枚もその中だ。


 居室へ戻る途中で、私は四番の廊下を抜けた。

 四番は私の廊下の隣になる。通る用は無い。通っても止められない。

 四番の廊下は、私の廊下より一つ幅が狭い。片側を配管が通る。

 通る位置は腰の高さで、触ると温かい。それは午前中になる。午後は手を当てても分からない。


 午後は冷たい。今日はとくにそうだった。長いのは午後だ。この廊下の人は、その午後を毎日通っている。

 四番の廊下の戸は十二ある。今日は一つだけ開いていた。この戸は中に人がいる時にしか開かない。留めておく決まりは無い。

 中の人は朝の列で見た顔だった。この人は寝台の脇に立って、下を見ている。


 寝台は動かない。床へ留めてある。それでも、この人は端を持って引いた。

 引くと少しだけ動く。動く幅は指の二本ぶんになる。


 動かしてから、この人は手を離す。一度指を開いて、また持って戻した。

 戻した位置は元と同じではない。少し壁に寄っている。もう一度引いて、また戻した。

 戻してから三度目で手を離す。離した三度目の位置が、二度目より壁に近い。


 私は戸のところで見ていた。この人はこちらを見ない。そのまま寝台の下を覗く。覗いてから腰を起こすまでに、三つ数えるほどかかった。

 起きる時に、片手を寝台の縁へ置いた。場所は布の巻いてある脚の側になる。ついてから、すぐ離す。手を引く速さが、置く速さより速い。

 速さの違いを、私は数で持っていない。置く速さと離す速さを、指で並べておく。


 並べると、離すほうが短い。

 手を引いた後の布に、押した跡は残らなかった。巻いてある布は、脚の丸みのところで張っている。


 この人は立ってから、自分の掌を一度見た。手は作業着の脇へ下りる。

 拭きはしない。下ろした手は、そのまま動かないでいる。


「何か落ちましたか」


 私はそう言った。口に出してから、聞き方が違うと思った。この人は落とし物を探していない。落とし物なら膝を床に着ける。


「落としてない」


 そこで切れて、その後が来ない。私が次を言う番になる。


「J-0037です」

「M-0091」


 番号だけが返ってきた。名は言わない。


「名前はありますか」

「名前は知らない」


 知らない、と返る。自分の名を知らない人を、私は初めて見た。


「クロと聞きました」

「そう聞いたのか」


 この人は聞き返した。私は答え方を持っていない。


「すずさんです」

「そうかも知れない」


 この人は寝台の縁に座って、脚を見る。脚は四本ある。うち一本に、布が巻いてあった。

 縁に座ると、板が鳴る。鳴るのは真ん中の板になる。端の二枚は踏んでも音が出ない。

 この人は音の後で体を横へずらした。ずらすと、板は静かになった。


 静かになる位置を、この人はもう知っている。今日来た人だ。


 前の園の寝台も同じ作りなのだと思う。板の継ぎ目は、頭から三枚目にある。

 布は白くて、細い。幅は指の一本ぶんくらいだ。巻いてあるのは床に近いところで、二重になっている。


 他の三本には何も無い。この廊下の他の寝台にも無い。私は自分の寝台を思い出した。私の寝台の脚にも何も巻いていない。


「その布は何ですか」

「聞いてない。前からだ」


 前から。この人は今日来た。

 この人はそれ以上を言わなかった。布の幅だけが私の側に残る。


 出しなに、この人は寝台の下をもう一度見た。見てから、私へ顎を上げる。


「あんた、ここは長いのか」

「生まれてからです」


 言った後で、喉の奥が一度鳴った。

 この人は何も返さない。黙って、戸のところで一度立ち止まる。


 立ち止まった時に、片手が戸の枠へ掛かった。その手は爪の先だけ黒い。

 手が離れた後の枠に、四本の指の跡が残った。跡は温くない。三つ数える間に消える。


 夕方の給餌も四三〇だ。食堂に入ると、この人はまた入口に近い卓にいた。器はもう半分まで減っている。


 朝と同じ席で、向きも変えていない。

 私は向かいへ座った。この人は顔を上げない。

 上げないで、器の中を見ている。見ているのは中身ではなくて、底だと思う。


「どんな園ですか」

「園だよ。それだけだ」


 園だ。それ以上が出てこない。言うことがないからかも知れなかった。無いのかどうかも分からない。


 この人の匙の持ち方は、こちらより上を握る。柄の先が掌から出ている分だけ、器の底に当たる角度が浅い。

 浅いと、底のものが残る。その分を、この人は器を傾けて寄せた。傾ける向きは自分の側へだ。


「何年いましたか」

「三年だ。長くはない」


 三年。数は返ってきた。


「子はいますか」


 私はそう聞いた。口に出してから、聞き方が正しいかどうかを考えた。その間、返事は来ない。器の中で匙が一度当たった。


「知らない」


 二度目だ。

 一度目は名前で、二度目は子になる。


 器を持ち上げて、この人は汁を飲んだ。速い。途中で一度止まって、それからまた飲む。


 止まる位置は、器の三分の一を過ぎたところだった。

 止まっている間、喉は動かない。上下するのは顎の下のあたりになる。


「数えないんですか」

「数えても紙に載らない」


 クロは器を置かないままでいる。持ったまま卓の木の目を見た。

 木の目は入口から奥へ走る。

 この卓を三年見ている。目が上へ折れるところは、入口から四つ目の板だ。


 この人は今日来た。来た日に木の目を見る人を、私は他に知らない。


「数える人はいます」

「たぶんそうだろう」


「私は数えてます」

「何を数えてる」


「いろいろです」


 この人は少し笑った。動いたのは目の下のところになる。口は動かない。こういう笑い方を、私は初めて見た。


「聞かれませんか」

「聞かれたことはない」


 聞かれない。私にも訊いた者はいない。数えていることを、私は誰にも言わずにきた。

 この人は言っている。それでも聞かれない。私の器の底には、まだ三口分残っていた。


「平気ですか」

「三年ぶん持ってる」


 器の縁を、この人は指で一度なぞった。なぞる向きは手前から向こうへになる。跡は残らない。そういうところを、この人は選んでなぞっている。

 H-0009も同じところをなぞる。向きは逆だ。

 私はどちらの向きでもなぞらない。器の縁は指の腹に当たると冷たい。汁は縁から指一本ぶん下まで減っている。


 立ってから、この人は器を下げ口へ運んだ。途中で一度立ち止まる。卓の三つ目のところだった。


 三つ目の卓には、H-0009とK-0330がいる。二人は並んで座っている。

 二人を一度見た。見てから、また歩き出す。


 見た時間は、私のところを来館者が通り過ぎる速さと同じくらいだった。

 私が五を数える間と、同じ長さだった。

 二人はこの人を見ていない。まだ話している途中だ。見ていたのは、黙っているほうの一人だけになる。


 歩き出すまでの間に、私は五を数えた。

 五は短い。それでも、この人の他の動きより長い。


 夕方の給餌の後で、七番のところへ行った。用はある。四月から記録整理が月に一度戻り、今日がその日にあたる。

 階段は二十二段だ。上りは数える。今日も二十二だった。


「本日は受領書の綴りです」


 七番はそう言った。この人は挨拶の前に割当を言う。盆は机の端へ寄せた。


 私は棚から綴りを取る。上から二段目にあった。持つと重い。片手では足りない。


「何をしますか」

「受領書を年の順に並べます」


「何件ありますか」

「前年度は四件になります」


 背は四つある。三つは薄い。一つだけが厚い。その背だけ、字が下へ寄っている。

 厚い一つを開けた。上に「受領書」とあって、その下へ区分と数量が並ぶ。数量の欄に「一」とだけ書いてある。

 その下に総重量がある。〇・三キログラムだった。数量の一と総重量の〇・三は、同じ行の中で二つに分かれている。


「これは何ですか」

「第二十二園からの返送です」


「返るんですか」

「様式に区分がありません」


 区分が無い。受け取れない。欄の名の下は白いままだ。


「返す様式は」

「返送の様式がありません」


 四件とも、返送を受けた側の紙だけだ。綴じ穴は片側にしか開いていない。

 片方だけの紙が四枚。どれにも、来た日と重さが書いてある。

 日付の欄はどれも上から二つ目にある。その上は空いている。


「本人へ渡しますか」

「在籍は受入通知で確かめます」


「いない時は」

「規定です」


 この人はそれ以上を言わなかった。私も重ねない。黙っていると、この人は次の綴りを取った。


 薄い三つの日付は五月と八月と十一月だ。間は三か月ずつになる。

 二月から今日までは二か月しかない。今日の分だけが早い。

 四つとも内訳の欄を持っていなかった。欄のあるべきところには、罫が一本引いてあるだけだ。


「今日の分もですか」

「本年度は本件が一件目です」


「何キロですか」

「〇・四キログラムです」


 〇・四。今までのどれより重い。

 私はその数を覚えた。四つの背の数の並びに、五つ目の背は付かない。


「誰の分ですか」

「本日転入した一名の分です」


 本日転入した個体は一名だ。私はその人を知っている。

 受領書にあるのは区分と数量と総重量の三つだ。私の目は四つ目を探して、二度同じところへ戻った。


「番号は書きますか」

「本様式に欄がありません」


「どの紙を見ますか」

「受入通知になります」


 受入通知は別の綴りで、棚も別になる。二つを並べる人がいるかどうかを、私は聞かなかった。

 七番は日誌を開いて、書き始めた。書く速さは一定で、途中で止まらない。

 書いている間は何も聞けない。


 私は綴りの背を揃えた。背は冷たい。棚の側に付いていた面が、手に持った面より冷たい。


 机の左の奥に木の箱が一つ置いてあった。蓋は閉まっている。角の一つだけ、塗りが剥げて木の色が出ている。

 削り器の受けの中は空だった。


「本日の作業は十八時までです」


 私は綴りを棚へ戻した。その時に、上から二段目の右端に空きがあることを見た。空きの幅は指の三本ぶんある。


 階段は下りだけ数えない。踊り場の窓は、もう暗くなり始めていた。四月は明るい時間が三月より長い。伸びた分は、下りる時にだけ分かる。

 居室へ戻る途中で、四番の廊下の前を通った。

 戸は閉まっていた。この廊下では、そちらが多い。

 戸の下の隙間から、灯りは出ていなかった。


 私は自分の居室へ戻って、寝台の脇に座った。脚を見る。四本とも何も巻いていない。


 床に近いところを、指でなぞってみた。塗りが少し粗い。その帯は床から掌一つぶんまでで、上は滑る。


 布が当たるところに、また布を巻く。そうすれば当たらなくなる。

 巻いた布の端は、こちらから見て奥の側で止まっていた。結び目は見えない。


 布は床から掌一つぶんのところで脚を巻いている。

 私は自分の脚の同じ高さを見た。何も無い。布を巻くには、まず布が要る。

 持ち込みは認めない。そう紙に書いてある。書いてあるのに巻いてある。

 幅だけを指で持っておく。指の一本ぶんで、二重になっていた。

 消灯の前に足音が来た。一人ぶんで、重い。

 今日の人の足音を、私は聞いたことがない。間隔は広い。廊下の材は二歩で一枚だが、この人は一歩で越える。


 材の変わる位置は三つある。私はどれも踏まないで歩ける。

 今日の足音は三度とも変わった。三度とも踏んでいる。

 足音は私の戸の前で止まらなかった。そのまま四番の廊下へ行く。先から戻ってこない。


 足音は戻ってこない。行った先で止まったのだと思う。

 止まった先が居室なら、それで終わりになる。閉じる音は聞こえない。


 私は横になった。天井の六枚目を見る。継ぎ目の色は、もう濃くなかった。四月の継ぎ目は、冬とも夏とも違う色をしている。


 違う色でいる期間は短い。去年は十日ほどだった。その前の年は十二日ある。

 六枚目の継ぎ目は、端から三分の一のところで一度細くなる。細いところで色が遅れて変わる。

 いまは細いところがまだ濃い。


 今日の数を並べた。指の二本ぶんの寝台の動き。三度の直し。指の一本ぶんの布。

 三年。〇・三と〇・四。知らない、が二度。


 〇・四は紙の上にある。布は脚に巻いてある。

 並べるには紙が二枚要る。私が持っているのは寝台の脇の一枚だけだ。


 数の間に、数でないものが一つある。口が動かない笑い方だ。あれは数えられない。


 名前と子で二度になる。二度目は返ってくるまでが長かった。

 その間を、私は数えていない。折ろうとした時にはもう終わっていた。


 袋から木の札を出して、指の腹へ当てた。今日は数えないでおく。そう決めた日は、これで四日目になる。どの日も、決めた理由が違う。

 四つを並べてみると、どれも後から付けたものだった。四つのうち二つは、去年の同じ月に付いている。


 札を袋へ戻した。その時に、紙の角が一枚だけ外を向く。私はそれを内側へ直した。

 袋の中はまだ札の分だけ温い。

 私は起きて、戸を細く開けた。


 廊下は暗い。四番は角で一度折れているので先が見えない。

 灯りは出ていない。戸の下の隙間も、こちらから数えられるところまでは全部暗かった。


 重い足音は戻ってこない。廊下の材は、私が立っているところで一度変わる。

 私はその境目へ爪先を置いて、しばらく立っていた。


 戸を閉める時、内側の取っ手が指に冷たい。外は触っていない。


──────────────────


返送された私物に係る受領書


受領の別 転出先からの返送

数量 一

総重量 〇・四キログラム


一、受領


令和二百十三年四月十三日、当園は転出先から返送された物品を受領した。


返送の元は第二十二園である。


当該の個体は本日、当園へ転入した。


二、返送の理由


転出先の様式に、当該の区分が無いためである。区分の追加は求めなかった。


本様式に個体の番号を記す欄は無い。区分と数量と総重量の三欄による。設ける旨の議も残っていなかった。


求めない旨の定めは無く、求めた例も当園には残っていない。


三、内訳


内訳を記す欄を本様式に設けていなかった。


数量の欄は「一」とした。一が何であるかを記す欄も無い。


包みは開けていない。開ける旨の定めが無く、開けない旨の定めも置いていなかった。


四、本人への交付


当該の個体は本日、当園に在籍していた。したがって交付の対象となる。


交付の日は追って定める。定める者を本様式に記す欄は無かった。


五、保管


交付までの間、当該の物品は当部門で保管した。保管の場所は本様式に記さない。保管の期間の上限は定めていなかった。定めを求める照会も受けていない。


六、他の例との比較


本年度に入って、同種の受領は本件が一件目である。前年度は四件であった。


前年度の四件のうち、交付を了したものは三件である。残る一件の記載は本簿に無い。記載を欠く旨を照会した例も、前年度には無かった。


本年度に照会した例も無い。


七、備考


返送する様式は当園に無い。受領する様式のみが定められていた。


受領した物品を当該の個体の在籍する園へ送る手続きは、送る側の園の定めによる。


送る側の定めを当園が確かめた記録は残っていなかった。


片方のみを定めた理由の記載は、本様式の制定の綴りに残っていなかった。


本件の総重量は、前年度の四件のいずれよりも重い。前年度で最も重かったものとの差は〇・一キログラムであった。差の生じた理由を記す欄は本様式に無い。


包みは当部門の棚の三段目に置いた。三段目には、前年度の一件が同じ向きで置いてある。


(受領 飼育部門 記録係)

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