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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第四章 繁殖

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第043話 九つに一度

血統会議 議事録(抄)


開催 令和二百十三年二月十日から同月十四日まで

記録 機構 血統会議 事務

抄出の範囲 第四日および第五日


※会期に土曜および日曜を含む。含む旨の定めは無い。除く旨の定めも無い。


一、第四日の協議事項


協議事項は二件であった。第一を野生由来個体の収容時所持品の取扱、第二を各園の返送の期限とした。


第二については議に付さなかった。付さなかった理由の記載は無い。


第一についてのみ、抄出を求めた側の定めた範囲で以下に記した。


二、野生由来個体


野生由来の個体は、第七園に現に一名であった。他の園における在籍は本会議の資料に無い。


収容は令和百二十五年である。当時の様式は所持品の欄を持っていた。欄は行の二つぶんであった。


現行の様式に当該の欄は無い。欄を廃した年は令和百七十九年であった。


廃した理由の記載は、欠けのない改正の綴りの中に残っていない。


三、当該の一点


当該の個体の記録票の備考に「収容時の所持品 一点」とある。備考の欄は行の二つぶんであり、当該の記載はその一行目に収まっていた。二行目は空である。


処分の記録は無い。保管の記録も残していなかった。


一点が何であるかを記した箇所は、当時の様式にも無い。所持品の欄は数のみを記す欄であった。


収容した場所の名は、収容の記録に残っている。海に面した地の名であった。地の名は本抄に記さない。


現物の所在について、第七園から本機構への報告は本年度に無かった。前年度も無い。


四、意見


意見は三つ出た。いずれも第四日の午後に述べられたものであった。述べられた時刻は本抄に無い。


第一は現物を確かめたうえで扱いを定めるというものであった。第二は確かめることを要しないというものになる。いずれも一人が述べている。


第三は当該の個体の在世中に扱いを定めないというものであった。第三を述べた者は二人である。


いずれの意見についても、述べた者の名は記録しない。


記録する旨の定めが無い。述べられた順も記録していない。上記の順は本抄の作成に際して付した。


五、決定


第三によることとした。決定に要した時間は十二分である。十二分は本会期の十九件のうちで最も短い。


決定に至った経過は記録しない。反対の有無も記載しなかった。


在世中でなくなった場合の扱いは、その時に定める。定める者は本議事録に記さない。


六、第五日 その他


第五に付した事項は一件であった。内容は本抄の範囲に無い。


範囲を定めたのは抄出を求めた側であり、その名は記さなかった。


七、次年度


次年度の開催は令和二百十四年二月とする。会場は追って示す。


本年度の会場は機構本部であった。次年度も同じとするかは定めていない。定める時期も示していない。


八、本議事録の扱い


本議事録は各園へ配付した。配付の記録は当事務の日誌による。


個体へ示すことはしない。示す旨の定めは無い。示さない旨の定めも無かった。


(記録 機構 血統会議 事務)


──────────────────


 寝台の脇に紙が一枚挟んである。月に一度、係の人が数を書き入れて挟み直す。挟み直す時に、紙の下の縁が少し折れる。

 書き入れた字は、私には形しか無い。月が替わっても崩れない。太さは書く人で違う。

 変わるのは折り目だ。そこが白い。

 線を数えると、片手を全部折って、もう片方が二本になる。


 起きる順は決まっている。指が先で、次が膝で、目は最後になる。入れ替えた朝は無い。

 指は関節のところが硬い。曲げると音が出る。鳴るのは右の中指だ。


 水は冷たい栓から出す。掌に受けて、関節へ当てる。冷やしている間は音が出なくなる。栓は最後まで捻らない。

 当てた後は、指がよく動く。昔は逆だった。いつからこうなったかを私は忘れた。


 寝台から食堂までの歩数は数えないでおく。持ち帰れる量ではない。

 手に載るのは、途中で足が止まった回数だ。今日は三度だった。昨日は二度で、その前は四度になる。

 足が止まる場所は、床の材が変わるところになる。三つのうち二つは手前だ。残る一つは曲がってすぐにある。


 同じ廊下でも、床は三つに分かれている。前が固くて、真ん中が柔らかい。奥はまた固い。

 靴の底の音が三度変わる。人が来る時は、音の変わる位置で誰かが分かる。顔を上げる前に耳が拾う。


 真ん中で音が抜ける人がいる。今の音は抜けなかった。係の人の靴の裏には、他と違う模様が付いている。

 誰も教えてくれなかった。私も誰にも言っていない。

 皿が替わった。一昨日までは大きい皿が来ていた。冬の間は大きいので、昨日から元へ戻る。

 知らせは来ない。皿が先に替わっていて、持ち上げた時の軽さで分かる。


 元の皿の数が、私の呼ばれ方になる。三八〇。字は知らない。音だけが耳に残る。

 三八〇の皿は浅い。同じ量でも底が早く見える。まだあるのに、終わりの形をしている。

 私は皿を持ち上げて、少し傾けた。底に寄っていたものが真ん中へ来る。量はまだある。急いで食べなくてよい。


 J-0037が向かいに座った。この子はいつも三つ卓を回って、それからここへ来る。

 回る順は決まっている。作ったのはこの子で、誰にも言っていない。


 私は匙で三口分を寄せて、この子の皿へ移した。向きは私から向こうへになる。腹は滑らせない。


 逆にはしない。匙は私の側から出て、向こうで止まる。


「少ないですか」

「要るのはあんたかね」


 この子は受け取ってから、少し待つ。間は三つ数えるくらいだ。

 この子の手の甲に割れが三本ある。先月は二本だった。三本とも縦に走っている。

 増えた一本は親指の付け根で、そこは布を押さえるところだ。


「洗濯はもう終わったかね」

「先々月までです」


「今は何をするかね」

「広場の当番です」


 この子は頷いた。指を伸ばして、割れの上を親指でなぞる。

 なぞる向きは根元から先へだ。逆にはしない。反対から当てると、割れの縁が起きる。


 外れた話は耳に入っている。誰から聞いたかは覚えていない。残っているのは、洗濯という言葉が先に来たことだ。

 聞いた時、私は匙を持っていた。柄の向きまで残っている。向こうを指していた。


 この子は皿の底を匙で二度こすった。こすってから、匙を置く。

 戻す場所は皿の右で、柄が向こうを向く。この置き方は私と同じだ。

 この人は私がそう置くのを、前に一度見ている。教えたことはない。見た日は覚えていない。


 私は自分の皿を見た。三口分を移しても、皿の縁の線は下がらない。線は縁から指一本のところにあって、朝からそこにある。

 減った分は目には出ない。その分を、私は匙の数で覚えておく。


 多いものを残すと、係の人が量の欄へ数を書く。欄の数は月の終わりにまとめられる。

 まとめた紙が、寝台の脇へ挟まる一枚だ。折り目は七本ある。七本目はまだ浅い。


 私は残さない。今日の皿は底が見えている。縁の線は朝と同じ位置にある。


 卓の端に洗濯当番のH-0006が来た。この人は器を置いてから座る。座ってしまってから器を引き寄せる。

 順が逆の人が多い。この人はこの順で通す。入れ替えたのを見たことがない。


「今日は上映の日ですってね」

「今日は何をやるかね」


「見てのお楽しみでしょうね」


 この人は笑った。息を戻して、汁を一口飲む。息は飲む前に止める。肩が一度上がる。

 H-0006は私より若い。それでも、匙を持つ手の甲へ、私と同じ形の筋が出ている。

 筋は洗い場の水で出るのだと、この人は前に言った。私の筋を出したのは別の水になる。洗濯室は湯を使う。


「あんたは来るかね」

「行かないわね。眠くなるもの」


 この人は上映へ来ない。前からそうで、理由は言わない。

 器の縁を親指で二度押してから、こちらを見た。


 卓の向こうで、若い二人が同じ時刻に立った。二人の前には同じ紙が置いてある。私にはその紙が黒い帯に見える。年の初めに一度回ってくる紙だ。次の週から、呼ばれ方が二人ぶんになる。

 私には長いこと回ってこない。いつからかは、覚えていない。


 食堂を出て、廊下の掲示板の前を通る。紙が四枚貼ってある。大きさはどれも違う。


 左の一枚は今週から替わった。前のは端が丸まっていた。今のは角が立っている。

 替わった週の前に、外から来た人が居た。あの週は廊下に知らない靴の音が四日続いた。真ん中で抜けなかった。

 真ん中の二枚は去年から替わっていない。日に当たる側の色が薄い。境の線は縦にまっすぐ入る。

 右の一枚は黒いところが少ない。字の数も少なくなる。余った白が下半分にある。


 私はその前で止まらない。読む用が無い。黒いところの並びを、目が拾って通る。


 同じ形の並びが二つ以上あると、それは一つのことを言っている。

 その並びが四枚のうち三枚にある。何を言っているのかは、私は知らない。

 右の一枚に、他へ無い形が一つある。四角の中に短い線が三本入っている。線の間隔は等しくない。


 同じ形を、去年の秋にも見た。次の週に、廊下へ椅子が並んだ。


 二月の表の私の行には、二日ぶんしか入っていない。私は居室へ戻った。寝台の縁は、昼の間も冷たい。


 膝の上へ手を置く。甲を、もう片方の掌で覆う。少し温かくなる。

 下になっているほうが先に温む。順は自分で確かめた。上と下を入れ替えても、下が温くなる。


 上映は一八時からだ。視聴覚室は第二食堂の北にある。歩いて四十歩だ。


 私の居室からは廊下を二つ曲がる。二つ目の手前で床が変わる。そこで音が抜ける。


 私の足は重い。同じところを踏んでも音は抜けない。靴の裏の減り方が左右で違う。

 私の音だけが、廊下の先へ先に着く。


 視聴覚室の戸は片側を開けてある。決まりだと聞いた。

 両方開けると廊下が冷える。すると苦情が出る。言うのは職員だ。

 中は埃と、機械の熱の匂いがする。

 入って三つ数える間が強い。過ぎると分からなくなる。


 出る時にまた分かる。二度目が濃い。上着の袖に付いて、夜まで残る日もある。


 座席は横に六つで、縦に六つある。合わせて三十六だ。番号は前の列から振ってある。

 背もたれの上に番号の札が付いている。数は打ってある。私は端から数えた。一から始まって、三十七で終わる。

 座席は三十六で、番号は三十七まである。


 もう一度数えた。今度は番号を追った。十二の次が十四になる。

 十三が無い。抜けているのは番号で、椅子ではない。

 外した跡は床に無い。脚のへこみも見当たらなかった。床の色も変わっていない。


 私は一番後ろの列の、左の端に座った。左の肘掛けの先が少し下がっている。

 これは前からだ。いつからかは覚えていない。戸に近い席が、立つのが遅くても人に当たらない。

 人が入ってくる。始まるまでに十九人になった。入口で一度止まる人が多い。

 この数は前の時と同じになる。いつだったかは覚えていない。数だけが残っている。


 T-0002が入ってきたのは、始まる少し前だった。


 この人は一番後ろの列の、真ん中より一つ左へ座る。場所は変わらない。私の二つ隣だ。

 上着の右の脇で、縫い目の糸が他より伸びている。緩んでいるのは片側になる。

 左は買った時の形のままだ。


 歩くのが遅い。それでも、途中で止まらない。

 この人は止まらないで着いた。腰を下ろす前に、前の座席の背に付いた金具を親指で一度押す。

 押すと少し沈んで、離すと戻る。沈む深さは爪の半分ほどになる。戻る時に小さい音が鳴る。


 灯が半分落ちた。消えるのは前で、後ろは点いたままになる。天井の三列のうち二列が残る。

 映像が出る。海だ。上から撮っている。上から見ると、色は一つだ。


 波が下から上へ動く。私は指を折って数えた。親指から順に折る。

 片手が終わるまでに五本来た。もう片方を二本折ると、そこで七になる。

 紙の白い線と揃う。揃ったところで、手が一度止まる。


 止まったら戻す。開くと、それまでの分は手から落ちる。

 三度やって、三度とも同じところで止まった。


 途中で船が出た。一隻きりで、右の端から入って、左へ抜ける。速さは変わらない。

 二十を数えるうちに抜けた。後の水面には、白い筋が残る。


 筋は消えるまでに十五ほどかかる。消えるのは端からだ。真ん中が最後まで残る。そこの色が少し薄い。


 音が二度切れた。位置は始まってから同じところになる。二度目が長い。


 前の時も同じところで切れた。いつだったかは覚えていない。同じ映像を二度見ている。

 切れている間、映像は動いている。音が無いと、遠くのものに見える。

 音が戻ると、また近くへ来た。


 目は切れている間も同じ大きさで映していた。映像は二十分ある。終わりまで座っていた。

 私は数えていない。指を折ると、見る分が減る。

 終わって、灯が全部点いた。点くと、前の列の人の頭の形が見える。誰かは形で分かった。三人目までは、少しかかった。


 立って出ていく人がいる。出ていくのは早い人からだ。八人ぶんの音が続いて、それから止んだ。


 残ったのは十一人だ。私は数えた。逆からも数え直した。


 逆からも十一だった。二度数えて揃えば、それでよい。三度目はしない。

 T-0002は動かない。この人は上映の後に必ず残る。すると、誰かが後ろの席へ移る。決まりの外の動きになる。

 私は三十二番から動かなかった。そこでも聞こえる。この人の声は低いのに後ろまで通る。途中で息を継ぐ音がしない。


「海には三つの色がある。遠いところと、近いところと、その間だ」


 この人はそう言った。息を一度入れて、少し置く。長さも前と同じだ。置いている間、誰も何も言わない。


 順が違う。前は近いところが先だった。近い、遠い、その間の順で三つだった。

 数は変わらない。私は指を三本折り、膝の上へ置いた。


「朝は二つになる。日が低いと真ん中の色が出てこん」


 朝は二つだ。前と変わらない。私は指をもう一本折った。

 四本になる。色の三つと、朝の二つを合わせた印だ。

 折った指の内側は、伸ばした指より温い。それが膝の布へ移る。


 前の列の人が何か聞いた。声が小さくて、こちらまで来ない。T-0002の答えが来る。答えは必ず、聞いた声より大きい。


「波は九つに一度、大きいのが来る。数えたら下がればいい」


 九つ。三度とも片手と二本のところで止まった。指の位置も揃う。

 映像の波と、この人の言う波は別だ。それなら、数が違っても構わない。


 七つに一度、大きいのが来ると聞いた覚えがある。その時も三十二番に座っていた。席は自分で決めていない。

 私は指を折るのをやめた。四本はそのまま置いておく。


 置いておくと、指の付け根が痛くなる。今日は十を数える手前で来た。痛みは開くと消える。


「前は七つじゃないかね」


 私はそう言った。声が思ったより低く出た。喉が乾いている。部屋の空気も同じだ。


 T-0002はこちらを見ない。この人は話している間、誰の顔も見ない。顎の角度は最後まで同じところにある。

 前の壁のあたりを見ている。壁には何も掛かっていない。塗りは天井が新しい。


「九つに一度だ」


 この人は膝の上で手を組み直した。その時に、左が上へ来る。

 前の列の人が笑った。声は一人ぶんで、他は笑わない。その人はすぐやめた。座り直す音がした。


「魚の名は四つある。四つとも、こちらの言葉とは違う音だ」


 四つ。前は五つだった。そのうち三つを覚えた人がいる。

 誰かは知らない。覚えたという話が回ってきた。


 この人は四つの音を言う。二つ目のところで一度止まって、言い直した。


「二つ目は違ったな。あれは別の魚で、名も別だ」


 言い直しは前にもあった。あの時は三つ目で、今度は二つ目になる。

 言い直した後の音は、前に言った音より短い。詰めた音が後から来る。


 私は四つの音を頭の中で二度なぞった。二度なぞると、一つ目と四つ目が残る。真ん中の二つは長くて落ちる。後から取りに行けない。

 覚えたほうを離さないでおく。手を開くと、代わりが来ない。

 離さないでいる間、親指の爪が中指の腹に当たっている。


「船は四隻だった。四隻で出ていって、四隻とも戻ってきた」


 四隻。この人が船の数を自分から言ったのは、初めてになる。

 この人は三隻だ、と答えた。答えたのであって、言ったのではない。

 今度は聞かれていない。聞かれる前に四隻が出た。


 私は膝の上の四本の指を見た。色が三つ。朝が二つ。波が九つ。船が四隻。魚が四つ。

 指は四本しか折っていない。足りない分は頭へ置く。頭は数が入る場所が少ない。

 T-0002はまだ話している。貝の話になった。貝は波の来る線に並ぶ。

 並ぶ理由をこの人は言わない。言わないで次の話へ移る。


「並んでおるものだけを拾えばよいというだけの話でな」


 言い終わると、この人は一度顎を引く。喉の下の皮が、その分だけ動く。


 雨の話になった。雨の匂いは、降る前と降っている間で違うという。


 降る前が強い。強いのは土の匂いで、水の匂いではない。この部屋の匂いは埃と熱だけだ。


「先に匂う。それから濡れる。順が逆になった日はいっぺんも無い」


 この園の雨は、屋根の下でしか当たらない。匂いの順を確かめた人がこの園にいるかどうかを、誰も言わなかった。


 それから、顔の話になった。この人は自分より前にいた人の顔を話す。

 目のところと、口のところを別々に言う。二つを一度に言ったことは一度もない。


「目は片方が細かった。細いほうで笑うのが先だった」


 前もそう言った。目のところは変わらない。口のことは今度は言わなかった。話は途中で雨へ戻る。


 私は口の話を待った。待っている間、両手を膝の上で重ねておく。下の手が先に温かくなる。上は最後まで温くならない。

 口の話は来なかった。代わりに船の話へ移った。

 移る時は必ず一度息を吸う。吸う音は後ろの席まで届く。


「魚の名をもう一度かね」


 私はそう聞いた。聞くつもりは無かった。口が先に動く。喉が鳴るのはその後だ。


 T-0002は少し置いた。置いてから、別の話を始めた。同じ日に二度は言わない。それは前からで、前も同じところで止まった。

 止まった後の部屋は少し静かになる。床の板が一度きしんだ。

 待っている人の数を、私は数えなかった。数えると、自分が入る。


 二列目の若い人が、膝を叩いて数え始めた。一つ、二つ、と声に出す。九つまで数えて、そこで手を上げる。上げてから、隣の人の肩を軽く押した。


「今のが九つ目」

「押されたほうが波かね」

「押したほう」


 押された人が笑った。笑うと、椅子の背が鳴る。この椅子は誰が座っても鳴る。

 若い人はもう一度、一から数え始めた。今度は七つで止めて、こちらを見る。


「七つ目と九つ目」

「どっちも来るんじゃない」


 私はそう言った。言ってから、自分でおかしくなった。喉のところが一度詰まる。それから息が戻る。


 T-0002は数を数える人を見ない。この人は誰の顔も見ない。

 次の話が始まる。始める時に、若い人の手が下りた。下りる速さは前の話の時と同じだ。

 膝の上に置いた手は、話が終わるまで動かない。


 私は自分の手を見た。膝の上で四本折れている。折れているほうは温かい。伸ばした六本は、指先が冷たいままでいた。


 三十分ほど続いた。私は時刻を見ていない。

 三十分というのは、腰の痛みが出るまでの長さになる。長さは年ごとに短くなる。


 痛みが出たので、私は立った。右の膝が一度抜ける。三十二番の座面が、腰の形のまま少し窪んでいた。

 抜けるのは立った時で、歩くと戻る。戻るまでに三歩かかる。


 出る時に、戸のところの札を見た。札には数が二つ並んでいる。上の数と下の数だ。始まりと終わりになる。

 下の数は四つある。上の数も四つだ。私は形で覚えている。

 覚えられるが、それが何時かまでは分からない。聞けば分かる人がいる。


 廊下へ出ると、匂いが入れ替わる。埃と熱の側が退いて、洗剤が前へ出てくる。

 入れ替わるまでに廊下を九歩ぶん歩いた。去年は七歩だった。歩幅が縮んだ分だ。


 第二食堂の壁に時計がある。針は三本だ。長いのと短いのと、細いのがある。

 細いのが動く。それを見ると、他の二本が止まって見える。

 目がそう取るだけで、三本とも進んでいる。私は針の位置を覚えた。

 短いのが六と七の間で、七に近い。長いのが十と十一の間になる。


 覚えたのは、あとで誰かに聞くためだ。私の側には、指の折れた形が残る。


 居室の前の廊下にも時計が一つ掛かっていた。こちらの長い針は、食堂のより二つぶん先へ行っている。

 どちらが本当かを言った人はいない。二つとも動いている。


 J-0037が廊下の向こうから来た。この子は歩きながら数を数える。

 数えている時は口が動かない。指も同じだ。それでも数は進んでいる。歩幅が一定だ。


「どうでしたか」

「海の映像だったよ」


「全部見ましたか」

「見たことは見たけどね」


 この子は少し待った。待ってから、もう一つ聞く。


「何の話でしたか」


 私は答えなかった。答えなかったのではなくて、何処から言えばいいかが決まらない。

 色は三つで、順が入れ替わる。波が九つになる。魚は一つ減った。船は聞かれる前に出た。

 これを並べても、話にはならない。話にするには、前の分がいる。

 前の分は私の側にしかない。手に載る形をしていない。


「明日も行きますか」

「呼ばれた日は行くよ。呼ばれない日は行かないねえ」


 この子は頷いた。頷いてから、廊下の板の継ぎ目を一度踏んだ。踏むと音が抜ける。

 この子の足では抜ける。私の足では抜けない。


「今度、聞きに行くのかね」


 私はそう言った。この子は頷いて、それから廊下の先へ行った。行く時に一度振り返る。それから、また前を向いた。


 向いてから、歩幅が戻った。数え直しているのだと思う。こちらを見た時に一度切れた。

 居室へ戻って、寝台に座った。座ってから、指を四本折り直した。


 折り直しても、四本は四本だ。指の側で減った分は無い。


 私は数えただけだ。数は指の側にある。明日は別の数を折る。


 寝台の板の目に、爪で線を引いてみた。引いても跡は付かない。板は硬い。

 寝台の脇の紙を出して、折り目を数え直した。白い線は七本ある。

 七本のうち、一番外の一本が他より深い。溝の底で紙の色が白い。指の爪を当てると、そこで止まる。


 紙の上の側に数が並んでいる。数の形は覚えている。一年の間に、前の並びが二度変わった。後ろは変わっていない。


 前が変わると、それは大きい側が動いたことになる。二度目に変わった時、線は一本増えていた。


 私は紙を折り直して、元のところへ挟んだ。

 挟む向きは、字のある面を内側にする。内側にすると、外から見た時は白い。


 消灯の前に、廊下で靴の音がした。手前で固くて、真ん中で抜ける。速い人だ。

 音は私の戸の前を通って、向こうで止まった。止まった先には物置しかない。


 物置の戸は開ける時に一度引っかかる。引っかかると、音が二度になる。

 今夜は一度で開いた。蝶番のところに、油の跡が細く一本ある。


 直した人の話を、私は聞いていない。油の跡は指で触ると付く。


 止まってから、また戻ってきた。戻る時の音は、行く時より遅い。床の同じところで、行きは抜けて、帰りは抜けなかった。

 私は横になった。天井は見ない。この年になると、上を向くと喉が詰まる。


 横を向いて、壁の側を見る。壁には何も無い。そこを見ていると、数が浮く。


 浮いた数は、しばらくすると並ぶ。並ぶ順は毎回同じで、私が数えた順になる。

 重いのは変わったところだけだ。今日から三つ増えた。三つとも後ろの側にある。

 前の側は去年から動いていない。前が動いた年のことは、指にも残っていない。

 三と二と九と四と四。五つの数が並ぶ。


 五つのうち三つが今日の分だ。残りの二つは、去年から手に載ったままになる。

 いつから載っていたかは、もう思い出せない。指が覚えている。


 壁の板の継ぎ目に、糸屑が一本挟まっている。何日も同じところにある。

 右の中指を曲げると、朝と同じ音が出た。今日は二度目だ。


──────────────────


視聴覚室 使用簿(抄)


簿の名 視聴覚室 使用簿

記入 当日の当番による

記入の期間 令和二百十三年二月分


一、本日の使用


令和二百十三年二月十六日、視聴覚室を上映の用に供した。


区分は記録映像とした。演目の名は本簿に記さない。記す欄が無かった。


本年度、当該の演目を上映した回数は本日で九回である。番組表の予定は十回であった。残る一回を本年度中に行うかどうかは、本簿の記載事項ではない。


二、時刻


開始は一八時、終了は一八時二十分であった。


上記は本簿の様式による記入である。時計は当室の壁のものによった。


三、座席


座席数は三十六である。座席の番号は据え付けの際に付したものであった。


入室した個体の数は十九であった。数は当番が扉のところで数えた。


数を照合する定めは無い。照合した記録も残っていなかった。


本年度、当室へ個体が物品を持ち込んだ例は一件である。持ち込んだ物の別を記す欄は本簿に無い。持ち帰った旨も記していない。


四、上映後


上映後の残留については、記入の欄を設けていない。


残留の可否は当番の判断による。当番は本年度、いずれの回についても退室を促していなかった。


退室の時刻を記す欄も設けていない。設ける旨の議は、本簿の綴りに見当たらなかった。


五、機器


映写の機器に音の欠落が二箇所ある。欠落は本年度の初めから続いていた。二箇所の間隔は本簿に記していなかった。


修理の依頼を本年度に一件行ったところ、回答は「部品の在庫が無い」であった。


欠落の位置を記す欄は本簿に無い。位置は毎回同じであると、当番から申し出があった。


申し出を記録する定めが無いため、本項に記した。


六、備考


当室の時計は、本年度に一度も合わせていない。合わせる旨の定めが本簿に無かった。


合わせる者を定めた書面も、当室には備えていなかった。


第二食堂の時計との差は二分である。本簿が写したのは当室の時計になる。第二食堂の簿は、同じ回の終了を一八時二十二分と書いた。


(記入 当日の当番)

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