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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第三章 標本

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42/106

第042話 二日

血統会議 開催通知および議事次第


通知番号  機構血第三号

発した日  令和二百十二年十月一日

宛先の数  十二(各園 飼育部門長)

到達の確認 行わない


一、開催


令和二百十三年二月十日から同月十四日までの五日間、本年度の血統会議を開くこととした。会場は機構本部とした。


各日の開始は九時、終了は十七時の予定である。延長した例は令和二百四年に一度あった。


基準日は二月一日とした。本通知は開催の四か月前に発した。


二、出席


出席は各園の飼育部門長とした。代理の出席を認める。認める旨は令和百七十一年に定めた。


保全管理体は第一号から第十二号までが出席するものとした。発言の順は号の順によることとした。


個体の出席を認める定めは無い。求めた例も記録に残っていなかった。


三、議事次第


第一に前年度の実施の報告、第二に本年度の交配計画、第三に標本化に係る報告とした。


第四を協議事項とし、第五をその他とした。第五に付する事項の範囲は定めていない。


四、資料


資料は各園からの返送により作成することとした。返送の期限は当該月の二十八日までとした。


本年度、期限を過ぎた返送のあった園は二であった。いずれも受理している。


五、返送の遅れについて


前項の二園について、遅れの理由を求める定めは無い。求めた記録も残っていない。


うち一園は、令和百九十二年以降のすべての月について期限の二日後である。二日を超えた月および二日に満たなかった月は無い。


当該の事実は保全管理体 第一号の報告に記載がある。報告に対する返答の記録は無かった。


六、年末年始の取扱


十二月二十八日から一月四日までは受理を行わないこととした。


当該の期間に到達した返送は、一月五日に受理したものとして扱う。扱いを個体へ示す定めは無い。


当該の扱いにより、十二月分の受理の日は他の月と並ばない。並ばない旨を記す欄は本通知に無い。


七、傍聴


来館者の傍聴は認めない。認めない旨の理由は本通知に記さない。


傍聴を求める照会は、本年度に無かった。前年度も無い。


八、資料の保存


会議に用いた資料は、終了の後に当事務が保存する。保存の期間は十年とする。


十年を過ぎた資料の扱いは定めていない。廃棄した記録も見当たらない。


各園から返送された原本は、当事務では保存しない。原本の所在は各園の定めるところによる。


九、備考


本通知の写しは各園に一部ずつ配付する。配付の記録は事務の日誌による。


議事録は会議の終了後に作成する。作成の期限は定めていなかった。


(発出 機構 血統会議 事務)


──────────────────


 二月の朝は、廊下の配管が鳴る。鳴るのは湯を通し始める時刻だけだ。

 響きは短くて、二度か三度で止まる。それから、壁が温かくなるまでに少しかかる。


 私は六時に起きた。天井の板を見る。六枚目の継ぎ目は、まだ濃い。

 春には戻ると思っている。戻るところを、私は毎年見ていない。気がつくと戻っている。

 朝の給餌は四七〇だ。水曜の食堂は早い。洗濯の当番が先に出ていく。


 私はもう先に出なくてよい。よいのに、体が早く食べ終えた。匙の運びは四十四回だ。


 出ていく人の作業着が匂う。洗剤だ。三歩ぶんの間だけ届く。

 昨日の分がまだ残っている。抜けるまでに二日かかるのだと、洗濯室で誰かが言っていた。

 私の作業着からは、もう匂わない。抜けたのは一月の初めだ。替えてから四十一日になる。

 朝のうちに、私は自分の袖を鼻のところまで上げた。それでも、布の匂いしかしない。


 布の匂いは薄い。薄いのに、消えない。

 残る匂いの布と、落ちる匂いの布がある。どちらがどちらかを書いた紙は無い。手では分けられない。


 早く食べ終えると、待つ時間が出来る。何をするかは紙に無い。今日は二十六分だ。

 私は先月からそれを持っている。洗濯の日には無い。始まりは一月八日だ。

 洗濯の日が楽だったかどうかを、私はまだ決めていない。判ずるには早いと思う。


 一月は金曜と土曜だった。二月は水曜と土曜になっている。動いたのは一日ぶんだ。

 移した理由を書く欄は、この表に無い。

 私は器を持った。卓の木の目を見る。汁の跡は先月の位置に残る。


 入口から見える四つの卓のうち、二つは脚に楔が挟んである。入っているのは右の奥だ。

 床が傾いているのだと思う。傾きは目では分からない。分かるのは楔の厚みからだ。


 薄い板を三枚重ねた分ある。下の一枚が半分ほど食み出ていた。厚みは四ミリほどだ。

 その分を指で押すと奥へ入る。翌朝には元の位置へ戻っている。押しているのは私だけではないと思う。


 ふれあいは十時からだ。場所は広場になる。区画から二百四十歩だ。

 広場は横に十二メートル、縦に九メートルある。座るのは合成繊維のマットで、六枚敷いてある。

 私はこの広場を知っていた。去年も出ている。あれは夏だった。

 その時は五枚だった。一枚増えている。足したのは去年の秋らしい。


 一枚ぶん、並びが詰まった。隣との距離は掌の幅ほどだ。去年は一つ半あった。

 夏はもう少し空いている。


 今日は当たった。場所は右側で、隣に座ったのはすずだ。この人は肘を動かさない。

 私が動かした。


 増えた一枚は、他より新しい。繊維の色が濃い。縁の縫い目も切れていない。


 使われていないからだと思う。座る場所は決まっている。私は一番端になった。


 マットの四隅は金具で床へ留めてある。

 留めてあるのに、六枚のうち二枚は床との間に紙が挟まっていた。入っているのは古い紙で、字が見える。

 紙の字は逆さを向いている。追おうとすると首を横にすることになる。私は動かさなかった。

 来館者から見える向きだからだ。


 広場の西の側に窓がある。冬の光は低い。床の途中まで来る。

 届く先は一番端のマットのところだった。私の座る一枚になる。


 光の帯の縁は、はっきりしない。端で少しずつ薄くなる。幅は掌の二つぶんだ。


 その幅は指の三本ぶんくらいで、その中に自分の靴の先を入れると、先だけ明るくなった。


 入れたまま数えると、十を数える間に明るいところが少し動く。


 向きは窓から遠ざかる側だ。私は靴を動かさなかった。動かさないでいると、明るいところが靴から外れる。

 九時前に、A区画から三人が来る。すずが一番後ろだ。間は二歩ずつ空いている。

 この人は入口で一度止まる。中を見て、それから入る。広場でもそうした。


「あなた、こっちだったの」

「今日からです」


「そう。じゃあ隣に座りましょうか」


 すずは私の隣へ座った。端から二つ目になる。継ぎ目が二人の間に来る。

 座ってから、この人は首を右へ傾けた。角度は前のままだと思う。


 係の人が入ってきて、紙を一枚読み上げた。

 読むのは決まりだ。触られてもよい範囲と、立ち上がってよい時刻が書いてある。読み上げに二分かかった。


「今日は十時から十二時までです」

「はい」


「投げ込みがあったら手を出さないでくださいね」


 投げ込み。私はその言葉を知っている。掲示で二度読んだ。

 柵の外から物を入れる人がいた。禁止と書いた札が三箇所に出ている。それでも減らない。


「拾いますか」

「係の者が拾いますので」


「食べ物ですか」

「食べ物のこともありますね」


 係の人はそれ以上を言わない。黙って、扉の側へ二歩動く。

 それから、こちらへ首だけを戻した。


「今日は資料館の担当も見えますので」


 資料館の担当。私はその人を知っている。第三室で清拭の割当がある時に、扉を開ける人だ。

 鍵を三本目から使う。


 十時に来館者が入ってきた。

 冬の来館者は、夏より数が少ない。少ないのに、一人あたりの立っている時間が長い。


 寒いからではないと思う。夏は次が来るので早く動く。冬は次が来ない。


 一人が一つの場所に立ったままでいる。


 子どもが二人いた。どちらも柵に手を掛けて、それから後ろを振り返る。

 後ろにいる親を呼ぶ。来るまでの速さは二人とも揃う。

 二人の子どもは、柵の一つの場所に手を掛けた。掛けたところの塗りが薄くなっている。

 その帯は横に長くて、床から六十センチくらいのところにある。この高さに手が集まる。


 私の手の高さは、その帯より上だ。私が柵に触ることはない。差は掌の一つぶんになる。

 私の高さのところは塗りが厚いままでいる。


 すずは首を傾けたままでいる。私は真っ直ぐのままだ。

 この角度を教わったことがない。教わる紙も無い。


 マットは冷たい。座って三十を数えるころに、膝の裏のところだけが温くなる。温まる幅は指の三本ぶんだ。


 温くなるのは布を挟んでいる場所だけで、踵は冷たいままでいる。二時間の間、その二つは混ざらない。

 柵の向こうの人は、すずを見る時間が長い。

 私を見る人もいる。目を当てて、それから隣へ移す。その間は短い。


 柵の向こうの人の手に、券がある。一枚が二百枚ぶんの札にあたる。色は薄い緑だ。


 券の角が折れている人が多い。坂を上がる間だと思う。四人のうち三人だった。


 私は数えてみた。十一時までに、私のところで止まった人は九人だ。すずのところは十九人だった。

 そのうち、二度目に戻ってきた人はいない。すずのところは数えなかった。勘定すると、比べることになる。


 順位の紙は月に一度出る。

 私はその紙を一度だけ見た。あれは去年になる。一番上にすずの番号がある。自分のものを探すことはしていない。


 十時四十分に、柵の外から物が入った。

 小さい包みで、柵の隙間を通って地面に落ちた。その音は短い。


 私は手を出さなかった。すずも出さない。その間、二人とも膝の上で指を組んでいる。


 係の人が来て、拾って、袋へ入れた。袋は透明だ。中身の形が見える。


 係の人が来るまでに、十を数えるだけの間があった。

 その間、包みは地面にある。そこにある物を、私たちは見ているだけだ。

 柵の外の人は、包みを見ていない。投げた後はこちらの顔だ。数えて六つの間になる。

 それから、その人は一歩下がった。少し置いて、また前へ出る。止まった位置は前のままだ。

 中身は白くて四角い。角のところが少し崩れている。大きさは親指の二つぶんになる。


 落ちた時に崩れたのだと思う。落ちる前の形は分からない。


「これは記録しますか」

「数だけ記録しますね」


「中身は書きませんか」

「書く欄が無いんです」


 欄が無い。今年に入って、まだ二度しか聞いていない。一度目は一月の五日だ。

 去年の一年では十九度だった。それを十二で割ると、一か月に一度と少しになる。


 数えているのは私だけだと思う。他にいるかどうかは聞いていない。聞く形が出てこない。

 尋ねると、数えていることを言うことになる。言うと、それが仕事のようになる。


 仕事になったものは割当の表へ入った。載ると、時刻が決まる。


 二月はまだ半分以上あるので、今のところ多い。

 どちらかは、月が終わってみないと分からない。

 袋に入った包みは、係の人の脇に置かれた。場所は椅子の後ろになる。

 その位置は外から見えない。


 包みは十二時まで、そこにあった。終わってから、係の人が持って出ていく。行きぎわに袋の口を一度確かめた。


 所作は短い。


 十二時にふれあいが終わる。来館者が動き始めて、柵の前が空く。空くまでに四分かかった。

 柵の下に、包みの落ちたところの跡がある。それは白い粉で、拾った後にも残っていた。


 粉は雨で落ちると聞いた。

 降らない日が続くと、跡は重なる。重なった数を数えると、降らなかった日が分かるかも知れない。


 私は数えなかった。跡は三つ重なっている。下になったものほど薄い。

 薄いものから順に消えるのだと思う。


 しゃがんで見ると、粉は柵の下の敷石の目地に溜まっている。

 目地は指の幅の半分ほどで、そこだけ雨が入らない。入らないので、古い粉が残る。

 広場を出る前に、係の人がマットの数を数えた。六枚ある。数える時、指は使わない。


 数え終わってから、この人は一枚だけ位置を直した。動かしたのは新しいものだ。

 その後で、この人はマットの端を靴の先で二度押した。押すと下の紙が出る。幅は爪ほどだ。

 出た分を、この人は指で押し戻した。その時に紙の角が折れる。折れた角はそのままにした。


 直した幅は指の二本ぶんくらいだ。留めてあるはずのマットが動いた。

 金具は片側だけらしい。私は反対側を見なかった。確かめる用が無い。


 昼の給餌は四七〇だ。すずが向かいに座った。卓の脚に楔が入っている側になる。

 この人は汁を三口で飲む。今日は三口だった。先月は四口の日が二度ある。


「明日ね、会議なのよ」

「何の会議ですか」


「血統会議よ。毎年やってるの」


 私はその名を紙で見たことがある。


 去年の掲示に一行だけ出ていた。開催の日と、傍聴を認めない旨だ。字の高さは他と揃う。

 一行のほかには何も書いていない。何を決める会議かは書いていなかった。掲示の期間は七日だ。


 載っていないので、私は決まるものが何かを知らない。分からないままで、毎年十月に一行が出る。


「私たちは行きますか」

「個体は出ないから行かないわ」


「誰が出ますか」

「うちの部門の長と、機械が十二よ」


 機械が十二。私はその数を初めて聞いた。頭に置いて、卓の下で指を折った。

 第一号から第十二号まで、番号が続いているのだと思う。続いているのに、私が名を知っているのは第七号だけだ。


 十二という数を、私は何処にも書いていない。残す紙が無い。


「七番も出ますか」

「あの人は出ないと思うわ」


「どうしてですか」

「現場のあの人に上の話は来ないでしょう」


 すずは器を置いて、指を組んだ。その時に、左の親指が上へ来る。

 この人はいつも左が上だ。私は右になる。どちらが多いのかを、私は数えたことがない。

 現場と上。五郎は資料館を上と言う。H-0031は記録管理室を上と言う。

 すずは機構を上と言った。三人の指す場所は違う。高さも三つとも違った。


 資料館は坂の上にある。記録管理室は本館の三階にある。差は階の二つぶんになる。

 機構が何処にあるかを、私は知らない。行った人にも会っていない。


 午後の割当は無い。ふれあいの日の水曜は空く。

 午後の時間に、私は資料館の坂を上がった。行く用は無い。それなのに足が向いた。

 上がる前に、私は一度だけ立ち止まった。場所は坂の下になる。

 去年の十一月にも、ここで止まっている。あの時は初めてで、今日は用が無い。


 止まる理由が違うのに、場所は動かない。

 ここで足が止まるのは、坂の傾きが変わる手前だからだと思う。


 坂は雨で白い線が薄くなったままだ。線の内側を歩く。


 冬は坂の途中の継ぎ目のところで、風が横から来る。向きは決まっていて、右の頬に当たる。


 資料館の前庭に、来館者が四人いた。どれも建物を見ている。

 私は入口から入らない。券を持っていない。

 券は二百枚で一枚だ。私は去年、十九枚のために貯めた分を使いきっている。

 残高は二十七のままで、十月から動いていない。そのわけを書いた紙は、明細に無い。

 前庭の敷石は、入口へ向かって少しずつ狭くなっている。目の錯覚を作るためだと聞いた。

 あれは去年で、話したのは個体の誰かだった。名は覚えていない。

 扉のところに係の人が立っていた。私を見て、こちらへ来る。


「今日はお休みですか」

「割当がありません」


「そうですか。次は今度の日曜ですね」


 次の清拭は今月の第二日曜だ。今日から四日ある。

 一月の分が無いのは、年末年始の間に予定が動いたからだと聞いた。動かした紙は見ていない。

 一月の分を飛ばすと、板を拭かない期間が二か月あく。十二月の次が二月になる。

 二か月ぶんの埃が一か月ぶんの二倍かどうかは、やってみないと分からない。


 私は次の日を数えた。四日のうち、資料館へ上がる用がある日は零だ。


「今は何枚ですか」

「十九枚のままですよ」


「空きは埋まりますか」

「板を作る予定は無いようですね」


 この人は少し笑う。


「隅は前に棚だったんですよ」


 棚。私は第三室の壁を思い出した。

 正面にケースが並んで、外側の壁に板が掛かっている。棚は無い。


 壁の板は十九枚で、二十枚ぶんの場所がある。空きは右から四つ目だ。そこだけ壁の色が周りより濃く残っている。

 板の裏が壁を守っていた形をしている。

 その部屋には、無いものが二つある。板が一枚と、棚が一つだ。


 板の場所は右から四つ目で、棚の場所は隅になる。


 隅の床は他より色が明るい。新しいからだと聞いた。

 明るい四枚の外側に、爪の厚みほどの段がある。歩くと靴の底が一度当たる。


「何を置いていましたか」

「それがね、記録に無いんです」


「聞いた人はいませんか」

「私の前の担当も、聞いてないそうで」


 この人は前庭を見た。四人の来館者は、まだそこに立っている。


「外した跡が床に残っていましてね」

「跡ですか」


「脚のところが四つ、へこんでいたんです」


 四つのへこみ。私は爪の厚みほどの段を思い出した。

 新しい板と古い板の間に段が出来ていて、歩くと靴の底が一度当たる。


「へこみは埋めませんか」

「埋めるより替えるほうが早いそうで」


 早い側を選んだ。決めた人の名を、この人も知らない。


「替えた板は、何処へ行きましたか」

「処分したと思いますが」


「記録はありますか」

「木は第八類なので、様式が無いんですよ」


 第八類。私はその言葉を十二月に聞いている。

 二つを並べても、私には何も出ない。


 下りは千五百二十歩ある。今日は途中まで数えて、六百のところでやめた。

 やめたのは、数えていると坂の継ぎ目を見落とすからだ。継ぎ目は二つある。後の一つが段が高い。

 坂を下りると、E区画の前で五郎が立っていた。

 この人は前庭の掃除の割当がある。今日は箒を持っていない。


「上に行ってきたのかな」

「用はありませんでした」


「用が無い時に行けるのは、いいことだよ」


 この人は語尾が笑っている。顔は動いていない。

 私は五郎の顔をよく見る。顔と語尾が別々に動く人を、他に知らない。

 語尾が先に動く時と、後から動く時がある。今日は先だった。

 先に動く日は、この人は何かを聞いてくる。黙っている日は後になる。


「五郎さん、志願書は出しましたか」

「四月だからね。まだ二か月あるよ」


「今年で何年ですか」

「二十一年目になるかな。数えてくれるかい」


 二十一年目。この数を十二月に聞いている。

 あの時は綴りの数だった。二十一件目を書きます、と言った人がいる。


 私は指で数えようとして、やめた。

 片方は年で、片方は綴りだ。数だけが揃う。


「二十一です」

「そうかい。合ってるんだね」


 この人は前庭の柵を見た。下に、包みの落ちた跡が二つあった。

 今日の分が一つと、前の分が一つだ。前の分は色が薄い。


「今日も入ったねえ」

「見ましたか」


「あの音は他と違うから分かるんだよ」


 音が違う。私は落ちた音を思い出した。短い音だった。

 短いのに、この人は柵の外側にいて聞き分けている。


「何が入ってましたか」

「見ないようにしてるんだよ、私は」


「どうしてですか」

「見ると、拾いたくなるからね」


 この人は拾わない。

 割当の外のことをやると、表が動く。そういう例を、この人は見ているのだと思う。


「拾いましたか」

「二十年前に一度だけあったねえ」


 二十年前。この人が志願書を出し始めた年に近い。

 近いだけで、揃う年かどうかは聞かなかった。尋ねると、二つを結ぶことになる。

 夕方の給餌は四七〇だ。食堂の奥の卓に、すずとH-0006が並んでいた。珍しい組み合わせだ。

 私は隣へ座った。


「あなた、坂を上がったんですって」

「用はありませんでした」


「用も無く上がる人はいるものね」


 H-0006は器を両手で抱えた。冬はいつも両手になる。


「若いころに私もやったものね」

「上がりましたか」


「上がって、下りてきたのよね」


 すずが笑った。H-0006も声を出す。二人の笑い方は違う。

 すずは遅れて笑って、H-0006は先に笑う。


「それだけですか」

「それだけね。あると思ったのよね」


 私は少し笑った。それから、もう一度口の端が動く。

 二度目が長い。


 笑うと、胸のところで息が二度切れる。切れる位置は毎回変わらない。数は笑いの長さで動く。

 長い笑いが多い。


「二度笑ったわね」

「数えましたか」


「数えないわよ。聞こえたの」


 聞こえたと言うのに、この人は数を言った。

 数を言う人は、勘定していることが多い。私はそれを口にしなかった。


「あなた、笑うと目が細くなるのよね」

「なりますか」


「なるわ。前からそうよ」


 すずはそう言って、実を一つ食べた。実は今日も固い。

 夕方は鍋の回りが早い。煮た時間の短い分が残るのだと思う。


「何か変わりますか」

「毎年やって毎年同じで変わらないわよ」


「同じでも開きますか」

「そういうことは聞かないの」


 私は聞くのをやめた。やめてから、実をもう一つ食べた。

 二つ目のほうが柔らかい。同じ鍋の中でも、場所によって違うらしい。


 H-0006が卓の下で足を組み替えた。布の擦れる音がした。

 それから、この人は自分の器を私のほうへ少し寄せた。


「これ、多いのよね。食べてくれる」

「いいんですか」


「若いほうが要るんじゃないかしら」


 私は器から実を一つ取った。それから、二人の顔を見た。

 二人とも、こちらを見ていない。それなのに、私が取ったのは分かっていると思う。


 食堂を出る時、すずが後ろから来た。並んで歩く。

 廊下の途中で、この人は一度だけ立ち止まった。その先に何も無い。


「明日、あなたは何をするの」

「割当はふれあいです」


「明日も同じ隣に座りましょうか」


 明日も隣。私は頷いた。それから、それだけでは足りない気がした。


「はい」


 すずは笑わない。黙って、先に曲がった。

 曲がる手前で一度だけこちらを見た。それから行く。


 夜、居室へ戻ると、隣の人の寝台に人の形がある。

 私は自分の寝台の縁へ座り、袋の口を開けた。中を見て、閉じた。


 隣の人の毛布は、肩のところが出ている。今夜だけではない。

 この人は寝返りを打つと必ず右へ回る。その側の毛布が下がって、翌朝そのままになっている。


 私は直さない。手を出すと、触ったことが分かる。

 分かると、次からも直すことになる。次から先のことを、私はまだ決めていない。

 閉じてから、もう一度開けた。今度は中の木の札を出した。

 札は冷たい。持っていると、掌の温度で少しずつ温くなる。温くなるまでに数えると三十くらいかかる。


 札の縁は四つとも角が落としてある。削り方は右の下だけ浅い。

 そこへ指を当てると、爪の際に硬い感じが残った。位置は毎回変わらない。


 彫った字を指でなぞる。底で一度引っかかる。引っかかる位置は前と同じだ。

 私は同じところを三度なぞった。三度とも同じところで止まる。


 止まる位置が変わったら、私はそれに気がつくと思う。


 止まる位置と、指に来る硬さは別のものだ。硬さのほうは札の裏でも同じになる。

 裏には字が無い。何も無いところと有るところで、硬さは変わらない。


 私は札を袋へ戻した。それから、紙を上にする。

 上にすると、袋の形が平らだ。平らなほうが、枕の下で気にならない。


 枕は薄い。中の綿が真ん中で寄っている。寄った分だけ端が痩せた。


 痩せた端へ袋を入れる。厚いところへ差すと、頭の位置がずれる。


 ずれると、朝に首が痛い。痛い朝が続いた月があって、その時に置く場所を移した。

 変えたのは去年の秋になる。

 中の紙は二枚のままだ。増えていない。それなのに、私は月に何度も開ける。

 開ける回数を数えたことはない。


 明日、機構で会議がある。出るのは各園の部門長と、機械が十二だ。


 私は指で、寝台の板の目へ十二の字を書いた。跡は何も出ない。もう一度なぞった。

 二度書くと、覚えていられる気がする。


 窓の硝子は内側が曇っている。指で拭くと、拭いたところだけ外が出る。

 出るのは暗いところだけだ。拭いた跡は、朝には端から消えている。


 配管が鳴った。夜も来ることがある。


 鳴り方は朝より短い。二度で止まって、それきりだった。

 止まった後の天井は静かだ。静かなところに、隣の人の息だけが残る。


 息は数えると十のうち三つ入る。私のほうが速い。まだ横になったばかりだからだと思う。


──────────────────


日誌抄


作成 保全管理体 第七号

対象 令和二百十二年十二月二十六日から同月二十八日まで

抄出 機構 血統会議 事務の求めによる


十二月二十六日


一、本日の作業は返送資料の作成である。対象は当園の個体四百十三名とした。


二、行の作成を了した。所要は四時間二十分である。


三、標本化に係る書面を一件だけ資料館へ回付した。回付の様式は所定のものによった。


四、鉛筆を三本削った。削り屑は所定の容器へ入れた。容器は本年も同じものを用いている。


十二月二十七日


一、本日の作業は返送資料の照合である。


二、四百十三行を、二度通した。


三、前月の綴りと突き合わせた。異なりを認めた行は零である。


四、照合を求める定めは無い。求められた記録も無い。


五、所要は本日と翌日の二日にわたる見込みである。


六、当園の個体一名について、処置を実施した。番号は本日誌の別葉による。


七、鉛筆を二本削った。削り屑は所定の容器へ入れた。


八、本日の作業の時間は、所定の時間を三時間超えた。超えた分を記す欄は本日誌に無い。


十二月二十八日


一、照合を了した。異なりを認めた行は零である。


二、返送資料を発送した。送り状の日は本日とした。


三、本日は期限の当日にあたる。


四、当園の返送が期限内に到達しなかった旨の通知は、本年度も受けていない。


五、本日誌の抄出は機構 血統会議 事務の求めにより行った。求めの範囲は三日分である。


六、当該の範囲に二の項の作業を記した行が含まれる。含める旨の指示は無かった。


(作成 保全管理体 第七号)


七、返送の様式について


照合に要した二日を記す欄は、返送の様式に無い。設ける旨の求めも受けていない。

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