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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第三章 標本

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第039話 削りかす

物品分類表(抄)


第七版 令和二百八年改正

配付先 第七園の全部門

配付の日 令和二百十二年四月一日

本抄の範囲 一から八まで


一、趣旨


当園の保有する物品を分類することとした。分類は取得・保管・廃棄の各手続きに用いる。


当表に当たらない物については、適用が無い。適用が無い場合の取扱は定めていなかった。


二、大分類


第一類は器具である。第二類を消耗品、第三類を図書及び記録とした。


第四類は被服で、第五類が飼料である。第六類を薬品、第七類を標本、第八類をその他とした。


第八類へ属させた例は、令和二百八年の改正以降に無い。それ以前の例も記録に残っていなかった。


三、廃棄


廃棄は各類の定めるところによる。第一類から第七類までは、いずれも廃棄の様式を設けてある。


第八類の廃棄の様式は設けていない。設ける旨の議も残っていなかった。


第八類へ物を新たに属させるには、当係の議によることとした。議は書面による。


当該の書面の様式は、当表に定めていない。他の表によることとした例も無かった。


四、作業に伴い生じたもの


作業に伴い生じたもののうち、原形をとどめないものは物品として扱わない。


原形をとどめるかどうかの判断は当該の部門による。判断の記録は残さないこととした。


五、記録に用いる筆記具


鉛筆は第二類とした。年に一度、各部門の請求により交付する。


削った際に生じたものについての定めは、当表に置いていない。置く旨の議も残っていない。


削り器の受けに溜まったものを、当該の部門が別の容器へ移した例がある。移した先の容器は物品として第一類に計上した。


容器の中身については計上していない。計上する欄が当表に無い。


六、前条に係る照会


前条について当係が受けた照会は、令和百十七年以降に十九件である。


十九件のいずれについても当係は「当表に定めが無い」と回答した。回答の内容は十九件とも同一であった。


同一である旨を照会者へ示す定めは無い。示した記録も残っていなかった。


七、被服


第四類のうち、廃番の生地により調製したものは、他と分けて保管することとした。


分けた理由の記載は無い。分けた年は令和百八十二年であった。


当該の被服に係る調製の費用は第四類の全体の四割にあたる。割合を検討する旨の定めは置いていない。


八、備考


当表は五年ごとに見直すこととした。前回の見直しは令和二百八年である。


見直しにおいて、第八類へ属させる物を新たに定めた例は無かった。


当表の写しは各部門へ配付する。配付の記録は当係の日誌による。


(定める者 第七園 庶務係)


──────────────────


 十二月の朝は水が痛い。冷たいのではなく、指の関節のところが痛くなる。栓を開けてから十秒は白い。

 痛くなるのは右の人差し指と中指で、他は何ともない。使う指だけが割れる。

 私は六時に起きて、洗い場で顔を洗った。水は栓を捻ってすぐは白い。

 濁って見えるのは空気が混ざっているからで、桶に受けてしばらく置くと下から澄んでくる。私は待たないで使った。

 手の甲に細い割れが二本ある。左に一本、右に一本だ。


 右が長い。それなのに、痛むのは左になる。左の割れは指の付け根に近い。


 割れは十一月の終わりに出来た。何日かは分からない。


 朝に見て、無かったものが有る。それからは、毎朝そこを先に見る。


 軟膏は月に一度の日に頼めば出る。頼んだ人は三人いて、私は入っていない。

 入っていないのは頼まなかったからだ。申し出に紙は要らない。口で言えばよいと聞いた。


 朝の給餌は四七〇だ。木曜の食堂は早い。

 早いのは私が先に出るからだ。記録整理は九時に始まる。それまでに廊下と階段がある。


 汁の器は今日も熱い。持つと、掌の割れのところだけ痛みが遅れてくる。数えて三つぶんの遅れになる。


 その痛みは、器を置いてからのほうが強い。


 私は実を二つとも食べた。実は冬になってから固い。

 噛む回数が増えると、口の中の温度が上がる。

 廊下へ出ると、配管の温かさが右の肩へ寄ってくる。冬は左の壁が冷たい。


 左の壁の内側に何が通っているかは知らない。何も通っていないのかも知れない。触ると、指の先だけが冷たくなる。

 渡り廊下の硝子が曇っている。白いのは下から三分の一までで、上は透ける。

 指で拭くと、そこに水が集まって、下へ落ちた。線は一本だけ残る。


 記録整理の室は飼育部門の二階の東側にある。階段は二十二段だ。

 上りは数える。下りは数えない。そう決めた覚えは無いが、いつからかこうしている。


 扉が開いていた。木曜はいつもそうなっている。押さえの木は入っていない。

 そうなるのは、朝の換気の時刻が重なるからだと聞いた。誰からかは覚えていない。


 中に入ると、紙の匂いがする。


 紙の匂いの下に、鉛筆の匂いがある。それは木に近くて、削った直後だけ強い。濃いのは机のところで、扉の際までは来ない。

 七番は机に向かっている。私が入っても顔を上げない。


 顔を上げるのは、こちらが声を出した時だけだ。


「おはようございます」

「本日の割当は具申書の綴りです」


 私は棚のほうへ行った。棚は六段で、上の四段が綴り、下の二段は空だ。薄い綴りは上から三段目に並んでいる。

 綴りの背に年が書いてある。古いものが左で、新しいものが右だ。字は手書きで、太さが二通りある。


「何をしますか」

「二十件を年の順に並べます」


 二十件。私は指で背を数えた。左から順に二十ある。

 数え終わってから、逆から数えた。逆からも二十だった。


 綴りは薄い。一冊が紙の三枚か四枚ぶんしかなかった。

 持つと軽い。それで、二冊を一度に取ると重なった感じがしない。私は一冊ずつ取ることにした。


 机の左の奥に、木の箱が置いてある。壁からわずかに離れていた。指を入れると、第一関節までが入る。


 蓋は閉まっている。


「今日も削りますか」

「日誌は本日の分から書きます」


 この人は筆立てから鉛筆を一本抜いた。抜いてから、削り器を手前へ寄せる。

 削り器は手回しで、受けの部分が透明だ。中には何も入っていない。


 削り器の向こうに木の箱がある。上に蓋が載っている。

 蓋は今日も閉まっている。この人は箱に触らない。手を伸ばさずに、削り器だけを動かした。


 削る音は低い。回すのは右手で、押さえるのは左手だ。肘は机に付けない。


 押さえる指は三本で、親指と人差し指と中指だ。薬指と小指は浮いている。

 六回まわして止めた。抜いて、先を見る。それから、もう二回まわした。

 後の二回は短い。そのぶん、音も短い。


 削り器の受けを開ける。この人は木の箱の蓋を取って、そこへ落とした。

 落ちる時、一つが縁に当たって外へ出た。机の上に一つ残る。


 この人はそれを指で拾った。そのまま箱へ入れる。

 それから、指を作業着の脇で拭かない。そうする人はする。この人はやらない。


 私は綴りの一冊目を開けた。

 中は具申書だ。上に「具申書」とあって、下に年と番号がある。年は令和百十七年になっている。

 書いてあるのは、鉛筆を削った際に生じたものの取扱について、定めを設けたいということだった。


 文は短い。三行しかない。その下に、宛先と発出がある。


 次の紙は回答だ。一行で、当表に定めが無いと書いてある。


 その下に処理の欄があって、朱で印が押してある。印の字は「却下」だった。


 私は二冊目を開けた。

 中身は一冊目とほとんど同じだ。年が令和百二十二年になっている。文の三行は一字も違わない。

 三冊目も同じだった。年だけが違う。

 四冊目も同じだ。五冊目も違わない。三行の位置まで揃っている。


 私は六冊目からは開かないで、背だけを見て並べた。


 背の字は手書きだ。書いた人は同じではない。年によって「令」の一画目の長さが違う。


 長い「令」は古いほうに多い。新しいほうは短い。


 何処かで書く人が替わったのだと思う。替わった年を、私は探さなかった。


 綴りの紐は麻で、色が三通りある。生成りと、薄い茶と、濃い茶だ。

 濃い茶が一番古い。触ると、指に細かいものが付く。それは払うと落ちる。


 私は手を止めて、机のほうを見た。

 この人は日誌を書いている。手の速さは一定で、途中で止まらない。


「同じ紙が続いています」

「様式が同じであれば同じ文になります」


「毎年出すんですか」

「五年に一度です。当表の見直しに合わせます」


 私は背の年を見た。一番左が令和百十七年で、一番右が令和二百七年になっている。差は九十年だ。

 九十年を五で割ると十八になる。五年ずつなら綴りは十九だ。二十には届かない。

 合わないので、私はもう一度背を見た。年の並びが一箇所だけ詰まる。

 令和百九十六年と令和百九十七年が続いている。他は五年ずつ空いていた。


 私は令和百九十六年の綴りを取った。

 薄い。他より薄い。開くと、中に紙が一枚しか入っていない。


 紙の上には「具申書」とある。年と番号もある。

 文の欄は空だった。何も書いていない。

 その下の処理の欄に、朱で字がある。印ではなく、手で書いてある。筆の先が二つに割れていた。

 書いてあるのは「取下げ」だった。


「これは空です」

「本年度の分は本日回付されます」


 この人は私の言ったことに答えなかった。

 黙るのは初めてではない。この人は聞かれたことのうち、規定に無いものへは答えない。


 私は空の紙をもう一度見た。

 紙は他の十九冊より少し黄色い。古いからだと思う。ただし令和百十七年のものはもっと古くて、そちらは白かった。


 紙の下の縁に、指の跡がある。


 跡は二つで、両方とも同じ側に付いている。紙を横から持った人の跡だ。私は自分の指を並べてみた。私の跡より大きい。


 紙の上のほうに、番号を書く欄がある。番号は年ごとに一から振り直す形だ。

 この紙の番号は一になっている。令和百九十七年の紙も一だ。二つとも、その年の一件目にあたる。

 私は令和百九十七年のほうを開けた。こちらは文の欄が埋まっている。紙は三枚ある。

 三行の文は、他の十八件と一字も違わない。処理の欄には朱の印がある。字は「却下」だ。


 書かないで取り下げた翌年に、もう一度出して、三行を書く。

 順はそうなっている。並びは分かる。そのわけは、どの紙にも書いていない。


 私は綴りを閉じて、元の場所へ戻した。

 戻すと、隣の綴りとの間が空く。幅は指一本ぶんもない。


「令和百九十六年は何がありましたか」

「当該の年の記録は記録管理室にあります」


「ここは飼育部門です」

「本件の綴りは庶務係の所管です」


 この人は日誌を書き終えて、鉛筆を筆立てへ戻した。

 それから、こちらを向く。それでも、顔の角度が変わるだけだ。


「二十一件目を書きます」


 この人は新しい紙を出した。紙は綴じてない一枚だ。角は何処も折れていない。

 上のところへ「具申書」と書く。手の速さは日誌と同じだった。


 文の三行は、一冊目と同じ字で並んだ。私は横から見ていた。

 見ていても、この人は隠さない。そういう決まりが無いのだと思う。


「これも却下になりますか」

「前の十九件は同じ回答でした」


「知っていて出すんですか」

「五年に一度と決めています」


 この人は書き終えた紙を折らないで、盆へ載せた。

 盆は木で、縁が黒い。塗ってあるからではなく、手が当たるところだけ色が変わっている。


 この人は蓋を戻す。その前に、中の面が見える。八分目のところにある。

 十一月に見た時も八分目だった。一か月で増えた分は、目では分からない。


「捨てないんですか」


 この人は盆に手を置いたままだった。


「捨てる様式がありません」


 様式が無い。私はその言葉を去年一年で八度聞いている。数えたのは八度目の後からだ。

 八度のうち、後から様式が出来たと聞いた例は無い。九度目はこの人になる。

 昼まで、私は残りの綴りを並べた。

 年の順に並べると、令和百九十六年と百九十七年のところだけ背の高さが違う。ほかは揃う。


 三段目には二十冊を入れてもまだ空きがある。


 空きは右の端で、幅は掌ほどある。次の五年の分と、その次の分を入れても余る。

 私は空きのところへ手を入れてみた。奥の板に指が届く。


 奥の板には埃が無い。手前と同じ高さのところだけ、拭いた跡のように色が違う。


 並べ終わって、私は棚から一歩下がった。

 下がってみると、二十の背が一本の線になる。途中に、細いところが一つある。


 昼の給餌は四七〇だ。木曜の食堂は混まない。

 私は端の卓へ行った。近づくと、すずが先に座っていた。向かいにH-0006がいる。


「早いのね。今日は上でしょう」

「三階です」


「上の人は昼が早いのよね」


 H-0006はそう言って、汁の器を両手で持った。この人は冬になると必ず両手で持つ。

 夏は片手だ。


「もう決めた」

「何をですか」


「あなた、まだ聞いてないの」


 すずは器を置いた。それから、私へ体を向ける。


「年の終わりに、係の人へ何か渡すのよ」

「決まりですか」


「決まりじゃないわ。だから面白いのよ」


 決まりではない。禁止でもない。

 紙にも載っていなかった。書かれていないことをやってよいのかどうかを、私は知らない。


「去年は誰が渡しましたか」

「私は渡したわ。もう十年よ」


「何を渡すんですか」


 H-0006が笑った。声が短くて、卓の向こうまで届く。


「それがねえ、毎年もめるのよね」


 私たちの持ち物は決まっている。作業着と、寝台の枕と、支給された器だ。

 器は数が合わないと困る。作業着は割当の分しかない。枕は縫い目が開いていて、中が出る。

 五郎が卓の端へ来て、腰を下ろした。この人は座る前に必ず卓を一度叩く。


「その話ならね、私も混ぜてくれるかな」

「五郎さんは去年、何を渡したの」


「志願書の写しを渡したよ」


 H-0006がまた笑った。今度は長い。その笑いは息を継ぐところで一度切れる。


「受け取ってもらえなかったのよね」

「受け取られなかったねえ。丁寧に返されたよ」


「丁寧に返ると、余計に困るものね」


 五郎は笑っていない。それなのに、語尾が上がっている。

 この人はいつもそうだ。言い方のほうが先に笑っている。


「今年は何を渡しますか」

「今年もね、同じのを持っていこうかと思ってる」


「同じのは駄目じゃないかしら」

「駄目かねえ。二十年ぶんあるんだけどね」


 二十。私は今朝の綴りを思い出した。

 数が揃う。それなのに、中身が違う。片方は五年に一度で、こちらは毎年だ。


 H-0031が汁を持って通りかかって、立ったまま卓の端に置いた。

 この人は座らない。腰を下ろす時は下ろすが、話の途中では立っている。


「渡さない」

「去年も渡さなかったわよね」


「要らない」


 それだけ言って、この人は自分の卓へ行った。

 行く時に、五郎の背中を一度だけ指で押した。突かれて五郎が前へ揺れる。


「押されたねえ」

「押されたわね。仲がいいのよね」


 すずがそう言って、私のほうを見た。


「あなたは何を渡すの」

「まだ何もありません」


「無いなら作るのよ。みんなそうしてるわ」


 作る。私は自分の手を見た。爪の際に灰色が入っている。

 挟まっているのは埃で、洗っても一度では落ちない。この手で何かを作った覚えが無い。


「何で作りますか」

「布の端でも、紙でも、糸でもいいのよ」


 布の端。洗濯の時に、擦れて落ちた糸は捨てる決まりになっている。台の上に残るのは一日で十本ほどだ。

 捨てる場所は決まっていて、袋に入れて出す。それは月に一度替わる。


 私は昼のうちに洗濯室へ寄った。

 寄って、係の人に聞いた。


「糸は捨てますか」

「落ちた分は袋へ入れますね」


「袋の分はもらえますか」

「もらう規定は無いんですけど」


 この人はそこで少し黙った。

 少し置いて、袋を見て、それから私を見る。


「入れる前の分でしたら、まだ袋の物ではないですね」


 入れる前なら、まだ袋の物ではない。

 私は台の上に落ちていた糸を集めた。まとめると、掌の真ん中に載るくらいある。

 糸は白と、少し灰色がかったものが混ざっている。

 灰色のほうは古い作業着から落ちたものだ。私の作業着の袖の裏も、内側だけ色が薄い。


 午後は乾燥室の隅で、糸を撚った。

 撚り方は五郎が教えてくれた。この人は指の腹を使って、腿の上で転がすようにする。


「もう少し強く撚ってくれるかな」

「これくらいですか」


「そう。そこで折り返してね」


 折り返して、二本を合わせると、一本になる。

 合わせると太くなる。その分だけ、切れにくくなった。


 すずが来て、隣に座った。それから、私の手元を見る。


「不器用ね。でも去年の私よりましだわ」

「すずさんは何を作りましたか」


「私は髪を編んだのよ。自分の髪を切って」


 髪。私は自分の頭へ手をやった。私の髪は短い。

 短いのは切っているからで、その日は月に一度と決まっている。


「切っていいんですか」

「切るのは決まってるでしょう。切った分は捨てるじゃない」


 五郎が笑った。今度は声を出して笑った。


「みんな同じことを考えるんだねえ」

「同じというか、それしか無いのよ」


 乾燥室の隅は暖かい。天井の裏を管が通っている。中を行くのは湯だ。

 湯の通る時刻は決まっている。その少し後が、この隅は一番暖かくなる。壁に手を当てると、掌のほうが先に温まった。


 五郎は壁に背を付けて座った。この人は腰を下ろすと必ず足を組む。

 上に来るのはいつも右だ。


「五郎さんは、あれを何て呼んでるの」

「あの人かね。私は歩数の人と呼んでるよ」


「歩数の人ですか」

「給餌の時にね、卓の間を通る歩数が毎日同じでね」


「数えたの」

「数えたよ。三十四歩でね。雨の日だけ三十五になる」


 H-0006が笑う。すずも笑った。私は笑わなかった。

 その人が誰かを、私は思い浮かべられない。


「あなたも見れば分かるわ。傘を持つと歩幅が変わるのよ」

「傘は外だけですよね」


「持って入ってくるのよ、あの人。閉じてね」


 閉じた傘を持って屋内を歩く人がいる。私は見たことがない。話に出た傘は黒だった。

 会ったことがないのに、話を聞くと、その人が歩いているところが浮かんだ。


 H-0006はそう言って、自分の手の中の物を見せた。

 布の端を四角に折って、角を糸で留めたものだった。中に何か入っている。


「何が入ってますか」

「うちの区画の砂よ。前庭の」


「砂は物ですか」

「さあ。誰も数えてないでしょう」


 私は掌の上の砂を見た。粒は三つで、大きさが違う。


 撚っていると、指の腹が熱くなる。温まるのは片方だけだ。

 右で転がすので、右の指だけが熱い。左は糸を押さえているだけだ。

 途中で一度、糸が切れた。灰色のほうで、白いのは残っている。

 私は切れた両端を重ねて、そこを一緒に撚った。すると、その部分だけ太くなる。


 太いところは輪にした時に外へ出る。その分は指に当たる。


 当たるのは、指を三本入れた時の中指のところだ。


 すずが横から見て、何も言わなかった。


 言わないで、自分の手元へ戻る。この人の手元には、編みかけの黒いものがある。


 撚った糸は、夕方までに掌の長さの二倍になった。

 端を結ぶと、輪になる。大きさは小さい。指を三本入れると止まる。

 私はそれを二重にして、もう一度結んだ。

 二重にすると、指は二本しか入らない。

 夕方の給餌の前に、私は三階へ上がった。

 階段は二十二段で、上りは数える。今日はやめておいた。


 記録整理の室の扉は閉まっている。木曜の夕方はこうなる。

 私は一度立ってから、扉を叩いた。数は二回になる。


 中から声がした。私は扉を開けた。下の縁が床を擦る。

 七番は机に向かっている。盆の上の紙は無くなっていた。


「回付は済みましたか」

「本日十四時に回付しました」


「返ってきますか」

「前の十九件は五日以内に返っています」


 この人は日誌を閉じて、頁の間へ細い紙を挟んだ。


 挟む紙は毎回同じ切り方で、上に少し出る。その端は手で裂いた縁だ。


 机の上には、朝と同じ順で物が並んでいる。真ん中に日誌、右に筆立てと削り器、左の奥に木の箱がある。

 筆立てには鉛筆が四本入っている。どれも先の長さが揃う。削る日が一つだからだと思う。


 私は撚った糸の輪を、机の上に置いた。

 置いてから、手を引いた。


「物品の品名を伺います」

「糸です」


「用途は第七欄に入れます」

「用途はありません」


 この人は輪を見た。目だけで、手を出さない。

 見ている時間は短い。数えると三つぶんだった。


「受領の様式がありません」

「捨ててもいいです」


「捨てる様式もありません」


 この人はそう言って、輪のほうへ指を伸ばした。

 伸ばして、触らないで止めた。輪から指一本ぶん手前になる。


 それから、この人は木の箱のほうへ手を伸ばした。

 蓋は閉まっている。この人は蓋を取らなかった。


 この人は箱の横の空いたところへ、輪を置いた。


 置いてから、手を戻した。箱と輪の間は指一本ぶん空いている。


「本日の作業は十五時までです」

「はい」


「明日の割当はふれあいです」


 私は部屋を出た。行きぎわに、机の左の奥を見た。

 木の箱は同じ場所にある。蓋は閉まっている。

 蓋の上に、削りかすが一つ載っている。落ちた時に外へ出たものだと思う。

 この人はそれを拾わなかった。


 私は数えなかった。勘定を書く紙が無い。


 階段を下りる。下りは数えない。

 途中の踊り場で、外の光が横から入った。冬は角が低い。そのぶん、床の明るいところが奥まで来る。


 夕方の給餌は四七〇だ。食堂に入ると、すずが手を上げた。

 それから、すぐ下ろす。この人は挙げた手を長く出しておかない。


「渡してきたの」

「置いてきました」


「何て言われた」

「様式がありませんと言われました」


 H-0006が笑う。五郎も笑った。

 すずは笑わないで、汁を飲んだ。それから器を置いて、そこで笑う。出るのは他の二人より遅い。


「そう言われるのよ。毎年ね」

「毎年ですか」


「毎年よ。それでも渡すの」


 H-0006が卓の向こうから身を乗り出す。前へ出ても、器は動かさない。


「私も同じに言われたものね」

「何を聞きますか」


「一度聞いてみたらどうかしらね」


 五郎が汁を吹く。それから、袖で卓を拭く。

 拭いた跡は細長い。


「来年は私のぶんも聞いてくれない」

「そんなの聞いたら明日から呼ばれるわよ」


 すずが言うと、五郎は黙る。それから、器を両手で持ち直す。

 持ち方だけが動く。飲む速さは元のままだ。


 私は自分の器を持った。握ると、掌の割れのところが痛い。

 痛みは握っている間だけだ。置くと引く。その後も、そこだけ熱が残った。

 卓の脚の下に、木の楔が挟んである。入っているのは一本の脚だけだ。


 楔は薄い板を三枚重ねたもので、一番下の一枚が半分ほど出ている。その分を押すと入る。それでも、次の日には同じだけ出ていた。


 卓の上に、H-0006の作った四角い袋が残っていた。


 この人は渡しに行っていない。まだ持っている。


「明日でいいのよ。急がないの」


 私は頷く。それから、実を一つ口へ入れた。

 実は昼のものより柔らかかった。夕方の鍋は回りが早い。


 居室へ戻ると、隣の人はもう横になっていた。

 私は寝台の縁に座って、掌を見た。糸を撚ったところだけ、皮膚の色が薄くなっている。


 薄くなったところは指の腹の中央で、幅は爪の半分ほどある。


 押すと少し痛い。触らなければ何ともない。


 私は寝台に横になった。


 天井の板の、六枚目の継ぎ目を見る。冬はそこの色が濃い。変わるのは十二月に入ってからで、春には戻る。


 今日の糸は、掌の長さの二倍あった。二重にして輪にすると、手前の半分になる。

 半分になっても、糸の量は減らない。動いたのは形だけだ。


 洗濯の日は台の上に糸が落ちる。それは袋へ入れる。

 袋へ入る前の糸を、私はまた集めるかも知れない。

 集めても、渡す先は年に一度しかない。

 年に一度と決めたのが誰かを、私は聞かなかった。すずも言わなかった。


 消灯の前に、廊下で足音がした。一人ぶんで、遅い足音だ。

 足音は私の扉の前で止まらないで、そのまま向こうへ行った。


 外は暗い。硝子には何も映らない。廊下の灯も落ちている。

 映らないのに、私は硝子を一度見た。


──────────────────


具申処理簿


第七園 庶務係

対象 鉛筆の削り屑の取扱に係る具申

作成日 令和二百十二年十二月十六日


一、本簿の趣旨


標記に係る具申の受理および処理を記録することとした。


本簿は令和百十七年から継続して用いてきた。様式の改正は無かった。


二、件数


本日までの受理は二十一件である。うち処理を了したものは二十件であった。


二十件のうち、十九件の処理は却下である。


三、発出者


二十一件のすべてが同一の発出者によるものであった。発出者は保全管理体 第七号とした。


他の者による同種の具申は、本簿の範囲に無い。


四、間隔


受理の間隔は五年であった。物品分類表の見直しの年に合わせてきた。


ただし令和百九十六年および令和百九十七年の二件は、間隔が一年であった。


五、令和百九十六年の件


当該の件は取下げにより処理を了している。


取下げの申出は書面によった。書面の様式は定めがなく、当係が受理した。


六、回答の内容


十九件の回答はいずれも「当表に定めが無い」であった。


文言は十九件とも一致している。一致させる旨の定めは置いていなかった。


七、本日受理の件


本日十四時に一件を受理した。本年度の分にあたるものであった。


処理は当係が行う。期限は受理から五日以内とした。


八、備考


本簿の保存年限は定めていない。定めない旨の記載も無い。


本簿の欄外に朱肉の跡が二つある。押し損じたものと認められるが、押し損じの記録は残していなかった。


本簿の綴じ紐は麻とした。取り替えた年の記載は無い。取り替える旨の定めも置いていない。


本日の処理の欄に押した印は、他の頁より色が薄い。朱肉を替える旨の定めは無かった。


(作成 第七園 庶務係)

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