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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第三章 標本

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29/70

第029話 資料館一般公開日

開館記念 一般公開のご案内


日時 令和二百十二年十月十日(日) 九時から十七時まで

場所 国立人類保全園 第七園 資料館

発行 資料館


一 開館記念について


本館は令和百六十一年十月十日に開きました。本日で五十二年目に入ります。


毎年この日を一般公開の日としています。取りやめた年はありません。


二 観覧料


本日は一般の観覧料を要しません。


園内の個体が観覧する場合は、通常の半額といたします。半額の取り扱いは本年で三度目です。


半額としなかった年もあります。取り扱いは毎年、開館記念の起案の際に決めています。


三 順路


順路は一方通行です。第一室から第四室まで順にお進みください。


戻ることはできません。見落としたものがある場合は、もう一度入口からお進みください。


本日は再入館の回数を制限いたしません。


四 展示


展示ケースは二十基です。すべて第三室にあります。


第一室と第二室と第四室は、壁と台に置いています。ケースには入れておりません。


入口の内側に陳列棚が二基あります。順路の外にありますので、お入りの際にご覧ください。


展示の入れ替えは行っておりません。本日の展示は昨日と同じです。


五 混雑


昨年の入館者は六千百四十名でした。最も混みますのは十一時から十三時までです。


入口の段は三段あります。段の上でお立ち止まりにならないでください。


六 撮影


撮影はできます。発光装置はお使いになれません。


第三室のみ撮影をご遠慮いただいています。照度の管理によるもので、その旨を室の入口に掲示しています。


七 園内の個体の観覧について


本項は来館者向けの記載ではない。案内の裏面に刷ってある。


観覧の申出は当日、窓口において受ける。事前の申込は要しない。


同行者は要しない。従前は区画の担当が同行していたが、令和二百四年に取りやめた。取りやめの経緯は当時の起案に一行ある。


観覧の記録は入館者数に含める。個体の別は入館者数の内訳として示す。前年度の個体の入館は五件、本年度は本日の前日までに二件であった。


窓口における枚数の確認は、二人で行うこととした。数え直しは求めない。


観覧の途中で退出した場合の取り扱いは、来館者と同じとする。再入館は本日に限り回数を問わない。


本項の起案は毎年八月に行う。半額の可否は、当年の観覧料の収入の見込みにより決めている。


(資料館)


──────────────────


 私は枕を持ち上げた。

 十月十日の朝で、日曜になる。五時に目が覚めた。

 下に布の袋がある。交換所で五枚と替えたもので、口に紐が通してある。紐は綿で、端がほつれている。


 中身を出して床に並べた。十枚ずつの山を作る。

 十二の山が出来て、七枚が残る。百二十七枚だ。数え直しても十二と七になる。


 百二十七を数えるのは今朝で三度目だ。昨夜も数えた。その前の夜も数えた。

 どの晩も百二十七だった。

 どれも樹脂だ。直径は二センチほどで、片面が少し窪んでいる。指で挟むと、厚みは三ミリに足りない。

 窪みに指を入れると止まる。止まる深さは爪の半分だ。


 重ねると鳴る。乾いた音で、十枚を超えると低くなる。二十枚になると、音が一つに潰れる。

 私は百枚を数えて、別の山にした。残りは二十七枚だ。


 二十七枚は袋へ戻して、枕の下へ入れた。

 百枚は別の布に包んだ。包むと拳より少し大きい。持つと片側へ寄る。歩くと寄った側だけが揺れる。


 布は新しい。まだ洗っていないので、交換所の棚の匂いがする。折り目が四本、まだ角のまま残っている。

 それは乾いた匂いで、鼻の先で止まる。奥まで来ない。


 朝の給餌は四七〇だ。十日目になる。匙の運びは五十一回で止まった。


 食堂は日曜なので声が多い。

 当番の無い人がいて、その人たちは食べ終わっても座っている。その前を通ると、卓の間が狭くなる。


 三八〇の人が向かいに来た。この人の皿は四一〇だ。縁の高さが私のと五ミリ違う。

 私は布の包みを膝の上に置いた。乗せると膝が重い。


「持ってるわね、それ」

「はい」

「今日ね」

「今日です」


 この人は匙を止めた。それから、私の膝のあたりを見る。


「よく貯めたわね」


「はい」

「私には出来ないわ」


 私は続いたと思っていなかった。

 毎月、置く場所が同じだっただけだ。


「何を見るの」

 この人はそう聞いた。

「見てきます」

「答えになってないわ」

「はい」


 この人は笑った。それから、三口分を私の皿へ移す。

 その時、匙の腹を皿に付けて滑らせる。音は出ない。


「食べていきなさい。歩くんだから」

「はい」


「あんた、それ持って坂を上がるの」


「上がります」

「腰をやるわよ。私は去年やったの」

「治りましたか」

「治らないわよ」


 卓の周りが笑った。この人も笑う。

 それから、この人は腰のところを二度叩いた。手が行く場所は右の後ろだ。


 卓の端にH-0031がいた。日曜は洗わない。前の日のぶんを干して、夕方に取り込むだけになる。

 今日は袋が少ないらしい。少ない日は早く終わる。十時半には竿が埋まった。


「行くの」

「行きます」

「戻れない」

「戻れない」


 去年、この人は二年かけて券を買った。


「一時間半」

「かかりますか」

「速くない」

「速い人もいますか」

「知らない」


 この人は布を絞る手を止めない。動かしたままで、目の下の線が三本になった。

 この線は二本の日と三本の日がある。


 食堂を出るところで五郎に会った。

 この人は日曜の朝が遅い。ふれあいの当番が午後からになる。


「今日だって聞いたよ。誰かが言ってたけど」

「はい」


「上がる時は右足からにしてほしい」


 私は段のことだと分かった。

「決まりですか」

「決まりじゃないよ。真に受けないでほしい」


「何があったか、戻ったら教えてほしい」

「はい」

「聞くだけでいいんだ。行かなくても」


 周りに三人集まってきた。どれも当番の無い人だ。

 一人は座らない。一人は手を拭いている。もう一人は眉の片方が上がらない。


 集まると、話は段の話になった。右足からがいいと言う人と、関係ないと言う人がいる。


 手を拭いている人が先に言った。

「関係ないわよ。私は左からだったもの」

「入ったのか」

「入ってないわよ。掃除で三段目まで上がったの」


 卓が鳴った。誰かが匙を落としたからだ。当人も笑っている。


「何時に戻るの」

 座らない人がそう聞いた。

「分かりません」

「一時間半だって言ってたわよ、あの人」


 眉の人が首を振った。

「一時間半で済むかね。見るだけだろう」

「見るだけじゃないのよ。上がるんだから」


 座らない人がもう一度聞いた。

「見るのに一時間半かかるのか」


 三人で決めることになった。手を拭いている人は昼までと言い、眉の人は昼を過ぎると言う。

 座らない人は「戻ってこないほうに賭ける」と言って、また笑わせた。


 賭けるものは無い。枚は賭けに使えない決まりがある。


 出るのは九時にした。門はその時刻に開いて、混むのは十一時からだ。


 道は坂を上がる。千七百歩ある。歩幅は日によって二十歩ぶん動く。

 前に数えた時と同じ数だ。上りが千百で、残りが平らになる。

 上りは指の付け根に来る。平らは踵に来る。

 今日は膝の上に重さがあるので、上りの途中で持ち替えた。そうすると、寄る側が入れ替わる。


 区画の脇を順に上がる。下からDで、その後にCとBが来る。

 前庭の洗濯物は日曜のほうが多い。Dが二十一で、Cが三十四だ。Bは数えるのをやめた。途中で息が切れた。

 坂の途中に木が二本ある。片方は葉が残っていて、片方は落ちている。

 落ちたほうの根元に、葉が集めてある。寄せた人は見えない。


 坂の左に側溝がある。蓋は乾いている。隙間に耳を寄せると、下の水の音がした。

 九月の終わりから雨が降っていない。それなのに、下から出る匂いは無くならない。薄くなるだけになる。


 正門の内側に人が並んでいた。

 開くのを待っている人たちだ。並び方は列ではなく、固まりになる。外側に子どもがいて、内側に大人がいる。


 子どもは動く。大人は動かない。

 子どもが動く分だけ固まりの形が変わる。それでも大きさは動かない。


 子どもの一人がこちらを見る。それから、大人の袖を引く。

 大人は見ない。袖を引かれても前のほうを向いている。

 人の匂いがした。外套だ。前に嗅いだのは去年の秋になる。

 外から来た布の匂いで、園の中には無い。乾いていて、少し埃に似ている。何人分かが重なると重くなる。


 私はその横を通った。誰もこちらを見ない。

 見ないのは、私が作業着を着ているからだと思う。この服の人は毎日ここにいる。


 資料館の前に着いた。

 白い壁で、下の材は灰色だ。欠けたところから灰色が見える。欠けは低いところに多い。


 私は一段目に足を掛けた。二段目、三段目と踏んでいく。

 ここまでは掃除で上がる。踏む場所も決めてあった。左の端は欠けているので、真ん中にする。


 三段目の上に白い線が引いてある。線の手前に立て札があって、膝の高さだ。

 この先は観覧券が必要です、と刷ってある。字は毎年同じで、私は毎回読まない。


 その横が窓口になる。硝子の向こうに人が二人いた。片方は座っていて、片方は立っている。

 一人は前に見たことがある。板を三枚受け取りに来た人だ。伝票に書いて、二枚だけ持っていった。


 私は窓の前に立った。誰も声を掛けてこない。待ったのは数えて十四だ。

 私は布の包みを台に置いた。木の台なので音がする。


「観覧ですか」

「はい」

「半額の日です。百枚になります」


 この人は包みを開けた。それから、両手で数える。

 十枚ずつに分ける。できた山を右へ寄せて、寄せた分をもう一度あらためる。二人でやるので、同じ山が二度動く。


 数え終わるまでに二分かかった。待っている間、私は山の数え直しを目で追う。

 二人の数え方は違う。一人は指で押し、一人は目だけで送る。それでも、数は合う。


「百枚あります」

「はい」


 券が出てきた。紙だ。手のひらの半分ほどで、上に番号が刷ってある。

 番号は五桁だ。下の二つが今日の日付と同じになる。


「順路は一方通行です。戻れません」

「はい」

「今日は何度でも入れます」


 券を受け取る時、指が窓の縁に触れた。縁は木で、触ると滑らかだ。

 よく滑るのは削ったからではない。触られた回数のぶんだと思う。


 靴の先に白い線がある。

 幅は指一本ぶんしかない。


 四段目で、足が高さを間違えた。

 手が先に出た。


 枠を掴んで、それから足を揃えた。触れたところは冷たい。

 金属で、朝のうちは温まっていない。掌の側だけが冷えて、指の側は冷えなかった。指の掛かりが浅い。

 枠の裏側に埃が溜まっている。爪の間へ入った。灰色で、指で擦ると伸びる。


 後ろで誰かが「大丈夫ですか」と言った。来館者の声だ。

 私は「はい」と答えた。それから、四段目に両足を揃えた。


 扉の内側は冷えている。

 冷えた空気には匂いがある。特定の物ではなく、何も無いことの匂いだ。乾いていて、鼻の奥に入るとそこで止まる。


 前に外から嗅いだ。扉の下の隙間から出ていた分だ。

 その時のものは細かった。中に入ると、それが全部の高さで来る。


 入ってすぐのところに陳列棚が二つあった。

 硝子の扉が付いていて、廊下から中が見える。順路はその脇を通る。


 片方の棚に、黒くて薄い板が立ててある。手のひらより少し大きい。厚みは一センチほどになる。

 生息環境展示にあったものと同じ形だ。下に札があって、資-〇八八とある。横に移管の年が刷ってある。今年の三月だ。


 私は棚の中のものを数えた。一つだけだ。台に載っていたのは二つあった。

 私は硝子へ耳を寄せた。硝子は冷たくて、こちら側の音しか来ない。あの時は耳に当てて、何も来なかった。

 隣の棚は写真だ。三枚あって、机の天板が写っている。どれも斜め上から撮ってある。

 彫った跡が写っている。刻んであるのは番号だ。三枚とも位置が違う。端と、真ん中と、脚に近いところだ。

 札には資-〇八九とある。その下に「記名の記録」と書いてある。

 私は硝子へ指を当てた。写真の彫り跡の上だ。当てても凹まない。この天板で字を習った。


 第一室は明るい。

 壁が白くて、天井に灯が並んでいる。灯の数を数えた。十四ある。


 正面に大きい写真がある。古いもので、色が薄い。

 写っているのは建物だ。今の資料館ではない。屋根の形が違う。


 写真の下に板がある。そこに字が並んでいる。

 私は読んだ。時間がかかったのは、字が小さいからだ。


 字の大きさは二種類ある。数のところだけ大きい。数の字は高さが二倍ある。

 大きいのは遠くから見えるようにだと思う。私は近くで読んだ。寄って読むと、大きい字は追いにくい。


 収容が始まった年のことが書いてある。

 外にいた個体は、その年の推計で四百を下回っていた。四百は数えられる数だ。


 この地に集めたのは百四十だと書いてある。雌が八十二、雄が五十八になる。

 今、この園の在籍は四百十二だ。板の隣に別の紙が貼ってあって、そちらに今年の数を刷ってある。


 板の一番下には機構の全体の数が入る。三千を超えていると書いてあった。

 私は板の前から動かなくなった。そうしている間に、足の裏が冷える。


 立っている間に来館者が三人通った。三人とも板を読まない。写真だけ見て次の部屋へ行く。

 止まるのは硝子の前だけになる。

 第二室は物が並んでいる。

 台の上に箱があって、箱の中に道具が入っている。道具は昔のものらしい。使い方の分かるものと分からないものがある。


 台の端に、見て分かるものが一つあった。皿だ。置いてあるのは一枚きりになる。

 白くて浅い。今の皿より底が近くて、直径は同じくらいになる。


 縁に数字が無い。底にも無い。

 札には資-〇九一とある。給餌用食器(旧型)と書いてあって、移管の年は今年の五月だ。

 私は皿の縁を指でなぞった。一周する。

 途中で止まるところが無い。今朝の四七〇も止まらなかった。

 四三〇の三の角は、私の指で丸くなっていた。その皿は九日前から東倉庫にある。


 第三室に入る。ここが一番広い。歩くと、足音が三度返ってくる。

 入口に掲示がある。撮影を遠慮いただく旨と、理由が書いてある。理由は照度の管理だ。

 硬い床だ。園の廊下は足の音が吸われる。ここは吸われない。

 誰かの靴が鳴ってから、その人が見える。


 室の中は暗い。ケースの中だけが明るい。

 光っているのはケースの上に細い灯が入っているからで、天井の灯は落としてある。


 ケースは硝子だ。四面とも透けていて、台の上に載っている。

 私は数えた。始めたのは入ってすぐで、順路に沿って進むと自然に数になる。


 左の壁に六、正面に八、右の壁に六だ。合わせて二十だ。

 案内に書いてあった数と合った。それで、私はもう数えなかった。


 中身は同じではない。

 全部のかたちがあるのは四つだ。頭だけのものが七つ、骨のものが五つ、あとは一部だけになる。


 全部のかたちの四つは背が高い。立っているのが三つと、座っているのが一つだ。

 座っているものは台が低い。そのぶん硝子の上に手を置ける。跡は無い。拭いてあるからだと思う。

 座っているのは女の人だ。膝の上で手を組んでいる。

 指の重なりは右が上になる。私は自分の手を同じ形にしてみた。私は左が上だ。

 入れ替えると、そのまま止まる。置いておくと途中で元へ返る。戻るまでに十数える。


 立っている三つは、背の高さが揃っていない。一番低いのは私より低い。


 隣に立った来館者の頭は、硝子の縁より少し上にある。

 その人が屈むと、目の高さが並ぶ。そこで、こちらだけが動かない。


 硝子に近づくと、頬の前だけが冷える。

 冷たいのは箱の中が別に冷やしてあるからだと思う。手の甲を向けても同じ幅で来る。幅は指三本ぶんだ。


 離れると戻る。戻るのに数えて四つかかる。


 ケースの下に板が付いている。白くて、字は黒い。板の幅は硝子の幅の半分だ。

 書いてあるのは部門の名と、在籍の年数の二つだ。名前は出ていない。番号も無い。


 名前は壁にある。木の板で、彫ってあった。縦が十センチ、横が二十五センチになる。

 私は彫りへ指を入れた。爪の先で止まる。


 壁の板は横に並んでいる。ケースの順と同じらしい。

 彫ってあるのはひらがなで、二つか三つだ。四つ並ぶものは一つも無い。


 名前の下に数字がある。四桁と、その下にもう二つ。彫りは名前より浅い。

 数字の頭には字が一つ付いている。私の番号の頭にあるのと同じ形だ。

 左から三つは同じ形で、四つ目だけが違う。


 私は板を見て歩いた。一つずつのケースの前で止まると時間が足りない。

 そこで、名前だけを追った。三つのものが八つある。

 頭の形も追った。私と同じものは一つだけで、それが三つのほうにあった。私はそこへ戻って、もう一度読んだ。


 知っている音の並びが四つあった。どれも園にいる人の名ではない。


 彫りの深さは板によって違う。二枚だけ、指が第一関節まで入った。

 その二枚だけ、木の色が周りより白い。


 硝子に息がかかると白くなる。白くなったところは下から順に消える。

 消え終わるまでに数えて六つかかる。私は二度やった。どちらも六つだ。

 三度目はやらない。人が来る。振り向く前に、足音が近づいた。


 右の壁の途中で、立った一つの前を通った。

 片方の手が少し前に出ている。その手の指は開いていた。開いた形で止めてある。


 その隣のケースが空いていた。


 硝子は同じだ。台も同じで、上の灯も点いている。

 点いているのに中に何も無い。灯は台の真ん中を照らしている。


 台には埃が無い。


 私は台の高さに目を合わせる。そうすると、硝子に自分の顔が映る。

 ほかの箱では映らない。中に物があると、そちらが先に見える。


 顔は硝子の真ん中に来る。台の真ん中は灯が照らしている。

 灯の当たるところと、顔の位置は重ならない。いつも、少しずれる。

 下の板が無い。付いていた跡も無い。

 壁のほうも、そこだけ空いている。左右の板の間が、ほかより広い。


 私は下の板の年数を読んだ。二十、三十一、四十四とある。

 一番短いのが十九だ。それより下は一つも無い。


 私は五だ。

 五の板は無い。


 私は壁の板を数えた。十九ある。数え直しても十九だ。

 ケースは二十ある。


 板は端から順に掛かっている。間隔は指四本ぶんで揃っていた。

 空いているところだけが指八本ぶんある。


 私はその前に立った。そこにいた時間は自分では計れない。

 はっきりしないが、後ろから来た人が私を抜いた。その人は空の箱を見ないで通った。


 次の人も横を通り過ぎる。


 係員が近くにいた。壁のところに立っている人だ。上着の色は来館者のものと違う。

 私は聞いた。


「何か入りますか」

「入る、というと」

「これからです」

「そういう話は聞いていません」


 この人は空いている箱を見た。それから、目をこちらへ戻す。

「開いた時からこうです」

「五十一年ですか」

「私が来る前からです」


 この人はそれ以上言わない。言わないで、少し横へ動いた。

 動いたのは、後ろから人が来たからだ。誰かが通ると、私と硝子の間に一度何かが入る。


 私は初めのほうをもう一度見たくなった。順路は戻れない。


 第四室は短い。

 入ってすぐの壁に、来年度の予定を刷った紙が貼ってある。月ごとに一行ずつ入っている。

 二月の欄だけが空いている。


 壁の残りは紙だ。園の歴史の年表と、写真が何枚かある。年表の一番下は去年で終わる。


 上の端は開園だ。そこから百六十年下がったところに、この建物が開く。

 百六十年の間に行が並ぶ。行が一つも無い年が七つあって、そのうち三つは続いていた。


 私は自分の生まれた年を探した。無かった。

 出口は自動で開く。開く時に鳴る。

 入口の扉と同じ音だ。中では届かない。外へ出ると届く。


 外は明るい。それなのに、目が慣れるまでに時間がかからなかった。


 段を下りる。下は速い。上りより速く終わった。


 下りは千五百二十歩だ。前に数えた。上りと比べて、百八十歩少ない。

 今日は数えなかった。数えなくても着く。時刻だけが少し早い。


 途中で券を見た。券はまだ持っている。上の番号は朝と同じだ。


 園の中に戻ると、匂いが変わった。

 洗剤と、完全栄養食の蒸れた甘さになる。腰から下に洗剤があって、上に食べ物がある。


 H-0031が洗濯室の前にいた。干し終わったところらしい。籠が三つ、足元で重なっている。

 この人は私を見て、手を止めた。


「早いじゃない」

「一度で出ました」

「一度じゃない」

「同じ日にですか」

「同じ日しかない」


 この人は券のことを言っている。去年の一般公開日は半額ではなかった。二百枚を出して、二度入っている。


「何があったの」

 この人はそう聞いた。

「標本です」

「それは知ってる」

「二十と十九です」


 この人は少し黙る。それから、目の下の線が二本のままで口を開いた。

「私は数えてない」

「数えませんでしたか」


「見てた」


 私は何を見ていたのかを聞かなかった。


 この人は袋を持ち上げた。それから、もう一度こちらを見る。

「空いてるやつ」

「はい」

「去年も空いてた」


 そう言って、この人は中へ入る。

 入る時、袋の角が枠に当たった。その音は乾いていた。


 昼の給餌は正午になる。私は間に合った。着いたのは五分前だ。

 卓に着くと、当番の無い三人がいた。席は動いていない。


 三人は食べ終わってからも座っている。日曜にはそういう人が多い。

 座らない人だけは立って食べる。皿を胸の高さで持って、匙のほうを動かす。

 私の皿は四七〇だ。運ばれてきた時に湯気が上がっていた。朝は出ていなかった。


 手を拭いている人が匙を止めた。

「昼までだったわ」

「早すぎるだろう。一時間半じゃなかったのか」

 眉の人がそう言った。座らない人は何も言わない。


 三人がこちらを見た。私は匙を取った。

 そこで、賭けは手を拭いている人の勝ちになった。


 この人は匙で卓の縁を二度叩く。叩く音は皿の縁より高い。叩いてから食べ始めた。


 午後、控室の前で五郎に会った。

 ふれあいから戻ったところらしい。手を洗っていて、洗い終わっても水を止めない。


「戻ったね。何があったか聞かせてほしい」

「線の向こうへ入りました」

「線の向こうは知らないな。二十年いるのに」


 この人は水を止めた。それから、手を振って乾かす。

 振る回数は七回だ。振った水が私の腕に掛かる。この人は謝らない。


 この人は笑った。それから、少し黙る。

 黙っている間も顔は笑っている。


「もう一つあるかい。無ければいいんだ」

「一つ空いていました」


「灯は」

「点いています」


 この人は手を止めた。止めた手はまだ濡れている。

 その手のままで、この人は控室の扉を見た。それから、こちらへ戻す。


 この人は扉を押さえて、後ろの人を先に通した。

 それから自分が入る。順は毎回そうなっている。


 夕方の給餌は四七〇だ。三度目の四七〇になる。

 終わってからも卓に座っていた。


 三八〇の人が隣に座る。

「どうだった」


「行きました」

「それは分かってるわよ」


 この人は口を開けたが、声は出さなかった。それが笑ったということだ。

 私は「白かったです」と言った。


「壁の話をされてもね」

「はい」


「まあ、いいわ。行ったんだから」


 この人は私の皿の縁を指で弾く。音が鳴る。

 自分の四一〇も弾いた。こちらは鳴りが低い。厚みが違うらしい。

 交互に弾いていると、向かいの人が数を数え始めた。数え終わる前にやめた。


 この人は匙を置いて、卓の上で指を二度動かした。段を上がる形だ。

 二度で止めた。三度目は動かさない。

 居室へ戻って、枕を持ち上げた。

 袋がある。中を出して、床に並べた。


 十枚ずつの山を作ると、二つの山と七枚が残る。

 二十七枚だ。朝と同じ数になる。


 私は二度数えた。二度とも二十七だ。


 券を袋の中へ入れた。券は紙なので、樹脂の間に挟むと折れる。

 折れないように、私は券を一番上に置いた。そうすると、袋の口が少し膨らむ。


 券にはまだ今日の日付がある。窓口が閉まるのは五時で、私が下りたのは十一時前だ。


 六時間あった。六時間で、坂は二度上がれる。

 私は上がらなかった。


──────────────────


国立人類保全園 第七園

資料館


展示目録(抄)


作成 資料館

作成日 令和二百十二年十月十日


一、区分と点数


 区分      室  点数

 写真および図版 第一 十一

 用具      第二 二十九

 標本      第三 十九

 移管資料    入口 二

 移管資料    第二 一

 年表および記録 第四 十五


合計は七十七点であった。


二、標本


第三室の標本は十九点であった。区分は全身四、頭部七、骨格五、部分三である。


標本番号は通し番号による。開館の際、それ以前の登載分へ遡って付番した。払い出した番号は一二六までであった。


現在の登載は四十一体である。残る八十五は帳から落とした。


落とした事由は三つある。他園への移管、破損、由来の不確定とする。


名称は板に彫り、ケースの外の壁へ掛けた。ケースの下の板には、部門の名と在籍の年数のみを記す。


三、照度


第三室の照度は毎年五月に測った。本年の測定値は基準の内側であった。


撮影を遠慮いただくこととしたのは照度の管理による。旨は室の入口へ掲示した。


四、清掃


清掃は月に一度、全ケースについて行った。台の上面および硝子の四面を対象とした。


清掃の記録は資料館において保管した。前回は九月十二日である。


拭く順は標本番号の小さいほうからとする。順は資料館の内規による。内規の制定は開館時にさかのぼる。


中に何も置いていないケースについても、同じ周期で拭くこととしている。


五、本日の入館


本日の入館者は六千二百八名を数えた。昨年は六千百四十名である。


うち園内の個体は三名。前年度の同日は一名であった。


三名のうち、二名は本日中に二度入館している。回数は入館者数に加えて計上する。


入館の時刻は記録していない。集計は時刻を単位としないためである。


六、点数と基数


本目録に登載した第三室の点数と、案内に記載した展示ケースの数は一致しない。差は一であった。開館以来同一である。


七、備考


本目録は開館記念の起案に添えるため、毎年この日に作成した。


区分および点数は前年度と同一であった。追加および除去は無い。


八、名称の板


名称の板は年度ごとに更新の要否を見た。本年度の更新は三枚であり、実施は九月であった。


三枚のうち、壁へ戻したものは二枚であった。残る一枚は次の更新まで作業室で保管する。


これとは別に、壁へ戻さないと決めた板の置き場を設けている。本年度の繰入は無い。


現在そこに置いてある板は一枚である。

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