第028話 血統会議告知
国立人類保全園 第七園
血統会議の開催について(告知)
発信 血統会議事務局
告知日 令和二百十二年十月一日
宛先 各園
一、開催
令和二百十三年二月十日から同月十四日までとした。会場は機構本部である。
前年度の開催は四日間であった。本年度を五日間とした旨は、事務局長の決裁により定めた。
二、議題
一 交配の組み合わせの決定
二 系統の維持に係る事項
三 その他
その他の内容は当日に定めることとした。前年度において、その他に付した事項は二件であった。
二件の内容は本告知に記載していない。記載を要する旨の定めが無かったためである。
三、提出する資料
各園は次の資料を提出することとした。
一 個体台帳
二 定期健康診断の結果。心音に係る所見の一覧を含む
三 体重の推移。過去十二か月分とする
四 行動の記録
五 その他事務局が求めるもの
資料の基準日は令和二百十三年二月一日とした。基準日を定めたのは令和百七十七年であった。
基準日より後の変動は資料に反映しない。反映しない旨を各園へ通知した記録は無かった。
四、開催に先立つ措置
各園は開催に先立ち、個体の状態の調整を行うこととした。
調整の内容は次のとおりとする。
一 給餌量の増。期間は本年十月一日から翌年二月十四日まで
二 消灯時刻の繰り下げ。三十分とする
三 歯科の処置。翌年二月一日までに終えること
四 屋外の作業の低減。期間は前号に同じ
調整の効果を検証する定めは設けなかった。効果は翌年度の資料に現れるものと解している。
五、個体への周知
四の措置に係る周知は行うこととした。周知の方法は各園の定めるところによった。
決定の内容に係る周知は行わない。行わない旨は開設時からの取り扱いであった。
六、質疑
前年度の会議において、提出資料に対する質疑は無かった。
過去五年においても同様であった。質疑の記録を残す様式は設けていた。
七、系統欄を欠く個体
系統欄を欠く個体の取り扱いは、本会議の議によることとした。
前年度において当該の議に付した実績は無い。付さなかった理由の記載も無い。
無等級の取り扱いについては、本年八月一日の改定において定める旨が各園から報告されていた。定めた旨の報告は、本事務局において受けていない。
各園への照会は行っていない。報告は各園の側から出るのを待つ取り扱いである。
七の二、資料の返却
提出した資料は返却しない。写しの交付も行わない。
各園において控えを作成することを妨げない。作成した控えの保存年限は各園の定めるところによる。
八、備考
本告知は開催の四か月前に発するものとした。四か月は様式の制定時からの数である。
本告知の様式は令和百四十四年の制定であった。以後の改正は無い。
(血統会議事務局)
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十月一日。週の終わりだ。
金曜は洗う日だ。朝の廊下は濡れている。水の乗った側を歩くと音が鳴らない。
六時に点灯した。いつもと同じ時刻だ。
同じなのに、消灯の時刻が変わるという話を、私は前の日に聞いていた。場所は食堂の卓で、言ったのは私の知らない人だった。
廊下の匂いは洗剤だ。洗った直後なので濃い。柑橘に似ているが、果物ではない。
濃いのは低いところで、腰から下に溜まる。屈むと来る。立っていれば届かない。
この匂いは金曜の朝だけ強い。水曜と月曜も洗うが、金曜が一番強く感じる。
強く感じるのは、木曜に洗わないからだと思う。一日空くと、鼻が元へ戻る。休ませた後には濃く来る。
床は濡れている。湿った側の色は黒に近い。乾いた側との境は直線ではない。
乾いた側は灰色だ。境目は三本目の継ぎ目より少し南にある。朝はいつもそこにある。
廊下へ出ると、掲示板の前に人がいた。
昨日の朝に貼り替えたばかりなのに、もう一枚増えている。増えた分は右の端に貼ってある。
人は六人いた。みな同じところを見ている。
目が行っているのは新しい紙で、古い三枚は誰も見ていない。昨日は逆で、六人が古いものの前にいた。
紙は白い。ほかの三枚より色が明るくて、寸法も少し大きい。
差が出るのは、刷った先が別だからだと思う。園で刷る紙は縁に細い線が入る。この紙には入っていない。
貼った跡は乾いていない。指で触ると少し湿る。指の腹に糊は付かない。
濡れているのは糊で、固まるまでに一時間ほどかかる。乾く前に触ると、その部分だけ後で白く残る。私は触らないようにした。
紙の下に、昨日貼った三枚がある。どれも日が経って端が反り始めている。
反り方は右下からだ。四枚とも同じ角から始まる。向きは紙の目で決まるらしい。
私は読んだ。
書いてあるのは、二月に会議があることと、それまでに四つのことをするということになる。
一つ目は給餌が増えることだ。二つ目に消灯が三十分遅くなる。
三つ目は歯の治療で、四つ目が外の作業を減らすことになる。
四つとも、いいことのほうに見える。
そう読めるだけで、私には比べる相手が無い。去年の十月に何が貼ってあったかを、私は覚えていない。
紙の下のほうに日付がある。十月一日と刷ってある。今日の日付だ。
貼られたのは今朝で、刷られたのは今日ではないはずだ。刷る場所が園の外にあるなら、届くまでに日がかかる。
紙の右上に番号が振ってある。四桁の番号で、上に小さく字が付いている。番号の下に線は無い。
字は二つある。読めても意味は取れない。分からないものが今日も一つ増えた。
私は四つの項目をもう一度読んだ。二度読むと、順番が頭に残る。
順番は給餌と消灯が先で、歯と外の作業が後だ。この順で書いてある理由は、紙の何処にも書いていない。
隣にH-0031がいた。この人は上から順に読んで、下まで行って、また上へ戻った。
「増えるって」
「はい」
「何グラムか書いてないわね」
「書いてないですね」
「書いてなくても増えるならいいわ」
「二月って、まだ先ですね」
「四か月あるわね」
「長いですか」
「長くないわよ。すぐ来るの、毎年」
この人は笑った。声はいつもより張っている。
大勢いる時にこうなる。卓の前には八人いた。みな紙を見ている。
食堂へ行くと、列の並びが違っていた。
いつもは番号の順に近い並び方だ。今日は先に来た人から並んでいる。
並びが違うのは、渡す皿が変わったからだった。
係員が二人で配っている。一人が皿を出して、一人が番号を確かめる。そこで時間がかかる。
列は普段より長い。それなのに、進み方は遅くない。
手が二人だからだと思う。一人が数えている間に、もう一人が皿を出せる。
前に並んでいる人たちは、受け取ってから皿を持ち上げる。
持ち上げて、見る。それから卓へ行く。見ない人はいない。今朝は全員が一度は覗く。
私の番になった。
「J-0037」
「はい」
「今日から四七〇だ」
渡された皿は少し大きい。直径が二センチほど大きくて、縁が高い。
縁が高いぶん、中身が深く見える。増えた量は四十グラムだ。
皿から匂いがした。樹脂だ。下ろしたてのものではなく、しまってあったものの匂いになる。
閉じたところに長く置いた物は、こういう匂いがする。埃ではない。それなら払えば落ちる。この匂いは払っても残る。
中身の匂いは、そのうち上に乗った。完全栄養食の蒸れた甘さだ。
乗るまでに十数える。その間だけ、皿の匂いが上にある。
量が多いと、匂いも濃い。強く来るのは表面の面積が広いからだと思う。深いぶん、上の面は増えないはずだが、そうは感じない。
四十グラムは、持った時に分かる。
持つ手を少し下げると、その分だけ重さが遅れて付いてくる。四三〇の時は付いてこなかった。
卓へ運ぶ間に、私は皿の底を見た。
四七〇の刻印がある。数字の形は四三〇のものと同じだ。型は前のものを使っているらしい。
四七〇の皿は、縁が擦れていない。
四三〇の皿は縁の一か所が白くなっている。返却の口で重ねる時に当たるところだ。
この皿にはそれが無い。正しく言えば、まだ付いていない。
私は縁を指でなぞった。滑らかに一周する。一周に四秒かかった。
途中で止まるところが無い。引っかかりが無いと、何処までなぞったかが分からなくなる。
底の刻印も擦れていない。四三〇の三の角は、私の指が当たって丸くなっていた。
こちらの七の角は立っている。そこでなぞると爪が止まる。引っかかる場所は一か所しかない。
傷はある。細い線が何本か走っていて、向きは揃っている。数えると十一本だ。
揃っているのは洗う時の向きだ。人が替わっても向きが動かないのは、機械が一つだからだ。
傷はあるのに、縁は減っていない。
洗われた回数と、重ねられた回数が合っていない。差の分だけ、洗った後に使われなかった日があったことになる。
卓に着くと、隣の人の皿も新しかった。
この人は四七〇で、私と同じだ。寸法の等しい皿が二つ並ぶと、大きさの違いが分からなくなる。
昨日までは四三〇が並んでいた。それが一度に替わると、前の大きさが出てこない。
思い出せないのは、比べる相手が一つも残っていないからだと思う。返却の口の低い山を見れば分かる。そこまで行かないと分からないものは、卓の上では出てこない。
三八〇の人が向かいに来た。この人の皿も変わっている。
「四一〇よ、私」
「三十増えましたね」
「三十って書いてあった?」
「書いてありません。持った感じです」
この人は自分の皿を持ち上げて、少し上下に振った。
それから、笑う。
「分からないわ、私には」
「持ち方だと思います」
「持ち方って、どうやるの」
私は持ち方を教えた。手を下へ動かして、止める。そこで遅れてくる分を見る。
この人は三度やった。三度目に「分かった気がするわ」と言って、また笑った。
匙はそのままだ。皿だけが替わった。
前と同じ匙で新しい皿の底をすくうと、当たる角度が違う。縁が高いぶん、匙を立てないと底に届かない。
立てると、すくえる量が減る。その分、口へ運ぶ回数が増える。
回数は数えた。朝は五十一回だった。四三〇の時は四十四回だ。七回の差は量の差より大きい。
朝の給餌は普通に食べた。
量が多いと、終わる時刻が遅くなる。私は十四分かかった。いつもは十二分だ。
二分の差は、噛む回数の差だと思う。
噛む回数を数えたことは無い。それで、二分が何回ぶんかは出せない。
私は皿を持ったままで卓の並びを見た。
空いている席が少ない。いつもは朝の遅い時間に空きが出る。今朝は埋まったままだ。
出ないのは、みな早く来たからだと思う。早く来たのは皿が替わると知っていたからだ。
知っていた人は昨日の卓にいた。私もそこで耳に入れている。それなのに、私はいつもの時刻に来た。
食堂の中は今日、声が多い。
卓ごとに話している。出ているのは皿のことと、消灯のことになる。
「三十分でしょ。長いわよ」
「何するの、三十分」
「何もしないわよ。起きてるだけ」
「起きてるだけでもいいわ」
この話は卓を越えて広がった。越える度に短くなる。
三つ目の卓では三十分としか言っていない。何が三十分かが落ちている。
落ちても困らないらしい。三十分と聞いた人が笑うので、意味は残っている。
残るのは数で、何の数かは残らない。
食堂を出る時、返却の口に山が二つあった。
四七〇の山が高くて、四三〇の山が低い。四三〇は昨日の夕方の分だ。今日の朝からは出ていない。
二つの山は色が違う。四三〇のほうが白っぽい。並べて置いてあるので差が出る。
白いのは擦れているからだ。表面が細かく荒れて、光が散る。散ると白く見える。
午前の当番は洗濯だった。
袋は六枚ある。持つ時に右で持った。左の腿はもう分からない。押しても遅れてこない。
洗濯室の三人は今日も歌った。
三行目は二つに割れる。割れたまま四行目で揃う。合わさる場所は今日も同じだ。
今日は四行目の後に、もう一行が付いた。
付けたのはH-0006だ。ほかの二人は歌わなかった。この人は一人で続けて、途中でやめた。
「今のは」
「昔あったのよ。五行目」
「なくなったんですか」
「みんなが歌わなくなったの。それだけよ」
私は五行目の言葉を覚えられなかった。一度しか聞いていない。
もう一度と言えばよかった。黙っていたのは、この人が次の袋へ手を伸ばしたからだ。
袋を運ぶ回数が今日は少ない。人が増えたからだ。洗濯の当番は今日から十一人になる。
回されたのは側溝の作業からで、四人いる。みな今日が初めてなので、干し方を教わっている。
教えているのは一番年上の人だ。教え方は手を出さない教え方だ。
やって見せて、それから相手にやらせる。違うところがあると、言葉ではなく自分の手をもう一度動かす。
四人のうち一人は、竿に届かなかった。背が足りない。
足りない人は下の段を担当することになった。そこは乾きが遅い。それで、翌日まで残る分が出る。
干し終わってから、一番年上の人が言った。
「今年も四七〇になったわね」
「なりましたか」
「私は四四〇。丙は四四〇なのよ」
「毎年ですか」
「毎年よ。十月からね」
「知りませんでした」
「去年のことは覚えてないのね」
「覚えていません」
「そうよね。去年はまだ小さかったものね」
この人は洗濯物を畳む手を止めない。動かしたまま話す。
畳む速さは口を動かしても落ちない。鈍らないのは、手が別に覚えているからだと思う。
「二月の十四日までなの。日にちまで決まってるのよ」
「二月の十五日は、どうなるんですか」
「戻るのよ」
「戻ると」
「四〇〇に戻るの。私はね」
「一度に戻るんですか」
「一度によ。少しずつじゃないの」
「少しずつのほうがいいと思います」
「そうね。でも一度によ」
この人は畳んだ分を籠へ入れた。その時、角を揃える。
揃えると籠の中がきれいに並ぶ。並ぶと、次に取る人が早い。そのために揃えているのだと思う。
私は日にちのことを掲示で読んでいなかった。見落としたのだと思う。
後で読み直そうと決めた。それから、袋を持ち直した。
干し場から戻る時、廊下の乾き方を見た。
朝より乾いている。白い側が広がって、境目が南へ寄っていた。動く速さは日によって違う。
匂いも変わっている。洗剤が薄くなって、下から別のものが出てきた。
腰から下にある。屈むと来る。この匂いは十月になっても同じ場所にあった。
昼の給餌も四七〇だった。
朝と同じ皿だ。返却の口で重ねると、四七〇の山と四三〇の山が別になっている。
四三〇の山は低い。今日から使わないので、洗って倉庫へ入れるらしい。
行き先を係員に聞いた。倉庫は二つあって、東だと言われた。
「戻すのはいつですか」
「二月だ」
「二月の何日ですか」
「十五日」
係員はそれだけ言って、次の人の皿を受け取った。
十五日というのは、掲示の十四日の翌日だ。
四三〇の山は洗い場へ運ばれていった。使うのは台車で、二段に積む。
積むと高い。人の顔がその向こうに隠れる。隠れたまま廊下を曲がっていった。
東の倉庫を私は見たことがない。倉庫は二つとも本館の裏にある。
裏へ行く用が無い。そういうところは、あることだけを知っている。
四三〇の皿は、七か月半そこにいることになる。
その間、皿は擦れない。それで、二月に出てきた時は今の四七〇と同じ手触りになるはずだ。
昼を過ぎてから、私は腹が減らないことに気がついた。
いつもは二時ごろに一度来る。今日は来ない。それで、二時になったことが分からなかった。
時刻は鐘で分かる。四点鐘は給餌の前に鳴る。鳴る数は四つで、間は二秒ある。
鐘と鐘の間を、私は腹の減り具合で分けていた。目盛りが無くなると、間が一続きだ。切れ目の無い時間は長い。
長いというのは、退屈という意味ではない。目盛が減ったという意味だ。
目盛が減ると、何かを数えたくなる。私は廊下の継ぎ目を数えた。E区画の中で十九ある。前に数えた時と同じだった。
午後、歯の当番の紙が回ってきた。
紙は薄い。番号が縦に並んでいて、その横に日付が書いてある。私の日付は十一月九日だ。
十一月九日は火曜だ。この曜日は体重測定に当たる。同じ日に二つ重なるのが普通かどうかは、この紙からは出てこない。
「歯って、何をするんですか」
私は係員に聞いた。
「診るんだよ。悪いところがあれば治す」
「治すんですか」
「治す。二月までに終わらせろって書いてある」
「痛いですか」
「痛くはないだろ。抜かなきゃな」
この人は笑う。私も笑った。
それから、私は自分の奥歯を舌で触った。右の下の一本が、去年から少し欠けている。
欠けたのは硬いものを噛んだからではない。気がついたら欠けていた。舌が触れたのは去年の三月だ。
欠けたところは尖っている。その先が舌に当たる。触れるのは食べる時ではなく、何もしていない時だ。
口を動かしている間に触れないのは、舌が別のことをしているからだと思う。
舌は勝手にそこへ行く。止めようとすると、余計に行く。
一日に何度当たるかは数えたことがある。その日は百を超えたところでやめた。それ以来数えていない。
歯を診てもらったことは、私には一度も無い。
診る人がいることは知っていた。それでも、当番が回ってきたのは今年が初めてだ。
紙の番号を数えると、E区画は八十九人分あった。二百四十一名のうちの八十九人だ。
残りの人がいつなのかは、この紙には出ていない。別の紙があるのだと思う。
午後の空いた時間に、私は掲示をもう一度読みに行った。
読み落としたところを探すためだ。十四日という日にちは、四の一のところに書いてあった。
朝は四つの項目だけを読んで、その下の細かいところを読んでいなかった。
細かいところには期間が書いてある。十月一日から二月十四日まで、と二度出てくる。二度目は屋外の作業のところだ。
二度出てくるということは、二つの措置が同じ日に終わるということだ。
同じ日に終わるものが二つあると、その日が一つの区切りだ。先については、この紙に何も書いていない。
三時ごろ、屋外の作業の割当が変わった。
知らされたのは掲示ではなく、係員の口からだ。側溝の作業は今月から人数を減らすと言われた。
減らす分は誰かがやることになる。作業班がやるらしい。作業班は十六人いる。
「じゃあ、あの人たちが増えるんですか」
「増えるな」
「大変じゃないですか」
「大変だろうよ。俺は数えるだけだから知らん」
側溝の作業に出ていた人たちは、この月から別の当番に回る。
回る先は洗濯と清掃だ。そちらの当番は今でも足りている。人が増えると、一人あたりの袋が減る。
減ると早く終わる。空いた分は、待つ時間だ。
待つ時間は仕事ではない。それでいて、居室へ戻ってよいとは言われていない。
夕方の前に、廊下で七番に会った。
この人は紙の束を持っている。今日は束が二つある。片方は薄い。
「J-0037」
「はい」
「皿は替わりましたか」
「替わりました」
「四七〇です」
「はい」
薄い束は縁が揃っていない。厚いものは端まで平らだ。
縁が立つのは、まだ整理していないからだと思う。この人は整理する側にいる。手を付ける前のものを持って歩くのは、私が見た限りでは今日が初めてだ。
七番は薄い束を持ち直した。その時、上の一枚がずれる。
ずれた分を指で戻す。その動きは前に見た時と同じだ。
「聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「二月の会議は、何を決めるんですか」
「交配の組み合わせを決めます」
「組み合わせ」
「それと、系統の維持に係る事項です」
私は次を聞いた。
「決まったら、教えてもらえますか」
「決定の内容の周知は行いません」
「行わないんですか」
「開設時からの取り扱いです」
七番はそれ以上言わない。言わないで、束を持ち直した。
私も黙っていた。今日はもう聞く形が出てこない。
消灯が遅くなるのは今夜からだと聞いた。九時半が十時だ。
三十分ぶん、非常灯だけの時間が短くなる。その分だけ、天井の線を見ていられる。
線は右が白い。色の出る場所は灯の位置で決まる。
灯が消えると、線は全部同じ色だ。三十分ぶん、私は線の色の差を見ていられることになる。
三十分あれば、枕の下も数え直せる。今夜は数えなかった。数えなくても数は出てくる。
百二十七枚のままだ。先月から一枚も動いていない。
二百枚まで、あと七十三枚ある。
増えるのは接触が百に届いた日だけで、届かなかった分は翌日へ回らない。消える分は毎日出る。
夕方の給餌で、三八〇の人の隣に座った。
この人の皿は四一〇になっている。縁の高さが私のと少し違う。
違うのは五ミリほどだ。離しておくと分からない。並べると分かる。
食堂の匂いは夕方が一番濃い。今日はもっと濃い。
量が増えたので、部屋に残る分も増えたのだと思う。朝と昼の分がまだ抜けていない。
濃いと、食べる前から口の中に来る。そうすると、食べ始めが少し遅くなる。
そうなるのは私だけかも知れない。周りの手は止まっていない。
「今日、三度目ね」
「はい」
「三度とも増えてるのよ。一日で九十増えたことになるわ」
この人は指で数えた。その時、卓の上に置いた指を順に折る。
「多いわね」
「多いです」
「お腹が重いのよ、夜まで」
この人は皿の中を匙で均した。そうすると表面が平らだ。
面が水平になると、量が多いことがよく分かるらしい。この人は手を止めてから、一度だけ息を吐いた。
私も同じだった。昼から夕方までの間に、いつもより早く腹が減らなかった。
空かないままだと、時間の目安が一つ減る。私は腹の減り具合で午後の長さを測っていた。
卓の向こうで、匙の男が誰かと話していた。
出ているのは皿のことだ。この人は自分の皿を持ち上げて、隣の人の皿と並べて見せている。
「同じじゃねえか」
「同じよ。二人とも四一〇」
「じゃあ俺は損してるな」
「何が損なの」
「体がでかいんだよ、俺は」
周りが笑った。この人も笑う。それから、皿を下ろして食べ始めた。
言っていることは間違っていないと思う。同じ量なら、体の大きい人のほうが足りない。
「毎年こうなんですか」
「毎年よ」
「十月から二月まで」
「そう。二月の十四日まで」
この人は皿の縁を指でなぞった。四一〇の一のところで止まる。
指の置き所が去年と違う。三八〇の時は八のところだった。
「私、この四か月が好きなの」
「好きですか」
「好きよ。みんな機嫌がいいもの」
「機嫌がいいと、いいことがありますか」
「あるわよ。喧嘩が減るの」
「減りますか」
「減るわね。十月から二月まではね」
この人は指を四本立てた。立ててから、一本ずつ折る。
折り終わると拳だ。そこで、この人はそれを卓の上へ置いた。手はすぐに開いた。
食堂を見ると、確かに声が多い。
朝の倍はある。卓の間を歩いている人がいて、その人が別の卓の人と話している。普段は歩かない。
「点灯も遅くなるって」
「消灯です」
「どっちでもいいわ。長く起きてられるなら」
この人は笑った。私も笑った。
それから、私は聞いた。
「どうして増えるんですか」
この人は匙を止めた。それから、少し不思議そうな顔をする。
不思議そうというのは、聞かれると思っていなかった顔だ。
「決まってるでしょう」
「決まっていません」
私は本当に決まっていなかった。掲示には四つのことが書いてある。四つとも今日から始まる。
その四つがどうして一緒に来るのかは、何処にも書いていない。
この人は少し首をかしげた。かしげてから、答えを探す顔をする。
探す顔は長くなかった。すぐに見つかったらしい。そういう時、この人はいつも笑う。
この人は笑った。今日で一番大きい笑い方だった。
「二月に測るからよ」
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国立人類保全園 第七園
飼育部門
給餌計画の変更について
作成 飼育部門
作成日 令和二百十二年十月一日
適用 令和二百十二年十月一日から令和二百十三年二月十四日まで
一、変更の理由
血統会議事務局の告知 四により、個体の状態の調整を行うこととした。
調整の効果を検証する定めは無かった。前年度においても検証していない。
二、給餌量
帯 従前 本期間 増
体重四十未満 三八〇 四一〇 三十
四十以上五十未満 四〇〇 四四〇 四十
五十以上六十未満 四三〇 四七〇 四十
六十以上 四六〇 五〇〇 四十
区分は通達第四十二号の体重帯による。展示適性等級による区分は行わない。両者の関係を定めた文書は無い。
帯の判定に用いる体重は前月の測定値とした。期間中の再判定は行わない。
一日三回の各回について、上記の量とした。合計の増は一日あたり九十から百二十であった。
三、器具
四一〇、四四〇、四七〇および五〇〇の皿は、本期間に限り用いることとした。期間外は東倉庫に保管する。
前回の使用は前年度の同期であった。使用しない期間は七か月半である。
皿の更新は破損によるもののみとした。定期の更新は行っていない。
四、費用
増分は完全栄養食の追加により賄うこととした。予算科目は飼育費とした。
本年度の増分の額は前年度と同一であった。額は前年度の執行の実績をそのまま用いた。
五、終了
令和二百十三年二月十五日以降は、従前の量に戻すこととした。
戻す際の逓減は行わない。逓減を行った実績は開設以来無い。
七、周知
各個体に対しては、皿の交付をもって周知に代えた。口頭による説明は行っていない。
説明は皿の大きさをもって足りるものとした。前年度も同様であった。
七の二、皿の交付
交付は十月一日の朝の給餌において行った。回収した従前の皿は洗浄の後、東倉庫へ入れた。
交付および回収の数を照合する定めは無い。前年度も照合していない。
八、備考
本計画は毎年度同一であった。起案は前年度の文書の日付を書き替えて作る。
本計画の起案は毎年九月に行うこととした。起案から適用までの日数は例年十日前後であった。
九、前年度の実績
前年度において、二月十五日以降に体重の減少を認めた個体は三百九名であった。
減少の幅を記載する欄は本計画に無い。設ける旨の検討をした記録も無い。
減少を認めなかった個体は百四名であった。当該の百四名についての記載も無い。




