第026話 すずの発作
国立人類保全園 第七園
飼育部門 ふれあい担当
接触数 週間集計
対象期間 令和二百十二年九月十九日から九月二十五日まで
作成 ふれあい担当
一、計数の方法
接触の数は、係員の手押しの計数器による。計数器は一台につき一名を担当した。
一の接触は、来館者の手が個体に触れてから離れるまでを一とした。同一の来館者が続けて触れた場合の取り扱いは定めなかった。
誤差の範囲は、計数器の製造者の示す値によることとした。
二、期間の合計
個体 合計 一日の最多 一日の最少
A-0114 千二百七 二百四十一 百三
C-0233 五百八十八 百二十 五十九
J-0037 二百九十四 六十一 二十二
H-0031 二百六十一 五十五 十九
G-0511 二百四 四十四 十四
三、位置
座る位置は五名を横一列とした。位置は当日の朝に係員が定めることとした。
定めの基準は文書に無い。前日の位置を避ける取り扱いをしている係員がいる旨の申し出があった。当該の取り扱いは統一していない。
四、歩合
接触百につき一枚とした。端数は切り捨てることとした。
切り捨てた端数を翌日へ繰り越す取り扱いは設けていない。端数は翌日の計数の初めに影響しない。
五、上限
一個体につき一日三十分を上限とする旨は、従前のとおりであった。
上限を超えた日の記録は本集計に含めていない。含めない旨を定めた文書は確認出来ない。
六、当日の伝達
各個体に対しては、終了時にその日の数を口頭で伝えている。
伝達は従前の例によったものであった。
紙片による交付は行っていない。行っている係員がいる旨の申し出があった。当該の紙片は係員の手帳の紙であった。
申し出を受けた後の取り扱いについては、本担当において検討していない。検討を要する旨の定めが無かったためである。
六の二、上限の管理
三十分の計時は行っていない。計時の器具を配していないためである。
終了の時刻は開場からの経過により定める。個体ごとの経過は計っていない。
七、備考
本集計は月末に飼育部門へ提出することとした。提出した集計に対する指示は、前年度において無かった。
提出の様式は、前年度に本集計をそのまま用いた例による。
計数器の電池の交換は年二回であった。交換の日は電池の裏へ鉛筆で書く取り扱いとした。
(ふれあい担当)
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九月二十五日。土曜だ。
土曜のふれあいは五人だ。午前の十時から十二時半までを受け持つ。
土曜は来館者が多い。それで、五人でも足りない日がある。
足りないというのは列が切られるという意味だ。切られた分は次の週へ回らない。その日で終わる。
広場までは二百六十四歩ある。数えたのは前の月で、それからは数えていない。
数えなくても足で分かる。途中に段が二つあるからだと思う。その位置で残りが出る。
控室に入ると、石鹸の匂いがした。
固形の石鹸で、水を含んだ後のほうが匂う。今朝は使った後らしく、皿の縁に水が残っている。
椅子は六脚ある。今日は五人なので一脚空く。
空いた一脚に、上着を掛けている人がいる。C-0233 だ。この人は毎回そこを使う。
控室の壁に鏡がある。縁が金属で、下の角だけ曲がっている。映る面に細かい傷が横へ走っていた。園の中でそれはここにしかない。
朝は五人が順に前へ立つ。立って、髪と襟と爪を見る。長さは人によって違って、一番短い人で三秒だ。
私は今日も三秒だった。足りるのは、見る場所が三つしかないからだ。
見た結果を書く欄は無い。それで、見たかどうかは自分しか知らない。
私は左の腿を上着の上から押した。色はまだ残っている。
九日目だ。真ん中の濃いところが少し黄色くなった。周りは薄くなって、皮膚との境が広がっている。
作業着の裾は膝の下まである。座っても見えない。
誰も何も言わない。隠しているからではなく、そもそも目に入らないからだ。
すずが後から入ってきた。
この人は扉のところで一度止まる。止まってから、椅子の並びを見る。
それから、端から二番目に座った。私の隣だ。
「おはよう。今日は隣ね」
「おはようございます」
「腿、まだ痛いの? 顔には出てないけど」
私は手を止めた。
「見えますか」
「見えないわよ。歩き方で分かるだけ」
この人は自分の膝を叩いた。場所は右だ。
「右で先に出してるでしょ。ずっとそう」
「はい」
「私も前にやってたから、分かるのよ」
この人はそれ以上聞かない。聞かないで、髪を耳の後ろへやる。
やる時、両方を一度にやる。片方ずつではない。
朝の係員が来て、位置を決める。
今日は真ん中がC-0233になった。すずは端から二番目で、私はその隣だ。
すずが真ん中でない日は少ない。
「珍しいですね」
「昨日と同じにしないんだって、あの人は」
「決まりですか」
「決まりじゃないと思う。あの人だけそうするの」
位置が決まると、係員は名札を確かめる。名札は背中に付いている。
名札は自分では留めない。隣の人にやってもらう。自分の背中には手が届かないからだ。
今日はすずが私のを付けた。私はすずのを直した。
付ける時、金具の向きが決まっている。上へ向けると、触った人の指に当たる。だから下向きにする。
名札は触る側からは見えない。読めるのは私たちの側だけだ。
見えないものを付ける理由は聞いたことがない。訊いても、規定ですと言われるだけだと思う。
私たちは並んで座った。
合成繊維のマットは朝一番が冷たい。座ってから温まるまでに三分ほどかかる。
温まる速さは体重で違うらしい。すずのほうが先に温まる。
先に温まると、隣に座っている側にも移る。伝わるのは接している面のところだけだ。
開場の前に、係員が広場の柵を確かめる。柵は腰より低い。
低いので、来館者は上から手を出せる。そういう高さにしてあるのだと思う。決めた人の話は聞いたことがない。
十時に扉が開いた。
最初の来館者は三人いる。みな真ん中へ行く。そこはC-0233だ。
私のところへ来るのは四人目からだ。
手は上から来る。頭から始めて、肩へ下りる。それから、また上へ戻る人が多い。
匂いは人によって違う。
石鹸の匂いの人と、外の匂いの人と、何も匂わない人がいる。最後のが一番多い。
手の温度も違う。冷たい手は最初の三十秒だけ冷たい。
その後は私の側に合う。そうなると、触られていることが分かりにくい。曖昧になると、数を数えるのが遅れる。
子どもの手は小さいぶん、当たる面が狭い。そこに力が集まる。
大人の手は広い。そうなると、力は同じでも一か所には集まらない。それで、大人のほうが長くいられる。
十時半を過ぎると、日が広場の中まで来る。
来る場所は決まっている。真ん中の少し右だ。今日はC-0233のところに落ちていた。当たった人は髪が明るく見える。
十一時半を過ぎると、列が伸びた。
長くなると、係員が数を数える手を速める。計数器は掌の中にあって、押す音がする。
音は小さい。それでも、隣の人の分と自分の分は聞き分けられる。
位置が違うからだ。すずのほうの音は、私の右から来る。
右から来る音のほうが多い。
多いのは今日も変わらない。それで、数える必要は無い。抜くほうが速く済む。
十二時を過ぎると、手の来かたが変わる。
早い時間は一人ずつ来る。遅い時間は二人か三人で来る。連れの人が一緒に手を出すからだと思う。
二人で来ると、計数器は二つ押される。
押す音が続けて鳴る。そういう時は、間が短い。詰まると、聞き分けるのが難しい。
十二時半に終わった。
係員が一人ずつのところへ来て、その日の数を言う。口だけで、紙は出さない。
「J-0037。五十八」
「はい」
すずのところへも来た。
「A-0114。百九十四」
「はい」
すずは立ち上がって、控室のほうへ歩き出した。
歩き出してから、こちらを見る。
「下一桁は」
「八です」
「じゃあ、いい日。今日はいい日のほうね」
「いい日ですか」
「八はいい日なの。知らないの」
私は知らなかった。
この人は控室の椅子に座って、指を六本立てた。立てたのは片手と、もう片方の一本だ。
「六つあるの。〇と一が何も無い日。二と三が待つ日。四と五が気をつける日」
「六と七は」
「人に会う日。八と九がいい日」
「決めたのは誰ですか」
「知らない。私が来た時にはもうあったの」
この人は指を下ろす。それから、自分の数を言った。
「私は四だから、気をつける日になるわ」
「気をつけるって、何をですか」
「そこまでは決まってないのよ」
私は笑った。この人も口の端を上げる。
開けない笑い方だった。息だけが出る。その時に肩が二度動く。
「毎日やるんですか」
「毎日あるわよ。数は毎日出るんだから」
「合わない日は」
「合わない日のほうが多いわよ」
この人はそう言って、椅子の背に寄りかかった。
寄りかかると、髪が背もたれの上に落ちる。それを、この人は手で前へ戻した。
控室にはほかの三人もいる。みな先に着替えて出ていった。
出ていく順は毎回だいたい決まっている。一番速いのはG-0511で、次の当番があるらしい。何処へ行くかは聞いたことがない。
残るのは私たち二人だ。残るのは片付けの当番だからで、当番は週に一度回ってくる。
同じ週に二人とも当たるのは月に一度か二度だ。今月は今日が二度目だ。
控室の窓は南を向いている。昼を過ぎると日が入る。
幅は狭い。床の上を一メートルほどで、そこだけ明るい。
私たちはそこへマットを引いて座った。
日の当たったマットは温かい。合成繊維は熱を持つのが速くて、冷めるのも速い。
匂いも変わる。温まると、樹脂の匂いが少し立つ。
立つのは温まってすぐで、しばらくすると分からない。鼻の側が慣れるからだ。
「一時まで待つのよね。片付けの当番だから」
「はい。片付けの後です」
「三十分あるわ。それまで何もすることがないの」
すずは膝を抱えて座った。私は足を伸ばして座った。
伸ばすと左の腿が上着に当たる。触れない角度にすると、膝が曲がる。折れば当たらない。
「数の遊び、する? 前に教えたことなかったっけ」
「どんなのですか」
「何でもいいの。数えて、当てるだけ」
この人が先に出す。窓の桟の数だ。
私は縦が三本、横が二本と答える。合っていた。それで、次は私が出す。
私は控室の椅子の脚の数を出す。六脚あるので二十四本だ。
この人は二十四と答えた。それから、「見たら分かるじゃない」と足して笑った。
「見なくても分かるのを出して」
「分かりました」
「難しいほうがいいの。すぐ分かるのはつまらないから」
この人は次に、自分の髪の長さを出した。
肩から何センチ下かというもので、私は五と答えた。実際は七だった。二センチ外れる。
外れた理由は、座っている時に髪が肩に乗るからだと思う。
乗ると短く見える。立つと落ちた。その分だけ長く見える。実際の長さは動いていないのに、目には変わる。
「立って測るのが正しいのよ」
「はい」
「座ってるほうが多いのに、正しいのは立ってるほうなの」
私は自分の歩数を出した。E区画からここまでの数だ。
この人は三百と言った。実際は二百六十四だった。
「近いです」
「外したわ。三百って言ってしまった」
「三十六です」
「三十六って、けっこう遠いのよ」
この人が次を出す。まばたきの数だ。
一分の間に何回するかというもので、二人とも数えたことが無い。数えるには自分では出来ない。
だから互いに数えることになった。
私が先に数えられる側だ。この人は私の顔を見る。そうされていると、まばたきが変だ。
「動いた。今、動いたでしょ」
「動いてません」
「今、我慢したでしょ。我慢すると数が減るのよ」
「していません」
数えると十四だ。
次にこの人を数えた。この人は窓のほうを見て、私を見ない。そのほうが数えやすいらしい。
十九あった。
私のより多い。この人のほうが目が乾きやすいからだと思う。ただそれだけで、確かめる方法は無い。
「多いほうが勝ちですか」
「勝ち負けは無いの。数えて、当たるか外れるかだけ」
「じゃあ、何のためにやるんですか」
「合ってると気持ちがいいでしょ」
「合わない時は」
「合わない時は、もう一回数えるのよ」
私たちは次に、廊下の継ぎ目の数を出した。
控室から広場までの間に何本あるかというもので、二人とも答えが違った。私は十一で、この人は十四だ。
どちらが合っているかは、その場では出ない。そのままにした。
確かめに行くと三十分が終わる。その後は片付けだ。それが済むと別々の区画へ帰ることになる。
「あんたは何を数えるのが好きなの」
「歩数です」
「歩数って、毎回同じでしょ」
「同じだと安心します」
この人は少し考える顔をする。考える時、目は動かない。
動くのは口の端だ。片方だけが少し上がる。それから戻る。平らになると考えが終わったことになるらしい。
「同じなのがいいのね。あんたらしいわ」
「はい」
「私は違うほうがいいの。毎日ちがう数のほうが」
「どうしてですか」
「同じだと、明日も同じだから」
この人は膝を下ろして、後ろへ手を付いた。
付いた手は日の当たるところにあった。指の先だけが影に入っている。
「次は難しいのにする。これは当てられないと思う」
「はい」
「私の、数えてみて」
この人は自分の胸のところを指した。
「数えるって」
「心臓。前にやったことある?」
「ありません」
「手じゃ分かりにくいの。背中のほうがいいわ」
この人は横を向いて、背中を私のほうへ向けた。
「当てて。耳のほうがよく聞こえるから」
私は少し迷った。当てる場所が分からなかったからだ。
背中のどのあたりかを聞こうとして、この人が先に指した。肩甲骨の下のあたりだ。
私は耳を当てた。作業着の布を一枚挟む。
布は薄い。それで、当てるとすぐに聞こえる。
最初は自分の音のほうが大きかった。
自分の耳の中で鳴っている音だ。それが静かになるまでに、少し時間がかかる。
静かになると、聞こえた。
二つで一組になっている。低いものと、それより短いものが続く。その後に空きがある。
私は数え始めた。一組を一と数える。
三十を数えるまでにかかった時間を、私は測れない。目盛が無いので、数だけを覚えることにした。
二十まで数えたところで、私は数え直した。
二つの間が埋まっている。
低いほうと短いほうの間に、空きが無い。
空きの代わりに、続いているものがある。真ん中が一番強い。真ん中から前へも後ろへも細くなる。
埋まり方は毎回同じだった。抜けない。
二十三回まで聞いて、二十三回とも埋まっていた。
私は耳を離した。それから、もう一度当てた。
二度目も同じだ。二つのはずが、一つに聞こえる。
「何回だった。三十まで行った?」
「まだ数えていません」
「数えてないの。せっかく当てたのに」
「途中で分からなくなりました」
「私のは速いのよ。だから数えにくいの」
この人はそう言って、こちらへ向き直った。
「速いと数えにくいでしょ」
「はい」
私はもう一度聞きたいと言おうとした。その前に、この人が立ち上がる。
立ち上がって、途中で止まった。
止まったのは膝を伸ばしきる手前だった。片手が床に付く。
付いた手のところで、指が開く。その間に、マットの目が見える。
この人は座り直した。その時に音がしない。落ちたのではなく、下ろした。
「どうしましたか」
「大丈夫」
顔が白い。色が抜けたのではなく、下の色が出てきたということになる。
唇のところが一番分かる。頬より先に動いた。
額に汗がある。さっきまで無かった。
日は当たっているが、汗が出るほどではない。私の額は乾いている。
この人は口で息をしていた。
鼻ではない。口で、短く二度、それから長く一度。その順番を三回繰り返した。
私はこの人の手を取った。自分でも決めていなかった。
手は冷たい。私のより低くて、湿っている。二つが一緒に来るのは、初めて触った。
私は周りを見た。控室には二人しかいない。
係員は片付けの合図まで来ない。合図は一時だ。今は十二時半を少し過ぎたところだ。
呼びに行く先は分かる。それなのに、私は動かなかった。
この人が私の袖を持っていたからだ。力は強くない。振れば外れる程度だ。
私は数えた。ほかに出来ることが出てこない。
三十まで数えて、四十まで数えた。四十七のところで、この人の息が鼻に戻る。
「戻った」
この人はそう言った。
「はい」
「四十七?」
「四十七です」
「前は六十くらいだった」
この人はそう言って、額を手の甲で拭いた。その甲が濡れる。
「今日は短いわ。前より短くなってる」
顔の色が戻ってくる。順は唇からだった。
唇が先で、頬が後になる。抜ける時と逆の順だ。
手も戻る。冷たいのが先に取れて、湿っているのが後に残る。
残った分は、この人が自分の作業着で拭いた。腿のところで、跡は色が濃くなる。日に当たっているので、すぐに戻った。
私は自分の手を見た。この人の手の温度が移っている。
移った分は冷たい。私の手の側で、三十を数えるほどで消えた。その後で、私は手を握って開いた。
「前もあったんですか」
「あるわよ。何回かある。数えてはいないけど」
「言いましたか、誰かに」
「言ったわ。前に一度、聞かれた時に」
「それで、どうなりましたか」
「何も無かったわ」
この人は自分の膝を見ている。そのまま言った。
「聞かれて、答えて、それで終わったの」
「終わった」
「紙には書いてたと思う。私は見てないけど」
私は何も言わなかった。返す形が出てこない。
「ねえ」
「はい」
「言わないでね」
この人はこちらを見た。顔は普通に戻っている。
「言うと、外されるの。並ぶところから」
「外されますか」
「外された人を知ってるのよ。戻ってこなかった」
「戻らないんですか」
「戻らない。別のところに回されて、それきり」
この人は立った。今度は止まらなかった。
立ってから、上着の埃を払う。手が行くのは腰のところで、二度だ。
「言いません」
「うん」
「誰にも言いません」
この人は目を閉じる。
「うん」
この人は笑った。さっきと同じ形だった。息だけが出る。
「あんたは数えるのが好きね」
「好きです」
「私は数えないわ。合わないと嫌だから」
私は立って、水を汲みに行った。控室の隅に器がある。
汲んで戻ると、この人は元の場所に座っていた。姿勢が少し変わっている。壁に寄りかかっている。
水を渡すと、この人は両手で受けた。片手では持たない。
両手で抱えると、器が傾かない。そのほうが飲みやすいのだと思う。速さはいつもと変わらない。
飲み終わって、器を床へ置いた。場所は日の当たっているところだ。
器の底が濡れていて、置いた跡が丸く残る。それは見ている間に細くなる。しばらくして消えた。
係員が控室へ来た。片付けの合図だ。
マットを立てて、壁際へ寄せる。立てると乾く。敷いたままだと下が乾かない。
すずは自分の分と、私の分の一枚を一緒に立てた。
「二枚いけるわ。持ち方さえ合えば重くないの」
「持てますか」
「持てるわよ、これくらい」
この人は二枚を抱えて歩いた。速さはいつもと変わらない。
途中で一度、壁に立てかけて持ち直した。角度の話で、重さの話ではないのだと思う。
片付けが終わって、控室を出るところで、この人が紙を出した。
小さい紙だった。折ってあって、折り目が四つ付いている。
「これ、あげる。いらないなら捨てていいから」
「何ですか」
「今日の数。書いてもらったの」
開くと、数字が書いてある。百九十四とある。
字は係員のものだと思う。ふれあいの担当の中に、頼むと書いてくれる人がいるらしい。
「くれるんですか」
「いいの。私は覚えてるから」
「私も覚えます」
「覚えてても、紙のほうが残るのよ」
この人はそう言って、先に廊下へ出た。
出てから、一度だけ振り返る。それから、何も言わずに行った。
紙は薄い。書いてある字は鉛筆で、指で擦ると滲む。
私は擦らないように持った。指を掛けるのは端で、字のあるところは触らない。
私は係員のところへ行って、自分の分も書いてもらった。
係員は何も聞かずに書いた。紙は同じ大きさで、折り目は付いていない。
五十八と書いてある。
下一桁は八だ。いい日だ。
広場を出るところで、来館者の子どもが柵の外にいた。
閉場の後なので入れない。連れの人が手を引いて、二人は行った。その時、その子は一度だけ振り返る。
ふれあいの組は正午の給餌に間に合わない。片付けが終わってから食べることになる。
食べ終わってから、私は洗濯の当番へ行った。
袋は五枚ある。厚みは指三本ぶんになる。口を結んだところが一番太い。抱えると顎の下まで来る。持つ時に右で抱えた。そうすると左に乗る。そこで一度止まる。
午後、洗濯室の三人が歌う。
今日は三行目が二つに割れた。そのまま四行目で揃う。合う場所は今日も変わらない。
午後の途中で、私は紙を二枚とも上着の内側へ入れた。
入れると、動く度に音がする。紙が布に擦れる音で、小さい。それでも、自分では毎回分かる。
洗濯の袋を持ち上げる時に、一度落ちそうになった。
落ちる前に押さえた。手は右で、そこに紙の角が当たる。触れても痛くはない。
夕方の給餌で、三八〇の人の隣に座った。
「今日、ふれあいだったのね」
「はい」
「何人だったの」
「五十八人です」
「多いのね」
「多くないです」
「私の頃は、十人いかない日もあったのよ」
この人は匙を止めた。それから、また動かした。
「今は多いの。園に来る人が増えたから」
「増えましたか」
「増えたわね。私が来た頃の倍はいるわ」
この人は三口分を私の皿へ移した。音は今日も出ない。
消灯の前に、私は廊下の継ぎ目を数えた。
控室から広場までの分ではない。E区画の中の分だ。数えると十九あった。場所が違うので、昼の答え合わせにはならない。
それでも数えた。そうすると、どちらが合っていたかを確かめたくなる。
確かめるには明日また通ることになる。その用は無い。ふれあいは土曜だけだ。
夜、居室で天井の線を見た。線は右のほうが白い。
左の腿は押すと今日も遅れてくる。幅は昨日より狭い。
私は自分の胸に手を当てた。
手では分かりにくい。すずが言ったとおりだ。当てても、二つで一組かどうかまでは取れない。
手のひらで分かるのは、動いているということだけだ。
動きの数は取れる。それでも、中身は分からない。そこまで行くには耳が要る。自分の耳は自分の胸に当たらない。
仰向けになって、耳のほうを枕に付けた。
付けると自分の音が聞こえる。二つで一組だ。その間には空きがある。
私は五十まで数えた。五十とも同じだった。
変わらないので、途中でやめてもよい。それでも、五十まで数えた。
数えている間、私はすずの数を思い出そうとした。
二十三回までは覚えている。その先は数えていない。取っていないものは思い出せない。
思い出せるのは、埋まっていたということのほうだ。
二つの間に空きが無い。二十三回とも無い。一度も空かなかった。
枕の下は百二十七枚のままだ。
その上に、紙が二枚ある。
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国立人類保全園 第七園
獣医室
定期健康診断 実施要領(抄)
作成 獣医室
作成日 令和二百十二年四月
一、時期
年一回とした。実施は二月である。実施の月を変更した記録は無かった。
二月とした理由の記載は、制定時の資料に無い。制定は令和百五十八年であった。
二、対象
在籍する全個体を対象とした。対象から除く場合は獣医室の判断による。
三、項目
体格、体温、口腔、皮膚、四肢、心音の聴取、腹部の触診の七項目とした。
心音の聴取は聴診器によることとした。実施の時間は一個体につき三十秒を目安とした。
三十秒は前年度までと同一である。
呼吸音の聴取は項目に含めない。同一の器具を用いる場合は、必要と認めた範囲で個体診療記録へ記載する。
糞便の検査は項目に含めない。寄生虫の検査は令和百七十四年をもって取りやめた。取りやめの理由の記載は無い。
四、所見の記載
所見のあった項目について、個体診療記録へ記載することとした。
所見は有無の二つで記載する。程度を区分する欄は設けていない。
五、事後の取り扱い
所見のあった個体に係る事後の措置について、本要領に定めは無い。
再度の確認は翌年の定期による。
六、前年度の実績
前年度の実施は四百十三名であった。所要は六日である。
心音に係る所見のあった個体は三名であった。三名についての事後の措置の記録は無い。
七、資料の取り扱い
所見の一覧は、血統会議の資料に添付することとした。添付は毎年二月であった。
添付した資料に対する質疑の記録は、過去五年において無かった。
七の二、聴取の場所
聴取は獣医室において行う。区画ごとに日を分けることとした。
同室に他の個体を入れない取り扱いとしている。定めによるものではなく、従前の例による。
七の三、記録の保存
実施の記録は個体診療記録に綴る。保存年限は個体の在籍中とする。
在籍が終わった後の取り扱いは、資料館の内規によることとした。
八、備考
本年度の実施は令和二百十三年二月を予定している。日程は一月に定める。
聴診器の更新は令和二百四年であった。次期の更新は営繕係の年次の要望に載せている。
(獣医室)




