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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第八章 淘汰

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105/106

第105話 前投薬

前投薬 投与簿


様式第二十二号


処置の部門 当園 処置部門


投与の日 令和二百十五年一月二十二日


一、投与の記載


本日の投与は次のとおりであった。


一件目 番号 J-0104 量 十二ミリグラム 時刻 五時四十分 投与した者 保全管理体 第七号


二件目 番号 A-0231 量 十二ミリグラム 時刻 五時五十二分 投与した者 保全管理体 第七号


三件目 番号 M-0058 量 十四ミリグラム 時刻 六時四分 投与した者 保全管理体 第七号


四件目 番号 J-0177 量 十二ミリグラム 時刻 六時十六分 投与した者 保全管理体 第七号


五件目 番号 E-0044 量 十二ミリグラム 時刻 六時二十八分 投与した者 保全管理体 第七号


六件目 番号 E-0044 量 八ミリグラム 時刻 七時十一分 投与した者 保全管理体 第七号


本簿の一行は一回の投与に当たる。本日の記載は六行であった。個体の数と行の数が合わない場合の扱いを定めた記載は、当園の内規に無い。合わなかった例は本年度に三度あった。三度とも記載は行のままとしてある。


投与の間隔は時刻の欄から差を取る扱いによるものとした。差を記す欄を設ける起案は令和二百九年に一度出ていた。当該の起案の綴は当園の書庫に残っており、決裁の欄は空のままであった。


投与を行った者の欄には職掌のみを記す扱いとする。本日の六行は六行とも同一の記載であった。


投与を受けた個体の側から本簿の記載を確かめる手続は、当園のどの定めにも置いていない。確かめた例も開園以来無い。


二、様式の記載


本様式の欄は三つとした。量・時刻・投与した者の三欄になる。効き始めるまでの時間を記す欄は本様式に置いていない。効かなかった場合の欄も置いていない。置く手続は当部門の別の定めによるものとした。


本様式の裏には量の換算の表が刷ってある。体重の帯ごとに量が定めてあり、帯は八段になる。上の七段には十から二十二までの数が二ずつ入っている。最下段は刷りのみで、数が入っていない。当該の段へ数を入れた例は開園以来零件であった。


空いた段の左の列には二十五キログラム未満と刷ってある。当該の帯に当たる個体の在籍は本年度に四名であった。四名への投与の記載は本簿に無い。


本様式の刷りは令和百八十四年の版による。改版は三度あった。三度とも帯の数と欄の名の書き替えにとどまっている。裏の表の最下段は、三度の改版のいずれでも埋めていない。


本簿の保存の年限は五年とする。保存の場所は当園の綴とした。年限を過ぎた本簿の扱いは当部門の別の定めによるものとした。


──────────────────


 灯が点く前に目が開いた。天井は見えない。


 時刻は分からない。取れるのは、廊下の非常の灯だけが入っていることになる。

 この灯は消えない。落ちたのは去年の十一月に一度ある。

 私は板の上で膝を立てた。

 膝の裏に板の冷たさが残る。板は指の腹で押すと少し沈む。その深さは房ごとに違うと聞いたが、確かめる手が私には無い。


 息を吐くと、白いものが出た。吐いた息の白さは、房の上のほうで消える。そこまでの長さは三を数えるほどになる。


 白いものが出る朝は、九十九日で十四日目になる。数えているのは私だけだと思う。廊下の温度を記す紙があることは知っている。

 その紙を私は見ていない。


 起きてから、私は数を三つ数えた。中身は器の数と、日の数と、戸の外を通った足音の数になる。

 器は今日で三百八個目だ。朝の器がまだ来ていないので、正しくは三百七個目までになる。

 日は三百八日目。足音は零。


 零から始まる朝は珍しい。いつもは非常の灯の下を、五時前に一人ぶんが通る。歩いている者が誰かを、私は足音の側からしか取れない。

 歩幅と速さと、床の材の変わり目で音が替わる位置になる。三つ揃えば、同じ人かどうかは分かる。名は付かない。

 空腹の出方は昨日と違った。昨日は腹の下のほうに来て、今日は喉の側に来ている。

 そちらへ来る朝は、前の日の器が早かった日になる。昨日の夕の器は、掲示の時刻より十二分早く来た。


 私は板を離れて、戸の側へ寄った。下の隙間は一センチ半ある。隙間へ耳を近づけると、廊下の空気が細く入ってくる。


 入ってきた空気に匂いがあった。甘い。

 ただし砂糖の甘さではない。舌の奥へ回るほうの甘さになる。奥まで回ると、その後ろに金気が付いてくる。


 この匂いを、私は二度嗅いだことがある。一度目は四年前の獣医室で、二度目は去年の秋の廊下だった。二度とも、嗅いだ日に誰かが運ばれた。


 匂いの濃さは、隙間から離すと落ちる。

 指の幅二つぶん離すと分からなくなった。近づけると戻る。距離で替わる匂いは、廊下ではなく戸の側に付いていることになる。


 私は戸の内側の面を指で触った。冷たい。木ではない。

 塗ってある面で、爪を当てると音が高い。


 匂いは面には無い。下の縁にある。

 その高さは床から二センチほどだ。そこへ何かが触れて、触れたものの匂いが残っている。


 台車の車輪の高さではない。もっと低い。

 布のようなものが引かれた高さだと思う。

 私は縁から指を離した。そのうえで指の腹の匂いを確かめた。

 付いていない。移るほどの量ではないという意味になる。


 外で錠の音がした。私の戸ではない。二つ向こうだ。

 開ける音は短くて、閉める音が長い。人が入って、そのまま出てこない。


 その後で、廊下の灯が段になって点いた。順は決まっている。

 突き当たりから戸口へ向かって、六つの灯が順に点く。最初から次までは二を数えるほどになる。私の房の前は四つ目だ。


 四つ目が点いた時、私は戸から離れて板の側へ戻った。


 灯が全部点くと、廊下の色が替わる。非常の灯は青い側に寄っていて、本来の灯は黄の側に寄っている。

 二つが重なる短い間だけ、床の色が緑に近くなる。その色は五を数えるほどで消えた。


 消えた後、足音が来た。一人ぶんだ。歩幅は短い。

 速さは一定になる。この歩き方を、私は九十九日で四十度以上聞いている。


 足音は私の戸の前で止まった。外の掛け金が先に鳴って、内の錠が後に鳴る。


 戸が開いた。立っているのは、紙を一枚と、平たい箱を一つ持った者だった。

 紙は片手で、箱は両手になる。箱の縁に金具が二つ付いていて、その金具が歩く度に鳴っていた。さっき廊下で聞いた金気の音は、この金具だと思う。


「本日の当番は前室になります」


 十二字だ。

 当番は月に四度回ってくる。前室の当番は九十九日で三度目になる。一度目は十月、二度目は十二月だった。


「開始の時刻は五時三十分です」


 十二字。私は板から立った。上着の裾を引いて、袖の内側を確かめる。

 前室は手を入れる場所が無い。そういう日は、袖の内側へ指を寄せておく。


「本票は前室にあります」


 十一字。その者は先に立って歩いた。

 私は三歩後ろを歩く。三歩は決まりではない。板にあるのは「離れない」だけで、離れないの幅を記した記載は掲示に無い。


 廊下は五十六歩ある。突き当たりまで数えると五十六で、途中の曲がりで一度短くなる。曲がりの内側を通ると五十四になった。

 今日は外側を通ったので五十六だった。


 前室の戸は廊下の戸と違う。二重になっている。

 外の戸を開けて、一度閉めて、それから内の戸を開ける。同時に開けない旨が、戸の横の板に刷ってある。


 内の戸を開けると、温度が替わった。


 廊下より暖かい。数で言うと三度ほどだと思う。指先の感じ方で三度になる。

 前室の温度を記す紙が壁に貼ってあって、そこには十八と書いてあった。廊下の紙には十五とある。差は三で、私の指と合う。

 前室は縦に長い。縦は十四歩、幅は四歩になる。


 右の壁に台が一つ、左の壁に椅子が二脚ある。椅子は向かい合わせにしていない。

 二脚を並べてある。その旨も板に刷ってある。


 台の上に紙が一枚と、金具の箱が置かれた。「当番の受け持ちは三つです」

 十二字。三つは板に刷ってある。器具を並べること、数を読み上げること、終わりに床を拭くことになる。

 並べる順は板の上の図で決まっている。図は線と丸だけで書いてあって、名は書いていない。


 私は箱を開ける。蓋の内側に紙が貼ってある。

 紙には図と同じ線が刷ってあって、丸の中に数が入っていた。数は一から八まで並んでいる。箱の中の物も八つ。


 中に器具が並んでいる。

 細い管が五本、蓋の付いた小さな瓶が二本、目盛りの付いた筒が一本ある。管は同じ長さに見えて、置く場所が一本ずつ違っていた。図の丸の大きさが違う。


 筒を持つと重い。目で取れる重さより上だと思う。

 手のひらに載せると、器の朝の重さと同じくらいになる。器は空で百四十グラムある。


 筒はそれより少し重いと思う。量る物は前室に無い。


 瓶の蓋は金属で、回すと止まる位置が決まっている。止まる位置を越えて回すと戻る。二本とも同じ止まり方になる。


 瓶の中は透明だ。傾けると、内側の面へ薄く残る。この膜は一を数えるほどで落ちた。

 下りる速さが水より遅い。


 二本の瓶は、貼ってある紙の色が違った。片方は白で、片方は薄い黄になる。白のほうに刷ってある字は八字で、黄のほうは十一字だった。

 字は読めない。私の位置から取れるのは字の数だけになる。


 図の丸は八つで、箱の中の物も八つある。管が五本、瓶が二本、筒が一本になる。管の五本は同じ長さに見えて、丸の大きさが一つずつ違っていた。

 大きさの差は爪の幅ほどだ。並べる位置を間違えると、丸の外へ縁が出る。

 出るかどうかで、正しいかどうかが分かる。私はそれで五本を置いた。


 匂いは蓋を開けても強くならない。


 廊下の縁で嗅いだのと同じ甘さが、瓶の口から出ている。濃さは同じくらいだ。

 近づけても濃くならない。距離で替わらない匂いは、量ではなく物の側で決まっているという意味になる。


 私は蓋を戻した。止まる位置まで回して、そこで手を離す。それから蓋の面の向きを図と合わせる。

 図の丸には向きの印が付いていて、印は瓶の蓋の刻みと合う。ずれた置き方をしても、蓋は閉まる。閉まるかどうかと合うかどうかは、別の話だと思う。


「二歩下がってください」


 十三字。私は台から二歩下がった。

 そこで壁に当たる。壁は冷たい。背中を付けると、上着の布ごしに冷たさが来た。

 その者は紙を台の上へ置いて、上の縁を指で押さえる。


 紙は横に長い。行が引いてあって、行の頭に番号を書く場所がある。その右へ三つの欄が並んでいた。


 欄の頭に名が刷ってある。私の位置からは読めない。

 字の数だけ数えた。二字と二字と六字になる。


 六字の欄が一番広い。

 紙の下に、もう一枚ある。二枚重ねだと思う。下の紙の縁が指の幅の半分ほどはみ出していた。

 その縁に線が引いてある。線は等間隔で、数えると八本ある。


 外の戸が鳴った。


 二重の戸は、外が鳴ってから内が鳴るまでに五を数えるほどかかる。

 今日は四になる。開ける者が急いでいるという意味ではない。閉める速さでも替わる。


 内の戸が開いて、二人ぶんの足音が入ってきた。


 一人は歩幅が短い。もう一人は引きずる音を混ぜている。引きずるほうは靴の底が減っていると思う。


 入ってきたのは番号を呼ばれた者だった。

 その者は椅子の左に座った。腰を下ろす前に、両手を膝の高さで一度合わせた。その形は祈りの形ではない。

 指を確かめる形になる。


「本票の番号を読みます」


 十字だ。

 番号が読まれた。八桁で、切れ目は四つ入っている。


 読まれた者は、はいと答えた。二字になる。答え方は訓令のとおりになる。


 管が一本、箱から出た。取ったのは私ではない。

 私は数を読み上げる係で、器具を出す係ではない。並べるところまでが私の受け持ち。


 量が読まれた。十二ミリグラム。

 時刻は五時四十分になる。読む声は平らで、四つの数の間に差が付いていない。


 私は台の脇の掲示を見る。掲示に読み上げる形が刷ってあって、そのとおりに繰り返す。


 私は掲示のとおりに読む。十二ミリグラム、五時四十分。


 私の口から出た字は十四字だ。掲示のとおりに読むと、必ず十四字か十五字になる。


 管が使われた。使い方を私は見ない。

 見ない旨は板に刷ってある。私は掲示のほうを向いたままで次の行の位置を指で押さえておく。押さえておくのは、行を飛ばさないための手。


 押さえている間、指の下の紙が少し湿った。


 私の指のほうが湿っている。前室は廊下より暖かい。暖かいところで紙を押さえると、指の側の水が紙へ移る。

 移った跡は乾くと消えた。乾くまでの長さは十を数えるほどになる。

 終わりの合図があった。

 合図は声ではない。金具を台の上へ置く音になる。置く音がしたら、私は次の番号を待つ。


 J-0104 は椅子から立って、内の戸のほうへ歩いた。歩き方は入ってきた時と替わっていない。歩幅も速さも同じだ。


 外の戸が鳴って、二人ぶんの足音が遠くなった。


 二人目が入ってきた。


 二人目の番号が読まれた。量は十二ミリグラム。時刻は五時五十二分だった。差は十二分になる。


 私は読む。十二ミリグラム、五時五十二分。


 三人目の番号が読まれるまでに、また十二分あった。


 三人目の番号が読まれた。量が替わる。十四ミリグラムになる。


 私は読む。十四ミリグラム、六時四分。


 量が替わったのは、裏の表による。壁の掲示に、表の見方が刷ってあった。

 体重の帯は八段あり、段ごとに量が決まっている。M-0058 は上から三段目に入ると思う。

 私は体重を知らない。知らないままで量の数だけを読み上げる。


 表には三つの欄があり、裏には八段の帯がある。

 効いたかどうかを書く欄は、表にも裏にも無い。


 四人目は十二ミリグラムに戻った。時刻は六時十六分になる。


 私は読む。十二ミリグラム、六時十六分。


 私は四つの数を並べて持っていた。十二と十二と十四と十二になる。

 並べると、三人目だけが浮く。

 浮くのは量ではなく、量を決めた側の数になる。体重の帯は八段で、量は帯の順に増える。二ミリグラムの差は帯一つぶんに当たる。


 五人目の番号が読まれた。


 五つ目の番号が読まれた。

 私はその番号を知っている。


 九十九日より前から知っている。図書室で本を読む人だった。読む速さは遅くて、同じ頁を二度読む。

 二度読む理由を、私は聞かなかった。

 量は十二ミリグラム。時刻は六時二十八分になる。


 私は読む。十二ミリグラム、六時二十八分。


 合図が来なかった。金具を置く音がいつまでも来ない。私は掲示を向いたままで数を数える。

 三十まで数えた。それから六十まで数えた。四人目までは、読み上げてから合図まで二十前後だった。


 六十を越えたところで、椅子の脚が床を擦る音がした。この音は短い。

 前へ滑ってから、戻らない。動かないのは、体の重さが片側へ寄ったままだからになる。


 その音は座っている者が体の重心を替えた時に出る。四人目までは一度も鳴っていない。


「時刻は六時三十九分です」


 十二字。時刻が読まれるのは、行を新しくする時になる。

 私は指を次の行の位置へ動かした。そこで行が一つ余ることに気づいた。


 紙の行は本来五つで足りる。五人だからだ。指の下に六つ目の行がある。


 六つ目の行は、初めから引いてある。

 刷った線だ。人数のぶんだけ引く紙ではない。行は端まで同じ間隔で並んでいて、数えると十四本あった。

 十四本のうち、今日使うのは六本になる。残りの八本は空のままになる。そういう行を消す欄も、この紙には無いと思う。

 私が見た紙で、空の行を消した紙は一枚も無い。


「もう一度になります」


 九字。この中に数は無い。

 規定の名も無い。私はその一本を、後で数え直すことになった。九十九日で、この人の口から数も名も出ない一本を聞いたのは二度目だと思う。


 私は掲示を向いたままで次の量を待つ。


 量が読まれた。八ミリグラムになる。時刻は七時十一分だった。


 私は読む。八ミリグラム、七時十一分。


 八という数は、裏の表に無い。

 表の帯は八段で、一番下の段は空になっている。上の七段に入っている数は、下から順に十から二十二まで二ずつ増える。八は無い。

 八は足す側の数になる。十二へ八を足すと二十になる。


 それは上から二段目の量だ。二段目の量を、一度で投与した記録にはならない。


 二度に分けた記録になる。割った場合の扱いを記した記載を、私は掲示の中に見つけなかった。


 合図が来た。金具が台へ触れる音は、四人目までより弱い。置いたのではなく、置く途中で手を離した音になる。


 E-0044 は椅子から立った。腰を上げるのに、四人目までより長くかかった。

 膝を伸ばす途中で一度止まって、それから伸ばした。手は膝の上に置いたままだった。


 歩き方は替わっていた。歩幅が短い。

 速さも落ちている。廊下へ出る時、内の戸の枠へ肩が一度触れた。


 外の戸が鳴った。私は床を拭く。三つ目の受け持ち。

 拭く順も板にある。台の下から始めて、椅子の脚、それから戸の前になる。布は前室の壁の箱から出す。

 使った布は同じ箱の下の段へ入れる。上の段と下の段の間に仕切りがあって、仕切りに穴が二つ開いていた。


 台の下を拭くと、布に何も付かなかった。


 椅子の脚のところで、布に薄く付いた。色は無い。乾いてから見ると、布の目のところだけ光っている。

 この出方は水と違う。水は乾くと何も残らない。こちらは残った。


 私は布を裏返して、光っている面を内側にした。


 戸の前を拭く時、下の縁の匂いが戻った。


 戸の内側の下の縁になる。

 前室の戸のほうだ。私の房の戸の縁と同じ高さに、同じ匂いが付いている。高さは床から二センチほどになる。

 この高さに触れるものが、房と前室の両方にあった。


 布を箱の下の段へ入れた。上の段の布は残り四枚になる。九十九日で、この箱の残りを数えたのは初めてだと思う。


 台の上の紙がまだ置いてあった。その者は紙の上の縁を指で押さえて、鉛筆を持っている。

 鉛筆は短い。芯の側から見て、木の部分が指の幅二つぶんほどしか無い。削った跡が新しい。

 削った跡は面が六つある。どの面も角が立っていて、角の立った鉛筆は削ってから間が無いという意味になる。


 書いている。私の位置から字は読めない。

 取れるのは、鉛筆の先が動く長さになる。その長さは欄の広さと合っている。二字の欄では短く、六字の欄では長い。


 六つ目の行を書く時、鉛筆の先が一度止まった。止まった長さは三を数えるほどになる。


 止まったのは、行の右端の外だった。欄の外に当たる。そこで止まって、そのまま戻った。

 それから六字の欄へ書いた。


「本日の記載は六行になります」


 十三字。六行で五人になる。行の数と人の数が合わない。

 その旨を記す欄が、この紙にあるかどうかを私は知らない。字の数で数えた欄は三つで、三つとも埋まっている。


「本簿の裏に表があります」


 十一字。


 その者は紙を裏返した。

 裏の表が見えた。私の位置からでも、線と数の並びは取れる。

 帯が八段ある。左の列に体重の帯、右の列に量が入っている。

 一番下の段の右が空になっている。


 線は引いてある。刷った線だ。

 数が入っていない。空いているのは一箇所だけ。


 私は左の列を見た。一番下の帯の数は読める。二十五キログラム未満と書いてある。

 二十五キログラム未満の個体へ投与した例が本年度にあるかどうかを、この紙は書かない。記す欄が置いていない。


「一番下は何ですか」


 八字。私が前室で口を開いたのは、掲示の読み上げの外では初めてになる。


「規定です」


 四字。返ってきたのはそれだけになる。空の段の事由も、埋める手続も、四字の中には入っていない。


「拭き終わりましたか」


 九字。私は箱の蓋を閉めて、二歩下がった。返事は声にせず、頭を一度だけ下げた。


 その者は紙を二つに折った。折り目は真ん中ではない。三分の一のところになる。

 畳むと、表の欄の側が内になって、裏の表の側が外になった。


 外になった面の一番下に、空の段が来る。


「前室の当番は終わりです」


 十二字。外の戸が鳴って、私は廊下へ出た。


 廊下の温度が戻った。三度ぶん下がる。

 指先で分かる。前室で三度上がったものが、三度下がって元へ戻った。


 廊下に五人ぶんの足音は残っていない。

 私が房へ戻る間、通ったのは一人ぶんだった。歩幅が短くて速さが一定の、あの歩き方だと思う。


 房の戸が開いて、閉まった。錠が先で、掛け金が後だ。

 板の上に座ると、膝の裏がまだ暖かかった。前室の温度が上着の布に残っている。

 消えるまでの長さを、私は数えた。九十まで来たところで分からなくなった。


 朝の器が来た。

 三百八個目になる。中身は替わっていない。四百三十グラムの表示は掲示のままで、量った器具を私は見たことが無い。


 匙は十八回で底に当たる。今日も十八回だった。

 食べ終えてから、私は数を並べ直した。


 五件と六回。十二が三つと、十四が一つと、八が一つ。時刻の差は十二分・十二分・十二分・十二分と、四十三分になる。

 四十三分だけが列から外れている。


 外れた数は、外れたところに置く。外れた事由を、私は持っていない。

 十二分は掲示の間隔と合う。

 処置の前の投与は十二分ごとに行う旨が、前室の壁の三つ目の掲示に刷ってあった。四十三分は掲示の何処にも無い。刷ってない長さが今日一度だけ出て、その長さを記す欄も紙には無かった。


 私は四十三という数を頭の側へ寄せておく。頭の側に置いた数は、器の数と同じ場所に並ぶ。今日で三百八個目の器と、四十三分が隣になる。

 並べただけで、繋がる線はまだ出ない。


 持っていないものを並べる時、私は物の側へ寄せる。


 物の側にあるのは、裏の表の一番下の空の段になる。線は引いてあって、刷ってある。


 引いたのは人の手ではない。空けたほうも人の手ではないと思う。刷る時に数が無かったという意味になる。

 数が無かった事由を書く欄も、あの紙には無かった。


 昼の前に、廊下を五人ぶんの足音が戻ってきた。

 戻り方が五つとも違う。


 一人目は歩幅が長くて速い。次は速さが落ちている。

 三人目は引きずる音が混ざる。四人目は途中で一度止まって、それから続いた。


 五人目は二人ぶんの足音の間に挟まれていた。


 挟まれている足音は、自分の速さで歩いていない。両側の速さに合わせている。

 揃えると歩幅が短くなる。その歩幅が、私の戸の前を通り過ぎた。


 通り過ぎてから、私は指を戸の下の縁へ当てた。


 匂いは薄くなっていた。朝より落ちている。指の幅一つぶん離すと分からなくなる。

 薄くなった匂いの残りが、縁の右の側だけに寄っていた。

 左には無い。右から左へ引かれたものではなく、右で止まったものになる。その高さは、床から二センチのままだった。


 私は指を離した。そのうえで掲示の字を思い出した。前室の壁に刷ってあった三つの受け持ちの、三つ目の字。

 床を拭くこと、と書いてあった。


 拭いた後の布をどうするかは、四つ目の受け持ちに当たる。四つ目は板に刷っていない。


 私が今日読み上げたのは量と時刻だけになる。読み上げた数は六つで、そのうち一つは表に無い数だった。


 表に無い数を読み上げた時、私の口は掲示のとおりに動いた。掲示は数の中身を見ない。形だけを見る。


 形だけを見る紙が、あの部屋には三枚あった。


 板の図と、壁の掲示と、台の上の紙になる。三枚とも線と欄でできている。線は替わらない。

 欄も動かない。中へ入る数だけが替わる。


 入らない数は、入らないままになる。刷った線の側は動かない。

 替わるのは、線の間へ入る数のほうになる。今日は六つ入って、そのうち一つが表に無い数だった。

 表に無い数も、線の間には入る。線は数の中身を見ない。

 私は指の腹で、上着の袖の内側を一度なぞった。

 前室の暖かさはもう残っていない。残っているのは布の目に付いた匂いのほうだと思う。甘さが薄くなって、金気の側だけが残る。

 昼の器が来た。三百九個目だ。

 私は匙を持って、底に当たるまで数えた。十八だった。


 十八は替わらない。

 替わらない数を、私は今日で三百九度数えている。数えた回数を記す欄は、この房のどの紙にも無い。


──────────────────


措置書


様式第七号の二


記載の係 保全管理機構 処置管理の係


記載の日付 令和二百十五年一月二十二日


一、実施の記載


本日の当園における実施は五件であった。五件とも予定の個体と一致した。予定の名簿は当機構が本月十日に送付している。


実施の順は当該の部門の定めによるものとした。順を替えた例は本年度に無かった。順の事由を記す欄は本書に置いていない。


一件あたりに要した時間は本書の記載の対象としない。開始と終了の時刻を記す欄はいずれも当該の様式の側にある。当該の様式の写しの送付は受けていなかった。


二、量の記載


投与の量は当機構の定める換算による。換算の表は当該の様式の裏に刷ってある。表の帯は八段とした。八段のうち最下段は数を欠いたままである。当該の段を埋める起案は当機構に上がっていなかった。


一件につき二度の投与を行った例が本日一件あった。二度目の量は八ミリグラムであった。八という数は表のいずれの段にも当たらない。


二度に分けた場合の合計を記す欄は本書に置いていない。合計を求める手続は当機構の定めに置いていない。したがって本書の件数は五となる。


三、報告


本日の実施について当園から当部門への報告は受けていない。報告を要する旨を定めた記載は、当該の手続に無い。受けていない旨をここに記す。


効き始めるまでの時間について照会を行った例は開園以来無い。無い旨を記す欄は当該の内規に置いてある。


当該の様式に効かなかった場合の欄を設ける件は、当機構の検討の対象としない。対象としない事由を記した記載は当部門の綴に残っていなかった。


本書の写しは当部門の綴へ一部を保存した。保存の年限は十年とした。

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