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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第八章 淘汰

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106/106

第106話 名前を呼んでから

控室 当番の交替 回章


回章番号 本年度第百三号


回章の担当 当園 管理部門


一、交替の刻み


本回章の作成は令和二百十五年一月二十六日になる。日を頭の欄で受ける様式は当園に無い。


控室の当番は四十分ごとに交替するものとする。刻みは開園以来替えていなかった。四十分とした事由を記した記載は、当園のどの定めにも見当たらなかった。


刻みを替える起案は令和百九十二年と令和二百六年の二度出ている。二度とも決裁は下りていた。下りた後に刻みが替わっていない事由は、当該の綴に記していない。


本日の交替は十二回であった。十二回の内訳を記す欄を本回章に置いていなかった。内訳の照会も本年度に受けていない。


刻みを過ぎて交替した例は本年度に六度あった。六度とも遅れは五分未満であり、遅れを記す欄には数のみを入れてある。


刻みより早く交替した例は本年度に零件であった。


二、引き継ぐ事項


交替の際に引き継ぐ事項の欄は三つとする。一つ目は在室の数、二つ目は器具の数とした。三つ目の名は本様式に刷っていない。早い側を記す欄も本様式に置いていなかった。


三つ目の欄へ記載を行った例は本年度に一件であった。当該の記載は一行であり、記載を行った者の欄には職掌が入っている。氏名の記載は無かった。


一つ目と二つ目の欄は本日十二回とも埋まっている。


当該の一行の内容を写す扱いは、本回章の対象としない。三つ目の欄が本日埋まっていたかどうかも、本回章の記載の対象としない。写した例は当園の綴に無かった。


三、控室の使用


控室の戸は交替の際にのみ開ける。開けている時間は一回につき二分以内とする。二分を過ぎた例は本年度に零件であった。


控室内の私物の持ち込みは当園の定めによる。定めの対象は職員に限るものとした。保全管理体の携行する物は当該の定めの対象としない扱いになっている。


控室の床の清掃は日に一度とする。


四、回付と保存


本回章は管理部門から各部門へ順に回付する。回付の順は当該の定めに従う。判を押さずに回した例は本年度に四件あった。四件とも回付は最後まで済んでいた。


保全管理体の判は本回章の対象としない。対象としない旨を定めた記載は当園の内規にある。清掃の際に出た物の別を記す欄も、当該の様式に無かった。


本回章の写しは一部を当園の綴へ入れる。年限は三年とした。三年を過ぎた回章の扱いは当該の定めによる。


本回章の内容を控室の当番へ口頭で伝えた例は本年度に零件であった。


──────────────────


 夕方の掃除の当番が回ってきた。当番は十四日に一度になる。三百十二日で二十二度目だ。回ってくる曜日は揃っていない。十四で割った余りが日ごとにずれる。


 当番の日は、器が来るのが二十分遅い。遅い日には匙の当たる回数が同じでも、口の中に残る時間が長くなる。その事由は、噛む数が増えるからではない。

 飲み込むまでを、こちらが引き延ばしている。遅れる事由は掲示にある。当番の者は器を後にすると刷ってあった。


 腹は掲示を読まない。二十分ぶん、腹が先に立つ。


 桶に水を入れる。栓は左へ回すと出る。この区画の栓だけ向きが逆だと聞いたことがあるが、私は他の区画の栓を回したことが無い。


 水の出は細い。桶が八分目になるまで、私は九十まで数えた。前の当番の日は八十四だった。

 差は六になる。この差が何から来るかを、私は取れない。栓の開き方は同じ角度にしてある。

 水の温度は指で分かる。冷たい側だ。

 この時期の水は、朝より夕方のほうが冷たい。理由は掲示に書いていない。


 冷たい水は手の皮を締める。締まると、絞る時に滑る。


 水は八分目まで入れる。掲示にそう刷ってある。

 八分目の高さは桶の内に引いた線で分かる。線は焼き付けてあって、指でなぞると窪みがある。深さは爪の先が入るほどだ。


 桶は三つある。線の高さは三つで違った。私が使うのは真ん中の桶になる。

 真ん中の線が一番低い。低い線の桶を選ぶ者が私だけかどうかは、確かめる手が無い。


 持ち上げると重い。両手で持って、腰から離さずに歩く。

 重さは器の四十倍ほどだと思う。器は空で百四十グラムある。桶は水を入れると、腕の筋が張る重さになる。


 桶を廊下の隅へ置いた。置いた場所から、控室の戸が見える。距離は十九歩になる。


 控室は廊下の中ほどにある。戸は一枚で、把手が横に付いていた。把手の下に紙が貼ってあって、その紙には数が三つ刷ってある。


 紙の数は読める。四十と、二と、三だ。


 四十は分の数だ。控室の当番は四十分ごとに替わる。

 二は戸を開けている時間の分の数になる。三が何かを、私は知らない。

 戸が開いた。時刻は決まっている。私が立っているのは、その時刻に当たる。


 中から一人出てきて、外から一人入る。入れ替わる間、戸は開いたままだった。


 出てきた者と入った者は、廊下で一度も向き合わなかった。出る者が先に半歩よけて、入る者がその横を抜ける。

 よける幅は肩の半分ほどになる。二人は口を開かない。引き継ぐ事項は紙に載る。


 開いている幅は、私の肩の幅ほどだ。

 中に台がある。上に紙が一枚置いてあった。


 紙は縦に長い。行が三つ引いてある。私の位置から見えるのは、行の頭に当たる。


 一つ目の行の頭に字がある。二つ目にも入っている。


 三つ目の行の頭には、字が無い。


 欄の名が刷っていない行になる。

 そこにも線は引いてあった。線は上の二つと同じ長さだ。揃っていれば、書ける量も揃う。

 名の無い欄へ何を書くかを、書く者が自分で決めることになる。そういう例が幾つあるかを、私は知らない。今日見えているのは一つだ。


 三つ目の行の中ほどに、一行ぶんの字が入っていた。


 その字は刷りではない。鉛筆の字になる。太さが一定でなくて、字の終わりのところが薄い。

 私の位置から読めたのは、上の四字と、その後ろの数だった。


 四字は「読み上げ」と読める。


 読み上げという語を、私はこの園で二つの意味に聞いている。一つは朝の番号の読み上げになる。もう一つは掲示の文の読み上げだ。

 どちらも四十分では終わらない。どちらも四時間はかからない。


 数は四つ並んでいた。四と、十七になる。間に字が二つある。

 字の形から、時間と分だと思う。

 四時間十七分。

 四時間十七分が何の長さかを、私は知らない。四という数と十七という数を、私は別々に持っている。二つを一つの語の後ろへ並べたのは、この紙が初めてになる。


 長さで言えば、朝の器から昼の器までより少し短い。この区画の朝と昼の間は四時間半になる。四時間十七分は、それより十三分だけ手前で終わった。


 知らないままで私はその数を頭へ入れた。頭のなかに、単位の違う数を置く場所がある。

 歩数でも回数でもない数はそこへ行く。今日そこへ入ったのは、これで一つ目になる。


 戸が閉まった。開いていたのは二を数えるほどだった。

 掲示の二分より短い。こちらへ外れた例を記す欄が、貼り紙にあるかどうかは分からない。


 廊下へ出ると、もう一人いた。


 背の低い人で、上着の袖を二度折っている。折る幅は揃っていない。

 右が広い。この人の顔は、九十九日より前から知っている。


 名は五郎という。番号は聞いていない。聞かないまま名を知っている人は、園で二人目になる。


 一人目はもういない。


 この人と初めて口をきいたのは、四年前の控室だった。あの時、この人は水を止めてからも笑っていた。手を拭かずに振って乾かして、飛んだ水が私の腕にかかった。

 謝りはしない。そのままで扉のところに一度止まって、こちらを見てから出ていった。


 止まる長さは、四年のうちに短くなっている。

 初めの年は三を数えるほどだった。近ごろは一を数えるほどになる。短くなった事由を、私は聞いていない。


「悪いけど、そっちの端を持ってくれないか」


 十九字だ。


 布は長い。廊下の幅と揃っている。二人で端を持って、床を一度に拭く形になる。

 一人でやると、幅の半分しか拭けない。


 半分ずつ二度拭くと、真ん中に線が残る。この線は乾くと消える。落ちるまでの長さは、二度拭きが長い。

 二人でやる事由は、そこにあると思う。掲示は事由を書いていない。刷ってあるのは人数だけになる。


 私は右の端を持った。五郎は左を持つ。右を取る事由は決めていない。

 二十二度とも右だった。端を替えてみたことは一度も無い。

 替えると、拭く向きが逆になる。板の目に沿わない拭き方は、乾いた後に筋が残る。


 布は水を含むと重くなる。乾いた時の重さと比べると、三倍ほどになると思う。

 持つ手の指が、布の目のところで滑った。行く先は必ず端になる。


 拭き始めると、廊下の板の継ぎ目が指へ伝わってきた。伝わり方は、布の厚みで鈍る。それでも位置は取れる。


 継ぎ目は七歩ごとにある。五十六歩の廊下に、継ぎ目は七つあった。

 うち二つは、他より深い。そこで布が引っかかる。


 深い二つは、突き当たりから数えて三つ目と五つ目になる。前のほうの深さは爪の半分ほどだ。

 五つ目はそれより浅い。私は当番の度にこの二つを数える。二十二度ぶん、位置は替わっていない。


「引っかかるところで一度止めてくれ」


 十七字。


 私は止めた。

 五郎が布を持ち上げて、継ぎ目の上を越えさせる。そこからまた下ろす。この動きを、二つの継ぎ目でやった。


 持ち上げる高さは二つで違う。三つ目が高い。深い側を高く持ち上げるのは、当たり前のことになる。

 それを、この人は毎回やる。二十二度ぶん、外したところを私は見ていない。

 二度目の継ぎ目で、五郎の手が滑った。


 布が落ちて、水が跳ねる。しぶきが五郎の靴の甲へかかった。跳ねた高さは膝より下だ。

 数は五つほどになる。


 五郎は靴を見る。それから私を見た。


 甲の水は染みていない。この人の靴は表が硬い。

 こういう靴を、私は九十九日で三足見ている。どれも職員のものだった。


 その後で、笑った。口だけが動く。

 目のところは動かない。私はこの笑い方を四年ぶん見ている。


 ただし今日のは長い。


 いつもは一を数えるほどで終わる。今日は五を数えるほど続いた。その間に、肩が二度上下した。

 肩が動く笑い方を、私は四年で三度しか見ていない。三度のうち二度は控室で、一度はここになる。


「笑っといてくれよ。減るもんじゃない」


 十七字。


 私は笑った。口の端が右へ寄る。左は動かない。


 笑うと、頬の内が歯に当たる。

 場所は右の奥から三つ目になる。場所は替わらない。四年ぶん同じところに当たる。


 左が動かない理由を、私は知らない。四年前に一度、獣医室で顔の左を診られたことがある。あの人は何も言わなかった。

 五郎は私の顔を見て、右の側だけを指した。爪の先は触れない。この人は触れない人だ。

 四年ぶん一度も触れていない。


「他にもいるぞ。今度そいつを見てくれ」


 十七字。


 私はその一本を数えた。この人の口から出るものは、たいてい十四から十九の間に入る。今日の四本も、そこに入っている。


 他にもいる、というのは番号のことだと思う。番号なら、この人は言える。

 名では言えない。名を持っている者が幾つあるかを、この区画の紙は書いていない。


 私は右の口の端を、もう一度だけ上げる。上げる前に息を一つ吸う。吸わないと、上げた後で口が渇いた。動く筋は頬にある。

 押さえると動かなくなる筋だ。上げてから、下げた。動かした長さは、笑った時より短い。


 五郎はそれを見て、鼻から息を出した。息の音は笑いに近い。ただし肩は動かなかった。


「今のは点数低いな。もっと右へ寄せてくれ」


 十九字。


 私は言われたとおりにもう一度やった。二度目は右の端が耳へ寄る。


 そうすると、目の下の皮が少し動く。動くのは右だけだ。

 寄せると、頬の内で当たる場所が一つ後ろへ動いた。右の奥から四つ目になる。


 五郎はもう一度、鼻から息を出した。二度目の息は一度目より長い。三を数えるほどになる。


 廊下で息の長さを数えている者は、多分この区画に私だけだと思う。


 数えるのをやめる手はある。やめると、廊下は音だけになる。

 そうなった廊下を、私は九十九日のうちに二度歩いた。二度とも房まで長かった。


 二人で笑っている間、廊下には誰も来なかった。人のいない廊下は、音の返り方が替わる。人がいると音は途中で吸われる。

 いないと、突き当たりまで行って戻ってくる。返ってきた音は、行きより低い。

 来ない時間の長さを、私は数えなかった。やめたのは、この九十九日で初めてになる。

 数えなかった後に残るのは、数ではない何かになる。置き場は決めていない。そのままで、私は布を持ち直した。


 拭き終わると、布を桶で洗う。水が濁った。


 濁りの色は灰に近い。

 廊下の板から出た色だと思う。板は古い。年の経った板を拭くと、水はこの色になる。

 濁りは底へ沈まない。桶の中で回っている。回る向きは布を入れた向きと揃う。

 止まるまでに二十を数えるほどかかった。


 五郎は桶の縁へ布を掛けた。それから両手を上着で拭いた。


「水を替えてくる。もう一度絞ってくれ」


 十七字。


 私は布を絞った。指の腹が白くふやけている。水に入れていた長さのぶんだけ、皮が厚くなる。


 厚くなるのは指の腹になる。爪は替わらない。動かない面と動く面が、一本の指に付いている。

 厚くなった皮は、二を数えるほど押しても戻らない。元へ行くまでに時間がかかる。


 戻る途中の指で、私は桶の縁をなぞった。薄い。

 厚みは紙を十枚重ねたほどになる。指を滑らせると、二箇所で引っかかった。

 引っかかるのは欠けだ。二つは揃った側にある。持ち上げる時に手が来る位置になる。


 欠けの大きさは、大きい側が三ミリほどだと思う。器具を替える基準の数を、私は掲示で見た覚えがある。残っているのは五という数だけで、単位は覚えていない。


 三が五より小さければ、この桶はまだ替わらない。そのままでいいのか替えたほうがいいのかを、私はまだ決めずにいる。決める欄が私に無い。

 五郎が戻ってきた。桶の水は替わっている。


「もう一往復だけ手伝ってくれないか」


 十八字。


 私たちは廊下をもう一度拭いた。二度目は水が少ない。すると布は軽い。


 軽い布は継ぎ目で引っかからなかった。引っかからないと、五郎の手も滑らない。手が滑らなければ、笑いも起きない。


 起きなかったものを数える欄は、私の頭にも無い。無いままで二度目の往復を終えた。往復の歩数は百十二になる。


 拭き終わってから、五郎は桶を持ち上げた。その時、腰を落とさずに腕だけで持った。


 持ち方を、私は覚えた。真似のためではない。

 腰を落とす持ち方と落とさない持ち方があって、落とさない持ち方が腕に来る。この人は腕に来る側を選んでいる。事由を訊いたことは無い。


「桶は俺が置いてくる。先に戻っててくれ」


 十九字。


 私は戻らなかった。


 戻らなかった事由を、私は決めていない。廊下の端に立って、控室の戸を見ていた。


 四十分が経った。そのことは、廊下の突き当たりの掲示から分かる。掲示の下に時刻を出す小さな窓があって、数が四十進むと戸が開く。


 戸が開いた。


 今度は誰も出てこなかった。入る者もいない。中の者が替わらないのに戸が開くのは、九十九日で初めてになる。

 刻みは動かないという意味になる。中に誰がいるかと関わらず、四十分ごとに開く。


 開いたままで二を数えるほどが過ぎた。

 中に人がいる。背は私より高い。

 上着の色は職員のものと違った。生地の目が粗い。こういう粗さを、私は九十九日で何度も見ている。


 作業着というのだと、いつか誰かが言っていた。その人の顔は出てこない。残っているのは、生地の目の数え方だけだ。

 縦の糸が指の幅に八本、横が七本。職員の上着は縦も横も十二本ある。


 その人は台の前に座っていた。腰を下ろす前に何をしていたかは見ていない。開いた時にはもう腰を下ろしていた。

 台の上に手が二つ乗っている。左は紙の縁に、右は縁から離れた場所にある。離れている幅は、指を三本並べたほどになる。


 座り方は椅子の背に付けない座り方になる。背中と背もたれの間に、指が三本ぶんほどの隙間がある。


 手元に紙がある。台の上の一枚とは別のものだ。厚みがあって、綴じてある。

 厚みは指の腹二つぶんほどになる。頁の数は取れない。

 縁の色が上と下で違った。上が濃い。上から使って、下がまだ新しいという意味になる。


 綴じの糸は白い。糸の色は年度で決まっていると、掲示の何処かで読んだ覚えがある。


 その人は綴じた紙を開いて、上から順に指を動かしていた。指は止まらない。行を追う速さで動いている。


 速さは揃っていない。

 上が速くて、下へ行くほど落ちる。その落ち方は緩い。一頁の間で、初めと終わりの差は二割ほどになると思う。

 落ちる事由が字にあるのか指にあるのかを、私は取れない。字なら、下へ行くほど行が詰まっていることになる。指なら、指が疲れていることになる。

 途中で、口が動いた。


 声は出ていない。廊下までは届かない。この大きさで私が取れるのは、口の形だけになる。

 口の形は短い。開いて、閉じる。もう一度、開いて閉じる。

 一つにつき二拍か三拍だ。

 名前の長さだと思う。


 名前だと取れる事由は三つある。一つ、区切りが揃っていない。


 二つ、区切りごとに指が一行動く。三つ、途中で止まる箇所が無い。

 数を読んでいるなら、桁のところで止まる。切れないのは、桁が無いということになる。


 形が替わる度に指が一行下がる。指と口が合っている。揃っているのを、私は十七まで数えた。


 十七のところで、その人の顔が上がった。

 上がった先は戸のほうだ。廊下に立っている私が、開いた幅の中に入る。


「当番の時刻は過ぎています」


 十二字。数と規定の名が両方入っている。


「まだ戻れませんか」


 八字。私が訊いたのは、戻る時刻のほうだった。


「規定です」


 四字。それから戸が閉まった。閉まる時、顔はもう紙のほうへ戻っている。


 私は戻らなかった。廊下の壁へ背を付けて、そこに立っていた。

 戻る時刻を過ぎた者の扱いを、掲示は書いていない。書いていないことを、私は一度だけ使う。


 十七で終わったのではない。閉まったところで、私が数えられなくなっただけになる。

 中では続いていると思う。続いている長さを、私は測る手を持たない。


 閉まる音は小さい。掛け金が先で、錠は掛からない。控室の戸に錠は無いと思う。


 私は廊下の端から動かなかった。


 四十分をもう一度待つと、灯が落ちる時刻になる。当番の後は房へ戻る決まりだ。これを破った例が本年度にどれだけあるかを、私は知らない。


 私は戻らずに待った。


 待っている間に、廊下の灯が一段落ちた。落ちたのは突き当たりの二つで、私の頭の上はまだ点いている。落ちる順は区画ごとに決まっていて、ここは最後になると聞いたことがある。


 二度目の四十分の途中で、戸の向こうから音が来た。

 削る音になる。

 短い。刃が木を削る音だ。一度削って、少し置いて、また削る。

 置く長さは揃っていない。長いのと短いのがあった。


 私は数えた。削る音は揃っている。替わるのは置く間の長さだ。

 短い置きは一を数えるほど、長い置きは三を数えるほどになる。短いのが続いた後で、一度だけ長いのが入る。位置は決まっていない。

 四十七で止まった。

 止まってから、少し置いて、戸が開いた。


 開いた幅は、さっきより狭い。指四本ぶんほどになる。


 匂いが出てきた。


 木の匂いだ。切ったばかりの木の匂いになる。

 その後ろに、粉の匂いが付いてくる。粉は金気に近い。二つが重なると、鼻の奥へ残る。


 この匂いを、私は図書室で嗅いだことがある。三年前だ。

 図書室の机の端に、削る道具が置いてあった。道具は木の箱で、上に小さな穴が開いている。

 控室の匂いは、あの時より濃かった。


 濃いのは量の差だと思う。四十七回ぶんになる。図書室のあの箱は、一本を削るのに十回ほどで済んでいた。

 四十七は四本ぶんか五本ぶんになる。どちらになるかは、削る者の癖で替わる。


 戸の隙間から、床が見えた。


 床に何も落ちていない。


 削れば粉と屑が出る。それが床に無い。受ける物があるという意味になる。


 受ける物が何かは見えない。

 隙間の幅が足りない。見えるのは床の板の目と、台の脚の下だけになる。板の目は廊下と揃っている。


 台の脚は四本ある。下に薄い物を噛ませてあった。噛ませる事由は、床の傾きだと思う。

 この区画の床は突き当たりがわずかに低い。


 私は一歩寄った。寄っても幅は替わらない。

 寄った先で、匂いが一つ濃くなる。幅と匂いは別の出方をする。


 戸が閉まった。


 閉まってから、廊下は静かになった。無音という意味ではない。

 換気の音は残っている。換気の音は夜に低くなる。そういう音は遠くまで通る。

 残っている音の下に、別の音が薄く続いていた。

 声だ。戸の向こうで、誰かが声を出している。

 廊下まで届く大きさではない。その手前で続いていた。


 続き方に区切りがある。一つは短い。二拍か三拍で一つになる。


 さっき口の形で数えたのと同じ長さだ。

 あの時は口だけが動いて、声は出ていなかった。今は喉が鳴っている。戸が閉まってから出す事由は、私には取れない。


 一つの区切りと次の区切りの間に、短い間が入る。入る長さは同じではない。長い間の後には、必ず一つぶん低い声が来た。

 低い声は三度あった。三度とも、その前の間が他より長い。


 私は廊下に立ったままで区切りを数えた。

 三十まで数えて、それから止める。


 止めたのは、灯が落ちる時刻が来たからではない。数えても、何を数えているかが分からないままだった。


 分かるのは、区切りの数が四時間十七分では終わらないということになる。二拍か三拍を一つとして、四時間十七分ぶんなら、数はもっと大きくなる。そこまでの数を、私は出そうとして途中で止めた。

 掛ける手を持っていない。


 分からないものを数えると、数だけが残る。その置き場を、私は持っていない。


 私は房のほうへ歩いた。行く前に、控室の戸をもう一度見た。閉まったままだ。

 廊下は五十六歩ある。歩く間に、私は今日の数を並べた。


 順は決めていない。出てきた順に置く。

 出てきた順は、思い出す順とも違う。先に来るのは、一番最後に見たものになる。


 継ぎ目は七つ。深いのが二つ。拭いたのは二往復。

 笑ったのは二度で、長いのは五を数えるほど続いた。削る音は四十七。

 口が動いた形は十七。声の区切りは三十まで。


 並べると、四時間十七分だけが単位の違う数になる。

 他は全部、回数か歩数か拍だ。時間の単位を持っている数は、今日はこれ一つになる。


 単位が違う数は、他の数と足せない。足せなければ列から外れる。

 この数を、私は房の頭へ持っていく。運ぶだけで、何にも使わない。


 使わない数が幾つ溜まっているかを、私は一度も数えていない。数えると、溜めていることになる。溜めているものは、いつか出す先が要る。

 房の戸は閉まっている。

 開けるのは私ではない。外の掛け金が先で、内の錠が後になる。錠の音が鳴るまで、私は戸の前で待つ。


 待つ間に、廊下の匂いをもう一度嗅いだ。木の匂いは薄くなっている。

 粉だけが残っていた。この落ち方はこの前の朝に嗅いだ匂いと逆になる。あちらは甘さが先に落ちて、後ろの匂いが残った。


 房の戸の前で、後ろから足音が来た。


 歩幅が広い。速さは一定でない。途中で二度、間が空く。

 長さは揃う。二度とも三を数えるほどだ。この空き方をする足音を、私は四年ぶん聞いている。


 五郎の歩き方になる。


 五郎は私の房の二つ手前で止まった。それから、こちらを見た。


 見てから、口の端を右へ上げた。私と揃っている。寄った事由を、私はまだ考えていない。

 四年のうちに寄ったのだと思う。


 この人の房は、私の房から数えて五つ先にある。二つ手前で止まるのは、そこから先が別の帯だからではない。区切りは房で入っていない。

 止まる場所を、この人は自分で決めている。その事由を、私は訊いていない。


「明日も同じ当番だ。また持ってくれよ」


 十八字。


──────────────────


日誌の副本


副本番号 本年度第四百十一号


副本の課 当園 記録の課


一、本日の当番


本副本の作成の日は令和二百十五年一月二十六日である。日は綴じの側の刷りから引くものとした。


本日の控室の当番は八名であった。八名の氏名は原本に記してある。本副本は氏名の欄を写さない扱いによる。


八名のうち保全管理体は一体であった。


当該の一体は氏名の欄を持たない。当該の欄には職掌のみが入っている。八名のうち二度入った者があるかどうかを記す欄は、本副本に置いていない。原本にも当該の欄は無かった。


当番の交替の回数は本副本の記載の対象としない。


回数は管理部門の回章による。回章の数と本副本の数を照らす手続は、当園のどの定めにも置いていない。照らした例も本年度に無かった。


二、副本の作成


本副本は原本の一部を写した紙であった。


写す範囲は当園の定めによるものとした。引き継ぐ事項の三つ目の欄については、写す範囲に含めない扱いとしてある。含めない事由を記した記載は、当園のどの定めにも見当たらなかった。


本日の原本の三つ目の欄には、一行の記載があった。記載の内容は本副本へ写していない。原本の側の年限は無期とする。


保全管理体の携行する物に係る記載は、本日の原本に無かった。


本副本の保存の年限は三年とした。保存の場所は当園の綴とした。原本と本副本の年限が異なる事由は、当園のどの定めにも記していない。


無かった旨をここに記す。本副本を当該の当番へ示す扱いは置いていない。示した例も本年度に零件であった。

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