↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜明け前の弁当屋  作者: 八雲 海


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/18

第五話 夜勤の匂い

十一月の終わりになると、朝四時の空気が変わった。


 息が白くなる。自転車のハンドルが冷たい。信号待ちのたびに手袋の中で指を動かす。


 真琴はそれでも四時にシャッターを上げた。


 体が慣れていた。工場の頃と同じ時間だ。違うのは、着く場所だけだった。

――――――

 夜勤明けの看護師が来るようになったのは、開けて四日目だった。


 最初に来たのは一人だった。外科病棟の看護師で、名札に「村井」とあった。三十代前半、目の下に薄く隈(くま)がある。白衣の上にコートを羽織(はお)って、少し急いだ様子で入ってきた。


「あの、弁当ってまだありますか」

「あります」

「夜勤明けで……病院の食堂がまだ開いてなくて」


 真琴はケースを示した。


「どれでも」


 村井は少し迷って、鶏の塩焼き弁当を選んだ。


 代金を払うとき、村井が言った。


「ここ、前から気になってたんですけど。シャッター閉まってることが多くて」

「先代が入院中です。しばらく私が開けています」

「そうなんですか」


 村井は弁当を受け取って、出て行った。


 翌日も来た。今度は二人だった。

――――――

 真琴は村井のことを観察した。


 毎朝来るわけではない。夜勤のある日だけ来る。週に三回か四回。


 いつも急いでいる。ゆっくり選ぶ時間がない。だから選びやすい配置にした。夜勤明け向けの弁当を、ケースの一番手前に置くようにした。


 中身も変えた。


 匂いが残らないこと、が最初の条件だった。夜勤明けの看護師は、弁当を食べてから帰宅する前に患者と接することもある。にんにく、ねぎ、生姜(しょうが)の類は避ける。


 次に、胃に重くないこと。長時間立ちっぱなしで働いた後の体は、脂っこいものを受け付けにくい。豆腐、白身魚、卵。消化(しょうか)がいいものを中心にする。


 最後に、見た目の色。


 夜勤明けは目が疲れている。色が多いと混乱する。白、淡い黄、薄い緑。落ち着いた色だけで弁当を組んだ。

――――――

 一週間後、村井が珍しくゆっくり入ってきた。非番(ひばん)の日らしく、私服だった。


「あの、一つ聞いていいですか」

「どうぞ」

「最近、前と違う弁当が置いてありますよね。白っぽい」

「夜勤明けの方向けに変えました」


 村井が少し止まった。


「誰かに聞いたんですか」

「いいえ」

「じゃあなんで」

「見ていたので」


 村井はしばらく真琴を見た。


「……私のこと見てたんですか」

「あなただけじゃないです。来る人全員」


 村井は少し考えた。それからまた真琴を見た。


「それ、すごいですね」

「ただ見ているだけです」

「すごいですよ」


 村井は夜勤明け向けの弁当を一つ取った。それから少し迷って、もう一つ取った。


「一つは同僚に。同じ夜勤だったので」

「わかりました」


 代金を払いながら村井が言った。


「他の病棟の子にも言っておきます。ここのこと」


 真琴は頷いた。


「ありがとうございます」

――――――

 村井が言った通りになった。


 翌週から、朝の客が増えた。病院の名札をつけたまま来る人間が多かった。内科、外科、整形外科(せいけいげか)。それぞれ勤務時間が違う。来る時間もばらばらだった。


 真琴は全員の顔を覚えた。


 名前は名札で見る。来る曜日と時間を把握する。選ぶ弁当の傾向を見る。


 外科の若い男性看護師は、いつもご飯を大盛りにしてほしいと言う。体が大きい。消耗が激しい仕事だ。


 内科の中年女性は、甘いものを弁当に入れてほしいと言った。「デザートがわりに」と笑った。小さな卵焼きを少し甘めに作って、端に置くようにした。


 整形外科の看護師は三人組で来る。毎回同じ顔ぶれで、同じ時間に来て、同じ弁当を選ぶ。変化を好まない人間たちだ。だから真琴は彼女たちの弁当は変えなかった。

――――――

 ある朝、村井が一人で来た。夜勤明けではなく、早朝出勤の前らしかった。


「これ」


 村井が小さな袋を差し出した。


「なんですか」

「ハンドクリーム。冬、手荒れするかと思って。厨房仕事だと余計」


 真琴は袋を受け取った。


「……ありがとうございます」

「あ、いらなければ」

「いります」


 村井は少し笑った。


「じゃあ、いつもの」


 真琴は夜勤明け向けの弁当を袋に入れた。


 村井が出て行った後、真琴はカウンターの下にハンドクリームをしまった。


 自分のためにそういうものを買ったのはいつが最後だったか、少し考えて、思い出せなかった。

――――――

 その夜、売上を計算した。


 今週の一日平均は一万二千円を超えていた。


 開けた当初の、ほぼ一・五倍だった。


 真琴は数字を見た。


 嬉しい、という感情が来るかと思った。来なかった。


 ただ、次のことを考えた。


 現場仕事の男たちがもう少し来るようになれば、昼の売上が伸びる。タクシー運転手の男が誰かに話してくれれば、同業者(どうぎょうしゃ)が来るかもしれない。


 夜の時間帯に需要(じゅよう)があるかどうか、まだ見えていない。


 メモを書いた。


 結衣はもう寝ていた。


 真琴は電気を消して、布団に入った。


 目を閉じると、今日来た顔が順番に浮かんだ。


 全部、覚えていた。

(第五話・了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。