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第5話『雁字搦めの呪縛』

 悪魔殲滅作戦のために臨時で編成された騎士団。

 その団長に選ばれたルベロは、十九代目『極剣ごくけん』の門下を出た、王国でも指折りの騎士だった。


「行ってくる」

「無事に帰ってきてくださいね。私も、子どもたちも、皆あなたの無事を願って待っています」

「あぁ、ありがとう。危険な任務だが、必ず成功させて帰ってくる」


 早朝、愛する妻と二人の息子に見送られ、ルベロは家を出る。

 家族とは命よりも大切な存在だ。それはまた、己の部下も同じだった。

 死人は少なからず出るだろう。悪魔の根城に向かうのだから、それは避けられない。

 それでも被害は最小限に抑え、守れるものは守り抜き、無事に帰還する。

 それが今回の任務で己が成すことだった。


 だが、その覚悟はジガルドに辿り着いて一時間も経たぬうちに砕け散る。




―――――




「うわ、うわぁぁぁ!」

「血がぁぁ!」


 阿鼻叫喚。

 ルベロの目の前には、地獄が広がっていた。

 ジガルドに巣食う悪魔たちに、騎士たちは為す術なく翻弄されている。

 四百名いた騎士の三割が、一時間足らずで戦闘不能に追い込まれていた。


 ヒルの針葉樹林を避け、騎士団は安全な航路でジガルドに到着した。

 外層はもぬけの殻。何事もなく中層に入れた――そう思った時には、すでに遅かった。


 悪魔たちは中層で待ち構えていた。

 見込みでは、騎士一人で悪魔二人は倒せるはずだった。

 だが実際にいた悪魔は千を軽く超え、一体一体の実力は想定を大きく上回っていた。


 ジガルドが三重構造だと気づいたのも、中層に入ってからだ。

 内層を囲む壁の上にも、悪魔の姿がある。

 撤退しようにも、すでに囲まれている。

 それでもルベロは、決断しなければならなかった。


「撤退だー!隊列は崩すな!」


 ルベロは撤退命令を出した。

 騎士たちは恐怖と混乱の極みにありながらも、外層へ続く門を目指す。


『ぐぁあぁぁ!』


 撤退の殿しんがりを務めていたルベロの耳に、大勢の悲鳴が届く。

 ルベロは反射的に門の方へ視線を向けた。

 騎士たちの先、門の前には巨大な緑竜がいた。


 緑竜は、突如門の前に現れたように思えた。

 空を飛んでやってきた様子もない。


 竜の中には、人の姿に化ける者が存在する。

 それは、伝説に語られる七体の竜。数多の竜を統べる王。


「竜……王……?」


 その一体が、なぜ悪魔に加担しているのか。

 現状を理解できず、ルベロの思考はぴたりと止まった。


『――私の眼を見なさい』


 中性的な声色の念話が、ルベロの頭に響く。

 声の主は緑竜だ。

 ルベロの第六感が、眼を合わせてはならないと警鐘を鳴らす。


「突如現れ、眼を見ろだと?何が狙いだ……」


 騎士たちを見渡し、ルベロは違和感に気づいた。

 皆、虚ろな目で緑竜を見上げている。

 ある者は武器を手放し、ある者は地に膝をつき、ある者は涎を垂らしたまま立ち尽くしていた。

 その異様な光景が、ルベロの心に一瞬の隙を生んだ。


『――私の眼を、見なさい』

「ぐっ……」


 緑竜の声と共に、その眼を見てみたいという好奇心が胸に湧いた。

 見てはならない。だが、見てみたい。

 どうしても、見てみたい。

 逸らそうとするほど、その衝動は強くなる。


 ルベロは一瞬の心の隙に付け込まれ、幻術をかけられた。

 その好奇心の増幅が緑竜の幻術によるものだと、ルベロは気づかない。いや、気づけない。


 そして、感情の赴くままに、ルベロは緑竜の眼を見た。




―――――




「と、まぁ気づいた時には檻の中で労働地獄よ。外層は年寄りや厄介者の掃き溜めになっとる」


 俺とフェルテはボロ小屋に案内され、固い地面に座りながら、外層で田畑を耕すことになった経緯を聞いていた。

 ボロ小屋には俺とフェルテ、そしてルベロの3人だけだ。


「緑竜と言ったか。そいつは恐らく『慧竜王けいりゅうおう』ノクシオンだ」

「……やはり、竜王か」


 竜王は龍神の力が分裂した存在とされる。

 中でも慧竜王は、龍神の知恵を色濃く引き継ぐ存在だ。


「強いの?」

「……ずる賢い奴だ。昨晩の幻術のようにな。いつからジガルドに居るのか知らんが、外層の人間と悪魔を契約させるよう促したのも奴だろう。悪魔はそこまで知恵が回らない」

「昨晩何かあったのか!?」

「巧妙な罠に嵌められた。フェルテのおかげで大事に至らず済んだがな」

「ほう?そこの少女に助けられたのか。……デュークよ、時間がない。今から儂が言うことをよく聞け」


 ルベロは俺の肩を力強く掴んだ。

 骨ばった腕とは思えないほど、その手には力が込められていた。


「今からでも遅くない。ここから逃げろ。この街には数千の悪魔が蔓延っとる。おまけに竜王ときた。さすがにお前一人の手に負える数ではない。逃げても文句を言う者はおらんから逃げなさい」

「俺は黒色探索者だ。……自らの意思でここにきた。だから引き返すつもりはない」

「デューク!」

「――――」


 死んだものと思っていたルベロとの邂逅かいこう、魔皇戦で仲間を見捨てて逃げた慧竜王の存在、長年ジガルドの民を苦しめる悪魔――。

 俺の気持ちは揺るがないものへと既に変わっている。

 例えルベロの言葉であろうと、俺の気持ちは動かない。


「…………はぁ。決意は固いようだな。ま、お前さんはそういう男だ。であれば、これだけは伝えておきたい」

「なんだ」

「外層の悪魔は絶対に殺すな。外層の悪魔と外層に住む人間は『命の契り』を結ばされとる。悪魔一人につき何人の命が結びついているのかは分からんがな」

「……つまり、悪魔を殺せば大勢の人間が道連れとなる訳か」


 一瞬、眉に力が入る。


「厄介だな」


 ルベロの首元に彫られた不気味な紋章が恐らく『命の契り』なのだろう。

 悪魔を無闇矢鱈むやみやたらに殺して回ることはできなくなった。

 まずは情報が欲しい。


「うむ。そして、その契約主は内層にいる悪魔公爵であろう」

「その悪魔公爵の名前は分かるか?」

「うーむ。分からん」


 かつての悪魔王や、その側近だった悪魔公爵には面識がある。

 人物を特定できれば良かったが、知らないのでは仕方あるまい。


「そうか。他に情報はないか?」

「大したことない情報なら伝えられる。まずはそうだな、名前だ。各層には名前がつけられておる」


 ルベロは地面に指で、三重の円を書き、外側の円に指を置いた。


「ここ外層がラヴェナ」


 外側の円に置かれた指が内側へ向かう。


「中層がカルネア。内層がアステリア」


 ルベロはそのまま、円に十字の線を引く。


「東西南北で区分けされてる。それと、この街には独自の貨幣がある。儂らラヴェナの者は毎月決まった額の貨幣が支給されとる。ほれ」


 ポケットから取り出した一枚の貨幣を指で弾いて、俺に投げた。

 左手に収まった貨幣を見ると、表面には悪魔と思われる人物の顔が彫られていた。


「その貨幣、使い道はあるのか?」

「うむ。カルネアの者らが夜になると少しの間ラヴェナに店を出してくれる。そこで飯とか服を買うくらいで他に使い道はないわい。それと、その貨幣はラヴェナでしか使えん。少ないが、これが儂の伝えられる精一杯だ」


 外層、――ラヴェナで得られる情報は少ないということか。

 であれば、早急にカルネアへ向かう必要がある。


「そうか。助かった」

「それと、ずっと気になってたんだが……」

「なぜ子供を連れとる?まさか、遂に身を固めたか!相手はライアか?」

「俺がそんなこと――」

「かーかっかっ!言わんでもいい!お前さんのことはよく分かっとる」


 ルベロは快活に俺の背中を叩いて笑った。

 昔から冗談の絶えない男だ。

 それが嬉しくもあり、どこか切なくもあった。

十年もの間、地獄のような環境下でルベロは先の見えない闇と戦いながら耐え忍んできたのだ。

 きっとこれは、俺に心配させないための、ルベロなりの気遣いなのだろう。


「デューク、会えて嬉しいぞ。お前さんが蹴り飛ばした悪魔は何とかしとくから、今のうちに行きなさい」

「あんたには本当に恩ばかりだ」

「何を言うか。儂にとってお前は息子同然よ。守って当然だ」

「ルベロ……」


 ルベロは立ち上がり、塵を払う。

 その様子を見て、俺とフェルテも立ち上がった。


「さて、デューク。行くからには胸張って行ってこい!かつて極剣だった男の意地を、強さを!儂に見せてくれ」

「あぁ。すぐにこの地獄を終わらせる。だから今のうちに帰る準備をしておいた方がいいぞ」

「かーかっかっかっ!その意気だ!よし。ちょっと待っとれ」


 そう言ってルベロは、小屋の壁のひびから一枚の草紙を取り出して俺に渡す。

 草紙には線と丸が羅列されていた。


「なにこれ?」


 草紙を覗いたフェルテが、俺も抱いていた疑問を口にした。


「儂らがこっそり掘り続けた地下の経路図だ。儂らはラヴェナから出たら死ぬ契りを交わされとる故、ラヴェナしか移動できん通路だがな。この線が地下通路、丸が出入口だ。この小屋にも出入口があるから使うといい」

「――恩に着る」


 ルベロが指さしたのは小屋の中の藁だった。

 その藁を掻き分けると、そこには確かに地下通路へ続くと思わしき隠し扉があった。


「行くぞ」

「お別れはいいの?」


 俺は扉を開け、フェルテと共に地下通路へ足を踏み入れる。

 別れは言わない。

 ただ、別れの代わりに視線を送る。

 ルベロは満足げな笑みで力強く頷いた。


 これでいい。

 悪魔と慧竜王さえ倒しきってしまえば、またすぐに会えるのだから。

 俺は静かに扉を閉めた。




創世神そうせいしんゼラストリスよ、デュークの無事と、勝利を――」


 静けさの訪れた小屋で、目に涙を浮かべる老人が小さく祈りを捧げた。




―――――




「ご機嫌よう、下劣な民よ!私は悪魔公爵のルーペ。これからこの街の領主になる者である。ありがたく思え」


 魔皇の脅威に晒されなかった数少ない街の一つであるジガルドに、突如一人の悪魔が現れた。

 誰もが自然と足を運ぶ、街の心臓部でもある広場の一角で、漆黒の翼を大きく広げた悪魔が声高らかに宣言した。


「な、なぜ悪魔がこの街に!」


 広場で露店を開いていた中年の男が、当然の疑問を口に出す。

 悪魔の眼は例外なく紫紺しこん色だ。

 そして、自らを悪魔公爵と名乗る男の眼も紫紺。

 人間にとって、悪魔とは相容れない存在。人間と悪魔の間には、長い歴史が生んだ底の深い溝がある。

 だから中年の男は恐怖した。混乱した。嫌悪を抱いた。憤怒ふんぬが感情を支配した。そして、声を荒らげた。


「なぜこの街かって?それは若者が多い活気に溢れた街だからさ。私は若者が好きなんだ」

「ふざけるな!この街に悪魔の居場所なんてあるものか!」

「貴様、さっきから臭うぞ。口か?いや、体臭もだ。臭すぎて話が頭に入ってこぬ。これだから歳を重ねた人間は――」

「ひっ……」


 ルーペは鼻をつまんで、空いた手で顔を仰ぐ。

 紫紺の眼は不快と嫌悪を滲ませ、隠しきれないほどの殺意を宿していた。

 その様子を見た中年の男は腰が抜け、地面に尻餅をついた。

 感情を支配していた憤怒や嫌悪が簡単に上書きされるほどの恐怖が、男の体を地面に縛り付ける。

 悪魔の殺意は分かりやすい。それは戦いを知らぬ者ですら感じ取れてしまうほどに。


「……ほう、悪くない。むしろ心地よい恐怖だ。その情けなく、惨めで、滑稽な恐怖心に免じて、腕一本で赦す!優しいだろう。寛大だろう!」


 中年の男が、恐怖に飢えた眼に耐えられず瞬きをした間に、ルーペは僅かな魔力を指先に纏わせ、軽く腕を振るった。

 目を開けた中年の男に、一瞬の痛みと急激な脱力感が襲いかかる。


「う、うわぁぁあ!」


 己の右肩から下が、ずるりと地面に落ちる。

 切り口はルーペの魔力に焼かれ、血は出ていない。

 それでも、突然訪れた右腕との別れに動揺を、恐怖を隠せない。

 だから叫ぶ。喉が裂け、血の味が口内に広がろうと叫び続ける。


 平穏だったはずの広場にて、数分の間に起きた壮絶な出来事に人々は混乱し、中年の男の叫びに感化されるように、恐怖が伝播でんぱする。


「嗚呼、心地よい。実に心地よい!気に入った。魔皇の手にかけられず、恐怖を知らぬまま、ぬるま湯に浸かっている人間ばかりであろうと思いこの街を選んで正解だった。今日から私が領主だ!」


 ルーペは酩酊めいていするように艶っぽく腰を落として体を揺らす。

 脳を掻き乱すほどの濃厚な蜜を喰らった獣の如く、ルーペは笑みとも痙攣ともつかぬ表情を浮かべ、喉の奥でくぐもった嗤いを漏らした。

 快楽に溺れるように肩を震わせ、体が反応するように指先がぴくぴくと痙攣する。

 やがてルーペは戦慄するように身を波打たせ、勢いよく背を反らして天を仰いだ。


「深遠なる恐怖に、沈鬱ちんうつなる恐怖に、甘美なる恐怖に、魔神の祝福があらんことを」


 この日、ジガルドは悪魔の手に堕ち、恐怖という呪縛を背負うこととなった。

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