第4話『会い想い、愛語る』
廃家を後にし、日が真上に昇る頃、平原の先にジガルドを囲むと思われる外壁が見えた。
城郭都市ジガルド。
かつてそう呼ばれていた街の痕跡は、今日まで残されていた。
「……ん?」
――かのように思えた。
近づくにつれて、外壁の異様さが露わになる。
壁の上から無数の黒く長いものが空へ伸び、一点へ向かっていた。
それはまるで、街そのものを閉じ込める鳥かごだ。
しかも、その檻の上を黒い影が旋回している。
翼を持つ何かが、空から街を見張っていた。
「あれは何だ?」
「人を逃がさないための檻だよ。見えるかな?空は悪魔が見張ってる」
「そうか」
視線を先へ送る。
檻の奥には、さらに壁があるように見えた。
その手前、門の影には何かが座っている。
「……門の前にいるのも悪魔か」
「うん。そのはず」
まだ距離はある。
あそこを通らなければ街には入れないだろう。
「……よくジガルドから逃げ出せたな。中はどうなっている?」
「壁の中にも、もう二重に壁があるんだ」
フェルテは檻の向こうを指さした。
「外から外層、中層、内層って分けられてる」
「層で何が違う?」
フェルテは少し考え、口を開いた。
「……役割が違うかな。ま、行けば分かると思うよ?」
「そうか」
門の前に、人影のようなものが見えた。
それを見て、俺は短く息を吐く。
「十年前、悪魔に占拠されたジガルドを国が奪い返そうとした」
「そうなの?」
「あぁ。国が出した騎士は四百人。……その中には、俺が知っている顔もいた」
フェルテが小さく息を呑む。
「だが、生きて帰ってきたのは一人だけだ」
「……え」
「そいつも、報告を終えた後に自害したと聞いている。以来、誰もジガルドに足を踏み入れていない」
「……そっか」
フェルテは何も言わない。
だが、その顔には不安がはっきりと浮かんでいた。
「国の精鋭でも駄目だったのに、俺一人で大丈夫なのか。――そう思っているな」
そう言うと、フェルテは肩を大きく跳ね上げ、驚いた顔で俺を見た。
「な、な、なんでバレたの」
「顔に書いてある」
表情をコロコロ変えるフェルテを横目に、首から下げた黒色のペンダントを服の中から取り出して見せた。
「これは探索者の証だ。黒色のペンダントは、その頂点に立つ者だけが身につけられる」
「おじさんのは、黒色……」
「そうだ。竜を一人で倒せるほどの力がなければ、黒色探索者にはなれない。だから安心していい」
「――分かった」
ペンダントを服の中に戻す。
ジガルドへ出征した騎士の中には知り合いが何人かいた。そこには俺がかつて大きく世話になった人物も含まれている。
まだ生きていれば僥倖。生存の線が薄いことは確かだ。
しかし、どうであろうと俺のやるべきことは変わらない。
長きに渡る支配を俺が断ち切る。それだけだ。
「そうこう言っているうちに門が見えてきたな」
「うん。悪魔が門番してるはずだけど、入れてくれるかな?」
「……さぁな」
閉ざされた門の前には悪魔が二人いた。
長槍を持っているが、鎧は着ていない。
悪魔たちは門を背に座り、談笑しているようだった。
だが、俺と視線が絡んだ直後、その笑い声が途切れた。
同時に、上空で羽音が重なる。
檻の上を旋回していた影が、こちらの存在に気づいて寄ってきた。
俺の外套を掴んだフェルテの手から、僅かな緊張が伝わる。
「お、人か?珍しい。死にに来たのか?ケケケッ」
長い舌を垂らした悪魔が、わざとらしく笑った。
悪魔は基本的に人間に近い見た目をしているが、背中からは蝙蝠の翼のようなものが生え、肌は浅黒い。
門番のこいつも例外ではない。
「死ぬのは貴様らの方だ。門を開けろ」
「おー怖い怖い。開けてほしけりゃ、対価ってもんが――」
目の前の悪魔が言い切る前に、俺は踏み込んだ。
抜剣。
刃が走り、言葉ごと首が落ちる。
「――ァ?」
転がった首が、間の抜けた声を漏らす。
悪魔に血は通っていない。
だが、人間と弱点は同じだ。
首を落とせば死ぬ。
その光景を見て、残った悪魔が唾を飲む。
視線が上空へ泳ぎ、すぐに俺へ戻る。
「……クケケ。とんでもねぇ剣さばきだ」
声を裏返しながらも、もう一人の悪魔が立ち上がった。
顔は引きつっている。だが、その目はどこか楽しげだ。
「そうか、あんたらか。いいぜぇ、ここを通す」
「……まるで俺たちが来ることが分かっていたような言い方だな」
「そりゃあ、待ってたからよぉ」
悪魔は目を細める。
「公爵様と、――あの方がな」
口元が裂けるように歪んだ。
そのまま歩き出した悪魔を見て、フェルテが俺の外套を強く握る。
俺たちの脇を素通りした悪魔は、門の前で足を止めた。
「あんたらは通していいって言われてんだ。それに――」
門に手をかけた悪魔の笑みが、僅かに深まる。
「その方が、面白そうだ」
そう言って、悪魔は気怠げに門を開いた。
「ケケ……」
悪魔はそれ以上何も言わず、ただ静かに嗤っている。
気になる発言だが、聞いても素直に答えるとは思えない。
「行くぞ」
「う、うん」
上空を旋回していた影は気づけば消えていた。
先に歩き出した俺の背中を、フェルテが小走りで追いかける。
そして遂に、ジガルドの外層へと足を踏み入れた。
「これは……。想像以上だ」
目の前には田畑が広がっていた。
痩せこけた老人たちが、その田畑を耕している。
しかし、門が開いたことに驚いているのか、こちらを見て手を止めている。
そんな老人の中の一人に、後ろから怒号と膝蹴りが同時に入った。
「手ェ止めてんじゃねぇっぞ!殺されてェのか!!あぁん!」
「ぐ……くぅ」
蹲った老人を執拗に蹴り続けているのは悪魔だ。
悪魔が人間に、農作業をさせている。
「死ねっ!死ねっ!し、ブフォ!――グェ!」
「ふんっ」
幸いにも距離が近かったため、すぐさま踏み込み、悪魔を高く蹴り上げ、落ちてきたところを回し蹴りで蹴り飛ばした。
「大丈夫か?」
老人の身体はやせ細っており、目は死んでいた。己の人生を諦めた者の目だ。
だが、その目の奥には何やら強い使命感が潜んでいる。
それは他の老人も同じだった。
「ん?」
俺は、ある違和感に気づいた。
「老人ばかりだな」
若者が全く見当たらない。
いつ死んでもおかしくないような風貌の老人ばかりだ。
「……デューク?デュークなのか?」
突如、悪魔に蹴りつけられていた老人が、俺の顔を見て目を見開く。
そして、細い腕で俺の脛を掴んだ。
老人の頭はハゲ散らかしており、肌は日焼けが酷く、皺も多い。服も不衛生できっと何日も洗っていない。見た目だけでは、俺の記憶にある誰とも結びつかない。
だが、俺の名前を呼ぶ声には聞き覚えがあった。
「まさか、ルベロか……?ルベロなのか!」
「やはり、そうか。息災なようで何よりだ」
目の前の老人は、十年前に国を挙げて行われた悪魔殲滅作戦で四百名の騎士を率いた騎士団長だった。
そして、俺がかつて大きく世話になった人物でもある。
「……そういうあんたは、今にも死にそうだな」
「ふむ。全くもってその通りよ。十年間極悪な環境下で農地を耕し続けてきたからな。いつ死んでもおかしくないわい」
冗談交じりに言うルベロだが、手は震え、目の端には涙を浮かべている。
ルベロは俺が幼い頃から、我が子同然のように接してくれた騎士だ。
十五年前、全てを失った俺の心の傷を癒してくれたのもルベロだった。
ルベロには、到底返しきれない恩がある。
俺はゆっくり膝を折り、震える手でそっとルベロの痩せ細った体を抱きしめた。
「生きててくれて、本当にありがとう……」
「――――」
ルベロの肩がわずかに揺れ、息を詰めたような気配が伝わる。
やがてルベロの細い腕が、戸惑いながらも、そっと俺の背中を温かく包み込んだ。
その温もりが、俺の心を覆う氷塊を、優しく溶かしてくれている気がした。




