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第3話『燃える執念』

「――ヒルの針葉樹林」

「そうだ。あの森はそう呼ばれている」

「怪我するなって念入りに言ってたのはそういうことか」


 森を抜けて小一時間、破損の少ない廃家を見つけ、今晩の宿とした。

 廃家の外からは小雨の音が絶え間なく聞こえる。

 多少の雨漏りはあるがご愛嬌だ。


「ちっちゃい剣無くしちゃったけど大丈夫?」

「問題ない。予備はある」


 フェルテと会話しつつ、明日の戦いに備えて、ランタンの灯りを頼りに装備の点検を行っていた。

 飯は済ませた。点検が終わり次第寝る予定だ。


「それにしても!おじさんかっこよかったなぁ。すごい数の魔物がいたのに簡単に森を抜けちゃうんだもん」

林縁りんえんが近かったからだ。昨晩ヒルと出くわしていたら、結果はまた違っていたかもしれんな」


 森に入ってから出るまで、探知の度に魔物の数に圧倒され頭が痛くなったものだ。

 何処へ行こうと、おびただしい数のワンダーヒルが常に地中に潜んでいた。

 最悪『移界斬イカイザン』を使い、街に戻ることも考えていた。

 フェルテを連れ、お互い無傷で森を抜けられたのは僥倖ぎょうこうというほかない。


 森での出来事を考えているうちに、装備の点検は終わった。


「む……」


 ふと誰かに見られているような気配を感じ、ひび割れた窓の外を見る。

 窓の先には誰もいない。気配も消えた。


「どうかした?」

「……いや、なんでもない。よくあることだ」

「ふーん?」

「明日も早い。そろそろ寝るぞ」


 俺は収納袋から寝袋を二人分取り出し、片方をフェルテに渡し、もう片方を広げて寝袋の中に入った。

 森を一日中歩いた疲れか、フェルテはすぐに寝息を立て始めた。

 俺は小雨の音を聴きながら、ランタンに薄暗く照らされた廃家の中をぼんやりと眺める。


 綿が飛び出たぬいぐるみ、鉤爪かぎづめで裂かれたような丸机、焼き焦げた跡の残る天井。

 まるで過去に襲撃を受けたかのような有様だ。

 悪魔には人をいたぶることを好む性質がある。奴らは人の恐怖が好物なのだ。


 廃家の様子を見ていく中で、一際目立つものを見つけた。

 それは破損した棚の上に置かれた小さなブリキの人形だ。

 人形は四つん這いで、ぎょろりとした蛇眼が俺を見つめており、微量の魔力が感じられた。

 斬り捨てようかとも思ったが、突如抗うことが億劫に感じるほどの眠気に襲われ、俺はそのまま意識を手放した。




―――――




「……マリー、ユウキ、ライア」


 仲間たちが、家族が、血の海の中で倒れている。


「……父さん、兄さん」


 朦朧とする意識の中、俺は岩に身を預けていた。

 黄金色の鎧を纏った巨体が近づいてくる。

 傷一つない鎧は太陽を弾き、右肩には漆黒の槍斧そうふ


 巨体は一歩一歩大地を鳴らしながら血の海を横断する。

 そして、俺の前で足を止め、低く重厚な声色で問いかけた。


「我輩が憎いか?」


 二足歩行の猪のような風貌の巨体を前に、俺は指一本動かす力も残っておらず、ただ巨体の赤い瞳を睨むことしかできない。

 巨体との戦闘で、俺は右腕を吹き飛ばされ、腹には風穴を開けられた。仕舞いには、不壊の天剣と名高い剣すらへし折られていた。


「――いい面だ。貴様は見逃してやろう。始まりの星よ」


 巨体は俺の顔を見てニヤリと笑うと、踵を返して歩き出した。

 そのまま巨体の足音が俺から徐々に遠ざかっていく。


「な、ぜ……」


 俺は顔を上げることすら疲れて首を落とした。

 そして、地面に広がる己の血溜まりを見ながら、乾いた口で疑問を零す。


「なんで、俺だけ……」


 憤怒。愁傷しゅうしょう。憎悪。悲哀――。

 様々な感情が胸の奥底から込み上げてきては濁流に呑まれ、入り混じり、黒く暗く溶け合う。

 とうに身体の水分など残っていないと思っていたが、目からは涙がこぼれ落ちた。

 俺の仲間たちは徹底的に叩き潰した癖に、なぜ俺だけ中途半端に生かすのか。


「なぜだ」


 なぜ壊れないはずの天剣が、巨体が軽く撫でただけで真っ二つに折れてしまったのか。

 巨体は、――魔皇ヴァムグレムは、どうして俺を見逃すというのか。


「なんでなんだよ……」


 足音が止まると同時、辺りが静まり返る。

 そんな束の間の静寂を、魔皇が打ち破った。


「貴様らが負けたのは、我輩の方が強く、貴様らが弱かったからだ。だが、貴様はまだ強くなるだろう」


 俺に背を向けたまま語り続ける。


「我輩は強き者と戦うのが好きだ。故に貴様は生かす。我輩を憎み、忌み、恨み、強くなるが良い。貴様が強くなり、死んだ仲間の仇を取りにくる日まで、世界を滅ぼすのは待ってやる」

「…………許さない。お前だけは、許さない」


 絶望と憎悪のほむらが、静かに俺の中で火を灯す。


「俺が、必ず、この手で……」


 意識が途切れる寸前、どこか見覚えのある少女の姿が血溜まりに映った。




―――――




「……マリー、ユウキ、ライア」


 仲間たちが、家族が、血の海の中で倒れている。


「……父さん、兄さん」


 黄金色の鎧を身に纏う巨体が一歩一歩大地を鳴らしながら血の海を横断する。

 そして、俺の前で足を止め、低く重厚な声色で問いかけた。


「我輩が憎いか?」


 その巨体の横には、この場に似つかわしくない格好をした金髪の少女が立っていた。

 少女は俺を見て、悲しみの表情を浮かべている。


「……おじさん」


 少女の声は小さく震えていた。

 この惨状を見れば、誰だって怯えるだろう。


「おじさん」


 少女は涙目を手の甲で擦り、真っ直ぐな表情で俺を見た。


「よく聞いて。これは夢でも現実でもない。過去の再演――幻術だよ」


 少女は一体何を言っているのだろうか。

 それよりも、こんな場所にいては危険だ。巨体、――魔皇ヴァルグレムは女子供だろうと容赦なく殺す。


「ここはあぶな――」

「――いい面だ。貴様は見逃してやろう。始まりの星よ」

「……あ?」


 俺の話を遮った魔皇は、少女を気にも留めず、俺に背を向けて歩き出す。

 どういうことだ。なぜ少女は見逃されたのか。


「おじさん、ボクだよ。フェルテだ」

「フェルテ……?」

「ボクたちは森を抜けて今ボロボロの家で寝てる。恐らく、夢に干渉する幻術をかけられてるんだよ」


 俺はさっきまで魔皇と戦っていたはずだ。だが、本当にそうなのか?

 この惨状は、本当に目の前で起きていることなのか?


「おじさんはジガルドを救うんでしょ?」

「――――」


 そうだ。俺はジガルドという街に行かなければならない。

 今の俺の使命はジガルドを悪魔から解放することだ。


「貴様らが負けたのは、我輩が強く、貴様らが弱かったからだ。だが、貴様はまだ強くなるだろう」


 背を向けて歩く魔皇が語り続ける。

 俺は、その一語一句を噛み締めた。


 執念が、風化した灰の下から息を吹き返す。


「俺が、必ず、この手で……」


 燃え上がる火に意識が呑まれ、世界が暗転した。




―――――




「……」


 仲間たちが、家族が、血の海の中で倒れている。


「……」


 岩に身を預ける俺の横にはフェルテが座っていた。


「おじさん」

「――もう大丈夫だ。礼を言う」

「そっか。よかった……」


 フェルテは立ち上がり、こちらへ近づいてくる魔皇をじっと見つめた。

 俺は目を閉じ、自身の身体に意識を向ける。

 そして、そのまま右腰に左手を添えた。


「我輩が憎いか?」


 魔皇が俺の前で足を止めた。


「いいや、お前には感謝している。お前のおかげで俺は強くなることができた」


 腹に空いていた風穴は消え、身体は風のように軽い。

 俺は座ったまま左手を強く握る。姿形は見えないが、手には確かに何かを握っている感触がある。


「――ふぅ」


 目を閉じ、眠りにつく前に見た廃家の内装を頭に描く。

 綿が飛び出たぬいぐるみ、鉤爪で裂かれたような丸机、焼き焦げた後の残る天井。

 そして、破損した棚の上に置かれた小さなブリキの人形――。


 カッと目を開き、魔皇の腹部を目掛けて一閃。見えない剣を左腕で振るう。


「――いい、面だ」


 無表情な魔皇の一言と共に、景色が割れ、暗闇がゆっくりと周囲を支配し始める。

 小さな世界が崩壊する中、俺は倒れる仲間たちの姿を目に焼き付けた。




―――――




 目を開けると、ひび割れた窓から日が差し込んでいた。

 俺は身体を起こし、左手に握っていた剣を鞘に戻して視線を正面に向ける。


 廃家は半壊しており、寝る前に見た破損した棚とブリキの人形が跡形もなく砕け散っていた。


「……ん。おはよ」

「あぁ」


 俺はフェルテに正対する。

 フェルテは目を擦りながら身体を起こし、紫紺の瞳で真っ直ぐ俺を見た。


「フェルテのおかげだ。俺一人では厳しかっただろう。改めて礼を言う」

「改まってお礼を言われるとむず痒いなぁ。おじさんそういうキャラじゃないでしょ。それにボクだっておじさんには世話になりっぱなしだし、お互い様じゃないかな」


 フェルテは照れくささを隠しきれていない顔で、矢継ぎ早にそう言った。

 俺が携帯食料を取り出そうと収納袋に手を伸ばすと、フェルテは口元に手を当てて小さく笑う。


「おじさん!」

「なんだ?」

「――やっとちゃんと名前呼んでくれたね」


 その笑顔は、雨上がりの大地に咲く一輪の花のようだった。




―――――




「……デューク・アルス・ライザーク。遂に来てしまいましたか」


 鮮血の如きベルベットで覆われた優美な椅子。

 そんな椅子の肘掛けに肘を置き、頬をつく蛇眼じゃがんの男がいた。

 蛇眼の男は片手に本を広げていた。

 開く頁は白紙で、文字等何も書かれていない。


「ほう。近頃珍妙な動きが目立つ男がここへ来たか」


 ティーカップが置かれた小さいテーブルを挟んで、同じような椅子に白髪の男が座っていた。

 白髪の男の背後には、少年と少女が直立不動で立っている。

 ふんぞり返っていた白髪の男だったが、蛇眼の男の言葉を聞くと、体を起こして興味深そうに顎をさすった。


「私の幻術が破られました。どうやら一人ではないようです。見知らぬ少女と一緒だ」

「つまり、……この街の人間ではないと。そういう事だな」

「如何にも」


 白髪の男は得意げに蛇眼の男の言葉の意図を喋り、蛇眼の男は無機質な返答をする。

 そして蛇眼の男は静かに本を閉じ、硝子窓の外を見た。空は紫色の雲で覆われており、悪魔が飛び交っている。


「彼一人なら幻術は有効でしたが、少女が介入したことによって一夜で幻術を破られてしまいました。一体何者なのでしょうか」

「ほう。あの元『極剣』よりも少女に興味があると」

「少女には興味が湧きましたが、彼には元々興味はありません。あるのは負い目と恐怖です」

「おーいおいおい」


 蛇眼の男の言葉を聞いて、白髪の男が勢いよく立ち上がり、テーブルに両手をついた。

 白髪の男の表情には、不安と混乱が入り乱れている。


「あんたまさか、逃げたりしないよな?なぁ?」

「……えぇ、逃げません。創造神ゼラストリアに誓います」


 白髪の男は安堵の溜め息をつきながら、再度椅子にふんぞり返って紅茶を啜った。


「策の一つは潰されてしまいましたが、まだ幾つか残っています」

「ほう?では問題は無い、と」

「もちろん」


 蝋燭ろうそくの灯る暗い部屋で、蛇眼が妖しく光る。


「――必ず、我々が勝ちますよ」

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