第2話『喰らい合う森』
「起きろ。飯を食べて出発するぞ」
「むにゃむにゃ……。ご飯できたら起こして……」
「もうできている。だから起きろ」
フェルテは寝転んだまま眉をひそめ、何度も鼻をひくつかせる。
「……ご飯の匂い、しないじゃんか」
「携帯食料だから当たり前だ」
「昨日の夜も食べたし飽きた。口の中乾くし美味しくない」
「わがまま言うな。飯はこれしかない」
「――むぐっ!」
俺は地面に並べた携帯食料を一本取り、寝たままのフェルテの口に突っ込んだ。
食べ始めたことを確認して、自分の分も食べ始める。
「これからしばらく朝昼晩これって……。拷問かな?」
「文句があっても食え。人は食わなきゃ死ぬ。それに、こいつは食えば食うほど美味く感じてくる。だから食え。水ならいくらでもある」
「こんなのが美味しく感じるのはおじさんだけだよ……」
文句を言いながらも、フェルテは水で流し込みながら三本平らげた。
口元は食べかすだらけだ。
「夜は魔物出た?」
「シャドウウルフの小さな群れが一度」
「そうなんだ。もっと出たのかと思ってた」
「……そういう森だ」
出発の準備を整えていると、森の奥から低い鳴き声が響いた。
森そのものが息を潜めているようで、どこか落ち着かない。
空は雲行きが怪しい。急いだ方が良さそうだ。
「明るい内に森を抜けるぞ。今日の目標は屋根のあるところで寝ることだ」
収納袋からフードが付いた藍色の外套を取り出し、フェルテへ渡す。
「これを着ろ」
「なにこれ?」
「音と気配を悟られにくくするものだ」
「へぇ。色、お揃いだね!」
フェルテは外套を羽織り、フードを深く被る。
「水筒だ。飲んでいいが飲み干すな。減ったら言え」
「……?わかった」
「最後に、怪我だけはしないように気をつけろ。――出発するぞ」
そうして俺とフェルテは横並びで森の中を歩き始める。
日が落ちるまでには森を抜け、廃家を見つけたい。
しばらく進んだところで、進路の先に魔物の気配を感じた。
「止まれ」
小声で告げ、フェルテの腕を引いて足を止める。
そのまま近くの木陰へ押し込み、口元に人差し指を当てた。
「……?」
前方の茂みが小さく揺れる。
獣の唸るような息遣いが一度だけ聞こえ、やがて遠ざかっていった。
「迂回する」
「今の、魔物?」
「ああ。見つかれば面倒だ」
「まだ見えてなかったのによく分かるね」
「魔物との遭遇は極力避けたい。戦闘も同様だ」
迂回して歩き出した直後、フェルテの足がもつれた。
「おっと」
「大丈夫か?」
「ありがと。ちょっと躓いちゃった」
つま先には木の根が引っかかっていた。
落ち葉で隠れていたのだろう。
「気を抜くな。ここでの怪我は死に直結する。足元に気をつけて歩け」
「……?はーい」
それからは会話を切り、森を進んだ。
魔物の気配を二度迂回し、空は目に見えて暗さを増していく。
「もうすぐ森を抜ける」
「お腹空いたし私は疲れたよー」
「……森を抜けるまでは気を抜くな」
「はーい」
正面に魔物の気配。
「待て」
足を止めたフェルテに目配せし、進路を変える。
――ピュールルルルル。
だが、その直後に上空から鳴き声が降ってきた。
反射的に足を止め、空を見上げる。
俺たちの頭上では、鳥型の魔物が旋回していた。
「急に止まってどうかした?」
「隠れるぞ」
「ちょ、ちょっと!」
俺はフェルテの腕を掴み、近くの木陰へ引き寄せた。
――ピュールルルルルルルルルル。
上空を旋回しているのは、丸い影だった。
翼だけが異様に大きく、首がない。胴と頭が一体化したような奇妙な輪郭だ。
あの姿は――。
「なんの鳴き声?」
「フォールバードだ。目をつけられたかもしれない」
フォールバードは、地面に激突しても壊れないほど硬く鋭い嘴を持つ。
一度獲物を定めると、減速せずに急降下してくる厄介な魔物だ。
全力で走れば森を抜けるまで数分といったところか。
ならば、今のうちに少しでも距離を稼ぐべきだ。
「うわっ!いきなり何さ!」
「逃げて森を抜ける。しっかり捕まってろ」
フェルテを背負い、腰を低くする。
「いやぁぁぁ!」
「舌を噛みたくなければ口を閉じてろ」
「むぐぐっ」
木々の隙間を抜け、軽快に走る。
上空に目をやると、フォールバードは羽根を広げて俺たちを追跡していた。
やはり目をつけられていたか。
「……む」
フォールバードが体勢を変えた。
逃がす気は毛頭ないらしい。
――ピュールルル!
鳴き声の直後、粒のように小さく見えていたフォールバードの姿が一気に大きくなる。
急降下を始めたのだ。
俺は走ることをやめ、剣を構えて上空を睨んだ。
フォールバードは一瞬のうちに樹頭まで急降下する。
だが次の瞬間、その全身に細長い針のようなものが四方八方から突き刺さった。
針葉樹の枝先が槍のように伸び、フォールバードを貫いている。
事前に集めた情報の中に、樹木が攻撃性を持つなどという記述はなかった。
……空からの侵入を拒む森なのだろうか。
――ピュールルル?!
フォールバードは体勢を崩し、旋回を始めた。
その間にも、針のような枝先が次々と襲いかかる。
「……何が起こってるの?」
フェルテの呟きの直後、血みどろのフォールバードが俺たちの真横に墜落した。
飛び散った血が、フェルテの頬と外套にかかった。
「水を使って今すぐ顔を洗え!」
「え?どうして――」
「急げ」
「じゃあ降ろして。それと、後でちゃんと説明してもらうから!」
フェルテを降ろそうと膝を屈めたと同時に、低い地鳴りが響く。
その地鳴りは瞬く間に大きくなる。
――ピキ。
俺の足元の地面が小さく割れた。
伝播するように、辺り一面の地面も割れ出す。
俺はひび割れていない地面に跳び移り、フェルテを降ろして、再度剣を構えた。
フェルテが視界に入るよう、横並びに立ち、周囲を警戒する。
「おじさん!早く逃げないとまずいよ」
「落ち着け。まずは顔をよく洗え。動くのはそれからだ」
フェルテは水筒に入っている水を顔にかけて血を洗い流す。
「あ……」
「これも使え」
フェルテの水筒に入っていた水が尽きたため、俺の分を渡した。
『ギュエエ!』
甲高い鳴き声と共に、地面の割れ目から赤茶色の肉塊が這い出てくる。
脚の生えた巨大なヒルのような姿だ。
血の匂いに反応し、地中から湧く吸血種。
名はワンダーヒル。
この森にしか棲まない魔物で、実物を見るのは初めてだった。
ワンダーヒルは次々と地面から姿を現し、墜落したフォールバードへ一目散に駆けていく。
「ひぇ……。気持ち悪い」
「同感だ。水筒を預かる」
「お願い」
俺は剣を仕舞い、水筒を収納袋に入れる。
「なにあれ……」
一匹のワンダーヒルが、円形に開く口でフォールバードに噛みつき、身体を脈打たせながら血を吸い始めた。
他のワンダーヒルも後に続き、瞬く間にフォールバードの全身がワンダーヒルで埋め尽くされた。
ワンダーヒルは獲物が干枯らび果てるまで血を吸うという。
溢れたワンダーヒルは、フォールバードがそこらに撒き散らした血にしゃぶりついている。
「ここはヤツらの縄張りだ。今のうちに逃げるぞ」
フェルテを背負い、魔物の気配を確認する。
地上には魔物の気配が多数。これまで地中に感じていた大量の気配の大半が地上に出てきている。
ワンダーヒルは僅かな血の匂いにも反応すると言われるため、これまで戦闘は避けてきた。だが、こうなってしまった以上戦闘を避ける理由はない。
幸いにも、もうすぐ森を抜けられる。
フォールバードの方へ視線をやると、干枯らびた灰色の残骸と化していた。
「もう血を吸い尽くしたか」
「なんか、近づいてきてるような……?」
「外套についた血に反応しているのだろう」
「脱いだ方がいいかな?」
「……今からでは間に合わん。走るからしっかり捕まっていろ」
地面を蹴り、吸血しようと身体を伸ばしたワンダーヒルから間一髪逃れた。
そのまま進路上にいたワンダーヒルの頭上を踏んで走り出す。
踏んだ感触からして身体はそこまで硬くない。
「少し手を離す。落ちるなよ」
剣のすぐ下に帯刀している小刀を左手で取り出し、柄を口で咥え、力を込めて歯を食いしばった。
そしてすぐに左手でフェルテを支え直す。
前後左右、ワンダーヒルが俺たちを狙って追いかけてくる中、その間を潜り抜け、時には頭上を越えながら、俺は走り続けた。
だが、進めば進むほどワンダーヒルの密度が高くなり、進路が限られてくる。
地面そのものが波打つ。
踏み込むたびに土が沈み、足場が崩れる。
追われているだけじゃない。
この森そのものが、俺たちを飲み込もうとしていた。
「おじさん、左!地面、動いてる!」
フェルテの声で踏み出しかけた足を止める。
進路上の眼前には四匹のワンダーヒル。頭上には飛び跳ねて口を広げるワンダーヒルが数匹。背後や左右からは無数のワンダーヒルが涎を撒き散らしながら迫ってきていた。
呼吸が荒くなる。
背負った重みが、じわりと脚に響いた。
――長引けば不利だ。
「ふんっ」
地面とほぼ水平になるまで体を傾け、ワンダーヒルの脚部を小刀で切り裂く。
寸刻の間を置いて、切り傷からは血が吹き出した。
低く宙を回転しながらその様子を確認し、体勢を整えてそのまま勢いよく再び走り出す。
「おじさん!なんか急に追ってこなくなったよ」
正面のワンダーヒルは、俺たちを素通りして、より血の香りが濃い方へと向かっていった。
同族の血でも構わない。
血さえあれば、あいつらはそちらへ向かう。
正面には光が見えてきた。
もう少しで森を抜けられる。
『ギュエエ!』
踏み込もうとした地面から、ワンダーヒルが大口を開けて飛び上がる。
足場を失い、俺の右脚がワンダーヒルの大口に飲み込まれそうになるが、無数の歯の一4つを足場に上空へ退避し、空中で回転した。
「ふんっ!」
回転の勢いを利用してワンダーヒルの大口目掛けて小刀を投げ込むと、小刀はくるくる回りながらワンダーヒルの口内を切り裂いた。
悲鳴を上げるワンダーヒルを後方へ蹴り捨て、障害が消えた道を走る、走る、走る――。
「――抜けた!!」
「よし。このまま距離を稼ぐ」
目の前には遮蔽物の少ない平原が広がり、地平線の彼方に沈む夕日が俺たちを祝福するかのように照らしている。
後ろを振り返ったが、ワンダーヒルが森から出ようとする気配はない。
崩れ落ちた廃家は点在しているが、寝泊まりするにはどれも頼りない。
それにもう少し森から離れた方がいいだろう。
ワンダーヒルが夜行性の魔物だとしたら、夜の平原にも足を伸ばすかもしれない。
「一日中歩いて疲れただろ。しばらく背中で休むといい」
「ありがとう。その言葉に甘えるよ」
近くに魔物の気配がないことを確認し、少し速度を落として走る。
夜は悪魔の力が活性化されるため、明日の昼にはジガルドに入りたい。
明日の行動をぼんやり考えながら廃家を探し、俺は走り続けた。




