第10話『光芒煌めき』
朝日が地平を染め、街の瓦屋根を黄金に照らし出す。
宿を発つ支度を進めていたところ、偶然にもエドワードが収納袋を持っていたため、それを譲ってもらえることになった。
金は払うと言ったが、エドワードは最後まで頑として受け取ろうとしなかった。
仕方なく厚意に甘えることにしたが、そのおかげで大量にあるダリオンを抱えて歩かずに済むのは助かる。
「では私は準備がありますので、また後ほど。……あ、そうだ。こちら、カルネア西地区の地図でございます。ご活用ください」
「貰っていいのか?」
「えぇ!もちろんですとも!」
「助かる。ありがたく使わせてもらう」
三人で朝食を摂り、宿を出て言葉を交わす。
軽い握手の後、エドワードは朝の雑踏へと姿を消した。
フェルテはまだ眠気を引きずった顔で、小さく手を振る。
「おじさん、これからどうするの?」
欠伸混じりの声。
正午にエドワードと合流する予定はあるが、それまでどう時間を潰そうかと考えていた時、ふと視線がフェルテの服に止まった。
湯浴みのおかげで、土や泥で汚れていた肌はすっかり綺麗になり、髪は艶を取り戻していた。
だが、身に纏っているのは綻びたボロ布のまま。
街の朝光に晒されれば、その粗末さが一層際立って見える。
「なに……?」
俺がじっと眺めていると、フェルテはこてんと首を傾げた。
「――服でも買いに行くか」
「おーっ!」
途端に眠気が吹き飛んだように、フェルテが両腕を掲げて目を輝かせる。
その無邪気な笑顔に、こちらの頬も自然と緩んだ。
地図を広げ、俺たちは広場へ歩みを向ける。
朝の喧噪が広がる広場を進んでいると、その先に店が並んでいるのが見えた。
地図によれば、この通りを抜ければ、アステリアへと続く門に辿り着くらしい。
合流まで時間はある。買い物が済んだら一度足を運んでみるのも悪くない。
「ねぇねぇ。今日何かやるのかな?あそこ、人が集まってるよ」
俺の袖を小さく摘み、フェルテが広場中央を指さした。
昨晩、俺が剣舞を披露した場所だ。
壇上では朝から人々が忙しなく何かの準備をしている。
「なんだろうな?」
足を止めて眺めていると、不意に背後から声が飛んできた。
「お!剣聖様じゃねぇか!」
「ん?あんた、誰だ」
振り返ると、俺と同じくらいの年齢の男が屋台を組み立てながらこちらを見ていた。
日に焼けた顔に笑みを浮かべ、気さくに話しかけてくる。
「昨日の観客のひとりさ!もう皆あんたの話題で朝から持ち切りだよ!おっかねぇ顔してるから誰も声を掛けねぇみたいだから、俺が話しかけてみたわけだ。ダッハッハッハ!」
男は快活に笑う。
「……俺に何か用か?」
「別にぃ。用ってほどじゃねぇ。ただあんたに礼を言いたかったんだ」
「……礼なら、もうたんまり受け取ってる」
「いいや、こっちが満足してねぇんだ。昨日は有り金ぜーんぶ使っちまったけど、それでも足りねぇ。だから言わせてくれ。――剣聖様!俺に、俺たちに、生きる勇気をくれてありがとう!!」
その大声に周囲の視線が集まる。
注目を浴びるのは正直苦手だ。俺は思わず顔を顰め、声を落とした。
「お、おい。恥ずかしいからやめろ……」
だが、その流れは止まらなかった。
「剣聖様!あたしからも礼を言わせてくれ!」
「俺もだ!ぶっ壊れた空の檻を見るたび勇気が湧いてくる!剣聖様ありがとう!」
「私もよぉ!本当にありがとぉ!剣聖様ぁ!」
いつの間にか人々が集まり、感謝の声が次々と飛び交う。
「――剣聖!――剣聖!」
広場に響き渡るコール。
フェルテが俺の袖を引っ張りながら、目を丸くして囁く。
「おじさん、大人気だねぇ」
「…………」
「あ、ちょっと笑ってるー」
「剣聖って呼ばれる資格なんて俺にはない。ただ、……悪い気はしないな」
剣聖コールが収まる頃には、広場の一角が人の波で埋め尽くされていた。
皆が期待の眼差しをこちらへ向ける。彼らは俺に何かを求めている。
「……気持ちは充分すぎるほど伝わった。また、機会があれば――」
『おおぉぉおおおお!!』
言い切るより早く皆が盛り上がり、興奮の熱が押し寄せる。
ここまで喜ばれるなら、戦いが一段落した後にもう一度剣舞を披露したいとさえ思えてしまう。
「そろそろいいか?用事があるんだ」
「……あ」
俺はフェルテの手を取り、群衆の波をかき分けるようにして広場を抜けた。
やがて辿り着いた先、――それは、街並みの中で一際異彩を放つ建物だった。
黒レンガの壁は冷ややかに光を反射し、銀の縁取りが走る。
一階から四階にかけて、均整の取れた大窓が並び、その全てに精緻な装飾が施されていた。まるで整然と並ぶ宝石のように街を見下ろし、見る者を圧倒する。
そして門扉には、息を呑むほど精緻な彫刻が刻まれ、目の前に立つと思わず背筋を正してしまうような威厳を漂わせていた。
「グリステン商会へようこそ」
重厚な門扉を開けた瞬間、香油の柔らかな香りが流れ込み、澄んだ声が迎えてくれる。
「「おぉ……」」
思わず声が重なった。
俺の吐息が畏れを含んでいたのに対し、フェルテのそれは純粋な感嘆だった。
「キラキラしてる!おじさん、見て見て!服がいっぱいだよ!……でも、なんか静かすぎて変だね」
「そうだな」
店内は外観に違わぬ壮麗さで、塵一つない黒棚に衣服が整然と並ぶ。
黒衣に身を包んだ店員たちは、無駄のない所作で客を導いていた。
その一挙手一投足には、洗練された気品が満ちている。
だが、整いすぎていた。
客は皆、穏やかな顔で品を手に取っているのに、笑い声一つ大きくならない。
自然と声を潜め、背筋を伸ばし、誰もが同じ空気を吸っているように見える。
その列の中には、悪魔の姿も混じっていた。
それでも人々は気に留めることなく、当たり前のように同じ空間を共有している。
本来ならあり得ない光景だ。
壮麗さより先に、どこか息苦しさが胸に残る。
そんな中で、フェルテだけが場違いなほど瞳を輝かせ、宝石箱を覗き込む子どものように周囲を見渡していた。
その天真爛漫さに、肩の力が少し抜ける。
「この子に服を買ってやりたい。見繕ってもらえるか?」
店に入ってすぐ目が合った女性店員に声をかける。
彼女はフェルテを一瞥して僅かに目を見開いたが、すぐに笑みを取り戻し、優雅に一礼した。
「かしこまりました。――こちらへどうぞ」
女性店員の後ろを歩きながら、ふと周囲に目をやる。
客の中には、悪魔の姿も混じっていた。
昨晩泊まった『星灯亭』でもそうだったが、この街では人と悪魔が当たり前のように同じ空間を共有している。
やはり、その光景には違和感が拭えない。
「おじさん、見てきていい?」
「いいぞ」
「やったあ!」
案内されたのは、女性用の衣服がずらりと並ぶ一角だった。
棚を埋め尽くすほどの品揃え。これだけあれば、フェルテに似合う服も見つかるだろう。
彼女は弾む足取りで女性店員と並び、楽しげに服を選び始めた。
その様子を見つつ、俺は手近にあった衣服を一つ取り、指先で布地をなぞる。
滑らかで張りがあり、縫合も実に丁寧だ。思わず値札へ目をやる。
「五千ダリオン……?見間違いか?」
「いえ、お客様。見間違いではございません」
背後から穏やかな声がして振り向くと、眼鏡をかけた物腰柔らかな男が立っていた。
細められた目は、笑っているのか読み取れない。
「当店の信条は、『最良の品を、誰にでも手の届く価格で』でございます」
「他の街でこの質の服を買おうとすれば倍は下らんぞ」
「――利益を独占せず、社会に還元し、人々に幸せを届ける。それがこのグリステン商会、ひいては会長エドワードの指針なのです」
「そうか。素晴らしい店だな」
「光栄でございます。今後とも是非ご贔屓に。……そちら、お預かりいたしますね」
服を渡しながら、俺はふとエドワードの柔らかな笑みを思い出した。
自然と、胸の奥に小さな疑問が湧く。
「失礼を承知で、一つ聞いていいか?」
「えぇ。なんなりと」
俺は収納袋から硬貨を一枚取り出し、手のひらで転がす。
「このダリオンと呼ばれる硬貨、発行枚数に上限があると聞いた。しかも年に一度の徴税で、稼げば稼ぐほど税に消える。それこそ手元に金が残らないほど。だが、それにしては街の物価が妙に安い。理由はそこにあるのか?」
「……もしや、街の外から来られた方で?」
「そうだ」
店員は一瞬口角を下げ、納得するように頷いた。
「なるほど。――お察しの通りです。年に一度の徴税で所得は街単位に調整されます。収めた税は再び市井へと分配され、貧富の差は徹底的に均されるのです」
その声が次第に熱を帯びていく。
「この街にいる限り、出る杭は打たれる。――それは誰にとっても幸福なことなのですよ。恐らくここは、世界で一番格差のない街、民が平等に生活できる街でしょう!」
見開かれた瞳は虚ろに黒く沈み、そこに光はない。
ふと視線を巡らせれば、当たり前のように買い物を楽しむ悪魔たちが、嘲笑を浮かべながらこちらを見ていた。
店内に流れる弦楽の旋律が、優雅さの中に微かな不協和を孕んで鳴り響く。
「……なるほど」
「こほん。……失礼いたしました。それではごゆっくり当店をお楽しみくださいませ」
その笑みは信念ではなく、己を縛る呪縛に見えた。
「哀れな在り方だ」
去る背中に小さく吐き出したその時――、
「おじさーん、こっち来て!早く!」
明るい声が、重苦しい空気を切り裂いた。
「……今行く」
仕切りの中からフェルテが顔を覗かせ、そっとカーテンを開く。
まず目に映ったのは、金糸の刺繍が施された漆黒の上衣。
細やかな意匠が光を受けて僅かに煌めく。
下は黒の短衣で、動きやすさを重視した造りながらも、陰影の中に凛とした華やかさを帯びていた。
派手に映える桃色の髪が、その黒の装いを更に際立たせている。
「似合ってる。何より動きやすそうだ」
「へへん、そうでしょ?ボクの輝き過ぎるセンスに驚いた?」
「あぁ。眩しすぎて目が焼けそうだ」
「ちょっと!それって褒めてるんだか馬鹿にしてるんだか!」
頬を膨らませるフェルテの足元に、いくつかの服が無造作に転がっていた。
「買いたい服はそれだけか?」
「これとかこれもー、欲しいような?なんちゃって」
フェルテは手に取った衣服をそっと抱え、照れくさそうに小さく笑う。
「俺たち二人で稼いだ金だ。好きなだけ選べばいい」
「――!おじさん、愛してる!!」
フェルテが瞳を潤ませて叫ぶと、女性店員が俺たちを交互に見つめ、両手で顔を覆った。
「きゃっ」
「……勘弁してくれ」




