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第11話『螺旋を描く』

「またのご来店をお待ちしております」


 女性店員に見送られ、俺たちは店を出た。

 乾いた空気が肺を満たし、頭上を仰げば太陽は天辺付近にあった。

 俺は店で買った腕時計に目をやる。


「まだ集合まで時間があるな」

「どうするー?」

「門の様子を見に行く」

「おぉ!偵察だね。そういうのボク、ワクワクしちゃう」


 全身を使い屈託のない笑顔で好奇心を表現するフェルテの姿は、つい先程までの薄汚れた身なりが嘘のようだ。

 店の二階で買った黒い革靴を履き、フェルテはようやく素足ともおさらばだ。

 衣服や小物をあれこれ揃えたが、収納袋にはまだ余裕があり、手持ちの金も半分は残っていた。


「なんだか平和だよねー。昨日は美味しいご飯食べて、お風呂にも入れて、今日は買い物まで楽しんじゃってさ。不思議な気分だよ」


 道すがら、後ろに手を組んで歩くフェルテがぽつりと漏らす。


「これは仮初の平和に過ぎん。この街の影には恐怖が蔓延っている」

「――うん。楽しいのに、全然ほっとしないや」

「それは、この街に限った話でもないがな」


 竜王という存在が、悪魔という存在が、長きに渡りジガルドを恐怖で蝕んできた。

 だが、世界そのものを覆う脅威は別にある。

 魔皇という脅威があり続ける限り、恐怖はこの街だけでなく世界中に蔓延し続ける。

 時が流れるほど、その恐怖は根を張り、世界をじわじわと蝕んでいく。


 ラヴェナとカルネア。

 その在り方には、慧竜王ノクシオンの思想が色濃く刻まれている。

 ヤツが矢面に立ってジガルドの形を塗り替えたのはまず間違いないだろう。

 そして内層、――アステリアは、悪魔公爵ルーペの嗜虐が骨の髄まで染み込んだ領域に違いない。

 アステリアの実態をこの目で確かめれば、俺の取るべき道筋も見えてくるだろう。

 そんな予感が胸に燻る。


 門へ近づくにつれ、人の往来はまばらになっていた。

 街の喧噪が遠ざかり、空気が鋭くなる。


「おい、あんた」


 背後から、低く饒舌な声が落ちる


「……」


 振り向かずとも感じ取れる。

 この気配は悪魔だ。


「おい」

「……なんの用だ。斬るぞ」


 殺気を込めて振り返ると、薄笑いを浮かべた男が立っていた。

 ケラケラと笑う顔――ケルヴァードだ。


「ケケケ。相変わらず鋭い殺気だな」

「――お前か。何故ここにいる。門番じゃないのか?」

「おぉ!オレのこと覚えててくれたか!今日は非番さ。だから別にここを歩いてようが何ら不思議はねぇだろ?」


 彼の笑いは場に溶け込み、だがどこか不穏だ。


「それよりあんた、今すぐ何かするつもりじゃねぇだろ?なら一杯飲もうぜ。あんたが死ぬ前によぉ」

「悪魔に酒は要らんはずだ。それに、俺はここで死ぬつもりはない」

「その言い方だと、まるで死に場所は決めているように聞こえるぜ?」

「お前に教える義理はない」


 ケルヴァードの目が細まり、楽しげに首をかしげる。


「この街のこと知りてぇんだろ?一杯付き合ってくれんなら、オレが教えてやってもいいぜ?」

「……酒は飲まんぞ」

「ケケ。こっちだ。ついてこいよ」




―――――




 昼間だというのに、店内は夜のような暗さに沈んでいた。

 外の光を遮断した小さな窓が幾つか壁に並び、天井から吊るされた油ランプがほのかに揺れている。

 空気には酒と煙草の匂いが染みつき、場末の湿り気を帯びていた。


「ここは昼間っからやってんだ。マスター、いつもの。……あんたらは?」


 ケルヴァードは躊躇なくカウンターに腰を掛ける。

 脚を組み、背もたれにだらしなく身を預ける様は、完全に我が家で寛ぐそれだ。

 俺はその横に腰掛けた。真昼間ということもあってか、店内に他の客はいない。


「アイスコーヒーを頼む」

「ミルク!」


 フェルテは元気よく注文し、俺の隣の椅子にちょこんと座った。場違いな無邪気さが、逆にこの薄暗い空間を際立たせる。

 俺たちの前に冷たい水が置かれた。


「一つ聞きたい」


 俺は腕を組み、ケルヴァードを睨む。


「俺たちは敵同士だ。なぜ接触した」

「怖い顔すんなよぉ。そんなの決まってんだろ。退屈だからだ」


 ケルヴァードは指先でグラスを弾き、カウンターに小さな音を響かせる。にやけた顔の裏に、深い倦怠が透けて見えた。


「オレはもうこの街に飽きてんだ。同じような日々の繰り返し。新鮮なのは最初のうちだけだった。だがこの街の仕組みは安定しちまった。悪魔も人間も全員がノクシオンの野郎が思い描く理想の歯車。……つまんねぇよなぁ?マスター」

「私は自分の好きなことができれば、それでよいので」


 淡々と返すバーテンダーの声は低く、波立たない。


「ケッ!俺のこと怖がんなくていいっつってんだろ?」


 ケルヴァードは身を乗り出し、わざと笑い飛ばす。


「悪魔だとか人間だとかくだらねぇ。オレのご機嫌取りしなくたって、マスターに手を出したりしねぇよ。じゃなきゃここの酒が飲めなくなるだろーが」


 俺は静かにグラスの水滴を指先で拭った。奴の軽口を真に受ける気はない。だが、その態度の裏には確かに本音が混じっていた。


「おっと。話が逸れちまったな」


 ケルヴァードは顎をさすり、再び俺を見据える。


「あんたの言う通り、確かに俺たちは敵同士だ。ノクシオンの指示があれば、次に会うときは戦場かもしれねぇ。でも今日は非番だ。非番の日くらい、オレはオレのやりてぇように生きる。……それに、あんたならオレを退屈の檻から解き放ってくれる。そんな気がしてんだ」

「――お待たせしました」


 カウンターにグラスが置かれる。氷の音が涼やかに響いた。フェルテは「わぁ」と小さく声を上げ、ミルクを抱えるようにして両手で持った。


「ありがとよ。……で、あんたの知りてぇことは何だ?アステリアのことか?それともルーペ様のことか?」

「どっちもだ。まず悪魔から見たこの街のことが知りたい」


 ケルヴァードはゆっくりと酒を一口含み、唇の端を拭った。

 わざと間を置いてから、低く語り出す。


「アステリアにはオレたち悪魔が住んでいる。ノクシオンとオレたち悪魔とじゃ性質がちげぇ。オレたちはルーペ様についてきている。だからルーペ様が街に居続ける限り、誰もどこにも行きやしねぇ。オレたち悪魔の世界じゃ強き者が正義だ。その点ではノクシオンの野郎も化け物じみてるがな、……やり方が気に食わねぇ」


 ケルヴァードの手が、無意識にグラスを握り締める。

 その指先に浮かんだ力は、心の奥底に鬱憤が溜まっていることを雄弁に物語っていた。


「まるでオレたち悪魔を都合のいい駒みてぇに使いやがる。そのやり方は悪魔の性質に合わねぇ。オレたち悪魔は心が思うままに動く生き物だ。頭で損得考えるようなヤツとは水と油なんだよ。……だが、ノクシオンは抜け目がねぇ。オレたち悪魔の不満が最高潮に達する寸前を見極めては、巧みに手綱を引きやがる。そうやって土台を揺るがさねぇまま、この街の仕組みを保ってるってわけさ」

「……なるほど。一枚岩ではないと」

「こういうこった。悪魔も悪魔で自由だしな。ルーペ様がいるから俺たちは渋々ノクシオンに従ってやってんだ。ま、そうじゃねぇヤツも中にはいるがな」


 ケルヴァードはグラスを傾け、喉を潤す。

 グラスを滑る黄金色の液体から、仄かにバニラの香りがした。


「ルーペとはどんなやつだ」

「ルーペ様は始まりの十一柱に名を連ねるお方だ。自由奔放で野心はねぇが、その追求心と好奇心は、正に悪魔の鑑ってやつよ。この街でルーペ様の望みは実現されている。だから街の仕組みには深く関与してねぇ」


 俺はその言葉を反芻する。

 始まりの十一柱――悪魔の根源に名を刻む存在。

 その名を口にするケルヴァードの眼差しには、畏怖と憧憬が入り交じっていた。


「悪魔は人間の恐怖を喰らう。その中でも純粋な人間の恐怖は格別だ。だからか知らねぇが、ルーペ様は子どもが好きだ。オレたち悪魔は何かしらの趣味に身を捧げる性だが、ルーペ様は子どもを愛することに一心不乱だ。全てをそこに注いでいると言っても過言じゃねぇ。そして、――今は特にお気に入りの双子がいる」

「双子?」

「そうだ。双子は人間と淫魔のハーフで、確か十三歳だったな。えらい整った顔のガキ共でな、もう何年も前からルーペ様が傍に置いている」


 少しずつだが、この街の実態が見えてきた。

 ノクシオンの思想とルーペの嗜好、互いの思惑が絡み合い、この街の奇妙な均衡を形作っている。


「ノクシオンの理想、――街を完全に統治したいという野望。ルーペは少年少女を周りに侍らせたいという執着。この二つがこの街全体を読み解く鍵というわけか」

「……あんたは悪魔を殲滅すんのが目的だろ?なぜそこまで街を知ろうとする?昨晩のこともノクシオンに知られてんだぞ」

「俺の中の正解を導くためだ」


 ケルヴァードは一瞬呆然とした後、目を細めてニヤリと笑い、残った酒を一気に飲み干した。

 そして、叩きつけるようにして硬貨をカウンターに置く。


「ここはオレの奢りだ。いいもん見せてやるから隠れてついてこい」


 ケルヴァードはポケットに手を突っ込み、肩を揺らしながらドアへと向かう。

 外気を呼び込むように勢いよくドアを押し開けると、振り返りもせず言い放った。


「釣銭はいらねぇ。またくるぜー」


 その背を目で追いながら、俺とフェルテも慌ただしくグラスを空にする。

 グラスを置くと、氷の崩れる音が小さく響いた。


「失礼する」

「ご馳走様!」


 俺たちは椅子を引いて立ち上がり、店を後にした。

 昼間の光は眩しく、ケルヴァードの背中を照らしている。

 俺とフェルテは言われたとおり、建物の陰に身を潜めながらその後を追った。

 向かう先はアステリアへの門だ。中の様子が見れるかもしれない。


「あれか」


 少し離れた位置からでも煌びやかさを感じる門に、思わず息を漏らす。

 カルネアの門は無骨な鋼鉄製だったが、アステリアの門は別格だった。

 純白の門に赤い紋様が絡みつき、昼の光を受けてより一層輝きを増している。

 高さはカルネアの門と同じく三メートルほどだ。


「よう」


 ケルヴァードが軽く手を上げる。


「……なんじゃ、お前か」


 門番は一人。

 ケルヴァードの声で、閉じていた目をゆっくり開く。

 細身の体に、筋くれだった腕が左右に四本。

 煤けた皮膚に刻まれた皺は、不気味な紋のように浮かび上がっている。

 老獪な悪魔、――だがその目は異様に若く爛々と光っていた。


「門を開けてくれ」

「……飛んでいけばよいじゃろう」

「耳貸せよ」

「あぁん?」


 ケルヴァードが門番の老悪魔に近づき、何かを囁いた。

 一体何を話しているのだろうか。

 聞き耳を立てたが、声は風に溶けて掴めない。


「……チッ。めんどいのう」


 舌打ちと共に、老悪魔が重々しく立ち上がった。

 左右二本ずつ、煤けた腕が門扉に触れ、鈍い金属音が響く。

 細身の体に似合わぬ筋が浮かび、骨のように筋立った指で門を押し開く。


 軋む音と共に門が少しずつ開いていき、その隙間から光が差し込む。

 光に照らされたケルヴァードが、ふとこちらを向いた。


――にやり。


 悪意、不純、軽蔑、卑俗、愚弄。

 それら全てを一緒くたにしたような笑み。

 その笑みの奥に何を隠しているのか全く読めず、背筋に冷たいものが走る。


「ひー。相変わらず重いのう」

「助かるぜ。俺じゃ開けるのに半日はかかっちまう」


 門が完全に開かれ、アステリアの光景が露わになる。

 カルネアの郷愁に駆られるような街並みとは対照的に、そこは悪魔の美学が凝縮された赤と黒が織り成す異形の街並み。


 血染めの紅と墨の黒が絡み合い、魔界に迷い込んだのかと錯覚させられる。

 屋根瓦は艶やかな黒鉄、壁面は深紅の漆喰で塗り固められ、家々はどれも異形の角度で傾いている。

 一本の通りを見渡すだけでも、光と影の境界が幾度も捻れ、現実感が遠のいていく。


 ケルヴァードは迷いなく門をくぐり、その先にいた人物と立ち話をしている。

 一方、老悪魔は地面に腰を下ろし、頬杖をついてぎょろりとこちらを見ていた。

 物陰に隠れて気配を消しているはずだが、視線の熱が確かに届いてくる。


 ――見られている。


 老悪魔の眼光は、皮膚の裏を焼くだけでなく、心の奥まで覗き込んでくる。


「バレているな」

「……どうする?逃げる?」


 老悪魔はこちらを見ているだけで動こうとはしていない。

 門に一番近い路地に身を潜めているため、後ろには逃げ道がある。


「いや、もう少し見ていこう。……ん?」


 ケルヴァードは一体誰と話しているのか?

 その疑問は、彼が身をずらしたことで明らかになった。


 ――見間違うはずがない。

 十数年ぶりだろうと、その顔は忘れない。


 ケルヴァードがゆっくりと、俺たちの潜む路地を指差した。

 同時に、その背後にいた人物の姿がふっと掻き消える。


「……」


 息を呑む暇もなかった。

 背後に突如として、明確な殺気と強大な魔力の気配が現れる。


 俺は反射的にフェルテを抱き寄せ、地を蹴った。


 路地から飛び出た俺の眼前に、八つの拳が映り込む。


 地を滑るように体を捻り、拳の奥にある胴目掛けて蹴りを叩き込む。

 骨の軋む手応え。今の一瞬のうちに門を離れ、目の前にいた老悪魔の体が僅かにたわむ。

 その隙に体勢を立て直し、息を吐く。


「失敗ですか」

「察知能力どうなってやがんだ」


 薄暗い路地から、姿を現す二つの影。

 一人は白髪の悪魔。

 もう一人は――、


「ノクシオォォン!」


 思考が激情に染まり、唾を飛ばしながら叫んだ。

 フェルテを力強く抱えたまま、地面を蹴り上げる。

 足裏から衝撃が全身に跳ね返り、視界が一瞬にして弾けた。

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