第9話『線となりて』
「ここジガルドは、支配者に全てが管理されている街。違うか?」
「左様でございます。商売も、生活も、食事も、娯楽も、街の人口に至るまで、悪魔による悪魔のための政治によって全てが管理されております」
「自由さえも、か」
ふと、広場の光景が脳裏によみがえる。
俺が演舞を披露するまでは、広場は閑散としていた。
まばらに並ぶ屋台に僅かな人が集まり、ある者はただ座って休んでいるだけ。催しは何一つとして行われていなかった。
だが、フェルテが呼び込みを始めた途端、催事の噂は瞬く間に広がり、次々と人が人を呼び、広場はあっという間に人で溢れかえった。
そして、演舞中に見た観客たちの燦然とした目の輝き。
金の雨を思わせるほどの惜しみない投げ銭。
胸に突き刺さる違和感という名の小さな針が、真相の輪郭を浮かび上がらせようとしていた。
「……催事の一切が、この街では禁止されている」
エドワードは僅かに目を見開いた。
「――おおよそ間違っておりません。それについても詳しく説明しましょう」
「頼む」
「先程、この街に存在する区画ごとの住人についてお話しましたが、実はそれぞれの区画で許されている仕事が決まっているのです。ラヴェナでは食物の栽培や資源の採取、採掘。カルネアではそれらの加工、販売など。そしてアステリアでは芸術や娯楽に関わること。区画の枠を超えて許可されていないことをした場合、即座にラヴェナ送りとなります」
エドワードの話を聞き、ラヴェナで出会った者たちの姿が脳裏によみがえる。
目の奥に潜んでいた、あの強い使命感。
その正体は、この街の仕組みにあったのだ。
「ラヴェナがこの街の根幹を担っているのか」
「……ええ。腹立たしい限りですが、間違いなくそうです」
エドワードの声が少し震えた。
彼は一瞬だけ言葉を飲み込み、苦悶のような表情を浮かべると、静かに口を開いた。
「デューク殿も、ラヴェナで少しは見たはず。ラヴェナの住人は資源を掘り、木を伐り、田畑を耕し、時には命を賭して海へ出る。泥と血にまみれ、陽が昇ってから沈むまで、一息つく暇すら与えられない。倒れた者がいれば、他の者が穴を埋める。――悪魔たちにとって、彼らの命は道具も同然。簡単に使い捨てられ、いくらでも替えの利く労働力……!」
拳を握りしめ、エドワードは歯を食いしばった。
その瞳には怒りと悲しみが滲んでいる。
「……カルネアとアステリアに住む者たちを生かすために、己の身を削りながら、彼らは働き続けているんです。……すみません、彼らのことを思うとつい」
「――泣くな」
「……え?」
俺はまっすぐ、エドワードの目を見る。
ラヴェナの実態を聞き、悪魔への怒りが胸の奥で燃え始めた。
同時に、必ずこの街を救うという意志が、より一層強く固まっていく。
胸に宿るは怒りの焔。その焔を原動力にせずしてどうする。
「泣くなと言っている。ラヴェナの者たちは、今の自分にできることを日々やっているんだ。この街に生きる誰かを想い、命懸けで働いている。己の人生を嘆くほどの過酷な環境の中で、それでもなお、カルネアとアステリアに住む者を絶対に死なせまいとしていた。――あれは、強い使命感だ。決して汚してはならない誇りだ。だからこそ、想う気持ちがあるなら泣くな。想いを胸に、自分にできる戦いをすべきだ」
「想いを、胸に……」
エドワードは拳を胸に当てた。
「そうだ。今なら反逆の種がここにいる。俺はこの街の厄災を必ず排除する。その後には、あんたにしかできないことがきっとあるはずだ」
「――デューク殿。私はこれまで、鳥籠の中で生きる一羽の鳥のようなものでした。悪魔に課された運命に大人しく従い、自分を守り、家族を守り、人としての尊厳をどうにか保とうとしていました。未来を諦め、抗おうともしない。……それが私という人間だったのです。ですが、あなたがこの街に来た。素晴らしい演舞を見せてくれた。そして今、こうして奮い立たせる言葉を投げかけてくれた。あなたという存在が、私に勇気を与えてくれる。あなたと共に戦いたい。不思議と、心の底からそう思えるのです。私はもう逃げません。……覚悟はできました」
エドワードは静かに立ち上がると左手を差し出し、俺に握手を求めた。
「申し遅れました。私はこの街随一の商会、――グリステン商会の会頭、エドワード・グリステンと申します。微力ながら、あなたの力となれるよう尽力いたします」
差し出された手と、エドワードの表情を見る。
彼の心情の変化は明らかだった。
傍観者から、当事者へ。怯える市民から、覚悟を持った男へ――。
俺はその手を、しっかりと握り返す。
握った手の力強さは、言葉以上に決意を物語っていた。
「よろしく頼む」
短い一言に、俺自身の覚悟も宿す。
ぶつかり合った二つの覚悟は、静かに溶け合い、理解へと変わっていく。
まだ多くを知らぬ相手ではある。だが、俺は彼の中に、幾度も修羅場を共にした戦友の面影を見ていた。
「それにしても、よく食べる子ですね」
「食い意地の張った娘だと思ってはいたが、ここまで食べるとは。胃に収納魔法でも仕込んでいるのか?」
フェルテは一心不乱な様子で肉にかぶりついていた。
俺の言葉などまるで耳に届いていない。
「――ハハハ!デューク殿の皮肉も聞こえぬほど、フェルテ嬢は食事に夢中なようですな!」
「このままではこいつに全て食べ尽くされてしまう。俺たちもそろそろ食べよう」
「そうですね!フェルテ嬢の食べっぷりを見ていると、不思議とこちらもお腹が空いてきます」
「……確かにな」
腹の虫が鳴り、エドワードの言葉に同意する。
フェルテはとても美味そうに飯を食う。携帯食料の時とは大違いだ。
俺も空きっ腹を満たすため、肉にかぶりつき、パンを食らい、それらを水で流し込む。
ちゃんとした食事を摂るのは六日ぶりだ。
乾ききっていた身も心も満ちてゆくのを感じる。
晩飯を食べながら、これまでの話を頭の中で軽く整理する。
各層の決まりやしきたり。悪魔の支配が始まった年。ルベロから聞いた『命の契り』。
肉をゆっくり咀嚼しながら、それらを順に並べ、これから行う悪魔との戦闘に向けて、まだ見落としている核心がないかを考える。
街の輪郭は見えてきた。だが、それだけでは足りない。
ジガルドを今の形に塗り替えた存在の意図まで掴まなければならない。
「エドワード。……もう一つ、確認しておきたいことがあった」
「……ゴク。なんでしょう?」
「この街に、竜王が現れたのはいつだ?」
竜王という言葉に聞き覚えはないのか、エドワードが小さく首を傾げた。
「竜王?竜に化ける男のことを言っておりますか?」
「そうだ」
「うーん。いつの間にかいた、というしかありませんなぁ。ですが、これまでお話しした街の体系や、この街を覆う巨大な黒籠、街を層として分ける壁なんかは、竜に化ける男がこの街に来てから作られたものです」
「悪魔より後に来た存在が今の形に街を創り替えた、という見方ができるな」
「左様でございます」
慧竜王が悪魔より後にこの街に来た。これは確定で良さそうだ。
一つ回答を得ることができたが、また疑問も生まれた。
今も慧竜王が悪魔と手を組んでいることは、ジガルドへ来る道中に受けた罠、そしてこの街の体系が今も変わっていないことを聞くに明らか。
では、慧竜王が悪魔と手を組むに至った経緯はなんなのか。
なぜ今もなお、悪魔と手を組み続けているのか。竜王とは本来、群れを嫌う孤高の存在のはずだ。
竜王の中でも、慧竜王は特に群れるのを嫌うようなやつだ。
慧竜王は誰かと誓約を交わしているのか?でも何のために……。
これ以上考えても推測の域を出ない。
エドワードの知るところでもないだろう。
この問いに答えられるのは奴自身しかいない。
「わかった。有益な情報を感謝する。フェルテ、腹は満たせたか?」
「うん。満腹、満足」
フェルテは膨らんだ腹を叩きながら、背もたれに寄りかかっている。
エドワードに目配せをすると、笑顔で小さく頷いた。
「会計を頼む」
胸ポケットから銭を取り出して勘定を済ませ、食堂を出た。
「いやー、食べましたな!デューク殿、ご馳走様でございました」
「世話になった礼だ。気にするな」
そのままフロントで紙を受け取り、ペンを借りた。
部屋の前でエドワードと別れ、台座に板版をかざして鍵を開ける。
「おおー!すごく広くて綺麗だよ!」
扉を開けるなり、フェルテは興奮した様子で部屋の奥へ駆けていった。
確かに、一晩泊まるだけにしてはやけに広い。
俺は入口近くのソファに腰を下ろし、長テーブルに紙を置いて借りたペンを握った。
「何を書いているの?」
筆を走らせていると、フェルテが横から顔を覗かせた。
「日記だ」
「へぇ。おじさんが日記書くなんて、なんか、意外だね」
「日記を書いていると、頭の中の物事が整理できて便利だ」
「ふーん。なんで書き始めたの?忘れないため?それとも、一人で抱えすぎないため?」
一瞬、言葉に詰まる。
フェルテの問いは、思っていたよりも深いところに触れていた。
「……俺の冒険を聞きたいという物好きがいるんだ。毎回根掘り葉掘り聞かれて面倒だから日記を書き始めた。今では書くようになって良かったと思っている。……そういえば、この部屋は風呂がついているらしいぞ」
「ほんと!ボク、お風呂入ってくる!」
バタバタ走ってフェルテがいなくなり、再び一人になった。
俺は日記を書き進め、今日の出来事を思い返す。
今日は長い一日だったが、収穫が多い一日でもある。
俺はこの世界で異端の存在だ。
異端故に孤独。
唯一日記だけが、仲間と俺を繋げてくれる。
だから俺は、俺の全てを日記に綴る――。
―――――
――カタカタカタ。
屋敷の一室で、窓と机上のティーカップが揺れ、注がれたばかりの紅茶が僅かに溢れた。
「……何が起きている」
私は思わず声を漏らし、窓の外を見やった。
蛇眼に映ったのは、夜空を裂く稲光と、ジガルドを囲む籠の一部が焼失する光景だった。
あの檻は、今のジガルドの在り方そのもの。それが何者かの手によって破壊されている。
私は読みかけの本を閉じ、速やかに思考を切り替える。
そして、今の事象について瞬時に推理を張り巡らせた。
今日、デュークがカルネアに到着することを私は予測し、深く信頼を寄せる悪魔に門番を任せていた。
この異変を引き起こしたのが、ジガルドの住人ではないのは明らか。彼らのことは一人残らず把握している。彼らには到底成し得ぬ業だ。
となれば、外から訪れた者、――カルネアに招き入れたデュークが関与している可能性が極めて高い。
「ヤツが関与している確率は、九割。――否。九割九分……!」
ここまで考えて、私はふと疑問を抱いた。
門番には確かに指示を出していた。絶対に出していたが、その指示は守られたのか?
「確率は四割、といったところ」
――私は慧竜王。
知識の化身にして、あらゆる可能性を見通す者。
知性において、私に勝る者などいやしない。
己の誤算すら即座に見抜き、修正してみせる。私にしかできない芸当だ。
思考の速さに加え、私はそれを即座に行動へと移す決断力も備えている。
「カルネア南壁兵。至急応答しなさい」
『――こちら、カルネア南壁』
ティーカップの横に置かれた、白く薄い石板。
石板の中央に埋め込まれた魔石には、魔力が蓄えられている。
魔石に再度魔力を流し込めば、あらかじめ同じ術式が刻まれた別の石板を通じて、遠方での会話が可能となる。
これはかつて、今は亡き、ある男と共に創り上げた代物である。
私はこの便利な石板に、『伝声石』と名付けた。
「ケルヴァードですね。一つ確認があります。街にやってきた剣士から武器は取り上げていますか?」
『ケケ。ちゃんと取り上げて身一つで門を通してるぜ。運んだ場所から盗られてもいない。俺も遠くから見ていたが、あの人間がやったってか?そりゃすげぇ』
「はい。あれは間違いなく彼の剣技『極剣流』です。武器の生産はカルネアで禁止しています。どんな手段を使ったか不明ですが、持ち出したか新調したか、隠し持っていたと考えるのが妥当。もう一度押収した物の存在を確認してください」
『了解。確認したらまた連絡するぜ』
様々な線が見えてくる。
今のデュークの力の片鱗が垣間見えた。これは貴重な情報だ。
最後に見た魔皇戦のときの強さから、彼の力量には変化があることは承知していた。
黒色探索者という肩書きはあるが、その実績は不透明。
噂は多いが、所詮は噂に過ぎない。
もし剣を使わず、先程の事象を成し得たのだとしたら、――私はデュークを過小評価していた。
私の中でのデュークの評価は、魔皇戦で止まっていると言っていい。
大切な仲間を失い、利き腕を失った男だ。評価は下がれど上がりはしない。
「策を練り直す必要がありそうですね」
取れる選択肢は、まだ無数にある。時間の猶予もある。
十年以上かけて築き上げた、私の楽園。
初めは嫌いだったこの街も、今では随分気に入っている。
私が全てを掌握し思うがままに管理する街。これ以上愉快なことはない。
この楽園を守るために。
過去のいざこざを精算するために。
「完膚なきまでに叩き潰してあげましょう」
ティーカップの底に沈殿していく茶葉と共に、私は思考の海に沈んでゆく。




