第8話
カミラは手紙をそっと置き、小さな包みに手を伸ばす。白い布で丁寧に包まれており、口は細い紐で結ばれていた。ほどくと、中から乾燥した香草の小袋と、折りたたまれた紙が出てくる。
「これ……ミートパイのレシピ……?」
紙を開いた瞬間、カミラの目に飛び込んできたのは、丸みのある親しみ深い字だった。
『カミラちゃんへ』
その一行を見ただけで、胸がいっぱいになる。
『あの日、帰りに寄ると言っていたのに、食べさせてあげられなかったね。ミートパイを焼いて待っていたんだけど、あんなことになってしまって。今でも、あの日のことを思い出すと涙が出てきます。
本当は作ったミートパイを送りたかったんだけど、シントレアは遠い国だというので、せめて、作り方だけでも送ることにしました。こっちで使っている香草も少し入れておくから、そちらで食べてください。同じ味にはならないかもしれないけど、少しでもエミリスワンの味を思い出せますように。』
そこまで読んだところで、文字がにじんだ。カミラは慌てて瞬きをする。しかし、こぼれそうになる涙は止められなかった。
「……ごめんなさい」
なんとか押さえようとはしたものの、それでも声が震える。それに対して、ヴィンセントが何か言いかけた気配がした。しかし、すぐには言葉を挟まなかった。
リーサもまた、何も言わずにカミラのそばに控えている。
「私……あの日、クレールおばさんに言ったんです。雪かきが終わったら、帰りに寄りますって。ミートパイを焼いてくれるって言ってくれて……」
カミラは紙を両手で握りしめた。
「でも、その日に……あんな事が起きて、私は、結局クレールおばさんには会いに行けなくて……」
言葉にした瞬間、あの日の朝の景色が鮮明によみがえった。雪の匂い。冷たい風。城下へ続く石段。クレールの家から漂ってきた、温かな朝食の香り。何気ない約束。すぐに果たせると思っていた約束。
それが、もう果たせない約束になってしまった。
「……悪かった」
ヴィンセントの声は、低かった。カミラはそこで、はっとする。
「あ……すみません。ヴィンセントさんを責めたいわけではないんです。ただ……」
「謝らなくていい」
ヴィンセントは静かに首を振った。カミラは言葉が出てこない。
「そうか……俺たちが奪ったのは、城門や土地だけではなかったのだな」
その言葉に、カミラは息をのんだ。
(……ヴィンセントさんたちも、思うところはきっとあるよね……)
ヴィンセントは、レシピの紙と香草の小袋を見つめていた。眉間にかすかに皺が寄っている。怒りではない。どこか、痛みをこらえているような表情だったのがカミラも気にかかる。
「そのミートパイというのは、あなたにとって大事なものなのか」
「はい……小さい頃から、このミートパイで育ったようなものです」
「そうか。それでレシピを?」
「はい。こっちで作って、と……」
「なら、作れる者を探そう」
「え……?」
思いがけない言葉に、カミラは目を見開いた。
「いえ、そんな、そこまでしていただかなくても……」
「俺がそうしたい。あなたがあの日、ミートパイを食べられなかったのは俺のせいなんだろう。償いにはならないかも知れないが、あなたに食べさせたい」
「ヴィンセントさん……」
カミラは手元のレシピに視線を落とした。もちろん、使う肉や小麦粉が違うので、まったく同じ味にはならないだろう。クレールの家の窯も、エミリスワンの空気も、あの日の朝も、ここにはない。
しかし、ヴィンセントがそれを取り戻そうとしてくれる。その事実が、傷ついた心に沁みる。
「……ありがとうございます。クレールおばさんも、きっと喜びます」
カミラがそう言うと、ヴィンセントは少しだけ目元を和らげた。
「リーサ」
「はい」
「料理長に話を通してくれ。このレシピで作れるか確認させる」
「かしこまりました」
リーサがレシピを受け取ろうとして、カミラは一瞬だけ手を止めた。クレールが自分の手で書いてくれたこの紙を手放すのが、少し惜しかった。リーサはそれに気づいたのか、柔らかく微笑む。
「大切なお手紙ですもの。私が勝手に中を見ることはいたしませんからご安心ください」
リーサはカミラからレシピを受け取ると、丁寧に布で包み直した。
「書記官のもとで写しを取らせます。私は料理の手順書を写せるほど文字に明るくありませんので……。原本は必ず、カミラ様のお手元にお戻ししますね」
「……ありがとうございます」
リーサは礼をして部屋を出ていった。それを見送り、クレールが送ってくれたという小袋を手に取る。中を開けると香草のにおいがあたりに広がった。山に入ったとき、籠の中でベリーや山菜に混じっていた香り。クレールの台所で、肉料理に使われていた香り。カミラはその小袋を胸に抱いた。
「……エミリスワンの匂いがする……」
そう小さくこぼすと、ヴィンセントがこちらを見た。
「そうか。少し、俺にも嗅がせてくれ」
「はい、もちろん」
ヴィンセントが近づいてきて、カミラが差し出した小包の中を嗅ぐ。
「……ああ、いい香りだ。確かにこの国では嗅いだことがないが……心が安らぐ」
ヴィンセントが笑みを浮かべた。その言葉に偽りがないのがわかる。カミラへの慰めでもなんでもなく、本当に故郷の香りをヴィンセントがいいと言ってくれている。ただそれだけのことなのに、心が温かくなる。
「……では、俺は料理長に話が通るまでに用事を済ませてくるから、あなたは好きに過ごしていてくれ」
「はい。ありがとうございます」
部屋を出ていくヴィンセントを見送ってから、もう一度小包のにおいを嗅ぐ。
(あぁ……これだけでお腹空いてきたかも)
それでもその空腹すら愛おしく感じる。遠く離れた故郷から、小さな日常が届いたようでカミラは頬が緩むのを止められなかった。
しばらくして、リーサが部屋に戻ってきた。その後ろには、白い帽子を胸に抱えた恰幅のいい男性が控えている。年の頃は父と同じくらいだろうか。身なりは清潔で、きっちりと整えられた口ひげが印象的だった。
「カミラ様、こちらが王宮料理長のオルドでございます」
「オルドと申します。カミラ様、このたびはエミリスワンの料理をご所望とのことで、異国の料理はあまり作ったことがないのですが、私が担当させていただきます」
「ありがとうございます! 急なお願いをしてしまって、すみません……」
カミラがそう言うと、オルドは一瞬だけ面食らったような顔をした。それからすぐに、丁寧な笑みを作る。
「いえ、とんでもございません。ヴィンセント様より、できる限り忠実に作るよう仰せつかっております」
「本当ですか? ありがとうございます……!」
カミラの気持ちが弾む。クレールの手作りを食べたいのはもちろんだが、少しでも慣れ親しんだ味に近いものを食べられるのは嬉しい。それに、こうして周囲の人が自分のために動いてくれることが、すごく幸せなことのように思えた。
そこでリーサが先程布で包んでくれたレシピの原本をカミラに手渡してくれる。
「こちら、カミラ様にお返ししますね。時間がなかったので、まだ料理長にも見せていないのですが……」
そう言うリーサからレシピの写しを受け取ったオルドは、目を細めながらレシピを眺める。
「ほう……肉のパイでございますね。材料自体は……ああ、この香草はうちでは手に入らないのではないかと……」
「あ、それも実は送ってもらっていまして……」
カミラはそう言いながら、さっきの小包をオルドに手渡す。受け取ったオルドはおお、と目を見開いた。
「すごくいい香りがしますね。これは美味しいパイが作れそうですよ」
「わぁ……嬉しいです。クレールおばさんのミートパイ、すごく美味しいんです」
「それは、ぜひとも再現せねばなりませんね」
オルドはそう言って穏やかに微笑んだ。しかし、写しをめくる指が、ある一箇所でわずかに止まった。
「おや……」
「何か気になるところでもありましたか……?」
「いえ。それでは、さっそく取り掛かりましょう。私が、腕によりをかけて作ります」
オルドは深く頭を下げた。カミラもそれを見て思わず頭を下げてしまいそうになったが、クラリスの言葉を思い出して思いとどまった。
「よろしくお願いします」
カミラのその言葉を聞いて、オルドはもう一度礼をして、リーサとともに部屋を出ていった。




