第7話
そう言うと、リーサは驚いた顔をした。それでも、すぐにそれがエミリスワンの常識なのだと理解したのか、笑みを作る。
「……シントレアでは、鹿や猪は王侯貴族の狩猟場のものです。庶民が許可なく獲れば、罰せられることもあるので、やはりエミリスワンは特殊なのですね」
「そうなんですか……? エミリスワンでは、山は誰か一人のものではありません。みんなで守って、みんなでいただくものだって言われて育ったので──」
そう話しているところで、少し先で庭師の男が大きな袋を持ち上げようとしているのが見えた。カミラは反射的にそちらへ駆け寄る。
「あっ、手伝いますよ!」
近づいてみると、かなり年配の男だった。髪は白く、腰も少し曲がっている。身なりからすると高い地位の者ではなさそうだった。麻の袋には土か肥料が入っているらしく、持ち上げようとするたびに身体がぐらついている。
「大丈夫ですか? お手伝いします」
「えっ、い、いえ……!」
カミラが袋の端を持つと、庭師の男はぎょっとしたように目を見開いた。それだけで、また自分がおかしなことをしたのだとカミラは察する。そこへ後ろから追いついてきたリーサがカミラ様、と声をかけてきた。
「……すみません、私まだエミリスワンの文化が抜けてないみたいで……こういうこと、きっとシントレアではしてはいけないんですよね」
「そうですね……庭師の方のお仕事ですから」
「……ごめんなさい。私、また……」
「いえ、カミラ様が謝ることでは……」
リーサも言葉に迷っているようだった。庭師の男は、ただ恐縮しきった様子で頭を下げ続けている。その姿を見て、カミラは余計に胸が痛んだ。
「そのように頭を下げないでください。私が勝手にしたことです」
「ですが……」
「何をしている」
低い声がして、三人は同時に振り返った。中庭の入口に、ヴィンセントが立っていた。隣には執事の姿もある。どうやら城内を移動している途中だったらしい。
「ヴィンセント様……!」
リーサがすぐに頭を下げる。庭師の男も慌てて深く頭を下げた。カミラだけが、袋を持ったまま固まっていた。
「えっと……これは……」
戸惑うカミラの正面までやってきたヴィンセントの視線が、カミラの手元に落ちる。袋の端に触れたままの自分の手に気づいて、ぱっと手を離す。
「すみません。私が、勝手に手伝おうとしてしまいました」
ヴィンセントはしばらく何も言わなかった。しかし、さっきまでクラリスが教えてくれたことを思うと、怒られるかも知れない。カミラは自然と背筋を伸ばした。リーサや庭師に迷惑をかけたくはない。叱られるなら、自分だけでいい。
「あの、リーサさんも、この方も止めてくれました。だから、二人は何も悪くありません」
「……エミリスワンでは、庭師の仕事もあなたが手伝うのか?」
それは追及するための質問ではなさそうであった。カミラは少し考えてから、なんとか言葉を振り絞る。
「……どんな仕事をしている人でも、困っていたら手伝います。私も父も、国の皆さんみんなそうでした」
「そうか」
ヴィンセントは短く答えると、カミラではなく庭師の男の方を見た。
「その袋は、どこへ運ぶものだ」
「は、はい。奥の花壇まででございます」
「なら、俺も手伝おう。そちらを持ってくれ」
「えっ!? あ、はい……!」
驚いたのは、カミラだけではなかった。リーサも、庭師の男も、執事までもが目を見開いている。
「ヴィ、ヴィンセント様、そのようなことは……!」
執事が慌てて止めようとする。しかし、ヴィンセントは、すでに袋の端に手をかけており、カミラが反対の端を持つとそのまま持ち上げた。そして庭師が指さした方へ歩き出す。
「ヴィンセント様、お召し物が汚れてしまいます……」
「洗えばいい」
執事の声掛けにそれだけ言うと、今度はカミラのほうを見た。
「重いだろう」
「平気です、このくらいの力仕事、エミリスワンではたくさんしていましたから」
カミラはそう答えながらも気付いていた。背の低いカミラのほうが持ち上げる位置が低くなり、自ずと重量がカミラのほうへ傾く。だからヴィンセントはわざわざカミラよりも低い位置で持ってくれていた。
「このあたりでいいのか?」
あとについてやってきた庭師の男の方を振り返り、ヴィンセントが尋ねる。
「はい、まさにこちらでございます。本当に、本当に、お二方ありがとうございます。このようなことをさせて申し訳ございません……」
庭師の男が深々と頭を下げる。カミラは慌てて首を振った。
「謝らないでください。私が手伝いたかっただけですから」
「ですが……」
「腰を痛めたら大変です。次からは、無理をせず誰かを呼んでくださいね」
そう言うと庭師の男は戸惑いながらも、少しだけ表情を和らげて、こぼれるようにありがとうございます、と繰り返した。それが庭師の本心のような気がして、カミラは嬉しくなる。
「ヴィンセントさんも、ありがとうございました。すみません、変なことにお付き合いさせてしまって……」
庭師が仕事をしやすいように少し離れたあと、ヴィンセントにそう声をかける。すると、ヴィンセントが顔を上げて尋ねてくる。
「エミリスワンでは、王も姫も、そうして働くのか」
「働く……というほどではないんですけど……。ただ、困っている人がいたら手伝います。お父様もそうでした。城門の雪かきだって、よく一緒にしていましたし」
「……そうか」
ヴィンセントの声は、まだ何かを考えているようであった。それでもすぐに、切り替えてこちらを見る。
「戻るぞ。庭はまだ冷える。それに、あなたに丁度用があった」
「あ……はい」
歩き出したヴィンセントの隣に、カミラは並んだ。リーサと執事は、少し後ろからついてくる。
さっきまで、また失敗してしまったと思っていた。しかし今は、不思議と胸が軽い。
(ヴィンセントさんは、エミリスワンのこと……わかろうとしてくれてるんだよね……)
この人は、自分の国を馬鹿にしない。自分の当たり前を、子どもじみたものだと笑わない。シントレアの礼儀を教えながらも、エミリスワンで育ったカミラを否定しない。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
「ヴィンセントさん」
「なんだ」
「さっき、一緒に持ってくださってありがとうございました」
「礼を言うことではない」
「でも、嬉しかったんです」
ヴィンセントは返事をしなかった。ただ、歩調を少しだけカミラに合わせてくれる。その沈黙すら優しいものに感じて、カミラは小さく笑った。
部屋へ戻ると、ヴィンセントは執事に目配せをした。執事が持っていた小さな包みと数通の手紙を受け取り、ヴィンセントがそれをカミラに手渡す。
「これは……あ、お父様からの手紙……!」
差出人を見てカミラの表情がぱっと明るくなる。それから、小包のほうも見たが差出人が書いてない。
「これは……」
「それもエミリスワンから届いた。あなたのお父上がクレールという女性から預かったものらしい」
「クレールおばさんから……!?」
その名前を聞いた瞬間、カミラの胸が大きく跳ねた。さっき、中庭で話していたばかりだった。ベリーを摘みに行くとき、いつも一緒に山に入ってくれた人。雪かきの日の朝、ミートパイを焼くから帰りに寄りなと言ってくれた人。
あの日はそのままシントレアの襲撃を受けて、カミラは結局クレールの家へ寄ることができなかった。そのことを、クレールも気にしてくれているのかも知れない。
「これ、開けても……?」
「ああ。もちろん」
カミラはかすかに震える指で、まず父からの手紙を手に取った。見慣れた字で名前が書かれている。それだけで、鼻の奥がつんとした。
封を切り、中を読む。父はいつも通り、カミラの身体を案じていた。よく眠れているか。食事は口に合うか。困ったことはないか。シントレアの第二王子殿は約束を守ってくれているか。その一つひとつに、父の心配がにじんでいるのが伝わってきた。
(お父様……)
そして最後に、クレールから預かった包みを同封すると書かれていた。




