第19話
その日の夜。
ヴィンセントはカミラの部屋の前まで来ていた。一息ついてから、いつものように三回ノックをする。
「どなたですか……?」
中から不安そうなカミラの声が聞こえてくる。それを聞いて、ヴィンセントは少し安堵した。前回不用心だと注意したことを、カミラが守ってくれていた。
「俺だ」
「あっ、ヴィンセントさん!」
声だけで不安そうな様子から、明るくなったのがわかる。そして足音が聞こえて、ドアを開けた。
「どうしたんですか?」
不思議そうな彼女の顔を見ると、自分の中にあった張り詰めたものがほどけていくようだった。無意識にどこか神経が高ぶっていたのかもしれない。
「いや、あなたの顔が見たかった」
「……ありがとうございます。中にどうぞ」
少し照れた表情で部屋の中に入れてくれる。その様子を見るだけで、あの夜のアルスの言葉を実感してしまう。
(やはり、これは恋だな)
意外と冷静に、その事実を受け止めていた。もはや動揺もない。アルスに言われるずっと前から、この感情があったような気がする。
「明かりをつけますね。少しお待ち下さい」
部屋の明かりがすべて消されているところを見ると、もうすでに就寝していたのだろう。今日は月明かりが明るいからまだ手元も見えているが、月のない夜は目も慣れないほど真っ暗になる。ふいにそんな暗がりで眠っている彼女のことを想像して、胸が痛くなった。寂しい思いを抱えて、暗がりの中で眠る。そのことがどれほど怖いか、ヴィンセントは幼少期に嫌というほど思い知った。母が病で命を落とし、父もそれから目をかけてくれず、ただ黙って一人寂しさに耐えながら過ごす夜を幾度過ごしたか。
カミラが手際よく灯りをつけたおかげで、部屋は互いの顔が見えるほど明るくなった。
ヴィンセントが目線でソファに座るよう促すと、カミラは素直にそれに従った。そしてヴィンセントもその隣に腰掛ける。
「夜分にすまない」
「いえ、大丈夫です。どのみち眠れなかったので」
「眠れなかった? 何かあったのか?」
「あ、いえ、大したことではないんですけど……!」
カミラはどこか無理に笑っているようだった。その姿に胸を打たれてしまう。
「俺で良ければ、話してくれないか。あなたの力になりたい」
ヴィンセントがそう言うと、カミラは困ったように顔を伏せた。
「その……ヴィンセントさんにだけは、言えない話っていうか……」
「……それは──」
「あ! でも、その、不満があるとか、悪いこと? とか、そういうことでは全然なくて! なんていうか、ちょっとした私だけの悩みというか……こういうの、なんて言えばいいんでしょう……」
「……深く聞かないほうがいいか?」
「正直……自分でもよくわかりません。本当なら、ヴィンセントさんに聞いてしまいたいけど、聞いたら私がだめになるような気もして……」
おそらくカミラの思っていることは、自分なら解決ができる話なのだろうと思う。しかし、迷惑をかけたくないとか、無理をさせるかもとか、そういう余計な心配事が邪魔をしているのだろう。だとしたらそれをすべてどかして、彼女の本音と向き合いたいと思った。
「無理にとは言わない。ただ、俺があなたに何かしてあげたい。あなたが眠れない夜を過ごすのは、俺もつらい」
「ヴィンセントさん……」
「俺でどうにかできることなら、話してくれないか?」
カミラの膝に置かれていた手を包み、優しく訴えかける。カミラは目を伏せて、どうしたらよいのか、考えているようだった。少しでも言いやすいように、ヴィンセントは選択肢を与えようとする。
「エミリスワンから離れて寂しいか? この先のことが不安だとか。あとは……今の待遇に不満があるとか、もっと些細なことでもいい」
「……本当にいいんですか」
ヴィンセントを見上げた瞳の縁には、涙が光っていた。ヴィンセントは内心驚きつつ、平静を装う。ここで自分が動揺してはならないと思った。泣くほど彼女が思い詰める何かを、自分が見逃していたことにも後悔した。もっと早いうちに聞いてあげれば、なにか変わっていたかもしれない。少なくとも、ここまでにはならなかっただろう。
「ああ、もちろんだ」
「聞いたら、後悔するかもしれませんよ」
「しない」
ぽろりぽろりとカミラが涙を落とした。ヴィンセントはその涙を親指で拭う。自分の中にある彼女への庇護欲を感じた。それと同時に、彼女はこれまで一生懸命背伸びをして生活をしてきたのではないかという思いも出てきた。今まではなんでも聞き分けのよい、柔軟な様子を見せていた。しかし、今ばかりは違う。少し頑なで、自分の意志をはっきり持っている。
「……きっとしますよ。私、知りませんからね」
「ああ」
「その……私のこと……婚約者なんて肩書で、変なものを預かってしまったと思っていませんか」
(変なもの……)
妙な言い回しも、今は飾らない言葉で話してくれているからだと感じる。ヴィンセントも、素直で飾らない言葉を用意しようと思った。
「変なものを預かったとは全く思っていない。むしろ、俺にとって、あなたは光だ。あなたのおかげで、自分の人生の使いどころがわかった気がする」
ヴィンセントは自分の人生を思い返していた。不遇な第二王子に生まれ、常にさまざまな噂と悪意に接してきた。半ばやけになって騎士団に入り、のぼりつめては来たものの、どこかこの命を持て余してきたように思う。違和感を覚えていた国の構造も、王家のあり方も、カミラが行く先を提示してくれた。
「人生の使いどころって……?」
不安そうにカミラがこちらを見てくる。
「悪い意味ではない。あなたのおかげで今、俺は自信を持ってここに立てている。あなたを無事にエミリスワンに帰してあげられるよう、国同士の軋轢も今、解消しようとしているところだ」
「そうだったんですね……ありがとうございます。その……」
「うん?」
「……私が、エミリスワンに帰りたくないって言ったら、どうしますか」
「……」
(それは、……俺と同じ気持ちを持っていると思っていいのか?)
考えている間にも、カミラはあわあわとさっきの言葉を撤回しようかどうかと悩んでいるようだった。しかし、ヴィンセントはもう聞いてしまった。その言葉の意味がわからないほど鈍感でもない。今までは彼女の心など見えないものとして、自分がどうしたいか、彼女に何をしてあげたいのか、ばかりを考えてきていた。つまるところ、彼女が自分に対してどういう感情を向けているのかを、はかったことがなかった。
(……ここで、打ち明けてしまおうか)
「いや! やっぱりすみません、さっきの質問はなかったことにしてください! 変なこと聞いてすみません。もう私、寝ますね! 遅い時間まで付き合わせてすみませんでした」
カミラは一息でそうまくし立てると、ソファに置いてあったクッションを取り上げて、顔を正面からすべてうずめた。
(……息はできているのだろうか)
ヴィンセントがクッションをどけると、カミラは真っ赤な顔でこちらを見上げてきた。
(俺は、こんな未来を想像したか?)
彼女の抑え込んでいた気持ちが、溢れた瞬間を見てしまった。
(もう、知らなかったときには戻れないな)
カミラの父にまずは伝えて、娘さんと結婚していいかと問わなければならない。それから王家にもそのことを伝え、説得する。何度も文通してよく知り合った相手といえども、エミリスワンとシントレアの国家間の関係にも差し障ることだから、慎重に動かなくてはならない。
(手紙で知らせるよりも、実際にエミリスワンに行ったほうがいいだろう)
以前からカミラを一度帰郷させてあげたいと思っていた。すべての手はずを整えて、彼女に自分の気持ちを伝えようと思う。
「あなたの気持ちはわかった。少し時間をくれないか」
「……はい……」
もう少しここにいたい気持ちがありつつ、やはりカミラの睡眠の邪魔をすることを考えると、割けるべきなのだろう。すぐにでも取り掛かりたい準備はたくさんある。ヴィンセントはそう思い、ソファから立ち上がった。
「遅くまで邪魔したな」
「いえ、とんでもないです。お話聞いてくださり、ありがとうございました」
「いや。また、今日みたいにたまに話をしに来てもいいだろうか」
「はい。もちろんです」
「ありがとう。……おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
カミラの笑顔を焼き付けて背を向ける。歩きだしても、すぐに足を止めたくなる。しかしそれはできずに、カミラの部屋を出ていった。




