幕間 エレーナ・サブーロワの宮廷実務講座 ――錬金術と星占いと、信用してはいけないお医者様
ごきげんよう。
エレーナ・ミハイロヴナ・サブーロワでございます。
……今回は、少々困りました。
これまででしたら、フレイリナ。仮面舞踏会。宮廷の決まり事。そういった、私にもそれなりに説明できるお話だったのですが。
今回は、錬金術。星占い。謎の薬。そして、かなり怪しいお医者様。でございます。
最初にはっきり申し上げておきます。
私は錬金術師ではございません。
占星術師でもございません。
医者でもございません。
ですので、薬の調合や星の運行について専門的な説明を求められても困ります。
ただし。
私が生きておりますのは、一七四七年。
読者の皆様の時代から見れば、二百年以上も昔でございます。
そして、この時代には、皆様の時代ほど、「これは科学」「これは医学」「これは迷信」という境目が、きれいに分かれてはおりません。
今日は、そのお話をいたしましょう。
---
## まず、Rebisって何だったの?
第二章以来、妙な言葉が出てまいりましたね。
Rebis。
読み方を日本語で表すなら、「レビス」あたりになるでしょうか。
第四章では、男女両方の特徴を持つ不思議な図まで出てまいりました。
ここで、「なるほど。男を女にする薬の研究だな」と思われた方。
少々お待ちくださいませ。
そんなに簡単ではございません。
Rebisは、錬金術の世界で使われる象徴の一つです。
男と女。
太陽と月。
二つの相反するもの。
それが一つになる。
そうした、相反するものの統合を表すものとして扱われました。
ですから、男女の姿を併せ持つ人物が描かれているからといって、「人間の性別を変える方法が書いてある!」という意味ではございません。
錬金術というのは、金属を金に変える研究だけではなく、物質の変化。完全なものとは何か。相反するものがどう結びつくのか。そういう思想や象徴まで含んだ、かなり広い世界なのです。
……もっとも。
アレクサンドル様があの図を見た直後から、ご自分の身体が女性になって見えるようになったのですから、ご本人が嫌な想像をしてしまうのも無理はございませんけれど。
---
## 「錬金術」って、要するにインチキなの?
これも、現代から見ると少し難しいところです。
読者の皆様の時代では、「錬金術師」と聞けば、魔法使いのような人物を想像されるかもしれません。
ですが、私たちの時代から少し前までは、物質を加熱する。蒸留する。混ぜる。溶かす。結晶を作る。
そうした実験と、錬金術的な思想とは、今よりずっと近いところにありました。
後に化学へつながっていく技術もあります。
一方で、「これを飲めば不老不死になる」ですとか、「この秘薬で鉛が黄金になる」ですとか、大変怪しげなお話も混じっております。
つまり。
全部が馬鹿げていたわけでもない。
しかし、全部が正しかったわけでもない。
この辺りが、一番ややこしいところです。
---
## では、星占いは?
これも同じです。
皆様が新聞や雑誌などでご覧になる、「今日のあなたの運勢は三位!」というようなものだけを想像されますと、少し違います。
昔の占星術は、天体の位置。生まれた日時。季節。惑星の運行。そうしたものが、人間の身体や病気、気質、出来事と関係していると考える体系でもございました。
そして重要なのは、当時の人々にとって、天文学と占星術が今ほど完全に別物ではなかったということです。
星を見る。
惑星の動きを計算する。
暦を作る。
それ自体には実際の数学や観測が必要です。
その同じ知識を使って、「では、この星の位置は人間にどんな影響を与えるのか」と考える人もいた。
ですから、現代の皆様から見れば、「そこから先は違うでしょう」と思われるところまで、当時は一続きの知識として扱われることがあったのです。
---
## では第四章の老婆は本当に未来が見えたの?
分かりません。
……本当に分かりません。
あの老婆は、アレクサンドル様を見て、
老婆「女難だ」
と言いました。
さらに、
老婆「女がお前さんの中から出てくる」
などと、この上なく嫌な言い方までしております。
その後、本当にアレクサンドル様には、ご自分が女性になって見える異変が起こった。
これは予言だったのでしょうか。
それとも。
あの老婆は、アレクサンドル様の顔色や態度から何かを読み取っただけなのでしょうか。
あるいは、誰にでも当てはまりそうなことを言ったところ、偶然その後の出来事と一致したのでしょうか。
この物語では、そこに答えを出すつもりはございません。
というより。
当時の人間にとっても、答えが出ないからこそ、こういうものは怖いのでございます。
---
## そして問題のお医者様です
はい。
あの方ですね。
アレクサンドル様へ、
医者「男性へ近づくと、女性の状態で固定される場合があります」
などとおっしゃった方。
読者の皆様。
安心してくださいませ。
あれはかなり怪しいです。
私でも怪しいと思います。
実際、後から調べたところ、まともな資格もなく、過去にも妙な治療をしていた。
そういう人物でございました。
ですから、「一七四七年の医者はみんなあんなことを言っていた」などとは絶対に思わないでくださいませ。
真面目に医学を学んでいる医師に失礼です。
ただし。
ここでも一つ、現代との違いがあります。
当時の医療は、まだ分からないことだらけです。
感染症の原因も。
神経の働きも。
精神と身体の関係も。
薬物が脳へどのような作用をするのかも。
今のようには分かっておりません。
正しい治療をする医師もいる。
経験から効く薬を知っている薬師もいる。
昔から伝わる民間療法もある。
効くかどうか分からない治療もある。
そして、何の根拠もなくもっともらしいことを言う人間もいる。
それらが同じ街の中に存在しております。
患者の側から見れば、誰を信用すればよいのか分からないこともあるでしょう。
---
## 「そんな医者、信じなければいいじゃない」
おっしゃる通りです。
普通なら。
アレクサンドル様だって、最初からかなり疑っていました。
そして後から、やはりインチキ医者だったと判明した。
でしたら、男性へ近づけば女性として固定されるなどという話は、笑い飛ばせばよい。
理屈では、そうです。
ところが。
その夜、鏡を見たら。
自分の身体が、また女性になっていた。
……さて。
皆様なら、完全に笑い飛ばせますでしょうか。
頭では分かっている。
インチキだ。
科学的な根拠はない。
そんなことは起こるはずがない。
それでも、自分の目には起こっている。
しかも次に会わなければならない相手は、よりによって男性。
この状態で、「迷信なんてくだらない」と百パーセント言い切れるでしょうか。
人間というものは、それほど理屈だけで動けるものでもございません。
---
## では、アレクサンドル様の身体には何が起きているの?
これは、今の私にも分かりません。
薬品を吸い込んだ影響なのか。
幻覚なのか。
疲労なのか。
恐怖によるものなのか。
何か別の薬を知らないうちに使われているのか。
それとも。
本当に何かが起きているのか。
まだ分かりません。
ただ一つ言えるのは、本人にとっては本物に見えているということでございます。
周囲の人間には、いつものアレクサンドル様に見える。
鏡を見ると、女性になっている。
誰かが部屋へ入ってくると、いつの間にか元に戻っている。
触った感覚さえ信用できなくなる。
そうなると、どこまでが現実で、どこからが自分の頭の中なのか。
判断する方が難しくなってまいります。
これは、女装とはまったく違います。
服を脱げば終わる。
化粧を落とせば戻る。
鬘を外せば自分になる。
そういう安心が、今回はございません。
だから、アレクサンドル様にとっては、これまでのメタモルフォーゼ会とは比べものにならないほど怖いのでございます。
---
## 昔の人は迷信深かった――だけではありません
最後に、ここだけは覚えておいていただければと思います。
昔の人間が、今では迷信とされているものを信じていた。
それは事実です。
ですが、「昔の人は馬鹿だったから何でも信じた」ということではございません。
私たちは、私たちの時代に分かっている範囲で世界を理解しています。
読者の皆様も同じでしょう。
今では当たり前のことでも、百年後には、「そんなことを信じていたの?」と笑われているものがあるかもしれません。
逆に、今は怪しいと思われているものの中から、将来きちんと説明される現象が出てくるかもしれません。
大切なのは、分からないことを、分かったつもりにならないこと。
そして、もっともらしい顔をしている人間を、すぐ信用しないことです。
これは、一七四七年でも、きっと読者の皆様の時代でも、変わらないでしょう。
---
さて。
錬金術。
星占い。
怪しい医者。
そして、鏡の中で女性になってしまうアレクサンドル様。
ずいぶん妙なところまで来てしまいました。
ですが、次に待っておりますのは、もっと分かりやすい問題です。
アレクサンドル様は、もう一度、あの男性と踊らなければなりません。
しかも今回は、頭の片隅で、あの信用ならない医者の言葉が、ずっと聞こえております。
医者『男性へ近づくと、女性の状態で固定される場合があります』
……ええ。
私も存じております。
インチキ医者です。
分かっております。
ですが。
アレクサンドル様ご本人に、そう簡単に忘れろと申すのは、少々お気の毒かもしれませんね。
では皆様。
次のお話へ参りましょう。
どうか、鏡の中のご自分が、いつも通りでありますように。




