第三十四章 まだ起きていない一件
一九四二年一月三日
一月三日の朝、佐世保鎮守府の庁舎には、正月らしい静けさより先に、平日の足音が戻っていた。
天川の机には、前日に残した書類挟みがある。石橋は席に着くと、昨夜閉じた箇所から作業を再開した。
「残りを整えました」
資料には、前夜の指示どおり原記録と照合結果を添え、申告・記録・発生・確認の日付を分けていた。
十二月十五日の記録には、ウェーク島の結果一致がある。十二月二十四日の記録からは、香港とマニラが結果一致として続く。
連合国共同宣言は、宣言が出されたことまでは確認できている。ただし、二十六か国の参加と内容、署名手続の詳細は照合中とした。確認の終わっていないものを、四件目には数えていない。
一月十一日のクアラルンプール、一月十六日のTWA三便とキャロル・ロムバードは、結果欄が空白のままだった。
そして、一月二十日の第五十二播州丸。
その一件だけは、まだ結果が出ていないことに、ほかの二件とは違う重さがあった。
「第五十二播州丸の別紙は」
天川が尋ねると、石橋は別紙を示した。
「十二月二十五日以降に確認したものを、ここへまとめました。現在地、任務、命令系統、連絡の経路です。確認できたものと、まだ確認できていないものは分けています」
天川は一枚ずつ目を通した。分からない箇所が、もっともらしい推測で埋められてはいない。
第三者が記録をたどり、結果より前に予告が存在したことを確かめられる資料になっている。
「これで出す」
「はい」
* * *
佐世保鎮守府参謀長、山口 儀三郎少将は、天川から資料を受け取った。
「黒馬 禎に関する件です。これまで上方へ報告してきた内容を、今回の照合結果と、まだ結果の出ていないものまで含めて整理しました」
山口は書類から顔を上げずに言った。
「説明しろ」
天川は、ウェーク島、香港、マニラの順に、原記録と照合結果を示した。共同宣言は確認中であり、一致件数には入れていないことも先に伝えた。
山口の指が、十二月二十四日の欄で止まった。
「この日付は確かか」
「はい」
答えたのは石橋だった。
「黒馬本人が書いたものではありません。申告を受けた私が、その場で作成した原記録です」
「結果を知ってから、書き加えたものではないのか」
「違います。追記が必要なものは、日付を付けて別紙にしています。この欄は作成時のままです」
山口は天川を見た。
「おまえは、いつ見た」
「十二月二十四日のうちです。香港もマニラも、結果が出る前に報告を受けています。上方へ送った報告の控えにも、当時の日付が残っています」
「十五日の記録は」
「同じく、結果が出る前から存在します。ウェーク島の結果を受けてから作ったものではありません」
山口は、二つの原記録が戦況報告より前に作られたことを確かめ、三件の結果へ目を戻した。
「ウェーク島だけなら、作戦に近い者から聞いたと考える余地はある」
「はい」
「香港も、戦況を見て降伏が近いと読んだ、と言えなくはない」
山口の指が、一月二日の欄へ移った。
「だが、マニラを攻略目標だと知ることと、十二月二十四日の時点で、一月二日に占領すると日を切ることは別だ」
天川は黙ってうなずいた。
「日まで知り得た情報源は、見つかったか」
「見つかっておりません」
「黒馬と、その情報を渡した者とのつながりは」
「確認できていません」
山口は確認済みの三件を越え、結果欄の空いた行へ進んだ。
「まだ起きていないものは」
「次が一月十一日、クアラルンプール占領です。その次が、米国現地時間一月十六日のTWA三便墜落と、キャロル・ロムバードの死亡です」
「その下は」
石橋が、第五十二播州丸の別紙を示した。
「十二月十五日に黒馬が申告したものです。一月二十日、第五十二播州丸。スービック湾方面で掃海中に触雷し、沈没する、と記録しています」
山口の手が止まった。
「今日から、十七日か」
「はい」
「この船の現在地は」
天川が別紙を示した。
「現在地と任務、命令系統はこちらに。今後の行動と連絡経路には、なお確認を要する箇所があります」
山口は別紙を読み終えたあとも、しばらく黙っていた。
「三件が一致したからといって、この一件まで正しいとは限らん」
「はい」
「偶然かもしれん。どこかに、こちらがまだ見つけていない情報の出所があるのかもしれん」
山口は、一月二十日の日付を指で押さえた。
「だが、二十日に沈んだと確認してから、この記録も正しかったと判定したのでは遅い」
石橋の姿勢が、わずかに固くなった。
「そのときには、検証はできても、船には何もできん」
「いま、この情報だけで第五十二播州丸の任務を変えろとは言えん」
「承知しております」
「だが、判断が必要になったとき、そこから所在や系統を調べ始めるのも遅い」
「現在地、今後の予定、任務、命令系統を、分かる範囲で更新し続けろ。佐世保鎮守府から関与できる範囲と、できない範囲も分けておけ」
「はい」
「照会するならどこへ出すのか。意見を上げるなら、どの経路を通すのか。必要になった時に、すぐ判断を求められるところまで出しておけ」
天川が確認した。
「現時点で任務変更を求めるのではなく、必要時に上へ判断を仰げる状態まで整える、ということでよろしいでしょうか」
「そうだ。いま命じるのは変更ではない。準備だ」
「承知しました」
山口は資料を手元に残した。
「この件は、今後も私へ持って来い。個別の結果だけではなく、同じ一覧へ加えて出せ」
前日に作り始めた資料は、そこで初めて、参謀長本人が継続して見る案件になった。
山口が尋ねた。
「黒馬は、この資料がここまで来ていることを知っているのか」
「知りません」
石橋が答えた。
「ならば、いまはそのままでいい。こちらの確認が先だ」
山口は一覧の残りへ目を落とした。
「次は十一日か」
「はい。クアラルンプールです」
「結果が出たら、その日のうちに、この資料へ加えて持って来い。確認できなければ、確認できていないと報告しろ」
「承知しました」
天川と石橋は敬礼した。
参謀長の机には、確認済みの記録と、結果を待つ予告が残った。
次に日付を迎えるのは、一月十一日。
その下には、まだ起きていない第五十二播州丸の一件がある。
一月二十日まで、あと十七日だった。




