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AIは敗戦を知っている  作者: E


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第二十三章 五つの日付

一九四一年十二月二十四日 朝


目が覚めたとき、店の奥はまだ暗かった。


客のいない卓でメモ帳を開き、片耳にイヤホンを着けた。


後世の記録では、第五十二播州丸は今日、佐世保を出る。


実際に出港したのか、いまどこにいるのかは分からない。石橋大尉は昨日、ウェーク島の照合結果を添えて再報告すると言ったが、その後の判断は知らされていなかった。


僕はメモ帳に、一月二十日、と書いた。


「リサリサ。沈むのは、この日だったよね」


《はい。元の歴史では、第五十二播州丸は一月二十日、スービック湾で掃海中に触雷して沈没します》


「今日、佐世保を出たとしても、沈むまで二十七日ある。その間に、海軍が予定を見直せるだけの根拠を示さないといけない」


《昨日の一致によって、十五日の申告は以前より重く扱われます。ただし、命令を変える判断に至ったかは確認できていません》


「一件当たっただけじゃ、まだ足りないんだろうね」


ウェーク島の作戦予定を、海軍内部の誰かから聞いた可能性。石橋大尉は、昨日もその疑いを残していた。


「海軍のことばかり話すから、海軍の中に情報源がいると思われる。だったら、海軍と関係のない出来事も、起きる前に記録しておけばいいんじゃないかな」


《軍事以外の情報も、日付と結果が一致すれば、一つの情報源だけでは説明しにくくなりますね》


「一件ずつ、結果が出るたびに伝えるんじゃ駄目だ。あとから結果に合わせて足したと思われないように、今日のうちにまとめて残そう」


リサはすぐに問い返した。


《何を選びますか》


「一月二十日より前に起きること。それと、日付と結果がはっきりしていて、石橋大尉たちがあとから確かめられるもの。明日にも答えが出るものから、軍事や外交と関係のないものまで、種類を分けたい」

リサはしばらく考えた。


《まず、日付と結果を日本側が確認しやすい出来事を、四件選びました。日付の早い順に説明します》


《1つ目は、十二月二十五日、もう明日の話です。香港で英軍を中心とする守備隊が日本軍に降伏します》

 《2つ目は、一九四二年一月一日付で、ワシントンにおいて、米国、英国、ソ連、中国を含む二十六か国の連合国共同宣言が成立します》

 《3つ目は、一月二日、日本軍がフィリピンの首都マニラを占領します》

《4つ目は、一月十一日、同じく日本軍が後のマレーシアの首都クアラルンプールを占領します》


僕は、四つの日付と結果を順に書いた。


「最初は明日だね。これなら、早く照合してもらえる」


《はい。ただし、石橋大尉へ伝えるときには二点、注意が必要です。2つ目の共同宣言は一月一日付ですが、二十六か国すべてが一日に一斉署名するのではありません。署名手続きは一日と二日にまたがります》


《また、3つ目のマニラ占領と4つ目のクアラルンプール占領は、どちらも都市の占領です。マニラの占領はフィリピン全土の制圧や米比軍全体の降伏を、クアラルンプールの占領は英領マラヤ全域の制圧や英軍を中心とする守備軍全体の降伏を意味するものではありません》


「分かった。日付も、結果の範囲も勝手に広げず、そのまま残そう」


軍事が三件。外交が一件。どれも未来の結果ではあるが、僕が海軍の情報を得ているという疑いから、完全には離れられない。


「もう一つ、軍事でも外交でもない出来事はないかな」


リサはもう一度、条件に合う出来事を探した。返事が来るまで、さっきより時間がかかった。


《一件あります。ただ、人が亡くなる事故です》


「どんな事故なの?」


《米国で、一月十六日の夜に起きる航空機事故です。日本では十七日の昼に当たります。映画女優のキャロル・ロンバードが死亡します》


「キャロル・ロンバード?」


名前を聞いても、顔が浮かばなかった。


「その人、どんな女優なの?」


《一九三〇年代の喜劇映画で人気を集めた、米国を代表する女優の一人です。俳優クラーク・ゲーブルの妻でもあります》


「この時代の日本ではどうなの? 映画を見る人なら、名前を知っている?」

《映画に関心のある人には知られています。日本の映画雑誌で表紙を飾ったこともあります》

「出演した映画は、日本でも上映されていたの?」

《はい。主演作の『特急二十世紀』や『襤褸と宝石』などが、日本でも劇場公開されています》

「日本でも知られているんだね。でも、今はアメリカと戦争中だ。亡くなったことまで、日本側で確認できるの?」

《一般の新聞にいつ載るかは断定できません。ただ、同盟通信社は連合国側の通信社電やラジオニュースを傍受しています。石橋大尉が上級組織を通じて照会できれば、事故後に死亡と事故の概要を確認できる可能性があります。いつ確認できるかは分かりません》

「軍事や外交と関係がなくて、日本側でもあとから確かめられる可能性がある。それで候補にしたんだね」

《はい。一月十五日、インディアナ州で戦時国債の販売に協力し、その帰途に乗った旅客機が、翌十六日、ネバダ州の山へ墜落して、三十三歳で亡くなります》

「三十三か」


三十三歳という年齢が、胸に引っかかった。四十二歳だった僕より若い。名前も知らなかった女優が、急に一人の人間として紙の上に現れた。


「その人が死ぬ日を、僕の話が正しいと証明するために使うの?」


《この事故を、禎さんが事前に知っていた証拠にすることになります。抵抗を感じると思い、最後に挙げました》


リサの答えに、いつものような即座の続きはなかった。


僕はペンを置いた。


「ネバダ州のどの山か、乗る便まで分かる?」


《搭乗するのは、米国の民間航空会社TWAの三便です。一月十六日の夜、ラスベガスを離陸したあと、ネバダ州のポトシ山へ墜落します》


「その便には、ロンバードだけが乗るわけじゃないよね」


《はい。ほかにも乗客と乗員がいます。全員が死亡します》


「そこまで分かるなら、航空会社へ知らせられないかな。匿名でも何でもいい。飛ばなければ落ちない」


《三便の運航を止められる見込みを分析します》


リサは、すぐには結論を返さなかった。


《私たちには、米国の航空会社へ直接連絡する手段がありません。まず、三便を運航するTWAへ情報を届ける経路が必要です》


「石橋大尉に、航空会社へ伝えてもらうよう頼めないかな」


《頼むことはできます。ただ、相手は交戦中の米国企業です。海軍や警察を通じても、TWAの運航を決める人まで届けられる確かな経路は、いまの私たちにはありません》


「便と日付だけじゃなくて、落ちる山の名前まで伝えれば、調べてもらえない?」


《便と日付、墜落する山は特定して伝えられます。ただ、この事故は、いま機体を点検すれば見つかる故障が原因ではありません。離陸後の進路と航法上の判断が関わります。三週間前に点検して異常がなければ、予定どおり飛ばすことも考えられます》


「欠航にできなくても、危ない進路を避けてもらえば、全員を助けられるかもしれないよね」


《その可能性はあります。ただし、情報が届くだけでは足りません。敵国からの予告を、いたずらや脅迫ではなく、実際の危険として受け止めてもらう必要があります。私たちは、なぜ事故を知っているかという根拠を示せません。欠航にするにしても、経路を変えるにしても、運航に責任を持つ人が判断し、当日の乗員へ確実に伝えるところまで必要です》


「結局、事故を防げる見込みは、どのくらいあるの?」


《数値にはできません。現在の私たちには、航空会社へ情報を届け、信用してもらい、運航を変えて事故を防ぐところまで進める現実的な手段がありません》


知りたかった答えだった。聞きたくなかった答えでもあった。


「それなら、五件目からは外した方がいいのかな」


リサの返事は、今度は早かった。


《外すことはできます。ただし、外しても事故を防ぐことにはなりません。何も伝えなくても、元の歴史どおりなら事故は起きます》


リサはそこで言葉を切った。


《石橋大尉へ日付と内容を事前に伝え、あとで一致が確認されれば、軍事や外交の情報源だけでは説明しにくい記録になります。その信用を第五十二播州丸や、その後の人命を救うためにつなげる方が、何も言わずに事故を迎えるより意味があります》


僕は、まだ何も書いていない五件目の行を見た。


候補から外しても、三便が墜落して乗客と乗員が亡くなる未来まで消えるわけではない。助ける道を考えたうえで、それでも届かないなら、その死を何にもつなげずに終わらせることも、僕の選択になる。


「五件目に入れよう」


僕はペンを取り直した。


「あの便の人たちが死ぬのを待つためじゃないよ。事故が起きてしまったら、ただ『当たった』で終わらせない。第五十二播州丸の行動を変える判断につなげよう」


《はい》


僕は五件目を書き加えた。


「ただ、五件全部がそろうまで待ってもらうつもりはない。明日以降、結果を確認できたものから照合してもらおう」


《最後の事故が日本側へ伝わる時期は分かりません。一月二十日に間に合わせるには、その前の結果から働きかける必要があります》


「そこも、はっきり伝えよう」


店の奥で、戸を開ける音がした。


僕はメモ帳を閉じ、端末と一緒に上着の内側へ戻した。イヤホンも外す。


桑橋さんが台所へ出てくると、客席の僕を見た。


「もう起きていたんですか」


「はい。石橋大尉へ、もう一度お願いしたいことを考えていました」


「今日も本署へ行くんですね」


「会っていただけるかは、まだ分かりません。派出所から取り次いでもらいます」


桑橋さんは僕の顔を見たあと、前掛けを手に取った。


「では、お昼を過ぎても、店のことは気にしないでください。こちらは回しておきます」


「ありがとうございます。連日すみません。出るまでに、米と火の支度は済ませます」


「お願いします」


桑橋さんが鍋を出し、僕は竈の前へ回った。


* * *


毎朝の確認が済むと、僕は紀伊巡査へ頼んだ。


「昨日の面談に続けて、石橋大尉にお伝えしたいことがあります。本日中に、もう一度お会いできないか、取り次いでいただけますか」


「どのような用件ですか」


「第五十二播州丸の件を判断していただくため、今日の日付で残してほしい情報が五件あります。最初の一件は、明日起きることです」


巡査は、閉じかけていた帳面へ手を戻した。


「分かりました。本署へ連絡します」


本署へ取り次がれ、僕は巡査部長にも用件を伝えた。石橋大尉への連絡が済むと、廊下の長椅子で待つよう言われた。


署員が行き来するたびに顔を上げた。昼を過ぎたころ、巡査部長が廊下へ出てきた。


「石橋大尉が来られました。どうぞ」


案内された部屋には、石橋大尉と、十五日と昨日の記録を取った男が座っていた。机の端に、まだ何も書かれていない紙が置かれている。


「連日、お時間をいただき、ありがとうございます」


「昨日、ウェーク島の照合結果を添えて、第五十二播州丸の件を上司へ報告しました。船について、いま私からお伝えできることはありません」


「承知しました」


「今日は、新しく五件あるそうですね」


「はい」


昨日、上司が何を判断したのか、その先でどこへ報告されたのか、僕には分からなかった。


「第五十二播州丸の件を、海軍が判断し直す材料にするためですね」


「はい」


「聞きましょう」


「最初は、一九四一年十二月二十五日です。香港で抗戦している、英軍を中心とする守備隊が日本軍に降伏します」


「明日ですね」


「はい。戦況の見込みではなく、守備隊が明日降伏するという結果です」


「二件目は、一九四二年一月一日付で、ワシントンにおいて、米国、英国、ソ連、中国を含む二十六か国による連合国共同宣言が成立します。敵国と単独で休戦や講和をしない趣旨の規定を含みます」


石橋大尉は、二十六か国という数と、一月一日付という日付を記録の上で読み返した。


「宣言は一月一日付ですが、署名の手続きは一日と二日にまたがります。二十六か国すべてが一日に一斉署名する、という意味ではありません」


記録担当者は、宣言の日付と署名の日を分けて書いた。


「敵国と単独では休戦も講和もしない。そこまで、今日の時点で分かるというのですね」


「はい」


「三件目は一月二日、日本軍がフィリピンの首都マニラを占領します。これは都市の占領であり、フィリピン全土の制圧や、米比軍全体の降伏ではありません」

「四件目は一月十一日、同じく日本軍が英領マラヤのクアラルンプールを占領します。これも都市の占領であり、英領マラヤ全域の制圧や、英軍を中心とする守備軍全体の降伏ではありません」


記録担当者の筆が止まるまで待ってから、石橋大尉が僕を見た。


「どちらも、都市を占領する日まで特定しているのですね」


「はい」


僕は一度、息を吸った。


「五件目は、米国で起きる航空機事故です。ネバダ州では一月十六日の夜、日本では十七日の昼に当たります。民間航空会社TWAの三便がポトシ山へ墜落し、乗客と乗員全員が死亡します。その中に、映画女優キャロル・ロンバードがいます」


筆先が、紙から離れた。


「米国の民間機ですか」


「はい」


石橋大尉は、五件目の行へ目を落とした。


「この人物と、あなたに関係はあるのですか」


「ありません。会ったこともありません」


石橋大尉がうなずくと、記録担当者は再び筆を動かした。


「情報を知った経緯については、これまでの説明と変わりませんか」


「はい。内容は思い出しましたが、いつ、どこで、どのように知ったのかは思い出せません」


記録担当者が、紙を石橋大尉へ差し出した。


「ただし、上司へ報告することと、出港や任務を変えることは別です。今日も、私から変更を約束することはできません」


「承知しています」


石橋大尉は、二十四日付の記録を書類挟みに収めた。


「確認できたものから、追って報告します」


僕は頭を下げた。


石橋大尉が書類挟みを閉じた。留め具の乾いた音が、部屋に一つ響いた。


五件の日付は、もう僕の記憶とメモ帳だけにあるものではなかった。


一件目の日付は、明日だった。


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