↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIは敗戦を知っている  作者: E


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/53

第十七章 再面談と二つの文書

一九四一年十二月十五日 朝


米を研いでいると、店の裏口が開いた。


桑橋さんが魚の入った籠(かご)を抱えて、仕入れから戻ってきた。

僕が起きたときには、桑橋さんはもう店にいなかった。その間に店内を掃き、竈(かまど)の冷えた灰も片づけておいた。


「おはようございます。魚、入ったんですね」


「はい。今日は入ると聞いていましたので、早めに行ってきました」


桑橋さんは仕入れを帳場の紙へ書きつけ、米と薪の残りを確かめた。


桑橋さんは、米を研いでいる僕の右手へ目を止めた。


右手の布は、もう外れていた。水から上げて掌を見せると、桑橋さんは赤みが残っていないことを確かめた。


「痛むようでしたら、すぐやめてください」


「はい。それと、今朝は派出所から本署へ行くことになるかもしれません」


魚を取り出しかけた手が止まった。


「呼ばれたんですか」


「いいえ。僕から、先日ここへ来られた石橋大尉に連絡を取ってもらえないか、頼んでみます」


「何か、思い出したんですか」


その言い方なら、桑橋さんがそう考えるのは当然だった。


「僕の身元のことではありません。船のことで、大尉へ伝えたいことがあります」


桑橋さんは僕の顔を見たが、その先は尋ねなかった。


「帰りがいつになるか、まだ分かりません」


「分かりました。気をつけて行ってきてください」


「はい」


桑橋さんは籠から魚を取り出し、朝の支度へ戻った。


米を研ぎ終えるころには、外も明るくなっていた。僕は毎朝の出頭へ向かった。


人目のないところで、僕は片耳に着けたイヤホンへ指を当てた。


昨夜決めたのは、まずウェーク島について、日付の残る記録を作るところまでだった。


だが、第五十二播州丸が一月二十日に沈むと知っていながら、ウェーク島の結果が出るまで黙っている理由はなかった。


「リサリサ。播州丸のことも今日話そう。石橋大尉と何度会えるか分からないから、伝えられるときに伝えておきたい」


《はい。分かっているのは、一月二十日にスービック湾で掃海中、機雷に触れて沈むことです。機雷原の位置と乗員の被害は分かりません》


派出所の手前でイヤホンを外し、上着の内側へ収めた。ここからは、相手の反応を見ながら、僕自身の言葉で伝える。


* * *


派出所へ入ると、紀伊巡査は僕の顔を見て、いつもの帳面を開いた。


「昨夜も桑橋食堂にいましたか」


「はい。店を出ていません」


「今日の予定は」


「このあと、本署へ行くことになるかもしれません。用件が済んだら食堂へ戻ります。桑橋さんには伝えてあります」


「佐世保を離れる予定はありませんね」


「ありません」


巡査は答えを一つずつ書き留めた。「身元が確かめられるまで、毎朝の居所とその日の予定を確認するよう、本署から言われています。店を出るときは桑橋さんへ行き先を伝えること。明日の朝も来てください」


「承知しました」


巡査が帳面を閉じるのを待ってから、僕は口を開いた。


「毎朝の確認とは別に、お願いしたいことがあります」


「何でしょう」


「先日本署で面談した石橋大尉に、もう一度お会いしたいんです。連絡を取っていただけますか」


「用件は何ですか」


「前回の面談の続きです。海軍の船のことで、大尉に直接お伝えしたいことがあります」


巡査は帳面から顔を上げた。


「急ぎの用件ですか」


「今日でないと間に合わないわけではありません。ただ、できるだけ早く、大尉ご本人にお伝えしたい話です」


「分かりました。本署へ連絡しておきます」


巡査は本署へ電話をかけた。


受話器を置くと、「前にあなたを調べた巡査部長へ伝えました。本署で、石橋大尉へ連絡できるか尋ねてください」と言った。


「ありがとうございます」


石橋大尉が佐世保鎮守府附だとは聞いているが、訪ね先までは分からない。身元も確かめられていない僕が鎮守府の門で説明するより、前に会った本署から連絡してもらう方が早い。


本署へ着くと、受付にいた巡査へ名を告げ、派出所から連絡が入っているはずだと伝えた。


「黒馬さんですね。聞いています。少しお待ちください」


玄関脇の長椅子で待っていると、前に僕を聴取した巡査部長が現れた。


「黒馬さん、お待たせしました。こちらへどうぞ」


前回と同じ部屋で、巡査部長は用件を確かめた。


「石橋大尉へは、どのような用件だと伝えればよいですか」


「先日の面談のあと、海軍の船に関わることを思い出しました。詳しくは、大尉ご本人にお話ししたいんです」


「分かりました。そのまま大尉へ伝えます。大尉の都合もありますので、返事が来るまでお待ちください」


僕は廊下の長椅子へ戻った。署員が何度も行き来し、昼の仕込みが始まる時刻になっても、返事は来なかった。


かなり待ったあと、巡査部長が長椅子まで来た。


「石橋大尉が来られました。こちらへどうぞ」


前回の部屋へ案内されると、石橋大尉は記録担当者とともに席に着いていた。巡査部長は「あとは大尉へ直接お話しください」と言い、部屋を出た。


「長くお待たせして、申し訳ありません」


「いえ。急にお願いしたのは私です」


「先日の面談のあと、思い出したことがあるそうですね。海軍の船に関わる話と聞きました」


「はい。ウェーク島と、第五十二播州丸の二件です」


石橋大尉の目がわずかに細くなった。


「第五十二播州丸ですか」


「はい。先に、ウェーク島からお話ししてもよろしいでしょうか」


「分かりました。伺いましょう」


記録担当者は、机の端で筆を取っていた。


「空母『蒼龍』と『飛龍』が支援に回り、二十一日と二十二日に空襲が行われる。そこまでは、すでに決まっていることですか」


「その話を、どこで聞きました」


「内容は思い出しましたが、いつ、どこで、どのような形で知ったのかは、まだ思い出せません。人から聞いたのか、何かで読んだのかも分かりません」


「作戦について、私から答えることはできません。ただ、その二つは、あなたが今ここで初めて持ち込んだ話ではない」


「それで十分です。私がお伝えしたいのは、その先です」


石橋大尉は何も言わず、続きを待った。


「日本軍は十二月二十三日にウェーク島へ再び上陸し、その日のうちに占領します」


「上陸する予定ではなく、占領すると言うのですね」


「はい。占領するのは二十三日当日です」


「作戦の予定だけでなく、成功する日まで確かだというのですか」


「はい。現時点では、間違いないと考えています」


「なぜ、その話を私へ持ってきたのです」


「今の私が海軍に話を伝えるには、大尉にお願いするしかありません」


「では、私に何をしてほしいのです」


「今日、私が『占領は二十三日当日だ』と話したことを、日付が残る形で記録して欲しいです。結果が出れば照合できます」


「記録に残すことが目的ですか」


「いいえ。記録は、その先の話を聞いていただくためのものです」


「その先とは」


「今後も、海軍へ伝えなければならないことがあります。ですが、身元も分からず、情報を得た経緯も説明できない今の私が話しても、取り合っていただけないと思っています」


「それで、まず今日の話を結果と照らし合わせる」


「はい。少なくとも、私の話は確かめる必要があると判断していただきたいんです」


「その信用を得た先で、何をするつもりですか」


「私の知っている範囲で、これから海軍が受ける損害を少しでも減らしたいと思っています」


石橋大尉は、僕から目を離さなかった。


「目的は分かりました。二十三日に、今日の記録と結果を照らし合わせます」


「ただし、それであなた自身を信用すると約束するものではありません。空母の動きを知った経路も、別に調べます」


「承知しています」


「もう一件を聞きましょう」


「第五十二播州丸のことです」


「続けてください」


「来年一月二十日、第五十二播州丸はルソン島のスービック湾で掃海中、機雷に触れて沈みます」


「その話も、思い出したことですか」


石橋大尉の目が僕を捉えた。


「はい。ただ、知った経緯は思い出せません」


「機雷原の位置は」


「分かりません」


「乗員の被害は」


「分かりません」


「分かっているのは、一月二十日、スービック湾で、掃海中に機雷へ触れて沈むということだけですか」


「はい」


石橋大尉は、少しのあいだ黙っていた。


「この話も、ウェーク島と同じように、結果を確かめるためのものですか」


「いいえ。こちらは、外れてほしい話です。船の沈没を防ぎ、乗員を危険にさらさないために、今のうちにお伝えしています」


「分かりました。第五十二播州丸の現状と予定を確認します。二件の記録は、確認できた事実とともに、私の上司へ報告します」


「お願いします」


「ただし、その先でどう判断されるかは、私から約束できません」


「分かっています」


「空母の動きも、まだ起きていない沈没も、あなたがなぜ知っているのか説明がつきません」


「はい」


「記憶が戻らないという事情は承知しています。それでも、この情報をどこで得たのかは、海軍として調べます」


「承知しています」


「前にも言いましたが、あなたが船を知らない者ではない、という見方は変わりません。これまでの行動と、いまの話を聞く限り、海軍を害するために近づいたとも思っていません」


「ですが、あなたの意図と、この情報を軍の判断に使えるかどうかは別です。今日の話で、確かめなければならないことは増えました」


僕は黙ってうなずいた。


面談が終わるころには、記録担当者の前に二通の紙が置かれていた。


どちらにも十二月十五日の日付があり、一通にはウェーク島が二十三日当日に占領されること、もう一通には第五十二播州丸が一月二十日にスービック湾で触雷して沈むことが記されていた。


僕が記録の内容を確かめると、石橋大尉は二通を受け取った。


二人が部屋を出ると、入れ替わるように巡査部長が入ってきた。


「明日もこれまでどおり派出所へ来てください。本署から呼出しがあれば、応じてもらいます」


「承知しました」


変わった条件は一つもなかった。


僕の身元だけでなく、思い出した情報をどこで得たのかも、調べられることになった。


* * *


本署を出ると、冬の陽はもう高く上がっていた。


通りを二つ曲がり、人目が途切れたところでイヤホンを戻した。


「リサリサ。二つとも残せたよ」


《二件とも、十二月十五日に伝えた記録になりました》


《第五十二播州丸について、海軍があの情報をどう扱うかは、私たちには分かりません》


「なら、今は待つしかないね」


食堂では、まだ昼の仕事が続いているはずだ。僕は桑橋さんの店へ向かって歩き出した。


二通はもう僕の手元になかった。どちらの結果も、まだ出ていない。


ただ、十二月十五日に僕が何を伝えたかは残った。


十二月二十三日まで、あと八日だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。