05 はじめのウワサ
戦乱の時代が終わってから建造されたアムドゥシア王国の王宮は絢爛優美な造りをしている。
淡い色の壁画・天井画がさりげなく貴人の行く道を飾り、いくつもある庭園は一流の庭師たちが季節ごとの花々を1つの芸術品に見えるよう配しており、どこを切り取って見てもアムドゥシア王国の国威を十全に示せる城であった。
トールは先日議会を通ったという政策について、国王陛下から個人的にお褒めの言葉を賜るため、王宮へ上がっていた。
本来学生ごときの考案した政策が議会で諮られることはないが、トールは現宰相の嫡男であること、幼馴染にして次代の王たる王太子クリスが便宜を図ってくれることによって特別に審議の場へ出してもらえている。
トールの矜持は自分の実力以外の部分が無ければ舞台上にも上がれないもどかしさに軋みはすれど、使えるものは使うのが合理的行動であるとも理解している。
実際、議会で諮られた政策が採用されたことはこれが初めてではなく、トールの確固とした実力を証すことにも繋がっていた。
それでも国王陛下から個人的にお言葉を賜る機会を得られるというのは、普通のことではない。
これはトールの実力や政策の中身ではなく、トールの家庭環境に由来してのことだ。
トールが待機していた非公式の王族用応接間に侍従の先触れが来て、やがて謁見の場よりずっとラフな格好をしたロイシュ・アムドゥシア国王陛下が入ってくる。
国王陛下は、直立して待っていたトールを見て目元を和らげた。
「やあ、久しぶりだねトール。今回は忙しい中来てくれてありがとう」
「国王陛下におかれましては、ご壮健のご様子で、臣下として限りない喜びを申し上げます。私などは、陛下の金にも等しい時間に比すれば、何ほどのものでもございません」
「堅い、堅いよ、謁見の間ではないのだから、親戚のおじさんだと思って接してくれ。近いうち、本当に親戚になるのだし」
国王陛下は苦笑して、トールの向かいのソファへ座り、トールへソファを勧める。
トールが礼を尽くしてゆっくりと座ると、国王陛下は斜め後ろを振り返ってそこに控える人物へ声をかけた。
「ゼルス、君も久しぶりに見る息子の顔なんだ、隣に座って何か言葉でもかけてやってはどうだ」
国王の斜め後ろに控えているのは、この国の宰相であり、トールの実父である、ゼルス・ケムエルンである。
トールが顔を合わせるのは5か月ほどぶりであろうか、トールと同じ色の髪を神経質に撫でつけた壮年の男性は、トールの顔を見もせずに口を開く。
「此度の件に私は関わっておりませんので、愚息には是非、陛下から栄誉を授けていただければと存じます」
ゼルスは感情の見えない表情で、慇懃に国王の提案を断った。
国王陛下は眉を下げ、トールへすまないねと言いたげな目を向ける。
国王陛下は大変な愛妻家かつ子煩悩の父という家庭人の一面を持ち、忙しさにかまけてトールを放置している宰相ゼルスの姿勢を大変気にしているようなのだ。
トールの政策が採用される度、自分が特別に目をかけているから、という口実をもって、トールとゼルスを会わせている。
ゼルス自身は今のように毎度断っているだろうし、国王陛下へ個人的な時間を作ってほしい貴族は山ほど居るだろう。
トールとの面会時間を作ることに反対する周囲の声もあるはずだ。
その上でトールを実父と会わせる機会を作ってくれる国王陛下へ、トールは感謝と尊敬の念を欠かしたことはない。
「……うん、今回の政策もよく出来ていたよ、トール。君が将来この国を回す立場に就く未来が楽しみでならない。私のかわいげのない息子のことをどうか支えてやっておくれ」
「もったいなきお言葉、恐悦至極に存じます。引き続き、精進いたします」
トールの臣下としての姿勢を崩さない態度にも、国王陛下は鷹揚に頷いて、政策の具体的な運用予定などを話してくれる。
時折宰相としての意見を、とゼルスへ言葉を求めるあたりが、本当に優しい。
ゼルスはトールの実力を父として認める気は未だにないらしい、宰相としての言葉しか述べないゼルスの頑なな態度に、トールは寂しさを覚える。
けれどこのままトールが努力を続け、立派に父の跡を継げる身となれば、いつかは。
トールは拳を固く握りしめて、視線の合わない実父の、自分より少し色の濃い水色の瞳を見つめるのだった。
奇しくも同時刻。
赤と青の薔薇に彩られた王太子専用の庭園のガゼボで、メルカは目の前で口元を覆って笑いを堪えているクリスに呆れていた。
遠くで見守る侍女や近衛がいなければ、つまりメルカの目しか存在しなければ、腹でも抱えて笑い転げていただろう、というほどクリスは面白がっている。
「お兄様、あんまりご様子がおかしいと、近衛の方が確認に来られますわよ」
「……フッ、クク……うん、分かってる、分かっているよ……でもあまりに面白過ぎるじゃないか……フフッ!」
今日は学院が始まってから初めての休日である。
メルカは始業式の日の放課後には届いていたクリスからのお茶会の誘い、言い換えると事情聴取の会に出頭した身であった。
クリスはきっと、始業式よりずっと前からメルカの言う『聖ヒロ』におけるヒロインミシェルがミカエルという男になっていることを知っていたため、その事実に対してどうだった? とからかい混じりに話を聞くつもりだったのだろう。
それが、実はそのミカエルはメルカの前世の親友で、その親友は元々女で、と思いもよらない事実が出てきたのだ。
これにはクリスの「おもしれー女」センサーもクリスと一緒に笑い転げようというもの、しかし実際にそんな優雅でない姿を見せないクリスは、今日も今日とて完璧王太子である。
「やっぱり君がこの世で一番面白い女性なのじゃないかな、メルカ。王太子命令で私の妃にしようか? トールよりは優しくするよ」
「絶対にやめてくださいませ。トール様の婚約者を降ろされるくらいなら王宮に火を放ちますわよ」
「フフフッ、国家反逆罪……! 血が近すぎるとか王太子妃教育を受けていないとか、そういう方向からのお断りでないのが本当に笑える」
メルカとトールの婚約は完全なる政略で決められたものであるので、面白いというだけの理由で、この外面は完璧を体現している王太子が反故にすることはあり得ないのだが、メルカにとっては冗談でもトールの婚約者を辞めさせられるという話は聞きたくないものだ。
メルカはクリスに胡乱な温度の目を向けた。
メルカはメルカで、貴族令嬢としては冗談でも王宮に放火などと言ってはいけないのだが、そこはもうクリスとの長年の応酬の結果、これもある種の信頼関係だ、良く言えば。
悪く言えば強い言葉で拒否しておかないと本当にやりかねないという負の信頼をクリスが得ているという話でもある。
メルカとの茶会の際にクリスが常に護衛と侍女を遠くへ下げている理由の半分くらいは、お互いの過激な発言内容である、もう半分はもちろんメルカの前世関連の話をする故だ。
ようやく腹筋をひくつかせる笑いが引いたのか、クリスは口元を覆っていた手を下ろし、いつも通りの優美な王太子様の笑みに……いや、これは腹に一物あるときの笑みだ。
メルカは怪訝な顔を内心に隠して警戒する。
「そう言うメルカも、この1週間の昼休みはミカエル・アルマロスと逢引きしているんだろう? トール以外の男は全員雑草にしか見えていないと囁かれていたメルカにも春が来たのかと思うと、従兄として感慨深いものがあるよ」
「何が逢引きですか。人生を跨いで再会した友情を妙な言い回しで汚さないでくださいませ」
これにはメルカも、小器用なこと、上品に睨むという貴族令嬢特技を披露せざるを得ない。
王太子という身分に対する礼を失しないためとはいえ、クリスの悪趣味な冗談への抗議を従兄のからかいにむくれる令嬢のいとけなさ、程度に抑えるのは毎回骨である。
クリスはまったく悪びれる様子も無く、長い指をおとがいに添えて思わし気に呟いた。
「……いや、トールのことを考えたら、面白くってならないよ」
「トール様のことですか?」
今の流れでどうしてトールの話が出るのか、メルカは疑問に感じて首を傾げた。
そのメルカの様子を見て、クリスは笑みを深める。
「いやはや、メルカは本当に面白いね、という話さ。出来ることなら一生離したくない」
「話が繋がっていませんわ。それに、愛する婚約者のいる身としては、未だに婚約者を決めない王国の太陽たる王太子殿下から誤解を招くお言葉は賜りたくありません」
メルカはツンとした声音でクリスを暗に非難する。
王太子であるクリスは本来ならもっと早く、具体的には10年くらい前からは王太子妃を決めておかねばならない身であるというのに、一切その気配がない。
女遊びをしているでもない上、王太子妃のこなすべき執務まで王太子本人が片手間でさばいてしまうということもあって、中々周囲も急かしにくいのだ。
クリスはメルカの6つ上の、23歳である。
そろそろ、というかいい加減に王太子妃を決めなければ、本人に何か致命的な瑕疵でもあるのかと近隣諸国から勘ぐられかねない。
幸いというか、貴族の常として、国内のメルカ以外の高位貴族令嬢……その筆頭が『聖ヒロ』における悪役令嬢、ユリエラ・リリスベルなのだが、彼女らはいつ王太子妃や王子妃に指名されても良いよう、厳しい教育を潜り抜けている。
公爵令嬢として必要な勉強と、不在の公爵夫人に代わっての家政以外、トールのストーカーに全力投球で生きてきたメルカからすると、頭の下がる思いである。
他には近隣諸国の、歳の差10歳圏内の王女らを相手とする婚約の打診も数多あるそうだが、クリスは無駄に回る頭と口をもってスルスル逃げ回っている。
「そう言わないでおくれ。何せ、メルカより面白い女性というのは中々居ない」
「ご存知でしょうかお兄様、面白いという形容は女性に対する褒め言葉にはなり得ませんわ」
「私にとっては最上の賛美だとも」
分かっていて言うあたりがクリスの嫌なところである。
メルカも、自分をしてメルカ以上に「おもしれー女」というものがこの世界に存在するかと問われると、ちょっと言葉に詰まる。
メルカはどじょうすくいを披露しないが、どこにでも馬糞を投げ込む女になる覚悟を決めたことはあるのだ。
クリス基準の面白さという観点でもって、逸材であることは流石に自覚せざるを得ない。
外部から見ても最もクリスに気に入られているメルカを王太子妃に、という声が上がらないのは、それこそ血の近さを懸念する声があるからでもあり、メルカの父である王弟が権力を一切望んでいないからでもあり、メルカの生母に醜聞があったからでもあり……とはいえクリスの一声で簡単に押し切れる程度の問題でもあるので、メルカとしてはクリスが血迷って本気でメルカを妃にしようとしないかは、警戒しておかねばならない事柄である。
メルカが、優雅にティーカップをつまむ従兄を複雑な気持ちで眺めていると、クリスは軽くもう一方の手を振ってそんなつもりはない、と示して見せる。
「いやはや、自分が身軽だとどうも他に興味が向きやすいのさ。それで、メルカは今年の交友会はどうするんだい?」
交友会とは貴族学院の初夏の行事の1つである。
5月の初めに、生徒会をはじめとした有志の女生徒たちの手によって学院内で開かれる学院全生徒参加の大規模なお茶会だ。
女生徒らが将来貴族夫人となった際、お茶会を催すための練習の場であり、また必ず王族あるいは王家の血の入った高位貴族が臨席することから、全生徒が王族を頂点とする貴族社会での身の振りを覚えるための場でもある。
カナン第二王子が入学する2年前までは、クリスが王子として、生徒として、その後は王太子として、出席していた。
現在の貴族学院において最も身分が高いのはカナン第二王子だが、女生徒に限るならメルカである。
王族と王家の血縁者はもてなされる側になるという慣習があるので、生徒会に在籍していてもしていなくても、交友会の準備には関われないことになっている。
カナン第二王子は去年まで生徒会長を務めていたが、そういう事情あって4月は時間を余し、図書室によく出入りしていた。
ちなみにメルカは、トールが学業と家業を継ぐための政策立案などに注力しており、生徒会に入っていない以上、生徒会に入る理由と興味は皆無であるため、1年生の頃から学院行事そのものと縁遠い。
友人関係の希薄さと、婚約者であるトールからの忌み嫌われ度合いも、メルカを学院行事から遠ざけている原因ではある。
「どうする、とおっしゃいますと?」
「今年もまたデイドレスの1着も贈ってこない婚約者のストーカーに終始するのかな、と思ってね」
そう、トールは婚約が成立した5歳以降、メルカに贈り物をしたことが1度も無い。
最低限でも1年に1度誕生日には必ず、普通ならば婚約者と同席するパーティーごとにドレスと宝飾品を贈るものである。
それが全くのゼロというのは貴族社会においてかなり非常識で、周知されてしまうと貴族男性としての品性を疑われる状態にあたる。
けれどもこの12年ほどはメルカがトールの色合いの宝飾品やドレスを自費購入して常に好き放題身に着けているので、トールは貴族社会では「あんなに冷淡な対応をしているけれども一応贈り物程度はしているんだな」と思われている。
99%はメルカ自身の趣味だが、1%ほどはトールの体裁のことも考えて行動しているのだ、メルカは。
そのメルカの1%の配慮によって、トールが婚約者を持つ貴族男性として最低最悪過ぎることはクリスくらいしか知らない。
「お茶会で婚約者に侍るのは婚約者としての正当なる権利ですわ。ただ……そうですわね、今年はお茶会の礼儀作法まではまだサッパリなミカが心配ですから、彼が聖人として大きな失敗をしないようついていようかと考えております」
放っておくとミカエルはお茶会の飾りとして扱われるテーブル上の食事を食べ尽くすなど、貴族社会においての常識の欠落をあけっぴろげにしそうだ。
貴族社会では身分差によって声をかけて良い相手や言い回しが常に変化する。
昼休みや放課後にメルカが少しずつ教えてはいるものの、まだ完全に覚えていないミカエルは面倒がって食一辺倒になりそうなのが目に浮かぶ。
メルカがトールの傍を離れていると悪い虫(他の女生徒)が集るため、メルカとしては歯ぎしりものの決断ではあるが、何しろ17年ぶりに再会した親友の将来に関わること、流石のメルカも放任は出来ない。
既にちょっと歯ぎしりを顔に滲ませかけているメルカを、クリスは二三瞬きをして感心したような声を出した。
「へえ、本当に大切な友人なのか。まさか脳細胞の9割以上をトールのために使っていると公言して憚らないメルカが、トールからのエスコートがあるかもしれない小数点以下10桁くらいの可能性を切り捨てて、その友人についているだなんて」
「お兄様? 身分と気遣いとは別に存在するものですのよ?」
流石に0.000001%くらいはあるはずだ、メルカは心外だとばかりに眉を寄せた。
「そうは言ってもメルカ、交友会、夜会に新年祭、愛告祭や卒業パーティーも毎年実質ぼっちだったじゃないか。父上も流石に気にされていたよ?」
ぼっちという語彙はメルカの前世知識によるものだ。
いつどうやって聞き出されたか、どのように自分が説明したかはメルカにはよく分かっていないが、クリスには大抵の現代日本特有の単語が通じる。
無論、メルカ以外との会話では徹底して使わないあたり、さすが完璧超人クリスといったところだろうか。
「伯父様が? それは心配ですわね……メルカ・ロマリウスはトール様をこの上なく好きで堪らないのでご心配には及びませんとお伝えくださいますか?」
「いやそれは伝えなくても心配していないと思うけれど」
心配というのは国王の胸中ではなく、それによって起きかねない婚約の見直しについてだ。
不敬な公爵令嬢もいるものである。
クリスの若干呆れを滲ませた答えに、それなら国王の懸念によって婚約が解消される心配はないか、メルカは胸を撫でおろした。
そう、トールは贈り物をしないどころか、本来婚約者がエスコートすべき公的な場でもメルカをエスコートしたことが無い。
ただそれも、メルカが早い時間から待機所や会場の入口近くで待ち構え、トールの入場に合わせて勝手に一緒に入っているので、そういうエスコートなのだと思われている節がある。
その後、会場内でもメルカがトールにぴったりとストーキングしているため、一応婚約者同士の体裁は保てているのであった。
トールは貴族男性としての常識を疑われ自分有責になるとしても婚約解消を望んでいるのやもしれないが、そうは問屋が、というかメルカが下ろさない。
学院1年生の頃はトールのメルカへの嫌悪を知ってわらわらと湧き出ていた害虫、もといワンチャン狙いの女生徒たちも、1ミリもブレないメルカの執念の前に屈し、最近ではワンナイトのお誘いくらいの軽い、そうその尻と同じくらいの軽さの低劣な誘いをかける者くらいしか残っていない。
メルカとしてはそれすら許しがたい行為であるけれども、今回ばかりは甘んじて苦汁をなめよう、どうせ最終学年、軽薄な女子どもにとっても最後の機会だ。
ともかくそんなわけなので、今年の交友会でミカエルを監督するにあたっての障害は特にないだろう。
お茶会用のデイドレスと宝飾品はいつも通りメルカ自身が用意するし、ミカエルの服装は略装とはいえ聖人としての形式に則ったものであるので、交友会であればそのまま出席すれば良い、負担になるような出費はない。
問題になるとすれば、それはやはり会場内でのミカエルの行動である。
そこをメルカが補助してやれば、前世から要領の良いミカエルのこと、一通りの作法は覚えられる、とメルカは考えていた。
「ところどころ迂闊ではありますが、要領は良い人ですから……交友会と夜会で1度ずつついて教えておけば、今後困ることは無いかと思うのです。お兄様としても、わたくしが教会に恩を売った形になれば手札が増えるでしょう?」
「従兄想いの妹分で嬉しいよ。しかし、1度きりとはいえメルカがトールより優先するとはね……面白いなぁ、今度連れておいでよ、ミカエル・アルマロス」
「今度、といっても王宮での礼儀作法が形になってからになりますわよ……」
と言ってから、メルカはこれ『聖ヒロ』の王太子ルートの導入に似ているのではないか? と気づいて言葉を止めた。
『聖ヒロ』で隠しキャラである王太子クリスのルートに入るには、トールのハッピーエンドを解放した上で、初めにメルカ・ロマリウスの好感度を上げてメルカ経由で王宮へ招かれることが必要になる。
しかし今世のヒロインはミシェルでなくミカエル、男性である。
いくらクリスが常識外れとはいえど、変な事態に発展することは……ないだろうか? メルカは訝しんだ。
「メルカが何を考えているかはようく分かるけれど、いくら私でも次代を残せない相手を伴侶にはしないよ」
クリスが肩を竦めて苦笑し、メルカの怪しい思考に水だか釘だかを刺す。
「普通に会話も楽しめそうじゃないか。始業試験の結果も素晴らしいものだと聞いたし」
当然のようにメルカたちの学院での成績順も既に知っているらしい。
情報は武器とはいえ、クリスの手は広すぎやしないだろうか。
「お兄様の、その情報に対する……何事に対してもそうですけれど、抜け目のなさみたいなものはどこから来ますの?」
「あのねメルカ、トールのことしか考えていない君はもしかしたら忘れているのかもしれないから一応言っておくけれど、君の学年には私のかわいい実の弟、君にとっての従弟も在籍しているんだ。成績順くらいは気にするよ」
言われてみればそりゃそうだ。
側妃を娶っていない現国王の子は正妃との間に出来た2人の息子、王太子クリスとカナン第二王子のみであり、クリスは昔から意外にも弟のことをほどほど気にかけている。
カナン第二王子から聞いたのなら、既に知っていても何もおかしくはない。
貴族学院では始業式後の1週間以内で必須科目の始業試験が行われるのだが、ミカエルはなんとそこで3位の序列を獲得した。
1位は1年生の頃から変わらずトールであり、2位はユリエラ・リリスベルだ。
メルカは相変わらずの5位であり、カナン第二王子は4位であった。
カナン第二王子とミカエルは僅差だったのだが、ミカエルは魔法を含めた実技試験の成績がやたら良かったらしい。
実技だけなら文句なしの1位だっただろう、という話を知り合いの魔法学教授から聞いている。
まあ10歳を過ぎてから魔物と命がけの実戦を繰り返して腕を磨いたミカエルと、護衛に守られながら安全に幾度か魔物を相手取っただけのカナン第二王子では経験値に差があり過ぎる。
座学ではカナン第二王子の方が大幅に高い点数をとっているので、決してカナン第二王子が劣っているというわけではない。
「礼儀作法や貴族関係については学び始めたばかり、まだ伸び代があるわけだ。平民出身で学院の最終学年の始業試験を難なくパスする才人には、称号を抜きにしても是非会ってみたいよ」
「ミカは昔から地頭が良いんですの」
自分事以上に得意げに言うメルカを見て、クリスは重ねて驚きを抱いた。
そして拗らせに拗らせまくっている将来の側近候補の青年を思い、やはり1人で面白くなって笑みを深める。
心配はしないあたりが、クリスの性の悪いところであった。
メルカはメルカで、クリスとミカエルの会話を想像し、馬が合うのか合わないのか思案している。
クリスもミカエルも、双方事態をややこしくすることを好む傾向があるので、意外と話は合いそうだ。
厄介だなあ、メルカはミカエルへ王宮作法を教える機会を先延ばしにしようかとすら考えていた。
そのようにガゼボでの会話が途切れたタイミングで、先ほど話題に上がっていた人物がやってくる。
クリスの弟、メルカの従弟でもある、カナン・アムドゥシアである。
クリスと違って健康的に日に焼けた風の肌色に、クリスとそっくりの金髪を短くして、少し荒くかきあげている。
瞳は両方煉瓦に似た赤茶色で、顔立ちはクリスには負けるものの、少し野性味のある美形といった風に整っている。
『聖ヒロ』のゲーム内では、優秀過ぎる兄と比べられてコンプレックスを抱いている、俺様王子として描かれていた。
コンプレックスが態度の大きさとして裏返っていて、本当は自分に自信が無い、という設定だった。
ただ今は王太子の招きで開かれたお茶会の場である、普段の横柄な態度ではなく、兄への敬意をもった、むしろ実母兄に対してと考えれば堅いくらいの雰囲気で口を開く。
「兄上、父上……陛下がお呼びです」
「ああ、ありがとうカナン。メルカも、今日は楽しい話をありがとう」
クリスは手で近衛と侍女へ軽く合図をして、1人ずつメルカの方へつけた。
「カナン、悪いけれどメルカを馬車前まで送って行ってくれないかな」
「承知しました」
兄弟というより、上司と部下の会話である。
クリスはカナンへ自然に笑いかけているが、カナンはどこか決まり悪そうにクリスから目を逸らす。
メルカは、うーん、思春期~! と思うに終わった。
トール以外の攻略対象ルートも一応クリアしているけれども、何せあまり興味が無かったし、終盤の展開が気に食わないのであまりプレイを重ねておらず、愛着も薄いのだ。
よってカナンの心を解きほぐして兄弟仲を良くしてあげよう! などとは全く思わない。
こと家族仲についてはカナンも、メルカには物を言われたくないだろう。
近衛を連れて颯爽と庭園を去ったクリスを見送り、カナンとメルカも互いにつけられた近衛と侍女を後ろに、王宮の外へ向かう。
二人きりだが、自然と会話が発生する仲ではない。
カナンはクリスに対し劣等感は抱いているものの、兄として慕ってもいるので、兄のお気に入りであるメルカのことが気に食わないのだろう。
思い出してみれば昔から同じ従兄弟だというのに、カナンとはまともに話す機会が少なかった。
従弟との交流について「思い出してみれば」がつくあたり、カナン側よりメルカ側の問題の方が重篤な気はする。
メルカはトール以外についての興味が極端に薄く、長い王宮の廊下を歩く間の無言の空間も全く気まずく思わなかった。
が、カナンの方は気まずかったのだろう、メルカの方を向いたかと思えば、気まずげな声音で素っ頓狂な内容の問いを投げかけてきた。
「……トールに愛想を尽かしたというのは、本当なのか?」
「はい?」
これには思わずメルカも淑女の仮面を落っことしてしまい、微妙に裏返った声を出してしまう。
続いて非常に心外だ、という顔をしてみせれば、カナンは気難し気に眉を寄せて、学院で流れている噂について教えてくれた。
なんでも、学院では今、メルカがついにトールへ愛想を尽かし、始業式の日に運命の出会いを果たしたミカエル・アルマロスという聖人に夢中だ、とか何とかまことしやかに囁かれているらしい。
そんな馬鹿な、メルカは愕然とした。
メルカは毎日変わらず毎朝毎夕、トールをストーキングして愛を捧げまくっているし、始業式の日に運命の出会いを果たしたと言われればそれはまあある種の事実ではあるけれども、ミカエルと一緒に居るのはせいぜい昼休みと、トールの帰りの時間に合わせるための放課後の時間調整の間くらいだ。
それらの時間も、礼儀作法や貴族名鑑を手にお勉強しているだけの色気のない風景があるのみである。
「どこにそんな誤解の生まれる余地があったのでしょう?」
本気で理解不能だと首を傾げるメルカへ、カナンは微妙な顔をして、ため息をついた。
あまり交流が無いので分かりづらいが、何故か呆れられている気がする。
「お前はもっと、自分の行動や周囲の目を客観的に見た方が良いぞ」
どこからどう見てもトール一筋の行動しかとっていないはずである。
メルカは憮然とした心持を手元の扇子に隠して、「ご忠告賜り、痛み入りますわ」とだけ返した。
馬車乗り場に繋がる廊下でカナンと別れ、学院の馬車で寮へと戻るメルカは、車内で先ほどのカナンの言……ではなく、クリスとミカエルについて考えていた。
クリスはミカエルと話したいとは言っていたけれど、ミカエルとしては出来る限り攻略対象には近づきたくないらしい。
この17年弱で男性的な嗜好に近づいた今となっては、男同士で恋愛イベントが始まっても困るから、とかなんとか……メルカが誘っても急な腹痛とか言って断られそうである。
そうなればクリスが正式に招待状を送るだろう、作法としてはそちらの方がより面倒臭くなるのだから、早めに誘いに乗るべきだと説得してやった方が良いだろうか……しかしミカエルの感情面を無視するのも憚られる。
そんなことを考えていたメルカは、休日明けの学院で、ミカエルが攻略対象とガッツリ絡む、というか絡まれる事態が起こるとは思ってもいなかった。




